使える約一〇〇種の鳥が残る。 われわれが知る限りでは、それそれの島にだけ分布が限 チモール 定されている種を取り上げると、次のようになる。 ジャワの鳥 オーストラリアの鳥インドの鳥オーストラリアの鳥 二属 五属 この表から何百年、何千年の間続いてきた、そしてまだ現 四属 一六属 在も続いている移動の経路をはっきりと読み取ることがで きるのである。ジャワから入って来た鳥はジャワに一番近 い島に最も多い。他の島に到達するために横断しなければ それそれの島における固有種の実数を間違いなく数えてい ならない一つ一つの海峡は、障害物として立ちはだかる。 るとは、私にはとても考えられない。なぜなら、急速に増 加するその数は、フロ】レスにおいてよりもチモ 1 ルにおそれゆえ、次の島に渡ることができる鳥の種数はず 0 と少 ( 註 2 ) なくなる。オーストラリアから入って来たと考えられる鳥 いて、ロンポックにおいてよりもフロ 1 レスにおいて、 の種数は、ジャワから入って来た鳥よりも多くない。それ 誌っそう熱心に作られたコレクションに明らかに依存してい のるからである。しかしわれわれがも 0 と信頼できることや、でチモールとオ 1 ストラリアを隔てる広い海洋が移住を妨 げている原因であると、一見しただけで想像してしまうか 群もっと特別に興味あることは、西から東に移るにつれて、 一オーストラリアの鳥の割合が著しく増加し、インドの鳥のもしれない。しかしそれは性急であり、間もなく見るよう チ ジャワ 割合が減少するという点である。このことをも 0 と注目すに、それは単なる想像にすぎず、何の確証もない。 凵べき方法では 0 きり示そう。つまり、それそれの島の、ジやオーストラリアに分布する種と同一とされる、上記の種 ャワあるいはオ 1 ストラリアの種と同一とされる種数を拾とは別に、それら二地域の固有種に酷似している他の鳥が チフロ モロン スク 一一属四種 七属一二種 一一〇属四二種 い上げてみよう。 ロンボック 四 フローレス 五 19 フ
る時期には集合するだろうけれども、本種の習性はまった ーギニアでは原住民は、その鳥が頻繁にやって来る木の上 く単独性である。私の助手アレン氏は、この美しい鳥を彼に罠を置いて捕える。同じゃり方でワイゲオウで紅極楽鳥 の最後のニ = 1 ギニアへの航海の間に入手したのだが、彼が捕えられた。それについては既に五一七頁に記してある。 によって撃ち落とされ、解剖された全ての標本の胃の中に は、褐色の甘い液体の他には何も入っていなかった。多分、 大きな Epimaque ( 戦支度をした鳥 ) あるいは尾長鎌嘴極 それらが食べていたのは、花の蜜であろう。しかしながら、楽鳥 ( オナガカマ ( シフウチョウぎき。 5 ) は、別 〔訳註凵〕 それらは確実に、果物と昆虫の双方を食べる。つまり、オ の素晴らしい生物であり、原住民の作った不完全な剥製に ランダ蒸気船の甲板で私が観察した生きている鳥はゴキプ よって知られているたけだ。その暗いビロード状の羽毛、 リとパパイヤを好んで食べたからだ。この鳥は昼間、嘴を青銅と紫の光沢は、一一一線極楽鳥 s ミ。 = 。ミミに類似 上の方に挙げて休む奇妙な習性があった。それは・ハタヴィ している。しかしそれは二フ ィート以上の素晴らしい尾羽 アへの旅の途中で死んだ。そして私はその死体を保存し、 を生やしており、その表面には最も強いオパールのような 骨格標本を作 0 た。それはその鳥が真正極楽鳥であること青い光沢がある。しかしながら、その主な装飾は胸部の側 を明白に示している。舌は非常に長くて、伸ばすことがで面から生えている幅広い羽毛群よりなっており、それは末 きる。しかも扁平で末端ではやや繊維質であり、まったく 端で広がりそして最も生き生きとした金属光沢を持った青 真正極楽鳥に似ている。 と緑の帯となっている。