囚人のジレンマ - みる会図書館


検索対象: 利己的な遺伝子
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1. 利己的な遺伝子

何がおこっていたかをかなり明瞭に理解することができ、アクセルロッドはあざやかな分析を示してい る。当時の塹濠戦においては、個々の小隊にとっての未来の影は長かった。いってみれば、それそれの 塹濠にたてこもったイギリスの兵士は、同じドイツ兵の塹濠隊と何か月も対峙することが予測できたの である。さらに、一般の兵士は、かりに部隊の移動がある場合でも、それがいっかをけっして知らされ なかった。軍の命令は周知のごとく、独断的で、気まぐれで、受け取った人間には理解しがたいもので ある。したがって、未来の影は「やられたらやり返すータイプの協力を育むに足るだけ十分に長く、十 分に漠然としていた。あとは、囚人のジレンマ・ゲームに対応するような条件がありさえすればよい 真の囚人のジレンマとしての資格をもっためには、支払いが特定の優劣の順位に従っていなければな らなかったことを思いだして頂きたい。両陣営とも相互協力 (OO) が相互背信より望ましいとみなし ていなければならない。相手の陣営が協力 (QO) しているときの背信は、それで罰を受けることがな ければそれよりもいい。相手の陣営が背信 (OQ) しているときの協力は最悪である。相互背信 ( ) は幕僚たちがそうあって欲しいと願うものである。彼らは自分の兵隊たちが、非常に熱心に、機会があ るればいつでもドイツ兵 ( あるいはイギリス兵 ) をつかまえようとするのを見たいと願っている。 相互協力は将軍たちの観点からすれば望ましくない。なぜなら、それは戦争に勝っことに役立たない がからである。しかし、両陣営の兵士の観点からすればきわめて望ましいことである。彼らは撃たれるこ とを望んではいなかったからだ。だれもが認めるように ( そしてまた、このことが、真の囚人のジレン の 気マの状況をつくるために必要な他の支払い条件を満たすことになる ) 、兵士たちはおそらく、戦争に負 けるよりは勝つほうがいし 、と思う点で将軍たちと一致する。しかし、それは一個の兵士が立ち向かえる

2. 利己的な遺伝子

思われるかもしれないが、もうひとつの選択肢がより長く牢獄で過ごすことであれば、それを人がどう 見るかということである。「支払い」がドルではなく、」 刑期であったけれども、このゲームの基本的な 特徴が保存されていることに気がつくだろう ( 四つの場合の望ましさの順序を考察されたい ) 。もし、 あなた自身をそれぞれの囚人の立場におき、両方とも合理的な自己利益に動機づけられて動くと想定し、 お互いに協定するべく話し合いができないということを想起するならば、いずれの側も、お互いに裏切 り、それによって両方ともが重い刑期を宣告される以外に選択の余地がないことがおわかりいただける であろう。 このジレンマから逃れる方法はあるのだろうか ? 両方のプレイヤーとも、相手がなにをしようとも、 自分自身は「背信する」以上にうまい方策がないことをよく知っている。しかしまた、二人が協力しさ えすれば、それそれがより利益を得ることをも知っている。もし : : : しさえすれば、もし : : : しさえす れば、もし同意に達するなんらかの方法がありさえすれば、それそれのプレイヤーが相手が利己的な大 もうけに走らないと信じることができるように安心させられる方法がありさえすれば、協約を守らせる なんらかの方法がありさえすれば。 囚人のジレンマという単純なゲームにおいては、信頼を確認する方法はない。。フレイヤーの少なくと も一方が、あまりにもお人よしで、本物の聖人のようなかもででもないかぎり、このゲームは最終的に は双方の。フレイヤーにとって逆説的に貧しい結果を伴う相互背信に終わるべく運命づけられている。し かし、このゲームにはもう一つのヴァージョンがある。それは、「反復」あるいは「繰り返し」囚人の ジレンマと呼ばれている。この反復ゲームはより手のこんだものであり、そして、その複雑さのなかに

