なのではあるまいか。いずれの場合も、表現を神秘的に解釈されてはこまる。目的の観念はいずれにお いても単なる比喩にすぎないのだ。しかし、遺伝子の場合にこの比喩がどんなに有用だったかはすでに 見たとおりである。われわれは、それが単なる比喩であることを十分承知した上で、遺伝子に対して、 「利己的な」とか、「残忍な」とかいう形容詞をさえ用いたほどである。これらの場合とまったく同じ心 構えで、利己的なミー ムや残忍なミームを物色することができるだろうか。 ここで、競争の性質をめぐる問題を一つ考えておきたい。有性生殖の場合、個々の遺伝子は、対立遺 伝子、すなわち染色体上の同じ場所を占めようとするライバル遣伝子、という特別な相手と競争してい る。 ミームには、染色体に相当するものがあるとは思えず、したがって対立遺伝子に相当するものもな いように見える。ごくささいな意味でなら、多くの観念には「対立する観念」があるともいえよう。し かし、一般にミームは、きちんと対を作った多数の染色体の形で存在する今日の遺伝子とはあまり似て おらず、むしろそれは、かって原始スープの中を無秩序きままに漂っていた初期の自己複製分子のほう ムは互いに競争しているのだろうか。対立ミーム に似ているのである。では、一体どんな意味で、ミー がないのに、 ムは「利己的」だったり、「残忍」だったりできるのか。おそらく可能だろうという のが私の答えである。ある意味で、彼らは互いに一種の競争を行なわねばならないからである。 ディジタル・コンビューターを使用されたことのある読者は、コンビューターの演算時間や記憶容量 がどんなに貴重なものか御存知たろう。多くの大規模な計算機センターでは、それらを文字どおり料金 に換算しているか、あるいは使用者に、秒単位の使用時間と、「文字」の数で表わされた記憶容量をそ ミームの住みつくコンビューターである。そこでは、時 れそれ一定量ずつ割当てている。人間の脳は、 314
においてすでに母親は、どの子供に対しても父親以上に深く「身を投じて」しまっているのである。当 の子供が死んた場合、彼女は父親より多くのものを失う立場にある。さらにもう一つ、死んだ子の代りち に将来新たに子供を一頭育てるにしても、失った子供と同じ段階までそれを育てるために彼女が投資せ ねばならない量は、父親のそれより多いにちがいない。母親が、子供を父親のもとに残して別の雄のも とへ走るという戦術をとると、父親のほうも子を棄てるという形で報復しかねない。しかも子を棄てた 場合、雄のこうむる損失は雌に比べればわずかなのだ。このため、少なくとも子供がまた幼いうちは、 配偶者の遺棄が起るとすれば、父が母を棄てるのが普通で、逆はまれなのである。同様にして雌は、最 初ばかりではなく、子の成長の全期間にわたっても雄以上の投資を行なうはずだと予想される。たとえ ば哺乳類の場合、自分の体内で胎児を育てるのも雌、生まれた子供に乳を与えるのも雌、子の養育と保 護の重荷をしよいこむのも雌という具合だ。雌性とは搾取される性であり、卵子の方が精子より大きい という事実が、この搾取を産み出した基本的な進化的根拠なのである。 もちろん、父親が勤勉かっ忠実に子のめんどうをみるような動物もたくさんいるのは確かである。し かしそのような動物の場合でも、子に対する投資をやや少なめにさせ、別の雌とさらに余分な子供を作 ろうとさせるような進化的圧力が、ある程度雄に作用しているのは普通とみるべきである。つまり、雄 の体にのりこんだ際、ライ・ ( ルの対立遺伝子の指示よりやや早めに配偶者を棄てて別の雌を追わせるよ うに雄を仕向ける遣伝子のほうが、遺伝子プール内で成功する見込みが高かろうということである。こ の進化的圧力が実際にどの程度の強さを示すかは種ごとで大幅に異なっている。ゴクラクチョウの仲間 のように、雌が雄の援助をまったく受けず、単独で子育てを行なう例はたくさんある。一方ミッュビカ
