破壊した。しかしそれはうまく崩れ落ちることができず、 を手に入れた。私の召使のアリーは東方で最も美しい鳥の 〔訳註 3 〕 一個の石造物の固い塊となって、約一〇フィートの高さで、 一つ、大きなオオヤイロチョウ、ミ 4 ミ s を一対私のた 3 平方の台を形成している。ここにはアー 多分四〇フィート めに撃ち落としてくれた。その鳥の羽毛は背面がビロード チ型の門の下の狭い踏段によって近づくことができる。今状の黒で、純白な胸、肩の青、腹部の深紅色によって引き は一列の草葺屋根の掘っ建て小屋が乗っている。その中に立てられており、そして非常に長い丈夫な脚を持ち、まる 一人のオランダ人下士官と四人のジャワ人兵士よりなる小 で撃たれないように用心しているかのように、密に絡まっ さな守備隊が住んでおり、これがその島におけるオランダ た森林や岩のそそり立っ辺りを飛び回っていた。 政府の総代理人である。村は完全にテルナテ人によって占 一八五八年九月に、ニューギニアから戻った後、私は北 拠されている。真のジャイロロ原住民はここでは「アルフ の半島の湾曲部にあるジロロの村に泊まりに出かけた。そ ロ」と呼ばれており、東海岸あるいは北寄りの半島の奥地こで私は、テルナテの知事の好意で一軒の家を手に入れた。 に住んでいる。この場所における地峡の横断距離は僅か一一彼は使いをやって、私のために家を用意するように命令し マイルで、良い道路があり、その道に沿って稲やサゴが東てくれた。まだ探検されたことのない新しい場所へ最初に の村から運ばれて来る。地峡全体は非常にゴッゴッしてい 踏み込むのは、何か不思議な、またこれまで知られていな て、高くはないけれども、ちょっと急な丘や谷の連続であ かった種をほとんど確実に手に入れることができるので、 石灰岩の角のある塊があちこちに突き出て、しばしば 博物学者にとっては強烈な興味をかき立てられる瞬間であ ほとんど道を塞いでいる。大部分は非常に鬱蒼とした原生る。私がここで見た最初のものは、小さなインコの群れで 林で、まるで絵の如き風景であった。この時は大きな緋色ある。私はこの鳥を一対撃ち落とし、緑、赤、青色で飾ら 〔訳註 2 〕 のサンタンカ洋。きの花が多く、実に美しかった。そこにれたかなり美しい小さな長い尾羽の鳥を見て喜んだ。それ 滞在した時の大部分は病気であったので、私のコレクショ は私にとってまったく新しい種であった。つまりアオ ンは僅かなものたったけれども、若干の非常に素敵な昆虫インコ C ミ。をミ、ぶミミ s の一変種で、ブラシ状の舌を
第 38 章極楽烏 は、不思議に思われることでも、ほとんど決まって正確で 度も確認したことによれば、この鳥は巣を地上の穴あるい は岩の下に作り、いつも二つ隙間がある場所を選んで、そあることを知っているのだから。 の一つから入り別の方から出るという。これはわれわれが 鱗状の胸の大鱗極楽鳥 ( オオウロコフウチョウ E. 、ぎミぎ s この鳥の習性として想像していることと大分違っている。 〔訳註〕 ミ g ~ ト、 s Cuvier) は、ムフはウロコフウチョウ属、ミと しかしそれが本当ではないとしたら、この話がどのように 〔訳註〕 1 ドに分類されている。 してオーストラリアのライフル・・ハ して生まれたのかを考えるのは簡単ではない。なぜなら、 非常に美しいけれども、それらの鳥はわれわれが述べて来 全ての旅人は、原住民が動物の習性について説明すること た他の種のように飾り羽毛で驚くほど飾り立てられること はない。本種の主な飾りは、固い金属緑色の胸板の側面に やや毛状の羽の小さな房が多少発達していることである。 この種の背と翼は強いビロード状黒色で、ある種類の光の 中で濃い紫の徴かな光沢を呈している。