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検索対象: 利己的な遺伝子
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1. 利己的な遺伝子

いては、まさにわれわれの予想どおり、この藻類はヒドラの卵を介して自らを次の世代に伝えるのであ る。先の二種ではそうではない。藻類の遺伝子と c ミミの遺伝子の利害は一致している。両者 とも、 C ミ。ざ 4 の卵の増産のために全力を傾けることに関心をもっている。しかし、他の二種のヒ ドラの遺伝子は、自らに寄生する藻類の遺伝子と「意見が一致」しない。い・ すれにせよ同じ程度に一致 することはない。両方の遺伝子の組はともに、ヒドラの体の存続に利害をもっているかもしれない。し かし、ヒドラの遺伝子だけがヒドラの繁殖を気にかける。それゆえ、藻類は親切な協力に向かって進化 するよりもむしろ、相手を弱らせる寄生者のままにとどまる。肝腎な点をもう一度くり返せば、自らの 遺伝子がその寄主の遺伝子と同じ運命を切望する寄生者は、あらゆる利害を寄主と共有し、最終的には 寄生的に作用することをやめるだろうということである。 この場合、運命とは未来の世代を意味する。 c ミミ。 d きの遺伝子と藻類の遺伝子、そしてキクイム シの遺伝子とパクテリアの遺伝子は、寄主の卵を介してのみ未来に入ることができる。したがって、あ らゆる生活分野の最適政策について寄生者がおこなうあらゆる「計算」は、寄主の遺伝子が同様な「計 算」によってひきだす最適政策と同一の、あるいはほとんど同一のものに収東するであろう。カタッム リとその寄生者である吸虫の場合、それそれの好む殻の厚さは相違するとわれわれは結論した。キクイ ムシとその・ハクテリアの場合には、寄主と寄生者は翅の長さ、その他のキクイムシのあらゆる体の特徴 に関して同じ好みをもっことで一致するだろう。このことは、この昆虫がその翅あるいはそのほかのな にかをどのように使うについての詳細をまるで知らなくとも、予測することができる。われわれは、キ クイムシの遺伝子と・ハクテリアの遺伝子がともに、同じ将来の出来事ーーキクイムシの卵の増殖にとっ 392

2. 利己的な遺伝子

れがもっ強力な心理的魅力に基づいている。実存をめぐる深遠で心を悩ますもろもろの疑問に、それは 表面的にはもっともらしい回答を与えてくれるのである。現世の不公正は来世において正されるとそれ は主張する。われわれの不完全さに対しては、「神の御手」が救いをさしのべて下さるという。医師の用 いる偽薬と同様で、こんなものでも空想的な人々には効き目があるのだ。これらは、世代から世代へと、 人々の脳がかくも容易に神の観念をコビーしてゆく理由の一部である。人間の文化が作り出す環境中で は、たとえ高い生存価、あるいは感染力をもったミームという形でだけにせよ、神は実在するのである。 神のミ ームの生存価に関する上記のような私の説明は、肝心の論点を避けているのではないかと指摘 して下さった同僚がいた。最終的には、彼らはいつも決まって「生物学的有利さ」にたち戻ろうとする のだ。神の観念には「強力な心理的魅力」がある、といっただけでは彼らは不満なのである。彼らは、 なぜそれが強力な心理的魅力をもつのかを知りたがるのだ。心理的魅力というのは脳に対する魅力とい うことだ。そして脳とは、遺伝子プールの中の遺伝子に対して自然淘汰が作用して作り上げたものだ。 上記のような脳をもっことは何らかの方途で遺伝子の生存の促進につながっているのではないか。彼ら はそのような方途を見つけたいのである。 私はこの種の態度には大いに共感をもっているし、また、現在のような脳をわれわれが所有している ことには遺伝的な有利さがあるはずだという見解にも何ら疑問を抱いていない。しかしその上でなお私 は、もしこれら同僚諸氏が彼ら自身の議論の諸前提をその根本のところで詳しく検討されるなら、彼ら 自身が私とまったく同じだけ論点回避をされていることに気づかれるはずだと考えている。根本にたち 帰ってみよう。生物学的現象を遺伝子への利益という観点から説明することがうまい方法であるのは、

