343 カンタベリー エルにとって、息は、死と生の違いを定義するものである。ダーウイン自身は、もっと雄弁な一節、 『種の起原』の結びの言葉で、同じようなことをそれとなく言っている ( 傍点はドーキンス ) 。 このようにして、自然の争いから、飢餓と死から、われわれの考えうる最高の事柄、すなわち、高等 動物の誕生ということが直接の結果として起こったのである。生命はそのあまたの力とともに、最初 は少数の、あるいはただ一つのものに、造物主によって息を吹き込まれたものであり、そして、この 地球が確固たる重力の法則に従って回転するあいたに、 かくも単純な発端から、きわめて美しくきわ めて驚嘆すべき無限の生物種が生し、今も生しつつあるというこの見方には、壮大なものがある。 ダーウインは正しく、エゼキエル書におけることの順序を逆転させた。生命の息が最初に来て、 骨、腱、肉、皮膚が最終的に進化してくる条件をつくりだした。ついでながら、「造物主によって」 という句は『起原』の初版にはない。それは第二版で付け加えられたもので、おそらくは宗教団体 からの苦情を抑えるご機嫌取りとしてであろう。後にダーウインは友人のフッカーへの手紙で、こ の件を後悔した。 私は世論にへつらって、造物という旧約聖書の用語を使ったことをすっと後悔し続けています。その 言葉で私が本当に言いたかったのは、何かまったく未知の過程によって「現れた」ということなので す。それは、生命の起源に関する現時点での単なるつまらない考えにしかすぎません。物質の起原に ついても同じように考えることができたでしよう。
3 / 6 じみの細菌ではなく、最古の細菌に似たものに出会える希望を私たちに与えてくれるからである。 最初の嘲笑に耐えた後、生命の起源は熱い地中深くの岩石中だという説は、今や肯定された流行の 考え方となりつつある。それが正しいかどうかが判明するにはもう少し研究をまたなければならな いが、白状すれば、私はそうあってほしいと望んでいる。 しつの日か、生命の起源に関 私がくわしく論じなかった理論が他にもたくさんある。あるいは、 ) して、ある種のはっきりした合意に到達するかもしれない。もしそうなったとして、それが直接的 な証拠によって支持されることを私は疑っている。なぜなら、すべては跡形もなく消え去ってしま っているだろうと思うからである。むしろ、それが受け人れられる理由は、偉大なアメリカの物理 学者ジョン・アーチボルト・ホイーラーが別の文脈で言っているように、誰かがあまりにもエレガ ントな理論をつくったために、 : われわれは、その中心的な考え方のすべてを、あまりにも単純に、あまりにも美しく、あまりに あらが も抗いがたく把握するために、誰もが互いに、「そうだよ、それ以外のことなどどうしてありえようー 何でみんな、こんなに長くそのことに気づかなかったんだろう ! 」と言うたろう。 もしそれが、生命の起源という謎。 こ対する答えを私たちが知っていることに最終的に気づくやり 方でないとしたら、いつまでたっても私たちがそれを知ることができるとは思えない
354 ーリンとホールデン以前には、生命の起源について推論する人間は、最初の生物体は何らか らんそう の種類の植物、ひょっとしたら藍藻であったにちがいないと考えてきた。人々は、生命が光合成、 太陽の光によって駆動され、酸素の放出をともなう有機化合物製造工程に依存しているという考え ーリンとホールデンは、その還元的な大気によって、植物が遅れて舞台 に慣れ親しんでいた。オパ に登場したものとみなした。初期の生命は、前もって存在した有機化合物の海のなかに生じた。そ こには食べるべきスープがあり、光合成の必要はなかった。少なくともスープが食べ尽くされるま では。 ノーリンにとって、決定的な一歩は最初の細胞の起源だった。