尾羽の真中の二本 の幅広い羽は、ビロ 1 ド状の表面を持ったオパールのよう な緑青色である。また頭頂は。ヒカ。ヒカしている鋼の鱗に似 た羽毛で覆われている。顎、喉、胸部を覆う大きな三角形 は羽毛で密に敷きつめられ、鋼青色あるいは緑色の艶があ り、絹のような感じがする。これは黒色の細い帯で下の方 を縁取られ、輝く青銅緑が続いており、その下方では体は 濃い葡萄酒色の毛状の羽で覆われて、尾羽では黒っぽく濃 くなっている。側面の房はやや真正極楽鳥に似ており、し 尾長鎌嘴極楽鳥 . ( E. が川カ us 襯 ag れ us ) 549
本の針金状羽軸を持っ極楽鳥、一二線極楽鳥 ( ジ = ウ = センあり、その針金状羽軸は直角に曲がり、そしてやや後方へ 〔訳註〕 フウチョウ ParadiseaalbaBlumenbach) である。それは現約一〇インチの曲線を描いて、この驚くべき幻想的な、こ 〔訳註〕 の群の鳥に多い装飾の一つを形成している。嘴は真黒で、 在ではレッソンのいう Seleucides 属に置かれている。 この鳥は長さ約一二インチで、扁平な曲が 0 た嘴は二イ脚は明るい黄色である ( 五三五頁の図版の下の図を見よ ) 。 雌は他の種のようにまったく質素だというわけではない ンチを占めている。胸部と上側の色は一見やや黒っ。ほく見 が、派手な色や雄のような装飾的な羽毛は何も持っていな えるだけだが、詳しく調べてみると、その部分には特別な し。頭頂と首の背面は黒く、上部の残りは濃い赤褐色であ 色がない。しかしそれに種々の角度から光を当てると、最 る。一方、腹面はまったく黄色つぼい灰色で、胸部はやや も豊かな艶やかな色彩を見ることができる。頭部は短いビ ロード状の羽毛で覆われ、それは嘴の上部からもさらに顎黒 0 ぼく、また細い黒 0 ぽい数本の波状の帯が完全に横切 っている。 の方に伸びており、紫がかった青銅色である。背中全体と 一一一線極楽鳥 SeIeucides ミは、サラワッテイ島とニュ 肩は濃い青銅のような緑で、一方、閉じた翼と尾羽は最も ーギニアの北西部とで発見されるが、ここでは花の咲く樹 輝かしい菫紫色であり、全ての羽毛は繊細な絹糸状の光沢 を持っている。胸部を覆っている羽毛の塊は現実にはほと木が多く、特にサゴヤシとタコノキが多産し、この鳥はそ の異常に大きく強力な脚で花の周りや下部にしがみついて、 んど黒色で、緑と紫の微かな輝きがあり、しかもそれらの 外縁は碧緑色のきらきら光る帯で縁取られている。体の下それらの花を吸蜜する。その動作は非常に速い。それは一 の方は濃い黄褐色を帯びた黄色で、体側から出て尾羽の方本の木の上ではほとんど僅かしか休まない。その後すぐに 楽に一・五インチ伸びる羽毛の房も同色である。剥製が光に飛び去り、大変迅速に他の木に移る。この鳥は大きな震え カー」という る声で遠くに聞こえるように鳴き、「カー 曝されると、黄色は鈍い白に褪せる。そのようなことから、 本種の種小名ミが由来している。それそれの体側の羽次第に下がる音階で、五、六回繰り返す。最後の一声の後、 たいてい飛び去る。雄はおそらく、真正極楽鳥のようにあ 毛の最も内側の約六本には細く黒い針金状に伸びる主脈が 547
