利他主義 - みる会図書館


検索対象: 利己的な遺伝子
178件見つかりました。

1. 利己的な遺伝子

にさらしている。 私は物語を語ることによって、自説を主張しようとしているのではない。適当に選びだした例でもっ て、ちゃんとした一般論のまともな証拠とすることはできないからである。これらの話は単に、個体レ この本で私は、 ベルの利他的行動と利己的行動とはどういう意味かを説明するためにあげたにすぎない。 遺伝子の利己性と私がよんでいる基本法則によって、個体の利己主義と個体の利他主義がいかに説明さ れるかを示そうと思う。しかしその前にまず、利他主義についての誤った説明をとりあげねばならない。 というのは、そうした説明が一般に知れわたっており、学校で広く教えられてさえいるからである。 この説明は、すでに述べたような誤解にもとづいている。つまり、生きものは「種の利益のために」、 「集団の利益のために」ものごとをするように進化する、という誤解である。生物学でこの考えかたが どれほど優勢であるかは、容易にみることができる。動物の生活は大方が繁殖に捧げられており、自然 界にみられる利他的自己犠牲の行為のほとんどが親の子に対するものである。「種の存続」とは繁殖と いうことのよく使われる婉曲ないいまわしである。たしかに、それが繁殖の結果であることはまちがい ない。繁殖の「機能」が種を存続させる「こと」だと推論するには、論理をわずかに飛躍させるたけで このことから、動物が一般に種の存続に役立つようにふるまうと結論づけるには、さらに短い誤 った一歩があればすむ。たぶんその次には、自種の仲間に対する利他主義という話になるであろう。 この考えかたはなんとなくダーウイニズム的なことばに翻訳できる。進化は自然淘汰によって進み、 自然淘汰は「最適者」の生存に加担する。ところで、ここでいう「最適者」とは最適個体のことだろう か、それとも最適品種、あるいは最適種のことたろうか ? いったい何をさしているのだろう ? 目的

2. 利己的な遺伝子

母、孫 ) か、八人以上のいとこ等々を救って死ぬことである。概してこのような遺伝子は、利他主義者 によって救われた十分な数の個体の体内で生きつづけ、利他主義者自身の死による損失をつぐなうこと になる。 ある人が自分と一卵性双生児であるとわかったら、だれでも、その人の幸福を自分の幸福と同じくら い気にかけるであろう。双生児利他主義などというものがあるとすれば、その遺伝子はいずれも、双生 児の双方が必すもっている。したがって片方が他方を救って英雄的に死んでも、その遺伝子は生きのこ る。ココノオビアルマジロは一卵性四つ子で生まれる。私の知るかぎりでは、アルマジロの子について 英雄的な自己犠牲の離れ業は報告されていないが、ある種の強力な利他主義があるにちがいないともい われている。これはだれか南アメリカへいって一目見てくる価値がありそうだ。 さて、子に対する親の世話は血縁利他主義の特殊な例であることがわかる。一般的にいえば、おとな は赤ん坊の弟がみなし子になったなら、自分の子に対するのとまったく同じように熱心にめんどうをみ、 気を配るはすである。一一人の赤ん坊に対する近縁度はまったく同じ驪なのた。遣伝子淘汰の理論でいえ ば、大きな姉の利他的行動の遺伝子は、親の利他主義の遺伝子と同しくらいに個体群内に広がる見込み があるはずである。実は、これは、後に述べるさまざまな理由から、単純化のしすぎであり、兄や姉に よる世話は、自然界では親による世話ほど多くはない。しかし、ここで私がいいたいのは、親子関係が 子兄弟姉妹関係にくらべて遺伝的に特別なことはなにもないということである。親は実際に子に遺伝子を 遺わたすが、姉妹間では遺伝子のうけわたしがないという指摘は的はずれた。な・せなら、姉妹はどちらも 9 同じ両親から同じ遺伝子のコピ 1 を受けとっているのだから。

