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検索対象: 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下
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1. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

336 としても、基本的な化学的反応のレベルでは、生物の多様性の圧倒的大多数は微生物によるものであ り、そのうちのかなりの部分が細菌によるものであることに疑いの余地はない。生物多様性の物語は、 それがもつばら化学的な多様性であるかぎりでは、細菌によって語られるのが正しいのであり、それ がタクであってもまったくかまわないのである 伝統的には、それも無理からぬことだが、かってこの物語は大型動物、つまり私たちの視点から語 られていた。生物は動物界と植物界に分けられ、その違いはかなり明瞭であると思われた。菌類は、 よく知られているものの多くが特定の場所に根を下ろし、研究しようとしたときに歩き去ることがな いので、植物のうちに人れられた。一九世紀になるまで、私たちは細菌について何一つ知っていなか ったし、強力な顕微鏡を通して初めて細菌が見えたとき、人々はこれを世界像のどこに位置づけてよ いのかわからなかった。ある人はミニチュアの植物だと考え、別の人は、ミニチュアの動物だと考え らんそう た。さらにまた別の人々は、光を捉える細菌を ( 「藍藻」として ) 植物に人れ、残りは動物に人れた ほとんど同じことが「原生生物 (protist) 」 ( 細菌とは異なる単細胞真核生物で、細菌よりははるか に大きい ) でも行われた。緑色のものは原生植物、残りは原生動物とされた。原生動物のよく知られクムてよ物。 る一しに生 けチ遊析微し た例はアメーバで、かってはあらゆる生物の大祖先に近いものと考えられていた。これは、とんでも 続の浮分のて し彼にン O ない大まちがいで、なぜなら、細菌の「眼」を通して見ればヒトとほとんど区別がっかないからだ。 揮と辺ガ o 張 8 主 発一周ト こういったことはすべて、すべての生物が目に見える解剖学的特徴によって分類されていた時代のをタ海ツもた 才ンソョとし ことで、それで言えば、細菌は動物や植物に比べてはるかに多様性に乏しく、原始的な動物や植物とのエッシく見 機ヴガのな発 臨・ル < 少を 片づけられても、無理からぬことだった。分子が提供するはるかに豊かな情報を使って生物を分類しすクサ、種 なりわい えイ、るて新 たレはいつの 始め、微生物によってなされる幅広い化学的「生業」を検討し始めたとき、事態はまったく別のもの 4 となった。これから説明するのは、現在事態がどのように見られているかの概略である。

2. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

249 ランテヴー 32 襟鞭毛虫類 示されている。プロテロスポンギアは、カイメンの内部の大部分を占める細胞とほとんど見分けのつ かないタイプの細胞からなる群体である。カイメン類、そして究極的には後生動物全体の起源を、現 代において反復している最も説得力のある候補者として、襟鞭毛虫類はかろうじて私の一票を獲得す る 襟鞭毛虫類はかってなら、「原生動物」として、まだ私たちの巡礼団に合流していない残りすべて の動物と一緒くたにされてきたことだろう。原生動物はもはや門の名前としては役に立たない。単細 胞生物 ( あるいは、体が区画された細胞に分かれていないという意味で、非細胞生物という呼び名を 好む人がいるかもしれない ) には、数多くの異なった生き方がある。以前に原生動物と呼ばれてきた 少数のグループのメンバーが、これから、菌類や植物のような主要な多細胞生物の巡礼団とは別個に、 ドリップスとして私たちの巡礼団に合流してくる。原生動物という単語は、単細胞真核生物の俗称と して、私は使い続けることにする。

3. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

1 / 1 ランテウー 26 旧ロ動物 化石は小さな痕跡か得体の知れない謎のようなものしかない。カンプリア紀以降、多細胞生物の、多 セ ッ 少とも私たち自身の前兆である可能性の高いおびただしい動物たちが存在するようになった。大爆発 ラ という比喩的表現を促すのは、カンプリア紀の初めに多細胞生物の化石が現れた、そのあまりの突然 ン ラ さである。 創造論者は、カンプリア紀の大爆発が大好きである。なぜなら、それは、彼らの貧寒な想像力にと← る って、親をもたないさまざまな門、すなわち、祖先をもたず、まるで突然一晩のうちに無から、靴下で ろ葉 の穴まで完備して現れたかのような動物たちがすむ、ある種の古生物学的な孤児院を手品のように出ち言 もの してくれると思えるからである。もう一方の極では、空想的に熱をあげすぎた動物学者たちが、その 「アルカディア的な黄金時代」、生命が熱狂的な、根本的に異なる進化的なテンボで踊る動物学的な無 垢の時代というオーラのゆえに、カンプリア紀の大爆発が大好きだ。そこでは、堕罪以前のバッカス 神の信徒たちが、それ以降普及するきわめて真面目な功利主義にまだ陥ってお らず、即興の曲で跳ね踊っていたのである。自著『虹の解体』のなかで私は、 ある有名な生物学者の次のような言葉を引用したが、その人も今では、考えを 改めているかもしれない 多細胞生物が発明されてまもなく、進化的に新奇な生物の大爆発が外に向かっ て広がった。多細胞生物たちは、一種の後先を考えない大爆発の浮かれ踊りを しながら、考えられるかぎりのあらゆる枝分かれの道を楽しみながら試してい たのではないかという感しを受ける。 の , へ 0 ハハ カンプリア紀についての熱に浮かされたよ うな見方 ハルキゲニア - ・一一天地逆に復元されたもの。

4. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

物イる 83 変 もし動物と植物を二つの界として扱うならば、同じ基準に 生メ よって、それぞれが動物や植物と同等の地位を要求するに足分づなしよ 区基き示叩 に大を るだけの特異性をもっ数十の微生物の「界」が存在する。下 的究のと 元研っこ の図は、水山の先端だけを示している。いくつかの深い根の 根的 3 る c も子。れ 部分での分岐が省かれているだけでなく、近づくことができ 最分樹か面 のの統分引 命近系にわス る場所にすみ、研究室で培養することができるものだけしか 生最のン モ コ 示されていない。実際に、を求めて新しい場所を探索 するだけで、どの生物がどこからきたかをわざわざ詮索しな くとも、まったく新しい微生物の界を見つけることができる。 動物、植物、菌類は、生物の系統樹の三本の小枝を成してい るにすぎない このおなじみの三つの界を他の界から区別し ているのは、そこに含まれる生物体が大きく、多数の細胞か らできていることである。他の界はほとんどすべてが微生物メ である。なぜそれらを一つの微生物界に統合して、三つの大 きな多細胞生物界と対等のものにしないのか。一つの健全な 理由は、生化学レベルでは微生物の多くの界は互いに、そし て三つの大型生物の界とも非常に異なっており、その違いは、 9 その三つのよく知っている界のお互いの違いに劣らないこと 3 ~ である。 ン この違いに基づいて、「本当は」、たとえば二〇の界がある 真核生物 鞭毛虫類 粘物 植物 繊毛虫類 類 菌 テイプロモナス 微胞子虫類 古細菌 メタノサルシナ ハロノヾクテリウム アルカエオグロプス プランクトンミセス メタノコックス アキフェックス テルモプロテウス テルモトガ スルフォロプス デスルフロコックス プロテオハクテリア シアノハクテリア 緑色非硫黄細菌 グラム陽性高 G C 含量細菌グラム陽性低 G C 含量細菌 真正細菌 ユーリ古細菌 クレン古細菌

5. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

] 69 ランテヴー 26 旧ロ動物 た去勢牛と同じように、去勢されたカニは、痩せた、並の生機械になることに専念する代わりに、寄微い 型生例 より大きく、寄生動物にとってより多くの食物となるように、その資源を振り向けるのである 現な事 この一連の出来事を締めくくる物語として、未来に関する小さな寓話を示してみよう。史上最大の表的の た面物 彗星の衝突によって脊椎動物と節足動物が完全に消滅してから五億年後に、最終的にタコの遠い親戚さの生け 長主寄論 のなかから知的生物がふたたび進化してきた。タコの古生物学者たちは、二一世紀の年代の豊かな化延宿るに 石層を見つける。この時代の生命を典型的に示す適切な断面ではなかったが、にもかかわらず、この著で作底 自章操徹 の一に 恵み深い頁岩層は、その種類の多さと多様性によって古生物学者たちに強い印象を与えた。八本腕の穉生妙蕉 均衡のとれた判断力をもってこれらの化石を慎重に考量し、熟練した技で細部を洗いだした後、一人 のタコの学者が、この大激変以前の黎明期における生物が、その多様性において、これから現れるか もしれないどんなものよりも、途方もなく放蕩的で、遊び半分で実験しながら、奇妙奇天烈な新しい 体制を次々と生みだしていたのではないかと述べるに至る。この学者の言わんとするところは、現代 の動物のことを考え、化石になった彼らのわずかな数のサンプルを想像してみれば、理解できる。未 来の古生物学者たちが直面する困難な仕事、不完全で散発的な化石の痕跡からそれらの類似性を識別 しようと試みる際のむずかしさに思いをはせてほしい。 一つだけ例を挙げてみれば、次ページ右の図に示した動物を、いったいあなたはどのように分類す るのだろう。明らかに、新しい「奇妙奇天烈な生き物」で、おそらくは、このために特別につけたこ れまでなかった門名をもつに値するのではないか。動物学にこれまで知られていなかったまったく新 しい体制ではないのか いや、そうではない。 空想的未来から現在に戻ると、この奇妙奇天烈な生き物は実際には、 ごミ、ミミ 0 ミミミミ r ミ、ミとい一つハエである。それだけではなく 、非の打ち所なくまっとうなハエであ けつがん

6. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

429 訳者あとがき ば、ホックス遺伝子についてはショウジョウバエが、収斂進化についてはフクロモグラが、年輪につ いてはセコイアがといった具合だ。こうした物語は全体として、現代生物学のほとんどすべての先端 的問題を網羅していて、いささか誇大広告的な表現をすれば、これ一冊で、現代生物学の全容を知る ことができる 生物のことを多少ともかじったことのある読者が、本書の分類体系に違和感を抱いたとしても不思 議ではない。動物だけでなく、植物から菌類、細菌類に至るまで、あらゆる生物群にわたって最新の 分類体系が採用されているからだ。なかには、従来の分類体形をまったく覆すものもある。クジラが カバに近縁で、鯨偶蹄目という新たな目が創設されていることは、それほど耳新しいニュースではな いかもしれないが、多くの哺乳類の系統的位置に見直しがあり、無脊椎動物については、門以上のグ ループ分けに激変が見られる。 こうした分類の再編は、主として QZ< 解析による分子遺伝学と、そうしたデータから系統関係を 類推する分岐分類学 ( その概要は、〈テナガザルの物語〉で論じられている ) の飛躍的な発展に負う ところが大きい。ただし、ドーキンスが再三注意しているように、これは執筆時点における最新デー タにすぎず、今後さらなる変更が加えられる可能性も十分にある。 新しい分類には、新しい名称がついてくる。「アフリカ獣」、「ローラシア獣」、「冠輪動物」、「脱皮 動物」等の表現については、和名がかならずしも確立しておらず、既存の生物学辞典などにも載って いないので、インターネット上で最も多く使用されている表記を参考にして、ラテン語学名にできる だけ忠実と思われる日本語を採用した ( 齧歯目とウサギ目を総合する「グリス獣」は、「グリレス上 目」とする表記が多いが、グリレスはグリス ( ヤマネを指す ) の複数形なので、あえてこちらにした ) 。 ついでながら、目名の表記に関しては、文部科学省推奨の方式 ( たとえば食肉目はネコ目、偶蹄目

7. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

の主人公であるミクソトリカに行きつくことになる シロアリの腸内にすむ多くの微生物と同じように、 ミクソトリカ・パラドクサは細菌ではない。 大型の原生動物で、体長が〇・五ミリメートル以上あり、内部に数十万個の細菌を含む ( やがて見 るように ) ことができるだけの大きさがある。この生物はダーウインシロアリの腸内を除けば、他 のどこにも生息していないそこでは、ミクソトリカは、シロアリの顎で砕かれた材の小片を食べ て栄える種々の微生物からなる混合共同体の一員である。シロアリの腸内にすむ微生物の数は、シ ロアリ塚のなかにすむシロアリそのものの数と同じほど、そして草原に分布するシロアリ塚の数と 同じほど豊かである。もしシロアリ塚がシロアリの町だとすると、それぞれのシロアリの腸は微生 物の町である。ここには二つのレベルの共同体があるのだ。しかし ( そしていよいよこの物語の核 心に近づいてきた ) 、もう一つ、第三のレベルがあり、その詳細はまったく驚くべきものである。 ミクソトリカ自身が一つの町なのである。この物語の全貌は、・・クリーヴランドと < ・ > ・ グリムストーンによって明らかにされたのだが、進化におけるミクソトリカの重要性に私たちの注 意を引きつけさせたのは、とりわけアメリカの生物学者リン・マーギュリスである。 ・ *-a ・サザーランドが一九三〇年代の初めに、最初にミクソトリカを調べたときに、彼女は体 プ表で波打っ二種類の「毛」を見た。ほとんど全面にわたって前後に波打っ何千という小さな毛に覆 グ い尽くされていたのだ。さらにまた、先端部に数本の非常に細長い、ムチのような構造も見えた。 ペんもう 両方とも彼女にとってはおなじみのもの、小さいほうは「繊毛」、大きなほうは「鞭毛」であるよ 確 不 ごくふつうに見られるものであり、 うに見えた。繊毛は動物細胞に、たとえば鼻腔の細胞などに、 ヴ また驚くことではないが繊毛虫類と呼ばれる原生動物の表面を覆っている。もう一つの認められた 「フ原生動物のグループ「鞭毛虫類」は、もっと長くて、ムチのような「鞭毛」 ( 単数形は flagellum 、

8. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

226 るイネ科の草本は、草食い動物の存在のもとで実際に栄えている ( 「敵の敵は味方」という原理に基 づいて ) 。そして、これと同じような類のことは寄生生物の犠牲者についても言えるし、捕食者につ いても言える。ただし捕食者の場合には、話はもっと込み入ったものになる。それでも、ホッキョク グマが肝臓や歯を必要とするのと同じように、生物群集は寄生生物や捕食者を必要としているという のは誤解を招く。しかし「敵の敵は味方」原理は実際に、同じ結果に似たものをもたらすのである。 サンゴ礁のような多様な種からなる生物群集を、その部分が取りはずされれば潜在的に滅ぶ危険性を もつ、一種のバランスのとれた実体であると見るのは正しいこともありうる。 お互いの存在によって栄える下位レベルの単位からできた共同体 ( 生物群集 ) というこの考え方は、 生物の世界に行きわたっている。一個の細胞の内部でさえ、この原理は適用される。大部分の動物細 胞は、内部に細菌の共同体を抱えているが、細胞をスムーズにはたらかせるために、あまりにも完璧 に統合されているため、それらが細菌由来のものであることは、やっと最近になって理解されるよう になったほどである。ミトコンドリアはかって、自由生活性の細菌であったが、今では私たちの細胞 のはたらきにとって不可欠なものであり、彼らにとっても私たちの細胞が不可欠なのである。ミトコ ンドリアの遺伝子は、私たちの遺伝子が彼らの存在のもとで栄えてきたように、私たちの遺伝子の存 在のもとで栄えてきたのである。植物細胞は、自分だけでは光合成をすることができない。その化学 的な魔法は、もとは細菌で今は葉緑体という名前に変わった出稼ぎ労働者によって実行されている。 はんすう 反芻類やシロアリなどの草食動物は、自分たちだけではセルロースをほとんど分解することができな しかし彼らは、植物を見つけてかみ砕くのは得意である ( 〈ミクソトリカの物語〉を参照 ) 。植物 がいつばいに詰まった消化管が提供する市場のすき間は、植物質を効率よく消化するのに必要な化学 的な専門技能をもっ共生微生物によって利用される。相補的な技能をもっ生き物どうしは、互いの存 しよう

9. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

340 に比べて、より似通っているように見える。私たちのように巨大な動物にとって、ミミズを求めて地 中に穴を掘るというのは、一つの生活様式として、ユーカリの葉をかじるのとは非常に異なったこと のように見える。しかしこの物語の語り手である細菌の化学的な視点からすれば、モグラも、コアラ も、ライオンも、スイギュウもすべて、ほとんど同じことをやっている。すべては、植物が太陽から 捉えてきたエネルギーによって究極的に合成された複雑な分子を分解することからエネルギーを得て いる。コアラとスイギュウは直接に植物を食べ、ライオンとモグラは、 ( 究極的には ) 植物を食べる 他の動物を食べることによって、一段階隔てて太陽エネルギーを得ているのである。 外部の主たるエネルギー源は太陽である。太陽は、植物細胞内部の共生的な緑色細菌を通じて、私 たちが肉眼で見ることができるあらゆる生物にエネルギーを授けることができる唯一のものである そのエネルギーは緑色の太陽パネル ( 葉 ) によって捉えられ、糖やデンプンといった有機化合物の合 成という坂を上るのに使われる。その後、残りの生物は、エネルギーと結合した上り坂や下り坂の一 連の化学反応において、もともとは植物が太陽から捉えたエネルギーを動力とするのである。生命の 経済を通じて、太陽から植物、そして草食動物、肉食動物、腐肉食動物へと、エネルギーは流れてい く。この道筋のあらゆる段階で、生物間だけでなく、生物個体の内部においても、エネルギー経済の あらゆる取引は浪費である。不可避的に、その一部は熱として浪費され、けっして回収されない。太 陽からの巨大なエネルギーの流人がなければ、生命は、かって教科書に書かれていたように、ゆっく りと停止することになるだろう。 それは今でも大部分は正しい。しかしそうした教科書は細菌と古細菌のことを考慮に人れていなか った。もしあなたが十分に工夫の才に長けた化学者なら、この地球上で、それに代わる、太陽から出 発しないエネルギーの流れを考えつくことは可能である。そしてもし、何か有効な化学的方法を思い

10. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 下

だろうかそれは簡単ではない。 この問題に付け加えれば、生物学者はずっと以前から、 脳の大きさ以外の多くの事柄もこのきっかりという 関係をもっことに気づいてきた。とりわけ、さまざまな 生物が使うエネルギー ( 代謝速度 ) が規則に従い、 これは合理的な理由が知られていないままに、クレイバ ーの法則という自然法則の地位にまで高められた。下の グラフは、体重に対する代謝速度を表示したものである ( 〈器用人の物語〉で、両対数目盛の合理的根拠について くわしく説明してある ) 。 クレイバーの法則に関して、本当に驚くべきことは、 それが最小の細菌類から最大のクジラ類まで通用するこ とである。そこにはおよそ二〇桁の大きさの違いがある 最小の細菌から最大の哺乳類を得るためには、一〇を二 〇回掛ける、つまり〇を二〇個後ろにつける必要があり、 クレイバーの法則は、この変異の幅全体にわたって正し く当てはまるのである。それは植物にも単細胞生物にも 当てはまる。下のグラフは、最もうまく適合する線を引 くと、三本の平行線になることを示している。一本目は デ微生物についてのもの、二本目は大きな冷血動物 ( ここ ー 36 植物 代謝速度 ( / 時間〕対数目盛 ) 変温動物 ( 冷血動物 ) 10-9 単細胞生物 体重 ( g : 対数目盛 ) 20 桁の大きさの違いにわたって適用できる法則 クレイハーの法則のグラフ。 west, B 「 own and Enquist[304] より改変。 0