嘴は長く曲がっており、脚は黒く、 サラワッテイ島では、原住民はこの鳥の眠る場所を見つ近縁種のものと似ている。この美しい鳥の全長は三 ~ 四フ けるまで森の中を探索する。彼らは巣のありかを、地面に イ 1 トである。 落ちているその鳥の糞を見て知る。巣は一般に低い灌木状 この輝かしい鳥はニューギニアの山地に生息しており、 の木の上にある。鳥は夜にその木に登り、先の丸い矢でそ肩掛極楽鳥や簪極楽鳥と同じ地域である。時には海岸近く の鳥を射るか、あるいは布で包んで生け捕りにする。ニ = の地域で発見されると教えられた。私が別々の原住民に何 548
博学なオランダ人は、ラテン語で "Avis paradiseus" つまり 極楽鳥と呼んだ。ヨーン・ファン・リンスホーテンは、一 五九八年にこのような名前をつけ、そして誰も生きている この鳥を見た者はいない、なぜならそれらは空中で生活し、 いつも太陽の方に向かって飛び、死ぬまで決して地上に降 私の旅行の大部分は、極楽鳥の標本を手に入れ、また彼 りることはなく、脚も翼もないからだ、と述べている。彼 らの習性や分布について何か学ぶ、という特別な目的をも は、インドあるいは時々オランダに持ち込まれたこの鳥を ってなされたものである。そして私が ( 私が知っている限り見たものらしく、補足して、しかしョ 1 ロッパでは稀れに では ) この素晴らしい鳥をその原産地の森林で見た、また しか見られず大変高価である、と述べている。一〇〇年以 多くの標本を手に入れた唯一のイギリス人であるので、私上後に、ダンビアに同行して、航海の説明を書いたウィリ はここに私の観察と探求を総括して述べようと思う。 アム・ファンネル氏は、アンポイナの標本を見て、それら 稀れで高価な香辛料であった、クローヴとナツメグを求はナツメグを食べるために・ ( ンダに来たと聞いたと述べて めてモルッカ群島に到着した初期のヨーロッパ人航海者達 いる。ナツメグは極楽鳥を酔わせ、意識を失わせ落下させ は、彼らのように富を捜し求めて歩く放浪者でさえも賛美る。その時、それらはアリに殺される。一七六〇年になっ せざるを得ないような、非常に不思議な美しい乾燥した鳥て、リンネが極楽鳥の最大の種に R ミ 4 。 ( 脚のな の皮を贈られた。マレー人商人達はこの鳥に「マヌク・デ い極楽鳥 ) と命名した時は、完全な標本はヨ 1 ロッパでは ワタ」っまり「神の鳥」という名前をつけた。そしてポル見られず、またその鳥についてまったく何も知られていな トガル人は、その鳥が足も羽も持たないことに気づき、ま かった。またその一〇〇年後の今でも、大部分の本は、極 たそれらについて正しいことを何も教えられなかったので、楽鳥は毎年、テルナテ、 ・ハンダ、アンポイナに渡って来る 彼らを "Passaros de SOI" つまり太陽の鳥と呼んだ。一方、 と述べている。一方、事実、この鳥はイギリスに生息して 第三八章極楽鳥
腹部は緑色に変色していた。しかしながら、幸運にもこのて何度も繰り返してみたが、一〇のうち一つも三日以上生 鳥の皮と羽毛は非常に固く丈夫なので、たいていの他のど存しなかった。二日目あるいは三日目には、彼らは精彩が の種類よりもよく洗 0 て奇麗にすることができた。私はそなくなり、数例では痙攣が起こり、止まり木から落下し、 れらの鳥を実に上手に奇麗にできたので、その標本は、私二、 = 一時間後に死ぬ。私は完全に羽毛の生え揃 0 たものば かりでなく、まだ未成熟の個体も調べたが、良い結果は得 が自分で撃ち落としたものとたいして違いがなかった。 られなかった。遂に望みのない仕事を放棄し、私の関心を 何羽かは、彼らが捕えたその日に私の所に届けられた。 私は、その鳥の美しさと活発さを十一一分に調べる機会があ可能な限り好ましい状態の標本を保存することに限 0 た。 