に道を譲り、それも二羽の体の大きさに無関係にそうであることに気づいた」。 私の知るかぎり、逆説的戦略のもっとも満足すべき実例には、スキナー箱の家畜プタが関わっている。この戦略 はと同じ意味で安定であるが、 ()n ()n (developmentally stable strategy 発生的に安定な戦略 ) と呼ぶほ うがいいだろう。なぜなら、それは動物の進化的な時間を通じてというよりその動物自身の生涯を通じて生じてく るものだからである。スキナー箱というのは、動物がレ・ ( ーを押して自分で餌をとることを学習する装置であり、 トやネズミを小さなスキナー箱に押し込む すると自動的に餌がシュートから落とされる。実験心理学者たちは、ハ ことに慣れ親しんでいる。入れられた動物はすぐに、食物という報酬のためにデリケートなレ・ ( ーを押すことを学 。しいがたい鼻づらで押す方式のレ・ハーのついた巨大なスキナー箱で同じこ 習する。・フタも、とてもデリケートとよ、 とを学習することができる ( 私はその研究用映画を何年も前に見たことがあり、ほとんど思い出しては笑い死にし ーズはプタをスキナー豚箱で調教したのだが、この話にはも そうになる ) 。・・ポールドウインと・・ う一ひねりがある。鼻づらで押すレ・ハーは豚箱の一端にあり、食物供給器は反対の端にある。そこでプタはレ・ハー ーのところへ大急ぎで戻り、ま を押したあと、獲物を得るために豚箱の反対の端に向かって走り、そしてまたレ・ハ た同じことを繰り返す。これですべて非常に申し分ないように聞こえるが、しかしポールドウインとミーズはペア にしたプタを装置の中に入れた。今や一頭のプタが他方の・フタを搾取することができる。「奴隸」・フタは行ったり 来り走りまわりながら・ハーを押す。「主人」・フタは食物が出てくるシュートの前に座って、食物が与えられると食 べる。。ヘアのプタは実際にこの種の安定した「主人 / 奴隸」パターンに落ち着き、一方が働き走り回り、もう一方 がほとんどを食べるようになったのである。 さてそこで逆説だ。「主人ーと「奴隸」というラベルはまったくあべこべに逆転するべきものである。一組の。へ アが安定した。ハターンに落ち着いたときにはいつでも、「主人」すなわち「搾取する」役割を演じることになった ・フタは、ほかのすべての点で劣位の個体であった。いわゆる「奴隸ー・フタ、あらゆる仕事をした・フタは、ふつう優 位の個体だった。プタたちを知っている人間はだれでも、逆に、優位のプタが主人でほとんどを食べ、劣位の・フタ 456
・、レとの化学的戦いや偶然 生存機械は遣伝子の受動的な避難所として生まれたもので、最初は、ライ , / の分子衝撃の被害から身をまもる壁を遺伝子に提供していたにすぎなかった。当初彼らはスープの中で 自由に利用できる有機分子を食物にしていた。この気楽な生活が終りをつげたのは、多大な年月にわた る日光の活発な影響のもとでスープの中に育まれた有機性食物がすっかり使いはたされたときだった。 今日植物とよばれている生存機械の主要な枝は、生存機械自らが直接日光をつかって単純な分子から複 雑な分子をつくりはじめ、原始スー。フの合成過程をいっそう大きな速度で再演した。動物とよばれるも う一つの枝は、植物を食べるか他の動物を食べるかして、植物の化学的仕事を横どりする方法を「発 見」した。生存機械の二つの枝は、さまざまな生活方法で自己の効率を高めるべくさらに巧妙なからく りを発達させ、たえす新たな生活方法を開発していった。この二つの枝からは小枝やそのまた小枝が出 て、特殊化した生活様式を進化させた。それらはそれそれ、海で、地上で、空中で、地中で、樹上で、 はては他の生物の体内で、くらしをたてることにたけていた。この枝わかれが、今日われわれを感動さ せるほどの動植物の多様性を生みだしたのである。 4 遺伝子機械
