瀬川菊之丞 - みる会図書館


検索対象: 写楽仮名の悲劇
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1. 写楽仮名の悲劇

写楽は役者の一人一人の目を微妙に描き分けているか、とくに従来ほとんど同じように描、 れていた女形の目を、まことに微妙に描き分けた。たとえば菊之丞と並んで当時、女形とし ての人気を一一分した岩井半四郎は、二つの弧が重なった丸い目であり、中山富三郎は、菊之 丞よりもっと下辺が上に曲がった細い目である。この目については後に論ずるが、こういう 微妙な描き分けによって、写楽は一般的な女形の美ーーーあるいは女の美ーーーではなく、その しよせん 女形役者の個性的な相貌を描いたのである。歌舞伎の女形が、所詮男の演じるものである以 上、役者の個性的相貌を描く写楽の絵には、どこかで男を感じさせるものがある。写楽の描 く瀬川菊之丞の鼻は、鼻筋がまっすぐに通ってはいず、鼻の線が弧をなしている。あまり女 悲 のの鼻としてみつともよいものではない。おそらく菊之丞は、そういう鼻をしていたのであろ 仮うが、それを写楽はそのまま画面に表現したのである。ロは、やはり受けロであるが、この 楽菊之丞のトレード・マークとも思われる受け口を、写楽は必ずしもすべての菊之丞の絵で表 現しているわけではなく、結んだロも三点ほどある。ここで見逃すことの出来ない重要な点 がある。それは菊之丞の目の上に皺を描いたことである。このような皺が描かれた役者絵を ばんど・つ おさがわっねよ 探すと、松本幸四郎、中島和田右衛門、坂東善次、小佐川常世などがあげられる。そして菊 之丞の絵にはすべて、このような皺が描かれているのである。この時、瀬川菊之丞は四十四 歳、松本幸四郎は五十八歳、小佐川常世は四十一一歳である。中島和田右衛門と坂東善次の歳 はわからないか、たぶん四十歳を越えていたと思われる。この皺は歳をとって目がおちくほ んだ皺である。男役はともかく、女形にこのような皺をつけるのは、美しく描かれたいと思 278

2. 写楽仮名の悲劇

なくてはならないが、竜蔵と徳次についていえば、定説になっている指定を疑う理由はない しかし問題は、田辺文蔵の女房おしづに指定されている瀬川菊之丞である。瀬川菊之丞は前 半は石井源蔵の妻千束を演じ、源蔵死後の後半には田辺文蔵の女房おしづを演じる。 。吉田暎二氏によっ 瀬川菊之丞の絵が千束であるかおしづであるか、一概に決められない て、おしづと決められて以後は、鈴木重三氏にも疑われず、現在に到っている。しかし、こ の瀬川菊之丞の絵をよく見ると、大変特殊な格好をしている。何よりも特徴的なのは、頭に はちまき 鉢巻をまいていることである。それは、髪を固く結って髪の乱れを防ぐかのように、しつか おもも かんざし りと結ばれ、他の女形のように簪をしてはいない。髪の毛もほっれて、かなり緊張の面持ち 悲 のである。この鉢巻は石井源蔵のしている鉢巻を思い出させる。石井源蔵は刀を抜いて、今し 反も藤川水右衛門にかかっていこうとする様子である。もちろん、この瀬川菊之丞の絵には、 楽三津五郎の演ずる石井源蔵の絵ほど緊張感はない。しかしそれはやはり一対のものでないか と思われる。とすれば、この瀬川菊之丞の絵は、田辺文蔵の女房おしづより、石井源蔵の妻 千束とすべきではないか。この二枚の絵を、坂田半五郎の藤川水右衛門の絵と並べると、こ の返り討ちの場面の緊張感が十二分に伝わってくるように思われる。なんといっても、この 返り討ちの場面はこの芝居のヤマ場である。このヤマ場に登場する人物は、敵役の藤川水右 衛門と彼に惨殺された石井源蔵夫婦であるべきではないだろうか。田辺文蔵の女房おしづも かどづ 絵番付によれば、文蔵と別れ、娘のおみつをつれて門付けをしたらしいのである。この芝居 においておしづも重要な登場人物である。が、れつきとした武士の妻にふさわしい姿のこの