紅極楽鳥は、アルー群島やニ = 1 ギニアのある地方のよ った。極楽鳥が総じて生きたまま届くことを知って、何羽 かを飼育してみたいと思って、すぐに私は、食物や水の容うに、先の丸い矢で射るのではない。しかも、まったくこ こだけのやり方で罠にかける。大きな蔓性植物のアルム属 器を入れて、大きな竹の籠を部下の一人に作らせた。鳥が ミは赤い網状の果物を付ける。それを極楽鳥は大変好 非常 = 好む果物 00 」た枝を住民 = 持 0 = 来さ 0 、私 む。猟師は、丈夫な叉になった棒の上にこの果物を結びつ 極楽鳥がそれをガッガッ食べる有様や、脚と翅をもいで、 タを何頭か必ず飲べるのを見て喜ける。そして細いしかし丈夫な紐を用意する。彼らは森の 生きた状態で与えた・ハッ んだ。彼らは多量の水を飲み、いつも動き回り、止まり木中で極楽鳥が止まる木を探す。見つけるとそれによじ登り、 から止まり木へ籠の中を跳び回り、天井や側面にぶら下がその棒を枝に縛りつけ、紐で非常に巧みに輪を作る。鳥が ウり、最初の日は夜更けまで少しも休まない。次の日、鳥は来て果物を食べる時に、紐の端を引くと鳥の脚を捕えるこ とができる。鳥は完全にぶら下がって、棒は枝から離れて いつもやや不活発になるが、以前と同じように自由に食う。 三日目の朝、はっきりした原因もないのに、その鳥達は籠鳥と一緒に落下する。時には、餌が他にたくさんあり、極 の底に大体いつも死んで転が 0 ている。それらのあるもの楽鳥がま 0 たく棒の果実をついばみには来ないので、猟師 は果物や昆虫ばかりでなく炊いた飯も食った。しかし続けは二、三日続けて、朝から晩まで自分の木の下に紐を手に 517
かなりいる。この問題に性急な結論を下す前に、それらのしてはいるけれども、オーストラリアの種とは明瞭な別種 種についても検討しなければならない。前の表にそれらのとされていることが分かる。またそれらの代表種あるいは 種数を付け加えてみよう。 近縁種は、島がオーストラリアから離れるにつれて次第に その数が減っていくが、反対にジャワから離れていくとそ の数が増えていく。このことには二つの理由がある。一つ は、島の大きさがチモールからロンポックへは急速に小さ くなっていること、それゆえ種の減少も起こるということ である。もう一つは、そしてもっと重要なのは、次の点で ある。つまり、チモールからオーストラリアまでの距離が 一〇新しい移住者の流入を遮り、このようにして変異が十分生 じることを許すのに対して、ロンポックはバリとジャワに 近いために、新しい個体が継続して流入することを可能に し、そのことが、早期の移住者との交配により、変異が生 じるのを妨げている、とういことである。 ジャワおよびオーストラリアから由来したと思われる鳥 これらの島々の鳥類が由来した起原については、われわ の総種数は三つの島ではそれそれ約四〇種前後にな「てほれの意見を分かりやすく示すためにそれらを一まとめにし ぼ等しいが、しかしこの二つの系列の間には著しい違いがて取り扱い、しかもジャワとオーストラリアに対するそれ あることが分かる。ジャワの組の鳥類のかなり大部分のもそれの島の関係をも 0 と分かりやすいように次の表に示す。 のは、ジャワにやはり分布する鳥と同一種とされるのに対 チモール島群の鳥は次のような種数を含んでいる。 して、オーストラリアの組の鳥類の場合は、しばしば酷似 ジャワの鳥 ジャワの鳥の近縁種 合計 オーストラリアの鳥 オーストラリアの鳥の近縁種三 合計 ロンポックフローレスチモール 三四 四 七 四九五八五 198