3. 利己的な遺伝子

ら、その理由は、子供たちの間に年齢その他の要因に依存した平均余命の相違があるためにちがいない のである。どんな個体でも同じことであるが、母親も任意の子供に対する近縁度のちょうど 2 倍の近縁 度を、「自分自身」に対してもっている。これは、他の条件が等しければ、彼女はその資源のほとんど を、自分自身に対して利己的に投資すべきことを意味しているのである。しかし、他の条件というのが、 じつは等しくない。自らの資源のかなりの部分を子供たちに投資したほうが、彼女の遺伝子に対して母 親はもっとよく貢献できるのだ。その理由は、子供たちのほうが彼女より若くて無力であり、したがっ て単位投資量当り彼らが獲得しうる利益が、それによって彼女自身の得られる利益より大きくなるため である。かくして、自分を差し置いてもっと無力な個体に投資させようとする遺伝子は、利他的行為者 の遺伝子が受益者にごく一部しか共有されていない場合でも、遺伝子。フールに広がることができる。動 物が親による利他行動を示すのはこのためであり、さらに彼らの間に血縁淘汰による利他主義が見られ るのも、すべてこの理由に基づいているのである。 さて問題を特定の子供の視点からみるとどうなるだろうか。兄弟姉妹それぞれに対する彼の遺伝的近 縁度は、その兄弟姉妹に対する母親の近縁度と同じであり、すべての場合でその値は % になる。したが って、彼は、母親が彼女の資源のいくらかを彼の兄弟姉妹にも投資するよう、「望んでいるーといえる。 遺伝的にいうなら、兄弟姉妹に対して彼は、母親とまったく同様な利他的傾向を示すはずなのである。 しかしここでまた、彼の彼自身に対する近縁度が、任意の兄弟姉妹に対するそれのちょうど 2 倍になっ ていることが問題になる。このため、他の条件が同一なら、彼は母親が他のどの兄弟姉妹より彼自身に 多く投資してくれるようにと、望む傾向を示すこととなろう。この場合、他の条件は実際に等しくなる 202

4. 利己的な遺伝子

大当りをとることができよう。 レプリカ 実際に、自らの複製をつくる分子は、実際にははじめ思ったほど想像しがたいものではない。しかも レプリケータ それはたった一回生じさえすればよかったのだ。鋳型としての自己複製子を考えてみることにしよう。 それは、さまざまな種類の構成要素分子の複雑な鎖からなる、一つの大きな分子だとする。この自己複 製子をとりまくスープの中には、これら小さな構成要素がふんだんにただよっている。いま、各構成要 素は自分と同じ種類のものに対して親和性があると考えてみよう。そうすると、スー。フ内のある構成要 素は、この自己複製子の一部で自分が親和性をもっている部分にでくわしたら、必ずそこにくつつこう とするであろう。このようにしてくつついた構成要素は、必然的に自己複製子自体の順序にならって並 ぶことになる。このときそれらは、最初自己複製子ができたときと同様に、次々と結合して安定な鎖を 作ると考えてよい。 この過程は順を追って一段一段と続いていく。これは、結品ができる方法でもある。 一方、二本の鎖が縦に裂けることもあろう。すると、二つの自己複製子ができることになり、その各々 がさらに複製をつくりつづけることになるのである。 さらに複雑に考えるならば、各構成要素が自分の種類に対してではなく、ある特定の他の種類と相互 に親和性をもっているという可能性もある。その場合には、自己複製子は同一の複製の鋳型ではなくて、 一種の「ネガ」の鋳型の働きをする。そして次にその「ネガ」がもとのポジの正確な複製をつくるので ある。原初の自己複製子の現代版である QZ< 分子が、ポジーネガ型の複製をおこなうことは注目に値 するが、最初の複製過程がポジーネガ型であったか、ポジーポジ型であったかは、このさい問題ではな 。重要なのは、新しい「安定性」が突然この世に生じたことである。あらかじめスープの中に、特定

