ロドルフォ - みる会図書館


検索対象: ザ・ハウス・オブ・グッチ
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1. ザ・ハウス・オブ・グッチ

ドルフォを気に入り、初期イタリア映画の傑作とされる映画『線路』の一つの役を与えた。二人の若 い恋人たちが鉄道線路脇の安ホテルで自殺することを決意するというドラマチックなストーリー ロドルフォの顔立ちは繊細で表情が豊かで、当時の様式化された映画にはうってつけだった。『線路』 こつけい に出演後、彼はコミカルな役でもっとも有名な俳優となり、誇張した表情や笑いをとる滑稽なしぐさ 、がチャーリ ー・チャップリンを彷彿とさせるといわれた。芸名はマウリツイオ・ダンコーラとした。 その後初出演作品を超える成功をおさめた作品には出会わなかったが、イタリアの名女優、アンナ・ マニャーニと共演して彼女と浮き名を流した。 はやく 初期の作品の撮影現場で、端役を演じている一人の陽気なプロンドの女優がロドルフォの目にとま った。その時代にはめずらしく、因習にとらわれずにいきいきと活発に行動するアレッサンドラ・ヴ インクルハウセンは、映画界ではサンドラ・ラヴ = ルと呼ばれていた。アレッサンドラのドイツ人の 父親は化学工場で働く労働者で、母はスイスのイタリア語を話す地域、ルガーノ湖北岸に住むラッテ イ家の出身だった。ロドルフォが目をとめてまもなく、アレッサンドラは初期トーキー映画『闇の中 で二人』で彼の相手役を演じた。若く冒険心旺盛なスターの卵が、ひょんなことからまちがったホテ ルに泊まってロドルフォ演じる若い男性のべッドにもぐりこむというストーリ ーで、ロドルフォは現 実にも彼女にそっこん惚れ込んでしまった。映画の中の恋愛は、撮影現場を離れたところでも続いた。 アレッサンドラとロドルフォは一九四四年にヴ = ネチアでロマンチックな結婚式を挙げた。ロドルフ オは結婚式の模様を映画に撮り、若いカップルがゴンドラに乗っていく姿や幸せそうに披露宴で乾杯 する場面を記録した。一九四八年九月二十六日に息子が生まれると、二人はロドルフォの芸名をとっ てマウリツイオと名づけた。 ほうふつ ヾ、」 0

2. ザ・ハウス・オブ・グッチ

グッチ側がパオロの告訴に対抗するための準備を整え戦線を張ろうとしているとき、自分の名前で ブランドを立ち上けるという。ハオロの姿勢は断固揺るぎないものとなった。一九八一年にまずは自分 の名前を使う権利を求める訴えから彼の攻撃は始まった。一九八七年までに父とグッチ社を相手どっ て十件もの訴状を提出した。父と叔父が素材供給者から買い付けようとする彼の試みをことごとく妨 害すると、ハイチでの生産を試み、やがて一族は彼がなんとグッチのコ。ヒー商品までそこで作らせて いたことを知った。 まもなくアルドとロドルフォは、しだいに比重を増してきていたグッチ・。ハルファンをめぐって意 見が衝突した。ロドルフォはアルドのおかげで自分がこれまでやってこられたことには感謝していた が、同時に兄の自信と権力をうらやんでおり、自分も兄と同じようになりたいとつねに願っていた。 アルドのような才能は持っていなかったが、兄が辣腕をふるうのはおもしろくなかった。ロドルフ オは後継者であるマウリツイオが社内で充分な力を持っていないことも懸念していた。 ハオロとの争いが起こったとき、ロドルフォは自分が掌握できていない事業分野の支配権を求めた。 グッチ本体の収益を子会社のグッチ・パルファンに大々的に吸い上げさせてうまい汁を吸おうという 6 ハオロの反撃 P 、 40t0 STR 、オト S 4 ( IIC らつわん 1 ◎ 084 ◎

