鳥に分類される。本種は昔の博物学者によって Paradisea ミあるいは 0 、 ~ ・ 0 s 0 ミ、ミ s と命名され、現在は一般に オウゴンフウチョウモドキとして、オーストラリアのフウ 〔訳註四〕 チョウモドキ (Sericult 、 s ry き c 、ミ ) と同じ属に置かれ ている。しかし嘴の形と羽毛の特徴は、私にとって非常に 異なっているように思われるので、それは別の属を作るべ きであろう。この鳥はほとんど完全に黄色で、喉、尾羽、 翼と背の一部は例外的に黒色である。しかし、強烈な艶の ある橙色の大量の長い羽毛で主として特徴づけられている。 それらは背の真中から下方に首を覆っており、まるで闘鶏 の首の周りの細長い毛のようである。 この美しい鳥はニューギニア本島に生息し、またサラワ ッティでも発見されている。しかし極めて稀れで、私は原 住民の作った不完全な剥製を一つ手に入れることができた だけで、その習性については何も分かっていない。 私はここで既に知られている全ての極楽鳥と、それらの 楽鳥が生息していると考えられている場所とを目録の形で示 そう。 * の付されている種は、本書の初版が刊行された以 後発見されたものである。 田 Pa 、ミ s き、 0d4 大極楽鳥 ( オオフウチョウ ) ーーーアル ー群島とニューギニア中部。 2 、きミ s き、きミ ( または P. き 0 、 ) 小極楽鳥 ( コ フウチョウ ) ニューギニア北西、ミゾールやジョビー 群島。 3 、ミミ s き薹 b き ( または P,. g ミミ ) 紅極楽鳥 ( ・ヘ ニフウチョウ ) ーーーワイゲオウとパタンタ。 * 3 、ミミ s き co き紅飾極楽鳥 ( べニカザリフウチョウ ) ド・エントレカステアウクス群島。この美しい種は、 紅極楽鳥、薹 6 きよりももっと赤い羽毛を有する。濃赤 色の多数のかなり短い羽毛が基部にある。胸部は藤色で、 頭部と喉は小極楽鳥 P. を 4 きに似ている。 * 3 Pa 、 s き Ra ミミ赤飾極楽鳥 ( アカカザリフウチ ョウ ) ニューギニア南東。この種はいくらか大極楽鳥 P. 0 をに似ているが、赤い羽毛を持っている。 * ⑥、、 sea G ミ = ミミ ~ 白飾極楽鳥 ( シロカザリフウ チョウ ) ドイツ領ニューギニア。頭部、首、喉は緑色 で背は黄色。雄の成鳥は未だ知られていない。 * ⑦、、 sea ミ 0 き eg ミ e ミーーー南ニューギニアに生息する 大極楽鳥、。の一型。 * 3 、、 s ミ Tinschi ニューギ一一ア南東で発見された 小極楽鳥 P. ミミの一型。 ⑨ C ミミ、を王様極楽鳥 ( ヒョクドリ ) ーーー全ニ ューギニア、、、、ゾール、アルー群島。 551
クスクス科 ) は、ニューギニアから八種知られている。 註 1 ( 五七一頁 ) ニューギニア南東の半島では、若干の疑う 訳註 4 ( 五五八頁 ) フクロモモンガ属洋、ミミ、 s ( 有袋目、 余地のないポリネシア人の部族が見られ、モッと呼ばれている。 フクロモモンガ科 ) は、ニューギニアからパプアフクロモモンガ これらは多分、古い時代にここに植民し、そしてパプア原住民と 、 ab ミ ~ およびフクロモモンガ、 b の一一種知られて 多少とも混血したらしい。 訳註 1 ( 五六四頁 ) 現在では、マレー人の国であるマレーシ 訳註 5 ( 五五八頁 ) ・ハンディクート科 ( 有袋目 ) のオオ・ハンデ ア、インドネシアおよびフィリビン三国では、言葉の表記にロー イクート属、 0 はニ、ーギニア固有属で四種ある。また マ字が採用されている。イスラム国であるマレーシアではアラビ マウス・ハンディクート属 Micro ト。 c 、は一属一種 ( マウス ア文字も教えられており、アラビア文字で印刷された新聞もある。 ・ハンディクートント戔ミュ ) でニューギニアに固有である。こ しかし宗教以外の出版物では、大部分がローマ字で印刷されてい の種は家屋内に出現する。