そしてたしかに、細胞は、生物 個体と同じように、自然にはけっして生じることがなく、つねに他の細胞から生じるという重要な 性質をもっている。最初の「遺伝子」 ( 自己複製子 ) よりもむしろ最初の「細胞」 ( 代謝体 ) を生命 の起源の同義語とみなすのは無理もないことで、私もそうしただろう。同じ傾向をもつ、より現代 的な理論家たちのなかでも、有名な理論物理学者であるフリーマン・ダイソンはそのことに気づい オーゲル、ドイツのマンフレ ていて、それを擁護した。しかし、カリフォルニア大学のレスリー・ ッド・アイゲンとその仲間たち、およびスコットランドのグレアム・ケアンズⅡスミス ( 一匹狼の 異端者はもっといるが、もちろん無視してよいというわけではない ) を含めて、現代の理論家の大 多数は、歴史的な順序と中心的な役割の両面から、自己複製に優先権を与えており、私の意見では、 それは正しいことである。 細胞をもたない遺伝というのはどんな姿をしているのだろう。これは、ニワトリが先か卵が先か という間題を論じているのではないだろうか。遺伝がを必要とすることを認めるなら、たし かにそうだろう。なぜならは、に暗号化された情報によってのみつくることができる
342 四〇億年にわたる巡礼の目的地にふさわしく、わがカンタベリーは謎めいた風格をもっている。 それは生命の起源と呼ばれる特異点であるが、遺伝の起源と呼ぶほうがよいのかもしれない。生命 そのものが明確に定義されておらず、これは直観と伝統的な知恵に矛盾する事実である。預言者が 骨で満ちた谷に降りるよう命じられた「エゼキエル書」、第三七章では、生命は息と同一視されて こ抗することができない ( 「骨と骨とが」ーーー何という いる。私はこの一節を引用するという誘惑。 すばらしい言葉の節約だろう ) 。 私は命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨 と骨とが集まり、くつついた。私が見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生し、皮膚がその 上をすっかり覆った。しかし、そのなかに息はなかった。主は私に言われた。風に預言せよ。人の子 よ、預言して風に言いなさい。主なる神はこう言われる。風よ、四方から吹き来れ。息よ、これらの 殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれは彼らは生き返る。 そしてもちろん、風はそうした。そうして大勢の人間が息を吹き込まれ、立ちあがった。工ゼキ カンタベリ
350 化学反応ではなく、核反応である。遺伝は、自己触媒、あるいはそれ以外の自己生成的な過程とし て、幸運な始まりからスタートした。それはたちまち飛び立ち、火のように広がり、最後には自然 淘汰を導き、そして、すべてのことがそれに続いた 私たちもまた、熱をつくるのに炭素燃料を酸化させるが、炎を上げることはない。なぜなら、私 たちは酸化を、制御された形で段階的に行い、 抑えのきかない熱として浪費する代わりに、そのエ ネルギーを有益な経路に少しずったらし込んでいくからである。そのような制御された化学反応、 すなわち代謝は、遺伝と同じように生命の普遍的な特徴である。生命の起源に関する理論は、遺伝 と代謝の両方を説明できなければならないが、一部の論者はその優先順序をまちがえてきた。彼ら は代謝の自然発生の理論を探し求め、その後に、他の有益な発明と同じように、どうにかして遺伝 かついてくることを期待した。しかし遺伝は、やがて見るように、 一つの有益な発明と考えるべき ではない。遺伝こそ、最初に舞台に登場するものでなければならず、遺伝以前には、有益性そのも のが意味をもたなかったからである。