・ 0 作業であり、数学者のやるべき仕事である。 応用数学者は、事態を単純化したもの、すなわち「モデル」を設定することで、現実世界を理解し ようと試みる。現実世界はモデルによって考えやすくなるが、現実を照らし出すあらゆる力は失われ ていないまた、時にはモデルが、現実の世界を解明するのにどこから出発すればよいのかという基 準線を与えてくれる。 現存するすべての人類の、共通祖先の年代を決めるためのモデルを組み立てるとき、話を単純化す るのに好都合な仮定、すなわち一種のトイ ( おもちゃの ) 世界は、移人も移出もない一つの島にすむ 固定した人口をもっ繁殖集団である。それが、一九世紀の人植者たちによって農業の害敵として絶滅 させられる以前の幸せな時代における、タスマニア島先住民の理想化された集団だとしてみよう。最 後の純血のタスマニア人であるトルカニニは一八七六年に死んだが、その直前に死んだ友人「キン ク・ビリー の去はタバコ人れにされた ( 人間の皮膚でランプの傘をつくったナチを思い起こさせ る ) 。タスマニア先住民、一万三〇〇〇年ほど前に海水面の上昇によって陸橋が水没してから孤立 , ホロコース したままで、そ以後、一九世紀の大虐殺という衝撃的な出会いまで、外の世界の人間に出会ったこ とがなかった。ここでのモデル化の目的のために、タスマニア人は、一八〇〇年までの一万三〇〇〇 年のあいだ、世界の他の人々から完全に隔離されていたとみなすことにする。モデル化の目的のため に、概念上の「現在」は西暦一八〇〇年と定義する。 次のステップは、交配 ( 婚姻 ) パターンをモデル化することである。現実の世界では人々は恋に落 ちるか、あるいは見合い結婚をするが、ここでは私たちはモデル設計者なので、人間的な細部を情け 容赦なく扱いやすい数学に置き換えてしまおう。想像できる交配モデルは二つ以上ある。そのうちの 一つ、 ' - ' ・・ンダ・ム、拡故・モデルでは、男も女も生まれた上地から粒子のように外に向かって拡散していく
2 / 総序 る。化石を含んだ古い岩石の塊が、たとえば氷河によって若い地層の上に投げ上げられることがある あるいは一連の地層がまるごとひっくり返されてしまい、層序が逆になってしまうことがある。こう した変則事例は、世界の他の地域の同じような地層と比較することで処理できる。ひとたびこれがで きると、古生物学者 ( 化石の研究者 ) は、世界各地から得られた重なり合う地層の配列のジグソー ズルのなかに、すべての化石記録の真の配列のピースをはめ込むことができる。この論理は、世界の 地図そのものが時代とともに変化するという事実 ( 〈エピオルニスの物語〉を参照 ) によって、原理 実践的には複雑なものとなる。 的にではないが、 なぜジグソーパズルが必要なのか。なぜ、好きなだけ下に掘り進んでいって、それを、着実に過去 に向かって時間をさかのぼっているのと同等のものとして扱ってはいけないのだろう。たしかに、時 間そのものは滑らかに流れていくかもしれないが、それはかならずしも、世界中どこでも、地質学的 時間の始まりから終わりまで、滑らかかっ連続的に堆積した一つの地層配列が存在することを意味し ない。化石床は、条件が適切なときにだけ、思い出したように断続的に堆積するのである。 いかなる堆積岩も化石もないという可能性はかなりある どの地点でも、どこかの時期の地層に、 しかし、どんな時期に関する化石でも、世界のどこかには堆積している可能性はきわめて高い。異な サイト る地層がたまたま地表近くにあって近づける遺跡から遺跡へと、世界中を飛び回ることによって、古 生物学者は断片をつなぎ合わせて連続的な記録に近いものにすることが期待できる。もちろん、個々 の古生物学者は遺跡から遺跡へと飛び回ったりはしない。彼らは博物館から博物館へと飛び回って、 引き出しのなかの標本を調べ、あるいは大学図書館にある雑誌から雑誌へと飛び回って、発見された 遺跡が詳細に記されている化石の文献記載を調べ、そうした記述を用いて、世界のさまざまな地域か ら得られたジグソーパズルの断片をつなぎ合わせるのである。