またトゲ・ハンディクート属ミ ~ ・ る。現在では教育とラジオやテレビの普及によって、インドネシ 、 e きはニューギニアに三種産し、そのうちアカトゲ・ハンディク アのインドネシア化 ( 同様にマレーシアではマレーシア化 ) が急 1 ト、に fi はオーストラリア、 = 、ーギ = ア、ケー群島、速に進んでおり、言語に関してはウオレスの時代と相当様子が変 アルー群島にも産する。 わっている。インドネシアとマレーシア両国の人々は、他の言語 訳註 6 ( 五五九頁 ) カギ・ハショウビンミミ。き戔ミ cr ミ導 ~ ・ を知らなくともマレー語で話すことができる。しかし前者はオラ ミ 4 ( ・フッポウソウ目、カワセミ科 ) 。 ンダ語から、また後者は英語から入った単語や、また元々その地 訳註 7 ( 五五九頁 ) ここに列挙されている属名のニューギニ 域にあった他の言葉や古いポルトガル語やスペイン語の影響を受 けて若干の差異を生じている。 ア産の鳥は、現在は全て別属とされている。次のように訂正する 訳註 2 ( 五六五頁 ) フィリピン語 ( タガログ語 ) は元々マレ べきであろう。クイナチメドリ属 E ~ きミご↓パプアチメドリ属 Pt orr 0 ミチメドリ属」 4 、 e ↓。ハプアチメドリ属の一部か、 ー語系統であるが、しかし他の言語を介さなければフィリ。ヒン人 クモカリドリ属 ra 、 ~ 。 era ↓おそらくタイヨウチョウ属 とインドネシア人あるいはマレーシア人とは会話できない。 Ne ミュにの一種、キュウカンチョウ属 Gr 2 ぶ↓キムネムク リピンにも多数の言語があり、地方の人々の複雑な言語生活に驚 ドリ属ト 0 、ハナドリモドキ属、コ・ 0 0 攣に↓。ハプアハナド いたことがある。英語の普及率は六〇 % 近くである。スペイン語 は今では二 % 以下の人しか話せない。しかしタガログ語には数多 第四〇章 くの単語がスペイン語から入っている。ウオレスはフィリ。ヒンへ
セミ (D ミミ ) 、舞い上がって虫を捕えるパプアそれと同じ種類はミゾールにも見られる。その島は産物の ムシクイ属 ( T & 。、大きな鶏冠を持ったカンムリ・ハ 点から同じようにパプア群であり、その種あるいは近縁種 〔訳註 1 〕 ( Go ミ、 co きミ 4 ) 、ヒメアオバト類 ( アカボシヒメアオ・ハト がニューギニアに生息している。しかし、そのような動物 Pt = 0 0 、ま、 e ミミま、キビタイヒメアオ は、セラムでは見つかっていない。たが、その島はミゾー フジボウシヒメアオバト P. き、 0' ミぶき s ) などのような多くの ルからたった六〇マイルの距離である。別の小さな有袋類 〔訳註 2 〕 鳥の場合にも、同じように効果的である。今、そのような ( パンディクート Pe きミミ es 、ミ s ) は、アーとニューギニ 障壁の実際の影響を示すために、セラムの島を見てみよう。 アに共通している。昆虫もまったく同じ結果を示している。 その島は、ニ = ーギニアから確かにアルーと同じ距離だけアル 1 の蝶類は、ニューギニアの種と同じか、あるいはご 離れている。しかし深海によってニ = ーギニアから隔てらく僅かに違っている種である。一方、セラムの蝶は、二つ れている。セラムに分布する約七〇種の陸鳥のうち、一五の地域の鳥類よりももっと明瞭に異なっている。 種だけがニューギニアから報告されている。それらの中に 今では、欠陥のある地質学的な記録を補充し、ここに示 ヒ は、陸生あるいは森林に出現する種は含まれていない。 したような事実を間違いなく推論することができるという クイドリは別の種である。カワセミ類、オウム類、ハト類、ことが、一般的に承認されている。どこの土地でも起こっ た隆起や沈降と、一連のそのような運動は、かなり正確に ヒタキ類、ミッスイ類、ツグミ類、ホトトギス科の鳥は、 ほとんどどれもまったく別種である。そのうえ、ニ = 1 ギ知ることができる。