ろう ( ときどき、逆突然変異があるにせよ ) 。ポトルネックでは、植物個体は遺伝的な同一性をもつ一 つの単位となり、個体の名にふさわしいものとなろう。スプラージュウィードの植物体はより小さな遺 伝的同一性しかもたず、ポトルラックの植物体よりも「個体」の名に値しないものとなろう。 の植物体内のすべ これは単なる用語法の問題ではない。突然変異が生ずるのでスプラ 1 ジュウィード ての細胞は、根底ではけっして同じ遺伝的利害をもっことはないだろう。スプラージュウィードの細胞 内の遺伝子は、その細胞の繁殖を促進することによって利益を得ようとする。それは必ずしも、その植 物「個体」の繁殖を促進することによって利益を得ようとはしないだろう。突然変異のため、一植物体 内の細胞は遺伝的に同一ではなくなるから、器官や新しい植物体の製造においておたがいに心から協力 しあうことはないだろう。自然淘汰は「植物体」よりもむしろ細胞のあいだで選択を生ぜしめるだろう。 これに対して、ポトルラックでは、一植物体内のすべての細胞がおそらく同じ遺伝子をもっている。な ぜなら、ごくごく最近の突然変異のみが差異をもたらしうるからだ。したがって、彼らは効率的な生存 機械の製造に喜んで協力するだろう。異なった植物体内の細胞は異なった遺伝子をもっている可能性が 大きい。つまり、異なったポトルネックをくぐりぬけた細胞群は、もっとも最近に生じた突然変異を除 く他のすべての細胞、すなわち大多数の細胞で異なっているということである。だからこそ、淘汰はス 腕 。フラージュウィードの場合のようにライ・ハルの細胞間に作用するのではなく、ライバルの植物体のあい 長 子だで判定を下すことになるのである。かくしてわれわれは、植物体全体に役立つような器官や工夫の進 遺化を期待できるのである。 ついでながら、厳密に専門的な関心をもつ人々にとってだけではあるが、ここには、群淘汰をめぐる 421
・フリストルⅡコヴェントリ ー戦の大半は、当時の新聞の記事を引けば、そのプレイは「速くて、しば しば激しく」、一種のエキサイティングな ( もしあなたがその手のものが好きならば ) 火花散る競り合 いの熱戦であった。双方にすばらしいゴール・シュートが見られ、試合開始後八〇分の時点で得点は二 対二だった。やがて、試合終了の二分前に、他のグラウンドからサンダーランド・チームが負けたとい ・チームのマネージャーは、グラウンドの端にある うニュースがもたらされた。すぐにコヴェントリー 巨大な電光掲示版でこのニュースを速報した。一三人すべてのプレイヤーが読み取れたらしく、全員が もはやどちら側も本気でプレイする必要のないことを了解した。引き分けは、降格をさけるために両チ ームが必要とすることのすべてだった。実際、得点をあげようと努力することは今や積極的に悪い方策 であった。な・せなら、それはプレイヤーを防御から遠ざけることによって、現実に負けてしまうという 危険をもたらすからである。両チームとも引き分けを確保することに専念しはじめた。同じ新聞記事を 引用すれば、「八〇分にドン・ギリーズが・フリストルのために同点のゴールを決めたほんの数秒前まで は激しいライ・ハルどうしだったファンたちが、突然一緒になって祝典の輪に加わったのだ。レフェリー るのロン・チャイルズは、選手たちがポールをもっている人間にほとんどあるいはまったく攻めかかるこ 療となく、ポールを軽くけりながら回していくのを、なすすべもなく眺めていた」。それまではゼロサ がム・ゲームであったものが、外の世界からやってきた一片のニュースのせいで、突然にノンゼロサム・ ゲームと化してしまったのだ。先に述べたわれわれの議論の言葉でいえば、それはあたかも、外部の の 気「胴元」が魔法のようにあらわれて、プリストルとコヴェントリーの両チームが、引き分けという同じ 結果から利益を得ることを可能にしたごとくである。 357