3. 利己的な遺伝子

胴元はわれわれのそれぞれから一〇〇ドルを得るのである。すべての中でいちばん可能性の高いのは、 われわれがお互いに部分的に相手を信用し、「協力ーと「背信」を多少とも入りまじった順序で出して、 最終的に、中間のいずれかの金額を得るというものである。 第十章で述べた、お互いの羽からダニを取り除いた鳥たちは、一種の反復囚人のジレンマ・ゲ 1 ・ムを していたのだ。どうしてそうなのだろうか ? 鳥にとって、自らの体についたダニを引きはがすことは 重要であるが、自分の頭のてつべんには嘴が届かず、自分にかわってそれをやってくれる仲間を必要と することを思い出していただきたい。後で彼がお返しをすべきだというのは、公平なことでしかないと 思われる。しかしこのサービスは鳥に、それほどたいしたものではないにせよ、時間とエネルギーの出 費を強いる。もし鳥がだましてーーーー自分のダニを取ってもらったあとで、お返しをすることを拒否する ことによってーーー逃げることができれば、彼は、費用を払わずにあらゆる利益を得ることができる。起 こりうる結果を順に並べてみれば、そこには実際、真の囚人のジレンマのゲームがあることがわかる。 両者が ( お互いにダニを取り合って ) 協力すればかなり得をするが、お返しするという代価を支払うこ とを拒否してもっと得をしようという誘惑も依然として存在する。両方が ( ダニを取ることを拒否し て ) 背信すれば、かなり損をするが、しかし、ほかの鳥のダニを取るための努力をしながら、自らは最 終的にダニにたかられたままという場合ほどひどい損はしない。その収支表は図のようになる。 しかし、これはほんの一例にすぎない。それについて考えれば考えるほど、人間の生活だけでなく、 動物や植物の生活さえもが、反復ジレンマ・ゲームに蝕まれていることに気づかされる。植物の生活だ って ? そう、なぜおかしいのか ? われわれが意識的な戦略 ( もっともわれわれ人間は時にそうであ 330

4. 利己的な遺伝子

れは相互背信の罰金と呼ばれる。 結果Ⅲあなたが「協力」を出し、私が「背信」を出した場合。胴元は私に五〇〇ドルを支払い ( 背 信への誘惑料 ) 、あなた ( だまされたお人よし、すなわちかも ) から一〇〇ドルを徴収する。 結果Ⅳあなたが「背信」を出し、私が「協力ーを出した場合。胴元はあなたに五〇〇ドルの誘惑料 を支払い、かもである私から一〇〇ドルを徴収する。 結果のⅢとⅣは、明らかに鏡像関係にある。つまり、一方が非常に得をし、一方が非常に損をするの である。結果—、Ⅱではお互いの損得は同じだが、—のほうがⅡよりもわれわれの両方にとってより好 ましい。正確な金額は問題ではない。それらのうちで何回がプラス ( 支給 ) で、何回かが仮にマイナス ( 徴収 ) であるかということすら、問題ではない。このゲームが真の囚人のジレンマとしての資格を もつうえで問題なのは、それらの序列なのである。背信への誘惑料は相互協力の報酬より高くなければ ならず、相互協力の報酬は相互背信の罰金よりも、そして、相互背信の罰金はかもの損失よりも、条件 が良くなければならない ( 厳密にいえば、このゲームを真の囚人のジレンマたらしめるもう一つの条件 がある。すなわち、誘惑料とかもの支払いの平均は相互協力の報酬を越えてはならないのだ。この付加 的な条件の理由は、後ほど出てくる ) 。四つの場合の結果は図の収支表にまとめられる。 さて、な・せ「ジレンマ」なのだろうか ? これを理解するためには、この収支表を眺めて、あなたと ゲームをしているときに私の頭の中をよぎる思考を想像していただかなければならない。あなたが出せ の 気 るカトが「協力ーと「背信」の二枚しかないことを私は知っている。順序よく考えてみよう。もしあ なたが「背信」を出したならば ( これは、この図の右の欄を見なければならないことを意味してい 32 )