しかし地質学だけでは、大洋の下に完 この ニアとアル 1 に共通している少なくとも二〇属は、セラム全に消えてしまった陸地については何も分からない。 ような場合に、自然地理学と動植物の分布の研究が最大の にまでは広がっていない。以上のことから、アルーとセラ ムは、 かなり違った方法でそれそれの動物相を受け入れた力を発揮する。ある土地を他の土地と分けている海の深さ ということを、全ての博物学者は認識せざるを得ないのでを確かめることによって、起こった変化についていくらか ある。また真正のカンガレ 1 : ノ力アルーで見つかっており、 判定することができる。もし他に沈降の証拠があれば、浅 474
ったかを説明するよい理由である。 んでいた人種の後裔であるという可能性が最も大きい。こ 。ハプア人は他のどの人種よりもアフリカのネグロと最もれはなされるべき、最も簡単で自然な仮定である。また世 〔訳註 6 〕 よく似ていることが、最近、 ( クスリー教授によって主張界の他のどこかの住人とポリネシアの人々との間で直接類 された。両者の身体的、精神的特徴の類似は、しばしば私似している徴が何か見つかっても、それは疑問の余地なく 〔訳註 7 〕 にも強く感じられた。しかし、そのような類似をあり得る後者が前者から由来したことを示すわけではない。それが ことだとして受け入れるのは困難なことがあり、これまで太平洋諸島の間の広汎な移動の証明であることは間違いな それを重視することを妨けていた。地質学的、動物学的、 く真実であり、それはサンドウィッチ群島からニューギニ 民族学的な考察からは、もしそれら二つの人種が共通の起アまでの言語社会をもたらしたのだろう。しかし、どこか 原を持っとすれば、それは人種の古さとして想定されてい 周辺の地域からポリネシアへの移動が最近あったかどうか るどの時代よりも遥かに古い、ある時代であったというこ の証拠はなく、主な身体的、精神的特徴でポリネシア人種 とはほとんど確かなことになる。またもし彼らが一つであに十分よく似ている人々はどこにも見られない。 ることが証明できても、パプア人とポリネシア人がよく似 もしこれらの様々な人種の過去の歴史が漠然として不確 ていることや、またマレー人と両者の大雑把な区別に関す かであれば、未来はそれと同様であろう。太平洋の最も遠 る私の主張を動かす余地はない。 い島に住んでいる真のポリネシア人は、疑いなく、近々絶 ポリネシアは沈降した地域が主体であり、その大きく広減の危機に瀕している。しかしもっと多くのマレー人種は、 もし自分の国や政府がヨーロッパ人の手に引き継がれたと がった珊瑚礁群は、昔の陸地や島々の位置を示している。 オーストラリアとニューギニアの豊かな変化の多い、しか しても、大地を耕す者として生き残るようによく適応して し不思議な隔離された生物も、またそのような特殊化した いる。しかしもし植民地主義の風潮がニューギニアに押し 型が発達した大きな陸地を示している。これらの地域に現寄せれば、パプア人種は急速に絶減するだろうということ 在住んでいる人種は、それゆえ、これらの大陸や島々に住は疑いの余地がない。好戦的で、精力的な人々は、自分の 574
g = & es 0 ( または 0. 4 ミ、 ca ) 金蓑極楽 鳥 ( キンミノフウチョウ ) ニューギニア北西とミゾー レ 0 圓 0 = 0 s ~ 7S0 ( または D. 、 es ミ ~ ・ ) 赤蓑極楽 鳥 ( アカミノフウチョウ ) ーーーワイゲオウ島。 ニューギニア南東。金蓑極 楽鳥に似るが、しかしより鮮かにして、変化のある色彩を 持つ。 * 0 を = & es 70 s ーージョビー島から発見された近 縁の型。 * 鬮罠 & き、ミ斗ーー別種で、赤い翼と褐色の冠 を持ち、ニューギニア南東ホースシュー山から発見された。 * 鬮 DiPhY110des G ミ = ミミ一、、ト・ーーワイゲオウの東から発見 された。