が明らかになる。私は、この諸島の様々の地域の自然誌を この地域は、いつも旅行者や科学者によって一つのまと まった地理的な世界として紹介されている。しかし様々の自分で観察することによって、その事実を十分詳しく証明 角度からさらに詳しく研究すると、この地域は、確かに地できる。いくつかの島における私自身の旅行と滞在の記録 球の初めに起こった水陸分布の結果形成された二つの部分の中で、私は引き続いてこの見解について言及し、またそ に相当しており、天産物の異なる、ほぼ同じ広さをもったれを支持する事実を例証として挙げた。したがってここで 二つの地域に分けられるという、予想していなかった事実はマレー地域の主な特徴をかいつまんで解説し、さらに簡 単に理解できる一般的な問題との関係 や今後いっそう興味を引くはずの事実 を描写するのが適当である。それゆえ、 私はまずこの地域の境界と範囲を概観 し、地質学、自然地理学、植生、動物 の生活などの特徴について述べよう。 定義および境界ーー主に動物の分布 から、私は、テナッセリムまでのマレ ー半島、西ではニコバル群島、北はフ ィリ。ヒン群島、東はニューギニアの彼 方ソロモン群島を含む地域が、マレー 諸島であると考えている。この範囲内 に含まれる大きな島々はすべて、無数 の小さな島々によって繋がっており、 ラ島 ク群一 プルネイー - ロンドン・一 同一縮尺のイギリス諸島とボルネオ .
かなりいる。この問題に性急な結論を下す前に、それらのしてはいるけれども、オーストラリアの種とは明瞭な別種 種についても検討しなければならない。前の表にそれらのとされていることが分かる。またそれらの代表種あるいは 種数を付け加えてみよう。 近縁種は、島がオーストラリアから離れるにつれて次第に その数が減っていくが、反対にジャワから離れていくとそ の数が増えていく。このことには二つの理由がある。一つ は、島の大きさがチモールからロンポックへは急速に小さ くなっていること、それゆえ種の減少も起こるということ である。もう一つは、そしてもっと重要なのは、次の点で ある。つまり、チモールからオーストラリアまでの距離が 一〇新しい移住者の流入を遮り、このようにして変異が十分生 じることを許すのに対して、ロンポックはバリとジャワに 近いために、新しい個体が継続して流入することを可能に し、そのことが、早期の移住者との交配により、変異が生 じるのを妨げている、とういことである。 ジャワおよびオーストラリアから由来したと思われる鳥 これらの島々の鳥類が由来した起原については、われわ の総種数は三つの島ではそれそれ約四〇種前後にな「てほれの意見を分かりやすく示すためにそれらを一まとめにし ぼ等しいが、しかしこの二つの系列の間には著しい違いがて取り扱い、しかもジャワとオーストラリアに対するそれ あることが分かる。ジャワの組の鳥類のかなり大部分のもそれの島の関係をも 0 と分かりやすいように次の表に示す。 のは、ジャワにやはり分布する鳥と同一種とされるのに対 チモール島群の鳥は次のような種数を含んでいる。 して、オーストラリアの組の鳥類の場合は、しばしば酷似 ジャワの鳥 ジャワの鳥の近縁種 合計 オーストラリアの鳥 オーストラリアの鳥の近縁種三 合計 ロンポックフローレスチモール 三四 四 七 四九五八五 198