金属光沢を帯びた緑色であり、また下方の羽毛は二つの尖 いことを知った。しかし数種の美しいモルヅ力の種が得ら 0 た胸当を作るかのように、各側に伸びている。しかしそれた。均整のとれた緑の翼と背面に黄色い斑点を持っ赤い れは、翼の下に畳み込むことができ、また大部分の極楽鳥シ ' ウジ ' ウイン = ( ト「、ミ ) は珍しくはない。 の側面の羽毛と同じように一部直立し広げることができる。村にジャンプつまりフトモモの一種 ( E 。 4 。「・ ) の花が その鳥にま 0 たく独特な特徴である四本の長い白い羽毛は、咲いていた時、ジャイロロで既に出会 0 たことのある小さ 肩の上の縁に近い小さな結節あるいは翼の曲がり目から突なアオミミインコ ( 夷ミ。き、ぶ。。ミの群れが蜜を吸い き出ている。それらは幅が狭くて緩やかに湾曲し、両側は にやって来て、私は欲しいだけ数多くの標本を手に入れた。 等しい幅の羽板になっており、クリーム色がかった白色で オウム族の他の美しい鳥は緑色のアカガオインコ G き、、 0 ・ 〔訳註 1 〕 ある。その長さは約六インチで翼と等しく、鳥の気分次第をぎミ・で、赤い嘴と頭を持 0 ており、その色は冠 で直角に立てることができ、あるいは体に沿ってねかせるでは青藍色で、そこから緑青色となり背面は緑になってい こともできる。嘴は角のような色で、脚は黄色、また虹彩る。金属光沢のある緑灰色と赤褐色の羽毛を持っ二種の、 は薄いオリー・フ色である。人目を引くこの新しい鳥は、大大型の格好良いアオ・ハトは多産した。また私はきらびやか 〔訳註 2 〕 英博物館の・・グレイ氏によって se ミぎ e きミぶ c 、 な濃青色のブッポウソウ ( 洋 s 一をミ s ミミミ s ) 、愛らしい 〔訳註 3 〕 つまり「ウオレスの白旗極楽鳥」と名づけられた。 金の帽子をかぶったタイヨウチョウ ( ~ ec 、夷きミュ ce ) 、 数日後、私は極端に美しい蝶を採集した。それは美しい 美しいラケット型尾羽を持ったラケットカワセミ ( T 嵶・ 〔訳註 4 〕 青いオオルリアゲ ( ミ 0 Ulysses の近縁種で、もっと 、 e き s ) を手に入れた。これらの全ては、鳥類学者にとっ 強い色合の色彩と後翅の外縁には一列の青い条を持っことてま 0 たく新しいものであった。昆虫ではかなりの数の美 でそれと区別される。しかしこの幸先の良さは、むしろ当しいカミキリムシが含まれ、その中にはまだ発見されてい てにはならなかった。間もなく、昆虫、特に蝶はやや少な なかったグレナ属ミの最大で最も立派な種があった。 く、また鳥類も私が予想していたよりも遥かに変化が少な蝶では、美しい小型の ~ : ( = タスキシジミ。。。が 320
鳥類相に一四種を付け加えた。それは現在合計二〇五種で、その 、ミ ~ ・ s の異名。 Pomelo という。 うち陸鳥は一四八種である。 訳註 4 ( 二五一頁 ) セレベスハナドリミ ~ 、ミミき = ミ・ 〔訳註〕 b ミ ~ 、ミ ( スズメ目、ハナドリ科 ) 。 註 2 ( 二六四頁 ) C ミ。こ ~ ミミ胃ミは、スラ諸島で初めて ト 1 ) ~ 、 c ~ 、 I fors 、 e 、 ~ 一 訳註 5 ( 二五二頁 ) シロハラオビオ・ハ 発見されたもので、現在はマイヤー博士によってセレベスでも発 見されている。 ( ハト目、 註 3 ( 二七三頁 ) レムリアのような繋がった陸地が、その事 ハビルサ B r ミ、ミ b rus ミ ( 偶蹄 訳註 6 ( 二五三頁 ) 目、イノシシ科 ) 。 Babirusa はマレー語の babi C フタ ) 十 rusa 実を説明するために必要ではないという結論に、私自身到達した。 * 1 この部分の一〇版の原註は、一九二二年の一六版では次 のように変更された。「その後、・マイヤー博士やその他の博 訳註 7 ( 二五四頁 ) サビゥータン ( アノア ) B ミ ~ 、スⅡき a) d 、・ご』 ~ ・きこ ~ ( 偶蹄目、ウシ科 ) 。 