5. 利己的な遺伝子

いによって識別されるのであり、その動機 ( もっていないのだから ) でもなければ、その作者 ( そのプ ログラムがコン。ヒューターで走らされるときには、背景の中に姿を消してしまっている ) の性格でもな 3 いや、実はどんなことにもいっさい い。コン。ヒューターの。フログラムは、その戦略に気づくことなく、 気づいていなくとも、戦略的なやり方で振るまうことができるのだ。 もちろんわれわれは、無意識の戦略、あるいは少なくとも意識がいずれにせよ関係しないような戦略 という考えかたには、すっかりおなじみになっている。本書のさまざまなページには、無意識の戦略が ふんだんに出てくる。アクセルロッドのプログラムは、われわれが本書を通じて、動物、植物、そして 実は遺伝子について考えてきたやり方にとって、一つのみごとなモデルである。したがって、彼の楽観 的な結論 ( 妬み深くなく、寛容で、気のいい戦略の勝利 ) が、自然界にも適用できるかどうかと問うの は自然なことである。答えはイエスで、当然そうなるのである。唯一の条件は、自然がときどき「囚人 のジレンマ」ゲームを設定しなければならないこと、未来の影が長くなければならないこと、そしてそ のゲ 1 ムがノンゼロサム・ゲームでなければならないことである。このような条件は、生物界のいたる ところで確実に満たされている。 ハクテリアが意識的な戦略家だなどといった人はだれもないだろうが、寄生性のバクテリアはおそら く、その寄主と終わることのない囚人のジレンマ・ゲームを戦っている。そして、彼らの戦略にアクセ ルロッド流の形容詞ーー寛容、妬み深くない、などーーーを当てはめてはいけないという理由は存在しな 、 0 アクセルロッドとハミルトンは、通常は無害で利益を与えてくれるバクテリアが、怪我をした人間 においては意地悪に変わり、致命的な敗血症を引き起こすことがあると指摘している。医者はその人の

6. 利己的な遺伝子

る区別はあまりにも単純にすぎる。各。フレーヤーがゲームがどれくらい長くつづきそうかについてのた えず更新される推測値をもっているかのように振るまうと予想することもできるはずだ。その推測値が 長ければ長いほど、彼は真の「反復囚人のジレンマ」ゲームに関する数学者の予測によりよく従う形で プレイするだろう。言いかえれば、より気がよく、より寛容で、より妬みを示さなくなる。ゲームの未 来についての推測値が短ければ短いほど、彼は、一回限りのゲームに関する数学者の予測によりよく従 う形でプレイする傾向をもつだろう。言いかえれば、より意地悪で、より妬み深くなるのである。 アクセルロッドは未来の影の重要性を示す感動的な実例を、第一次世界大戦中に生じた、いわゆる 「われも生きる、他も生かせ」方式という注目すべき現象から引いている。彼が基づいた資料は、歴史 家で社会学者のトニー ・アシュワースの研究である。クリスマスにイギリスとドイツの部隊が中間地帯 で一時的に親しく交わりいっしょに酒を飲んだことは非常によく知られている。しかし、非公式で暗黙 の不可侵協定、「われも生きる、他も生かせ」が、前線のあらゆるところで、一九一四年にはじまって 少なくとも二年間はりつばに通用していたという事実はあまり知られていないが、私の意見ではこっち ざんごう のほうが興味深い。塹濠に巡視に訪れたとき、自軍の前線の背後のライフル射撃場内部をドイツ兵が歩 き回っているのをみてびつくりした一人の上級将校の言葉が引かれている。「我がほうの兵はまったく 気にとめてないようにみえた。我が軍が優勢になったあかっきには、この種のことを廃止しようと私は 決意した。このようなことは許されるべきではない。 こういった連中は明らかに戦争中だということが わかっていない。両陣営とも《われも生きる、他も生かせ》の原則を信じきっているように見えた」。 この時代にはまだ、ゲーム理論と囚人のジレンマは発明されていなかったが、後知恵をもってすれば、