2 1 0 ランデヴ のがと れ円こ このランデヴー地点に近づき、コンセスター 5 ( およそ一五〇万代前の祖父母 ) に挨拶をする準備ぞ。る れるある にかかる頃、一つの重大な ( いささか恣意的であるかもしれないが ) 境界線を踏み越える。この旅で て 9 で 初めて、ネオジン ( 新第三紀 + 第四紀 ) という一つの地質学的な時代を後にして、それより前のパレ てで 0 2 れ数 0 ・、 には、私たちは白亜紀の オジン ( 古第三紀 ) という時代に人る。次回に同様の境界を踏み ら概一 めを円種、Ⅳ ーのパレオジンに予 恐竜の世界になだれ込むことになる。ランデヴー地点 5 は、お , 一 .. 一 . 五 00 万年前 認数なも に種きれ・ーレ 的の大ど切 ) 定されている。もっと細かく言えば、そのうちの漸新世と呼ばれる時代で、そこは、過去にさかのぼ 般と 一ごはン はプ 9 プテ る私たちの旅で、世界の気候と植生が現在とほぼ同じだと認めることができる、最後の地点である。 統ル 0 それよりずっとさかのぼると、われらがネオジンをあれほど特徴づけていた開けた草原、あるいは草系クグ以 のの円の これなっ 原の広がりに沿って遊動する草食獣の大群のいかなる形跡も認められなくなるだろう。一一五〇〇万年 のぞさ 4 ド 種れ、たンス 0 そるしマプ 前には、アフリカは世界の他の地域から完全に隔離されており、いちばん近い陸地であるスペインか ロ は示 らは、現在のマダガスカル島くらい隔たっていた。私たちの巡礼団が、活発で、臨機の才をもつ新参流よるこ 7 ロ 合おえカこ右シ 者たち、すなわち旧世界ザル ( 尾をもって登場する最初の巡礼者 ) の流人を受けてまさに賑わいを見が、見数。ら ( ロ ルレこ種るかルク サ切はす左サラ せようとしているのは、このアフリカという巨大な島でのことである 界界先の味 ( オゴ 世世のい意真カン 現在では、旧世界ザルの全種数は一〇〇を割っており、そのうちのいくつかは、故郷を出て、アジ旧旧枝なを写アア 旧世界ザル
きくなり、南アメリカの水路にすむヒッジ大のカピバラにまで至る。カピバラは肉が賞味され、単に その体の大きさゆえのみではなく、珍しさのゆえに、ローマ・カトリック教会は伝統的にその肉を金 曜日に食べる魚の名誉会員に列するべきだと考えていた。たぶん、カビバラが水中で生活しているか らであろう。現代のカピバラは大きいと言えば大きいのだが、、 こく新しい時代に絶滅したばかりの各 種の巨大な南アメリカの齧歯類と比べると、ちっぽけなものに見える。巨大カピバラであるプロトヒ ドロコエルスは、ロバほどの大きさがあった。テリコミスはさらに大きい齧歯類で、小型のサイほど もの大きさであったが、巨大カピバラと同様、パナマ地峡の隆起によって南アメリカの、島として孤 立した状態に終止符が打たれた ( 南北アメリカ大交流 ) 時期に絶滅した。この巨大齧歯類の二つのグ ループは、お互いにそれほどとくに近縁ではなく、その巨大化は独立に進化してきたように思われる 齧歯類のいない世界は現実と非常に違ったものになるだろう。しかし、そうなる可能性は、齧歯類 に支配された、人間のいない世界が実現する可能性よりも低いだろう。も、争、人類と残りの 大部分の生物を破滅さ ば、そのとき短期的に生き残り、長期的には進化的な祖先になる候 補として有望なのドプネズミ類。る私は、アルマゲドン後の世界について一つのイメージをも っている。人類と他の 類は消滅している。齧歯類がポスト人類時代の究極の腐肉食者として 類姿を現す。彼らは、ニューヨーク、ロンドン、東京を掘り進みながら、こぼれ落ちた貯蔵食糧、人影 サ のないスー ウ ーマーケット、人間の死体を消化し、それを新しい世代のネズミに変えていき、競い合 と 類 う個体数は爆発的に増加して都市の外へあふれ出し、田舎へと人り込む。人類の放蕩の遺物がすべて 食べ尽くされたとき、ふたたび個体数の壊滅が起こり、齧歯類たちは互いに食い合い、死体を食らう ヴ ゴキプリに目を向ける。熾烈な競合の時期に、おそらくは放射能によって高められた突然変異率によ ン って、短い世代で、急速な進化が促される。船舶や航空機がなくなるとともに、島はふたたび本来の
