「現地民が、ものすごく大きく、凶暴で、驚くべき習性をもっサルに似た動物のものだと称していた 頭骨」を見た。彳。 麦こキング・コングの物語で誇張されることになる、凶暴だという不当な評判は、 『種の起原』と同じ年に出版された『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』誌のゴリラについ ての記事のなかで声高かっ明瞭に表明される。この記事は、当時の旅行者たちの物語が高い水準をも っていたという評価を疑わしめるほどの規模の大量の誤りに満ちあふれている。 : くわしい調査はほとんど不可能で、そのわけはとりわけ、それが人問を見ると攻撃してくることで ある。雄の成獣の強さは途方もないもので、歯は大きくて強力で、森の木の葉の生い茂る枝の上に隠れ て、誰か人間がくるのを監視していると言われており、人間が木の下を通ると、巨大な指を備えた恐る べき後ろ脚を降ろし、犠牲者の喉に巻きつけて、地面からもちあけ、最後には死んた体を地面に落とす。 この動物にこのような所業を促すのはひたすら憎しみたけで、なせなら、死んた人間の肉を食べはしな いからで、殺害という行為そのものに悪魔のような喜ひを見いたすのである。 サヴェジは、その宣教師がもっている頭骨は「新種のオランウータンに」属するものだと信じた。 後に彼は、彼が発見した新種は初期のアフリカ旅行者の物語に出てくる「ポンゴ」にほかならないと いう結論を下した。それに正式な学名をつけるときに、サヴェジは解剖学の同僚であるワイマン教授 とともに、ポンゴを避けて、ゴリラを復活させた。、 コリラの名は、大昔のカルタゴのある提督がアフ ゴ コリラとい一つ リカ海岸沖の島で発見したと主張する野生の毛深い人種に対して用いたものであった。。 2 名は、サヴェジが見つけた動物のラテン語名でも日常語でも生き残っているが、これに対してポンゴ ン のほうは、今ではアジアにすむオランウータンのラテン語の属名になっている。
] / 2 行六た人ア ところが大きい名〔毎期にアフリカを訪れた白人探検家たちは、チンパンジーやゴリラを、黒い肌をも 刊第し蛮フ にびを野シ つ人間と非常に近縁なものと見ただけで、自分たちに近縁だと思ったわけではない。興味深いことに、 年喜形 0 ピる ののは 東南アジアとアフリカの部族民はいずれも、進化の逆戻りが慣例的に見られることをほのめかすよう同 7 究間に使 混 1 研人物天びて な古くからの伝説をもっている。それぞれの上地にすむ大型類人猿は、神の恩寵を失った人間であるの術人堕よれ ト画学 Q 場おら 登 ) とみなされている。オランウータンというのはマレー語で、「森の人」という意味である。 、のの〔。スス . っ レ 。絵テロカ 一六五八年にオランダの医師ポンテイウスが描いた「オランウータン」の絵は、・・ハクスリサイ 0 丿 c のダチベ 、ピリ 猷ゴサラ う ーの言葉によれば、「かなり美しい容貌とプロポーション、まったく人間のような脚をもっ非常に毛猿ッた < ロ 人ホれ : の 類巳さ巻も ( 一と 深い女以外の何ものでもない」。この女性は毛深かったが、奇妙なことに、一カ所だけ、実際の女性 が毛をもっている数少ない場所の一つだけは例外で、彼女の陰部ははっきりと無毛なのである。一世 紀後に、リンネの弟子のホッピウスによっても ( 一七六三年 ) 、まさに人間が描かれている。下の絵 で彼が描く動物の一つは尾をもっているが、それ以外はまるつきり人間で、二足歩行し、杖をもって いる。大ブリニウスは「尾をもっ種は盤ゲーム ( アメリカで一「ロう「チェッカーズ」 ) をして遊ぶ」と 述べている。 そのような神話が、一九世紀に進化という概念が登場したときに、私たちの文明に、進化に対する 心の準備をさせ、その発見を早めることさえしたのではないかと考えてきた人がいるかもしれない しかし、明らかにそうではなかった。むしろこれは、類人、サル、人間同を示すなのである。 そのことは、大型類人猿のそれぞれの種についての科学的発見の年代決定を困難にし、そのために、 そのうちのどの種が発見されたのかはっきりしないことが多い例外はゴリラで、これはきわめて最 近になって学界に知られることになったものである。 一八四七年に、アメリカ人宣教師のトマス・サヴェジ博士が、ガポン川にあった別の宣教師の家で、
