南アメリカ - みる会図書館


検索対象: 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上
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1. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

6 新世界ザル こうび 新世界の広鼻「猿類」が、私たちおよび私たちのおよそ一万代前の祖父母であるコンセスター 6 つまり最初の真猿類に出会うランデヴー地点 6 。四〇〇〇万ほど前である。それは熱帯の森林 内 がる が青々と生い茂る時代で、当時南亟。さえ、少なくともロ。 ていた。現在ではすべて 論い つの瓜鼻猿町、、中央オい アメリカ一すんでいるが、このランデヴーがそこで起こらなかったことは 少従回 ほぼ確実である。私の推測で。ランデヴー地点 6 はアフリカのどこかである。べしゃんこな鼻をも 、見 て意ⅵ っフリカの霊長類一グループが、アフリカには現存する子係を残さなかったけれど、何とか、小 数 っ多加 この さな創設集団という形一」料加ゴ第を一〕 0 な 6 ・一 . 、、あるそれがいっ起こ「たのかはわか「 ていないが、二五〇〇万年前 ( 最初のサル類の化石が南アメリカに出現したとき ) よりは以前で 1 叫ーー発調切 ス ) の 冂′わ 系 〇〇〇万年前 ( ランデヴー地点 6 ) よグば後であ・る。 アメリカとアフリカは今よりも互いに もン もっと近い位置関係にあり、海水面が低く、ひとしたら西 . アプリカ・か・らいぐっかの島が鎖状に顔 しマ栖 E サ示 : タ旧 を出していて、そうした島を次々と跳びうつりながら、海を渡ることができたのかもしれない。サル流世コ 2 オ物 しカオ 合新こ右イ ( 日 たちはおそらく、筏の役目をするもの、ひょっとしたらしばらくのあいだなら浮島として体を支えるの、らラル ( がかンサキ サほる左デ ( エサ 【のにとっ ことができるマングロープ湿原のちぎれた断片に乗っていったのかもしれない 界種れ ( ルルホク 世ら真一サロン 海流の向きはちょうどよかった。もう一つの大きな動物群であるマアラシ亜目齧歯類もおそらく、新 1 見写ゴョクモ 2 1 6 ランデヴ

2. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

ヒトという種の遺伝的歴史についてのいくつかの推測を引き出すことができた。彼はその結論を、 ページに転載したような伃益なダイアグラ」要約した。 テンプルトンの主要な結論。 よ、アフリカからの大移動 ( 一 - ( 」田い 6 一乢を・ 6 ・ ) たというものである 一七〇万年ほど前の ( ホモ・エレクトウス ) の脱出 ( 誰もが受け人れており、証拠は主とし て化石からである ) と説が推奨する一五—八万年前の最近の大移動に加えて、もう一つ、八 四万年前から四二万年前にかけて、もう一つアフリカからアジアへの大がかりな移住があった。この シグナル 真ん中の移動 ( とでも呼ぼうか ) は、一三の、ハ - プロ外オの ~ うぢの三つからの残存「徴候」 によって支持される。の移動はミトコンドリア QZ< と >- 染色体の証拠によって支持される。 その他の遺伝的、、、「篋篋は、五万年前にアジ・ア・からアプげ力への大規模な里帰りがあったことを明ら かにする。それより少し後には、ミトコンドリア QZ< とさまざまな小さな遺伝子が、その他の移動 があったことを漏らしてくれる。南ヨーロッパから北ヨーロッパへ、南アジアから北アジアへ、太平 洋を越えてオーストラリアへの移動である。最後にミトコンドリア 2Z< と考古学的証拠が示すとこ ろによって、人間はおよそ一万四〇〇〇年前に、北東アジアから当時のべ ーリング陸橋をわたって、 北アメリカへと人植していった。その後すぐにパナマ地峡を越えて南アメリカへの人植が続く。つい でながら、クリストファー ・コロンプスとリーフ・エリクソンのどちらかがアメリカを「発見した」 類 と一言うのは、人種差別以外の何ものでもない。私の意見では、同じように不快なのは、自分たちの祖 人 て先がアメリカ以外の上地にすんでいたことを否定するアメリカ先住民のロ承による歴史を、相対主義 す 者たちが「尊重」することである シグナル 他の遺伝的徴候によって、テンプルトンの三つの主要なアフリカからの大移動の中間に、アフリカ ン と南ヨーロッパ、および南アジアとのあいだで、遺伝子の流れが渦のように行ったり来たりをたえず 9

3. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

な以切にと然進 ほぼ同じころにアメリカに漂たのであろう。彼らもまたおそらくアフリカからやってきたので とう適うう偶の 、あ あり、この亜目の学名 (Hystricognath) 、および和名はアフリカのヤマアラシ属 ( H. ) ミ「三に由来のとは = し 然たの見植「とが する。おそらくサル類は、齧歯類が利用したのと同じ好都合な海流に乗り、同じ連鎖状の島を渡って当っるで入ると なすに一きこ まう一釈語域 ~ 起す いったのだろうが、たぶん同じ筏には乗らなかっただろう。 ら 珮そ一解物領、 表と、ののしとた 偶すド未りつを 新世界の霊長類のすべてが、た「た一「の移住集団の子孫なのだろうか。あるいは、この島伝いのう〔え一一踏」」も 渡り廊下は、霊長類によって二度以上使われたのだろうか。二度にわたる移住があった確かな証拠はま味一一もた、果 た意ド物みう結 ョまをく動試な 、こるな的つ重 わ らのあか図に ズミ、ヨシネズミを含めて、今でもまだアフリカにヤマアラ、、目の齧歯類がいる。もし、南アメリ が上でい意に化 力の齧歯類の一部がアフリカの齧歯類 ( たとえばヤマアラシ ) にごく近縁であるが、他の南アメリカ の齧歯類がアフリカの齧歯類 ( たとえばデバネズミ ) に近縁なことが判明すれば、齧歯類が二度以上 にわたって南アメリカまで漂着したことの確かな証拠になるだろう。そういう事実がないことは、齧 歯類が南アメリカへたった一度だけ分散していったという見方に適合するが、それほど強力な証拠だ とは言えない。南アメリカの霊長類もすべて、いかなるアフリカの霊長類とよりもお互いどうしが近 縁である。このこともまた、アメリカへの分散がたった一度だけであったという仮説に適合するが、 この場合もまた、それほど強力な証拠ではない。 ここで、筏による漂着がきわめて確率の低そうな出来事であるからといって、それが起こったのを い 疑う理由にはなりえないことを繰り返しておこう。これは驚くべきことのように聞こえるかもしれな ふつう日常生活では、とても確率の低そうなことだと、そのことが起こらないだろうと考えがち である。サル類または齧歯類、あるいはその他何でもよいのだが、その大陸間の漂着移住の要点は、 重大な結果をもたらすためには、たった一度だけ起こればよく、それが起こるためにどれだけの時間 2 1 8 いかだ

4. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

3 1 2 およそ九五〇〇万年前、私たちの三五〇〇万代前の祖父母の時代にあるランデヴー地点は、 南アメリカからやってくる異節類 ( 貧歯類 ) の巡礼団との出会いが起こる場所である。当時の南 アメリカは、かなり間近い時期にアフリカから引き離されたばかりの、かなり大きな島で、固有 の動物相の進化を促すのにびったりの状況だった。異節類はかなり風変わりな哺乳類のグループ で、アルマジロ類、ナマケモノ類、アリクイ類と、絶滅したその近縁種からなっている。異節類 (Xenarthrans) というのは「異なった関節」という意味で、椎骨どうしの独特な関節の様式を ようついこん 指している。腰椎根のあいだに余分の関節突起があり、これによって、この仲間の多くが携わっ ている土掘りという作業のために背骨を強化している。アリ食い動物のなかで、南アメリカのア リクイだけが異節類である。センザンコウやッチプタのような他の哺乳類もアリを食べるが、そ れぞれ英語では「鱗のあるアリクイ」「アリ食いクマ」と呼ばれている。ついでながら、すべて のアリ食い動物は、シロアリ食い動物と呼んだほうがよいのかもしれない。彼らはシロアリが大 好物なのである。 異節類は南アメリカについての物語をもっており、その役目はアルマジロに任せよう。その物 語のなかで、異節類そのものの多様性についても触れることになるだろう。 ランデヴー 異節類 ( 貧歯類 ) せつ ついこっ く異節類が合流 分子分類学によって特定された 4 つの主要な有胎盤哺乳類のグ ループのうち、最初に枝分かれした 2 つは、アフリカ獣類 ( ラ ンテヴー 13 を参照 ) と南アメリカの異節類 ( およそ 30 種のナ マケモノ類、アリクイ類、アルマジロ類 ) である。おそらく、 さらにテータが集まれは、ランテヴー 12 と 13 は逆になるかも こでは現時点での多数意見を示しておく。 しれないが、 写真 : ムツオヒアルマジロ (Euphractussexcinctus)

5. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

3 1 6 肉である。 アリクイ類は北アメリカで成功したようには思えないが、南アメリカでは三属 が生き残っており、非常に変わった哺乳類である。歯をまったくもたず、とくに 地上生のオオアリクイの場合、頭骨は細長く湾曲した円筒状で、長い粘着性の舌 を使って巣から追いたてたアリやシロアリを吸い込む、一種のストローとしか言 えないものになってしまっている。彼らについて驚くべきことを語ってみよう。 う ほとんどの哺乳類は、人間と同じように、消化を助けるために胃内に塩酸を分泌 て するが、南アメリカのアリクイ類はそうしない。その代わりに、彼らは食べたア リがもっ蟻酸に頼るのである。これこそ、自然淘汰のご都合主義の典型である。 とイ 南アメリカの他の「古顔」のうちで、有袋類はオポッサム ( これらは北アメリ こク 力ではまだふつうに見られる ) 、ケノレステス類 ( 英語で「トガリネズミオポッ ア ' を・ ( べア 、くオ サム」と呼ばれ、アンデス地域に限定される ) 、およびネズミに似た一種だけの チェロオポッサム ( 奇妙なことに、この種は、オーストラリアから南アメリカに 舞い戻ってきたように思われる ) という形でのみ生き残っている。彼らについては、私たちがランデ ヴー地点にたどりついたときに正式に出会うことになるだろう。古い南アメリカの「有蹄類」はす べて絶滅したが、 , 彼らは驚嘆すべき動物であったために、ひとしお残念である。シンプソンの「古顔」 という名前は、彼らの祖先が、おそらくはこの大陸がアフリカから切り離されて以来きわめて長きに わたってそこに生息していたということを意味するだけである。彼らは、旧世界で私たちにもっとな じみの深い哺乳類が進化し、多様化したのと同じほど長い期間、進化を続け、多様化していた。彼ら の多くは、「南北アメリカ大交流」の時代が来るまで栄え、一部のものはそれ以降も栄えていた。滑 かっ

6. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

3 1 5 「南北アメリカ大交流」のおかげで、現在の南アメリカにはバク ( 奇蹄類 ) とペッカリー ( 偶蹄類 ) がいる。これらは北アメリカから人ってきた動物たちであるが、北アメリカではバクは今や絶滅し、 ペッカリーも大幅に減少している。この大交流のおかげで、現在、南アメリカにジャガーかいる。そ れ以前にはいかなるネコ科の動物も、食肉類の他のいかなる種もいなかった。その代わりに、肉食性 サーベルタイガー の有袋類がいて、なかには、北アメリカに同時代にいた剣歯虎 ( 真のネコ科動物 ) と恐ろしいほどよ く似ているものもいた。この大交流以後、北アメリカには、グリプトドン ( 頭にひょうきんなツィー ドの帽子を被ったように見える巨大なアルマジロで、尾の先端は恐ろしいスパイクが突き出た棍棒の ようになっていた。おそらく有胎盤類と有袋類両方の剣歯虎に向かって振り回すためのものだった ) を含めて、アルマジロ類が生息するようになった。残念ながら、グリプトドンは、ごく最近になって、 現在の樹上性のナマケモノ類の親戚で地上をのそのそと歩くオオナマケモノ類とともに絶滅した。地 上生のオオナマケモノ類はしばしば、木の葉を食べるために後ろ脚で立ち上がっているところが描か れている。彼らは現在のゾウがしているように、木を押し倒したのかもしれない。彼らのなかで最大 のものは、ゾウに匹敵する大きさで、体長六メートル、体重は三トンから四トンのあいだであった。 オオナマケモノ類 ( 最大級のものではなかったが ) は、北アメリカの奥深く、アラスカにまで侵出し ていた。反対の道をたどってきたラマ、アルバカ、グアナコ、ビクーニヤは、すべてラクダ科の種で、 歯現在は南アメリカに限定されているか、ラクダ科はもともと北アメリカで進化した。彼らはごく最近 類 になって、おそらくアラスカを経て、アジアに、後にはアラビア、アフリカに広がっていき、そこで、 異 モンゴル草原のフタコプラクダと、熱帯砂漠のヒトコプラクダを生みだした。ウマ科もその進化のほ とんどを北アメリカで果たしたのだが、そこでは絶滅してしまい、悪名高い征服者たちのもとでユー ラシアから再移人されたウマに対して、アメリカ先住民たちが驚き、当惑したのは、何とも辛辣な皮 ランテヴー

7. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

引 4 くりあげることになった。南アメリカの動物相はマダガスカルとは違い、 オーストラリアに似て、有 袋類が豊かである。南アメリカの場合、有袋類は食肉類の生態的地位のほとんどを満たしている。南 アメリカには多数の有胎盤 ( 有袋類以外の ) 哺乳類もおり、たとえばアルマジロ類やその他の異節類、 ゅうてい 今ではすべて絶滅してしまったが独特な「有蹄類」が含まれる。この有蹄類は、世界の残りの地域の 偶蹄類や奇蹄類とはまったく独立に進化したものである。 南アメリカがアフリカから完全に引き離されてからおそらくずっと後に起こったと思われる別個の 漂着によって、サル類と齧歯類が南アメリカに侵人したことはすでに見た。サル類と齧歯類が到着し たとき、彼らは、すでにこの大陸に独特の哺乳類がびっしりと生息していることを知った。偉大なア メリカの動物学者・・シンプソンの著書『光栄なる孤立』から借用すれば、これらの「古顔たち」 は、三つの主要なグループに分かれる。異節類はその一つで、二つ目は何種かの有袋類であるが、こ れについてはすぐ後で触れる。残りの古顔たちは、おおざっぱに有蹄類と呼ぶことができる。ランデ これらの南アメリカの ヴーⅡで見たように、「有蹄類」というのは解剖学的に厳密な言葉ではない。 古顔たちは、ウマ、サイ、ラクダと同じような草食獣としての務めを果たしているが、彼らとは独立 ( 、イしたのである マダガスカルやオーストラリアと違って、南アメリカの隔離は、人間の旅行者があらゆる動物学的 隔離に多かれ少なかれ終止符を打つ以前に、自然の力によって終わりを迎えることになった。三〇〇 万年前という新しい時代に、パナマ地峡の隆起によって、「南北アメリカ大交流」がもたらされた。 南北アメリカの別々の動物相が、この地峡によって形成された狭い回廊伝いに、お互いの大陸のあい だを自由に往来できるようになった。これは両大陸の動物相を豊かにしたが、両大陸において、おそ らくは少なくとも部分的には競争の結果として、 いくつかの絶滅が起こった。 せつ

8. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

352 ダーとしての能力を、文字通り獲物を気絶させるほど極端まで押しすすめたのである。南アメリカの ギムノトウスやそれとは類縁のないアフリカのギムナルクスのような弱い電気魚は、デンキウナギと 似ているがずっと短い発電器官で ( そのバッテリーは少数の変形した筋肉プレートが並んだもの ) 、 弱い電気魚はふつう一ポルト以下の電気しかっくらない。魚自身は、後で見るようなきわめて妥当な 理由によって、水中で固い棒のような姿勢を保ち、電流はマイケル・ファラデーなら喜びそうな曲線 に沿って流れる。体の側面全体に沿って電気的センサー ( 小さな電圧計 ) を含む孔が並んでいる。障 害物や獲物はさまざまな形でこの電場を乱し、それがこれらの小さな電圧計によって感知される。さ まざまな電圧計の値を比較し、それを電場そのものの変動 ( ある種ではシヌソイド波形の、リ 男の種で はパルス波形の ) と関連づけることによって、魚は障害物あるいは獲物の位置を算出することができ る。彼らは発電器官とセンサーを使って、お互いのコミュニケーションをとり合うこともする。 ギムノトウスのような南アメリカの電気魚は、そのアフリカの好敵手であるギムナルクスと驚くほ どよく似ているが、一つだけ重大な相違点がある。両者とも体の中心線の全長にわたって走る一つの 長い鰭をもっていて、どちらも同じ目的に使っている。彼らはふつうの魚が泳ぐときのように正弦波 形に体を波打たせることができない。なぜなら、そうすれば彼らの電気感覚が歪められるからである。 両者とも体を固く保つことを余儀なくされ、そのため、体軸に沿った鰭で泳ぎ、この鰭はふつうの魚 の体の動きとまったく同じように正弦波形で波打つ。このことは彼らの泳ぎが遅いことを意味するが、 しかしそれはおそらく、まぎれのない明瞭な信号という利益を得るためにやるだけの価値があるもの なのだろう。このことを例証する鮮やかな事実は、ギムナルクスが体軸に沿った鰭を背中にもつのに 対して、ギムノトウスやデンキ「ウナギ」を含めた他の南アメリカの電気魚は、体軸に沿った鰭を腹 側にもっているということである。「例外が規則を証明する」という言葉がつくられたのは、まさに ひれ

9. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

エピオルニスの物語へのエピローグ 現在プレートテクトニクスと呼ばれている理論は、現代科学における成功物語の一つである。私の 父が一九三〇年代にオックスフォード大学にいたときは、当時大陸移動説と呼ばれていたものは、す べての人からというわけではないが、多くの人から嘲笑されていた。それはドイツ人気象学者アルフ レート・ヴェーゲナー ( 一八八〇—一九三〇 ) と結びつけられていたが、彼以前にも他の人間が似た ようなことを提案していた。何人かは、南アメリカの東海岸とアフリカの西海岸がびったりと合うこ とに気づいていたが、一般に偶然の一致として片づけられてしまっていた。動植物の分布には、さら に驚くべき偶然の一致がいくつか存在し、両大陸のあいだの陸橋を仮定することによって説明しなけ ればならなかった。しかし科学者たちのほとんどは、この地形は、大陸そのものが横に移動するより もむしろ、海水面が上下に振動することを通じて変形を受けてできたのだろうと考えていた。ゴノト ワナという名前は、もともと現在の位置にあるアフリカと南アメリカから構成されるが、それに干上 がった南大西洋が付け加わった大陸に対して造語されたものであった。大陸そのものが移動するとい うヴェーゲナーの考えは、はるかに革命的で、論議を呼ぶものであった。 一九三〇年代ではなく一九六〇年代に、私が大学生だったときでさえ、それは白黒の決着した間題 ではなかった。オックスフォードの年季の人った生態学者、チャールズ・エルトンが、この話題につ 類 いて私たちに講義してくれた。講義が終わったときに、彼は票決をとったが ( 民主主義は真理を確立 する手段ではないので、遺憾と言わざるをえないが ) 、私たちの意見は真っ二つに分かれたように思 ヴ う。私が大学を卒業してすぐに、事態はすっかり変わった。ヴェーゲナーは、彼を嘲笑した大部分の 「フ同時代人よりもはるかに真実に近く迫っていたことが明らかになる。彼がまちがっていた主な点は、 4

10. 祖先の物語 : ドーキンスの生命史 上

95 南ヨーロッノヾ ランテヴー 0 すべての人類 アフリカ 南ヨーロッパ 北ヨーロッパ 南アジア 北アジア 太平洋 南北アメリカ ミトコンドリア DNA によって示 される分裂 ? ミトコンドリア D N A 、 Y 染色体 D N A 、常染色体 D N A によって示 される距離によ る隔離で繰り返し 見られる遺伝子 の流れ (MOOA) 84 ~ 42 万年前 (YOOA) 1 5 ~ 8 万年前 アフリカ (OOOA) 1 70 月年前 何度も繰リ返された出アフリカ ミトコンドリア DNA 、 MX 1 、 MS205 、 MCI R 、 EDN によ って示される分布域の拡大 南アジア ウスのアフリカからの進出 化石テータによって示されるホモ・エレクト り返し見られる遺伝子の流れ ? MXI によって示される距離による隔離で繰 し見られる遺伝子の流れ ? によって示される距離による隔離て繰り返 Xq13.3 、ヘモクロピン、 ECP 、 EDN 、 PDHAI されるアフリカからの進出 へモクロヒン、 MS205 、 MCIR によって示 繰り返し見られる遺伝子の流れ PDHAI によって示される距離による隔離で Xq 1 3 . 3 、尸へモクロヒン、 E C P 、 E D N 、 って示されるアフリカからの進出 ミトコンドリア DNA およひ Y 染色体 DNA によ 座によって示されるアジアからの進出 Y 染色体 DNA およひへモグロビン遺伝子 13 のハプロタイプの遺伝子研究を基にした、テンプルトンによる主要 な人間の移動の要約。縦の線は遺伝的由来を示す。対角線は遺伝子の流 れを表す。遺伝的テータから示される主要な人間の大移動は、太い矢印 で示されている。 TempIeton [ 284 ] より改変。