] ] 3 工ルガスト人 ( ホモ・エレクトウス ) 発見されたほぼ完全なヒト科の骨格としては最古のものである五〇万年前のトウルカナ・ポーイ ( ホモ・エルガスター ) の発見について、感動的に述べている。同じように感動的なのは、ドナル ド・ジョハンソンによる、ルーシーの名で知られる、それより古く、そして驚くに値しないかより 不完全な骨格についての記述である。まだ詳しい記載がなされていないが、 「リ . トル・フッ・」の 発見も同じように注目すべきものである ( Ⅲページを参照 ) 。いかなる突飛な条件が、ルーシー トウルカナ・ポーイの発見を導いたにせよ、私たちは自分の番が来たときには、 そうなることを望まないだろうか。この野望を達成するためにどんなハ ードルを越えなければなら ないのかどんな化石にせよ、それはどのように形成されるのかこれが〈エルガスト人の物語〉 の主題である。始める前に、少しばかり地質学に寄り道をする必要がある 岩石は結品からできているが、結品はしばしば小さすぎて肉眼では見えないことが多い。結品と いうのは巨大な一つの分で、それを構する、は、一定周隔 , A 」 で結品の縁に到達するまで繰り返される秩しし って、並んでいる。結品は、液体のなかで原子が既存の結品の縁 に付け加わって、拡大していくことによって形成される。その液・ノ 体ど・い一プの・はふ ' つう水である 9 ー時には、溶融した金属それ自体を 除いて溶媒がないという場合もある。結品の形状、およびその結 品平面の会合角は、原子の格子構造をそのまま規模を大きくして 表したものである。ダイヤモンドやアメジスト ( 紫水晶 ) におけ るように、格子の形状そのものが実際に非常に大きく投影されて いることがあり、その結品面は、自己集合した原子配列の三次元 自分の番が来たとき、化石として発見 されることを望まないだろうか トウルカナ・ホーイ ( ホモ・エルガスタ ー ) は、 150 万年はかり昔に死んたとき はおよそ 9 ~ 1 1 歳たった。身長はおよそ 165Cm 。手と足を除いてほば完全な骨格 が、ケ二ヤ北部のトウルカナ湖の近くで 発見された。
138 スとよりも互いによく似通っていた。初期の東アフリカのルーシーたちは、後期の南アフリカのミ セス・プレスたちよりもわずかに小さい脳をもっていたと言われているが、そこにはたいした間題 はない。彼らどうしのあいだでの脳の違いは、ある現代人の脳と別の現代人の脳の違い以上に大き なものではない。 私たちが予想するように、ルーシーのような新しい時代のアファレンシスの個体は、三九〇万年 前の最初のアファレンシス型のものとは、わずかに異なっている。小さな違いが時間の経過のうち に積み重なり、四〇〇万年前でタイムマシンから降りると、ルーシーや彼女の血縁者の祖先であっ た可能性の高いもっと多くの生き物が見つかるが、彼らはよりチンパンジーに似ていて、ルーシー たちとは十分に異なっているので、異なった種名をつけるに値する。ミーヴ ・リーキーと彼女のチ ームによって発見された、こ ストラロピテクス・アナメンヾスは、トウルカナ湖近くの二 つの異なる遺跡から出た、八〇個以上の化石からなる種である。完全な頭骨は一つも発見されてい ないが、私たちの祖先に属するとしても納得がいくような、みごとな下顎骨が存在する。 しかし、この時期からの最も刺激的な発見で、ここでタイムマシンを一時停止させるだけの価値 があるのは、まだこれから完全な記載の発表が待たれる一つの化石である。南アフリカ共和国のス テルクフォンティン洞窟から出上し、愛着を込てリトル・フット呼ばれているこの骨格は、最 初三〇〇万年前のものとされたが、最近で四〇〇 っと超えたあたりのものと年代が 変更されている。その発見は、コナン・ドイルの小説になる値打ちのあるちょっとした探偵物語で ある。リトル・フットの左足の断片は一九七八年にステルクフォンティンで発掘されたが、これら の骨は、フィリップ・トバイアスの指導の下で研究していた古生物学者ロナルド・クラークが、偶 然にステルクフォンティン洞窟の研究者たちが使っていた物置小屋にあった箱のなかから再発見す