3. 写楽仮名の悲劇

和田右衛門 七十両 ( 十両減 ) 四代伝九郎 ・五十両 ( 十両減 ) まて もっとも 尤右黒星之分ハ、未年若成者共ニ付、時勢流行ニ連、五百両迄には給金取上り候も可有 ( 「歌舞伎年表』第五巻 ) 御座哉奉存候。 この表はのちに写楽絵を考察するに当たって、大変参考になるのであげておいたけれど、 おもしろ 一非常に面白い。これを見れば役者の格と給料は決して一致していないことがわかる。寛政五 ふじこたま ビ年の「役者富士谺」によれば、役者のトップはやはり〈極上上大吉無類〉の市川鰕蔵であろ のう。鰕蔵の給料は七百両で、九百両の瀬川菊之丞や岩井半四郎とは二百両の差がある。しか もこの議定によって、四百両減って三百両になった。最高の九百両であった瀬川菊之丞や半 章四郎と較べると、その差は依然として二百両である。沢村宗十郎との差は、百両から二百両 第にひらき、同じ額であった市川門之助とはここで二百両の差ができてしまった。市川八百蔵 にいたっては、鰕蔵の方か百両多かったはずなのに 、鰕蔵より二百両も多い給料取りになっ てしまったのである。年来の敵であった幸四郎も同じように四百両減で、同じ三百両になっ おさがわ たのはまだいい として、鰕蔵は小佐川常世にも森田勘弥にも、尾上松助にも坂東彦三郎にも、 坂田半五郎にも追いこされてしまった。おそらくすでにこの時、名目は七百両であっても、 実質はもっと低い給料しか、鰕蔵も幸四郎ももらっていなかったのであろう。もう鰕蔵や幸 四郎の時代はとっくの昔に終わっていたのである。いまは立役としては宗十郎や八百蔵の時 195

4. 写楽仮名の悲劇

これぞうとらぞう 代太郎の十人である。に属する者は半五郎、宗十郎、竜蔵、富右衛門、徳次、此蔵、虎蔵、 つねよ 万世、半四郎の九人、に属する者は菊之丞、瀬川富三郎、中山富三郎、米三郎、常世の五 人である。ところが、このように分けてみても、なお分けきれない程の細かい差異を、写楽 の描く一人一人の鼻は持っている。 こうして四つに分けてみると、大変興味深いことに気づく。 < の鼻には実悪の役者が多い わこと あら「一と のである。そしての鼻は大体荒事の役者、の鼻が和事の役者、の鼻が女形の役者であ やくがら 霍る。こうしてみると、もって生まれた鼻の形で役者の役柄が決まってしまうわけである。面 白いことには、写楽は女形にも高すぎる鼻を描いている。たとえていうと佐野川市松の鼻は、 きたい のどうも女形にしては高すぎて、しかも張っている。希代の名優といわれる瀬川菊之丞の鼻も、 。また菊之丞の弟子の瀬川富三 鼻の線がやや鉤状でかならずしも格好の良い鼻とは言えない 郎の鼻はいかにも肉の薄そうな貧相な鼻である。それに対して岩井半四郎の鼻は、丸っこい 章 ふんわりした鼻であるが、これまた必ずしも美人の鼻の形とは言えない。中村万世の鼻は半 第 こつけいかん 四郎の鼻をいっそう低くし丸くした形で、ぶっと膨らんだ頬とともに、強い滑稽感を与えて いる。〃ぐにや富 ~ といわれた中山富三郎の鼻もやはり多少ユダヤ鼻である。ぐにやぐにや からだ した身体に、細い目や鼻やロを付けた顔で、とくに鼻が目立つのである。 また宗十郎の鼻はいかにも和事師らしいふんわかとした丸い鼻であり、女形の鼻と見まが うほどである。この 0 の鼻に私は、中村此蔵や谷村虎蔵の鼻を属さしめたが、これはまった お・つがた一 ばんどう く特徴ある鼻である。此蔵の鼻は凹型に曲がっている。同じような鼻の形が坂東善次にもあ かぎじよ・つ りゅうぞう おも

5. 写楽仮名の悲劇

金を食んでいたのである。写楽はこの人気絶頂の女形を描いたわけであるが、どうも写楽の 描く女形には色気がない。女形の色気を描かせてはやはり文調と清長がすぐれていよう。文 調や清長は女形を、女になろうとした理想においてとらえた。しかし写楽は女であろうとし てありえず、男としての本性をどこかにみせる女形の現実を捉えているのである。この当代 ようえん きっての美しい女形、瀬川菊之丞も写楽にかかっては妖艶な美しさを発揮することはできか ねるのである。 写楽はどうも沢村宗十郎が好きであったのではないかと思われる。彼の似顔絵を写楽は多 く描いている。三日月形の眉毛とまん丸の目と丸い鼻、ひきむすんだ口がその特徴である。 悲 の いかにも上品で、しかもどこかにつやのある大星由良之助役が得意中の得意だったというこ 仮の三代目宗十郎の特徴をよく捉えている。大岸蔵人という役も大星由良之助の変形であり、 楽 いかにも沢村宗十郎にあった役であったのであろう。 宗十郎の相手役、つまり大岸蔵人の妻やどり木を演ずるのは、瀬川富三郎 ( ロ絵 1 ) であ まなでし る。彼は瀬川菊之丞の愛弟子で、師のひきでこのやどり木という大役にありついたのであろ う。彼は″にく富 ~ とか " いや富 ~ とかいうふうに悪口を言われたが、あるいは今飛ぶ鳥落 とす勢いの、師の権威をカサにきて弱い者いじめをしたのかもしれない。写楽の絵はこのよ きつね うな富三郎の姿をよく捉えているように思われる。狐のようなつりあがった目をして、鼻も ロも小さく、えらの張った顔である。なんとなく貧相な顔であるが、あるいは写楽は意地悪 " いや富 ~ の本質をさらけだそうとしたのかもしれない。大岸蔵人の妻やど 224