5. 利己的な遺伝子

代価を支払っていることになる。彼は他の雌との交尾のチャンスを放棄しているわけであるし、求愛の ために多大な時間とエネルギーを費しているからだ。特定の雌が最終的に交尾に応じる頃までには、彼 は必然的に彼女に深く「かかわってしまう」ことになるのだ。別の雌も、交尾に応ずるに先だってこの 雌と同様の引き延ばし策を弄することがわかっていれば、雄は当の雌を棄てようなどという浮気心を起 さないのではなかろうか。 別の論文でも指摘したことだが、この問題に関するトリヴァースの議論には実は誤りがあった。彼は、 過去の投資それ自体が、ある個体の将来の投資の仕方を拘束すると考えた。しかし、この経済学はまち がっている。実業家は、「 ( たとえばの話 ) コンコルド機にはずい分投資したのだからそれをスクラッ プに回すことはできない」などとは決していうべきでなかろう。彼は常に将来の利益を問題にしなけれ ばならない。たとえすでにそのプロジ = クトに大量の投資を行なってしまっているにしろ、ただちに投 資を中止してその計画を放棄することが将来の利益につながるなら、そうすべきなのである。同様に、 雄に自分への多大な投資を強要している雌は、もしも、そうすること自体で雄の遺棄行為を将来にわた ってあきらめさせることができると思うなら、それはむだである。上記の戦略が家庭第一の雄を選ぶ戦 略の一つとして成立するためには、もう一つ決定的な前提が必要だからである。雌のほとんどが同じ戦 略を採用する見込みがなければならないのである。もしも集団の中にふしだらな雌がいて、妻を棄てて きた雄をいつでも歓迎しているのなら、たとえ子供に対してどれだけ多量の投資を加え済みであろうが、 雄は妻を棄ててしまうほうが得になるだろう。 つまり、事の次第は雌の大半がどう行動するかにかかっているのである。雌たちの間で結託した共同 240

6. 利己的な遺伝子

子は、暗号化した指令を送ったアンドロメダ星人に相当するばかりではない。彼らはその指令そのもの でもあるのだ。遺伝子がわれわれ操り人形の糸を直接操ることができない理由は、まさに同じこと、つ まり時間のずれにあるのである。遺伝子はタンパク質合成を制御することによって働く。これは、世界 を操る強力な方法であるが、その速度はたいへん遅い。胚をつくるには、何カ月もかけて忍耐強くタン ハク質合成の糸を操らねばならない。一方、行動の特徴は速いことである。それは数カ月という時間単 位ではなくて、数秒あるいは数分の一秒という時間単位で働く。この世に何かがおこり、フクロウが頭 上をサッと飛び去り、丈高い草むらがカサカサとなって獲物の居どころを知らせ、一〇〇〇分の一秒単 位で神経系がビリリと興奮し、筋肉がおどり、そしてだれかの命が助かったり、失われたりする。遺伝 子はこのような反応時間をもちあわせていない。遣伝子にできるのは、アンドロメダ星人と同様に、自 らの利益のためにコンビューターを組立て、「予測」できるかぎりの不慮のできごとに対処するための 規則と「忠告」を前もってプログラムして、あらかじめ最善の策を講じておくことだけである。しかし、 チェスのゲームがそうであるように、生物はあまりに多くのさまざまなできごとにであう可能性があり、 そのすべてを予測することはとうていできない。チェスのプログラム製作者の場合と同様に、遺伝子は 自らの生存機械に生存術の各論ではなくて、生きるための一般戦略や一般的方便を「教え」こまねばな らないのだ。 ・・ヤングが指摘しているように、遺伝子は予言に似た作業をおこなわねばならない。生存機械 の胚がつくられているとき、その胚の生命の危険や問題は未来にある。どんな猛獣がどんなやぶかげに ひそんでいるか、どんな足の速い獲物が目の前にとびだしジグザクに駆けぬけるか、だれにいえよう。