橙色と赤の背中と、王様極楽鳥のように先端が緑 色の扇を持っ豪華な鳥。 ト、 0 ュ、ミミ、 ( またはト 0 、 0 、 4 終、 e 4 ) 肩掛極 楽鳥 ( カタカケフウチョウ ) ニューギニア北西のアル ファク山。 * 聞ト 0 、、ミぎミ 0 、 ニューギニア南東のアストロラー べ山から発見された小型種。首の襟の形と色彩がいくらか 異なっている。 、ミ 0 、 s 、ミ・ s 簪極楽鳥・ーーニューギニア北西のア ルファク , 山。 * Pa 、 0 、ト 4 ミ es 一・ダンピカンザシフウチョウーーーニュ ギニア南東のアストロラーベ山から発見された代置種。色 彩および胸の羽毛の型が僅かに異なっている。 の Se ミぎミミミ一ミぶ ce 一・白旗極楽鳥 ( シロハタフウチョ ウ ) パチアン群島とジャイロロ。 をミまミミ s ( または . s 、 e os ま ) 尾長鎌嘴極 楽鳥 ( オナガカマハシフウチョウ ) ニューギニア北西。 * 2 E き ac 、 s 、 ea ニューギニア南東のアストロ ラーベ山から発見された僅かに異なる型。 * E ミミ、 s éye ュチャイロカマハシフウチョウ ニューギニア南東のホースシュー山から発見された別の近 縁種。雌だけが知られている。 * E 、ぎミ s E ミ 0 ミーーーあまり目立たない種。産地不明。 S ミ e ミ 0 ミミ ( または S. g 、 4 s ) 一一一線極楽鳥 ( ジュウニセンフウチョウ ) ニューギニア北西から南東。 Ptiloris ( C き & 。。ミ ) ミ ag ミ、 3 大鱗極楽鳥 ( オオ ウロコフウチョ ) ゥーーーニューギニア全土。 幻 Ptiloris ゝ e ミ ~ アルバ ート公の鱗極楽鳥。オーストラ リ・ . ア . コ爿立ロ P 、 = 0 ュ s Pa 、ミ sea 鱗極楽鳥 ( ウロコフウチョウ、ライ フレ・・、 ート ) ーーーオーストラリア東部。 Pt 0 、、 0 、 e 小鱗極楽鳥 ( コウロコフウチョウ、 〔訳註〕 ヴィクトリア女王のライフル・バ オーストラリ ア北西。 * S Pt 0 、み ( C 、 as 、 e40 ~ ミ 4 ) 、ミ、 24 ミ 552
一 81 ) はイタリアの探検家で、一八七一年にペッカリがマレー諸 第三九章 註 1 ( 五五七頁 ) これはもはや真実ではない。鳥の種数が一一島を訪問した時、彼に同行し、健康を害しべッカリを残して翌年 トイツ領とイギリス領ニュ イタリアへ引き返した。見聞記『ニューギニア』 "Alla Nouva 倍以上ある大きなコレクションが、・ Guinea" ( 1880 ) を書いている。なお一八七七年、彼の従兄弟の ギニア ( 南東に位置する ) で作られている。 Enrico A. d'Albertis 船長も、べッカリと同行してマレー諸島 註 2 ( 五五七頁 ) その後、ニューギニアを訪ねた最大の自然 * 2 ーティス、ドイツ人 へ行った。 史の旅行者はイタリア人のべッカリとダル・ハ * 2 * 3 フィンシュ 0 ( ( 0 F 一 nsch ( 1839 ー 1917 ) はドイツの鳥類学 のマイヤーとフィンシュ、・ O ・フォー・フズ氏、その他数人の 者であり民族学者。トルキスタン、南太平洋、ニューギニア、ビル イギリスとドイツの採集家である。 マスク群島などへ研究旅行した。『オウム類』 "Die Papageien" 註 3 ( 五五八頁 ) その後発見されたもっと興味深い哺乳類の リモグラ ( 2 Bde., 1867 ー 1869 ) 、『南太平洋の人類学的見聞記』 "Ethnolo- 中ではオーストラリアの棘のあるアリクイに近縁の gishe Erfahrungen und Belegstüche aus der Südses" ( 3 Bde. ハリモグラ科の Tac y ミ。こ ~ こ属のこと ) 洋 h ミミ ( 有袋類、 1888 ー 1893 ) などの著書がある。 一種がある。 