220 イスか、あるいは二週間後のマリリンのどちらかだったのだろう。どちらもアンギラ島を直撃はしな類カグはガ ケ能イもン カる。りト かった。チェンスキーらはその後、アンギラ島、および一キロメートルほど沖合の小島でイグアナを トするよや 捕獲あるいは視認している。この集団は一九九八年でもまだアンギラ島で生き延びており、少なくと縁入て諸ジ、 近へれドイ も繁殖可能な状態にある一匹のがまれていた。 び島ぐンフれ よのすイ、さ こうした「たった一度だけ起こりさえすればよかった」という論理を、自分の身の回りでの偶然のお中け西い見 ナ界わは遠発 出来事に当てはめたときに、どんなに恐ろしいことになるかと述べたい誘惑に私は抗しきれない。核ク、とナかさ イはにアるで 抑止論の原理、核兵器保有の唯 ワ」 も第一撃のリスクをあえて冒したりはしないだろうということである。まちがってミサイルが発射さ れたり、司令官の頭がおかしくなったり、コンピューターが誤作動したり、あるいは威嚇がエスカレ ートして歯止めがきかなくなる確率はどれくらいだろうか。世界で最も強大な核保有国の指導者は ( 私はこれを二〇〇三年に書いている ) 、この一言葉が「ニュクリア (nuclear) 」ではなく「ニュクラ (nucular) 」だと思っている。彼は、自らの英知あるいは知性が読み書きの能力よりもすぐれて いることをうかがわせるような理由を、これまで何一つ見せてくれたことがない。彼は「先制の」第 一撃をしたがっていることを明らかにした。戦慄すべき過ち、アルマゲドンを始めてしまう確率はど のようなものだろう。一年あたり一〇〇分の一くらいの確率だろうか。私はもっと悲観的に見るだろ う。一九六三年にも恐ろしいほどそれに近い状況にあったが、あのときはもっと知的な大統領だった。 いずれにせよ、カシミール、イスラエル、朝鮮半島でいったい何が起こるのだろう。一年あたりの確 率が一〇〇分の一といった低い数字でも、一世紀というのは非常に短い。ここで語られている災厄の 規模を考えると、それは一回だけ起これば十分なのである。 もっと楽しい話題、新世界ザルの話に戻ろう。一部の新世界ザルは、多くの旧世界ザルと同じよう
提にしてきたからである。 ずいぶん前から私は、生物個体が疑似的に目的をもっ実体 ( 何かを最大化することができる実体 ) であるかのように振る舞う唯一の理由は、個体が過去の世代を生き延びてきた遺伝子によってつくら れているからだと主張してきた。人格化して意図のせいにしたいという誘惑、つまり「過去を生き延 びてきた遺伝子」というところを「将来に繁殖しようという意図」あるいは「将来に多数の子孫をも ちたいという個体の意図」のような言い方に変えたいという誘惑が存在する。そのような人格化は遺 伝子にも適用できる。私たちは、遺伝子が個体の体に影響を与え、将来における自分と同じ遺伝子の コピーの数を増やすような形で振る舞うようにさせているとみなしたいという誘惑にかられる。 そのような言葉を使う科学者は、それが個体のレベルであろうと遺伝子のレベルであろうと、それ が比喩的表現でしかないことを十分よく知っている。遺伝子はただの分子にしかすぎない 「利己的な」遺伝子が、本当に生き残るための意図的なもくろみをもっていると考えるなら、あなた しつでもそれをちゃんとした言葉に翻訳することが はおかしいと思われるにちかいない私たちは、ゝ できる。すなわち、世界は過去に生き延びてきた遺伝子に満ちあふれるようになるだろう。世界は 定の安定性をもち、気まぐれに変化はしないから、過去に生き延びてきた遺伝子は、将来においても うまく生き延びていけそうな遺伝子になる傾向がある。それは、生き延びて子供、係、そしてずっと 類遠い未来の子孫をつくれるように体をうまくプログラムできることを意味する。そこで私たちは、将 て来を見すえながら、個体を基盤とする適応度の定義に戻ってきたわけである。しかし今や私たちは、 す 個体は遺伝子の乗り物としてしか重要でないことを認識している。孫や、もっと遠い先の子孫をもっ これがまたしてもパラドックスをも 個体は、遺伝子の生き残りという目的のための手段にすぎない ン たらす。繁殖する個体の八〇 % が天までぎゅうぎゅうに詰め込まれているようなのだーー最大の適 ヴィークル
