ハミルトン - みる会図書館


検索対象: 利己的な遺伝子
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1. 利己的な遺伝子

1 , 0 0 0 8 累積引用回数の対数 0 0 1 1966 1968 1970 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 ハミルトン論文 ( 1964 ) の累積引用回数の対数表示 . 図 2 1 , 000 0 8 累積引用回数の対数 1 1966 1968 1970 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 ーハミルトン論文の年度別引用回数が一定だった場合の理論カープ ・ウィリアムズ△トリヴァース・メイナード = スミス ( 1966 ) ( 1971 ) とプライス ハミルトン以外の 3 つの著作の累積引用頻度の対数値と , ルトンの論文の引用頻度累積値の ( 引用頻度一定とした場合の ) 理論カーフ・ . 図 3

2. 利己的な遺伝子

う事実だけを根拠に、それらの存在は ( ミルトンの理論にとって不都合なはずとほのめかす調子に貫かれているの ・こ ! 著者が ( ミルトンの古典的な二編の論文を一瞥したという可能性すら私は信じることができない。 ( ミルト ンの五〇ページの論文のうち、単・二倍数性問題はたったの四ページを占めるに過ぎないからである。彼女は二次 文献を頼ったに違いない。それが本書ではありませんように。 もう一つの見本は、第六章の補注で紹介した兵隊アプラムシに関わるものだ ( 四六一ページ ) 。そこで説明して おいたように、アプラムシは一卵性双生児のクローンを形成するので、利他的な自己犠牲が非常に生じやすいと期 待される。一九六四年に ( ミルトンはこれに言及しているのだが、その際は、クローン性の動物に利他行動への顕 著な傾向が ( 当時までの知見では ) 見られないという困った事実を説明しようと少々苦労していた。兵隊ア・フラム シが発見されたとき、 ハミルトンの理論にこれ以上完璧に合致する例はありえなかったのである。しかしその発見 を公表した最初の論文は、兵隊アプラムシは単・二倍数体ではないので、 ハ、、、ルトンの理論にとって難題であると いう扱いをしていた。なんという皮肉だろう。 、、ルトンの理論にとってこれもまたしばしば厄介な存在とみなされるシロアリについても皮肉な事情がある。 なぜなら、シロアリの社会性の獲得に関するもっとも巧妙な理論の一つを一九七二年に ( ミルトン自身が示唆して おり、しかもそれは単・二倍数性仮説の見事な相似型とみなしうるからである。循環的同系交配理論とでもいうべ きその理論は、普通はハ、 、、ルトンが最初にそれを発表してから七年後の ・・、ルツの業績とされている。まことに 彼らしいことだが、「・ ( ルツ理論」を最初に君いついたのは自分だということを ( ミルトンはすっかり忘れており、 彼を信用させるために、私は彼自身の論文を ( ミルトンの鼻先に突きつけなければならなかった ! 先取権の問題 はさておき、その理論は大変おもしろく、初版でそれを論じなかったのが悔やまれる。そこで以下に欠如を補って おくことにする。 この理論は単・二倍数性仮説の見事な相似型である。それは次のような意味だ。社会進化の観点から見ると、 単・二倍数体の動物の本質的な特徴は、雌の個体が、子供より弟・妹に遣伝的に近くなりうるということである。