訳註 1 ( 五五七頁 ) これは家畜のプタ Sus ミミ ( 偶蹄目、 註 4 ( 五五九頁 ) ほ・ほ九〇種近くのハトが現在ニューギニア イ / シシ科 ) の野生化したものらしい および隣接するパ。ファ群島に生息していることが知られている。 訳註 2 ( 五五八頁 ) ル・プルン Le Brun は、オランダの旅 一方、同じ地域のオウム族は約八〇種に増加した。ほぼ九〇〇種 行家コルネリウス・デ・ブルイン Cornelius de Bruyn ( 1652 ー のパプアの鳥が今は知られている。 1726 ) である。デ・・フルインは一七一四年に出した著書『ベルシ べッカリ Odoa 0 Beccari ( 1843 ー 1920 ) はイタリアの ヤとインドを経てのモスコヴィア旅行』 "Reizen over Moskovie 植物学者。解説参照。一八六五年から一八六八年までサラワクを 章 door Persie en lndie..." の中で、ジャワで飼育されていたアル 調査し、また一八七一年からマレー諸島とニューギニア、また一 ー島産のコゲチャヤ・フワラビー T og ミ e bl ・ミ zii ( 有袋目、カ 八七七年にマレー諸島やニューギニアへ行っている。マレー諸島 ンガルー科 ) を見たことを述べており、その絵も示している。な 註の多くの植物の命名者である。息子で同じく植物学者の Nello お、ウオレスはドッポの交易の図 ( 四五一頁 ) の左隅にアルー島 びは、一九二四年に父のニューギニアやモルッカ諸島に関する日記 のワラビーを示している。 おをまとめた。しかしそれは英訳されなかったらしい 訳註 3 ( 五五八頁 ) 現在、クスクス属 PI ミぶ、 ~ g ミ・ ( 有袋目、 2 ダルバーティス Count Luigi Maria d'Albertis ( 1841 ー 653
第 38 章極楽烏 〔訳註〕 る。しかしこれらはいかなる飾り羽毛も持っていないので、 南東から発見された種。この種は大鱗極楽鳥、き品ミ と非常に近縁である。 彼らはカケスやカラスよりましに見えるだけである。 s 、きをこ鵲極楽鳥 ( オナガフウチョウ ) ューギニア北西のアルファク山。 それゆえ、極楽鳥に含められる三七種類のうち、二七種 pa 、ミぶ ca 、ミミ c ミミ黄角極楽鳥 ( キヅノフウチョ 類は大ニュ ] ギニア島に生息している。しかしもしニ ウ ) ーーーアルファク山。 ギニアの一部を現実に形成している、今は浅い海によって 次の種は既知種と極めては 0 きり区別できるので、新属結ばれている島々を考慮すれば、一一三種の極楽鳥がその地 〔訳註〕 域に属していることが分かる。一方、三種はオーストラリ に置く必要がある。 〔訳註幻〕 これらはむしろ小さな群アの北と東に生息し、一種はモルッカ群島にいる。しかし * 、ミミ s ce 、こミ da で、ニ = ーギニア各地か ながら、全ての最も驚くべき壮麗な種は、完全にパプア地 ら発見され、あまり装飾 域に限られている。 されていない鳥である。 私はこれらの素晴らしい鳥を求めて相当の時間を費やし * 田ゝ s 、、 ac 三 S 、 e 、 ae 白軸極楽鳥シロジクオナガフウ チョウ , ーー鵲極楽鳥に似たオーエン・スタンレー山で発見 たが、アルー群島、ニ = 】ギニア、ワイゲオウに何ヶ月も された輝かしい鳥。 住んでいる間に、五種を手に入れるのに成功しただけだ。 〔訳註〕 、、ミ so こ R 青極楽鳥 ( アオフウチョウ ) アレン氏のミゾールへの航海は、一種の追加種ももたらさ ニ = ーギニア南東のホースシ = ー山。これは新たに追加さ なかった。しかし、われわれは二人共ニューギニア本島で、 れた最も目立っ美しい種である。この鳥は小型で、明るい 青い色の側面の羽と尾の真中の羽が長くなり、後者の先端サラワ ' テ→に近いソ 0 ンと呼ばれる場所について聞いた。 そこでは、われわれが望む全ての種が入手できるだろうと は小さなへら状になっていることで区別される。 いう。それで、私は、アレン氏にその場所を訪れさせ、奥 若干の著者達はまたミミ。 & と。ミの両属 地の原住民の間に入り込んでもらおうと考えた。彼らは極 ( 六種知られている ) の輝かしい色彩の鳥を極楽鳥に含めてい 553