遺伝なくしては、ひいては自然淘汰なくしては、何かにとっ て有益と言えるようなものは存在しなかったであろう。有益という概念そのものが、遺伝する情報 の自然淘汰が始まるより前に始まることはありえないのである。 今日真面目に受けとめられているもので、生命の起源についての最初の理論は、ロシアの < ・ ーリンと英国の・・・ホールデンによるもので、一九二〇年代に、お互いに知らず に書いたものである。両者とも遺伝よりもむしろ代謝を重視していた。一一人はともに、もし生命が 誕生するならば、生命が誕生する以前の大気は「還元的な」ものでなければならないという事実に 気づいた。このどちらかと言えばあまり助けにならない専門用語は、大気が酸素を欠いていること を意味する。有機化合物 ( 炭素化合物 ) は、自由酸素が周囲にあれば、燃やされてしまうか、ある
384 に乗って講義するイクチオサウルス教授を示している。もし恐竜の時代に、イクチオサウルス教授が 自分たちの破局的な終焉を論じていたとすれば、彼らの地位が、当時は小さくて、取るに足りない夜 行性の食虫動物であった哺乳類の子係によって取って代わられるだろうと予見するのは、彼にとって も非常にむずかしかったであろう。 もちろん、こういったことすべては、ごく最近の進化に関することであり、カウフマンが想像した ものほど長い時間をかけたやり直しではない。しかし、こうした最近のやり直しは、進化がもっ固有 の再現性について、なにがしかの教訓を与えてくれることはまちがいない。もし初期の進化を後の進 化と同じ線に沿ってやり直させてみれば、こうした教訓は一般的原理にまで高められるかもしれない 私の直観は、恐竜絶滅以降の最近の進化から私たちが学んだ教訓は 一、少なくともカンプリア紀にさか のぼるまでは、そしておそらくは真核細胞の起源にさかのぼるまでは、たぶんかなりよく当てはまる というものである。オーストラリア、マダガスカル、南アメリカ、アフリカ、およびアジアにおける 哺乳類の適応放散の類似性が、カウフマンのもっとはるかに古い出発点、彼の選んだ真核細胞の起源 という地点での、彼の間いに対する答えの、ある種のひな型を提供するのではないかという直観を私 はもっている。この画期的な出来事より前については、確信は消え失せてしまう。私の同僚のマー ク・リドリーは著書『メンデルの悪魔』において、真核細胞複合体の起源はとてつもなくありえない 出来事で、ひょっとしたら生命の起源そのものより以上にありえないことであったかもしれないと思 っている。リドリーの感化を受けて、私は、生命の起源を出発点とした進化のやり直し思考実験のほ とんどは、真核細胞に到達しないというほうに賭ける 収斂進化を研究するのに、オーストラリアの自然の実験のように地理的隔離に頼らなければなら ないということはない。異なる地理的地域における同じ出発点からではなく、異なる出発点 ( 同じ地 しゅうれん
346 ちが仮定しなければならない一回の自然発生が、ウジやネズミのような複雑なものをつくりあげる 必要がなかったということである。それがしなければならなかったのは : : さて、いよいよ間題 の核心に近づいてきた。最初に自然淘汰を始動させ、最終的に、累積的な進化の壮大な叙事詩のす えに、ウジやネズミや人類にまでたどりつかせることになった決定的な生命の要素は何だったのか わが太古のカンタベリーでは、詳細は、ひょっとすれば回収はできないほどに埋もれてしまって いるが、どういった類のことがなければならなかったかを言い表すために、鍵となる要素に最も簡 潔な名前を与えることができる。その名は遺伝である。私たちは茫漠とし定義されていない生命の 起源ではなく、遺伝の起源を探究すべきである。それは、真の遺伝であり、非常に厳密な何かであ ることを意味する。私は以前に、それを説明する助けとして、火を引き合いに出したことがある 生命の比喩的表現として、火は息に匹敵しうる。