第九高級指揮官はそれぞれその地位と責務とに即応する統帥指揮に専念し心魂 を尽くして敵を撃砕すべき方策の確立と之が実行貫徹を期するを要す 各級指揮官は自らの信念と熱意とを以て部下将兵全員に決死必勝の信念を透徹せ しむるを要す 第十指揮官は火力、制空力等戦場の実相を正当に認識し之が対策を研究、創意 し、熾烈なる砲爆撃、戦車、火炎、ガス攻撃等激烈凄惨なる情景に対処し冷静沈着 毅然として之を凌駕、圧倒すべき手段を講じ、靱強なる戦闘を遂行するを要す 第十一決戦間は傷病者は後送せざるを本旨とす 負傷者に対する最大の戦友道は速やかに敵を撃滅するに在るを銘肝し、敵撃滅の 一途に邁進するを要す。戦友の看護、付添は之を認めず 戦闘間は衛生部員は第一線に進出して治療に任ずべし 第十一一戦闘中の部隊の後退は之を許さず 斥候、伝令、挺身攻撃部隊の目的達成後の原隊復帰のみ後方に向かう行進を許す 第十三作戦軍は全部隊、全兵種ことごとく戦闘部隊なり 後方、補給、衛生勤務等に任ずる部隊も、常に戦闘を準備し命に応じ第一線に進 出、突撃に参加すべきものとす 徒手の将兵は第一線戦死者または敵の銃器を執り戦闘を遂行すべし 第十四敵は住民、婦女、老幼を先頭に立てて前進し、我が戦意の消磨を計ること
「また、その後に起きたニこ一六事件のときは、熊本歩兵第十三連隊第ニ中隊長のときである。 私もかってニこ一六事件の安藤輝三、磯部浅一の一味であったため、憲兵隊関係の注意人物と目 せられていたらしく、昭六・五・一五事件当時、胸部疾患にて熊本衛戍病院 ( ※注【軍病院のこと ) 入院中の私は、憲兵隊の取り調べを受けたり、昭九こ一・ニ六事件のときは、憲兵が張り込みのた め我が家の床下に潜んだり、戸壁の隅に隠れていたりしたことが、後に至って判明したものである。 ニ・ニ六事件当時、ついに一人で連隊を脱して東京に出奔した・・ ( 後に満州国軍に入隊 ) は盛 んに出京を勧めたが、私は状況判断上っいに踏み切るまでに至らなかった」 ※・・部分は、先の引用同様に伏せた。 ※種本では安藤「照蔵」磯部「浅吉」と誤っている。 「状況判断上っいに踏み切るまでに至らなかった」とあるのは、迷っているうちに事件が終わってしまっ ていたのか、それとも自ら「加わるには値しない」と思っていたのか。その辺はよくわからない。 ともあれ、祖父が反乱に加わることはなく、所属聯隊から出奔することもなかった。 遠い歴史の話だと思っていた二・一一六事件だが、私にとっては意外に近いところで起きていたんだなあ、 という印象を受ける一連の記述である。 ちなみに祖父の手記が正しければ、この後昭和九年八月には歩兵大尉に進級。 昭和十一年には歩兵学校甲種学生に選ばれているなど、特に事件に関連して人事上不利になるようなこ とはなかったようである。 ( この項おわり )
銘記すべし 第三十九軍隊の機動は作戦時に於ける交通網破壊の状況に鑑み、集中及び戦場付 近の機動共に主として行軍に依らざるべからず。然れども鉄道、水路その他の輸送 機関を利用して機動の神速を図るを必要とす。軍需品の移動は勉めて鉄道、水路を 利用するを要す 第四十機動に関する訓練は高等司令部以下之を行うものとす。即ち情報、通信、 集合、機動発起、交通統制、行軍力の増大、対空部署、陽動、欺瞞等に関し総合的 に演練するを要す 第四十一行軍間の傷者、患者は万難を排して同行し決戦に参加せしむべし。落伍 は軍人の本領をわきまえざる非行と知るべし 第四十一一行軍部署は対空戦備を主として之を定む 高級指揮官は防空部隊の配置、運用に万全を期すると共に軍隊は自ら対空戦闘の 処置を講じ、敵機の執拗なる妨害を排除しつつ行軍を敢行すべきものとす 第四十三地障特に河川、湖沼、海峡の神速なる渡過は周到なる事前準備に依り期 し得るものとす。高級指揮官は渡過の為徒渉場、夜間架橋昼間撤収、河底橋等の施 設を実施すると共に防空、欺瞞等の処置に遺憾なきを要す 軍隊はたとい配当渡過材料の不十分なる場合に於いても自ら応用材料を利用して 地障の克服に勉むべきものとす
