らは互いに遺伝子の % を共有しあっているからだ。しかし、孫の平均余命のほうが大きければ、孫に対 する祖父母の利他主義の遺伝子のほうが、祖父母に対する孫の利他主義の遺伝子より淘汰上有利である。 類縁の遠い若者を援助するさいの正味の利益が、類縁の近いとしよりを援助するさいの正味の利益をこ えることは大いにありうることだ ( ついでにいうと、もちろん、祖父母の平均余命が孫のそれよりつね に小さいとは限らない。幼児死亡率の高い種では、逆が真であることもある ) 。 保険統計的にたとえていえば、個体は生命保険業者だと考えられる。ある個体は他個体の生命に自分 の資産の一部を投資する、あるいは賭けるものと考えることができる。彼は他個体と自分との近縁度を 考慮し、また保険業者自身の平均余命と比較してみて、その個体が「よい被保険者」であるかどうかを も考える。厳密にいえば「平均余命」というより「繁殖期待値」といったほうがよいし、さらに厳密に は、「将来自己の遺伝子に役立つ一般的能力」というべきであろう。そして、利他的行動が進化するに は、利他主義者にとっての正味の危険度が、近縁度と受益者にとっての正味の利益とをかけ合わせたも のより小さくなければならない。危険度と利益は、先ほど概要を述べた複雑な保険統計の方法によって 計算しなければならない。 しかし、それは、あわれな生存機械が急いでおこなうにはなんと複雑な計算だろう / 偉大な数理生 物学者の e ・・ ()n ・ホールデンですら ( ハミルトンより先に、おぼれる近縁者を救う遺伝子が広がり うる可能性を検討した一九五五年の論文の中で ) こう書いている。「 : : : 私は二度ほどおぼれそうな人 を水からひきあげたことがある ( 私自身の危険は小さかったが ) が、そのときそんな計算をする余裕な どなかった」。しかし、ホールデンにはよくわかっていたのだが、さいわいにして、生存機械が暗算す 巧 2
るものと考える必要はない。われわれが実際に対数を利用していると感じずに計算尺をつかえるのと同 じように、動物は複雑な計算をしているかのごとくふるまうように、あらかじめプログラムされている のであろう。 これはそれほど考えにくいことではない。ポールを空中にほうりあげて、ふたたびそれを捕えるとき、 人はポールの軌道を予言して一連の微分方程式を解いているかのようにみえる。だが、その人が徴分方 程式の何たるかを知らず、気にもとめなくても、ポールを捕える手際には何らさしつかえない。意識下 のレベルで、数学の計算と等しいことがおこっているのである。あらゆる賛否と想像しうるあらゆる結 果を考慮して難しい決定をおこなうとき、人は、コンビ = ーターがおこなっているのと機能的に等しい 「加重合計」計算をおこなっているわけである。 生存機械が利他的にふるまうかどうかを決定するシミュレ 1 ションをおこなうためにコンビ = ーター をプログラムするとしたら、だいたい次のようにことをすすめればよ い。まず、動物がおこなう利他的 行動全部の一覧表をつくる。次に、これらの利他的行動パターンの各々について加重合計計算をプログ ラムにする。もろもろの利益にはすべて。フラス記号を、危険にはすべてマイナス記号をつける。合計す る前に、利益と危険のどちらにも、適当な近縁度をかけて重みづけしておく。話を簡単にするために、 まず第一に、その他の重みづけ要因、たとえば年齢や健康に関する重みづけ要因を無視することにする。 子ある個体の自分に対する「近縁度」は 1 である ( つまりその個体は自分自身の遺伝子を一〇〇パーセン トもっているーー・当然である ) ので、自分自身に対する危険と利益はまったく価値を減じることなく、 そのままの値で計算される。いずれか一つの利他的行動パターンに関する総計はこのようになる。 ー 53