168 ランデヴー 分子時計の告げるところでは、ゴリラが私たちに合流するランデヴー地点 2 は、またしてもアリ 力で、私たちの巡礼が、テヴー地点— わずか一〇〇万年ほど過去に進んだところでしかない 七〇〇万年前には、南北アメリカ大陸はまだつながっておらず、アンデス山脈はまだ大隆起を開始し ておらず、ヒマラヤ山脈がようやくでき始めたばかりであった。にもかかわらず、両大陸の形は現在 とかなりよく似ていただろうし、アフリカの気候も、今よりも季節性に乏しく、やや湿気が高かった が、現在とよく似たようなものであっただろう。アフリカは当時、今よりも全面的に森に覆われてい て、現在のサハラ砂漠でさえ、木の生えたサヴァンナであっただろう。 残念ながら、コンセスター あいだのすき間に橋渡しをするイ 在せず、おそらく三〇 万代前の祖父母にあたるコンセスター 2 が、よりゴリラに似ていたか、それともチンパンジーに似て いたか、あるいは実はヒトによく似ていたかを決定する手がかりは何ひとつない。私はチンパンジー に近かったと推測しているが、その理由は、巨大なゴリラはかなり極端に思われ、普遍的な類人猿の 類型らしくないというだけのことである。けれども、ゴリラの例外性を誇張しすぎてはならない。彼 らはこれまで生きてきた最大の類人猿ではないのである。アジアの化石類人猿ギガントピテクスは一 種の巨大なオランウータンで、最大級のゴリラさえしのぐ頭部とずっしりとした肩をもっていたこと ゴリラ
場所から判断して、サヴェジが見つけた種はウエスタンゴリラ ( G ミミに go ミ ) であったにちがい ない。サヴェジとワイマンはそれをチンパンジーと同じ属に人れ、きミ & ミ g ミミåど名づけたと ころが、あろうことか、 T きミ & にはミソサザイという小さな鳥の属名としてすでに使われていて、 そのために動物学の命名規約に従って、チンパンジーもゴリラも属名としての # 。ミ。ゞを断念しな ければならなくなった。それはチンパンジー ( P ミこきミ。ゞ ) の種小名として生き残る一方で、サ ヴェジのゴリラのかっての種小名は属名 ( G ミミ ) に昇格することになった。「マウンテンゴリラ」 はやっと一九〇二年になって、ドイツ人口ベルト・フォン・べリンゲによって「発見された」。彼は 撃ち殺したのだ ! やがて見るように、現在ではこれはイースタンゴリラの一亜種とみなされ、イー スタンゴリラ全体が ( 不当だと思う人がいるかもしれないが ) 、彼の名にちなむ G ミミ。 ~ 斗 g ミを引き 受けているのである。 サヴェジは、自分の見たゴリラが、本当にカルタゴ人船乗りが報告したように、島に住む人種であ るとは信じなかった。しかし、もともとホメロスやプリニウスによって、非常に体の小さな伝説の人 種として言及された卩 1 ・ ) ) ) に。 = 。・ - ・・よ、後に一七、一八世紀の探検家たちによって、その頃アフリカで 発見されつつあったチンパンジーにほかならないことが確認された。タイソン ( 一六九九年 ) は、 「ピグミー」の絵を示しているか、それはハクスリーの言うように、まぎれもなく若いチンパンジー である。しかし、これもまた直立歩行し、杖をもっているところが描かれている。もちろん、現在で は、私たちはピグミーという言葉を、ふたたび、非常に小さな人類を指すのに使っている。 このことは、二〇世紀の比較的遅くまで私たちの文化につきまとっていた人種差別主義に私たちを 連れ戻す。初期の探検家たちはしばしば、森にすむ先住民について、探検家たち自身とよりも、チン ゴリラ、あるいはオランウータンと密接な類似性をもっているとした。一九世紀には、ダ