] 3 / 猿人 ズ漠ジき口が ス」は、当然ながら、ステルクフォンティンからもっと最近になって発見された化石で、ミセス・ ン砂・とプる ルドたのあ プレスと同じ種、すなわちアウストラロピテクス・アフリカヌスに属している。別の愛称をもっ化 ア一ルれ女は アナさ彼で 石として「ディア・ポーイ」があるが、これは頑丈型アウストラロピテクスで、最初はジンジャン ダフド トロプス・ポイセイと名づけられていたために「ジンジ」とも呼ばれる。「リトル・フット」と有ズ ア斤 う 名なルーシーについては、この後すぐに目を向けよう ウォうかとカ と 、しか腰 イエ者が われらがタイムマシンの走行距離計の針が三二〇万年に近づく頃にルーシーに出会う。ルーシー 」レ究曲くろ ス年 7 研のらあ はもう一つ別の華奢型ウストラロ・ピテクスで、彼女の属する種、アウストラロピテクス・アファ ダ同こそで サ 9 \ 共よおこ レンシスが人類の祖先の有力な候補者であるために、しばしば話題にされる。彼女を発見したドナ ・名杓の召 ン曲格あそからて イの骨にとなかし ルド・ジョハンソンとその共同研究者たちは、同じ地域で一三体の同じような化石を発見しており、 レなかンのンを 一丿名なソプョ行 これらは「最初の家族」と呼ばれている。その後、東アフリカの別の地域でも、四〇〇万年前から シ有のンンシ 一」の帯ハヤ一足 三〇〇万年前のあいだの地層から、他の「ルーシ ル七こ地ョキホ一一 ーたち」が発見されている。ラエトリでメアリ キーが発見した三六〇万年前の足跡 ( ページ ) も、アウストラロピテクス・アファレン シスのものとされている。学名がどうであろうと も、明らかに、この時代に誰かが二足歩行をして いたのである。ルーシーはミセス・プレスとそれ、 ) し一こ ほど大きく異なっておらず、ルーシーがミセス・ プレスの初期の型だと考えている人もいる。いず れにせよ彼女たちは、頑丈型アウストラロピテク
ンが与えたイースト・サイド・ストーリ いう名でムく、はれている。ついでながら、イヴ・コ。、 ンが彼の故国フランスで、ルーシーの発見者、あるいはルーシーの「父」としてさえ広く引用されて いる事実をどう考えればよいのか私にはわからない。英語圏では、この重要な発見は例外なくドナル ド・ジョハンソンに帰せられている。ィースト・サイド・ストーリーは、大地溝帯から何千キロメー トルも離れたチャドから出上したサヘラントロプス ( トウマイ ) をどう扱うかに苦心する。詳細がほ とんどわかっていないアウストラロピテクス・バ ーレルガザリもチャドから発見され、これは年代が もう少し新しいとはいえ、厄介の種を増やしている。この間題について私がどういう発言をしようと、 新しい化石が発見されたときにはすぐに時代遅れになってしまうだろう。そこで、ここでポノボにバ トンを渡して、彼の物語を聞くことにしよう。 ポノボの物語 ポノボはチンパンジーにかなりよく似ており、一九二九年以前には別種だとは認められていなかっ た別名ピグミーチンパンジーは放棄されるべきで、その別名ほどにチンパンジーに比べて顕著に小 さいわけではない。体のプロポーションがわずかに異なり、習性についても同じことが言えるので、 それがこの短い物語のきっかけになる。霊長類学者フランス・ドウ・ヴァールはそのことを簡潔に述 ン べている。「チ、パンジーは性的な間題を権力で解決している。ポノボは権力的な間題を性で解決し ン チ ている : : : 」。ポノボ、私たちが金をうのといくぶん似た形で、性社会的交渉の通貨として使 ヴ っている。彼らは幼い子供を含めて、あらゆる年齢と性の群れの仲間に対して、相手をなだめ、優位 テ 「フを確認し、絆を強固にするために、交尾あるいは交尾の仕草を用いる。小児性愛症はポノボでは間題 5 ) 6