べてのスポーツで、トップレベルでは、性別なしのオープン競技は排除されている。ほ とんどの身体スポーツでは、世界のトップ一〇〇位に人る男子選手は誰であれ、世界の トップ一〇〇位に人る女子選手の誰が相手でも勝つだろう。 たとえそうだとしても、アザラシやその他多くの動物の基準からすれば、ヒトはほん のわずかな性的二型しか示さない。ゴリラよりは程度が弱く、テナガザルよりは強い。 ひょっとしたら人類のわずかな性的二型は、私たちの祖先の雌が、時には一夫一妻、時 に。小さなハレムにいたということを意味するのかもしれない現代社会における変異 はきわめて大きいので、ほとんどどんな予断でも、それを支持する証拠を見つけること ができるだろう。一九六七年に刊行された・・マードックの『民族誌アトラス』は みごとな集成である。ここには、世界中を調査し、八四九の人類社会の特色がリストさ れている。それから、ハレムを許容している社会と一夫一妻を強制している社会の比を 計算できると期待する人がいるかもしれない。社会の数を数える際の困難は、どこに線 を引け。 よよいのか、あるいはどれを独立した社会として数えればよいのか、明確な場合がほとんどな いということである。このことは、適切な統計的処理をむずかしくする。にもかかわらず、このアト ラスは最善を尽くしている。これら八四九の社会のうち一三七 ( 約一六 % ) は一夫一妻、四 ( 一 % 未 満 ) が一妻多夫、そして七〇八 ( 八三 % ) という膨大な社会が一夫多妻 ( 男が二人以上の妻をもっ ) シ であった。この七〇八の社会は、社会的ルールとしては一夫多妻が認められているがめったに実行さ ロ れないものと、それが標準になっているものとに、ほぼ均等に分かれる。厳密な正確さを求めればも ヴちろん、「標準」というのは、女にとってハレムの一員となること、男にとってのハレムへの野望を テ指す。自明のことだが、同数の男と女がいれば、大多数の男はこれからこぼれる。何人かの中国皇帝 体の大きさは大切 ミナミゾウアサラシ (Mroungaleonina) の雄と雌。
クスという驚くべき現象のために、世界地図は現在とはまったく違ったものだったからである。そし て、さらにそれよりもさかのぼれば、ランデヴーは海のなかで起こる 便宜的に、私たちと同じときに現在から旅立った者たちだけを、同行の巡礼者と認めることにしょ う。すると、私たち人間の巡礼者が、生命の起源そのものに行きあたるまでに、全部でわずか四〇回 ほどのランデヴーしか経験しないというのは、かなり驚くべきことである。この番号をふったランデ ヴー地点ごとに、特定の一つの共通の祖先、すなわちコンセスターを見いだすことになるが、それは ランデヴーの番号と同じ番号をもっている。たとえば、ランデヴー 2 で出会うコンセスター 2 は、 方におけるゴリラともう一方における宀ヒト + ( チンパンジー + ポノボこの最も新しい共通の祖先 である。コンセスター 3 は、オランウータンと〔宀ヒト十 ( チンパンジー十ポノボこ十ゴリラ〕の最 も新しい共通の祖先である。コンセスターは、現存するすべての生物の始祖である。コンセスター 0 は特別な例で、現存するすべての人類の最も新しい祖先である。 したがって私たちは、他の巡礼者一行との友好をしだいしだいに広くわかち合っていく巡礼者とな り、その一行もまた、私たちとのランデヴーに行きつくまでの道すがら、しだいに数を膨れあがらせ てきたのである。出会いのたびに、私たちは一緒になり、共通の始世代の目的地、われらが「カンタ ー」へとさかのぼる王道を歩み続けるのである。もちろん、別の文学的言いまわしもあり、私は すんでのところで、バニャンをお手本にして、本書を『巡礼者の後戻り』 (Pilgrim's Regress ハ一 ャンの『天路歴程』の原題 Pilgrim ・ s Progress のもじり ) とするところだった。しかし、私と、研究 観 歴助手のヤン・ウオンとの議論でいつも行きついたのはチョーサーの『カンタベリー物語』で、しだい に本書を通じてチョーサーのことを考えるのが自然であるように思えてきた。 上 チョーサーの巡礼者 ( の大部分 ) と違って、私の巡礼者たちは、現在という同じときに出発するの * * 訳者補注 『カンタベリー物語』は、 14 世紀、イギリス の詩人ジェフリー・チョーサーによっ聿か れた。カンタヘリ大聖堂を目指巛礼 ちが一晩に 1 っすっ語る物語につて成さ れる。、巡ネし集可には朝壬 : ー屋、修道僧、医 師、女官、商人などさまさまな人物が登場す る。