海の深さの対比ーーージョージ・ウインザー・アール氏が、 る。チモールとジャワの間の島々には、もっと樹木が繁茂 一八四五年王立地理学会で行なった発表、およびそれに続 している地域があり、棘や針のある種類が多い。これらは 大木に成長することはめったにない。また乾季になるとほ いて一八五五年に出した『南東アジアおよびオーストラリ ・ほ完全に落葉し、樹下の地面はからからに乾燥し、他の島アの自然地理学について』という小冊子で、最初に指摘し 島の湿った暗い常緑の森林と著しく対照的である。この顕たことであるが、浅い海がスマトラ、ジャワ、ポルネオを 著な特徴は、セレベスの南の半島とジャワの東端にも若干アジア大陸と繋いでいて、それらの地域の生物は大体似通 認められ、おそらくオーストラリアに近いことが大きく影っている。また同じような浅い海は、ニューギニアとオ】 響しているらしい。南東のモンスーンは一年のおよそ三分ストラリアに近接した一部の島々を繋いでおり、以上の地 〔訳註 7 〕 の二 ( 三月から十一月まで ) の間続いて、オ 1 ストラリアの域は全て有袋類の存在によって特徴づけられている。 北部を越えて吹きつけ、オーストラリアに隣接する島々の これはマレ 1 諸島における最も根本的な対比の手がかり 植生や自然景観の同一化を促すある程度の暑さや乾燥をもであり、それを詳細に研究することによって、私は島々の たらす。やや東の方のチモールーラウトとケー群島では、 間に一つの線を引くことができるという結論に到達した。 湿潤な気候が勝っており、トーレス海峡を通りニューギニ つまりマレー諸島はその線により二分され、半分の地域は アの湿った森林を越えて太平洋へ南東の風が吹いており、真のアジアに属し、また他の半分は紛れもなくオーストラ リアと類似している。私はそれらをそれそれマレ 1 諸島の その結果、どの岩礁も頂上まで緑に包まれている。さらに 学西の方では再び乾いた風が太平洋の広々とした海域を吹き中のインドーマレー地区とオーストローマレー地区と名づ 地 抜け、新鮮な湿気を吸収する機会がある。そしてあまり乾けよう ( 自然地形図を見よ ) 。 然 アール氏は、古い時代にアジアとオ 1 ストラリア両大陸 燥していない気候を持っジャワに行き着き、パタヴィア近 1 くの西端では雨がほ・ほ一年中降り、山々はどこでも先例のが結合していたと何度も論じているが、しかし彼が挙げた 証拠は、全体として両大陸が長い間分離していたらしいこ ないほど豊かな森林で覆われている。
いたが、直ちに小さな船に乗り込んで、海に漕ぎ出て逃れ を受け取る代わりの男が見つかった。 ほぼこの頃、われわれはニューギニア貿易が危険である たのである。 という顕著な証明を持った。六人の男が小さな小船でほと 原住民の商人にとって「パ。フア・コウィー」あるいは、 んど餓死しそうになって、二隻あったプラウの一つで逃れ「パプア・オネン」として知られているニーギニアの南 て来て村に着いた。乗組員の残り ( 数は一四人 ) は、ニ = ー 西の部分には、最も陰険で残忍な部族が住んでいる。初期 ギニアの原住民によって惨殺された。。フラウは数ヶ月前こ の発見時代に多くの船の指揮者や乗組員の一部が殺された の村を離れたもので、殺された男達の中にはラジャの息子のは、これらの地方である。また現在でも、数人の命が失 と多くの住民の縁者や奴隷が含まれていた。そのニ = ースわれずに一年経過することはないという。ゴラムとセラム が届いた時に起こった嘆きの声は、まことに痛ましいもの の商人には、概して危害が及ぶことはない。彼らはこれら であった。