ンポルト湾に向かって出航した。それで再び少し静かにな からは少なくとも五、六種類が入手されているが、今年は り、何か食べ物を手に入れることができた。なぜなら船が稀れな種は一つも得られていない。もしどこかにそれがあ イドーレの貴公子は、 こにいた間に、あらゆる少量の魚や野菜が船に運ばれ、 れば、確実に手に入れていたはずのテ 私はしばしば小さなインコで二食分食べねばならなかった 少数の普通な黄色のもので我慢せざるを得なかった。ド】 からだ。私の部下は、今、アイハ しハキから戻って来たー レイにおいて少し離れた奥地でもっと長く滞在すれば、私 しかし残念なことに、ほとんど何も携えて来なかった。彼が美しい鱗状の胸を持っ極楽鳥 Ptiloris ミミ ( オオウ らはいくつかの村々を訪問した。そして奥地への二日間の ロコフチョウ ) の唯一の雌を採集したことでも分かるように、 とい、つこ 小旅行もやった。しかし、普通種を別にすれば、そしてそ若干の稀産種がそこで発見されるかもしれない、 れすら大変少ないが、買い求めるべき極楽鳥の皮は見つか とは確かにありそうなことである。私はテルナテで、確実 らなかった。見かける鳥はドーレイと同様で、しかももっ にヨーロッパでは未だ知られていない、巻いた尾羽と普通 と少なかった。海岸近くのどこの原住民も、極楽鳥を射殺種のような美しい体側の羽毛を持った、しかも羽の残りの したり保存したりする者はなく、それらは山を二つ三つ越部分はつややかな黒色の黒王様極楽鳥について聞かされた。 ドーレイの人々は、大部分の他の種類については、説明す えた遥か奥地から来たもので、海に着くまで村から村へ物 物交換によりもたらされたものだ。そこでドーレイの原住れば分かってくれたが、この鳥については、何も知らなか 民がそれらを買い取り、帰ってそれらをブギス人やテルナ 蒸気船が出発した頃、私は激しい熱病にかかったほほ テの商人に売るのだ。それゆえ、原住民から殺したばかり の標本を手に入れる望みをもって、稀れな極楽鳥が買い取一週間でそれは治ったが、しかしロ、舌、歯茎の内側全体 られたニ = 1 ギニアの海岸のどこか特別な場所へ、旅行者にすきすきと痛みが続き、何日もの間、私は唇の間に固い が出かけても望み薄であった。そしてそれはまたどこでも ものを入れることができなかった。しかしそのことを除け これらの鳥が少ないことを示しており、アンく ハキ地域ばすっかり良いが、流動食だけを摂る以外に方法がなかっ 492
は粉々に切り刻まれてしまっていた。虎の歯は魔力があるのまま斜めに飛び上がり、非常に簡単に舞い上がった。そ のでこれを護符として身に付けるのである。 してかなりの高さの樹木を越えて飛ぶ。私はまたここで稀 〔訳註〕 ウオノサレムに来て一週間後に、私は山の麓のジャパンれな種である緑色の野鶏 ( アオエリャケイ s 、 c ミ 5 ) の標本を手に入れた。その鶏の背と首は青銅色の羽毛で美 ナンと名づけられている村へ出かけた。それはいくつかの 小さな森林によって囲まれており、まさに私の仕事に適ししく覆われており、また縁にギザギザのない卵形の鶏冠は ているようであった。村の首長は竹でつくった小さな二つ菫紫色で、基部では緑色に変わっている。これはまた喉の の部屋を彼自身の家の中庭の隅に、私が使うために用意し下に、赤、黄、青の三つの小斑点で明るく彩られた、一つ ており、彼はできるだけ私の援助をするつもりのようであの肉垂れを持っている点でも注目される。普通の野鶏 ( セ 〔訳註〕 キショクャケイ Gallus ミき ) もまたここで入手した。こ った。天候は極度に暑くて乾燥しており、数ヶ月の間雨が れは普通の闘鶏と大変よく似ているが、鳴き声は異なって 降っていなかった。そのために結局、昆虫、特に甲虫は、 極めて少なかった。それで私は鳥類の秀れた標本を入手す いて、遥かに短く、しかももっとぶつきら・ほうである。そ へケッコという。 六種のキツッキと四 ることに主として専念し、かなりのコレクションを作るこれでその現地名は、・ ィートの美しいサイチョウ ( き c os とに成功した。われわれが今まで撃ち落とした孔雀は全て種のカワセミ、長さ四フ 〔訳註凵〕 尾羽が短いか、不完全な尾羽であった。しかし私はやっと ききき s ) や、奇麗で小さなキムネサトウチョウ ( ト。ュ募 〔訳註燔〕 七フィー トを越える長い尾羽を持っ二羽の美しい標本を入 s ミ 5 ) ( これは数インチ以上の個体は稀れである ) がここで 手し、そのうち一羽を完全に保存した。