sapiutan はマレー語で sapi 物学者がその島 ( セレベス ) およびその周りの小島嶼を探検した ので、その地域の鳥の種数は四〇〇種近くに増加し、そのうち二 ( 牛 ) + utan ( 森 ) 。セレ・ヘスの山地にはもう一種ヤマサビゥータ 八八種は陸鳥である。」一六版でウオレスが引用したマイヤー博 ン ( ヤマアノア ) B ~ 、 b ミ ( 日、 ~ 04 ) ミミミご ~ がいるが、ウォ 士 ( B. Mey 「 (r) の論文とは、 Meyer, A. B. and Wigglesworth, レスは両種を区別していない。 L. W. 1898 】 The Birds 望 Celebes and Neighbouring lslnads. ) 訳註 8 ( 二五四頁 ) ッカックリ ga ト。ミ 5 , 洋 eyci ミ、 である。引用する際、なぜ Wigglesworth の名前が省かれたの ( キジ目、ツカックリ科 ) 。 かは分からない。 訳註 9 ( 二五四頁 ) マレオ ( セレベスッカックリ ) 辷をき 、 ~ ~ ミ ~ ミミき ( キジ目、ツカックリ科 ) 。 * 2 マイヤー博士 Dr. Adolf Bernhard M er ( 1840 ー 1911 ) は、ドレスデンの博物館長を勤めた動物学者。ウオレスの『マレ 訳註間 ( 二五六頁 ) 。 ( プアッカックリ属 T ミミぶ ( キジ ー諸島』 ( 一八六九年 ) のドイツ語訳 "Der malanische ArchipeI" 目、ツカックリ科 ) 。 一訳註ⅱ ( 二五九頁 ) ウ ' 」スが記録した学名の植物はジャワ産 ( 00 ) および『動物の地理的分布』 ( 一八七六年 ) のドイツ語訳 "Di egeographischen Verbreitung der Thier" ( 2 Bde.. 1876 ) である。 び を出した。 第一八章 よ 訳註 1 ( 二六一頁 ) フォルステン Eltio AIIegondus Forsten 第註 1 ( 二六一頁 ) 引き続いて、ベルン ( ルト・マイヤー博士 ( 一 8 一 1 ーじ。オランダ人の博物学者。一八四三年アンポイナに移 はミナ ( サとトミニ湾内のトギアン群島で鳥を集め、セレベスの ( シカ ) 。 ハト科 ) 。 * 2 63 フ
きくもなくまた頑丈でもない。それらの爪は長くかなり曲あるいはもし最後の卵を産んでから卵を温め始めるならば、 がっているのに対して、マレオの爪は短く真っ直ぐである。最初の卵は気候による損傷の、あるいはその付近に多いオ オトカゲ、ヘビまたは他の動物による破壊の危険にさらさ しかしながら、趾は頑丈で基部に膜が張っており、幅広い 有能な脚となっていて、むしろ脚が長いので、・ほろ・ほろのれるだろう。なぜなら、このような大型の鳥は食物を探し 砂をかき出すのによく適応している ( マレオが卵を埋め込むて相当に歩き回るからた。これは、鳥の習性がその例外的 時は、砂がまるで雨のように降る ) 。しかしその脚では、様々 な体の構造を直接に追跡して変化した事例であるように思 なごみの山を築くためには大変な労力が必要である。一方、われる。なぜなら、マレオが親としての愛情を示さず、鳥 しつかり掴むことのできる大きな脚のツカックリ属は、そ 類に極めて普遍的な、われわれの賞賛の気持を起こさせる この異常 ような家庭的本能を持っていなかったがゆえに、 れが容易にできる。 私の考えでは、マレオがその仲間の鳥類の普通の習性か な構造と特別の食物がツカックリ科に与えられたという説 ら大幅に違ってしまったその理由を、ツカックリ科全体に を採用することは、困難であるからだ。 