1 70 は毛むくじゃらであるから、もしコンセスター 1 や 2 がそうでなかったとしたら驚くべきだろう。チ ンパンジー、ポノボ、ゴリラは奥深い森の住人なので、ランデヴー地点 2 をアフリカの森のなかに定 めるのは妥当であるが、アフリカのどこか特定の地域を推測するに足る強力な証拠は存在しない ゴリラは単なる巨大なチンパンジーというわけではなく、他の面でも異なったところがあり、コン セスター 2 を復元しようと試みるときには、その点を考える必要がある。ゴリラはな菜食主義者 である。雄は複の雌からなハレ ている。チンパンジーはより乱、的で、この、酉ヾステ ムの相違は、後に〈アザラシの物で知るように、彼ら丸大きさに興味深い結果をおよぼし てきた。私は、交配システムは進化的には柔軟なもので、簡単に変わりうるのではないかと思ってい る。この点でコンセスター 2 がどのような立場にあったかを推測できる明確な手段を私は知らない 実際、現在のさまざまな人類文化が、忠実な一夫一婦制から潜在的に非常に大きなハレムになる可能 性のあるものまで、きわめて幅広い婚姻システムを示しているという事実は、コンセスター 2 の婚姻 システムについて憶測することへの私のためらいを強め、私の述べる憶測がコンセスター 2 の本性か らしてつかの間のものに終わってしまうだろうと思わせる。 類人猿は、おそらくゴリラはとくに、長いあいだ人間の神話を生みだす有力な源泉 ( そしてその犠 牲者 ) であった。〈ゴリラの物語〉では、私たちの最も近い親戚に対する人間の態度がどのように変 わってきたかが考察される。 ゴリラの物語 一九世紀におけるダーウイン主義の台頭は、類人猿に対する態度を二極分化させることになった。
外 上 の よ が 期 れ だ ば 線 コ 甲 と 間 ろ て、 つ か も ン と な な に は つ ら 時 セ 足 ら の ホ そ 線 の 間 の な モ そ で ス タ 裏 い 防 を し し れ 御 過 を と て ヒ 工 は て 2 地 レ 中 す と マ が面 ク 国 フ れ し し ん ば に 上 ば ヤ ト に て ナ て ウ 生 で 、山 、黒 つ し ) ツ 脈 ス け 生私 い た ク お て 活 そ 色 の や し と は ル 重古 ら 素 い 歩 ナ ギ 男代 彳丁 く を ツ る つ イ 型 く 黒 進 を ク の ガ の最 な 化 ル と は し 工 ン 近 さ 妥 て 歩 を ト い 丁 ホ 行 せ 当 強 ピ し イ モ い 暗 る な た し の お 丁 褐 推 て ら ク サ よ が 色 し 測 い れ ス と ピ そ チ た 工 五 だ た で た は て、 ン 〇 が あ と ン は オ お 。す、 ハ ス 万 そ な フ つ る と 年 い ン ら ン て、 ん て か 重 る シ あ ウ く 則 コ 帯 と な た、 る に ほ り な の と タ ゴ ろ ン 0 ) セ 陽 同 ン リ っ ス 光 フ め じ カゞ っ て か 絶 人 タ し や の よ す な チ ン 大 2 と れ し を に し ) パ胆 除 は た よ の で く 体 ン な あ も の と つ 色 自 ジ夢 す く ま 0 こ の 相 を 然 り べ に で が 家 て 推淘 夜 た に さ も の 測 汰 間 ぶ し そ 類 ん 最 し は は ん て の 近 生 人 な 、木 い 手 い の 存 け 紫 猿 の 指 る る ゴリラが合流 ゴリラがおよそ 700 万年前に 遺伝子解析に基づいて、 他のアフリカ類人猿から分岐したことを示す系統発生図。 、ポノボ、およひ人類 右側の枝はここではチンノヾンジー を表している ( コンセスター 1 は、この枝の 600 万年前 のところにある灰色の丸で記されている ) 。左側の枝は ゴリラ属だけを表し、現在ではこの属は 2 種からなると 考えられている。 写真 : ウェスタンゴリラ ( Go 「 / 〃ägo 行″ä ) 0 ) ゴリラ類 ( Go 「ミ a ) ) ゴリラが合流 合流すみのもの 1 2 3 4 5 6 7 単位 : 1 OO 万年前 CZ = 新生代 N = ネオジン