られるもので、鳥や哺乳類、魚類ばかりか、昆虫ゃあるいはイソギンチャクですら知られている。なわ ばりは、ロビンの場合のように広範囲の林地であることもある。この場合その地域は子育て中のつがい の主な採食場所となっているのだ 0 またなわばりは、セグロカモメの場合のように小面積のこともある。 この場合にはなわばりの中に食物はないが、その中央に巣がある。なわばりをめぐって闘う動物は、一 片の食物のような現実的な目的物の代りに、特権を保証する印となる代用的な目的物をめぐって闘って いるのだとウインエドワーズは信じている。多くの場合、雌は、なわばりをもたない雄とはつがいを つくろうとしない。それどころか、連れ合いの雄が闘いに破れ、別の雄がなわばりを手に入れると、雌 はさっさとその勝者のほうへ鞍がえしてしまうこともしばしば起る。一見貞節な一夫一婦制を示す種の 場合ですら、雌は雄と個体的に結びつくというより、むしろ雄の所有するなわばりと結婚するのかもし れないのである。 個体群があまり大きくなると、なわばりをもてない個体ができ、彼らは繁殖できないことになろう。 ウインⅱエドワーズによれば、なわばりの獲得は繁殖への切符あるいは許可証を手に入れるようなもの である。成立しうるなわばりの数には限りがあるので、いわば繁殖許可証の発行数が限られているよう なものだ。だれがこれらの許可証を獲得するかをめぐって個体は相争うだろう。しかし、個体群全体が 産み出しうる子の総数は、成立可能ななわばりの数によって制限されてしまうのである。アカライチョ ウの場合のように、一見すると確かに個体が自己規制を実行しているようにみえる例もいくつかある。 な・せならこれらの場合、なわばりを獲得できなかった個体は単に繁殖しないばかりでなく、なわばりの 獲得をめざして闘うことすら放棄しているように見えるからである。彼らはあたかも一羽残らす、以下 178
ここでもまた、まず単純な「モデル」から議論を出発させよう。これは確かに抽象的なしろものだが、 現実の世界を理解する助けになるのだ。いま、捕食者に狩られるある動物を考える。ここで、捕食者は 一番身近にいる被食者個体を襲う傾向があるとする。捕食者の立場からすればこれは当然の戦略である。 エネルギーの消耗が少なくてすむはずだからである。他方、被食者の側からすると、これが一つの興味 深い結果をもたらすことになる。被食者個体は、捕食者に一番近い位置に置かれる羽目にならないよう に、それそれ絶えず努力するだろう。もしも被食者が遠くから捕食者を見つけられれば、彼は遁走する ことでこと足りる。しかし、もしも捕食者が、たとえば丈の高い草に身を隠して行動することによって、 何の予告もなしに突然姿を現わす傾向があるとしたらどうなるだろうか。この場合も、個々の個体には、 捕食者に一番近い場所に置かれてしまう確率を最少化する手段があるのである。個々の被食者はいわば 「危険領域」とでもいうべきものに囲まれているのだと想定することができる。この領域は、その範囲 内の任意の点から当の個体までの距離が、その点から他のいずれの個体までの距離より短いような領域 と定義されている。たとえば、被食者個体が規則的な幾何学的隊形を作って行進しているとすると、そ れそれの個体 ( 外縁にいる個体は別にして ) をとりまく危険領域は、ほ・ほ六角形を示すこととなろう。 もしも、個体 < の六角形の危険領域内に捕食者が潜伏していると、食われる可能性のあるのは個体と いうことになるわけである。群れの外縁にいる個体は特に危険が大きい。彼らの場合、危険領域は相対 的に小面積な六角形とはならず、群れの外側の方向に広い範囲をもっ形になってしまうからである。 さて、賢明な個体が自分の危険領域をできだけ狭くしようとしたがることははっきりしている。なに よりもまず、彼は群れの外縁に位置しないように努力するはずだ。もし自分が外縁にいることに気づい