7. 利己的な遺伝子

ということになるだろう。そしてそれそれ、相手のプレイヤーがそのことを計算して、最終ラウンドで 背信するという決定を確実にくだすであろうと、考えることができる。こうして、最終ラウンドは予想 可能なものとして片づけることができる。しかし、そうなれば九九ラウンドも一回かぎりのゲームに等 しくなり、それそれのプレイヤーにとって、この最後から二回目のゲームにおける唯一の合理的な選択 は、やはり「背信」となるだろう。九八回目も同じ論理に屈することになり、そしてどんどんさかの・ほ っていく。二人の厳密に理性的なプレーヤーは、それそれの相手も厳密に理性的であると想定すれば、 もしゲームが何回目で終わるべく定められているかを両方が知っているなら、背信する以外になすすべ カ / し この理由によって、ゲームの理論家が「反復囚人のジレンマーゲームについて語るときには、 彼らはつねに、ゲームの終わりは予想不可能であるカオし 、、よ、しは胴元しか知らないということを仮定し ている。 ゲームの正確なラウンド数が確実にわかっていなくても、現実の生活においては、そのゲームがどれ くらい長く続くだろうかを統計的に推測することがしばしば可能である。この評価が戦略の重要な部分 るになることがありうる。もし胴元がそわそわし、時計を見やるのに気がつけば、私はゲームが終わりに こ 近づきつつあると十分に推測でき、したがって、背信への誘惑にかられることになるたろう。もし私が、 あなたもまた胴元のそわそわに気づいたのではないかと疑えば、あなたもまた背信をもくろんでいるの ではないかと不安になるだろう。きっと私は、自分のほうが先に背信したいと願うだろう。とりわけて、 の 気私は、あなたが私の背信を恐れているのではないかなどと恐れたりするかもしれないから。 一回限りの「囚人のジレンマ」ゲームと「反復囚人のジレンマーゲームのあいだに数学者が設けてい 359

8. 利己的な遺伝子

選択ではない。戦争全体の帰結が、彼が個人として何をなすかによって実質的な影響を受けるというこ とはありえない。一方、無人地帯をはさんだ向こう側であなたと対峙する特定の敵兵との相互協力は、 あなた自身の運命にきわめてはっきりとした影響を与えるのであり、相互協力は相互背信よりもはるか に望ましい。たとえあなたが、もし罰を受けないですむのなら、愛国的あるいは規律上の理由から、ぎ りぎりのところで背信 (20) の方を好むということがあったとしてもである。この状況は真の囚人の ジレンマであったと思われる。そうなれば、「やられたらやり返す」に似たものが生じてくることが予 測できるが、それが実際にそうなったのである。 塹壕の前線のどこか任意の地点における局地的に安定な戦略は、必ずしも「やられたらやり返す」そ のものとは限らない。「やられたらやり返す」は、気がよく、報復はするが寛容という一グル ! プの戦 略のなかの一つにすぎず、これらの戦略はすべて、専門的に言えば安定ではないにせよ、少なくとも一 度生じてしまえばそれに侵入するのは困難である。たとえば、当時の記事によれば、「一発に三発返す」 がある地域に局地的に生じている。 : ドイツの作業班も外に出ていたので、発砲は礼儀にかな われわれは夜に塹壕の前へ出かけた。・ うとはみなされなかった。本当に意地の悪いのは小銃榴弾という代物だ。 : : : 塹壕の中に落ちれば : だが我が方はドイツ軍がよほどやかましく撃って 八人から九人もの人間を殺すことができる。 こないかぎりけっしてそれを使わない。なぜなら、彼らの報復のやり方では、こちらが一発撃つご とに三発返ってくるからた。 362