本書では、動物個体というものが、あたかも遺伝子の保存という「目的」をもって活動する、生存機 械であるかのようにみなしている。この比喩に従って、私たちは、親子の争い、すなわち世代間の争い を論ずることができるのである。これは、両者があらゆる手を打って展開する陰険な闘いである。子は 親をだます機会を逃がしはしない。彼は実際以上に空腹な振りをしたり、あるいは実際より幼い風を装 ったり、さらには、実際以上の危険にさらされているように見せかけたりするだろう。親を物理的にお どすには、彼は小さすぎるし弱すぎる。しかし彼にはうそ、詐欺、べてん、利己的利用など、自由に使 える心理的な武器がある。それらによって血縁者がこうむる不利益が、遺伝的近縁度の許容しうる限度 をこえるぎりぎりのところまで、彼はそれらあらゆる心理的武器を駆使するのだ。一方親たちは、詐欺 やべてんに対する油断をおこたってはならず、それにだまされぬように努めねばならない。これは一見 簡単なことのように思えよう。空腹度について子がうそをつきがちなことをかりに親が知っているとす れば、親は、子に一定量の食物しか与えず、たとえ子がさわぎ続けたとしても、それ以上は給餌しない という方策を講じることができるだろう。この方策をとる際に問題となる一つの点は、子がうそをつい ていなかった場合に、もし給餌を受けなかったために彼が死亡するようなことになれば、その親は貴重 な遺伝子を何がしか失ってしまうだろうということである。野鳥はほんの数時間食物を与えられなかっ ただけでも、死亡することがあるのだ。 ・ザハヴィは、子供がとてつもなく悪魔的な恐喝を行なう可能性があると指摘している。彼によれ ば、子は捕食者をわざわざ巣に引きつけるような仕方で、鳴きわめくことがあるというのである。その 子供は、「キツネサン、キツネサン、ぼくを食べにおいで」と「いっている」のだ。子の鳴きわめくの 208
られるもので、鳥や哺乳類、魚類ばかりか、昆虫ゃあるいはイソギンチャクですら知られている。なわ ばりは、ロビンの場合のように広範囲の林地であることもある。この場合その地域は子育て中のつがい の主な採食場所となっているのだ 0 またなわばりは、セグロカモメの場合のように小面積のこともある。 この場合にはなわばりの中に食物はないが、その中央に巣がある。なわばりをめぐって闘う動物は、一 片の食物のような現実的な目的物の代りに、特権を保証する印となる代用的な目的物をめぐって闘って いるのだとウインエドワーズは信じている。多くの場合、雌は、なわばりをもたない雄とはつがいを つくろうとしない。それどころか、連れ合いの雄が闘いに破れ、別の雄がなわばりを手に入れると、雌 はさっさとその勝者のほうへ鞍がえしてしまうこともしばしば起る。一見貞節な一夫一婦制を示す種の 場合ですら、雌は雄と個体的に結びつくというより、むしろ雄の所有するなわばりと結婚するのかもし れないのである。 個体群があまり大きくなると、なわばりをもてない個体ができ、彼らは繁殖できないことになろう。 ウインⅱエドワーズによれば、なわばりの獲得は繁殖への切符あるいは許可証を手に入れるようなもの である。成立しうるなわばりの数には限りがあるので、いわば繁殖許可証の発行数が限られているよう なものだ。だれがこれらの許可証を獲得するかをめぐって個体は相争うだろう。しかし、個体群全体が 産み出しうる子の総数は、成立可能ななわばりの数によって制限されてしまうのである。アカライチョ ウの場合のように、一見すると確かに個体が自己規制を実行しているようにみえる例もいくつかある。 な・せならこれらの場合、なわばりを獲得できなかった個体は単に繁殖しないばかりでなく、なわばりの 獲得をめざして闘うことすら放棄しているように見えるからである。彼らはあたかも一羽残らす、以下 178