3. ザ・ハウス・オブ・グッチ

ポルだとアメリカ人の頭にしつかりと刻まれていた。 。ハオロがニーヨークでの生活を楽しんでいる一方で、ロドルフォは甥の自分に対する仕打ちをけ〇 っして許していなかった。兄が自分になんの断りもなく、さっさと息子をイタリアから異動させた軽々 しい処置に腹立たしさがつのるばかりだ。そしてマウリツイオが自分のもとに戻ってきたいま、パオ 口がわが子よりも上に立っことをみすみす許しておくわけこよ、 一九七八年四月、ロドルフ オはパオロに手紙を書き、フィレンツェの工場での職務不履行によりイタリアの会社を首にすると伝 えた。アルドに喧嘩を売ったに等しいこの手紙で、ロドルフォはパオロをめぐって我慢の限界を越え ていることをはっきりと示した。 おび 。ハオロは朝出勤しようとするときこの手紙を受け取った。手紙は彼を怯えさすより、ますます決意 ーに宣言した。父が持 を固めさせた。「そっちがその気なら、こちらだってやってやるーと彼はジェニ っている力を使って、会社の中におけるロドルフォの地位をつぶしてやると誓った。業績のよいグッ チ・アクセサリーズ・コレクションを抱えるグッチ・。ハルファンの所有権を二〇パーセントしか持っ ていないことが、叔父の力をそぐための切り札になると計算した。 ただ問題は、父と自分の関係がうまくいっていないことだ。マウリツイオはうまくアルドの機嫌を とったが、。ハオロは何かといえばぶつかってばかりだった。たえず顔を突き合わせて仕事をしている と、お互いいらだちがつのった。アルドは専制君主で仕事を全部自分の思い通りにやらないと気がす ます、やりたいことについて非常に明快な意見を持っていた。 「いっさい自由にさせてもらえない」と。ハオロはこぼした。「なんの権限も与えてもらえないんだ」 商品に変化をつけようと。ハオロはハンド。ハッグの中に色のついた薄紙を詰めたことがある。これが

4. ザ・ハウス・オブ・グッチ

三十五歳のマウリツイオにとって、父親の死はショックではあったが同時に解放ともなった。父親 は息子だけにほとんど異常ともいえる愛情を注ぎ、息子のすべてを所有しようとし、独裁者のように 厳しく支配した。最後まで二人の間は堅苦しくぎごちなかった。マウリツイオは父親と向かい合うこ とが苦手で、面と向かって頼みごとができなかったーー・・三十代になってもお小遣いが必要になると運 転手のルイージ・。ヒロヴァーノや秘書のロベルタ・カッソルにねだりにいったくらいだ。 「いつもいってたんですがね、ロドルフォは息子に城を建ててやったけれど、それを維持していくた めのお金を渡さなかったんです」とカッソルはいう。「父親が恐ろしくてねだれないので、マウリツィ オはこの私にお金をくれといってきたんですよ」 成人してからも、父が部屋に入ってきたとたんマウリツイオは飛び上がって直立不動の姿勢となっ た。唯一口ドルフォに反抗したのがパトリツィアとの結婚で、父は彼女をしぶしぶながら受け入れた。 嫁とは最後まで距離を置いていたが、両者は友好関係にあった。ロドルフォが見るところ、彼女は息 子を愛しており、幸せな家庭を築いてアレッサンドラとアレグラの二人の娘を育てている。 マウリツイオは数千万ドル相当の遺産を相続した。サンモリツツの別荘、ミラノとニューヨークの マウリツイオ指揮権を握る 」ト 4UR 、 Z 、 0 7 い 4 オ ES C洋4. RGE ◎ - / 06 ◎

5. ザ・ハウス・オブ・グッチ

・パルファンの設立に金が ドルフォはアルドの事業拡張熱が行き過ぎた結果だと彼を責めた。グッチ かかりすぎた上に、たったの二〇パーセントしか持ち分がないロドルフォにはすずめの涙ほどの配当 で、大半はアルドと息子たちのほうに行ってしまう。一方で。ハオロと兄弟は叔父が親会社の五〇パ セントをも所有していることを恨んでいた。親会社は父が作ったようなものじゃないか。パオロから の不平不満がつづられた手紙が机に山積みになって、ロドルフォはついに椹忍袋の緒が切れた。 ささい 一九七〇年代終わりに起こった些細な出来事は、従業員たちにとってはほとんど記憶にも残らない ほどだったが、のちに家族全体を巻き込む大きな争いへと発展する火種となった。ある日トルナブオ ーニ通りの店にやってきたパオロは、ロドルフォがデザインしたお気に入りの。ハッグの一つを勝手に ショーウインドウからはずした。ひと言の相談もなくディスプレイを変えられたことを知ったロドル フォは、誰がやったのかを教えろと命じた。事実を知った彼は激怒した。そのすぐあとに行われた記 者会見の席で彼から公然と非難されたパオロは、席を蹴立てて出ていってしまった。フィレンツェの デザイン・オフィスでのミーティングでは、ハンド。ハッグが文字どおり飛び交い、開いていた窓から 投げ出されて道路に転がったものまであった。激しい応酬のあった翌日、朝出勤して工場の門を開け ようとした守衛が転がっていゑハッグを見つけ、てつきり泥棒が入ったと勘違いして警察を呼ぶとい う騒ぎも起きた これはいまもグッチに言い伝えられる「伝説ーとなっている。 かや ハオロは父に電話をかけて、叔父が自分を蚊帳の外に置き、デザイン・ディレクターという肩書き にふさわしい仕事をさせてくれす、自分に相談もなく事を進めると訴えた。アルドはつねに仲裁役を 演じてきたが、このとき問題を根本から解決しようとせずに一時しのぎの提案をした。とりあえずニ ューヨークにやってきて、こっちで仕事をしたらどうかね、と息子を誘ったのだ。 ◎ 0 78 ◎