夫、兄弟、息子、あるいはもっと遠縁の者を亡原住民達の性質をよく知っており、何か侮辱的行為あるい くした多くの女達は、一度に陰気な悲鳴、うめき、嘆きの は略奪や詐欺といった行為によって彼らの攻撃を挑発する 声をあげた。それは時々夜遅くまで続いた。村の中の主な ことはしないからである。彼らは毎年同じ場所を訪れる習 家々は、私が住んでいた家の周りに集まっていたので、わ慣があり、原住民は彼らに対して、ヨーロッパ人への攻撃 れわれの立場はあまり具合好いものではなかった。 の言い訳として主張されるような恐れを抱かないのである。 攻撃を加えられた村は ( ラカヒアの小さな島のほぼ反対側同じパプア人種が住んでいるミゾール、サラワッティ、ワ で ) 危険であることが分かっていたらしい。船は若干のナイゲオウ、および近接する海岸の若干の地域のような他の 広い地域では、人々の中におそらく混血の商人が住んでい マコを買うためにほんの数日前にそこへ行ったのである。 ーこあっ て、既に文明化の第一段階をたどっており、長年そのよう 乗組員は浜に住んでおり、プラウは近くの小さな月冫 た。彼らは。 ( 。フア人と取引きしている昼間に攻撃され、惨な攻撃は起こっていない。しかし南西海岸とジョビーの大 きな島では、原住民は極めて野蛮な状態にあり、強奪や殺 殺されたのである。生き残った六人は二隻のプラウの上に 362
それは有袋類に属する種であろうと信ずるべきあらゆる理一種はネズミくらいの大きさで、家屋に侵入し、食糧を食 ( 註 3 ) 〔訳註 5 〕 由がある。それらの一つは真のカンガルーである。オース い荒らすことでネズミのお株を奪っている。 トラリアの中型のカンガルーのあるものと非常に似たその ニューギニアの鳥類は、地球上の他のどの島よりもさら 種は、ヨーロッパ人が見た最初のカンガルーであることで に数多く、美しく、新しい、奇妙で優美な種が見られるの も注目される。それはミゾールとアル 1 群島に生息しておで、哺乳類と比べて非常に対照的である。われわれが既に り ( 近縁の一種がニ = ーギニアで発見されている ) 、また一七一詳しく考察してきた極楽鳥は別にしても、そこは多数の他 〔訳註 2 〕 四年にラ・・フルンはタヴィアで生きている標本を見て記の奇妙な鳥を産し、鳥類学者の目から見ると、それはどれ 載している。もっと奇妙な生物はキノボリカンガル 1 で、 も地球の初期に分離した一地域としてニューギニアを区別 ニュ 1 ギニアから二種が知られている。この動物は、形態するのに役立つ。三〇種のオウムの中では、大型の黒鸚鵡 的には地上性カンガルーと著しく異なってはおらず、むしや、小型で堅くて曲がらない尾羽を持ったき s ミ、き属、 ろゆっくり動き、樹上生活にただ不完全にしか適応してい つまりこの族全体の中の大型種と小型種がいる。頭に毛の ないようであって、木の枝を歩くのに大変具合が良いとは ない 04 、ミ属は知られている最も奇妙なオウムの一 思えない。筋肉質の尾による跳躍力は失われ、強力な爪をつである。一方、美しい小型の、長い尾羽のイロドリイン 木に登るために獲得している。しかし他の点では、その動コ属 c ミこきや豪華な色のヒインコ類の様々な変化は、 物は木の上よりも、大地を歩くためにさらに適応している どこにも類似するものがない。ハトは約四〇種が区別され、 ハトがおり、今ではイギリスの鳥舎で ように見える。この不完全な適応は、ニューギニアに食肉その中にはカンムリ・ 類がおらず、急いで登って逃げねばならないような敵もい よく知られている。また大きさと美しさで卓越している。 ないという事実によるのかもしれない。四種のクスクス奇妙な ( シプトバト T ミミ terres 、 ris は、より奇妙なサ 〔訳註 4 〕 〔訳註 3 〕 Cus まと小型のフクロモモンガもまたニューギニアに生モアのオオハシ・ハト属ミ ~ 、ミミに近縁である。また私 息している。また五種のずっと小型の有袋類がおり、その自身で発見した新属 ( ハシナガ・ハト属 e c 。、ぎ ) は、非 558