1 50 わせる ( 二足歩行が進化する時間的余裕がほとんど残されていなかったように見えるから驚きなの である ) 。二〇〇〇年にプリジット・セニュとマーティン・ピックフォードに率いられたフラン ス・チームが、ケニヤのヴィクトリア湖の東にあるトウゲン山地で新しい化石を発見したと発表し た。「ミレニアム・マン」という呼び名をつけられたこの化石は六〇〇万年前のものとされ、オロ リン・ツゲネンシスという新しい学名を与えられたが、発見者たちによれば、これもまた二足歩行 者であった。実際に彼らは、その大腿骨の股関節に近いほうの頂部が、アウストラロピテクスより も人類に似ていると主張する。この証拠は、頭骨の断片によって補完されたが、セニュとピックフ オードにとって、オロリン」そが後のヒト科の先であって、ルーシーはそうてはないことを示唆 していた。この二人のフランス人学者はさらに進んで、アルデイピテクスは私たちの祖先ではなく、 むしろ現在のチンパンジーの祖先ではないだろうかとほのめかした。こうした議論に決着をつける ためには、もっと化石が必要なことは明らかである。他の科学者たちはこれらのフランス人の主張 に懐疑的で、オロリンが二足歩行であったかどうかを示す十分な証拠がないのではないかと疑って いる人もいる。もしオロリンが二足歩行であれば、六〇〇万年前というのは、分子的証拠からして ほぼチンパンジーと分かれた時期であるから、これは二足歩行が現れてきたスピードの速さに重大 な疑間を提起することになる。 もし二足歩行のオロリンがランデヴー地点—に驚くほど近いところまで戻るとすれば、ミシェ ル・プルネに率いられたもう一つのフランス人チームによってサハラ南部のチャドから発見された 頭骨は、定説をさらに混乱に陥れるものでさえある。なぜかと言えば、一つにはそれが非常に古い ものであり、もう一つには発見された場所が大地溝帯からはるか西に離れたところだったからであ る ( やがて見るように、少ぐの人類学者は初期のピト科の進化は大地溝帯の凍に、定されると考
264 ヒョケザルの物語 ヒョケザルに関しては、東南アジアの森における夜間の滑空について語ることができる。しかしヒ ョケザルは、私たちの巡礼の目的にとってもっと切実な物語をもっていて、その教訓は一つの警告で ある。それは、コンセスター、ランデヴー地点ならびに各巡礼者が合流してくる順についての一見 きれに筋の通「たように見える私たちの筋書きが、新し〔研究の進展・に・つれ・て「深刻皿不〔〔一、 見直し」見舞われつつあるという警告である。ランデヴー 9 の系統発生図は、最近唱えられてい る一つの見方を示している。私が暫定的にここで受け人れているこの見方に従えば、私たち霊長類が ランデヴー地点 9 で挨拶する巡礼たちは、すでに合体したヒョケザルとッパイからなる一団である ほんの数年前なら、ヒョケザルはこの図のなかに人ってこなかっただろう。正統派の分類学なら、こ のランデヴー地点でツバイだけを合流させたことだろう。ヒョケザルは、道をもっと先まで、それほ ど近くはないところに行くまで、合流することはなかったであろう。 ここに示した図がこのまま定着するだろうという保証はどこにもない。新しい発見が、これまでの 見方を復活させるかもしれないし、まったく違う見方を推奨するかもしれない ヒョケザルがツバイ よりも、霊長類に近いと考えている研究者さえいる。もしそれが正しければ、ランデ 私たち霊長類にヒョケザルが合流してくる地点であり、ツバイに出会うのはランデヴー地点川まで待 たねばな引ない一」とになり、 以後のコンセスターの番号は一つずつ増やさなければならないことにな る。しかし、それは私の採用した見方ではない。疑惑と不確実さを物語の教訓にすることに、どちら かと言えば不満を感じられるかもしれない。しかしそれは、私たちの巡礼団がもっと遠い過去に向か
