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検索対象: マレー諸島
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1. マレー諸島

凡例 一、原文中の ( ) は、訳文においても ( ) とした。 一、原文中の衾 ' は、訳文において引用文は「 , に入れて、 ) とした。 そのほかは、 一、原文中のイタリック体は、訳文において書名は『』に、論 文は「」に入れて、そのほかには傍点を付した。 一、原文中のスモール・キャピタルは、 8 ボゴシック体にした。 一、原文中の動植物の種名および属名は、訳文においてはイタ リック体に変えた。 一、原文中の脚註は、訳文においては文中の該当個所に ( 註 1 2 : ・ ) と付し、巻末に註として一括した。 一、訳による註および補註は、訳文においては文中の該当個所に ・ : 〕と付し、巻末の各章の註のあとに載せた。 〔訳註 1 2 一部は本文中に〔〕で示した。 一、訳書では、新たに度量衡単位を付した。

2. マレー諸島

人の頭蓋を根気強く収集し、 "Thesau 「 us c 「 aniorum" ( 『頭蓋 付録マレー諸島における人種の頭蓋集』 ) という注目すべき著者を刊行した。これは彼の 0 レク ションのカタログ ( 存在するものの中で最も広汎なもの ) であ と一一一一口 り、国別や人種別に分類され、その由来、それそれの標本 の特別な特徴が示されており、また完全なものは入念な一 九の測定が記載され、また変異の範囲が決定されている。 この興味深い価値ある業績は、東洋の人種の頭蓋の形態 数年前、頭蓋は人類を研究するうえで唯一の確かな基礎や容量が彼らに関する私の分類を支持するか、反駁するか、 をなすものと考えられていた。熱心なコレクションが作ら決める手がかりを私に対して提供してくれた。比較の目的 れ、測定され、記載され、図示された。しかし今では頭蓋では、一九の測定の全項目はあまりにも厄介であ 0 た。そ こで私は、この目的に沿って、頭蓋研究の可能性を試験す 語は上述の特別な目的のためには、あまり重要ではないとい とう意見が定着しつつある。 ( クスレー教授は、そういう趣るために適していると思われる三つの項目を選んだ。それ 頭旨で自分の意見を大胆に述べている。彼は人類の新しい分らは、頭蓋の容量、Ü百分率で示した長さに対する幅の 割合、曰百分率で示した高さと長さの割合、である。これら 人類大系を提案したが、その中では頭蓋のどのような特徴も けほとんど重視していない。頭蓋研究は何年ものあいだ根気の測定は、ディヴィス博士によってほとんどあらゆる事例 お について示されており、豊富な材料を私に供給してくれた。 強く続けられたけれども、人類学に貢献するような成果は 諸 産まなかった。頭蓋は極度に変異が多いので、未だに一つ私は初めにディヴィス博士自身によって示されたように、 はっきりした場所から得られた同じ人種の頭蓋群の「平均ー 「の学説を構築するところまでは進まず、また知的な人類の を取った。そして大きな区分であるマレー人とパプア人の 9 録分類は頭蓋学では築かれなかった。 〔訳註 1 〕 特徴の違いを検出できたと考えた。しかし、ある例外的な ジョゼフ 1 ナード・ディヴィス博士は、何年もの間、

3. マレー諸島

第 17 章セレベス のために日が指定され、全労働者は銅鑼の音で呼び集めら も、コレクションについてはやや失望した。この温暖な地 れた。各家族によってなされた仕事は、時間数として計算域ともっと下方の焼けつくような暑い平原との間で、動物 され、年末には売上成果が、その割合に応じて分配された。 よまとんどな に関しては何か特別に察知できるような違い冫 コーヒーは土地全体の中央部に設立された政府の倉庫に収 く、私にとって最も関心のある事柄には役立たなかった。 められ、そして定められた低い決まった金額が支払われた。 この高度に固有な生物はまったくないようであった。鳥類、 それから、ある比率が首長やマジョ ーへ渡り、残りは住民四足類は少なく、しかも下方のものと同じ種であった。昆 の間で分配された。この制度は非常にうまく動いており、 虫はやや異なっているように見えた。カッコウムシ科の奇 しかも現在では人々にとって自由取引きよりも遥かによい 妙な甲虫は主に樹皮や朽木の上で見つかるのだが、私がど ものとなっていると私は思っている。そこにはまた大きな こか他の場所でそれらを見た時よりも、ここではもっと美 水田があり、この七〇戸からなる小さな村では、毎年一〇しかった。美しいカミキリムシは普通より少なく、また蝶 〇ポンドの価格になる米が売却されていることを、私は聞類は少数で、どれも熱帯の種であった。それらの一つオオ ルリオビアゲハ R ミ。は少数の標本を得ただけで かされた。 私は村の外れに小さな家を持った。その家は、流れに下あったが、今まで私が見た最も華麗な蝶であった。それは る急斜面にほとんど迫っていた。そしてヴェランダから素緑と黄金色のアゲハチョウで、青藍色の匙状の突起を持ち、 晴らしい眺望が楽しめた。温度計は朝にはしばしば六二度日が照っている時だけ、村の付近を飛んでいるのがよく見 を示し、決して八〇度以上に上がることはなかった。そのられた。しかし翅はかなり破損していた。大量の湿気と曇 ため熱帯の平原で使われる薄い衣類を着ているわれわれは った天候は、ム : ルルカノこ 、冫いた間中、最も大きな妨げで いつも涼しく、時には確かに寒かった。一方、毎日水浴にあった。 出かけたが、水はまるで氷のように冷たかった。私はこれ 植生においても、標高をそれとなく示すようなものは非 らの美しい山々と森林の間で大いに満ち足りていたけれど常に少なかった。樹木は地衣類や蘚類で覆われ、シダや木 239