だと結論でぎるかもしれない。 は黄色に見える。 この素晴らしい小型の鳥は、ニ = ーギニアの北の半島の 肩掛極楽鳥 ( カタカケフウチョウ ) は最初ビュフォンによ奥地だけに生息している。私もアレン氏も、島々や海岸の って図示され、ポダートにより、その羽毛の黒い地色から、 いかなる場所でもこの鳥について何も聞いたことがない。 き s きミミと命名された。それはヴィエーヨのカタカそれがレッソン氏によって海岸の原住民から入手されたこ ケフウチョウ属ト。。こきを形成し、全群の中でも最も稀とは本当のことである。しかし一八六一年、ソロンで、ア れな最も輝かしいものの一つであり、手足をもぎ取られた レン氏は奥地へたった三日間旅をすると見られるというこ 〔訳註川〕 とを知った。彼らが「黒い極楽鳥」と呼んでいるように、 原住民の作った剥製によって知られているだけである。こ の鳥は金蓑極楽鳥よりもいくらか大きい。羽毛の地色は濃黒色なので、商品としてはそれほど値打がなく、原住民は この鳥をたまに保存するだけであり、ニューギニアの海岸 い黒で、しかも首に美しい青銅の反射があり、頭部全体は とモルッカ群島で過ごした数年の間、私はその剥製を入手 輝かしい金属光沢のある緑と青の羽で覆われている。また 胸部を覆うように生えている、細いがやや固い羽毛でできすることが決してなかったのは、以上のような理由である らしい。われわれはそれゆえ、この鳥の習性や雌について ている楯がある。それはかなり側面へ伸びており、純粋な まったく知らないが、後者は間違いなく地味で、この科に 青みがかった緑色で、サテンのような光沢がある。しかも もっと驚くべき飾りは、首の背面から生えている胸部のも属する全ての他の種のように目立たない鳥だろう。 のと似た形の楯で、しかしそれよりもかなり大きく、ビロ 黄金あるいは六本の羽軸を持っ極楽鳥は別の稀産種であ 1 ド状の黒色で、青銅と紫色の光沢がつやつやしている。 、最初ビ = フォンによって図示され、また完全な状態の この楯の最も外側の羽毛は翼のものよりも半インチ長く、 それが立っと、胸部の楯も一緒になって、鳥の形や見かけものが得られたことはない。それはポダートによって簪極 全体をまったく変えてしまうに違いない。嘴は黒色で、脚楽鳥 ( カンザシフウチョウミミ se e と命名され、 544
クリの大きな脚でかなり容易に塚は造られる。彼らは脚で下りてくるが、しかし塚の代わりに、卵を入れるための ~ 1 ト下の方で曲がっている宀 ~ 三をひっかいて造る。約三フィ 大量の材料をみ後ろへ投げる。この山の中央に、二 フィートの深さで、卵が産みつけられ、塚の植物性物質のを掘り、その底に卵を産む。その後、穴の入口を軽く覆い、 醯酵により出る穏やかな熱によって孵化する。私が初めてまた、原住民の話によると、近くに多数の他の足跡やひっ かいた跡を付けることによって、穴へ向かうあるいは穴か ロンポック島でこの塚を見た時は、私はそれらがこのよう ら出る足跡を消して偽装するという。それは夜にだけ卵を に小さな鳥によって造られることをなかなか信じることが 産む。またブルでは鳥が穴から戻って来るのを朝早く捕え できなかった。しかし後に私は頻繁にそれらと出くわし、 た。穴の中には数個の卵が発見された。ッカックリ類は全 一、二回、その鳥が塚を造っているところを見かけた。ッ カックリは後方へ、数歩走り、一方の脚にかなりの量の東て半夜行性である。つまり、それらの大きな鳴き声は夜遅 く、しかも夜明けにまだかなり間のある時間にいつも聞こ ねていない材料をみ、それを後ろの方へ遠くに投げる。 えたからだ。卵は全体に赤錆色で、鳥の大きさに比して大 いったん卵が産みつけられてしまうと、それ以上の注意は しないようで、若鳥はゴミの山を自分で抜け出て、すぐに変大きく、一般に長さ三インチから三インチと四分の一イ ンチ、幅は二インチから二インチと四分の一インチある。 森の中へ飛び込んでしまう。それらは厚い綿毛で覆われて 卵は大変良い食物なので、原住民によって探し求められる。 卵から出てくる。尾羽はないが、翼は十分発達している。 〔訳註間〕 〔訳註 9 〕 他の大きな珍しい鳥はヒクイドリである。