34 / ランテヴ ー 15 単孔類 る。大量のセンサーからのデータを処理する専用のコンピューター能力があれば、その電場の発生源 を算出することができる。もちろん、カモノハシは数学者やコンピューターのようなやり方で計算す るわけではない。しかし、彼らの脳のあるレベルで、計算と同等のことがなされ、そして結果として、 彼らは獲物を捕まえるのである。 カモノハシのくちばしの表面全体に、縦縞状に約四万個の電気センサーが散在している。プラティ プンクルスに示されているように、脳の大きな部分が四万個のセンサーからのデータを処理するのに 割りあてられている。しかし、この筋書きはもっと複雑になる。四万個の電気センサーに加えて、プ シュロッドと呼ばれる六万個の機械的センサーがくちばしの表面に散在している。ペッティグルーら は、機械的センサーからの人力を受けとる神経細胞を脳内に発見した。そして彼らは、電気的センサ ーと機械的センサーの両方に反応する他の脳細胞も発見した ( これまでのところ、電気的センサーの みに反応する脳細胞は発見されていない ) 。両方の種類の細胞とも、くちばしの空間的な地図の上で 正しい位置を占め、人間の視覚脳を思わせるようなやり方で層をなしている。人間ではこの多層化が 立体視に役立っている。私たちの多層になった脳が両眼からの情報を統合して立体的知覚を構築する のとまったく同じように、ペッティグルーのグループは、カモノハシが同様に有効な何らかの方法に よって電気的センサーと機械的センサーからの情報を統合しているのではないかと示唆している。こ れはどのようにしてなされるのだろうか 彼らは、雷と稲光のたとえをもちだす。閃光と雷鳴は同じ瞬間に起きる。稲光は即座に見えるが、 雷鳴は耳に届くまでしばらくかかる。音波は相対的に伝わる速度が遅いからである ( ついでながら、 雷の音がゴロゴロととどろくのはエコーのためである ) 。稲光と雷鳴の時間的なずれから、嵐がどれ くらい離れたところにきているかを計算できる。ひょっとしたら、獲物の筋肉から出る放電はカモノ
3 3 1 ランテヴー 14 有袋類 ストララシアは、オーストラリアやニューギニアとほとんど共通性をもたないニュージーランドを含しでスべさりス を見オ驚のかオ この目的のために、私はオーストラリネアという造語をしたいと思う。オー 。つ、ウ むので、うまくない ニ同にる 2 まる ストラリネアの動物は、オーストラリア本上、タスマニア、あるいはニューギニアの出身であるが、ギ共主あの都忠い 一な、で島両でて 北て ニュージーランド出身のものはいない。人間の観点ではなく、動物学的な観点からすれば、ニューギュ大はの ニ偉線もアをと隔 つを てのスる、 ニアはオーストラリアから熱帯域に突きでた翼のようであり、両者の哺乳類相は有袋類が支配的であっ説レて 0 す か汰オ隔ノっ る。有袋類はまた、〈アルマジロの物語〉で見たように、南アメリカとの古くて長い関係の歴史をも向淘ウを走るき 「自れ物 2 っており、南アメリカには今でも、もつばら数十種のオポッサム類という形で有袋類が存在する。 ジ。ら動スし・こと アるけのレあ島 づアオの、オ 現在のアメリカの有袋類はほとんどすべてがオポッサム類であるが、つねにそうだったわけではな はて名ジウ島 0 ネ もし化石を考慮に人れるなら、有袋類の多様化の広がりの幅のほとんどが南アメリカに見られる。相つでア、 物がんと・、 カノらホ より古い化石が北アメリカで発見されているが、最も古い有袋類の化石は中国から発見されている。動広な相いとてと ネまに動れクでシ 彼らはローラシア大陸では絶滅したが、ゴンドワナ大陸の主要な名残のうちの二つ、すなわち南アメリろスのしホっ工 ラこレアもン 1 ウ トとオネかロ峡ラ リカとオーストラリアに生き残っている。そして、現代の有袋類の多様化の主な舞台となったのがオ スたウリと、海ス 一えるラこ島いは ーストラリネアである。有袋類は南アメリカから南極大陸を経てオーストラリネアにやってきたといオ越あトきな狭線 う点で一般に意見が一致している。南極で発見されている化石有袋類は、それ自体が、オーストラリ ネアの種の祖先として有力な妥当性をもつものではないが、これはおそらく、南極の化石がこれまで あまりにもわずかしか発見されていないからなのだろう。 たまたまオーストラリネアには、ゴンドワナ大陸から切り離されて以来の歴史のほとんどを通じて、 有胎盤類がいなかった。オーストラリアのすべての有袋類が、南アメリカから南極大陸を経てたった 一度だけ人り込んだ、オポッサムに似た創始者動物に由来するということはありえないわけではない。 それが正確にいつだったのかはわからないが、五五〇〇万年前よりもずっと後のことだったというこ