を横取りするために既存の弟妹、および将来生まれる可能性のある弟妹のこうむる損失が、彼の得る利 、巻末の訳者補注 2 0 益のちょうど 2 倍になってしまう量のことなのであるの④式より明らか 次は、離乳の時期をいつにすべきかという問題を考えることにしよう。母親は、次の子供を育てるの に備えて、現在世話をしている子供への授乳を打ち切ろうとするだろう。一方、現に世話を受けている ミルクは便利で手間のかからぬ食物であり、彼 子のほうは、まだ離乳されたくないとがんばるはずだ。 は親元を離れて、自分で働いて生活をたてるべきだなどとは望まないからである。もっと正確にいうと、 彼は最終的には確かに、親元を離れて自活しようとするのである。ただしそれは、自分が親元に居すわ っているより、そこを去って母親が彼の小さな弟妹を自由に育てられるようにしたほうが、彼自身の遺 伝子にとっても有利になるような時点が来てからの話なのだ。単位量のミルクによって子供が受ける相 対的な利益は、子供の年齢が高くなるほど小さくなる。子供が大きくなるに従って、彼の要求量の中で 単位量のミルクが占める割合は小さくなってゆき、一方、強制された場合にうまく自活する能力は、・こ んだんに増大してゆくというのが、その理由である。つまり、年上の子供が、幼ない子供に投資しえた はずのミルクを一バイント飲んでしまうと、彼が母親から奪ってしまう親による保護投資の量は、幼い 子供がその一バイントを飲んだ場合より、相対的に大きくなるのである。子供が大きくなってゆくと、 やがて、彼に対する給餌を中止して、代りに新しい子供に投資したほうが母親にとって有利となる時期 が訪れる。この時期よりいくらか後には、今度は年上の子供の遣伝子自身も、離乳によって有利となる 時期が来るだろう。一。 ( イントのミルクが、彼の体内にある遺伝子よりも、彼の弟妹に伝えられている はずのそのコビーたちのほうに、より大きな利益を与えることができ始める時が、まさしくその時期に 204
最大にしうるような一巣卵数を選択するのだ。三個の卵というのが、ツ・ ( メにとってもし最適一巣卵数 であるなら、これに対するラックの解釈は次のようになる。子供を四羽育てようとする個体が最終的に 育て上げうる子の数は、もっと用心深く三羽しか育てようとしないライ・ ( ルが育て上げうる子の数より、 結局少なくな 0 てしまうのだ。明白な理由として考えられるのは、雛を四羽かかえてしまうと、それぞ れにゆきわたる食物の量がわずかになってしまうため、成鳥の段階まで生き残れるものがほとんどいな くなってしまうということだろう。これは、四個の卵に初めに分配される卵黄量、そして孵化後子供に 与えられる食物量の両者にあてはまるはずである。つまり、ラックに従うなら、個体が一巣卵数を調節 する理由には、利他的なところなどまったくないということになるのである。彼らが産児剏限を行なう のは、集団のための資源を過剰に利用しないようにするためなどではない。実際に生き残る自分の子供 の数を最大化するために、彼らは産児制限を実行するのである。これは、普通われわれが産児制限に結 びつけている理由とはまさに正反対の目標である。 雛を育てるのは大変高くつく仕事である。まず卵を造るために、母鳥は大量の食物やエネルギーを投 資しなければならない。おそらく配偶者の手助けはあるたろうが、卵を抱いて保護するための巣を作る のにも、彼女は大変な努力を費すのた。さらに両親は数週間にわたって忍耐強く卵を抱き続ける。そし て雛がかえると、親鳥たちは自らを酷使して、ほぼ休むことなく雛たちに食物を運び続けるのである。 すでに紹介したことだが、シジ = ウカラの場合、一羽の親鳥は、日中三十秒ごとに平均一回の割合で食 家 物を巣へ持ち帰るのである 0 われわれ人間のような哺乳類の場合、事情は多少異なっているとはいうも のの、繁殖が、特に母親にとって大仕事である点は変わりがない。もし母親が、食物や子育てのための