世界で最も孤立した島集団が隔離されるようになった年代が、ランデヴー地点 0 の年代の下限を決 める。しかしこの下限を事実として真面目に受けとめるためには、隔離が絶対的なものでなければな らない このことは、先に出会った八〇 % という数字からそうなる。タスマニア島への一人の移住民 が、ひとたび社会に十分に受け人れられ、正常な繁殖をするようになれば、最終的にすべてのタスマ ニア人の共通祖先になる確率は八〇 % ある。したがって、ほんの少数の移民であっても、ほとんど隔 離された集団の家系図を本上の家系図に接ぎ木することが十分に可能なのである。ランデヴー地点 0 の時期は、最も孤立した少数の人間集団が隣接集団から完全に隔離されるようになった年代、それに 加えて、その隣接集団がそのまた周囲の隣接集団から完全に隔離されるようになった年代、等々に依 存する可能性が高い。すべての家系図を一つに合体させるためには、島から島へのジャンプが数回は 必要かもしれないが、それでも、コンセスター 0 に遭遇するまでにそれほど多くの世紀はかからない だろう。こういう操作によって、ランデヴー地点は数万年ほど過去に押しやられ、あるいは、二〇万 年前—三〇万年前にくるかもしれないが、それより古いということはない。 ランデヴー 0 がどこで起こったかについて言えば、それは、ほとんど意表をつく場所である。私の 最初の反応がそうであったように、あなたもアフリカだという考えに傾いたかもしれない。アフリカ は、人類の内部における最も古い遺伝的分裂の場であったから、すべての人類の共通祖先を探す場所 類 としては、理にかなっているように思える。もしサハラ砂漠以南のアフリカを消し去れば、人類の遺 人 て伝的多様性の大多数は失われてしまうが、アフリカ以外のどこを消してもほとんど何も変わらないだ す ろうと、よく言われてきた。にもかかわらず、ンセスター 0 アフリカ以外にすんでいたようであ ヴ る。コンセスター 0 は、最も地理的に隔離された集団 ( 議論のためにタスマニア島だとして ) を残り 「フの世界に結びつける最も新しい共通祖先である。もし、タスマニア島が完全に隔離されていた長い期
団のあいだには、プリテン島であれタスマニア島であれ、ありとあらゆる相違点がある。英国の人口 は歴史時代を通じて急激に増大していって現在の数に到達したので、計算はまるつきり変わってくる。 どんな現実の社会でも、人は行き当たりばったりに結婚したりはしない。人々は自分と同じ部族、言 語集団あるいは自分のすむ地域を好み、もちろん、誰もが個人的な好みをもっている。英国の歴史は さらに複雑さを付け加える。すなわち、プリテン島は地理的には一つの島であるが、その人口は隔離 されているというにはほど遠い何世紀にもわたって、ヨーロッパから、ローマ人、サクソン人、デ ーン人、ノルマン人など、何次にもおよぶ外来移民の波が押し寄せたからである。 もしタスマニア島やプリテン島が島であるとすれば、出て行く人間も人ってくる人間もいないとい う理由で ( 空飛ぶ円盤に乗った宇宙人の誘拐による増減があったとしても ) 、世界も一つの大きな 「島」である。しかし、それは海だけでなく、山脈、河川、砂漠といった人間の移動を妨げる障壁に よって、完全とは言えないにせよ、いくつかの大陸と小さな島々に分割されている。ランダム交配と いう単純なモデルではなく、より現実を考え合わせたモデルは、私たちの計算を、少しばかりではな く大幅に混乱させる。現在の世界の人口は六〇億であるが、六〇億の対数を計算し、それに一・七七 をかけて、ランデヴー地点 0 の年代は西暦五〇〇年だという結果を鵜呑みにするのはばかげているだ ろう。孤立した人類集団が、今私たちがしている計算よりも何十倍、何百倍も昔に分離していったと いう理由だけからでも、現実の年代はもっと古い。もしある島が、タスマニア島と同じように、一万 三〇〇〇年にわたって孤立してきたとしたら、全体としての人類が、一万三〇〇〇年より若い年代の 普遍的な共通祖先をもっことは不可能である。人類の一部の集団が部分的に隔離されるだけでさえ、 私たちのあまりにも単純化しすぎた計算を台なしにしてしまうのであり、あらゆる種類の非ランダム 交配というモデルも、やはり計算を台なしにしてしまう。