ないというだけのことなのである。この点を考慮したとしても、利己的性格によって手に入れうる正味 2 巻末の訳者 ) に達十 - るなら、特定の個 の利益が、それによ 0 て血縁者に生ずる正味の代価の少なくともダ ( 補注 , 参照 体は十分利己的に振るまいうるのだ。この「血縁者」の中に、兄弟姉妹だけでなく、同様に当の個体の 将来の子供たちも含めればよいのである。個体は自分の福利を、兄弟のそれより 2 倍は厚く配慮するは ずだ、というのがトリヴァースの設定した基本的前提だった。しかし同時に個体は、自分の将来の子供 一匹に比べても、自分自身を 2 倍大切にするはずなのである。親子の利害対立に際しては、親の側が本 来的に優勢だとアリグザンダーは結論したが、それは誤りである。 遺伝的関係に関する上記の基本的な論点に加えて、アリグザンダーはもっと実際的な論議も展開して いる。それらは、親子関係にみられる疑問の余地のない非対称性を論拠としたものだ。親子の関係にお いて積極的役割を演ずるのは、親である。食物を手に入れる努力その他を実際に担当するのは親のほう であり、したがって親は両者の関係を決定する立場にあるというのである。子は親に比べれば小さく、 親をやりこめるわけにはゆかない。そこで、もし親が仕事を放棄することにしてしまえば、子はそれに 対して大方なすすべがなかろう。したが 0 て、子が何を望もうが、親は自分の意向を子に強制しうる立 場にあるというのだ。見たところこの議論に誤りはない。この場合、前提されている非対称性は実在す るものだからである。親は子供に比べれば確かに体も大きく、頑強でしかも世知にたけていよう。切り 札はすべて親が握 0 ているかにみえる。しかし子供も実は、ひそかに = ースの切り札を何枚か隠しもっ ているのである。例をあげよう。食物を最も効率よく分配するために、親は、個々の子供の空腹度を・せ ひとも知る必要がある。もちろんすべての子供に、ちょうど等分に食物を分配するという手もありえよ 220
だけを考える ) 。この量には、彼女が一生の労働を通して獲得、あるいは生産しうる食物の総量、彼女 が自ら対処する用意のある危険の総量、その他、彼女が子供の福利のために注入しうるあらゆるエネル ギーと努力が含まれているのである。成熟期に達した若雌は、彼女の生涯の資源をどのように投資すべ きだろうか。彼女が従うべき賢明な投資策はどんなものであろうか。ラックの理論からすでに明らかに なったように、あまりにも多数の子供に投資をごく少量ずつ分散させてしまうべきではない。もしそう してしまうと、彼女はきわめて多くの遺伝子を失うことになろう。彼女は十分な数の孫を確保できない にすべてを投 ことになるからだ。しかし一方、あまりに少数の子供 , ーー過保護の甘ったれ小僧ども 資してしまうべきでもない。その場合、彼女は確かになにがしかの孫を確保はできようが、最適数の子 供に投資したライ・ ( ルのほうが最終的にはさらに多数の孫を得ることになろう。公平な投資策について は以上に止めておく。当面の興味は、子供に対する不平等な投資が、母親にとって得になることがある かということである。いいかえれば、彼女はひいきの子供を作るべきかどうかということなのだ。 母親のひいき作りについては、何ら遺伝的根拠はないというのが、この問への回答である。彼女の子 供に対する遺伝的近縁度は、すべての子供で同じく % だからである。つまり、彼女の最適戦略は、繁殖 年齢まで養育しうる最大数の子供に対して、公平な投資を行なうことなのである。しかし、先にも ( 第 六章 ) ふれたように、一部の個体は、他の個体より生命保険の被保険者としてすぐれている。平均サイ 争 間ズ以下の小形の子供も、もっと成長のよい他の一腹子仲間たちと同じ数だけ、母親の遺伝子をもっては 代 世 いるが、彼の平均余命は他の仲間たちより短いのだ。換言すると、他の兄弟たちと最終的に同じ状態ま 7 で、彼を育て上げようとすれば、それだけで、公平な配分量以上の親による保護投資が必要となるわけ