る。従って , ワーカー ( x ) に対する妹 ( Y ) の近縁度は , これら二つの場合 を平均して , p , = 1 / 2X1 / 2 十 1 / 2X 1 = 3 / 4 となる。ちなみにこの場合 , P ェ y = Py ェ = 3 / 4 である。 次に Y が弟の場合を考える。上例と異なる点は , 父ゆずりの G が Y に伝 わる確率が , ゼロとなることである ( 雄は父親をもたない / ) 。従って , ワーカー ( x ) に対する弟 ( Y ) の近縁度は , P ェ = 1 / 2X1 / 2 + 1 / 2x 0 = 1 / 4 となる。ただしこの場合 , p ェ y 十 p ”で , Py , は 1 / 2 の値をとる。確かめてこ らんになるとよい。 ところで , ワーカーが , 弟妹を 1 : 1 の比で育ててしまうと , 彼女に対 する弟妹の平均近縁度は , 1 / 2X3 / 4 + 1 / 2X1 / 4 = 1 / 2 となり , これでは , 同数の子供を育てるのと同じ結果になる。この場合 , 弟妹の養育が G の伝 達にとって有利となるためには , 弟より妹を多く育てねばならない。もし 妹だけを育てることができれば , P ェ = 3 / 4 となるのだが , 妹だけを育てる トリヴァースとヘアは , この場合 , 妹 : 弟 = 3 : 1 戦略は ESS ではない。 の比が , G にとっての ESS になると予想したのである ( 補注の 507 ー 8 ペー ジも参昭 ) ( ⅳ ) 530
遇する個体のほとんどに毛づくろいをしてやることになり、そのために多大なエネルギーを費す羽目に 陥るからである。しかも、この場合、お返しに彼の毛づくろいをしてくれる者は皆無なのた。ごまかし 屋に比べて、恨み屋がまれな場合には、恨み屋の遺伝子は絶減してしまうだろう。しかし、恨み屋の数 が増して、集団中に占める彼らの割合がある臨界値に到達できれば、彼らどうしの出会う確率が十分高 くなり、ごまかし屋を毛づくろいすることで浪費される努力量を相殺できるようになる。この臨界値に 到達すると、恨み屋はごまかし屋より高い平均利得を上げるようになり、ごまかし屋はそれ以後加速度 的な速さで絶滅に追いやられはじめる。しかし、ごまかし屋が絶滅寸前まで減少すると、彼らの減少率 は低下しはじめ、かなり長期にわたって少数者として生存し続けることになるだろう。少数になったご まかし屋個体が、同一の恨み屋に二度遭遇する確率はごく低いというのがその理由である。任意のごま かし屋に恨みをいだいている個体は、集団中のごく一部に限られてきてしまうからである。 以上三つの戦略に関して、私は、あたかも何が起るかは直観的に自明であるかのようにお話ししてき た。しかし実際はそれほど自明なわけではなく、私は事前にコンビューターでシミュレーションを行な って、その直観が正しいことをちゃんと確認しておいたのである。恨み屋戦略は、お人よし戦略、ごま かし屋戦略に対して実際に進化的に安定な戦略としてふるまう。すなわち、大部分が恨み屋から成る集 団には、ごまかし屋もお人よしも侵略できないということである。しかし、ごまかし屋もまた進化的に 安定な戦略である。大部分がごまかし屋の集団は、恨み屋、お人よしのいずれの戦略にも侵略されない からだ。集団は、これら二つの進化的に安定な戦略のどちらかに落ち着くことになる。長期的に見れば、 一方から他方への変化も起りうる。それそれの利得に実際にどんな数値を与えるかによって、これら二