9. 利己的な遺伝子

たは、それに劣らず申し分のない論理によって、まったく同じ結論をだすことになるだろう。したがっ て、二人の理性的なプレイヤーが対すると、両者とも背信し、ともにわずかな、あるいは低額の利得で 終わることになるだろう。しかし、二人とも、もし双方が「協力、を出しさえしていれば、相互協力の ゆえに比較的高い報酬 ( われわれの例では三〇〇ドル ) を得られたはずであることを、完全によく知っ ている。これこそ、このゲームがなぜジレンマと呼ばれるか、な・せそれが気の狂うほど逆説的に見える のか、な・せそれに対抗する法則が存在するべきだと提案されてきたかの理由である。 「囚人ーというのは、一つの特別な想像上の例に由来する。この場合の通貨は金でなくて、囚人の刑 ーリアティと呼ばれる二人の人物が、ある一つの犯罪における共犯の疑い 期である。。ヒータースンとモ で投獄されている。それそれの囚人は、独房の中で、共犯者に対する不利益な証言をすることによって、 仲間を裏切る ( 背信する ) ように誘惑される。処分は二人の囚人が何をするかによってきまり、どちら ーリアティに一切の罪を着せ、モーリ も相手がどうしたかについて知らない。もし、ビータースンがモ アティが黙秘することによって ( 裏切り者であることが判明したかっての友に協力して ) 、その話に信 る憑性を与えれば、モーリアティは重い刑期を受けるのに対して、ビータースンは無罪放免になり、背信 に対する誘惑に屈服したことになる。もしそれそれが裏切ると、両者とも罪に問われるが、証拠を与え がた点で多少の信用を得て、まだ厳しいけれどもいくぶんかは軽減された刑期、すなわち相互背信の罰を 得ることになる。もし、両者が協力して ( お互いに関してで、当局に対してではない ) 、証言を拒否す の 気 ると、主要な犯罪に関して二人のうちのどちらについても有罪にする十分な証拠が存在しないので、よ写 り軽徴な罪に対する短い刑期、すなわち相互協力の報酬を受け取る。刑期を「報酬」と呼ぶのは奇妙に

10. 利己的な遺伝子

アクセルロッドは彼の初期の結果をいろいろの人に回覧して、二回目のトーナメントに戦略を提出す るように招請したが、私もそのうちの一人だった。私はそれに応じなかったが、そのかわりに一つの示 唆を与えた。アクセルロッドはすでにの用語で考えはじめていたが、私はその傾向はきわめて重 、、ルトンと接触をとるように手紙ですすめたのである。ハ、、レ 要だと感じていたので、彼に・・ 不冫いたの トンは当時、アクセルロッドはそのことを知らなかったのだが、同じミシガン大学の別の学斗こ 、、ルトンと接触をとり、その後におこなわれた二人の共同 である。アクセルロッドは実際にただちにハ、 研究の成果が、一九八一年の「サイエンス」誌に発表されたすばらしい共著論文である。この論文は全 ーコーム・クリーヴランド賞を獲得した。反復囚人のジレンマの嬉しくなるほど 米科学振興協会のニュ 、ルトンは、私が 奇抜な生物学的実例のいくつかについて論じることに加えて、アクセルロッドとノミ 的アプローチの正当な認識とみなすものを与えている。 ーナメントで適用された「総当たり」方式と比べ 的ア。フローチを、アクセルロッドの二回のト てみよう。総当たり戦というのはサッカーのリーグ戦のようなものである。それそれの戦略が他の戦略 のそれそれと同じ回数だけ対戦する。一つの戦略の最終得点は、他の戦略すべてとの対戦で獲得した得 点の総計である。したがって、総当たり戦のトーナメントで勝利するためには、人々がたまたま提出し がたほかのすべての戦略に対してうまく対抗できなくてはならない。幅広いほかの戦略に対してうまくゆ カつけた名は「頑健 (robust) 」である。「やられたらやり返す」は「頑 く戦略に対してアクセルロッド : 気健な」戦略であることが判明した。しかし人々がたまたま提出した一連の戦略は恣意的なセットである。 の最初のトーナメントで これこそ先にわれわれを悩ませた点である。そして、たまたまアクセルロッド 341