に程度の差なのである。あからさまな兄弟殺しが進化しうるとまでは、信じ切れぬかもしれない。し、 しこれより程度の弱い利己性の諸例は、子供の得る利益が、兄弟姉妹への被害の形で彼がこうむる損失 の 2 倍以上 ( 訳注 % が正しいと思う。 ) になるという条件下でなら、数多くみられるにちがいないのである。 その種のケースでは、離乳時期の例でみたように、親子間の利害が実際に対立するのである。 親子間の争いで勝ち目の一番大きいのはだれだろうか。・・アリグザンダーは、彼の発表した興 味深い論文の中でこの問に一つの一般解があるはずだと主張している。彼によれば、常に親が勝つはず だというのである。もしこの主張が正しいのなら、読者が本章を読まれたのは時間のむだ使いだったこ とになる。アリグザンダーが正鵠を得ていると仮定すると、興味深い事項がたくさん派生してこよう。 たとえば、利他的行動は、子供自身の遺伝子が受けとる利益のゆえではなく、単に親の遺伝子の受けと る利益だけを理由としても、進化しうることとなる。この場合、利他的行動を進化させる原因となるの は、単純明快な血縁淘汰ではなく、アリグザンダーが「親による子の操作」と呼ぶ別の要因ということ になるのである。さてそこでわれわれにとって重要なことは、アリグザンダーの議論を検討して、なぜ 彼の主張が誤っているとわれわれが考えるのか、その点を確認しておくことである。本来この作業は数 学的に扱われるべきものだが、本書では数学を前面に押し出すのをさけている。それでもアリグザンダ 1 の主張のどこが誤っているかについて、直観的な説明を与えることは可能である。 彼の主張の基底にある遺伝的な論点を紹介するために、彼の文章を一部省略した形で引用しておく。 「かりにある子供が : : : 親による利益配分を彼に有利なように片寄らせてしまい、その結果、母親の繁 殖成績を全体としては減少させてしまうとしよう。子供の時に、個体の適応度を上記の手段で上昇させ 216
にさらしている。 私は物語を語ることによって、自説を主張しようとしているのではない。適当に選びだした例でもっ て、ちゃんとした一般論のまともな証拠とすることはできないからである。これらの話は単に、個体レ この本で私は、 ベルの利他的行動と利己的行動とはどういう意味かを説明するためにあげたにすぎない。 遺伝子の利己性と私がよんでいる基本法則によって、個体の利己主義と個体の利他主義がいかに説明さ れるかを示そうと思う。しかしその前にまず、利他主義についての誤った説明をとりあげねばならない。 というのは、そうした説明が一般に知れわたっており、学校で広く教えられてさえいるからである。 この説明は、すでに述べたような誤解にもとづいている。つまり、生きものは「種の利益のために」、 「集団の利益のために」ものごとをするように進化する、という誤解である。生物学でこの考えかたが どれほど優勢であるかは、容易にみることができる。動物の生活は大方が繁殖に捧げられており、自然 界にみられる利他的自己犠牲の行為のほとんどが親の子に対するものである。「種の存続」とは繁殖と いうことのよく使われる婉曲ないいまわしである。たしかに、それが繁殖の結果であることはまちがい ない。繁殖の「機能」が種を存続させる「こと」だと推論するには、論理をわずかに飛躍させるたけで このことから、動物が一般に種の存続に役立つようにふるまうと結論づけるには、さらに短い誤 った一歩があればすむ。たぶんその次には、自種の仲間に対する利他主義という話になるであろう。 この考えかたはなんとなくダーウイニズム的なことばに翻訳できる。進化は自然淘汰によって進み、 自然淘汰は「最適者」の生存に加担する。ところで、ここでいう「最適者」とは最適個体のことだろう か、それとも最適品種、あるいは最適種のことたろうか ? いったい何をさしているのだろう ? 目的