6. ザ・ハウス・オブ・グッチ

7 勝者と敗者 ル 7 、 S - イ N 〃ん ( パトん S ってしまった。五月七日、ロドルフォは昏睡状態に陥った。マウリツイオとパトリツィアが駆け付け たが、もはや息子たちの顔もわからなかった。翌日アルドがやってくると、ロドルフォはしきりに兄 の名前を呼んでいた。 「アルド アルド、どこにいるんだ ? 」 「ここにいるよ、フォッフォ ! 私はここだ」。アルドは叫んで弟に顔を近づけた。「なんだ、い くれ。何をしてほしい。どうしたら楽になる ? 」 ロドルフォは答えられなかった。一九八三年五月十四日、ロドルフォは七十一歳で亡くなった。サ ちょうもん ハビーラ教会で行われた葬儀には、大勢の弔問客が訪れた。ロドルフォはフィレンツェの一族の 墓地に埋葬された。 一つの時代が終わった。そして新しい時代が幕を開けた。 こんすい ◎ - / 05 ◎

7. ザ・ハウス・オブ・グッチ

かき 現した。通りはシャンパン・グラスを持った招待客と、白手袋で牡蠣とキャビアを給仕してまわるウ ェイターたちであふれた。その日、客に挨拶をしてまわったのはマウリツイオだ。ロドルフォはミラ ノで最高とされる病院に数週間前から入院していた。 ロドルフォはオープン前に看護婦に付き添われて新しいブティックを見学していた。広いフロアを トウッリアとルイージに支えられながら震える足取りで歩き、装飾を褒め、従業員の一人ひとりを名 前で呼んで挨拶した。 「やせ細ってしまったために服がぶかぶかでした」。ロドルフォの秘書だったロベルタ・カッソルは、 マウリツイオは誰も父の見舞いに行かないよう厳しく命じていた。自分とアメリカの弁護士、デ ソーレと顧問のジャン・ヴィットリオ・ビローネだけしか面会を許さなかった。 ミラノにある家族経 営の老舗会社の経理業務を何社も引き受けていたビローネをマウリツイオは信頼しており、決断を下 さねばならないことは何かと彼に相談して頻繁に会っていた。 ひんし 父が瀕死の床についていることをマウリツイオが必死に隠そうとしている一方で、ロドルフォは一 人ぼっちにされていることに当惑していた。イタリア人の従業員では、ロベルタ・カッソルとフラン チスコ・ジッタルデイだけしか病室を訪れなかった。 死を目前にしながらも、ロドルフォは身なりを整えることを怠らなかった。病院内ではシルクのガ ウンを着てスカーフを巻いた姿で通した。弁護士や会計士たちがやってきてはあとの事務について打 ち合わせしようとしたが、ロドルフォは落ち着かない様子たった。彼は繰り返し兄のアルドと会いた いと訴えた。ブティックの開店に合わせてアメリカから帰ってきていたアルドは、弟に会わないで帰 っこ。 ◎ - / 04 ◎

8. ザ・ハウス・オブ・グッチ

チ家の人たちだが、アメリカのイタリア・ビジネスマン社会での彼の働きぶりを見ているうちに意見 を変えた。。ハオロとの争いのために雇われたデ・ソーレは、アルドに対しても少しも臆するところが なかった。会議の席上、ロをはさもうとしたアルドに対して彼が「グッチさん、お話になる順番を守 ってください。あなたの番が来るまでどうそお待ちくださいとびしっといったとき、ロドルフォは 感心して目を丸くした。会議は結局決裂してしまったが、終わった瞬間にロドルフォはデ・ソーレを 雇うことを決断した。 テ・ソーレと 「あんな風にアルドに対抗できる人物こそ、私のために働くべきだ」と彼は興奮した。。 ともにロドルフォは、グッチ・。 ( ルファンをグッチオ・グッチに組み入れるための運動を始めた そうすればロドルフォは儲かっている o の持ち株比率をいまの二〇パーセントから五〇パーセン トに増やし、発言権を獲得できる。 弟の工作に怒りをおぼえ、社内での弟の地位を格下げしたいと願ったアルドは、株主会議を開いて その席上でパオロに自分への忠誠を求めようと、あるとき息子を。ハームビーチのオフィスに呼び出し た。ロドルフォはその会議に出席できなかったので、自分の代理としてデ・ソーレを派遣した。三人 の男たちはアルドの細長い狭いオフィスのテーブルについた。 。 ( オロは父親に友好的な態度を少しも見せなかった。会社と一族への忠誠心など、不当な仕打ちを 受けたときにとっくに失っていた。アルドに、自分の名前でブランドを出すことができるなら父側に ついてやる、といっこ。 「おれをつぶしにかかろうとしているあんたと手を組んで、ロドルフォ叔父さんに対抗しろなんてよ くいえるな」。パオロがそういうと、アルドは椅子から飛び上がって部屋の中を荒々しく足を踏み鳴ら

