戦史叢書 - みる会図書館


検索対象: 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~
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1. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

■第四十軍首脳部の陣容 このようなことがあって、私はさらに第四十軍なるものへの興味を深めていった。その後いろいろと資 料をあたり、自分なりに収集した情報があるのでそれを本書にてまとめていきたいと思う。 まずは、祖父の名前が間違っている件について調べてみた。 先にとりあげた「戦史叢書」の同じ巻、 361 ページに第四十軍編成時の司令部メンバーが掲載されて いた。これを引用する。 司令官中澤三夫中将 ( 二十四期 ) 参謀長安達久少将 ( 三十三期 ) 参謀平野勣大佐 ( 三十四期 ) 兵站 参謀市川治平大佐 ( 三十七期 ) 高級参謀 参謀戸梶金次郎少佐 ( 四十七期 ) 作戦 参謀長宗大丈夫少佐 ( 四十九期 ) 情報 副官臼井一男中佐 ( 三十八期 ) なるほど、戦史叢書が間違っていることがわかる。多くの戦史研究家、戦史研究を趣味とする人は戦史叢 書をバイプルとしているので、ここが間違っているのではウイキペティアに影響するのも仕方のないとこ ろである。 ではどこから間違ったのだろうか ? その謎を探るべく、防衛省戦史研究センター史料室で、第四十軍

2. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

に関する資料や名簿をあさった。が、実のところどれにも正しく「臼井一雄」と記されているのである。 つまり、これは戦史叢書編纂作業における「誤植」ということなのだろう。 そういえば戦史叢書の改訂と電子化が進められるとか進められないとかいう話を聞いたことがある。私 もわずかな祖父孝行として、名前の訂正を願い出ておこうと思う。 ちなみに軍司令官の中澤中将と筆者である私には、ほんのわずかだが因縁めいたものがある。中澤三夫 氏は山梨県の生まれ。幼年学校を経て陸軍士官学校を卒業。その後陸軍大学校も出ている ( 三十一一期 ) 。 氏はさらにその後、一九一一一一年四月から陸軍委託学生として東京外国語学校でドイツ語を学んだのだとい う。東京外国語学校は後の新制・東京外国語大学、私が数年籍を置いた ( 卒業はしていない ) 学校なので ある。 わずかな糸だが、こんなところに縁があったかと思うと不思議なものである。 なお、中澤中将は昭和五十五年、八十九歳で亡くなっている。 ■第四十軍は何をして、何の教訓を残したのか こうして第四十軍の資料をいくつも見ていく中で、面白いものを発見した。それは、終戦後に第四十軍 の作戦行動についてまとめた資料で、恐らく中澤司令官もそのとりまとめに関わっているというものであ る。 「南九州に於ける第四十軍作戦行動の概要」 というのがその資料の名前で、第四十軍が南九州に転身した後の行動について事細かにまとめてあるのだ。

3. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

みたい。 ( 以下『戦史叢書・本土決戦準備《 2 》九州の防衛』 357 ページ「十第四十軍の統帥発動と薩摩半島 方面作戦準備」より ) 陸軍中央部は、九州に決戦が生起した場合の統帥機構についての研究を進めていた。そしてその 場合広大な南九州全域を担任している第五十七軍のほかに、その作戦地域を分割して薩摩半島方面 を担任する一軍司令部が必要であり、また別に、機動的に重点運用ができる一軍司令部 ( 機動軍司 令部 ) を編成し、これを直轄として控置する必要があるとの結論に達した。 しかし、人的関係上軍司令部を新編成することは、きわめて困難な状況にあったので、薩摩半島 方面には台湾から第四十軍司令部 ( 軍司令官中澤三夫中将 ) を転用することになった ( 後略 ) 。 前述の内容を改めて戦史叢書で確認してみると、以下の通りである。 第四十軍司令部は昭和一一十年一月八日、軍令陸甲第五号により臨時編成。一月二十五日、台北で編成完 結、第十方面軍司令官の隷下に入ったが、先に引用した通りの事情で、五月中旬には九州に転用されるこ ととなった。 以降、第四十軍は第十六方面軍の戦闘序列に編入され、南九州のうち薩摩半島を防備する役割を受け持 っことになったのである。 さて、この第四十軍の任務は具体的に何だったのだろうか。参考として、第十六方面軍司令官が六月十 一一日に発した命令をみてみよう ( 睦西作戦甲第百六十一一号※ ) 。なお、後述するが第四十軍司令部は当初 鹿児島県宮之城に位置していた。 ※注 : 「睦」は第十六方面軍の通称号

4. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

「第四十軍とは何か」 歴史好きのミリタリーマニアとはいえ、日本陸軍の編成にはあまり詳しくない私の、その時に抱いたちょっ とした疑問が、本書を書くに至る出発点となる。 そういえば今思い出したが、祖父の葬儀には士官学校当時の教え子が集まっていた。出棺の折には、老 齢の教え子たちがその時だけは背筋をピンと伸ばし、敬礼で祖父を見送った、その光景には目頭が熱くなっ たものだ。 ■第四十軍とは ここで、本書のタイトルにもある日本陸軍「第四十軍」について簡単に述べておこう。 昭和一一十年。もはや誰の目にも敗色濃厚と見えた日本、そして帝国陸海軍。絶対国防圏のサイバンを失 4 陥し、レイテ決戦に敗れ、フィリピンの状況は絶望的だった。 次は沖繩か、台湾かーー。本土、及び周辺地域の防備を急ピッチで固める中編成されたのが「第四十軍」 である。 昭和一一十年一月八日、第四十軍編成。台湾南部防衛に備え、台湾の嘉義に司令部を置き、第一〇方面軍 隷下となる。ところが、三月下旬には沖縄方面への攻撃が始まり、四月一日、沖縄本島に米軍が上陸。台 湾はスルーされる形になったのだ。 かくして第四十軍は本土決戦に備えるため、司令部を鹿児島県に移し、南九州防備の任につくことになっ た。最終的には司令部を鹿児島県の伊集院に置き、同地で終戦を迎えている。 ではここで、日本の戦史研究には欠かせない「戦史叢書」より、第四十軍に関わる部分を少し引用して

5. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

■敵軍上陸を迎え撃っ気分ー吹上浜 & 硫黄島ーー ここ 253 年、趣味で戦史研究のようなことをしている。研究というと大げさだが、日本国内の軍事史 跡を訪ね歩いたり、友人たちの活動に乗っかる形で、旧軍関係者への聞き取りなどを行っている。 3 年ほ ど前だと思うが、鹿児島の吹上浜を観に行った。本書に掲載しているような写真を撮りにいったのだが、 現場を見て思った。「こんなに広い海岸、どうやって守るのだろう」と。実際、水際に配置できる兵力は 微々たるものだったはすで、海を埋め尽くさんばかりの上陸用舟艇の群れが襲いかかってきたら : : : もち ろん、事前の砲爆撃もハンパなものではない。自分がその場にいてもとても生き残れなかっただろう。 もうひとつ、対上陸作戦関連では、先日仕事で訪れることがかなった「硫黄島」での体験が忘れられな 本稿執筆時点では、まだその「仕事」の成果は影も形もなく、それについて詳しく述べることは事情 が許さないのだが、 とにかく初めての硫黄島訪問は驚きの連続だった。まさに聞くとみるとは大違い 「百聞は一見にしかず」という一一一口葉をこれほどまでに強く納得できたのは初めてだった。 硫黄島では様々な場所を見て回ることができ、あらゆることが印象的ではあったのだが、なかでも「絶 海の孤島感」はすごかった。周囲に島がない、というだけなら他の島でもそうだろうが、感覚的に「周り に誰もいない」「援軍など来るはずもない」と思えてしまう「孤島感」はかなりのものだった。 そして、擂鉢山から南側の海岸を見て思ったのが「この海を埋め尽くす敵艦を見て、発砲を我慢できる か ? 」ということ。よく、硫黄島の戦いについて語られるとき、島の南に陣取った海軍の砲が、敵を引き つけきれず発砲してしまい、損害こそ与えたものの、位置を暴露してしまいあっという間に破壊された、 という話が出る。私も「海軍のこらえ性なし」と思ったクチだが、現場をみて気づいた。敵の砲爆撃厳し く、いつ自分の陣地もやられてしまうか、と思っているとき、絶好の位置に敵が現れたら : : : ここで一矢 報いようという気にならないと言えるだろうか。まして、司令部間の通信も社絶しがちな状況で : んなことを思いながら「やはり現場を見なくてはなにもわからないものだな」と感じた次第である。

6. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

国土決戦教令目次 第一章要旨 第二章将兵の覚悟及び戦闘守則 第三章作戦準備 第一節要則 第二節教育訓練 第三節築城 第四章決勝会戦 第一節要則 第二節沿岸防御戦闘 第三節機動 第四節攻撃戦闘 第五章持久方面の作戦 第六章情報勤務 第七章交通、通信 第八章兵站 国土決戦教令目次終 彡※本書は、昭和二〇年四月二十日に大本営陸軍部が発行した彡 ー『国土決戦教令』を、旧字体の新字変更、最小限の句読点追 / 2 日、ひらがな書きの変更等を施し、読みやすく整理したも要 ーのです。なお、原典は防衛省防衛研究所戦史研究センター所ー / 蔵のものであり、本書制作者が許諾を得て収録しております 2

7. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

屯している周辺地域の治安を守るために最大限の努力を払い、しばらくするとこうした混乱も落ちついた ということである。 ■第四十軍の教訓 さあ、ではいよいよ本書も最後。私がぐっときた、第四十軍による「遺言」を採録しておく。以下、 「第四十軍作戦行動の概要ー最後の第五章を全文掲載したものである。 ※防衛研究所戦史研究センター許諾済み 第五章教訓其他 一軍ノ任務ト編成裝備 、軍ノ任務ニ對スル第一線兵團數ハ敢テ小ナリトハ謂ハサルモ火力裝備 ( 特ニ爆藥ヲ含ム對戰車火力 ) 機動、補給、衞生能力ノ貧弱ナルハ致命的缺陷トス張付兵團ト雖 ( ※原文は略字、以下同様 ) モ機關銃 主體ニシテ火砲及彈藥爆藥裝備貧弱ナルハ戰車ヲ手トスル敵ニ對シ兵團トシテノ威力ヲ發揮スルニ適セス 機動補給能力ハ兵團カ所命ノ地域ニ諸準備ヲ完了セル以後ノ戰鬪ノ場面ノミヲ考フレハ敢テ不可ナキカ 如キモ上陸防禦ニ於テ極メテ緊要ナル兵團内ニ於ケル兵力移動ヲ拘束スルコト少カラス作戰準備間ニ於 テハ築城及軍需品ノ集積ノ爲ニハ張付兵團 ( ※主に海岸線付近に配置された兵団のことと推測。「かかし 兵団」とも言われ、時間稼ぎのための部隊といっても過言ではない ) ト雖モ輸送カヲ要スルコト何等機動 兵團 ( ※こちらは機動力を持ち、張付兵団が時間を稼ぐ間に反撃するための兵団 ) ト異ラザルニ關ラス

8. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

2 、機祕密書類ノ燒却 終戰直後機祕密書類ノ燒却ヲ全面的ニ命セラレタルモ燒却シテ後刻終戰ヲ有利ニ導キタル所一點モナク反ッ テ陸軍全部隊ニ對シ大ナル困亂ト迷惑ヲ掛ケタルノミ之ヲ必要トスル場合ニアリテモ地域別種類別ニ選 定スルノ餘地ヲ有スルヲ要ス 3 、軍需品ノ處理 終戰直後ニ於ケル軍需品ノ急速民需轉換斷行開始カ復員軍人ノ不正行爲民ノ泥棒開始ノ端ヲ發ス國内相 克強盜續生ノ世トナラサンコトヲ望ム嗚呼一人ノカハ大ナリ又一人ノ短慮ハ國ヲ滅亡ニ導クコトアリ戒 メサルへケンヤ 六國民義勇隊同戰鬪隊ニ就テ 其ノ主旨竝ニ機構ハ概ネ同意スル所ナルモ訓練準備等ノ不十分ハ有事ニ際シ眞價ヲ發揮スルコトハ困難ナ リシモノト認メラル 着手半年遲シ 右諸項ハ過去トナリタル今次大東亞戰ヲ前提トシアリ固ョリ將來戰ノ樣相ヲ考慮シテノ教訓ニハアラス 將來戰ノ樣相ヲ推測 ( ※原文は側 ) スルハ困難ナルモ航空ノ一撃ニョリ或ハ居ナカラニシテ勝敗既時決定 セラルルコトアルヲ豫想セラル又此ニ至ラストモ近キ將來平和ヲ愛好スルコト極メテ切ナル日本國民ノ 上ニ戰禍ノ及フコトアルヲ考慮シ對策ヲ確定スルニアラサレバ一瞬ニシテ八千萬同胞ヲ失フコトナキヲ保 シ難シ少クモ全國民ヲ各々 ( ※原文二の字点 ) ノ位置ニ於テ短期間ノ地下生活可能ナル態勢ヲ即時準備

9. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

■祖父の名前が間違っていた さて。私の祖父は、第四十軍軍司令官・中澤三夫中将の高級副官として、司令部における仕事のあれこ れをしていたようである。「高級副官」というと真っ先に思い出すのは、シュトライト。銀英伝 ( ※ ) の 登場人物だ。ラインハルトにおけるシュトライトですよ。 ・ : と考えると元帥に少佐の副官だったヤンっ てのは結構珍しかったんでしようか。ああでもビュコックにファイフェル少佐 ( 後中佐 ) 、スーン・スー いやいやこれは銀英伝の本ではないのだった。 ル少佐だから同盟軍的には普通のことなのか 話を元に戻す。 私は、ふと思いついてウイキペティアの「第四十軍」の項目を見てみた。「人事」の中に高級副官とし て「臼井一男」という表記がある。あれ、これは明らかに表記間違いだ。もしかして戦中は「一男」だっ たのか ? と思い、手持ちの「復刻・陸軍士官学校」 ( 偕行社刊 ) の卒業生名簿をみる。こちらは正しく三 十八期・臼井一雄となっている。 ではこの間違いはどこから来たのだろう。ウイキペディアを編集するような人は、必ずどこかのソース ( 原典 ) を参照しているはずなのだが ( ※銀英伝 : 田中芳樹著の大ベストセラースペースオペラシリーズ「銀河英雄伝説」のこと )

10. 本土の守りかた ~復刻・昭和20年「国土決戦教令」~

本土決戦。 読者の皆さんは、この言葉にどんなイメージをお持ちだろうか。多くの方にとっては、大東亜戦争 ( 太 平洋戦争 ) 末期に計画をされたものの、実際には行われなかった戦いである、という程度の認識だろう。 一方で、仮想戦記好きな方にはおなじみのテーマといえるかもしれない。現代日本における仮想戦記の 草分けともいえる檜山義昭氏の『日本本土決戦』 ( 光文社 ) などはまさにそのひとつ。かく言う私自身、 この檜山版本土決戦を夢中になって読み、またその脳裏に残るようなリアルな表現のためか、読んだ後は 怖くて夜眠れなくなったことを覚えている ( 同じ名字の「臼井軍曹」なるキャラクターが登場したことも また怖くなった原因だったような ) 。 前置きが長くなったが、本土決戦である。 戦後生まれ ( どころかこの本を読む方には平成生まれもいるのだろう ) にとって、本土決戦とは歴史上 のできごとでもなく、ただ仮想戦記やマニア向けの書籍で見られるだけのことがらになっているのだ、と いうことだけはおわかりいただけるだろう。 実のところ、ちょっとしたミリタリー・歴史趣味者である私にとっても、本土決戦はせいぜい本で読む にあたって興味深いテーマ、というだけでしかなかったのだが、あることをきっかけに「さらに突っ込ん で調べたくなる」テーマへと変わったのだ。 本書は、その一端をまとめたものである。 ※本書の資料引用・転載部分では異字が用いられているなど、旧字の運用に伴い読みにくい点があります。 例 ) 着↓著 ( 到着↓到著 ) 、逐↓遂 ( 逐次↓遂次 ) 等。あらかじめご了承ください。