3. 利己的な遺伝子

ねる現象であり、引用回数一定のケースではないのである。 もう一つ、指数関数増加という点に関しては、必然とは言わないまでも、少なくとも当然それを予想させるよう な事情がある、と考える人がいるかもしれない。科学論文の出版点数全体が、したがって他の論文の引用機会その ものが、指数関数的に増加するのではないだろうか。もしかしたら科学者社会も指数関数増加的に増大しているの 、、。、ミルトンのミームに関して何か特別なことがあることを示すのにもっとも簡単な方法は、他の著作 ではなしカノ ハミルトンと同じグラフを画いてみることである。図 3 にはこのために三つの他の著作の累積引用頻度を に関して 対数で画いておいた ( ちなみにいずれも本書の初版に大きな影響を与えた著作である ) 。ウィリアムズの一九六六 トリヴァースの一九七一年の互恵的利他主義に関する論文、そしての考え方 年の著書『適応と自然淘汰』、 ド = スミスとプライスの一九七三年の論文である。全期間についていうとどの著作も指数関数 を導入したメイナー 的ではないカー・フを見せている。しかしどの著作も、年度別引用頻度は一律とはほど遠く、一部の期間に関しては 指数関数的でさえある。たとえばウィリアムズのカープは対数座標で一九七〇年以降ほ・ほ直線的であり、影響力が 指数関数的に拡大する相に入ったことを示唆している。 、ミレトノのミー ムが拡大する上で特定の著書が果たした影響力を私は控え目に見てきた。しかし、このささや かなミーム分析には、明らかに示唆的な後書きが一つある。 'Au1d lang syne' や 'Rule Britania ・の例と同じよう な示唆的な突然変異的な過誤がここにも一つ存在するのだ。ハミルトンの一九六四年の論文の正しいタイトルは 「社会行動の遺伝的進化ーである。しかし一九七〇年代の半ばから末にかけて、『社会生物学』や『利己的な遺伝 子』を含めて盛んに出版された著作群は、誤ってそれを「社会行動の遺伝的理論ーと引用しているのである。ジョ ン・シーガーとポー 1 ヴェイはこの変異型ミームの最初の登場を突き止めようとした。科学的な影響をたど 注る上で、この変異型ミームがちょうど放射性ラベルと同じように手頃なマーカーになると考えたのだ。彼らは一九 補七五年に出版された・ 0 ・ウイルソンの影響力甚大な著書『社会生物学』にたどりつき、この系譜を示唆する間 接的な証拠も発見した。 517

4. 利己的な遺伝子

本文頁「進化とは、たえまない上昇ではなく、むしろ安定した水準から安定した水準への不連続な 前進の繰り返しであるらしい」 この一文は、今日よく知られている区切り平衡説という理論の一つの表現法についての、みごとな要約になって いる。恥ずかしながら、この推測を書いたとき、私は、当時のイギリスの多くの生物学者と同様に、この理論につ いてまったく知らなかったと言わなければならない。ただし、この理論はその三年前にすでに発表されていたので ある。それ以後は、たとえば『プラインド・ウォッチメーカー』において、区切り平衡説が吹聴しすぎてきたやり 方についてーーたぶん、あまりにも過剰にーー・多少いらだちを感じるようになってきた。もしこのことがだれかの 気持ちを傷つけたとすれば、遣憾である。それらの人々に、少なくとも一九七六年には、私の気持ちはすっかり収 まっていたということを記せば喜んでもらえるかもしれない。 6 遺伝子道 本文頁「私は、これらの論文が : ・ : ・な・せこれほど無視されてきたのか理解できない」 ( ミルトンの一九六四年の論文はもはや無視されてはいない。その初期における無視とその後の認知の歴史は、 それ自体で、一つの興味深い定量的研究、つまり、一つの「ミ ーム」のミーム・プールへの取りこみに関する一つ の事例研究をなすものである。このミ ームについては、第十一章の注でその進展を跡づける。 注本文Ⅲ頁「遺伝子。フール全体の中で数の少ない遺伝子について述べるものとしよう」 われわれが全体としての個体群の中で数の少ない ( まれな ) 遺伝子について語っている振りをするという方策は、刃 補 近縁度の計算を説明しやすくするための、ちょっとしたインチキである 。ハミルトンの主要な功績の一つは、彼の