4. マレー諸島

がっている。それを多数の小さな流れが貫通し、高い石灰る。そしてそこでは、アルー交易の主要産物の一つをなし 岩の崖によって境され、そこではアルーの食用燕巣が主とている、真珠母貝が見られる。全ての島々は茂った丈の高 して得られている。私の持っている全ての情報によれば、 い森林で覆われている。 南の二つの川はワタライ川よりももっと大きいという。 ここに述べた物理的な特徴は特に興味深く、私が知って アルーは全体として低いが、言われているほど、あるい いる限りではある程度独特である。なぜなら、まったく本 は海から見えていたほど、決してそんなに平坦ではない。 当の川と似ている水路が横断している、アル 1 のような大 島の大部分は乾燥した岩の土地からなり、 いくらか起伏のきな島に関する他の記録を見つけることができないからだ。 これらの島々が示している自然現象の全てについて、私は ある表面があり、あちこちに急な小山が聳え立ち、また急 な狭い峡谷が刻まれている。最も高い所でもおそらく二〇長い間考えた末、今から説明しようとする一つの結論に到 〇フィートしかないけれども、大部分の小さな川の河口に達するまでは、このような水路がどのようにしてできたの 見られる湿地状の狭い土地以外は、まったく平坦な土地と か、私にとってまったく謎であった。火山活動によって形 いうものはない。峡谷や小川のどこにでも見られる岩は、 成されたのではなく、しかもこのような現在の状態の島に 珊瑚石灰岩で、ある場所では柔らかく脆いが、別の場所で ついて考える場合、三つの道がある。すなわち、隆起、沈 は非常に固く結晶質で、イギリスの山の石灰岩と似ている。降、大陸あるいは相当大きな島からの分離、の三つである。 中央の陸塊を囲むように散在している小さな島々は非常珊瑚岩や内陸深くにある隆起した浜の存在は、最近その島 に数が多い。しかしそれらの大部分は東側にあり、そこで が隆起したことを示している。礁湖を持っ珊瑚礁や壁ある はその島々は本島を縁取るようにして、しばしば本島から いは裾礁で囲まれている島々は沈降を示し、またイギリス 一〇 ~ 一五マイル広がっている。西では島は大変少なく、 本国のように、その天産物が近くの大陸とまったく同じ場 ワンマとプロ : ( ビが中心をなし、北西端にはオウギアと合は、その島はその大陸から分離したのだ。現在、アルー ワシアがある。東側では海はどこも浅く、珊瑚が一杯であ群島は全て珊瑚岩で、近くの海は浅く、珊瑚が一杯である。