一個の 特徴的な体の構造の中に発見できるかもしれない。 一般に、自然誌に関する執筆者の常として、動物の習性 卵は、非常に大きいので完全に腹腔内をみたし、骨盤の壁や本能を固定したものと見なし、動物の体の構造がそれら を通過するのが難しくなり、次の卵が成熟するまでにある と一致するように特別に変化したのだと考える傾向がある。 しかしながら、この仮説は恣意的なものであり、「本能と 程度間隔をおくことが必要となる ( 原住民はその間隔を約一 習性ーの本質と原因を重々しく探求するような悪い影響を 三日と言っている ) 。繁殖期ごとに、その雌鳥一羽は六 ~ 、 べ個あるいはもっと多くの卵を産む。そのため、最初の卵と与えるばかりでなく、本能と習性が直接「第一原因、のた セ この問 最後の卵の間は、二、三ヶ月の期間がある。今もしこれらめであるとして取り扱うことになり、それゆえに、 の卵が普通のやり方で孵化したならば、親鳥のどちらかは、題をわれわれにとって不可解なものとしてしまう。一つの 7 種の体の構造とそれを取り囲んでいる、あるいは過去に取 この長い時間続けて卵の上に坐っていなければならない。
できるかもしれない。それは精神錯乱し酔 0 た状態であり、れた。・ ( リからは、かなりの量の乾燥した牛肉や牛の尻尾 あらゆる思考や精神を失ってしまう一時的な狂気である。 が輸出された。またロンポックからは、多数のアヒルや子 いつもクリスを身に付けている、無教育な苦悩しているマ馬が輸出された。アヒルは特別に飼育され、非常に長い平 レー人がそのような死を好み、ほとんど名誉あるものと見たい体を持っており、ペンギンのように体をほとんど直立 なし、無情な自殺よりも、降りかかって来た厄介から、あさせて歩く。それは大体淡い赤色がかった灰色で、大きな るいは絞首刑執行人の残酷な手や公開処刑の汚名から逃れ群れとして飼われている。この鳥は非常に安く、米を運ぶ ることを望み、彼が法というものを自分の掌中に収めた時、船の乗組員により大量に消費される。彼らはこのアヒルを 彼の敵に対して非常に性急に復讐しようとするのは不思議「 ( ーの兵隊」と呼んでいる。しかしペンギンーアヒル なことではない。どの場合にも、彼は「アモック」するこ として、どこででももっと広く知られている。 とを選ぶ。 私の鳥の剥製を作るポルトガル人の男フェルナンデスが、 ハリと同様、ロンポックの貿易の主要部分は米とコーヒ ここで、契約を破棄し、シンガポールへ帰りたいと主張し ーであり、前者は平野で栽培され、後者は丘陵で育てられ た。その理由は、一部はホーム・シックからであるが、し る。米は非常に大掛かりにマレー諸島の他の島々、シンガ かし大部分は、彼の人生はこのような血に飢えた非文明的 ポール、中国にさえも輸出される。そしていつも、一隻あな人々の間で何ヶ月も過ごすのは勿体ないという考えから るいはさらに多くの船が港で荷積をしている。米は荷馬でだと、私は信じている。これは私にとっては、かなりの損 アンパナムに運ばれてくる。そしてほぼ毎日、荷馬の一隊失である。私は彼に前金で三ヶ月分、普通の賃金の優に三 がカーター氏の庭にや 0 て来る。米の代わりに原住民が受倍は払っている。しかもその期間の半分は航海で占められ、 け取る唯一の貨幣は、中国の銅貨である。その一、一一〇〇残りは私一人でも剥製が作れるものばかりだった。昆虫が 枚カ一ドルに相当する。毎朝、この銅貨の大きな二つの袋 非常に少なかったので、私は自分自身の時間を、鳥を撃ち が、支払に都合のよいまとま 0 た一定額すっ数えて用意さ皮を剥ぐのに当てることができたのだ。フ = ルナンデスが ウ 0