それはセラム の私は新種 ( モルッカッカックリ、 0 ミミミぶ cei) を発 群見するという素睛らしい幸運に恵まれた。この鳥はジャイ島だけに住んでいる。頑丈な逞しい鳥で、立っと高さ五 ~ ッ 、イートで、長い粗末な黒い毛髪状の羽毛で覆われてい ロロ、テルナテ、・フルに分布している。これはその属の鳥六フ かぶと モ る。頭部は大きな角状の兜で飾られ、首の毛のない皮膚は の中で最も格好のよい鳥であり、背中と翼に赤褐色の濃い 明るい青と赤色が目立っている。翼はまったくなく、鈍い 盟帯があり、またその習性でも他の種と違っている。このツ ヤマアラシの棘のような一群の角質の黒い棘によって置き カックリは奥地の森林に多く、また卵を産むために海岸に
第 38 章極楽鳥 〔訳註 うに輝いている。また頭部の両側面から六本の素晴らしい ヴィエーヨのカンザシフウチョウ属き、を形成してい る。この素晴らしい鳥はほぼ雌の紅極楽鳥き s き薹き羽毛が伸びている。そこからこの鳥の名前がつけられた。 これは細い針金状で、六インチの長さがあり、末端に小さ の大きさである。その羽毛は初めやや黒っ。ほく見えるが、 しかし青銅と濃い紫の光を放つ。喉と胸は強烈な黄金色のな卵形の羽板がある。これらの飾りに加えて、胸のそれそ 幅広い平扁な羽毛で敷き詰められ、ある種の光で緑と青のれの側に柔らかい羽の巨大な房がある。それは立っとまっ 色調に変化する。頭部の背面には幅広い曲がった羽毛の帯たく翼を隠してしまい、鳥はその本当の大きさの二倍の見 かけになる。嘴は黒く、短く、むしろ扁平で、王様極楽鳥 し力なる生物体に があり、その輝きは筆舌に尽くし難し C ミミミ薹 s をにおけるように、羽毛は鼻孔を越えてし より、も〒メラルドとトパ ーズの光沢に似ている。前頭の る。この奇妙な輝いている鳥は「肩掛極楽鳥」と同じ地域 上には純白の羽毛の大きな斑点があり、それはサテンのよ に生息しており、ニューギニアの原住民によって保存され た剥製の検査から引き出せること以外は、それについて分 かっていることは何もない 白旗極楽鳥 ( ンロハタフウチョウ ) は、・・グレイ氏 によって Se ミ e 、ミミぶ c と命名された、極楽鳥のま ったく新しい種である。この鳥は私自身がチアン島で発 見したもので、一対の白色の長く細い羽毛によって特に区 別されている。この羽毛は、翼の曲がり目を覆っている短 い羽毛の間から生えていて、鳥が随意にそれを立てること ができる。この鳥の全般的な色彩は繊細なオリープ褐色で、 4 簪極楽鳥 . ( Pa 〃 4 sexPennis) 545
だけなので、私はここで再び以上の鳥類を見られるものと これらの島から知られている鳥の種数は、この時期まで 当然期待していた。しかし三ヶ月そこに滞在した間、私は にロンポックから六三種、フローレスから八六種、そして その一つすら見かけることができなかった。しかし全体に チモールからは一一八種である。島群全体では一八八種で ( 註 1 ) 異な 0 た種の鳥達を見た。その大部分はジャワではま 0 たある。モル ' カから由来すると思われる二、三種を別にす く知られていないばかりではなく、ルネオ、スマトラ、 れば、そのうち八二種以上はこの島群以外では見出されな マラッカでも知られていない。例えば、最も普通な鳥では、 いものであるけれども、これらの鳥は全て、一方ではジャ ロンポックでは白色のオウムとミッスイ科に属する三種の ワと、また他方ではオーストラリアと、同一かあるいは酷 鳥がいるが、これらはマレ 1 諸島の西の方あるいはインド 似していることが分かる。しかしこの島群に固有な属は一 ーマレ 1 地区では完全に欠けている科である。フローレス つもなく、固有種によってこの島群を著しく特徴づける属 やチモールへ渡ると、ジャワの鳥類とはっきり区別できる もない。 