チモール - みる会図書館


検索対象: マレー諸島
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1. マレー諸島

常によく似た人種が住んでいる。プルには二つの異なる人チモールの家々は大部分の他の島々の家と異なり、ことご 種、すなわち背が低く、丸顔の人々で、マレー人の人種的とく屋根だけのように見え、草葺屋根は低い壁に垂れ下が 特徴を持ち、おそらくスラ群島を経由して、セレベスより り、入口として切り払われている所以外は、地面にまで達 渡来したと思われる人々と、もう一つは丈が高く、鬚のあしている。チモールの西端のある場所では、またセマウの る、セラムと似た人種がいる。 小さな島では、家は卵形で大変小さく、僅かに三フィ モルッカ群島のもっと南には、モルッカ群島の人々よりの高さの戸口を持ち、ホッテントット の家と非常によく似 もいっそう真のパプア人にかなりよく似た部族が住んでい ている。これらは地面に建てられ、一方、東の地区の家は るチモール島がある。 高さ一 ~ 二フィ トの柱の上に建っている。チモール人の 奥地のチモール人は、肌はすすけた褐色あるいは黒っぽ興奮しやすい性質、大きな声、恐れを知らない態度は、 = く、もじゃもじゃした縮れ毛で、パプア人の長い鼻を持つ。 ューギニア人とよく似ている。 彼らは中程度の背丈で、やや痩せている。一般的な服装は フローレスとサンダルウッド島までのチモールの西の島 緩い長い布を腰の周りに巻き、その末端は膝の下まで下げ島には、極めてよく似た人種が見られ、これはチモール・ ている。ここの人々は盗賊であると言われており、その部 ラウトの東方に広がり、そこでは真のパプア人種が現われ 族はいつも互いに戦争しあっている。しかし彼らは極めて始める。しかしながらチモールの西のサ・フとロッティのよ 勇敢でも残忍なわけでもない。 ここでは「ボマリ」と呼ば うな小さな島々は非常に違った、ある点では固有な人種が れる「タ・フー」の習慣が特に一般的で、果樹、家、穀物、 いることでよく似ている。これらの人々は均整がとれて、 あらゆる財産がこの儀式によって掠奪から守られており、 容貌が良く、多くの点でマレー人とインド人あるいはアラ 人々はこの習慣を非常に尊重する。ヤシの枝が開けた入口・フ人の混血によってできた人種に似ている。彼らはチモー に差し渡してあれば、その家は禁忌されていることを示し、 ル人や。ハ。フア人から明瞭に区別されるので、マレー諸島の どんな錠や閂よりも泥棒に対して最も効果的な守りである。東の人類学的区分よりも、むしろ西側の区分に分類されな 570

2. マレー諸島

ればならない。チモールが決してオーストラリアの一部を 形成していたことはないと言う場合に、私は最近の地質時 代についてだけを考えに入れている。中生代あるいは始新 世、また中新世において、チモールとオーストラリアは、 接続していたかもしれない。しかしもしそうだったとして も、そのような陸続きの記録の全ては、その後に続いた沈 降によって失われてしまっている。そしてある地域の現在 の陸上動物の分布を説明するためには、その地域が最後に 海中より隆起した後に起こった変化について考えることが できるだけである。上述のように、最後に陸地になって以 来、チモールはオーストラリアの一部を形成したことはな いと私は信じている。

3. マレー諸島

チモール群島 リおよびロンボック 第一〇章 第一一章ロンポックーー・人々の風俗と習慣 ラジャはどのように人口調査をしたか 第一二章ロンボック 第一三章チモール 第一四章チモール群島の自然誌 セレベス島 マカッサル 第一五章セレベス マカッサル 第一六章セレベス 第一七章セレベスーーーメナド 第一八章セレベスの自然誌 モルッカ群島 バン、ダ 第一九章 第二〇章アンポイナ 195 179 172 巧 8 145 260 233 221 205 281 275