5. マレー諸島

性質の類似した事実に基づいてダーウイン氏は、温度が低鳥類もまた、これら二つの地域に共通であり、しかも大部 下したために、ある時代に若干の北方の温帯植物が赤道を分の場合、種は酷似しているが、違いが生じている。すな 越えて ( 一番高い経路を経て ) 、南極側の地域に到達する機会わち、分離して以来、かなりの時間 ( そのような変化に必要 が十分あり、そこではそのような植物が発見されると、考とされる ) が経過したことを示している一方で、その時間 えられるようになった。そう考えられている植物が残っては両者がま「たく変わってしまうほどの長さではないとい いるという証拠は、『種の起原』の第二章後半の部分に見うことを示している。それは、温帯植物がジャワに入って られ、これを一つの仮説として受け入れれば、ジャワの火から現在の状態に変化するために必要とした時間と正確に 山の上にヨーロ ' 。 ( 型植物相が存在することを説明できる対応している。これらの植物は、現在ではほとんど全て別 種である。しかしそれらが生き残らなければならなかった のである。 環境条件が変化してしまったために、あるものはその後大 しかしながら、それは、ジャワと大陸の間に大きな海が 広がり、それが氷河時代に温帯型植物の移住を効果的に妨陸インドでは死減したという可能性もあり、またジャワの ( 註 2 ) げただろうという異論が、自ずと出されるだろう。これは種が異なってしまったことを十分説明している。 私の特別な研究は、山の上ではあまり大きな成功を収め 疑いもなく、致命的な反論であり、ジャワが以前にアジア 大陸と繋がっていたことを示す多くの証拠は存在していななか 0 た。多分それは非常に都合の悪い天候と、滞在が短 かったことが原因であるだろう。七、〇〇〇ー八、〇〇〇フ いし、またその大陸の繋がりはほぼ要求されている時代に なければならないのだ。そのような結合の最も注目すべきィートの高さで、私は最も愛らしく小さいべニガシラヒメ ワ 〔訳註〕 アオバト ( p ミ。き鷺 s き 8 ミ s ) を一羽入手した。それは ャ証拠がある。つまり、ジャワの大型哺乳類、サイ、トラ、 ジ ( ンテンっまり野牛などは、シャムとビルマにも見られる頭全体と首が美しい・ ( ラのような桃色で、その他は緑色の 7 し、またこれらは確かに人間によって持ち込まれたもので羽毛であって、見事に対照的であった。また、ほ・ほ山頂に / . し ということである。ジャワクジャクや数種の他の近い所の、そこに生えていたイチゴの間の地面で餌を取っ

6. マレー諸島

ヒタキの中ではオウギヒタキ属 R 、ミミ、またカエデチ同じ地域の動物は時代が隔たるほど違ってくる。それゆえ、 ョウの仲間ではセイコウチョウ属守ミきが、モルッカ種の変化、またさらに属や科の形の変化は、時間の問題で 群島でもまた同様にポルネオやジャワでも全て発見されてあると言えよう。しかし時間はある地方では種の変化を引 いる。しかしそれらのいかなる属のうちのただの一種も、 き起こすかもしれないのに対して、別の地方ではその形は セレベスでは発見されていない。昆虫では訪花性甲虫の大さらに永続し、あるいは変化は同じ割合で起きていても、 きなツャカナ・フン属ト。ミ、。きは、セレベス以外のインドしかし双方で異なった方法で起きている。どちらの例も地 と = 、ーギニアの間の全ての国や島で発見されている。そ域の動物の特性の総計は、その地域がそれを囲んでいる島 れらの分布地域のまさに中心に位置している島において、 島から隔離されていた時間を計る尺度としてある程度役立 多くの群がこのように予想外に欠如している事実はまったつだろう。この尺度によって判定すると、セレベスはマレ く特異だというわけではないが、セレベスの場合のように ー諸島の最も古い部分の一つであるに違いない。それはお 非常に顕著な場所は世界のどこにも見られないと私は信じそらく、ポルネオ、ジャワ、スマトラが大陸から分離する ている。またこれは、この島の注目すべき特徴の一つとし以前からだけでなく、今それらの島々を作っている陸地が て確かに付け加えるべきことである。 海面にまだ隆起していなかったもっと遠い時代までさかの 私がこの章で描こうと努力したセレベスの自然誌の変則 ・ほらねばならない。そのような古い時代を考えることは、 性と風変わりさは、全て遠い昔の起原であることを示唆しセレベスが持っている多数の動物の種を説明するために必 ている。絶減した動物の歴史は、時代および空間における要である。しかもそれは、インドやオーストラリアの動物 それらの分布がよく似通っているという事実を示している。 との関係を示さず、むしろアフリカのそれとの関係を示し 概して、近隣地域の動物は普通互いに類似しており、またており、そのことはこれらの地域をつなぐ陸橋の役割を果 同じ地域では連続した期間の動物は類似している。そしてたしていた大陸がインド洋にかって存在した可能性を考え 遠く離れた地域の動物は一般にはなはだしく異なっており、 るように導くのである。今では既にそのような陸地の存在 272