このことは、厳密に言って動物相は他から派生し ものがい 0 そう増大する。そしてわれわれは、これらの島てきたものであること、またその起原は最も新しい地質時 島が一つの自然群を形成していることに気づく。これらの代の一つと比べてもそれほど古くはないことを実証してい 島の鳥類は、ジャワとオーストラリアの鳥類と類縁関係に る。もちろん、多くの種類 ( 渉禽類の大部分、猛禽類の多く、 あるが、しかしそのどちらとも明瞭に区別できる。ロンポ カワセミ類の一部、その他少数の鳥 ) は、その分布域がマレ ックとチモールにおける私自身のコレクションに加えて、 ー諸島を越えて非常に広く、そのためどこから由来したも 私の助手アレン氏はフローレスで秀れた = レクシ = ンを作のであるのか、詳細に追究することは不可能である。私の ってくれた。それらの標本は、オランダ人の博物学者によ 目録にはそのような鳥が五七種含まれている。またそれと って集められた少数の種と共に、この島群の自然誌につい は別に、チモール群島に固有であるけれども、しかし広い て非常に確かな概念を与えてくれる。また若干の興味深い 範囲に分布する種と似た三五種の鳥がいる。以上の九二種 結果をそれから引き出すことができる。 を差し引くと、他の地域の鳥類との関係を考察するために 196
ックーウ = ック」であり、かなり遠くまで聞こえるほど大よ 0 て捕えられ、その羽毛に一滴の血もつけずに殺される。 きな、耳をつんざくような声であり、アルー群島では最も後は注目すべき点はない。極楽鳥の一部が警戒するように 顕著で特徴的な動物の声である。巣作り方法は知られてい なるまで、鳥は次から次と落下する ( 四二九頁の図を見よ ) 。 なしが、原住民は私に、その巣はアリの巣あるいは相当高 原住民が極楽鳥を保存する方法は、翼と脚を切断し、そ い木の突出した大枝に設けられ、葉で作られていると語っ の後、嘴まで体の皮を剥ぎ、頭骨を除く。つづいて、頑丈 た。彼らは、その巣にはただ一羽の雛が入っているだけだ な棒切れを標本のロまで通す。この周りに、ある植物の葉 と信じている。卵は知られておらず、原住民達も決してそがぎっしり詰められる。体全体は椰子の仏炎苞で包んで、 れを見たことはないと断言していた。オランダ人の役人が燻小屋で乾燥される。このやり方によって、頭部は本当は 卵に対して大変高い報酬を支払うと提案してみたが、卵を大きいのだが、ほとんど見えないほど小さくなってしまう。 見つけることに成功しなかった。大極楽鳥は大体一月また また体は相当小さくなり短くなる。そして最大の目立っ特 は二月に羽毛が抜け変わり、五月には完全な羽毛となり、 徴は流れるような羽毛である。原住民の作った皮の一部は 四五〇頁に既に述べたように雄は奇妙な方法で誇示行動を 非常に奇麗で、しばしば翼と脚が残っているが、別のもの するために朝早く集まる。原住民はこの習性を利用して比は煙で黒くなっており、そのものから生きた鳥の体型を想 較的簡単にその鳥を捕える。鳥が集まる木が決まるとすぐ 像すれば、著しく誤った概念を持っことになるだろう。 に、彼らは枝の間の便利な場所に椰子の葉で小さな小屋の 大極楽鳥き s き。の分布は、われわれが持って ような覆いを作る。そして猟師は日の出前に、弓に先の丸 いる確実な知識によれば、アル 1 群島の本島に限られてお く膨らんだ多数の矢で武装して、仮小屋の中に隠れる。木り、決して中央の陸塊を囲むさらに小さな島々では見られ の根元に一人の少年が待機しており、日が昇り鳥がやってない。またこの鳥はマレー人や・フギス人の商人達が行く = 来て、十分な数が集まり、ダンスを始めると、猟師は先の = ーギニアのどの部分でも、また極楽鳥が得られる他のど 丸い矢で強く射ち、鳥を気絶させる。鳥は落下し、少年に の島でも、発見されたことはない。しかしこれは決定的な