私たちが死ぬとき、生命の火が消える。最初に 火を手なずけた私たちの祖先は、おそらく火を生き物、神だとさえ、考えたことだろう。炎あるい は残り火をじっと眺めながら、とりわけ夜に焚き火が彼らを温め、守ってくれているとき、彼らは 想像力のなかで、燃えあがり、踊り回る魂と交流していたのではないだろうか。火は薪を絶やさな いかぎり生き続ける。火は空気を呼吸する。酸素の供給を絶っことによって、火を窒息させること ができ、水でおぼれさせることもできる。野火は森を飲み込み、火は ( 文字通り ) 熱い追跡をする オオカミの群れのスピードと無慈悲さをもって、動物の獲物を追い立てる。オオカミの場合と同じ ように、私たちの祖先は、火の子供を捕らえ、役に立っぺットとして飼い慣らし、定期的に薪を食 べさせ、排泄物である灰をきれいにすることができる。発火技術が発見される以前には、社会では、 捕らえた火を飼育するというあまり重要でない技が賞賛された。ひょっとしたら、家庭の火種はっ ぼに人れて運ばれ、不幸にして火が死に絶えた隣接集団との物々交換に用いられたのかもしれない
43 ] (xxiii) ◆参考文献中で邦訳があるもの [ 6 ] 「ハートン版千夜一夜物語」 ( 全 1 1 巻 ) 古沢岩美 訳、筑摩文庫 [ 1 2 ] 「恐竜異説」瀬戸口烈司訳、平凡社 [ 24 ] 「ミームマシーンとしての私』 ( 上下巻 ) 垂水雄 ニ訳、草思社 [ 30 ] 「パージェス頁岩化石図譜』大野照文監訳、鈴木 寿志ほか訳、朝倉書店 [ 39 ] 「生命の起源を解く七つの謎』石川統訳、岩波書店 この宇宙なるもの』中村桂子訳、新思 [ 56 ] 「生命 索社 [ 58 」「性選択と利他行動』長谷川真理子訳、工作舎 [ 59 ] 「種の起原」 ( 上下巻 ) ハ杉龍ー訳、岩波文庫 [ 61 ] 「ヒーグル号航海記』 ( 上中下巻 ) 島地威雄訳、 岩波文庫 [ 62 ] 「人間の進化と性淘汰」 ( 「ダーウイン著作集」 1 、 2 巻 ) 長谷川真理子訳、文ー総合出版社 [ 66 ] 『延長された表現型』日高敏隆・遠藤彰・遠藤知 ニ訳、紀伊國屋書店 [ 67 ] 「盲目の時計職人」日高敏隆監修、中嶋康裕ほか 訳、早川書房 [ 69 ] 「利己的な遺伝子』日高敏隆ほか訳、紀伊國屋書店 [70] 「遺伝子の川』垂水雄ニ訳、草思社 [ 72 ] 「虹の解体』福岡伸ー訳、早川書房 [ 73 ] 「悪魔に仕える牧師』垂水雄二訳、早川書房 [ 77 ] 「日経サイエンス』 1995 年 5 月号 [ 78 ] 「ヒトに最も近い類人猿ホノボ』藤井留美訳、 T BS プリタニカ [ 79 ] 「解明される意識」山口泰司訳、青土社 [ 80 ] 「ダーウインの危険な思想」山口泰司監修、石川 幹人ほか訳、青土社 [ 81 ] 「世界の究極理論は存在するか』林ー訳、朝日新 聞社 [ 82 ] 『人間はどこまでチンパンジーか』長谷川真理 子・長谷川寿ー訳、新曜社 [ 83 ] 「アフターマン』今泉吉典訳、ダイヤモンド社 [ 88 ] 「ダイソン生命の起源』大島康郎訳、共立出版 [ 95 ] 「イヌのカウンセリンク』日高敏隆監修、太田収 訳、ハ坂書房 [ 96 ] 「生命 40 億年全史』渡辺政隆訳、草思社 [ 106] 「個体発生と系統発生』仁木帝都・渡辺政隆訳、 工作舎 [ 107 ] 「フラミンゴの微笑』新妻昭夫訳、早川書房 [ 108 ] 「ワンダフル・ライフ』渡辺政隆訳、早川書房 [ 114 ] 「モンキー・パズル』香原志勢監訳、ホルト・ サウンダース・ジャノヾン [ 138 ] 「宗教の自然史』福鎌忠恕・齋藤繁雄訳、法政 大学出版局 [ 140 ] 「自然における人間の位置』 ( 世界大思想全集 23 ) ハ杉龍ー・小野寺好之訳、河出書房 [ 145 ] 「ルーシー』渡辺毅訳、どうぶつ社 [ 146 ] 「遺伝子 = 生 / 老 / 病 / 死の設計図』河田学訳、 白楊社 [ 147 ] 「ドクター・タチアナの男と女の生物学講座』 渡辺政隆訳、光文社 「細胞の共生進化』 ( 上下巻 ) 永井進監訳、学 [ 171 ] 「人イヌにあう』小原秀雄訳、至誠堂新書 [ 170 ] 「ヒトはいつから人問になったか』馬場悠男訳、 [ 164 ] 「ターウインフィンチ』浦本昌紀・樋口広芳訳、 「人類の出現」杉山幸丸訳、思索社 「水の子」阿部知二訳、岩波書店 [ 183 ] 草思社 思索社 [ 160 ] [ 155 ] 訳、長谷川真理子解説、白楊社 323 ] 「生物進化とハンティキャップ原理』大貫昌子 書店 [ 313 ] 「生命の多様性』大貫昌子・牧野俊一訳、岩波 書房 [ 302 ] 「フィンチの嘴』樋口広芳・黒沢令子訳、早川 イヤモンド社 [ 301 ] 「究極理論への夢」小尾信彌・加藤正昭訳、ダ [ 299 ] 「スノーホール・アース」渡会圭子訳、早川書房 潮社 [ 288 ] 「農業は人類の原罪である』竹内久美子訳、新 [ 285 ] 「シーラカンスの謎』清水長訳、河出書房新社 より刊行予定 [ 270 ] 「生命の物語 ( 仮題 ) 』垂水雄ニ訳、ハ坂書房 出版協会 [ 269 ] 「宇宙は自ら進化した』野本陽代訳、日本放送 早川書房 [ 249 ] 「色のない島へ」大庭紀雄監訳、春日井晶子訳、 紀伊國屋書店 [ 243 ] 「やわらかな遺伝子』中村桂子・斉藤隆央訳、 [ 242 ] 「赤の女王』長谷川真理子訳、翔泳社 [ 235 ] 「宇宙を支配する 6 つの数』林ー訳、草思社 久保寛訳、新潮社 [ 229 ] 「ライラの冒険シリーズ 3 ・琥珀の望遠鏡』大 子訳、日本放送出版協会 [ 227 ] 「心の仕組み」 ( 上中下巻 ) 椋田直子・山下篤 日本放送出版協会 [ 226 ] 『言語を生みだす本能」 ( 上下巻 ) 椋田直子訳、 [ 222 ] 『脳の機能と行動』岩本隆茂ほか訳、福村出版 [ 220 ] 「眼の誕生」渡辺政隆・今西康子訳、草思社 崎学術出版社 [ 216 ] 「生命の起源』東大ソヴェト医学研究会訳、岩 新曜社 [ 210 ] 『病気はなせあるのか』長谷川真理子はか訳、 [ 204 ] 「人類の起源論争』望月弘子訳、どうぶつ社 [ 201 ] 「偶然と必然』渡辺格・村上光彦訳、みすす書房 [ 194 ] 「恋人選びの心』長谷川真理子訳、岩波書店 フェアラーク東京 [ 189 ] 「進化する階層」長野敬訳、シュプリンガー 会出版センター
3 / 2 スピーゲルマンの実験は、自然の「野生型」を出発点として使った。マンフレッド・ アイデンの研究室で研究をしていた・サンパーと・ルースは、真に驚くべき結果を得た。ある 種の条件下で、まったくを含まず、をつくる原素材プラスレプリカーゼ酵素だけ しか人っていない試験管が、自然に自己複製するを生じ、それが適切な条件のもとで進化し て、スピーゲルマンの怪物になることができるのである。ついでながら、大きな分子は進化するに はあまりにも「ありえなさすぎる」という創造論者の恐れ ( あるいはむしろ希望と言ったほうがよ いのかもしれないが ) には、これで十分だろう。ゼロからスピーゲルマンの怪物が自らをつくりあ げるまでわずか数日しかかからないというのが、累積的な自然淘汰の単純な力である ( 自然淘汰は 理性的でない偶然の過程から、はるかに遠いものである ) 。これらの実験はそれでもなお、生命の とりわけ、私たちはまだ全体を通して 起源に関するワールド説の直接の検証ではない。 レプリカーゼの存在という「イカサマ」をしている。ワールド仮説は、そのものの触 媒能力に希望を託している。