3. 利己的な遺伝子

るかに関心があり、一般に叔母と同じくらいに利他的であるはずである。実際に夫婦の不貞度の高い社 会では、母方の叔父は「父親」より利他的であるにちがいない。叔父のほうがその子との近縁度に対す る確信にはっきりした根拠があるからだ。彼らはその子の母親が少なくとも自分の異父姉妹であること を知っている。「法律上の父親」はなにも知らない。私はこれらの予言を支持する証拠があるのかどう か知らないのだが、だれかが証拠を探しはじめることを期待してここに述べてみた。とくに、社会人類 学者はおそらく興味ぶかい事実をご存じなのではなかろうか。 両親の子に対する利他主義が兄弟間の利他主義よりずっとふつうにみられるという事実に話をもどす ならば、「アイデンティティ 1 の問題」によってこれを説明することは理にかなっているように思われ る。しかし、これでは親子関係自体の基本的な非対称性を説明できない。親子の遺伝的関係は対称的で あり、近縁度の確信はどちらの立場から相手をみた場合でもまったく同じなのだが、親は、子が親に対 するよりずっとよく子のめんどうをみる。これは一つには、親のほうが年たけていて生活の諸事万端に 手なれているため、実際に子をよく助けられる位置にいるからである。たとえ赤ん坊が親に餌を与えた いと思っても、赤ん坊には実際にそうする能力がそなわっていない。 親子関係にはもう一つ、兄弟関係にはあてはまらぬ非対称性がある。子供たちはつねに親より若い このことは、必ずというのではないにせよたいていのばあい、子供の平均余命のほうが大きいことを意 味する。前に強調したように、平均余命は、動物が利他的にふるまうべきか否かを「決断する」さいに、 できるかぎり正確に「計算」にいれねばならない重要な変数である。子のほうが親より平均余命が大き い種では、子の利他主義の遺伝子はいずれも不利な立場におかれることになろう。それは、利他主義者 168

4. 利己的な遺伝子

注 補 科学的な研究をしている専門の心理学者は、本当は人間の行動を予測するのがそれほど得意というわけではない。 微細な表情筋の動きやその他の微妙な手がかりを用いる社会的な仲間は、心を読み、行動を先読みするのに驚くほ どすぐれていることがしばしばである。 ( ンフリーは、この「自然な心理学的」技能が社会的動物において高度に 進化しており、ほとんど余分の目あるいは他の複雑な器官のごとくになっていると信じている。「内なる目」は、 外の目が視覚器官であるのと同じように、進化した社会・心理学的器官な器官なのである。 の理論づけは説得力があると思った。彼はさらに続けて、この内なる目が自己査察 ここまでは、私はハンフリー によって働くと主張する。個々の動物は他者の気分と感情を理解する手段として、自らの気分と感情をのそきこむ。 この心理学的器官は自己査察によって働くのだ。これが意識の理解にとって助けになると同意してもいいものかど うか、私には確信がないが、ともかく ( ンフリーはみごとな書き手であり、彼の本は説得力がある。 本文頁「利他的な行動のための遣伝子」 人々は時に、利他主義あるいはその他の一見複雑に見える行動の「ための、遺伝子について、まるきつり混乱し た受け取りかたをする。彼らは ( 誤って ) 、行動の複雑さがなんらかの意味で遺伝子の中に含まれているにちがい ないと考える。遺伝子のなしうることが、蛋白質の鎖を暗号化するだけなら、いかにして、利他主義のための単一 の遺伝子が存在しえるのかと、彼らは問う。しかし、なにものかの「ための」遺伝子について語ることは、その遺 伝子の変化が当のなにものかの変化の原因になるといっているにすぎない。単一の遺伝的な差異は、細胞内の分子 の細部を変えることによって、すでにして複雑な発生過程に変化を生じ、それゆえ、たとえば行動の差異を生じる のである。 たとえば、鳥類における兄弟間利他主義の「ための」一つの突然変異遺伝子が、それだけで、一つのまったく新 しい複雑な行動。 ( ターンを生じさせるものでないのは確かだろう。そうではなくて、それは既存の、おそらくはす でにして複雑な行動パターンに変更を加えるのであろう。この例の場合、もっとも可能性の高い祖型。 ( ターンは親 449

5. 利己的な遺伝子

間の進化においても重要な役割を果たしたことが予想される。トリヴァースは、他者をだます能力や、 詐欺を見破る能力、だまし屋だと思われるのを回避する能力などを強化する方向に働いた自然淘汰が、 人間に備わる各種の心理的特性ーーーねたみ、罪悪感、感謝の念、同情その他、ー・・・・を形成したのだと主張 しているほどである。特におもしろいのは「狡猾なだまし屋」という存在た。彼らは一見きちんと恩返 しをしているように見えるが、実際は、いつも、受けとった分よりやや少な目のお返ししかしていない のである。ヒトの肥大した大脳や、数学的にものを考えることのできる素質は、より込み入った詐欺行 為を行ない、同時に他人の詐欺行為をより徹底的に見破るためのメカニズムとして進化したのだという 可能性すら考えられる。このような見方からすれば、金銭は、遅延性の互恵的利他主義の形式的象徴で ある。 互恵的利他主義の概念を、われわれ自身の属する種に適用した際に生じるこの種の妹力的な思弁には、 果てしがない。確かにそれはおもしろそうだが、この種の思弁に私が特に才能をもっているわけでもな いので、あとは、読者が御自分で楽しまれるにまかせることとしたい。 300