作られたものである。 一行は同じように不首尾であって、われわれが森の中にい 川はここで約二〇ャード幅となり、ト / 石だらけで、時に た全時間にわたってまったく何も得られなかった。見かけ 〔訳註 2 〕 岩質からなる川床を流れていた。流れは急峻な丘陵に囲ま た唯一の見事な鳥は美しいアンポイナのヒインコであった。 れており、時々丘の麓と流れの間には平らな湿地が発達し しかしこれらはいつもあまりにも高くて撃っことができな ていた。その地方全体は、密生した、破壊されていない、 かった。これとは別に大きなモルッカのサイチョウは、私 また非常にじめじめした薄暗い一つの原生林であった。ちは欲しくはなかったが、出会うことのできるほとんど唯一 ようどわれわれの休息場所には、流れの真中に小さな藪で の鳥であった。私は一羽の地上性ッグミもカワセミやハ 覆われた中洲があり、そのため、川によって森林内に作らも見なかった。また実際、このように動物がまったく乏し れた開けた土地は普通よりもずっと広くなっており、日光 い森林の中に入ったことは今まで決してなかった。蝶を除 の僅かな光が差し込んでいた。ここでは数頭の素敵な蝶が く全ての他の群の昆虫も同様に貧弱であった。私はセレベ 飛び回っており、そのうちの最も美しい蝶は逃げてしまっ スでは同じような場所でハンミョウを見つけたことがある ので、若干の稀れなハンミョウを発見することを期待して て、私は滞在中にその蝶を二度と見ることができなかった。 、た。しかし森林、川底、山の谷川でじっくり探したが、 われわれがここに留まっていた二日半の間、私はほとんど 私はアンポイナの普通の二種以外は発見できなかった。他 一日中流れを上ったり下ったりして、蝶を追いかけ、私に はまったく初めての数種を含む、合計五〇 ~ 六〇匹の蝶をの甲虫はまったく見られなかった。 採集した。私が一度しか見かけなかったり捕えることので 水の中、岩や小石の上をいつも歩き回って、私が持って きなかった多くの蝶があった。 一ヶ月滞在できるような内来た二足の靴もまったく破損してしまい、そのため帰途、 陸部の村がないことを私は大いに悔しがった。早朝のうち靴が本当にパラバラになって、最後の日は私は靴下で歩か は、私は鳥の探索のため銃を携えて出かけた。私の二人のねばならず大変苦痛であった。そして跛をひきながら家へ 部下は一日中シカを求めて出かけていた。しかしわれわれ戻った。家へ帰るためにマカリキから引き返す途中で、わ 346
プギスの商人から信用貸しで若干の品物を手に入れ、原住これは、ブタ以外ではこの島に住んでいる唯一の四足類で 民と厄介な取引きをして、税を支払うための十分な品物をあった。 獲得してくる。そして自分自身のために、僅かばかりの利 果物が乏しくなってきたのか、危険があるのを悟るほど 益が残る。 極楽鳥が賢かったのか、対象の木にそれが訪れなくなるま そのような土地は、人が生活するのにあまり楽しい所で でに、雄を二羽撃ち落としただけだった。われわれは引き ーない。な・せなら、余剰がないので、売るべき品物は何も続き、森の中で極楽鳥の声を聞きその姿を見た。しかし一 ないからだ。一人のセラムの商人がそこに住んでおり、小 ヶ月の間、それ以上撃ち落とすのに成功しなかったので、 さな野菜畑を持 0 ていたし、また彼の部下が時には余分のまた、ワイゲオウを訪れた私の第一の目的はこの鳥を手に 魚を獲 0 てきた。私の滞在中に、もしその商人から食料を入れることであ 0 たので、私はペシ 1 ルに行く決心をした。 求められなか 0 たならば、私はしばしば食うものが何もなそこには、極楽鳥を捕えたり保存している大勢のパプア人 かったことだろう。鳥、果物、野菜は、ムカではめったに がいる。