9. ザ・ハウス・オブ・グッチ

にそのイメージが強い。息子が欲しがったフェラーリではなかった。門限も厳しく、学校で行事があ っても夜の十二時をすぎることは許さなかった。専制君主のような父親の横暴な姿勢に怯えていた上 に神経質なところがあったマウリツイオは、し 、つさい逆らわなかった。彼が心から信頼して仲間だと 認めていたのは、ロドルフォが一九六五年に出張に出かけるとき運転手として雇った十二歳年上のル ィージ・。ヒロヴァーノだけだった。マウリツイオが十七歳のときのことだ。お小遣いが足りなくなる と、ルイージは必要なだけ渡した。駐車違反の罰金が科せられたときにはかわりに払ってくれた。女 の子とデー トに出かけるときには車を貸してくれた。すべてロドルフォの了解の上のことだった。 マウリツイオがミラノのカトリック大学法学部に進学すると、ロドルフォは息子があまりにも人を 簡単に信じてだまされやすいことを心配した。ある日、父は息子に懇々といって聞かせた。 「忘れてはいけないよ、マウリツイオ。おまえはグッチ家の人間だ。ほかの人たちとはちがう。おま えを引っかけようとする女は大勢いるだろう。おまえの金を目当てにする女だ。用心することだ。お とりこ まえのような若い男を虜にしてのし上がっていこうとする女性がいると心しておくことだ」 夏になると、友だちがイタリアの海岸で遊んでいる間、マウリツイオは伯父のアルドが拡大をはか っているグッチ・アメリカの仕事を手伝うためにニ = ーヨークに行かされた。マウリツイオはけっし てロドルフォにむ配をかけるようなことをしたことがなかった。ジャルディーニ通りで開かれたパ ティーまでは。 最初、マウリツイオはパトリツィアのことを父に話すことができなかった。ふだんと変わらず、彼 は毎日父とタ飯をともにしていた。息子がじりじりしている様子に気づいたロドルフォはわざとゆっ くもん くりと食事をして、息子が苦悶の表情を浮かべるほどにいらだつまで引き延ばした。ロドルフォが食 おび

10. ザ・ハウス・オブ・グッチ

4 若きグッチたちの反乱 ) ′ 0U77 ″も /. お B ん /. ん / 0 、 母の死はマウリツイオにとって大きなトラウマとなった。長い年月がたってからも、彼はどうして も「ママ」という一言葉がロにできなかった。母について父にどうしても何か聞きたいときには、「あの 人」といういい方をした。ロドルフォは地下のフィルム・スタジオで集められるかぎりの映像をつな ぎあわせて、息子に母がどんな人物だったのかを見せようとした。古いサイレント映画やヴェネチア での結婚式のフィルム、家族が集まってマウリツイオがフィレンツェ郊外の自然の中で母と遊ぶ姿。 彼は「私の人生」と名づけたグッチ家についての長編映画を作ろうとし、何年もかかって編集した。 ロドルフォとマウリツイオの関係は濃密でほかのものが入る隙もなかったが、その関係は父親が息 子を支配する形で成り立っていた。息子の誘拐を恐れたロドルフォは、フランコに命じて息子が出か けるたびに、たとえ自転車で近くに行くときでさえも車であとをつけさせた。週末と休暇に、親子二 人でロドルフォがサンモリツツに少しずつ買い足していった地所に出かけた。何年にもわたってグッ チからの配当金を、サンモリツツでもっとも高級別荘地とされているスヴレッタの丘の土地に堅実に 投資し、二万二千平米以上の景観の美しい地所を確保した。フィアット自動車グループの総帥、ジャ カリム・ア ンニ・アニエッリや指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン、アラブの大富豪、シャー・ ガ・カーンも同じ地域に別荘を持ち、休暇のたびに訪れた。ロドルフォはここに数軒の別荘を建てた が、最初の山小屋風別荘は「マウリツイオの家ーと命名し、休暇のたびに息子を連れてそこでくつろ ロドルフォは倹約することで金の価値をマウリツイオに教えようとし、お小遣いを制限した。車の 運転免許が取得できる年齢になると、からし色のジ = ーリアというアルファロメオの車を買い与えた。 強力なエンジンを搭載している頑丈で高性能な車で、イタリアでは長らく警察車両にされていたため ・ 0 4 9 ◎