もしがそうすることが知られているように、他の反応を触媒す ることができるのならば、自分自身の合成も触媒することはありえないのだろうか。サンパーとル ースの実験はなしですませたが、レプリカーゼは供給した。私たちに必要なのは、 レプリカーゼをもなしですますような新しい実験である。研究は続けられており、私は剌激的な結 果を期待している。しかし私はここで、ワールド説や生命の起源に関するその他の多くの最 近の説に完全に匹敵することができる、新しく流行しつつある系列の考え方に話を転じたいと思う。 新しいのは、最初に決定的な出来事が起こったとされる場所である。「温かい小さな池」ではなく 「熱く深いところの岩石」だというのである。この場にふさわしい刺激的な理論である。旅を終え て、自分たちのカンタベリーのありかをつきとめた私たちの巡礼は今や、地中深く、原初の岩石に
363 カンタベリー 米はのにがマは一語 性を浮上させた ペ本 。イし・カ た版なしあ、 レベックの化学現象はきわめて人工的なものである。にもかかわらず、彼の話の筋書きは自己れ出らたでななが わ。なはレれがる注 触媒の原理をみごとに例証しており、それによれば、ある化学反応の産物がその反応自体の触媒舞いは子し係い訳 見なれ伝イも関て にらけ遺タか、つ としてはたらくのである。生命の起源に関して私たちが必要とするのは、自己触媒に似た何かで命なな。なた通 運はわいきっしで っ ある。初期の地球の条件のもとで、 Z あるいは Z < に類似のものが、レベック式に自らのるれ言なてだ除ル あけではすりをト くなぎでもたのイ と 合成を自己触媒したのだろうか、それもクロロフォルムのなかではなく水中で。 よさ急け つもタ う探大わびるの る この間題は、ドイツのノーベル化学賞受賞者であるマンフレッド・アイゲンが説明したように で。悪がれそ れ とルすしのうさに るトこてレま立で題 厄介なものである。彼は、いかなる自己複製過程もコピー・エラー、すなわち突然変異による劣 れイ起し刊窈確す改 らタき対ノ』では と ) 析で 化にさらされることを指摘した。コピーのたびごとに高い確率でエラーが起こるような、自己複えう引反、 変いをもびン分国』 製する実体の集団を想像してほしい。もし暗号化されたメッセージが突然変異の破壊行為から自をと乱何。ウ体米伝 前昆に ) ダ色 らを守ろうとすれば、どの世代でも集団のメンバーの少なくとも一つが、親と同一でなければな銘みル照圷染譴 き遺大イを 8 はち らない。もしたとえば、一本の鎖に一〇の暗号単位 ( 「文字」 ) があるとすれば、一文字あとはタ』 る的れう子融と育 え調そい伝溶一かい たりの平均エラー率は一〇分の一以下でなければならない。そうすれば、子世代のメンバーのう 越。と遺的リ氏い を『うな伝ド『があ ちの少なくともいくつかは、一〇の正しい暗号文字の完全な文言をもっと予測することができる。洋、ろ引的譴リのくで 西はた伝己 しかしもしエラー率が大きいと、淘汰圧がどれだけ強いかにかかわりなく、突然変異だけが理由大にの遺鋓はクアく子 、きるな に一ヴよ伝 もとす的著ジマカ ( 遺 になって、世代が進むにつれて容赦のない劣化が見られるだろう。これはエラー・カタストロフ本すを調自一 ( ドはな し探と協 ( セ一一でか ノ版ら と呼ばれる。進んだゲノムにおけるエラー・カタストロフはマーク・リドリーの挑発的な『メンしをこ『るツリ、 ら本なはあメドのクわ はのん私でのリ彼ツや デルの悪魔』の主題をなしている。しかし、ここで私たちに関心があるのは、生命の起源そのも すこそ、的本 のでせが調のトに一は こ国なだ協こッ私パ版 のを脅かしたエラー・カタストロフである z < 、および実際には z の短い鎖は、酵素なしでも自然に自己複製することができる。 * * 5