モメのように、模範的に忠実な一夫一婦的つがいを形成して、雄雌が協力して子育てに当るような例も ある。後者のような場合には何らかの進化的な対抗圧が作用してきたものと考えねばならない。すなわ ち、配偶者の労働を搾取する戦略には利益と同時に不利益がっきまとっており、ミッュビカモメではこ の不利益が利益を上まわっていると考えるわけである。そもそも、妻子を遺棄することが父親にとって 有利になるのは、妻が単独で子育てに成功する可能性がある程度存在する場合に限られるのである。 ト丿ヴァースは、配偶者に遺棄された母親がその後どんな行動をとりうるかを考察している。彼女に とって最も有利な手は、別の雄をだまして彼にその子供を実子と「思いこませ」て養育させることであ もち る。子供が胎児でまた産まれていないうちであれば、この手もさほど難しくはないかもしれない。 ろん、当の子供は、母親の遺伝子を半分ゆずりうけているが、だまされやすい義父の遺伝子は一切ゆず りうけていない。雄におけるこの種のだまされやすさは自然淘汰においては非常に不利である。実際自 ままこ 然淘汰は、新しい妻をめとった直後、継子の可能性のある子供をすべて殺してしまうような手をうつ雄 に有利に働きうるのである。いわゆる・フルース効果は、これによって説明できる可能性が大いにある。 この効果はマウスで知られているもので、雄の分泌するある化学物質を妊娠中の雌がかぐと、流産を起 すことがあるという現象である。雌が流産を起すのは、以前の配偶者のものとは違うにおいをかいだ時 に限られている。雄のマウスは、この方法で継子の可能性のある胎児を殺し、しかも新しい妻が彼の求 争 雌愛に応じられるようにしてしまうのである。ついでながら、アードリーは、この・フルース効果を個体群 調節のメカニズムの一つ ( / ) と考えていることを付記しておこう。ライオンにも似た例が知られてい る。群れに雄ライオンが新たに加わると、彼はそこにいる子供をすべて殺してしまうことがあるという。 235
0 0 ←ー湮 0 0 0 ← + ロ 0 0 ーロ 0 0 + 引 DF = 0 ←ー引 0 0 十贐 : 合計結果は、その行動。 ( ターンの正味の利益得点 ( net benefit score ) とよばれる数値である。次に、 そのモデル動物は、自分の利他的行動。 ( ターンのレ。 ( のそれそれについて同じように合計をだ す。最後にそれは、正味の利益が最大になる行動パターンを選んで実行する。たとえ全得点がマイナス だとしても、なお最高得点の行動を、つまり最小の不運を選ぶであろう。どんな。フラスの行動にも時間 とエネルギーのむだがあり、それらはどちらも他のことにふりむけることのできるものであることを思 いだしてほしい。何もしないことが正味の利益の得点を最高にする「行動」であるならば、モデル動物 はなにもしないであろう。 ここでひじように単純化しすぎた例をあげよう。今度は、コンビューターによるシミュレーションで はなくて主観的なひとりごとの形で述べることにする。私はある動物の個体で、今、キノコが八個かた まってはえているのをみつけたところだ。私はその栄養価を考慮し、それらが毒であるかもしれぬとい うわずかな危険に対してなにがしかをさしひき、それらがおのおの田 6 単位 ( この単位は前章と同様任 意の得点である ) であると推測する。キノコは大きいので、私はそのうち三個しか食べられない。私は 「食べものがあるぞ」と叫んで私の発見物を他のだれかに教えてやるべきだろうか ? 聞こえる範囲に はだれがいるだろう ? 弟の ( 私との近縁度 % ) といとこの O ( 近縁度 % ) 、それに ( 特別の関係 はない。私との近縁度はごく小さく、実際上ゼロとして扱える ) だ。私にとって正味の利益得点は、私 巧 4