4. マレー諸島

とは、チモールはオーストラリアの一部を形成したことは モルッカやチモールのように気候が違い植生の異なる場所 決してないという意見を強く支持している。もしオースト へ移された動物が新しい性質を確立するためには、一、〇 ラリアの一部とな 0 たことがあれば、カンガルーあるいは〇〇年あるいは五〇〇年というような長い年月は必すしも 他の有袋類がほとんど確実にここで発見されるはすである。必要ではないかもしれない。私はウマについては言及しな チモールに存在する少数の哺乳類のあるもの、特にシカの かった。ウマはしばしばチモールにおいて野生化している 存在を説明することは確かに非常に難しい。しかし何千年と考えられているが、その信頼すべき根拠は何もない。チ あるいは多分もっと長い年月、これらの島々とそれらの司 「モールのウマはどれもが所有者があり、南米の牧場の牛の の海では、火山活動が続いていたことを考えなければなら ように完全に家畜化されている動物である。 ない。陸地は隆起し、そして再び沈降した。また海峡は狭 私はチモールの動物相の起原について少し長く話しすぎ くなったりあるいは広がったりした。多くの島々は繋がり た。私にとってこれは、最も興味深い有益な問題だと思わ また離れたりした。激しい洪水が何度も山岳や平地を荒られたからである。この場合にわれわれが試みたように、 した。ジャワにおける火山爆発の時にしばしば起こるようつの地域の動物の由来を非常に明瞭に、二つの違 0 た源に に、何百という森の樹木を海に運び去 0 た。そして千年あ対して追跡することができるようなことは大変に稀れなこ るいは一万年に一回、ある島から別の島へ二、三種の陸上とである。また、動物が移住してきた時代や、動物の導入 動物が移動できるようなある好都合な状況が生じたと推測の方法およびその程度について、この例のような決定的な することは、不可能たとは思えない。これが、チモールの証拠を提供した例は極めて珍しいことである。われわれは 大きな島に現在分布する非常に僅かな断片的な哺乳類の群ここに、小規模な形での一群の大洋州の島々を有している。 について説明するために必要なことの全てである。シカは これらの島々は、大陸の非常に近くに位置しているが、決 おそらく人為的に持ち込まれたのかもしれない。なぜなら、 して隣接する大陸の一部として形成されたものではない。 マレー人はしばしば子鹿を飼いならしているからである。 そして、その動物は真の大洋州の島々の特徴と比べるとほ 202

5. マレー諸島

末端まで広がっていたのだろう。そして、その堆とチモー つくのである。 ルの間には、測り知れないほどの深い海洋がある。 しかし、この海が一方向では狭くなった時期に、連鎖状 私は、チモールがかってオーストラリアと実際に繋がっ のもう一つの端ではもっと大きな分離があったに違いない。 ていたとは考えていない。その理由は、オーストラリアのさもなければ両端から由来する同一種あるいは代置種の数 がずっと等しくなるはずである。後に沈降によるオースト 鳥に特徴的な群の大多数がまったくいないこと、また哺乳 類が一種もチモールに入っていないことである。それは陸ラリア側の端の海峡が拡大したために、発祥地からの移住 地が実際に繋がっていなかったことを確かに示している。 が抑制されることによって、また個体群の内部交配によっ アオアズマヤドリ属 ( pt ~ 70 き、を罸 s ) 、黒と赤のクロオウ て、種の変化が引き起こされた可能性は十分あった。一方、 ム属 ( c 。 0 。、を罸青いオーストラリアムシクイ属ジャワからの移入者の継続した流れは、引き続く内部交配 ( ミミミ ) 、モズガラス属 ( C ミ c 、、 s ) 、オーストラリアのモ によりそのような変化が起こるのを妨げたたろう。しかし ズ類 ( ハシプトモズヒタキ属 F, ミ 2 罸ミまとモズッグミ属 Co き、、一・ 以上のような意見は全ての事実を十分に説明できていない。 。。ぶ ) 、および多くの他の鳥群はオーストラリア全土で多なぜなら、チモール群の動物相の特徴は、そこに含まれる 産しており、もしチモールとオーストラリアが繋がってい 種だけではなくそれに欠けている種によっても、同じよう たならば、あるいはもしいずれの期間でも両地が二〇マイ に示されており、インドよりももっと強くオーストラリア ル以内の近くに近接していたことがあったなら、それらの の影響が存在することを、この種の証拠は示している。ジ 鳥群は確かに広がったことだろう。オーストラリアの昆虫ャワでは幾分多産し、しかも広い地域に分布している二九 の最も特徴的な群は、どの一種もチモ 1 ルでは見られない。 属以上の鳥の大部分が、チモ 1 ルではまったく欠けている。 そこで、海峡はいつもチモールとオーストラリアを隔てて 一方、同様に拡散しているオーストラリア由来の属のうち おり、ただある時期だけこの海峡が約一一〇マイルの幅に狭ただ一四属がチモールでは欠けている。これは、最近まで まったことがあったとすれば、あらゆることがうまく結び ジャワとの間が大きく隔てられていたことを明らかに示し 200