7. 利己的な遺伝子

ものを考え、ある種の人間のことばをお・ほえることすらできる。胎児はわれわれの種に属するがゆえに、 即もろもろの権利・特権を与えられるのである。リチャード・ライダーのいう「種主義」の倫理が、 「人種主義」の倫理よりいくらかでも確実な論理的立場にたてるのかどうか、私にはわからない。私に わかるのは、それには進化生物学的に厳密な根拠がないということである。 どのレベルでの利他主義が望ましいのかーーー家族か、国家か、人種か、種か、それとも全生物か という問題についての人間の倫理における混乱は、どのレベルでの利他主義が進化論的にみて妥当なの かという問題についての生物学における同様な混乱を反映している。群淘汰主義者ですら、敵対集団の ーどうしが互いに忌み嫌いあっているのをみても、驚きはしないにちがいない。つまり彼らは、 労働組合主義者や兵士と同じく、限られた資源をめぐる争いでは自分の集団に味方しているというのだ。 しかしこの場合、群淘汰主義者がどのレベルが重要であるかをどうやってきめているかということは、 問う価値がある。もし淘汰が同じ種内の集団間や異種間でおこるのであれば、もっと大きな集団間でお こらないのはなぜだろう。種は属で集団をなし、属は目としてまとまり、目は綱に属する。ライオンと アンテロープは、どちらもわれわれと同様に哺乳綱のメン・ハーである。では、「哺乳類の利益のため 力に」アンテロー。フを殺すのをやめるようにライオンに要求すべきだろうか。たしかに、綱の絶減を防ぐ の ためには、ライオンはアンテロープのかわりに鳥か爬虫類を狩るべきであろう。だがそれでは、脊椎動 物門全体を存続させるにはどうすればよいのだろう ? 人 背理法で論じ、群淘汰説の難点を指摘するのはこのくらいにして、個体の利他主義のみかけ上の存在 を説明しなければならない。アードリーはトムソンガゼルの「ストッティング」のような行動を説明

8. 利己的な遺伝子

なわち両者は同系交配を繰り返す実験室内のラットと同じような存在である。しかし、両者は互いに異なる独立の 近親交配プログラムの産物なので遺伝的に異なっているだろう。ちょうど別の研究室に属する白色ラットの系統と 同じようなものである。両者が交配すると、生まれる子供はきわめて強い異形接合の状態となる。ただしすべての 個体が一律にそうなのである。異形接合とは多くの遺伝子座で二つの遺伝子が互いに異なる状態であることをさす。 一律に異形接合的であるというのは、ほとんどすべての子孫個体がまったく同じ状態の異形接合になっているとい うことである。彼らは兄弟姉妹同士それそれ遺伝的にほとんどまったく同じであり、しかし同時に極度に異形接合 的なのである。 さてここで一気に時間を進めてみよう。創設ペアを擁するコロニーはかなり大きくなった。内部には遺伝的に同 ル・ペアの一方あるいは両方が死亡す 一でかっ異形接合的な若いシロアリたちが多数暮らしている。ここでロイア るとどうなるだろうか。かっての近親婚のサイクルが再び始まり、目覚ましい効果が現われる。近親交配によって 生み出された最初の世代は、前の世代にくらべて一気に変異をます。兄弟姉妹間の交配だろうと、父娘間あるいは 母息子間の交配だろうと、事情にかわりはない。どの場合も原理は同じだ。しかし兄弟姉妹の交配を考えるのが一 番単純だ。雌雄が同胞で、同一の異形接合状態にある場合、その子孫は組み換えによって遺伝的にきわめて多様な 存在となる。これは初歩的なメンデル遺伝学から導かれるもので、原理的にはシロアリだけでなくすべての動植物 に当てはまる。同一の異形接合状態の個体を、互いに、あるいは同系接合の親系統の一方と交配すると、遺伝的な 意味で活字箱が壊れたような状態になる。遺伝学の初歩的な教科書を見ればどれにもその理由は書かれているので、 ここで解説はしないでおく。私たちの当面の視点から重要なことは、シロアリのコロニーの発達のこの段階では、 個体は潜在的な子供より同胞 ( 兄弟姉妹 ) と特に遺伝的に近くなっていることである。そしてこれは、単・二倍数 ・カーストの進化の前提条件になりうるものである。 体の膜翅目のケースで見たように、利他的な不妊のワーカー しかし、個体が子供より同胞に遺伝的に近いと期待すべき特別の理由はなくても、個体が同胞に対して子供と同 じくらい近縁であると期待できるよい理由があることはしばしばある。これが真実であるための唯一の必要条件は、 504