もう一つは他の二、見つかった。 三羽と共に尾羽だけ保存した。この鳥が地上で餌を取って ある朝、私が標本を作成整理していると、ここで裁判が 様子を見ていると、どのようにしてそのような長い厄介なあるということを告げられた。やがて四、五人の男がやっ 尾羽を引きずって空中へ舞い上がることができるのか、不て来て、法廷である接見用の小屋の下の茣蓙の上にかがん 思議に思われた。しかしそれは短い距離を急いで走ってそだ。そこに首長が書記と一緒にやって来て、彼らの向かい 104
いはその起原は、地震によってできた亀裂や割れ目に帰すサラワク両峡谷を分ける、標高約二、〇〇〇フィ 1 トの峠 ることはほとんど不可能であろう。一方、水によって著しを登って行った。その地点からの下りは非常に美しかった。 川は岩の峡谷深くわれわれの両側を流れており、その一つ く簡単に侵食され運搬される岩の性質や、よく知られてい るように熱帯の豊富な雨水の作用は、この場合には少なくの方へ少しずつ下り、数々の峡谷の壁を越え竹の橋を伝っ て絶壁を通り抜けた。橋のいくつかは長さ数百フィ とも、上述のような谷を造り出す大変重要な原因である。 この地方の山地の渓谷の形、分岐の様子、谷を分けている高さ五〇 ~ 六〇フィートあり、直径四インチの一本の滑ら かな竹竿が唯一の通路となっていて、同じ材料でつくられ 斜面や尾根などと、ヒマラヤの雄大な山岳風景のそれらと の間の類似性は、きわめて顕著である。それはこの二つのている細長い手摺は激しく揺れるので、支えというよりも ただ目印として役立っていた。 場合に作用したカが同一で、ただそれが働いた時代と、そ 午後遅く、われわれは、二つの流れの間の突出部にある れが働く時にあった材料の性質が違っていたに過ぎないと ソドスに着いた。そこはすっかり果樹に囲まれた所である いう結論を導き出さざるを得ないのである。 ために、その地方の景色を眺めることはできなかった。そ われわれは昼近くになって、谷から約六〇〇フィート高 の村に到着した。そこの家は広々として、清潔で、快適で、しかも人々は非常 い尾根に位置する、美しいメニエリー 旅してポルネオのこの地域の山地の素晴らしい眺望を楽しん に親切であった。大勢の女や子供達は以前に白人をまった 奥だ。私はここで、サラワク川の源流にあるべンリッセン山く見たことがなかったので、私の肌の色が顔の色とまさに 一を眺めることができた。その山はこの地域の最高峰の一つ同じだということを信じなか 0 た。彼らは私に、腕や肌を オ ィートに聳えていた。南にはロ 見せて欲しいと懇願した。彼らは親切で気立てがよかった で、海抜約六、〇〇〇フ ポ ワン山脈が、また遥か彼方にオランダ領のウントワン山地ので、私は彼らにある程度満足を与える責任を感じて、ズ 5 が同じように聳え立っていた。メニエリーから下り、われポンをまくり上げ、私の脚の色を彼らに示した。彼らはそ われはまた、尾根を巻いているカヤン川を渡り、サドンとれを実に興味深げに調べた。
散らされる。それらから私は、二〇を上回る異なる種を拾の喜びを隠すことができず、彼の仲間に大きな手いつばい のタ・ハコを示し、まさに表現豊かな身振りでニッと歯を見 い出した。多くの場合、海綿と珊瑚は非常によく似ており、 せ、身をよじりクスクス笑いをした。私は以前しばしば、 区別するには、触って見る以外に方法がなかった。大量の 海草もやはり打ち上げられた。しかしそれは見かけが奇妙何かつまらない物を得るためにマレ 1 人に余分な金を払う という同じ間違いをしたことがある。しかしながら、彼の で、我がイギリスの海岸のどこか適当な場所で見られるも 顔には喜びは浮かばず、鈍い間抜けた躊躇だけが彼の驚き の以上の美しさも変化も少なかった。 ここの原住民は、純粋のパプア人に見える人々でも、ケを示していた。