6. マレー諸島

第 13 章チモル ーパンに一泊した。また一八五 ランダ人の主な町であるク 九年五月、再び訪問した。その時は私は、同じその場所の 近くに二週間滞在した。一八六一年春、島の東端にあるポ ルトガル領の首都デリで四ヶ月過ごした。 ク ーパンの付近全体は珊瑚礁のざらざらした表面よりな っており、最近隆起したものらしい。珊瑚礁は海岸と町の 間に垂直の壁となって隆起している。町の低い白壁の赤い タイル屋根の家は、東洋の他のオランダ人入植地と非常に チモールの島は長さ約一二〇〇マイル、幅六〇マイルあり、 よく似た外観を示している。植生はどこも貧弱で丈が低い。 西の方に二、〇〇〇マイル以上離れているスマトラから始 まる火山列島の大きな地域の末端を形成している。しかしキョウチクトウ科とトウダイグサ科の植物が多い。しかし チモールは活火山を持たないことで、その鎖状を形成する森林と呼ぶようなものはなく、この地方全体が乾ききって 他の全ての島と著しく異なっている。ただし島の中央に近荒涼とした様子であり、モルッカやシンガポールの丈の高 い森林の樹木や多年生の草木と強い対照を示していた。最 いチモール山頂は唯一の例外で、それは以前活動しており、 一六三八年に爆発し吹き飛んで以来沈黙を守っている。チも顕著で特徴的な植物は、奇麗な扇形の葉のオウギャシ ( Bo き s 終 : be ミこ ) が多いことであった。その葉から モールの他の地域では、最近のものと思われる火成岩は一 は、一般に用いられる丈夫で長持ちのする水汲み用パケッ つもない。そのため火山島として分類するのは困難である。 が作られる。それは他のどの種類のヤシから作ったものよ 一確かに、その位置はフローレスからオム・ハイとウェッター りもずっと優れている。また同じ木からヤシ酒や砂糖が作 を通りパンダに伸びる大きな火山帯のちょうど外側に位置 られる。そのヤシの葉で作った普通の屋根は六、七年取り している。 私は初めて一八五七年にチモールを訪ね、島の西端のオ替えなくてもよい。町の近くで私は最近、高潮線より下に 第一三章チモール パン、一八五七 ~ 一八五九年。 デ丿、一八六一年 ) ウ 9

7. マレー諸島

だけなので、私はここで再び以上の鳥類を見られるものと これらの島から知られている鳥の種数は、この時期まで 当然期待していた。しかし三ヶ月そこに滞在した間、私は にロンポックから六三種、フローレスから八六種、そして その一つすら見かけることができなかった。しかし全体に チモールからは一一八種である。島群全体では一八八種で ( 註 1 ) 異な 0 た種の鳥達を見た。その大部分はジャワではま 0 たある。モル ' カから由来すると思われる二、三種を別にす く知られていないばかりではなく、ルネオ、スマトラ、 れば、そのうち八二種以上はこの島群以外では見出されな マラッカでも知られていない。例えば、最も普通な鳥では、 いものであるけれども、これらの鳥は全て、一方ではジャ ロンポックでは白色のオウムとミッスイ科に属する三種の ワと、また他方ではオーストラリアと、同一かあるいは酷 鳥がいるが、これらはマレ 1 諸島の西の方あるいはインド 似していることが分かる。しかしこの島群に固有な属は一 ーマレ 1 地区では完全に欠けている科である。フローレス つもなく、固有種によってこの島群を著しく特徴づける属 やチモールへ渡ると、ジャワの鳥類とはっきり区別できる もない。 このことは、厳密に言って動物相は他から派生し ものがい 0 そう増大する。そしてわれわれは、これらの島てきたものであること、またその起原は最も新しい地質時 島が一つの自然群を形成していることに気づく。これらの代の一つと比べてもそれほど古くはないことを実証してい 島の鳥類は、ジャワとオーストラリアの鳥類と類縁関係に る。もちろん、多くの種類 ( 渉禽類の大部分、猛禽類の多く、 あるが、しかしそのどちらとも明瞭に区別できる。ロンポ カワセミ類の一部、その他少数の鳥 ) は、その分布域がマレ ックとチモールにおける私自身のコレクションに加えて、 ー諸島を越えて非常に広く、そのためどこから由来したも 私の助手アレン氏はフローレスで秀れた = レクシ = ンを作のであるのか、詳細に追究することは不可能である。私の ってくれた。それらの標本は、オランダ人の博物学者によ 目録にはそのような鳥が五七種含まれている。またそれと って集められた少数の種と共に、この島群の自然誌につい は別に、チモール群島に固有であるけれども、しかし広い て非常に確かな概念を与えてくれる。また若干の興味深い 範囲に分布する種と似た三五種の鳥がいる。以上の九二種 結果をそれから引き出すことができる。 を差し引くと、他の地域の鳥類との関係を考察するために 196