7. マレー諸島

かなりいる。この問題に性急な結論を下す前に、それらのしてはいるけれども、オーストラリアの種とは明瞭な別種 種についても検討しなければならない。前の表にそれらのとされていることが分かる。またそれらの代表種あるいは 種数を付け加えてみよう。 近縁種は、島がオーストラリアから離れるにつれて次第に その数が減っていくが、反対にジャワから離れていくとそ の数が増えていく。このことには二つの理由がある。一つ は、島の大きさがチモールからロンポックへは急速に小さ くなっていること、それゆえ種の減少も起こるということ である。もう一つは、そしてもっと重要なのは、次の点で ある。つまり、チモールからオーストラリアまでの距離が 一〇新しい移住者の流入を遮り、このようにして変異が十分生 じることを許すのに対して、ロンポックはバリとジャワに 近いために、新しい個体が継続して流入することを可能に し、そのことが、早期の移住者との交配により、変異が生 じるのを妨げている、とういことである。 ジャワおよびオーストラリアから由来したと思われる鳥 これらの島々の鳥類が由来した起原については、われわ の総種数は三つの島ではそれそれ約四〇種前後にな「てほれの意見を分かりやすく示すためにそれらを一まとめにし ぼ等しいが、しかしこの二つの系列の間には著しい違いがて取り扱い、しかもジャワとオーストラリアに対するそれ あることが分かる。ジャワの組の鳥類のかなり大部分のもそれの島の関係をも 0 と分かりやすいように次の表に示す。 のは、ジャワにやはり分布する鳥と同一種とされるのに対 チモール島群の鳥は次のような種数を含んでいる。 して、オーストラリアの組の鳥類の場合は、しばしば酷似 ジャワの鳥 ジャワの鳥の近縁種 合計 オーストラリアの鳥 オーストラリアの鳥の近縁種三 合計 ロンポックフローレスチモール 三四 四 七 四九五八五 198

8. マレー諸島

ったかを説明するよい理由である。 んでいた人種の後裔であるという可能性が最も大きい。こ 。ハプア人は他のどの人種よりもアフリカのネグロと最もれはなされるべき、最も簡単で自然な仮定である。また世 〔訳註 6 〕 よく似ていることが、最近、 ( クスリー教授によって主張界の他のどこかの住人とポリネシアの人々との間で直接類 された。両者の身体的、精神的特徴の類似は、しばしば私似している徴が何か見つかっても、それは疑問の余地なく 〔訳註 7 〕 にも強く感じられた。しかし、そのような類似をあり得る後者が前者から由来したことを示すわけではない。それが ことだとして受け入れるのは困難なことがあり、これまで太平洋諸島の間の広汎な移動の証明であることは間違いな それを重視することを妨けていた。地質学的、動物学的、 く真実であり、それはサンドウィッチ群島からニューギニ 民族学的な考察からは、もしそれら二つの人種が共通の起アまでの言語社会をもたらしたのだろう。しかし、どこか 原を持っとすれば、それは人種の古さとして想定されてい 周辺の地域からポリネシアへの移動が最近あったかどうか るどの時代よりも遥かに古い、ある時代であったというこ の証拠はなく、主な身体的、精神的特徴でポリネシア人種 とはほとんど確かなことになる。またもし彼らが一つであに十分よく似ている人々はどこにも見られない。 ることが証明できても、パプア人とポリネシア人がよく似 もしこれらの様々な人種の過去の歴史が漠然として不確 ていることや、またマレー人と両者の大雑把な区別に関す かであれば、未来はそれと同様であろう。太平洋の最も遠 る私の主張を動かす余地はない。 い島に住んでいる真のポリネシア人は、疑いなく、近々絶 ポリネシアは沈降した地域が主体であり、その大きく広減の危機に瀕している。しかしもっと多くのマレー人種は、 もし自分の国や政府がヨーロッパ人の手に引き継がれたと がった珊瑚礁群は、昔の陸地や島々の位置を示している。 オーストラリアとニューギニアの豊かな変化の多い、しか しても、大地を耕す者として生き残るようによく適応して し不思議な隔離された生物も、またそのような特殊化した いる。しかしもし植民地主義の風潮がニューギニアに押し 型が発達した大きな陸地を示している。これらの地域に現寄せれば、パプア人種は急速に絶減するだろうということ 在住んでいる人種は、それゆえ、これらの大陸や島々に住は疑いの余地がない。好戦的で、精力的な人々は、自分の 574