彼らは多く支払われても少なく支払われて 1 の人々よりもっと控え目でロ数が少なかった。これは多も、どちらの場合にも正確に同じ反応を示す。これらの小 さな精神的特徴は、身体的特徴と結合する場合、最大の興 分、私が異邦人の間にいる、また小さな集団の中での彼ら を見ただけだからだろう。彼らが現実にどうであるかを知味がある。しかし後者に対して非常にしばしば適用される 外部的な原因によるものだというお決まりの説明は、認め 在るためには、くつろいでいる未開人を見なければならない。 るしかしながら、ここでさえ、パプア人の性質はいくらか違ることができない。人種について書く者は、国から国へ足 おっている。小さな少年達は歩きながら楽しそうに歌う。あ早に通過する旅行者がもたらす情報をしばしば信用しすぎ ポるいは大声で独り言を喋る ( まったくネグロに特徴的である ) 。る。彼らは一つの場所に長く留まることはしないので、国 またできることは全て試み、真のマレ 1 人の流儀のように、民性の特徴を知る機会はほとんどなく、そのうえ人々の平 島感動を隠すことはできない。ある日彼らが大勢私の家に集均の身体的形態が実際はどうであるのか確かめさえしない。 一まったので、気紛れにどんな種類のナマコを食べるのか試二つの人種が長い間混血している場所では、二つのはっき ア り区別できる人々の人為的な混合を見ないで、一つの人種 そうと、私は二本買った。私が大量のタ・ハコをそのナマコ 章 から別の人種への自然な移行の証拠として中間的な型や混 のために払ったので、売り手は私が不慣れな客だと思った。 しかし彼は香りの良い草の匂いをかいだ時のように、自分合した習樌のみを見ることによって、そのような旅行者は 421
のさらに短い翅と比較して示されている。形の違いは一つ別な逃走手段が発達したものと考えられる。非常に小さな 一つの例でまったくはっきりしており、しかも昆虫そのもあるいは非常にくすんだ色彩の蝶は細長くなった翅を持た のを比較するなら、これらの部分的な形の場合よりももつず、また既に飛翔の強力さと速さを持っている翅の強い群 においては、どのような変更も認められないということは、 と驚異的である。 このような形はアジサシ、イ ( メ、 ( ヤ・フサおよび迅速この意見を支持する証拠の一つである。それらの蝶は十分 に天敵から守られており、逃走する力をもっと増大させる に飛ぶ種類のハトの特徴でありゆえに、鳥における以上の ような類似性から、尖った翅は飛翔の速さを増大させると必要はない。しかし翅の特別な湾曲が、飛翔を変えるため にいかなる効果があるのか、すっかり明瞭になったわけで 想像できるだろう。一方、短く丸い翅は、さらに弱々しい 飛翔か、あるいは忙しく翅を動かさなければならない飛翔はない セレベスの動物学におけるもう一つ別の奇妙な特徴は、 と関係しており、天敵にいっそう捕まりやすい。それゆえ、 前述の特殊な形の翅を持っ蝶は、追跡をいっそう容易に逃同様に注目するだけの価値がある。セレベスの両側、つま りインドーマレー諸島およびモルッカ群島で発見されてい れることができると思われる。しかしそのような必要性が 発現するように果たすはずの昆虫食の鳥類がセレベスに特るいくつかの群がセレベスでは欠けていること、またある 別に多産しているようではないので、また一方では、その不明の何らかの原因によってその間に介在する島々を通っ ような奇妙な特性は無意味に生じたとは信じられないので、て動物が分布を広げることができなかったように思われる 自 ことについて述べよう。鳥類ではガマグチョタカ科とモズ のそれは遥か昔のこの島の状態を反映しているものらしい べその頃はセレベスはさらに豊かな動物相を持っており、そ科の二つの科がある。これらの科はマレー諸島全体を越え の遺存種は現在ここに生息する隔離された鳥類や哺乳類のてオーストラリアにも分布している。しかしセレベスでは カワセミの中ではミッュビカワセミ属 中に見られる。また昆虫食の動物が多産するならば、大き代表する種がない。 な翅を持つ目立っ蝶類にとっては逃走の必要が増大し、特 c 。、ツグミに似た仲間ではアゴヒゲヒョドリ属 c 斗ミ、、 271