5. 利己的な遺伝子

ハチに対して行なわれており、これは、働きバチ、母親である女王・ハチ、いずれの立場からみてもつじ つまが合いそうにないのである。この難問に対して ( ミルトンは可能性のある回答を一つ提出している。 彼は、分封の際に女王・ハチが働き・ハチの大群を伴って巣を離れ、この働き、、ハチたちが新コロニー創設の 手助けをする点に注目した。これらの働き・ハチは母巣から消えてしまうわけであり、したがって彼女ら を作り上げるのに要した代価は、繁殖の代価の一部として勘定されねばならないというのだ。巣を離れ る女王一匹ごとこ、 冫たくさんの余分の働き・ハチが作られねばならない。これらの余分の働き・ハチに投資 された分は、繁殖能力のある雌チを作るための投資の一部とみなされるべきである。性比を計算する 際、これらの余分の働きパチは、雄の反対側の皿にのせて重量を測らねばならないということである。 というわけで、ミツ・ハチの例も、前記の理論にとっては、結局さほど深刻な難題ではなかったのだ。 ハミルトン流の理論のエレガントな活躍をはばむ、もっとやっかいな邪魔物がある。社会性 膜翅目の中には、結婚飛行の際に、若い女王が二匹以上の雄と交尾する種があるという事実がそれであ る。このような例では、その女王の娘たちの間の平均近縁度は % 未満になってしまい、極端な場合には % に近づいてしまうのだ。あまり論理的だとはいえないが、複数雄との交尾を、女王がワーカ 1 に加え る巧妙な一撃とみるのもおもしろそうだ。ついでながら、もしこのように考えるとすると、ワーカーは 女王が一度以上交尾しないように、結婚飛行に付きそってゆくべきだというような話も出てきそうだ。 しかし、そんなことをしてもワーカーは自分の遺伝子に何の手助けもできはしないはずた。それによっ て救われる可能性があるのは次世代のワーカーの遺伝子である。同一の階級としてのワーカーたちの間 には労働組合精神などないのである。それそれの個体は自分の遣伝子の「心配」しかしないのだ。ワー

6. 利己的な遺伝子

概念、すなわち「ぼくの背中を掻いておくれ、ぼくは君の背中を掻いてあげる」という原理についてふ れておくことにしこ、。 もしも動物が群れで生活しているなら、他個体と一緒にいることによって、彼らの遺伝子は支出分以 上の利益を得ているにちがいない。群れこよっこ、 冫オナ / イエナは、単独で倒せるよりはるかに大型の獲物を 捕えることができる。それゆえ、たとえ食物を仲間で分配せねばならないとしても、群れによる狩りは 個々の利己的個体にとって有利なのである。ある種のクモたちが協力して巨大な共同の網を張るのも、 ろ ておそらく同様な理由からであろう。皇帝ペンギンは互いに寄り添い、かたまりになることによって、熱 っ量を節約している。一羽でいる場合より、風雨にさらされる体表面積が小さくてすむために、いずれの 個体も利益を得ているのである。他個体の斜め後方を泳ぐ魚は、先行個体の作る渦のおかげで流体力学 背的に有利になると思われる。これは、魚が群れで泳ぐ理由の一部かもしれない。空気の乱れを利用した し 同様なトリックが競輪選手に知られているし、鳥が字形の編隊で飛行するのも同様な理由からかもし 返 お れない。もっとも、群れの先頭にたつのは不利なので、これをまぬがれようとする競争があるかもしれ れ ~ 、 - よ、 0 もちろん、鳥たちはいやなリーダー役を交代で引き受けている可能性もある。もしそうならばそ おオし て れは、本章の末尾で論議する遅延性の互恵的利他主義の一形態ということになる。 を 集団生活の利点としてあげられている点の多くは、捕食者に食われるのをまぬがれることと関連があ 中 ・ハミルトンが、「利己的な群れの幾何学」という題の論文で発表した理論は、この種の利 点を扱った理論の中でもエレガントな一例である。誤解のないように強調しておくが、ハ ミルトンの一一 = ロ う「利己的な群れ」とは、「利己的個体の群れ」という意味である。 265