一戦あたりの彼の得点は。フラス四〇とマイナス一〇の平均、。フラス一五点である。というわけで、 派の個体群中のハト派個体はすべてたいへんうまくやっているように思われる。 ところが今、この個体群にタカ派型の突然変異個体があらわれたとしよう。彼はここでは唯一のタカ 派なので、戦う相手はすべてハト派である。タカ派はかならずハト派に勝つので、彼はすべての戦いで ララス五〇点を獲得し、これが彼の平均得点となる。彼は、正味一五点しかないハト派にくらべて膨大 な利益を享受する。その結果、タカ派の遺伝子は、その個体群内に急速に広まるであろう。しかし、そ うなると、タカ派の各個体は、もはや出会ったライ・ハルがすべてハト派であると期待するわけにはいか なくなる。極端な例をあげるなら、タカ派の遺伝子が首尾よく広まって、個体群全体がタカ派になった ばあい、今度はすべての戦いがタカ派どうしの戦いになるはずである。今や、事情は一変する。タカ派 の個体どうしが出会うと、片方がけがをするのでマイナス一〇〇点となり、勝者はプラス五〇点をとる。 タカ派個体群の各個体は戦いの半数に勝ち、半数に負けると考えられる。したがって、一戦あたりの平 均得点は、プラス五〇とマイナス一〇〇の平均、すなわちマイナス二五点である。ここで、タカ派の個 的体群内に ( ト派が一個体いるとしてみよう。たしかに、彼はすべての戦いに負けるが、そのいつ。ほうで 決してけがをすることはない。タカ派個体群内のタカ派個体の平均得点がマイナス二五点であるのに対 性 魏して、彼の平均得点は、タカ派個体群内ではゼロである。したがって、 ( ト派の遺伝子はその個体群内 一に広まる傾向がある。 この話の語りくちからすると、あたかも個体群内にたえず振動があるように思われるかもしれない。 ト派の遺伝子が有利にな タカ派の遺伝子は圧勝して優勢を占める。すると大半がタカ派になる結果、ハ い 7
は、そしてその限りにおいてのみ、二つのヴィークルはカタッムリとその体内のはっきり異なる吸虫と して分離されたままにとどまる。もし吸虫の遺伝子がカタッムリの卵や精子のなかに入って伝えられる としたら、二つの体は一つの肉体となるよう進化するだろう。そうなれば、二つのヴィークルがあった ということさえいえなくなるだろう。 われわれのような「単一の」生物個体は、そういった数多くの吸収合併の究極的な統合体である。個 体の群れーーー鳥のフロック、オオカミのパック は、単一のヴィークルに合併されることはない。そ れはまさに、群れのなかの遣伝子は現にあるヴィークルを脱出する共通の方法をもっていないからであ る。たしかにオオカミの群れから出芽のような形で娘群が分離することもある。しかし、親群のなかに あった遺伝子は、すべての遣伝子が等しい分け前にあずかるような単一の容器で娘群に伝えられるわけ ではない。ある一つのオオカミの群れの遺伝子がすべて、将来における同じ一連の出来事からの利得を 約東されているわけではない。一つの遺伝子は、自らがいるオオカミの個体を、他の個体を犠牲にして 優遇することによって、自らの将来の繁栄を促進しうる。したがって、一頭のオオカミはヴィークルの 名に値するものである。だが、オオカミの群れはちがう。遺伝的に言って、この理由は、一頭のオオカ ミの体のなかの生殖細胞を除くすべての細胞が同じ遺伝子をもっており、 いつぼう、生殖細胞について 腕 いは、すべての遺伝子がそのなかの一つに入る均等なチャンスをも 0 ていることにある。しかし、オオカ 子ミの一つの群れに属する細胞群は同じ遺伝子をもっていないし、それから分かれた娘群の細胞に入るチ 遺ャンスも同じではない。彼らはすべてを、他のオオカミの体のなかにいるライ・ ( ルの細胞と闘争するこ とによって勝ち取らねばならない ( もっとも、オオカミの群れが血縁集団であるらしいという事実によ 409