致している。 れの地域そのものの物理的な相違または類似と対応してい マレ】諸島を驚くほど多様な生物相に基づいて二つの地るという古い教義が、ここほど直接的な明瞭な矛盾とぶつ 域に分けてみると、その区分は地球表面の物理学的または かる所はどこにもない。ポルネオとニューギニアは、表面 気候的な区分とはまったく対応していないことは明らかで的にはよく似ている二つの地域であるが、動物学的には遠 ある。この事実は外界条件により生物の特殊な形が決定さ く離れた二つの極だと言えよう。またオーストラリアは、 れるという学説との関係で極めて興味深い点であり、大い 乾燥した風と、開放的な草原、礫の多い砂漠、穏やかな気 に注目しなければならない。大きな火山帯が二つの地域内候の地域である。しかし、そこに棲む四足類や鳥類は、高 を通っているが、そのことが両地間の天産物の類似性をも温多湿の豊かな森林で覆われたニ = ーギニアの平原や山岳 たらすことはなかったのである。ポルネオは島の大きさやに生息する動物と密接な関係がある。 火山がないということだけではなく、地質学的構造の多様 このような大きな対照を引き起こした原因として私が考 さ、気候の規則性、地表を覆う森林植生の大体の様子など、えている事柄を示す目的で、もし地球上に二つの著しく対 極めてニュ 1 ギニアと類似している。モルッカ群島は、火照的な地域があって、それらを自然な方法で近くに持って 山の構造、極端な肥沃さ、森林の豊かさ、頻発する地震な来ることができたとしたら何が起こるか考えてみよう。ア どで、フィリ。ヒン群島と好一対である。また・ハリとジャワ ジアとオーストラリアのように、その産物が極めて異なる の東の端は、チモールと同様、気候は乾燥し、土壌は湿気二つの地域は世界に他にない。しかしアフリカと南アメリ 力の間の差異もまた非常に大きく、またこれらの二つの地 学がよい。しかもこれらの対応する島々のグループは、同じ 地方法で造られ、同じ気候に支配され、同じ大洋の波に洗わ域は、われわれが考えている疑問を解くために役立つだろ 自 れているけれども、両者の天産物を比較すると、考えられう。一方の側には、ヒヒ、ライオン、ゾウ、水牛、キリン る限りの最も大きな差異が存在する。異なる地域に生息しなどがおり、もう一方には、クモザル、ビュ ている様々の生物種の間での相違あるいは類似は、それそアリクイ、ナマケモノなどがいる。鳥では、アフリカには
しく臭っていた。われわれはそれを泉あるいは水がしみ出 次の日 ( 二十四日 ) 私は水を求めて別の探索を決心した。 して来たものと早まって結論し、・ ( ケツで一二 ~ 二〇杯分そして潮が引いた時に岬の先端を回り、か細い僅かな流れ の泥とゴミを汲み出した。そして夜に奇麗な水が、うまい も発見できないまま、島の端まで行ってしまった。引き返 具合に溜まるものと期待した。そして濡れずに浜と船の間 す途中、水路の大変小さな川床に注目した。全てが非常に を往来するための竹の筏を作っている二人の部下を残して、乾いているので、部下はそこに水を期待するのは無理だと 私は船に朝食に行った。綱が切れ、岩に船がドシンとぶつ大声でまくしたてたが、私はそれを調べに行った。しかし、 かった時は、私はまだ食事を終わっていなかった。幸いに少し上がると、私は小さな水溜まりの中に数パイントの水 も、穏やかな凪であり、損害はなかった。われわれは錨をを発見した。われわれは、水の徴候が現われている、あら 探して引き上げ、綱が一晩中珊瑚で擦られていたことを知ゆる穴や水路をもっと上まで調べた。