という点をめぐって意見の対立があるのではない。なぜ出生数が調節されているのか、いいかえれば、 どのような自然淘汰のプロセスによって家族計画は進化したのかという点をめぐって、意見の相違があ るのである。動物の産児制限は集団全体の利益のために実行される利他的なものなのか。それとも、そ れは、繁殖を行なう当の個体の利益のために実行される利己的なものであるのか。一言でいえば、意見 の相違はこのいずれの見解をとるかにあるのだ。以下、この二つの理論を順にとりあげることにしたい。 動物たちは、集団全体の利益のために、能力的に可能な産子数以下の数の子供を産むのだというのが ウイン = エドワーズの考え方である。しかし、通常の自然淘汰では、この種の利他主義は進化できそう にないと彼は考えた。平均以下の産子数が自然淘汰で選ばれるなどというのは、ちょっと見ると表現と して矛盾しているからである。そこで彼は、第一章で紹介したような群淘汰の考えに助けを求めたのだ。 構成員たる個体が自らの産子数に制限を加えるような集団は、構成員の増殖が速いために食物供給があ ゃうくなるような対抗集団に比べると、絶減の可能性が小さいたろうと彼は考えた。自己規制的な繁殖 者からなる集団が自然界にはびこるようになるのはそのためたというのである。ウイン = エドワーズが 考えている個体の自己規制は、広義にとれば産児制限と同じことであるが、彼が意味するところは実は もっと特殊なことなのである。動物の社会生活総体を個体数の調節機構と見なそうという一つの雄大な 着想を、彼は提案しているのだ。たとえば、第五章ですでに述べたなわばり制と順位制は、多くの動物 計種において、社会生活の二つの主要な特徴となっている。 家 多くの動物たちは、明らかにある範囲の地域を「防衛する」ために多大な時間とエネルギーを費して おり、その地域のことを自然観察家たちはなわばりと呼んでいる。この現象は動物界にきわめて広く見 ー 77
( チはその後まもなく死んでしまう。その ( チの自殺的行為がコロニーの生存に必要な食物の貯えを守 ったかもしれないが、そのハチ自身はその利益にはありつけない。われわれの定義では、これは利他的 行動である。意識的な動機について述べているのではないことを思いだしてほしい。この場合にも、ま た利己主義の例でも、意識的な動機はあることもあろうし、ないこともあろうが、それはわれわれの定 義には無関係である。 あるものが、友のために生命を捨てることが利他的であることはあきらかだが、友のためにわずかな 危険をおかすこともやはり利他的である。多くの小鳥はタカのような捕食者が飛んでいるのをみると、 特徴的な「警戒声」を発し、それによって群全体が適当な逃避行動をとる。警戒声をあげる鳥は捕食者 の注意を自分にひきつけるので、ことさら身を危険にさらしているという間接的な証拠がある。それは 仲間より多少危険が増すということにすぎないのだが、やはりこれは、すくなくとも一見した限りでは われわれの定義による利他的行為に含められるようにみえる。 動物の利他的行動のなかでもっともふつうに、もっとも顕著にみられるのが、親、とくに母親の子に 対する行動である。彼らは巣の中か自分の体内で卵をかえし、多大な犠牲を払って子に食物を与え、大 きな危険に身をさらして捕食者から子をまもる。一例をあげると、多くの地上営巣性の鳥はキツネのよ うな捕食者が近づいてきたときに、いわゆる「擬傷」ディスプレイをおこなう。親鳥は片方の翼が折れ ているかのようなしぐさで巣から離れるのである。捕食者は捕えやすそうな獲物に気づいて、おびきょ 人せられ、雛のいる巣から離れる。最後に親鳥はこのしばいをやめ、空中に舞いあがってキツネの顎から 逃がれる。この親鳥はたぶん自分の雛の生命を救ったであろうが、そのために自分自身をかなりの危険