私はこの旅のため小さな浮き材のついた船を借り 買い求めることのできない贅沢品であり、東洋の料理法で上け、家と品物の留守番をさせるために部下の一人を残し は必要欠くべからざる = = ヤシの実ですら入手することがて出かけた。好天候を数日待ち、遂にある朝早く出発した。 できなかった。つまり、村には数百本の木があるけれども、そして荒々しく不快な旅をして、夜遅く着いた。ペシール 果実は人々があまりにも耕すことを怠けるので、野菜の代の村は、小さな島の岬の水中にあ 0 た。貝穀の大きな堆積が わりになっており、青いうちに食われてしまう。卵もココ 家と陸地の間の浅海にたまっていたことから、人々の主食 ヤシの実も料理用。 ( ナナもなく、食物に著しく欠乏して、 は貝であることが分かり、未来の考古学者の調査にとって、 また荒れた天候のため魚獲りも具合が悪いので、われわれその場所は一定の「貝塚を作りつつあった。われわれは は自分で撃ち落とした若干の食べられそうな鳥、時にはクその夜を首長の家で過ごし、次の朝私が住める場所を探す スクスつまり東方オポッサムを撃ち殺して、食卓に供した。 ために本島に出かけた。ワイゲオウのこの部分は、ムカに 514
ンポルト湾に向かって出航した。それで再び少し静かにな からは少なくとも五、六種類が入手されているが、今年は り、何か食べ物を手に入れることができた。なぜなら船が稀れな種は一つも得られていない。もしどこかにそれがあ イドーレの貴公子は、 こにいた間に、あらゆる少量の魚や野菜が船に運ばれ、 れば、確実に手に入れていたはずのテ 私はしばしば小さなインコで二食分食べねばならなかった 少数の普通な黄色のもので我慢せざるを得なかった。ド】 からだ。私の部下は、今、アイハ しハキから戻って来たー レイにおいて少し離れた奥地でもっと長く滞在すれば、私 しかし残念なことに、ほとんど何も携えて来なかった。彼が美しい鱗状の胸を持っ極楽鳥 Ptiloris ミミ ( オオウ らはいくつかの村々を訪問した。そして奥地への二日間の ロコフチョウ ) の唯一の雌を採集したことでも分かるように、 とい、つこ 小旅行もやった。しかし、普通種を別にすれば、そしてそ若干の稀産種がそこで発見されるかもしれない、 れすら大変少ないが、買い求めるべき極楽鳥の皮は見つか とは確かにありそうなことである。私はテルナテで、確実 らなかった。見かける鳥はドーレイと同様で、しかももっ にヨーロッパでは未だ知られていない、巻いた尾羽と普通 と少なかった。海岸近くのどこの原住民も、極楽鳥を射殺種のような美しい体側の羽毛を持った、しかも羽の残りの したり保存したりする者はなく、それらは山を二つ三つ越部分はつややかな黒色の黒王様極楽鳥について聞かされた。 ドーレイの人々は、大部分の他の種類については、説明す えた遥か奥地から来たもので、海に着くまで村から村へ物 物交換によりもたらされたものだ。そこでドーレイの原住れば分かってくれたが、この鳥については、何も知らなか 民がそれらを買い取り、帰ってそれらをブギス人やテルナ 蒸気船が出発した頃、私は激しい熱病にかかったほほ テの商人に売るのだ。それゆえ、原住民から殺したばかり の標本を手に入れる望みをもって、稀れな極楽鳥が買い取一週間でそれは治ったが、しかしロ、舌、歯茎の内側全体 られたニ = 1 ギニアの海岸のどこか特別な場所へ、旅行者にすきすきと痛みが続き、何日もの間、私は唇の間に固い が出かけても望み薄であった。そしてそれはまたどこでも ものを入れることができなかった。しかしそのことを除け これらの鳥が少ないことを示しており、アンく ハキ地域ばすっかり良いが、流動食だけを摂る以外に方法がなかっ 492