又、弾薬糧食の格納倉庫を鹿児島の伊敷や伊集院の丘陵地帯に構築したのである。就中 ( ※なか んずく ) 司令部は伊集院の一丘陵を之に充当し縦横に洞窟を掘り、洞窟の長さだけでも三百米位に 達したと思われる。それ迄は伊集院小学校の校舎を利用していたが、絶えず米軍機の急降下銃爆撃 を受けるに至ったのである。此時問題となったのは、住民の避難を如何にするやの件であったが、 なにぶんにも地域が狭い関係で如何とも致し難く、恐らくは、戦闘が起これば無残の状態を呈した ものと思われるのである。 読むだけで悲惨さが分かる状況。「こんな様子でどうやって戦えるんだ ? 」という怒りにも似た感情が 表れているように思えるのは私だけだろうか。「草鞋 ( わらじ ) 履きの竹槍部隊」・ : 。これでシャー マン戦車とやりあえると思ったのだろうか。 そうした「人はいても武器がない」状態は他の資料からも容易にうかがえる。ここでは、何度も取り上 げている「第四十軍作戦行動の概要」からいくつか抜き出してみる。 八月十五日 ( 終戦 ) 時点での軍隊編成を示した部分には、こういう言葉が出てくる。一四六師団の項に は「本師団は機動力なし」「編成の半部を欠く」「装備未完」との注記。一一〇六師団の砲兵部隊には「迫 撃砲の大部未受領」「山砲一一十四門」「迫撃砲三十六門 ( 十三門未受領 ) 」などとある。三〇三師団につ いては「本師団装備未完又機動力なし」。 その他にも「兵器半数未受領」「部隊未着」「主要兵器未着」 : : : そんなコメントが満載なのだ。なに をか言わんや、である。 祖父の当時の苦労も忍ばれる。副官というのは、ある意味では究極の雑用係であり、司令官の身の回り のことはもちろん、あるときは司令官に成り代わってさまざまな仕事をこなさねばならないのだ。 4
この間軍隊は基礎の訓練より逐次総合訓練に入り、兵団の実兵演習を以て訓練の 完成を期す 特に新たに編成せらるる部隊に在りては、その素質を精査し之に適応する訓練に 遺憾なからしむ 第二十四教育の期は作戦上の要求、編成着手順序、初年兵入隊の時期、築城との 関係等を彼比考慮して之を定む 教育の過程を定むるにあたりては速成教育の要領により、まず対米戦闘喫緊の課 目に限定し、且っ分、特業の内容はさらに之を専業的に分課して速やかに古年次兵 に伍して戦闘任務に服行る如くす 爾後時間の余裕を得るに従い、 戦場諸般の任務に就き得る如く教育するものとす 第三節築城 第二十五築城実施に関しては大陸指第二九一四号国土築城実施要項に依るものと す 第二十六築城は機宜に適する我が戦力の発揚を本旨とす。故に之が利用は戦闘法 に即応せしむ 又ややもすれば既設築城に戦力を膠着せしめて攻撃精神を消磨し、戦機の捕捉を