8. マレー諸島

ノン・アビを通りバンダまで達している。チモールの中央 近くにその島唯一の火山が残っていて、この島の主な部分 は堆積岩よりなっている。以上のような物理的な相違は、 ロンポックとバリを分けているロンポック海峡で起こる生 物相の大きな変化とは対応していない。その変化は地球の 「レー諸島の地図を眺めると、ジャワからチモールまで動物分布における重要な特徴をなすほど、量的に相当大き く、非常に基礎的な性質なのである。 島々が緊密に繋がって一つの鎖状をなしているが、不思議 〔訳註 1 〕 オランダ人の博物学者ゾーリンガーはパリ島に長い間居 なことに、それらの島の生物相は著しく異なっている。そ れらの島々の間では気候や自然地理的にも確かにある程度留していたが、その島の産物はジャワのそれと完全に同一 であり、またジャワに産しない動物でバリに産するものは 異なっているが、しかしそれは博物学者が生物相に基づい 一つもないと報告している。ロンポックへ行く途中、 て分けざるを得なかった区分と、必ずしも対応していない。 この鎖の両端の間では気候が著しく対照的で、西は非常に島の北海岸に滞在した数日間、私はジャワの鳥類学上大い に特徴的な数種の鳥を見た。それらの中には、黄色い頭の 湿っていて短く不規則な乾季があるだけである。一方、東 はからからに乾燥しており、雨季はあるけれども短い。しキンイ 0 「ウ = ウジャク ( 0005 、』、 0 さ = ( 、ま ) 、黒いシキ 〔訳註 2 〕 チョウ ( CO c ミ oe ミ ) 、 ハラ色のムネアカゴシキドリ のかしこの移り変わりはジャワの中央辺りで起こっており、 〔訳註 3 〕 ( ミ e ミミきき s ミ ) 、マレーのコウライウグイス 6 、 s 群この島の東の部分はロンポックやチモールと同様、非常に 〔訳註 4 〕 一はっきりした季節を持っている。そこにはまた自然地理学、。ミ、ジャワの地上性ホジロムクドリ ( S 、ミきを。、 〔訳註 5 〕 チ における違いも認められる。しかしそれに・鎖の東の末端部 ) 、そしてジャワの三趾のキツッキ、ズアカマュミゲ 〔訳註 6 〕 ラ (Chrysonotus 、 a) などがある。ロンポックに渡ると、 、リ、ロンヂック、スン、、ハワ、 で始まり、そこではジャワ、 幅二〇マイル以下の海峡によってパリから隔てられている フローレスに著しい特徴である火山が、北の方に転じてグ 第一四章チモール群島の自然誌 195