という点をめぐって意見の対立があるのではない。なぜ出生数が調節されているのか、いいかえれば、 どのような自然淘汰のプロセスによって家族計画は進化したのかという点をめぐって、意見の相違があ るのである。動物の産児制限は集団全体の利益のために実行される利他的なものなのか。それとも、そ れは、繁殖を行なう当の個体の利益のために実行される利己的なものであるのか。一言でいえば、意見 の相違はこのいずれの見解をとるかにあるのだ。以下、この二つの理論を順にとりあげることにしたい。 動物たちは、集団全体の利益のために、能力的に可能な産子数以下の数の子供を産むのだというのが ウイン = エドワーズの考え方である。しかし、通常の自然淘汰では、この種の利他主義は進化できそう にないと彼は考えた。平均以下の産子数が自然淘汰で選ばれるなどというのは、ちょっと見ると表現と して矛盾しているからである。そこで彼は、第一章で紹介したような群淘汰の考えに助けを求めたのだ。 構成員たる個体が自らの産子数に制限を加えるような集団は、構成員の増殖が速いために食物供給があ ゃうくなるような対抗集団に比べると、絶減の可能性が小さいたろうと彼は考えた。自己規制的な繁殖 者からなる集団が自然界にはびこるようになるのはそのためたというのである。ウイン = エドワーズが 考えている個体の自己規制は、広義にとれば産児制限と同じことであるが、彼が意味するところは実は もっと特殊なことなのである。動物の社会生活総体を個体数の調節機構と見なそうという一つの雄大な 着想を、彼は提案しているのだ。たとえば、第五章ですでに述べたなわばり制と順位制は、多くの動物 計種において、社会生活の二つの主要な特徴となっている。 家 多くの動物たちは、明らかにある範囲の地域を「防衛する」ために多大な時間とエネルギーを費して おり、その地域のことを自然観察家たちはなわばりと呼んでいる。この現象は動物界にきわめて広く見 ー 77
子が個体群内に広がり、このすばらしい友好的な子守りサークルは崩壊するにちがいない。 「それなら、正直な鳥がいいなりになることを拒否して報復し、卵は断固一個しか抱かないと決断し するい鳥の裏をかくことになるのではなかろうか。彼らは自分の卵がだ たらどうだろう。そうすれば、・ れにも抱かれずに岩の上にほうりだされているのに気づくだろうから。そうなれば彼らもまもなく協力 このばあい するようになるだろう」という人がいるかもしれない。だが、残念ながらそうはならない。 子守りたちが個々の卵を区別しないと仮定しているのだから、たとえ正直な鳥がこの作戦を実行してず るいやり口に対抗したとしても、けつきよく、無視されている卵が自分の卵なのかずるい鳥の卵なのか わからずじまいにちがいない。ずるい鳥はそれでもまだ利益をうけている。彼らのほうがたくさん卵を うみ、したがってよけい子孫を残すことになるからだ。正直なウミガラスがずるい個体をやつつけるこ とができる唯一の方法は、積極的に自分の卵を優遇することだ。つまり、利他的であるのをやめて、自 分の利益をまもることだ。 メイナードスミスのことばをかりれば、利他的養子とり「戦略」は進化的に安定な戦略ではない。 この戦略は、正当なわりあてよりたくさん卵をうみ、それを抱くのを拒否するというライ・ ( ルの利己的 な戦略によって改善されうる、という意味で不安定である。この後者の利己的戦略もやはり不安定であ る。なぜなら、利用する利他的戦略が不安定で、すぐ消えてなくなるからである。ウミガラスにとって 子唯一の進化的に安定な戦略は、自分の卵を認知してもつばら自分の卵だけを抱くことであり、これはま 遺さに実行されていることなのである。 カッコウに托卵される鳴禽類は、自分個人の卵の外観をお・ほえるのではなくて、自分の種に特有な模