第四十四軍管区 ( 師管区 ) 部隊は当該管区を通過する決戦部隊の宿営、給養を担 任し、あるいは交通路、通信網の整備、確保に努め、以てこれら部隊の機動を神速 ならしむるを要す 第四十五高級指揮官は交通路の統制、整理に関し万般の施策を講じて機動の整斉 円滑を期するを要す 軍隊は交通軍紀を厳守し交通整理部隊の指示に絶対に従うべし 第四十六機動の細部、特に戦場機動に関しては「橋頭陣地の攻撃」による 第四節攻撃戦闘 第四十七決戦攻勢の要は、激烈凄惨なる戦況、極度の消耗を覚悟し将帥以下毅然 として敢闘不屈の意志を以てあくまで攻撃を続行し敵を圧倒撃滅するにあり 第四十八決戦は、通常海岸の狭隘なる地域に於ける橋頭陣地に対する攻撃にして 時間的、地域的に策略を施すの余地少なく、激烈凄惨なる局地戦闘に終始するを常 態とす。従って諸兵戦力の統合発揮に関しては、高級指揮官以下最大の努力を払う を要す 第四十九橋頭陣地に対する攻撃は、単なる一点突破を以てしては目的を達成しが たきを以て、攻撃に用うべき兵力に稽え数個の突破点を選定するを可とす。而して
吹上浜防衛のために第四十軍の指揮下に入っていた。 なおこれとは別に上位集団である第十六方面軍直轄の第七七師団が四十軍の指揮下に入っていたが、三 〇三師団の編成、現地到着とともに任務を交替。四十軍の指揮からはずれ、移動して後日に備えることに なった ( 交替は一一十年七月一三日 ) 。 また「七〇七師団戦車団」がよくわからない。 第四十軍の指揮下にあった戦車部隊は、元海上機動第三旅団戦車隊から改称した「独立戦車第十三中隊」 くらい ( 軽戦車・九 ) 。「第四十軍作戦行動の概要」によれば、その後八月一日になって、戦車第六旅団 を指揮下にいれた、となっている ( ただし、部隊に欠けがあったようだ ) 。 さらに、祖父が言う大隅半島の「第十六軍」は間違いである。おそらく上位部隊である「第十六方面軍 . の十六が頭に残っていたのであろうが、正確には第五十七軍がお隣大隅半島の防御を担当していた。 ■四十軍の決戦準備 さて、ではその新生第四十軍の本土決戦準備はどうだったのだろうか。再び祖父の言葉を引用する。 然るに当時米軍の爆撃が激化し、兵力の集結が遅れ、わずかに予定の三分の一の輸送済み兵力で、 而も武器弾薬の輸送も著しく遅れる状況を呈した。特に川内川鉄橋の爆撃により著しく輸送力の低 下を招来したのである。之が為、集結はしたが丸腰の兵が現れるに至ったのである。又処によって は、草鞋履の竹槍部隊まで現れる始末である。終戦末期に於ける我が航空兵力の弱体化と、物資の 欠乏は益々之に拍車を掛けるに至った。
四陣地ノ變更ト招聘ニ及ホシタル影響 兵力ノ遂次増加ニ伴ヒ自ラ戰鬪 ( ※序列 ? ) ノ變更ヲ來シ之ト共ニ陣地ノ變更モ餘義ナクセラレ特ニ薩南 兵團ニ於テハ三ー四回變更ヲ加へタル部隊アリ之カ爲當初死守ヲ覺悟シテ構築ニ着手セルモ屡次ノ變更 ニ依リテ自然熱意ヲ低下シ稍作業カノ減少ヲ來シタルハ又止ムヲ得サル所ナルへシ 前ノ部隊ガ作ッタ陣地ト後ノ部隊ガ作ラントスル陣地トハ又自ラ差異アリ前陣地ノ利用價値大ナラサル所 五終戰ニ關スル教訓 、終戰ニ關スル御放送ニ不拘作戰行動ニ關シテハ中央ョリ放送ニ膚接シテ的確ナル作戰命令ヲ下達スル ヲ要ス 御放送當時第一線ノ眼前ニ在リテハ敵船團力行動中ナルノ情報アリ敵上陸ニ方リテ戰鬪行動ニ入ルへキ ャ否ャニ關シ第一線ノ最モ惑ヒタル所ナリ固ョリ新命令ナキ限リ前任務續行 ( 止陸撃攘 ) スへキモノナ ランモ御放送ハ迅速普遍的ニ聖旨傳達ノモノナルヘク此ノ主旨ョリスレハ戰鬪ハ本旨ニ非サルカ如シ 既ニ過去トナリタル今日ョリスレハ終戰ハ廟議決定停戰協定戰鬪行動停止命令トイウ順序ヲ踏ムヘク戰鬪 停止命令造ハ前任務續行差支ナキ樣承知シ得ルモ決戰準備中ノ軍隊ニ在リテハ此ノ如キ經過ハ知ル由モナ シ上級司令部トシテハ御放送カ戰鬪停止ヲ意味スルャ否ャ即時指示スルヲ要セリ 終戰直後生シタ半島全部ニ亙ルバニックモ敵上陸ニ際シ反撃ヲ加フへキャ其ノ任務明確ヲ缺キタルヲ最大 原因トナスへシ