] 5 1 猿人 えてきた ) 。愛称でトウマイ ( 現地のゴラン語で、「生きる望み」という意味 ) と呼ばれるこの化石 は、それが発見されたチャド領サハラのサヘル地区にちなんで、サヘラントロプス・チャデンシス という正式名称をもっている。それは非常に興味深い頭骨で、前から見るとむしろ人間に似ている が ( チンパンジーやゴリラのように顔面が突きだしていない ) 、後方から見るとチンパンジーに似 ていて、チンパンジーと同じほどの大きさの頭蓋をもっている。極度によく発達した眼窩上隆起を もっていて、これがトウマイ雄考える主な理由であった。歯はどちらかと言えば人間に似てお り、とくにエナメル質の厚さはチンパンジーとヒトの中間である。大後頭孔 ( 脊髄が通る大きな穴 ) は、チンパンジーやゴリラよりもずっと前方にあり、他の一部の人々にとってはそうではないが、 プルネ自身にとっては、トウマイが二足歩行であったことを示唆するものであった。理想的には、 これは骨盤や脚の骨で裏づけられるべきであるが、残念ながら、これまでのところ、頭骨以外は何 も見つかっていない この地域には、放射性年代測定ができるような火山の遺物が残っておらず、プルネの チームは、間接的な時計として他の化石を使わざるをえなかった。これらは、絶対的な フリカの他の部分から出ている既知の動物群と比較された。この比 年代決定がで 印から六〇〇万年前のものであるという結果 較によって、トウマイ年代が七 が得られた。、 フルネらは、それがオロリンより古いと主張し、予想通りオロリンの発見第ー。「 者たちからの憤激の反論を呼び起こした。そのうちの一人、パリ自然史博物館のプリジ ット・セニュは、トウマイが ( おそらく正当に ) 「雌のゴリラ」だと言い、一方、彼女 の共同研究者であるマーティン・ピックフォードは、トウマイの犬歯を「大型サル類の 雌」に典型的なものだと表現した。この二人が、自分たちの赤ん坊であるオロリンの先 生きる望み 2 OO 1 年にミシェル・プルネ らによって、チャドのサヘル 地区で発見されたサヘラント ロプス・チャテンシスすなわ ち「トウマイ」の頭骨。
1 35 猿人 人間の化石に関する一般向けの書物では、人類の「最初の」。、祖先を発見する野心が煽グ立・てらん ているが、これはばかげたことだ。「二本脚で日常的に歩くようになった最初の人類の祖先はどれ だったのか」、あるいは「私たちの祖先であって、チンパンジーの祖先ではない最初の動物はどれ だったのか」、あるいは「六〇〇 8 以上の脳容量をもった最初の人類の祖先はどれだったのか」と いった個別的な間いを発することはできる。そうした疑間は、実際的には答えるのがむずかしく、 いくつかのものは、切れ目なくつながった連続体に人為的な断絶をもち込む悪癖に冒されていると はいえ、少なくとも原理的には何らかの意味をもつ。しかし「最初の人類の祖先は誰だったのか」 というのは、まったく何の意味もない もっと油断のならないのは、人類の祖先を見つける競争のために、新しい化石の発見が、どれだ けかすかな可能性しかない場合でさえ、「主流の」人類にくるものとして高く売りつけられること だ。しかし、ますます多くの化石が地中から産出するにつれて、ヒト科の歴史の大半を通じて、ア フリカにはト科種が同時に暮らしていたことかしだいに明らかになってきている。このこと が意味するの ( 在祖先だと考えられている化石種の多くは、私たちの親戚にすぎないことが判 明するだろうとい一つことだ 猿人