の先端は幅が広く、ポトルネックとは正反対である。離切し、漂い去るそれそれの枝は、多数の細胞で できている。したがって、娘個体中の二つの細胞の親族関係のへだたりが、それそれの細胞と親植物中 の細胞群との親族関係のへだたりのいずれよりも遠いということさえ十分におこりうる ( 「親族」とい う言葉で、私は文字通りの、いとこ、孫、そのほかのことを指している。細胞はきっちりとした由来の 系列をもっており、この系列はしだいに枝分かれしていく。したがって、体のなかの細胞についても、 別に弁明なしに″またいとこ″といった言葉を使うことができる ) 。この点で、ポトルネックはスプラ ージュウィードと画然と異なる。娘植物中のすべての細胞は単一の繁殖子細胞に由来するものであり、 それゆえ、一個体中のすべての細胞はおたがいに、他個体のどの細胞とよりも密接な親戚関係 ( いとこ、 あるいはそのほかのなんであれ ) にあるのである。 二種のあいだのこの相異は、重大な遺伝的帰結をもたらす。新たな突然変異遺伝子の運命をまずスプ ラージュウィードについて、その後でポトルラックについて考えてみよう。スプラージュウィードの新 しい突然変異は、植物体のどの細胞、どの枝にも生じうる。娘植物は、多細胞の出芽によってつくられ るから、突然変異細胞の直系の子孫たちは、比較的遠い親戚にあたる非突然変異細胞と、娘植物体や孫 植物体を共有することがありうる。一方、ポトルラックにおいては、一つの植物体のすべての細胞のも っとも最近の共通の祖先は、その植物体のポトルネックの発端を提供した繁殖子より古いものではあり えない。もし、その繁殖子が突然変異遺伝子を含んでいれば、新しい植物体のすべての細胞は、突然変 異遺伝子を含むことになるだろう。もし繁殖子がそれを含んでいなければ、すべての細胞が含まないだ ろう。ポトルラックの細胞は、スプラージュウィ 1 ド の細胞よりも一個体中ではより遺伝的に均一であ 420
のオックスフォードから私のところへ研究しにきたのだが、個体識別された雌のアナ・ハチの二つの完全な個体群の 生活に起こったほとんどすべての出来事についての膨大な記録を携えてきた。これらの記録はまったく完璧なもの で、個々の ( チの時間の割り当て表をつくることができる。時間は経済的な商品である。生活のある一部に時間を 費やせば費やすほど、ほかの部分に使える時間は少なくなる。アラン・グラフェンがわれわれ二人に加わり、時間 費用と生殖上の利益についての正しい考え方を教えてくれた。われわれは、ニュー ハンプシャーの一個体群の雌の アナ・ハチのあいだで演じられるゲームが真の混合だという証拠を見つけた。ただし、ミシガンのもうひとっ ハン。フシャーのアナ・ハチは自分 の個体群ではそのような証拠を見いだすことができなかった。要約すれば、ニュー 自身の巣を「掘る」か、さもなくば他のアナ・ハチが掘った巣に「侵入するーかする。われわれの解釈によれば、 アナ・ハチは侵入によって利益を得ることができる。なぜなら、いくつかの巣がもともと掘ったハチによって放棄さ れ、再使用できるからだ。居住されている巣に侵入するのは割に合わないが、侵入者はどの巣が居住されており、 どれが放棄されているかを知るすべをもたない。侵入者は数日間二重居住の危険を犯しつづけ、その最後には、巣 に帰ってみると巣穴に栓がされているのを見つけるかもしれない。 これで彼女のすべての努力が無駄になってしま うーー他の居住者が卵を産みおえて、利益を得ていることだろう。もし、一つの個体群内であまりにも多くの侵入 が起こると、利用できる巣穴がとぼしくなっていき、二重占拠の確率が上昇し、したがって穴を掘るという費用を 支払っても元がとれるようになる。逆に、もしたくさんのアナ・ハチが穴を掘っていれば、巣穴を高率で利用できる ので侵入に有利にはたらく。個体群内には、穴掘りと侵入が同等の利益を与えるような臨界的な侵入の頻度が存在 する。もし実際の頻度が臨界頻度以下であれば、自然淘汰は侵入に有利にはたらく。なぜなら、利用できる放棄さ れた巣穴の十分な供給があるからである。もし実際の頻度が臨界頻度より高ければ、利用できる巣穴が不足し、自 然淘汰は穴掘りに有利にはたらく。そこで、一つの平衡が個体群内で維持される。くわしい定量的な証拠によれば、 個々のアナ・ハチは穴掘りとか侵入を一定の確率で行なっているのであり、個体群が穴掘りと侵入のスペシャリスト の一定の混合を含んでいるのではない。これは真の混合であることを示唆している。 454