6. 利己的な遺伝子

補注 2 同胞 ( 両親を共有する兄弟 ) 間の利己主義と利他主義の進化の 条件。ただし通常の二倍体生物を考える (i) 同胞間の利己主義をうながす遺伝子 A が広がりうる条件 個体 x が遺伝子 A をもっているとき , その同胞 Y が A をもつ確率 ( = 近 縁度 ) は 1 / 2 である。いま x が , ある量の資源を Y から利己的に奪ってし まうことによって , 自らは△ B , の利得を手に入れ , Y には△ Cy の損失を 与えたとする ( 利得 , 損失はいずれも生存率あるいは , ドーキンスは好ま ないようだが , 適応度で測るべきものである ) 。この時 , X の行為によっ て遺伝子 A が増える程度は , △ B ェ・ 1 ー△ Cy ・ 1 / 2 ( 3 ) となる。これがゼロより大きければ , A は広がるとみられるから , A の広 △ B ェ > 1 / 2 △ Cy がる条件は次のように示せる。 れによって x は△ c ェの損失 , Y は△ By の利得を得たとすれば , この利他 遺伝子 A ′をもつ個体 x が , 一定量の資源を同胞 Y に与えるとする。 ()D 同胞間の利他主義をうながす遣伝子 A ′が広がりうる条件 をのぞいては訂正されている。 値を当初 2 としていたが , これは 1 / 2 の誤りであり , 第二版では 216 ページ 胞に対する x の利己主義は , 進化上有利となりうる。ドーキンスは , この つまり , x の受ける利得が , Y のこうむる損失の 1 / 2 より大きければ , 同 主義によって A が増加する条件は , ( i ) にならって , ー△ C ェ・ 1 十△ By ・一 > 0 ゆえに , △ By > 2 △ C ェ ( 5 ) つまり , x のこうむる損失の 2 倍以上の利得を Y が手に入れるなら , X の Y に対する利他主義が進化しうる。 圃親子の対立 親の体の中にある遺伝子 G は , どの子供にも 1 / 2 の確率で伝えられる。 (ii) 532

7. 利己的な遺伝子

、、ミルトン説が社会性昆虫にしかあ 虫の例をひいたのである。おどろいたことに、この点を誤解して てはまらないと思っている人さえいるくらいだ / 親による世話が血縁淘汰の作用の例であることを認めたくない方々は、親の利他主義たけを予言し、 その他の親族間の利他主義を予言しない自然淘汰の一般論を、定式化してみせる責任がある。それは成 功しないであろうと私は思う。 170

8. 利己的な遺伝子

ものを考え、ある種の人間のことばをお・ほえることすらできる。胎児はわれわれの種に属するがゆえに、 即もろもろの権利・特権を与えられるのである。リチャード・ライダーのいう「種主義」の倫理が、 「人種主義」の倫理よりいくらかでも確実な論理的立場にたてるのかどうか、私にはわからない。私に わかるのは、それには進化生物学的に厳密な根拠がないということである。 どのレベルでの利他主義が望ましいのかーーー家族か、国家か、人種か、種か、それとも全生物か という問題についての人間の倫理における混乱は、どのレベルでの利他主義が進化論的にみて妥当なの かという問題についての生物学における同様な混乱を反映している。群淘汰主義者ですら、敵対集団の ーどうしが互いに忌み嫌いあっているのをみても、驚きはしないにちがいない。つまり彼らは、 労働組合主義者や兵士と同じく、限られた資源をめぐる争いでは自分の集団に味方しているというのだ。 しかしこの場合、群淘汰主義者がどのレベルが重要であるかをどうやってきめているかということは、 問う価値がある。もし淘汰が同じ種内の集団間や異種間でおこるのであれば、もっと大きな集団間でお こらないのはなぜだろう。種は属で集団をなし、属は目としてまとまり、目は綱に属する。ライオンと アンテロープは、どちらもわれわれと同様に哺乳綱のメン・ハーである。では、「哺乳類の利益のため 力に」アンテロー。フを殺すのをやめるようにライオンに要求すべきだろうか。たしかに、綱の絶減を防ぐ の ためには、ライオンはアンテロープのかわりに鳥か爬虫類を狩るべきであろう。だがそれでは、脊椎動 物門全体を存続させるにはどうすればよいのだろう ? 人 背理法で論じ、群淘汰説の難点を指摘するのはこのくらいにして、個体の利他主義のみかけ上の存在 を説明しなければならない。アードリーはトムソンガゼルの「ストッティング」のような行動を説明