くろいしてやるたぐいの関係を結ぶことが、賢明な解決策となることを理解できるはずだ。しかし、直 観的に納得できそうなことには気をつけろ、ということを私たちは学んだはずだ。遺伝子に先見能力は ないからである。親切行為とそれに対する恩返しの間に時間的すれが介在する条件下で、遺伝子の利己 性理論は、相互的な背中掻き関係、すなわち、「互恵的利他主義」の進化を説明できるのであろうか。 ウィリアムズは、先に名前を上げておいた一九六六年の著書の中で、この問題を簡単に論じている。彼 うは、ダーウインと同様な結論に到達した。すなわち、遅延性の互恵的利他主義は、互いを個体として識 別し、かっ記億できる種においてなら、進化することが可能だというのである。トリヴァースは、一九 っ七一年の論文で、この問題をさらに詳しく論じている。この論文を書いた時に、メイナードスミスの 進化的に安定な戦略 (@(-nt-n) の概念は、まだ彼の手元になかった。もしこれが利用できていたなら、 を 背彼は当然それを活用したはずだと私は考えている。それは、彼の理論を表現するのにびったり合った方 に言及して ゲームの理論の有名なパズル 法を提供するからである。彼は、「囚人のジレンマ」 返 お いるが、これは彼がすでにメイナードⅡスミスと同じ線に沿って考えを進めていたことを示している。 れ という個体が頭のてつべんにダニをつけているとする。という個体はそれを取り除いてやる。し お て ばらくして、今度はの頭にダニがたかってしまった。彼は当然のことを探しにゆく。は、かって 社の親切のお返しをしてくれるかもしれないからだ。しかし、はを鼻先であしら 0 て、立ち去 0 てし のまった。はごまかし屋というわけだ。ここでいうごまかし屋とは、他個体の利他的行動の利益は頂載 するが、相手にはお返しをしない個体、あるいは不十分なお返ししかしない個体のことである。代価を 支払うことなしに利益を得ることができるわけだから、ごまかし屋は相手かまわずの利他主義者より有 293
ら、その理由は、子供たちの間に年齢その他の要因に依存した平均余命の相違があるためにちがいない のである。どんな個体でも同じことであるが、母親も任意の子供に対する近縁度のちょうど 2 倍の近縁 度を、「自分自身」に対してもっている。これは、他の条件が等しければ、彼女はその資源のほとんど を、自分自身に対して利己的に投資すべきことを意味しているのである。しかし、他の条件というのが、 じつは等しくない。自らの資源のかなりの部分を子供たちに投資したほうが、彼女の遺伝子に対して母 親はもっとよく貢献できるのだ。その理由は、子供たちのほうが彼女より若くて無力であり、したがっ て単位投資量当り彼らが獲得しうる利益が、それによって彼女自身の得られる利益より大きくなるため である。かくして、自分を差し置いてもっと無力な個体に投資させようとする遺伝子は、利他的行為者 の遺伝子が受益者にごく一部しか共有されていない場合でも、遺伝子。フールに広がることができる。動 物が親による利他行動を示すのはこのためであり、さらに彼らの間に血縁淘汰による利他主義が見られ るのも、すべてこの理由に基づいているのである。 さて問題を特定の子供の視点からみるとどうなるだろうか。兄弟姉妹それぞれに対する彼の遺伝的近 縁度は、その兄弟姉妹に対する母親の近縁度と同じであり、すべての場合でその値は % になる。したが って、彼は、母親が彼女の資源のいくらかを彼の兄弟姉妹にも投資するよう、「望んでいるーといえる。 遺伝的にいうなら、兄弟姉妹に対して彼は、母親とまったく同様な利他的傾向を示すはずなのである。 しかしここでまた、彼の彼自身に対する近縁度が、任意の兄弟姉妹に対するそれのちょうど 2 倍になっ ていることが問題になる。このため、他の条件が同一なら、彼は母親が他のどの兄弟姉妹より彼自身に 多く投資してくれるようにと、望む傾向を示すこととなろう。この場合、他の条件は実際に等しくなる 202