9. 利己的な遺伝子

ここで、主観的な例にのめりこんでいないことを再確認するために、ちょっと遺伝子の用語にもどる ことにしよう。生きている体は、生存し続けている遺伝子によって。フログラムされた機械である。生存 し続けている遺伝子は、過去に平均してその種の環境の特徴をなす傾向のあった条件で生存してきた。 したがって、損得の「見積り」は人間が決断をくだすばあいと同様に、過去の「経験」にもとづいてい る。しかし、このばあいの経験には、遺伝子の経験、もっと正確にいえば、過去における遺伝子の生存 条件という特別の意味がある ( 遺伝子は生存機械に学習能力を授けてもいるので、損得の見積りのある ものは、同時に個体の経験にもとづいておこなわれるともいえる ) 。条件がとてつもなく変わらないか ぎり、その見積りはまちがいないし、生存機械は平均して正しい決断をくだすだろう。条件がいちじる しく変わると、生存機械は誤った決断をくだす可能性が高くなって、その遺伝子は罰金を払うことにな ろう。古い情報にもとづいた人間の決断が誤りやすいのと同じである。 近縁度の見積りにもやはり誤りと不確実さがっきものである。これまで述べてきた単純化しすぎた計 算では、あたかも生存機械が、だれが自分の親族で、どの程度血縁が濃いかを知っているかのように語 ってきた。実際には、このように確実に知っていることはまれで、たいてい近縁度は平均値として推定 できるにすぎない。たとえば、とが両親の同じ兄弟か異父兄弟かわからないばあいを考えてみよう。 彼らの間の近縁度は % か % なのだが、全同胞 ( 両親が同じ兄弟 ) なのか半同胞 ( 異父兄弟 ) なのかわからな いので、有効につかえる数値は平均をとって % である。彼らの母親が同じであることは確かだが、父親 が同じである確率が % であるならば、彼らが異父兄弟であることは九〇パーセント確かであり、同じ両 1 Ⅱ 0.275 で 親をもっ兄弟であることは一〇パーセント確かである。そこで有効な近縁度はト x ト十 2x ー 10 2 10 4 巧 6

10. 利己的な遺伝子

のを発見した。卵は割れていなかったので、彼らはそれを拾って元の巣へ戻し、何が起るか見たのであ る。彼らが見たものは、まさに驚くべき出来事だった。ツ・ ( メの雛が、カッコウの雛とまったく同じ動 作でカササギの卵を放り出したのである。彼らは落ちた卵をもう一度元に戻してみた。するとまったく 同じことがくり返された。ツ・ ( メの雛が採用した方法は、卵を背中にのせて小さな翼の間で・ ( ランスを とり、巣の壁面を後ろ向きによじの・ほって卵を外に転落させるというもので、カッコウと同じ方法だっ たのである。 この驚くべき観察に、アル・ ( レスらが説明を与えようとしなかったのは、賢明だったのかもしれない。 そんな行動がツ・ ( メの遺伝子。フールの中で進化するなどということは、一体どうしたら可能なのか。当 の行動はツ・ハメの普段の生活の何らかの側面に対応しているにちがいない。しかし気がついたらカササ ギの巣の中にいたなどということは、ツ・ ( メの雛にとって尋常なことではない。正常な場合、彼らが自 種以外の巣内で発見されるなどということは、決してないのである。それなら、問題の行動は逆にカッ コウに対抗する手段として進化した一つの適応なのだろうか。カッコウに対する対抗策として、自らの 武器でカッコウをやつつけるように仕向ける遺伝子が、自然淘汰によってツ・ ( メの遺伝子。フール内に拡 がったということなのか。しかし、通常ツ・ ( メの巣がカッコウの寄生を受けることがないのは、事実と 思われるのだ。もっとも、ひょっとするとこの説明が正しい可能性もありうる。この説に従えば、アル 争 の ( レスらの実験に供されたカササギの卵は、カッコウの卵と同様にツ・ ( メの卵より大形なため、カッコ 世ウに対すると同じ扱いを偶然受けてしまったのだということになろう。しかし、もしかりにツ・ ( メの雛 が正常なツ・ハメの卵と、それより大形の卵を区別しうるというのなら、母ツ・ハメも恐らく同じ能力をも 213