1 66 にならない。あらゆる種類の性愛症が彼らには適しているように思える。ドウ・ヴァールは、彼が観 察していた飼育下のポノボの群れのなかで、餌の時間に飼育係が近づいてくるやいなや、雄たちが勃 起するさまを描写している。彼はこれを、性を介した食物分配への心構えではないかと推測している。 雌のポノボたちは、ペアになって、いわゆる「ホカホ力」 ( 性皮と性皮のこすり合わせ ) をする。 一頭の雌がもう一頭の四つん這いになっている雌の下から対面し、相手に腕と脚をしつかりと絡め、地 面から体をもちあける。それからお互いに膨れあがった性皮とうしをこすり合わせ、おそらくオーカズ ム体験を反映していると思われる笑みと叫ひ声をあける。 自由恋愛にふけるポノボのヒッピー的なイメージは、ひょっとしたら一九六〇年代からやってきた ベスティアリ ような、あるいは、動物は人間に道徳的教訓を指摘するためだけに存在するとする「中世の動物寓話」 学派からやってきたのではないかと思われる善良な人々のあいだに、一つの希望的観測をもたらすこ とになった。その希望的観測とは、人間がチンパンジーよりもポノボのほうに、より近いのではない かというものである。私たちのなかのマーガレット・ミード的なものは、この寛容な役割モデルを、 家父長的で、サルを虐殺するチンパンジーよりも親密なものに感じる。けれども残念ながら、好むと 好まざるとにかかわりなく、人間は両種と正確に同じだけ近いのである。それは単純に、チンパンジ ーとポノボが、彼らが私たちと共有する祖先よりもずっと最近まで生きていた共通の祖先を共有する という理由のためである。おまけに、分子的な証拠は、チンパンジーとポノボが、ゴリラに対するよ りも人間に、より近縁であることを示唆している。これから、人類はゴリラに対して、チンパンジー とポノボがゴリラに対するのと同じように近いということになる。そして私たちは、オランウータン
3 1 0 の競争に勝ち抜かなければならない精子を通じて、世代から世代へと受け継がれてきたというのであ る。そうした世界では、単純に精子の数が間題で、これが大きな精巣を要求するのである。これに対 して雄ゴリラは、小さな睾丸しかもたないが、強力な肩と、分厚くて共鳴する胸をもっている。ゴリ ラの遺伝子は、雌を勝ち取るのに、雄の闘いと胸叩きの威嚇を介して競争するのであり、これはその 後の雌の体内での精子競争を先手で回避している。チンパンジー類は、膣内での精子という代理者に よって競争しているのである。これこそ、ゴリラが性的二型と小さな 0 ーーーリタ 睾丸を示すのに対して、チンパンジーが大きな睾丸と弱い性的二型を ウ ン 一小す理由である。 オ ーヴィーは、ロジャー 私の同僚のポール・ハ ・ショートを含むさま ざまな協力者とともに、サル類と類人猿からの比較解剖学的な証拠を 用いて、このアイデアを検証した。彼らは霊長類の二〇属を取り上げ て、その睾丸の重さを量った。本当のところは、彼らは図書室に行っ て、精巣重量に関する公表された情報を集めたのである。大型の動物 は明らかに小型の動物よりも大きな睾丸をもっ傾向があるので、この 点を補正しなければならなかった。彼らの方法は、脳に関して〈器用 人の物語〉で説明した方法だった。彼らは、サル類または類人猿の一 属をそれぞれグラフ上の一点とし、体重に対する精巣重量を、対数目 盛で印していった。各点は、最小のマーモセットから最大のゴリラま で、一本の直線の周りに落ちた。脳の場合と同じように、興味深い疑 間は、どの種が、体の大きさのわりに相対的に大きな睾丸をもち、ど チン / ヾンジー 200 100 ヒ 精巣重量 ( : 対数目盛 ) 十 0 6 0 0 100 200 1 0 体重 ()g : 対数目盛 ) 精巣重量と体重の関係 Harvey and Page [ 132 ] より改変。