在しないのである。最終的には、子と親がそれそれに期待する理想的状態の間の何らかの妥協という形 で決着がつけられることとなろう。この争いは、カッコウとその里親の間にみられる争いに類似したも のなのである。親子の争いの場合、敵対者は互いにある程度の遣伝的利益を共有しており、したがって カッコウと里親の場合ほど対立が激しくないことは確かである。親と子は、一定の限度、あるいはまた 間 ( 巻末訳 ) の間においてのみ、対立関係を形成するのである。しかしながら、子供は、 自分の親に対して、カッコウが採用しているのと同様な戦術や、詐欺の手法、そして利己的な労働の搾 取の手法などを行使するだろう。もっとも、カッコウの場合には完璧な利己性の行使が予想されるのに ひきかえ、子が自分の親に対する場合には、その利己性はカッコウほど徹底的にはならないだろう。 本章と、そして配偶者間の対立の問題をとり扱う次章は、現に子供たちに対して、また互いに相手に 対して献身している人間の親たちには、ひどく冷笑的で、それどころか彼らにみじめな感じを抱かせる ようなものと受けとられるかもしれない。そこで、私はもう一度ここで、私が意識的な動機について語 っているのではないことを強調しておかねばならない。私は、利己的な遺伝子の働きによって、子供た ちが意図的、意識的に親をあざむくのたなどと主張しているわけではまったくない。もう一度念を押し ておかねばならないことがある。「詐欺や : : : うそ、べてん、利己的な搾取 : : : 等を行使しうる好機を 子供は見逃すべきではない」などといったいい方を私がする場合、「すべき」という言葉を私がある特 殊な意味で使っているという点である。私はその種の行動が道徳的で望ましいものだなどと主張してい るわけではない。私は単に、そのようにふるまう子供のほうが自然淘汰においては有利にちがいなく、 それゆえ、野生の動物を観察した場合、家族の内部には詐欺行為や利己的行為が見られるだろうといっ
可能性がありそうだ。かりに、ある子供とその兄弟が同い年で、しかも両者いずれも、母親の一バイン トのミルクで同じ利益を受けうる立場にあるとすると、彼はその公平な配分量以上を奪取するよう努力 「すべき」であるし、その兄弟のほうも、同じく公平な配分量以上の獲得をめざしてがんばるべきなの た。母豚が授乳のために横になると、一番乗りをしようと子豚たちがキイキイ大騒ぎするのを、読者は 聞かれたことがおありだろうか。あるいは、ケーキの最後の一片をめぐって小さな男の子たちが先を争 う様子はどうだろうか。利己的な欲張り根性は、子供たちの多くの行動に特徴的なように思われる。 しかしこれで話がっきるのではない。かりに一口の食物をめぐって、私が弟と競合しており、しかも 弟は私よりはるかに年下のため、その食物によって彼が受けうる利益は、私がそれによって受けうる利 益より大きいとしたらどうなるだろう。おそらく、その食物を彼にとらせてしまったほうが、私の遺伝 子にとっても有利となりうるのだ。年上の兄弟は、子に対する母親の場合とまったく同じ根拠から、年 下の兄弟に対して利他的行動を示すはずなのである。先にみたように、いずれの場合でも近縁度は % で あり、しかもいずれの場合も、年の若い個体のほうが、年上の個体より問題の資源を有効に利用できる はすだからである。かりに、食物を放棄する遺伝子を私がもっているとすると、まだ赤ん坊の弟が、同 じ遺伝子を所有する可能性は五〇 % になる。この遺伝子は私の体の中にある遺伝子であるから、それが 私の中にある可能性は、弟の場合の二倍、すなわち一〇〇 % であるが、私がその食物を必要とする緊急 間さは、弟の場合のそれの驪以下となりうるのである。以上を一般的に言い直せば次のようになる。おの 代 世 おのの子供は、公平な割当量以上に親による保護投資を手に入れようとがんばる「べき」であるが、し かしそれにはある限度があるのである。しかし、どこがその限度なのか。その限度量とは、彼がその分 203