が自分の発見物について黙っていれば、自分で食べる三個のキノコについてそれそれ田 6 、合計田で ある。食物があることを知らせたばあいの私の正味の利益得点は、ちょっと計算を要する。八個のキノ コはわれわれ四人の間で均等にわけられる。私が自分で食べた二個から得る得点は、それそれ単位、 つまり合計田認である。しかし、弟といとこが二個ずつキノコを食べたばあい、われわれ三人は共通の 遣伝子をもっているので、私にもいくらかの得点がはいる。実際の得点は ( 1X12 ) + 3X12 ) 十 ( 司 x 12 ) 十 ( 0X12 ) 日十 19 トとなる。利己的行動をとったばあいの、これに相当する正味の利益は田であっ た。似たようなものだが、答ははっきりしている。私は仲間をよぶべきだ。私の利他主義はこの場合、 私の利己的な遺伝子に利益を与えることになる。 私は説明を簡単にするために、個々の動物が、自分の遺伝子にとって何が最善かを算出すると仮定し た。実際におこっているのは、体に影響をおよ・ほして、このような計算をしているかのようにふるまわ せる遺伝子が遺伝子プール内にはびこることである。 いずれにせよ、この計算は理想的状態へのごく予備的な近似にすぎない。それは、関係個体の年齢な ど多くのことを無視している。また、私がちょうど、たっぷり食べたばかりでキノコ一個がはいる余裕 しかないとすれば、仲間をよぶ正味の利益は、飢えている場合よりすっと大きい。あらゆる面で最善を つくして計算すれば、計算の精度ははてしなくあがるであろう。しかし現実に動物があらゆる面で最善 子をつくして生きているわけではない。本ものの動物が最適の決断をくだすさいに、極端にこまかいこと 遺をすべて考慮しているとは考えられない。今後、野外での観察と実験を通じて、本ものの動物が実際に どれだけ厳密に理想的な損得分析をおこなうところまできているかを調べねばなるまい。 ー 55
殊な堆肥の苗床を作り、アリたちはわざわざそこに特別な種類の菌類を植えつけるのである。働きアリ は、すぐ食物となるものを採りに出かけるのではなく、堆肥を作るのに必要な葉を集めにゆくのだ。ハ キリアリのコロニ 1 が葉をかき集める時の「食欲ーは恐ろしいもので、おかげで彼らは大きな経済被害 を与える害虫とされている。集められた葉は彼ら自身の食物となるのではなく、彼らの育てる菌類の食 物になるわけだ。やがて彼らはその菌類を収穫して食べ、子供たちに与えるのである。アリの胃袋より も、菌類のほうが高い効率で葉を分解する。菌園作りがアリに利益を与えるのはそのためなのだ。一方、 菌類のほうも、確かに穫り取られはするものの、上記の相互関係によって利益を得ている可能性がある。 胞子の分散というメカニズムよりも、アリの手助けのほうが効率よく菌類を増殖させそうだからである。 さらにアリたちは、菌園の「草取り」までしてくれる。他種の菌類が入りこまぬようにしてくれるのだ。 競争がなくなることは、アリに栽培される菌類にとって有利なことだろう。アリと菌類の間には、一種 の相互利他主義的な関係が存在するのだということもできよう。系統的に互いにまったくかけ離れた各 種のシロアリたちの間で、非常によく似た菌類栽培システムが独立に進化している点も、注目に値する。 アリ類は、栽培用の植物と同様に、家畜動物まで所有している。たとえばア・フラムシである。ア・フラ ムシ類は、植物の汁を吸うために高度に特殊化した昆虫である。彼らは、植物の師管からとても効率よ く汁を吸い上げるので、その後消化が追いっかない。その結果、彼らは、栄養価をすこし抜き取られた だけの液体を分泌することになる。糖分をたっぷり含んだ「蜜のしずく」が、体の後端から大量にあふ れ出てくるのである。自分自身の体重を越すほどの量の液滴を、毎時間分泌するような例もあるくらい だ。蜜のしずくは雨のように地上に降り注いでしまうのが普通た。神の賜わった食べ物として旧約聖書 288