7. 利己的な遺伝子

ある人々は、このタイ。フの自然淘汰を群淘汰 ( 群の生存の差 ) や個体淘汰 ( 個体の生存の差 ) と区別 して、血縁淘汰 (kin selection) とよんでいる。血縁淘汰が家族内利他主義の原因であるとされる。 血縁が濃ければ濃いほど、淘汰が強く働く。このことばはまちがっているわけではないが、残念ながら 最近その誤用がめだつので、つかうのをやめねばならない。さもないと、今後数年間、生物学者は混乱 に陥ることになろう。・ 0 ・ウイルソンはその他の点では見事といってよいその著書『社会生物学』 ( 邦訳本は思索社刊行 ) の中で、血縁淘汰を群淘汰の特殊な例として定義してしま 0 たのである。彼の 本には、彼が血縁淘汰を通常の意味で、つまり私が第一章でつかった意味で、「個体淘汰」と「群淘 汰」との中間に位置するものと考えていることをはっきり示している図が一つかかれている。ところで 群淘汰は、ウイルソン自身の定義によってすら、個体の集団の生存に差があることを意味している。た しかに、ある意味では家族は特殊な集団だといえる。しかし、 ハミルトン説で重要なのは、家族と非家 族の間には数学的確率の問題以外にはっきりしたちがいはないという点である。 ミルトン説は、動物 が「家族のメン・ハ ー」全員に対して利他的にふるまい、その他のものには利己的にふるまうといってい るのではない。家族と非家族の間に決定的な一線をひくことはできない。たとえば、またいとこを家族 にいれるべきか否かを決める必要はない。またいとこは子供や兄弟にくらべて利他主義を受ける可能性 が 1 鳶になると予想されるだけのことである。血縁淘汰は断じて群淘汰の特殊な例ではない。それは、 遣伝子淘汰の特殊な結果なのである。 ウイルソンの血縁淘汰の定義にはもっと重大な欠点がある。彼は故意に子を除外している。子は血縁 に数えられていないのだ / もちろん彼は、子が親にとって血縁であることをよく知っているのだが、 150

8. 利己的な遺伝子

補 地方部族の伝説や英雄物語のなかに実はちゃんと記録されているのかもしれない。 本文頁「 : ・ : ・膜翅目の雌の場合、父母を共有する姉妹に対する彼女の血縁の濃さは、自分の子供 ( 雌 雄を問わず ) に対する彼女の血縁の濃さを上まわるということになる」 ハミルトンの「血縁度仮説ーの印象的な巧妙さは、皮肉なことに彼のもっと 膜翅目という特殊ケースに関する 一般的で根本的な理論の評判を混乱させている。単・二倍数体における血縁度 % の仮説には少々の努力でだれにも 理解できるやさしさがあり、しかし同時にそれを理解できると大いにうれしくなって、・せひ他人にも教えたくなる 、、ルトンに関する読者の知識が彼の著作で ーム」なのである。ハ、 ほどにはむずかしい。つまりそれは実によい「、、 はなく、酒場の会話からのものであれば、読者は単・二倍数性以外についてはなにも聞いていない可能性が非常に 高い。今では生物学のどんな教科書でも、血縁淘汰の扱いがいかに小さくても、ほ・ほ決まって血縁度問題に一。 トの一人とみなされている私の ラグラフがさかれている。いまや大型哺乳類の社会行動に関する世界のエキスパ 同僚の一人は、 ( ミルトンの血縁淘汰説とは血縁度仮説のことで、それ以外ではないと数年にわたって思いこん でいたと私に白状したことがある。そんな事情がこうじた結果、血縁度 % 仮説の重要性に疑問を投げかけるような 新事実が登場すると、人々はそれをもって血縁淘汰理論全体に対する反証であるかのように受け取る傾向が生じて しまった。これは、偉大な作曲家が独創的な長編シンフォ = ーを作曲したが、その曲の中頃に短くて目だち、覚え やすい旋律があるので、町を行く呼び売りの行商たちがみんなその短い旋律を口笛で吹くようになってしまった、 というような話しだ。やがてシンフォニーはその旋律ひとっとおなじものと思われるようになり、そしてその旋律 にあきた人々は、シンフォ = ー全体が嫌いになったと思い込むというわけである。 たとえば、最近「ニーサイエンティスト」誌に掲載された ( ダカデ・ ( ネズミに関するリンダ・ガムリンの、他 の面では大変有用な論文を取り上げよう。この論文は、 ( ダカデ・ ( ネズミやシロアリは単・二倍数体ではないとい 501