しなければならない。求愛時間の浪費のための代価を払う必要がないとはいえ、彼女は子育てのための 代価曰幻をすべて自分で払わねばならないのである。尻軽型の雌が浮気型の雄に遭遇した場合、彼女の ー 5 ) になってしまう。一方浮気雄はそれによって田単位も手に入 利得はさし引き ( 十 15 ー 20 Ⅱ れるのだ。雌がすべて尻軽型から成るような集団では、浮気型雄の遺伝子は燎原の火の勢いで広がって ゆくだろう。 浮気雄が大成功を収めて集団の雄の大部分を制するに至ると、もはや尻軽型の雌は風前のともしびと なってしまう。ここでは、はじらい型の雌が非常に有利になるのである。はじらい型の雌が浮気型の雄 に遭遇しても交尾は起らない。雌は長い求愛を要求し、雄はこれを拒否して別の雌を探しにいってしま う。つまり、両者とも時間浪費の代価は支払う必要がないのだ。しかし、子供も生まれないのだから、 両者とも何も利益を得ない。雄がすべて浮気型からなる集団では、はじらい型の雌の平均利得はゼロと いうことになる。ゼロでは仕方がないではないかと思われるかもしれない。しかしこれは、尻軽型の雌 の平均成績である曰 5 よりはましである。尻軽型の雌が、浮気雄に棄てられた場合には子を放棄すると いう決意をしたとしても、彼女にはなお卵子の形で投資したかなりの代価がのこ 0 てしまう。かくして、 はじらい型の遺伝子は再び集団中に広がりはじめるのである。 さてこの仮説的なサイクルもそろそろ完結する。はじらい型の雌が数を増して集団を制するようにな 争 、思いをしてきた浮気型の雄は。ヒンチに立たされはじめる。雌と 雌ると、これまで尻軽型の雌を相手にいし いう雌がいずれも長くて熱烈な求愛を要求するからだ。浮気型の雄は次から次へと雌を変えてみるが、 いつも事態は同じである。もし雌がすべてはじらい型たと、浮気型の雄の利得はゼロになってしまう。 243
は単純な例であれば何にでも適用できるが、近親交配がおこるばあいや、後に述べるある種の昆虫には ・あてはまらない。 ます << との共通の祖先をすべてあらいだそう。たとえば、一一人のいとこどうしの共通の祖先は、彼 らに共通の祖父と祖母である。共通の祖先が一人みつかれば、論理的にもちろん、その祖先の祖先はす べてとにとっても共通の祖先である。だが、もっとも最近の共通の祖先以外はすべて無視すること いとこどうしの共通の祖先は二人だけになる。もしがの直系の子孫、たとえ にする。そうすると、 ばの曽孫であれば、自身がわれわれの求めている「共通の祖先」である。 << との共通の祖先がみつかったなら、次のようにして世代間隔を数えよう。まずから、共通の祖 先に達するまで家系図をさかの・ほり、それからふたたびまで下る。たとえば、がの叔父であれば、 世代間隔は 3 である。共通の祖先は ( たとえば ) の父との祖父である。を出発したら共通の祖先 につきあたるために一世代さかの・ほる。それからに達するために他方に二世代下らねばならない。し たがって世代間隔は 1 十 2 Ⅱ 3 である。 共通の祖先を経由した間の世代間隔がわかったら、次に、その祖先に関係した間の近縁度を 計算しよう。それには、世代間隔の各段階ごとに % をかけていく。世代間隔が 3 であれば、ト 縁度部分は 1 一 2 である。 しかし、これは間の近縁度の一部にすぎない。彼らに共通の祖先が二人以上いるばあいには、各 各の祖先に関する同様の数値を加えねばならない。ふつうは一一個体に共通の祖先はすべて世代間隔が同 147