この競争の敗者は捕食者のえじきにされてしまうのだ。 あとで再びふれると約東しておいたもう一つの例は、カミカゼ的なミッパチの例である。彼らは蜜泥 ミツ・ハチは、高度の 棒を針で刺すが、その闘いの際にほ・ほ確実に自殺することになってしまうのだ。 この他に、アシナガ・ハチ・スズメ・ハチの仲間、アリ類、そし 「社会性」を示す昆虫の一例にすぎない。 てシロアリなどの社会性昆虫が知られている。以下では、自殺的な行為を示すミツ・ハチの例に限定せず、 社会性昆虫一般について論議することにしたい。社会性昆虫のめざましい行為は伝説的である。中でも ろ めだつのが、その驚くべき協力行動の能力と現象的な利他主義である。敵を刺すための自殺的な行為は、 っ彼らの示す自己放棄の驚異的なありさまを象徴している。ミツアリでは、働きアリの一部に、蜜をいっ ふばいつめてグロテスクに膨らんだ腹をもつ者がいる。彼女らの生涯の仕事は、巣の天井から膨らんだ電 背球のようにじっとぶら下り、他の働きアリたちの食物貯蔵所として利用されることなのだ。人間の感覚 に でいえば、彼らには個体としての生活などまったく存在しない。彼らの個体性は、明らかに社会の福利 お に従属させられているように見えるのである。アリやミツ・ハチ、シロアリの社会は、いずれも、一段高 れ いレベルで、ある種の個体性を達成しているのである。食物の分配が非常にゆきとどいているので、共 お て 同の胃袋などという表現もできる。化学信号や、ミツ・ハチで有名な「ダンス」などによって、情報もき わめて効率的に共有されており、一つの社会は、あたかも独自の神経系と感覚器官をもった単位である のかのような挙動を示す。外部からの侵入者は、生体の免疫反応システムが示すのに似た正確さで識別さ れ、そして排除される。個々のミツ・ハチは「温血」動物ではないが、ミツ・ハチの巣の内部はちょうど人 間の体温ぐらいの比較的高い温度に調節されている。そして最も重要なことは、このアナロジーが繁殖 273
に動かせるのなら、自分でそんなことをしたくはないのである。ウイルソンの『昆虫の社会』のなかで 私が気に入っているキャラクターは、ヒメアリの一種。ききミきまミ sc ミ ~ である。この種は、長い 進化の過程で、ワーカーというカ 1 ストを完全に失ってしまった。寄主のワーカーが寄生者のためにあ らゆることをし、あらゆる仕事のうちでもっとも恐ろしいことさえやるのだ。侵入した女王の命令によ って、ワーカーたちは自分たち自身の母親を殺すという所業を実際に行なうのである。王位強奪者は自 らの顎を使う必要がない。精神支配を用いるのだ。どうやってそうするのかは謎である。おそらく女王 は化学物質を採用しているのだろう。なぜなら、アリの神経系は一般に化学物質に適合しているからで ある。もしも彼女の武器が本当に化学物質ならば、それは科学的に知られているあらゆる麻薬と同様に 狡猾なものである。それがやりとげることを考えてもいただきたい。それはワ 1 カーのアリの脳を満た し、筋肉の手綱を握り、その深く植えつけられた義務を放棄するよう迫り、ワーカーをワーカー自身の 母親に敵対せしめる。アリにとって、母殺しは特殊な遺伝的狂気の行為であり、ワーカーをそれに駆り たてる麻薬はまことに恐るべきしろものにちがいない。延長された表現型の世界では、動物の行動はい かにしてその遺伝子に利益を与えるかを問うのではなく、それが利益を与えているのはだれの遺伝子な のかを問わなければならない。 アリが寄生者、それも単にほかのアリだけではなく、まるで動物園のように驚くほど多様なスペシャ リストの取り巻きたちによって搾取されているとしてもほとんど驚くにあたらない。 ワーカーたちは広 い範囲から集めた食物の豊かな流れをしずしずと中央の貯蔵所に運び込むが、そこはたかり屋たちが腰 をおちつける絶好の標的になる。アリはまたすぐれた保護を与えることもできる。立派に武装している 404