9. マレー諸島

かなりいる。この問題に性急な結論を下す前に、それらのしてはいるけれども、オーストラリアの種とは明瞭な別種 種についても検討しなければならない。前の表にそれらのとされていることが分かる。またそれらの代表種あるいは 種数を付け加えてみよう。 近縁種は、島がオーストラリアから離れるにつれて次第に その数が減っていくが、反対にジャワから離れていくとそ の数が増えていく。このことには二つの理由がある。一つ は、島の大きさがチモールからロンポックへは急速に小さ くなっていること、それゆえ種の減少も起こるということ である。もう一つは、そしてもっと重要なのは、次の点で ある。つまり、チモールからオーストラリアまでの距離が 一〇新しい移住者の流入を遮り、このようにして変異が十分生 じることを許すのに対して、ロンポックはバリとジャワに 近いために、新しい個体が継続して流入することを可能に し、そのことが、早期の移住者との交配により、変異が生 じるのを妨げている、とういことである。 ジャワおよびオーストラリアから由来したと思われる鳥 これらの島々の鳥類が由来した起原については、われわ の総種数は三つの島ではそれそれ約四〇種前後にな「てほれの意見を分かりやすく示すためにそれらを一まとめにし ぼ等しいが、しかしこの二つの系列の間には著しい違いがて取り扱い、しかもジャワとオーストラリアに対するそれ あることが分かる。ジャワの組の鳥類のかなり大部分のもそれの島の関係をも 0 と分かりやすいように次の表に示す。 のは、ジャワにやはり分布する鳥と同一種とされるのに対 チモール島群の鳥は次のような種数を含んでいる。 して、オーストラリアの組の鳥類の場合は、しばしば酷似 ジャワの鳥 ジャワの鳥の近縁種 合計 オーストラリアの鳥 オーストラリアの鳥の近縁種三 合計 ロンポックフローレスチモール 三四 四 七 四九五八五 198

10. マレー諸島

いない。チモールから知られている一五種のうち九種は、 ている。・ハリとロンポックの島々は小さく、しかもほとん ど完全に火山であって、他の島々のものよりも変化した種ジャワあるいはその西の島々でもまた発見されている。三 が少ないので、比較的最近の起原であることが指摘できる種はモルッカ由来の種で、その大部分はオ 1 ストラリアで だろう。チモールがオーストラリアの最も近くに接近しても発見されている。残りはチモールの固有種である。 陸上哺乳類は、数ではたった六種である。それは次の通 いたその時代に、幅広い海峡がおそらく現在・ハリやロンポ りだ。 C 普通のカニクイザル辷きき 0 ~ 四、 s 、これは ックが存在する場所を占めていたらしい。そして、火山活 動はゆ 0 くりと現在の肥沃な島・ ( リと。ンポ ' クを積み上全てのインドー「レー諸島で発見されており、ジャワから ハリとロンポックを通ってチモ 1 ルに広がった。この種は げ、一方、オーストラリアの北海岸は大洋の下に沈んでい 川の堤防に非常に頻繁に見られ、洪水によって運ばれた木 ったのだ。ここに示されたような変化の一部は、どのよう の上にのって島から島へ移動したのかもしれない。マレ にそれが起こったかをわれわれに理解させてくれる。チモ 〔訳註 7 〕 マレー諸島の大部 ジャコウネコ、、 4d0 暑ミ、 s トミ s 。 ールの鳥類は、全体としてオーストラリア由来と同様イン ト由来のものも多いけれども、その島群に固有である種は、分では極めて普通である。ルサジカ c 。「ミ・、ぎミ ~ 。 もし別種だとしても、ジャワとモルッカの種に酷似してい 特徴の点では大部分がオーストラリア由来である。また、 〔訳註 8 〕 る。 @イノシシ S ま、ぎ 0 ュ e 鬯多分モルッカの種のある 誌ジャワを通って・ ( リまで分布が及んでいる多数の普通のイ 〔訳註 9 〕 ものと同種。チモールジネズミ SO 、、ミ % チモ】ル ンド由来の種は、それよりさらに東の島々にまで、何故ど の 群の一つの代表種をも伝播することができなか 0 たのか理解の固有種と見なされる。困東方のオポ ' サム、 ( イイ 0 ク 〔訳註川〕 スクス 0 、 scus ミミミ。もし明瞭な独立種でないとする 一できるはずである。 チその島群の他の島々の哺乳類相と同じく、チモールの哺と、モル ' 力でも同一種または近縁種が発見されている。 これらの種はどれもオ 1 ストラリア由来でないこと、ま 凵乳類は = ウモリ以外は極端に乏しい。 = ウモリ類はかなり 多く、またまだ多くの種が未発見のままたということは疑たオ 1 ストラリア由来のどれともほとんど近縁ではないこ 201