9. 利己的な遺伝子

えておくべきは、私がウィリアムズによる理論の発展は非常に有益なものであると感じていることだ。な・せなら、 それが議論における必要なステッ。フ ( 多面発現すなわち多重遺伝子効果の重要性 ) を明らかにしたからであり、こ の点は、メダワーがはっきりと強調しなかったところである。・・ ハミルトンはもっと最近に、「自然淘次に よる老衰の形成」という論文において、この類いの理論をさらに進展させている。ついでながら、私は医者たちか らたくさんの興味深い手紙をもらったが、自分の宿っている体の年齢について遣伝子を「だます」ことに関する私 の推測 ( 本書、七三頁 ) についての論評は一つもなかったように思う。このアイデアは、私にはまだ、まったくば かばかしいものとは思えず、そしてもしそれが正しいとすれば、むしろ医学的により重要なのではないだろうか。 本文石頁「性の長所はいったい何なのだろう ? 」 思考を喚起するいくつかの本、とくに・ e ・ゲスリン、・ o ・ウィリアムズ、・メイナ ! ドスミス、・ ベルによるもの、および・ミチョッドと ;q ・レヴィン編による一冊などが出版されているにもかかわらず、性が 何のためにあるのかという問題は今でも相変わらず、人を悩ませている。私にとってもっとも興味をかきたてられ る新しいアイデアは・・ ハミルトンの寄生説で、これは、ジェレミー・ チャーファスとジョン・グリビンの 『過剰な雄』において、専門的な用語を用いずに説明されている。 本文〃頁「 : : : 余分なは : : : 寄生者、あるいはせい・せい、無害だが役に立たない旅人だ : : : 」 ( 本書一一九一頁をも参照 ) 注余分な、翻訳されない AZ< が利己的な寄生者ではないかという私の示唆は、分子生物学者 ( オーゲルとクリッ ク、およびドウ ーリトルとサ。ヒエンサの論文を参照 ) によって取り上げられ、「利己的 z 」というキャッチフ 補 レーズのもとに発展させられた。・・グールドは『ニワトリの歯とウマの指』において、腹立たしい ( 私にと

10. 利己的な遺伝子

自身より老衰死に近い個体の利益のために利他的自己犠牲を払おうともくろんでいるにちがいないのだ から。他方、親の利他主義の遺伝子は、その計算式の平均余命の項に関するかぎり、それに相応した分 だけ有利であるはずだ。 ときに、血縁淘汰は学説としては申し分ないが、その実際例はほとんどないという話をきく。こうい う批判ができるのは、血縁淘汰の何たるかを理解していない人だけである。じつは、子の保護や親によ る世話のあらゆる例、乳腺やカンガルーの袋などそれに関連したあらゆる肉体的器官が、事実上血縁淘 汰原理が実際に機能していることの例なのである。批判者たちはもちろん、親による世話が広く存在し ていることをよく知っているのだが、親による世話が兄弟姉妹の利他主義に劣らぬ血縁淘汰の例である ことを理解していない。彼らが例を示せといっているときは、親による世話以外の例を示せといってい るのだ。そのような例が数少ないことは事実である。その理由はすでに示唆した。兄弟姉妹の利他主義 の例をひこうと思えばそれはできるーー事実ごくわずかたがあるのだ。しかし、私はあえてそれをした 。というのは、それをすると血縁淘汰が親子関係以外の関係に関するものだという誤った考え ( 前述のとおりウイルソンが好んでいる ) を強化することになるからだ。 この誤りが育った理由は概して歴史的なものである。親による世話が進化上有利であることはあまり にも明らかであり、 ハミルトンの指摘を待つまでもなかった。それはダーウイン以来理解されていた。 子親子以外の関係が遺伝的にそれと等価であり、しかもそれが進化の上で重要な意味をもっていることを 示すにあたって 、ハミルトンが親子以外の関係を強調しなければならなかったのは当然のことであった。 9 そしてそのために彼は、のちの章で述べるとおり姉妹関係がとくに重要なアリやミツ・ハチなど社会性昆