続いて、祖父の著書から先ほどの続きを抜き出してみよう。あまり詳細には語られていないが、一気に 終戦へと向かっていく。 さて之より先、座間 ( ※現在の神奈川県座間市 ) に残せし家族を如何にするやの件については、 私の第四十軍 ( 陽部隊 ) 転任と同時に前任者の一切の連絡世話は社絶し、家族への配慮も全然皆無 となったのである。我軍としては、此辺の考慮が全然欠けていることは洵に遺憾の極みであり、招 来のため、この辺の規定の大綱を定めておく必要を強調する次第である。 ( ※ 1 ) ※ 1 : 本書のテーマでもあるが、先人たちは先の敗戦にあたり、多数の純軍事的な、またそうで はない部分も含めた教訓をたくさん残してくれている。私たちがそれを活かさない法はないと思 う筆者である。ちなみにこの部分も昭和六十三年、戦争などはるか過去のものになってから書か れた文であることを考慮されたい。 さて前述の我家族に対しては、戦況上死は何処に居ても同じなるが故に、死ぬならば故郷の鹿児 島で死ねと命じ、予め準備せし宮之城に住まわせる目的で帰鹿を命じた。折しも軍医の家族を同伴 し、途中何回も空襲を受けながら、八月十三日 ( 終戦前日 ) ( ※誤記 ? ) に伊集院に到着した。私 は其日の午後、車に乗せて宮之城へ準備せし家へ運び、帰隊した次第である。 翻って、戦況は愈々最悪の状況を呈するに至り、ついに八月十五日終戦の詔勅が降り、戦は終わっ たのである。私は此の御詔勅の放送を、伊集院の小学校の防空壕内に於いて聞いていたのである。 我々の身柄は如何になるや、私等は最悪を予想して、家族に対する遺言書を書いたのである。此の 遺言書は大事に格納した。米軍による武装解除の準備のため、一切の武器弾薬軍装品を呈出し、完
等がいた。軍は五個師団約十万人である。司令部の所在地は台湾中部の嘉義であった。私は昭和一一 十年一月十一一日、当日朝出発にあたり、私は戦況上愈々之が最後となるやも図られずと思ったので、 予てより愛用の短刀を持ち出し長男 ( ※注・筆者の伯父 ) を座敷に座らせ、短刀を前に置き、之が 最後となるやも図られないから、之を形見としてお前に与える旨を申し渡して、小田急線で出発し た次第である。 ( 後略 ) この時点での第四十軍は、台湾の防衛にあたるために編成されたことがわかる。以降本の内容を追って みると、一月十八日に台北着、米軍の上陸を予想して準備をしたものの、台湾を避けて沖縄に上陸。その ため四十軍司令部の中枢部のみ再び反転し、鹿児島県宮之城へと司令部を置いた、となっている ( ※注・ 祖父の本には本土反転の日取りについては未記載 ) 。ただ、その後「後方に退がりすぎるため」再び伊集 院に司令部を移した、とある。祖父によれば、その鹿児島における編成は以下の通りだという。 かくして新編成部隊として北より三〇三師団、一一〇六師団、一五四師団、独立混成旅団、七〇七師団 戦車団、砲兵団、其他地区特警隊等、兵力約十万を以て新第四十軍を編成し、薩摩半島防衛に任ぜし めたのである。又、大隅半島防衛の為には第十六軍を編成し之にあたらしめたのである。 さすがに戦後四十年も経っと、記憶も曖昧になっているようでいくつかの疑問点もある。 私の調べた第四十軍戦闘序列によれば、同軍の隷下にあるのは、第一四六師団、第三〇三師団、独立混 成第一二五旅団ほか、砲兵はじめ軍直轄部隊がいくつかあった。 祖父の言う「独立混成旅団」は独立混成一一一五旅団なのは間違いないが、一五四師団はお隣の大网半島 ー宮崎を受け持つ、第五十七軍所属の部隊。一一〇六師団は元々上位集団である「第十六面軍」の直轄部隊。