] 5 1 猿人 えてきた ) 。愛称でトウマイ ( 現地のゴラン語で、「生きる望み」という意味 ) と呼ばれるこの化石 は、それが発見されたチャド領サハラのサヘル地区にちなんで、サヘラントロプス・チャデンシス という正式名称をもっている。それは非常に興味深い頭骨で、前から見るとむしろ人間に似ている が ( チンパンジーやゴリラのように顔面が突きだしていない ) 、後方から見るとチンパンジーに似 ていて、チンパンジーと同じほどの大きさの頭蓋をもっている。極度によく発達した眼窩上隆起を もっていて、これがトウマイ雄考える主な理由であった。歯はどちらかと言えば人間に似てお り、とくにエナメル質の厚さはチンパンジーとヒトの中間である。大後頭孔 ( 脊髄が通る大きな穴 ) は、チンパンジーやゴリラよりもずっと前方にあり、他の一部の人々にとってはそうではないが、 プルネ自身にとっては、トウマイが二足歩行であったことを示唆するものであった。理想的には、 これは骨盤や脚の骨で裏づけられるべきであるが、残念ながら、これまでのところ、頭骨以外は何 も見つかっていない この地域には、放射性年代測定ができるような火山の遺物が残っておらず、プルネの チームは、間接的な時計として他の化石を使わざるをえなかった。これらは、絶対的な フリカの他の部分から出ている既知の動物群と比較された。この比 年代決定がで 印から六〇〇万年前のものであるという結果 較によって、トウマイ年代が七 が得られた。、 フルネらは、それがオロリンより古いと主張し、予想通りオロリンの発見第ー。「 者たちからの憤激の反論を呼び起こした。そのうちの一人、パリ自然史博物館のプリジ ット・セニュは、トウマイが ( おそらく正当に ) 「雌のゴリラ」だと言い、一方、彼女 の共同研究者であるマーティン・ピックフォードは、トウマイの犬歯を「大型サル類の 雌」に典型的なものだと表現した。この二人が、自分たちの赤ん坊であるオロリンの先 生きる望み 2 OO 1 年にミシェル・プルネ らによって、チャドのサヘル 地区で発見されたサヘラント ロプス・チャテンシスすなわ ち「トウマイ」の頭骨。
2 〇 8 一頭の雌よりも互いに近縁であると分類することだろう。実際に、雄であることを決定する遺伝子 (SRY) は、少なくともヒトとテナガザルが分岐するよりもはるか以前から、雌の体にはなかったの である。伝統的に、形態学者は「無意味な」分類を避けるために、性的形質を特別なケースだと言い 訳してきた。しかし同様の問題は他でも起きている。すでに私たちはそのことを〈イヴの物語〉で、 血液型に関して見た。私の型遺伝子に基づけば、私は型のヒトよりも型のチンパンジー により近縁であることになる。そして性遺伝子や血液型だけでなく、すべての遺伝子、すべての形質 が、特定の状況のもとで同様の影響を受ける。分子的形質も形態学的形質も、どちらもその大多数は チンパンジーが最も近縁な親戚であることを示している。しかし、少数派ではあるが、ばかにできなサよ樹猿動よ汰を のに統人たの淘あ 団動系類い然で い数の形質は、ゴリラが最も近縁である、あるいはチンパンジーがゴリラに最も近縁で、両者のヒト 集浮の力あ自の は的子リのし、る に対する近縁度は等しいことを示している。 伝伝フ隔かてす る遺遺ア間しつ在 た存 これに驚くことはない。異なる遺伝子は異なるルートを通じて受け継がれるのである。これら三種はと、に 統樹は分うわ すべてにとっての祖先集団は分岐していく ( それぞれの遺伝子が多数の異なる系統をもって ) ことだど系統者 + ろにね 先の類的く時も ろう。ヒトとゴリラがもつ一つの遺伝子が一つの系統に由来するのに対して、チンパンジーでは類縁祖種分間づの子 、な時気さ伝 のもっとはるかに遠い系統に由来するというのは、十分にありうることである。大昔に分岐した二つれ巳で面らに長遺 けまこ帳かとな れ 遠いそ几てこ大 の遺伝的系統にとって必要なことは、チンパンジーとヒトが分離するまでずっと存続し、ヒトが一方 がさ。うしな膨持 * 9 間於う願岐単が保 の系統、チンパンジーがもう一方の系統に由来できるということである。 時まと分簡譜て のれし 、が系し そこで私たちは、単一の系統樹は物語のすべてではないことを認めなければならない。種の系統樹らけてたてうの貫 かされせつほ々一 離小わさ違う別て は描くことができるが、それは多数の遺伝子系統樹の単純化された要約であるとみなさなければなら 分が失致と扱、つ のズて一とをによ ない。私は種の系統樹を二つの異なったやり方で想像することができる。一つ目は慣習的な系図学的種イつをな物うに 解釈である。一つの種は、検討したすべての種のなかで、もう一つ別の種が最も新しい共通の系図学