9. 利己的な遺伝子

って進化してきたものは、何であれ利己的なはずだということになる。それゆえ、われわれは、ヒヒ、 人間、その他あらゆる生きものの行動をみれば、その行動が利己的であることがわかる、と考えねばな らない。もしこの予想が誤りであることがわかったならば、つまり、人間の行動が真に利他的であるこ とが観察されたならば、そのときわれわれは、困惑させられる事態、説明を要する事態にぶつかるであ ろう。 先に進む前に、定義が必要である。ある実在 ( たとえば一頭のヒヒ ) が自分を犠牲にして別の同様な 実在の幸福を増すようにふるまったとすれば、その実在は利他的であるといわれる。利己的行動にはこ れとは正反対の効果がある。「幸福」は「生存の機会」と定義される。たとえ、実際の生死の見込みに 対する効果がごく小さく、無視できそうにみえたとしても。ダーウィ = ズム理論の現代的説明の驚くべ き結果の一つは、生存の見込みに対するささいな作用が進化に多大な力をおよぼしうることである。こ れは、こうした作用が影響をおよ・ほすのにつかえる時間がたっぷりあるからである。 利他主義と利己主義の上述の定義が行動上のものであって、主観的なものではないことを理解するこ とが重要である。私はここで動機の心理学にかかわるつもりはない。利他的に行動する人々が「ほんと うに」かくれた、あるいは無意識の利己的動機でそれをおこなっているのかどうかといった議論をしょ うとはおもわない。彼らがそうであろうとなかろうと、われわれがそれを知ることができなかろうと、 いずれにせよそれはこの本の関知するところではない。当の行為が結果として、利他行為者とみられる 者の生存の見込みを低め、同時に受益者とみられるものの生存の見込みを高め、さえするならば、私は それを利他行為と定義するのである。

10. 利己的な遺伝子

自身より老衰死に近い個体の利益のために利他的自己犠牲を払おうともくろんでいるにちがいないのだ から。他方、親の利他主義の遺伝子は、その計算式の平均余命の項に関するかぎり、それに相応した分 だけ有利であるはずだ。 ときに、血縁淘汰は学説としては申し分ないが、その実際例はほとんどないという話をきく。こうい う批判ができるのは、血縁淘汰の何たるかを理解していない人だけである。じつは、子の保護や親によ る世話のあらゆる例、乳腺やカンガルーの袋などそれに関連したあらゆる肉体的器官が、事実上血縁淘 汰原理が実際に機能していることの例なのである。批判者たちはもちろん、親による世話が広く存在し ていることをよく知っているのだが、親による世話が兄弟姉妹の利他主義に劣らぬ血縁淘汰の例である ことを理解していない。彼らが例を示せといっているときは、親による世話以外の例を示せといってい るのだ。そのような例が数少ないことは事実である。その理由はすでに示唆した。兄弟姉妹の利他主義 の例をひこうと思えばそれはできるーー事実ごくわずかたがあるのだ。しかし、私はあえてそれをした 。というのは、それをすると血縁淘汰が親子関係以外の関係に関するものだという誤った考え ( 前述のとおりウイルソンが好んでいる ) を強化することになるからだ。 この誤りが育った理由は概して歴史的なものである。親による世話が進化上有利であることはあまり にも明らかであり、 ハミルトンの指摘を待つまでもなかった。それはダーウイン以来理解されていた。 子親子以外の関係が遺伝的にそれと等価であり、しかもそれが進化の上で重要な意味をもっていることを 示すにあたって 、ハミルトンが親子以外の関係を強調しなければならなかったのは当然のことであった。 9 そしてそのために彼は、のちの章で述べるとおり姉妹関係がとくに重要なアリやミツ・ハチなど社会性昆