しかし、それ以上は った。そのことが夜の間に起こっていたら、われわれは錨一滴も見つからなかった。部下の一人に大きな瓶と茶碗を を失い流されるか、あるいは大きな損害を受けていたかも取りに行かせ、われわれは他の乾いた水路の徴を見つける しれなかった。夕方、われわれは井戸から水を汲んでくる まで、海岸に沿って探索した。そして少し登って、二つの ために出かけた。大変がっかりしたことには、底の少量の深く覆われた岩穴に、われわれの瓶を全て満たすのに十分 泥水以外は何も見つからなかった。穴は雨水が溜まったも な数ガロンの水がたまっているのを発見するという幸運に のであることが明白たった。現在の日照りが続く限りは、 恵まれた。茶碗が来た時、われわれは冷たい純粋な水を、 決して二度とその穴は水で一杯になることはないだろう。 しみじみと楽しみながら飲んだ。そして出発前に、私はそ 水不足に苦しめられるかもしれないので、われわれは泥ま う信じているのだが、島の全ての水を運び去った。 みれの水を瓶に満し、沈澱させることにした。午後、私は 夕方、かなり大きなプラウが視界に現われた。明らかに 島の反対側に横断し、仲間にわれわれがまだそこにいるこわれわれの仲間が残されている島の方を目指していたので、 とが分かるように、激しく火を燃やした。 われわれは、彼らが発見され救出されるかもしれないとい 504
がっている。それを多数の小さな流れが貫通し、高い石灰る。そしてそこでは、アルー交易の主要産物の一つをなし 岩の崖によって境され、そこではアルーの食用燕巣が主とている、真珠母貝が見られる。全ての島々は茂った丈の高 して得られている。私の持っている全ての情報によれば、 い森林で覆われている。 南の二つの川はワタライ川よりももっと大きいという。 ここに述べた物理的な特徴は特に興味深く、私が知って アルーは全体として低いが、言われているほど、あるい いる限りではある程度独特である。なぜなら、まったく本 は海から見えていたほど、決してそんなに平坦ではない。 当の川と似ている水路が横断している、アル 1 のような大 島の大部分は乾燥した岩の土地からなり、 いくらか起伏のきな島に関する他の記録を見つけることができないからだ。 これらの島々が示している自然現象の全てについて、私は ある表面があり、あちこちに急な小山が聳え立ち、また急 な狭い峡谷が刻まれている。最も高い所でもおそらく二〇長い間考えた末、今から説明しようとする一つの結論に到 〇フィートしかないけれども、大部分の小さな川の河口に達するまでは、このような水路がどのようにしてできたの 見られる湿地状の狭い土地以外は、まったく平坦な土地と か、私にとってまったく謎であった。火山活動によって形 いうものはない。峡谷や小川のどこにでも見られる岩は、 成されたのではなく、しかもこのような現在の状態の島に 珊瑚石灰岩で、ある場所では柔らかく脆いが、別の場所で ついて考える場合、三つの道がある。すなわち、隆起、沈 は非常に固く結晶質で、イギリスの山の石灰岩と似ている。降、大陸あるいは相当大きな島からの分離、の三つである。 中央の陸塊を囲むように散在している小さな島々は非常珊瑚岩や内陸深くにある隆起した浜の存在は、最近その島 に数が多い。しかしそれらの大部分は東側にあり、そこで が隆起したことを示している。礁湖を持っ珊瑚礁や壁ある はその島々は本島を縁取るようにして、しばしば本島から いは裾礁で囲まれている島々は沈降を示し、またイギリス 一〇 ~ 一五マイル広がっている。西では島は大変少なく、 本国のように、その天産物が近くの大陸とまったく同じ場 ワンマとプロ : ( ビが中心をなし、北西端にはオウギアと合は、その島はその大陸から分離したのだ。現在、アルー ワシアがある。東側では海はどこも浅く、珊瑚が一杯であ群島は全て珊瑚岩で、近くの海は浅く、珊瑚が一杯である。