9. マレー諸島

の中間型は、単にこれらの人種の混血の結果ばかりではな ワ語であるという事実によって証明される。これはほとん く、ある程度真の中間型あるいは移行型であり、褐色と黒、ど姿を変えていない発音の特殊さによっても証明され 。 ( プア人、ジャイロロとセラムの原住民、フィジー人、サ大変明瞭な人種の起原と同じほど遠い昔にマレー語が導入 ンドウィッチ群島の住民やニュージーランドの人々は、全されたものであるなら、言語学者の熱心な研究によって単 て一つの大きなオセアニア人あるいはポリネシア人種の様にマレー起原の語だけがもはや検出されるのではなく 様な型であると思う。 身体的におけると同様に精神的にも道徳的にもマレー人と おそらく褐色のポリネシア人は、もともと暗色のパプア違っている人種を容易に区別できるはずだ。 人と、マレ】人との混血の結果であるか、あるいは明るい この疑問に関係して、マレ 1 諸島の人種を分ける線と、 色のモンゴール人種との混血の結果である。しかし、もし同じ地域の動物相を分ける線との間に存在する一致を指摘 そうならば混血は遠い昔に起こり、そして物理的条件と自することが重要である。それを私は既に十分説明し、図を 然淘汰の絶え間ない影響によって大いに助けられて、その 示した。分割線は、本当のところ、完全には一致していな 状態に適した特別な型の保存をもたらし、雑種の徴候を持 い。しかし、それらが同じ地域を横断し、現在のように互 たない固定された人種となったが、しかし決定的にパ。ファ いに接近して存在するということは、注目しなければなら 的性質が優勢であることを示している。それはパプア系の ない事実であり、単なる偶然の一致以上のものである。し ーマレ 1 とオーストロ かしながら、もし動物学上のインド 人変わ 0 たものとして、分類するのが最善である。ポリネシ 島アの言語における明白なマレー要素の表われは、明らかに ーマレー地区の分割線が現在描かれている地域は、現在よ 一そのような昔の物理的な結合を示すものではない。それは りもかなり広い海によって占められていたという私の想像 マまったく最近の現象であり、主なマレ 1 部族の放浪の習慣 が正しければ、そしてもしその時代に人類が地上にいたと 0 に由来している。このことは、ポリネシアで用いられてい すれば、アジアと太平洋地域に住んでいる人種が、な・せ現 る言語に現実に混じっているのは、新しいマレー語やジャ在分割されている線の近くで出くわし、部分的に入り混じ 5 フ 3

10. マレー諸島

〇種の陸鳥のうちで、東方のセレベスへ渡ったのは一〇種められていない。これはあたかもマン島がツグミおよびク の固有種を有していて、イギリスとアイルランドに にも満たないのである。しかもマカッサル海峡はジャワ海ロドリ ほどに広くはなく、そのうえ少なくとも一〇〇種はジャワ共通する鳥とはっきりと区別されるようなものだ。 / ンカがスマトラやポルネオよりも この奇妙な事実は、・、 とポルネオに共通しているのである。 私はここで、動物分布の知識が過去の地球の歴史におけ長い間明らかに独立した島として存在していたことを示し る意外な事実をいかに明らかにできるか示すために、二つている。そして若干の地質学的および地理学的事実は、上 の例を提出しよう。スマトラの東の端に位置し、一五マイ述のことが初め考えていたほど起こり得なくはないことを 示している。地図の上では・ ( ンカはスマトラに非常に近い ルの幅の海峡によってスマトラから隔てられ、錫鉱山に恵 まれた岩がちの小島・ ( ンカがある。その島のオランダ人居けれども、ス「トラから最近分かれて生じたものではない。 留者の一人が、ライデンに鳥類や動物の 0 レクシ ' ンを送隣接するパレン・ ( ン地域は新しい陸地であり、一〇〇イ 0 てきた。その中の数種は、隣接するストラの海岸の動ル離れた山地から激しい流れによ 0 て形成された沖積湿地 である。一方・ハンカは、マラッカ、シンガポ 1 ル、および 物と明瞭に区別できるものであることが判明した。その一 〔訳註〕 リンゲンの間に介在する島々と同様、花崗岩とラテライト 然つはリス ( Sc き・ ba ミ ) で、これは、マレ 1 半島、 から成立している。以上の地域は、全てかってマレ 1 半島 島スマトラ、ポルネオにそれそれ分布する三種とよく似てい 諸 た。しかしそれらのリスはそれそれま 0 たく明瞭な別の種の延長部分として形成されたものらしい。ポルネオとス トラの河川が両島の間にある海を長い間に満たしたので、 マである。またヤイロチョウ属二種の新しい地上性の 〔訳註〕 鳥がいた。これらはストラとポルネオの両島に分布するその辺りが最近い 0 そう深くな 0 たことは確からしい。ま ン イ 別の二種と極めて近縁であるが、ま 0 たく明瞭に区別できたそれらの大きな島々は、「レ】半島を介して以外に、相 9 る別種である。しかしストラとポルネオのような遠く離互に直接陸続きとならなか「たことも確からしい。その時 れた大きな島々の間では、何ら注目されるような違いは認代には、同種のリスやャイロチ ' ウがこれらの地域全体に 139