6. 写楽仮名の悲劇

しまたいめのしようがっ 由良氏は、天明七年、蔦屋から出された『嶋台眼正月』という黄表紙の作者、社楽斎万里 を春朗すなわち北斎であったと断定し、北斎は社楽斎すなわち写楽であったとするが、これ はあまりにも主観的な断定である。すでに多くの学者に批判されているように、社楽斎万里 よしわら ほ・つかん は決して春朗すなわち北斎ではないのである。他の資料からも、吉原に社楽斎万里なる幇間 かいたことが実証されている。この「嶋台眼正月』なる黄表紙は、この吉原の幇間、社楽斎 才 万里が書いたものであり、京伝がそれに序文をつけ、また「まさのぶ」の名で挿絵を描いて 天 人いるのである。すなわちこの黄表紙の作者は吉原の幇間、社楽斎万里であり、挿絵は北尾政 のふ る 演、すなわち京伝であることは当然であるのに、由良氏はその文も挿絵も春朗であると強弁 めするのである。私はこのような強弁を哲学者の由良氏がするはずはないと思って、何度も由 を 屋良氏の論理を追究してみたが、そこには社楽斎万里を春朗と断定する客観的理由は何一つ見 元出せなかったのである。 また由良氏は、寛政 , ハ年を春朗から宗理への改名の間の一年の空白として考え、その空白 そ・つにゆう に写楽の百四十二枚の絵を挿入するわけであるが、この空白の想定が無理なことは、すでに 私は論じた。 き ( のじよう 由良氏は、春朗の描く瀬川菊之丞と写楽の描く瀬川菊之丞を較べて、ここには同一の腕の 跡があるというか、どうみてもそれは、似ても似つかぬもののように田 5 われる。春朗の描く こつけいかん 川菊之丞には、写楽絵の滑稽感や迫力はない。また寛政十一年ごろに可候の名で北斎が描 いたこぜっく いた『潮来絶句』を、写楽の筆と似ていると由良氏はいうが、これまた、筆づかいは大変異 139 み

7. 写楽仮名の悲劇

ている方向が逆なのは八百蔵の伴左衛門も同様で、つまり写楽絵と豊国絵では、配列の順序 が逆なのである。それぞれ右から、写楽絵は〈八百蔵・菊之丞・宗十郎〉、豊国絵は〈宗十 郎・菊之丞・八百蔵〉の順であろう。 宗十郎の山三も、二つの絵はきわめてよく似ている 。顔、足、黒地に萩の文様の着物、そ ゅうぜん して刀もまた全く同じといってよい。ただ、豊国絵では扇を手にもって悠然と構えているの に対し、写楽絵の山三は右手の扇を半分開いて、左手でこぶしを握りしめている。おそらく 伴左衛門の攻撃を防ごうとする姿勢を示したもので、伴左衛門の場合と同じく、山三の場合 も、写楽のほうが豊国より後の瞬間を描いたのであろう。 悲 ひも の さらに興味深いのは、刀の紐である。写楽絵の宗十郎は左手の下から刀の紐が垂れている 仮のが見えるが、豊国の宗十郎にはない。しかし逆に、写楽の八百蔵にははっきりとは描かれ ていない刀の紐が、豊国絵の八百蔵にははっきりと描かれている。これはおそらく、三枚組 の左右が逆になっているために、豊国の宗十郎は写楽の八百蔵に、写楽の宗十郎は豊国の八 おの 百蔵に、自ずと形が似てしまったからではなかろうか。 瀬川菊之丞の傾城かつらぎ ( ロ絵収 8 1 ) も、眉毛、目、鼻、ロ、耳の描き方がそっくり である。体の線もほば同一であるし、着物の文様にも強い類似性がある。菊之丞の定紋であ ゆいわた きくちょ・つ る〈結綿〉、替紋の〈菊蝶〉、菊の文様、鶴の文様と、装飾は全く同じパターンで、その大き さや描きこまれた場所が違うにすぎない これは驚くべき一致である。菊之丞のかつらぎを 表現するために、写楽も豊国も全く同じ文様を使ったが、これは文様の類似というより、発 246 つる

8. 写楽仮名の悲劇

るが、よりによって女形に皺を描いたのは、多少意地の悪い写楽の写実精神といってよいか もしれない この皺が豊国絵には写楽絵ほど多くは描かれていないか、寛政七年一月、河原 しめかざりきちれいそが 崎座『注連餝吉例曾我』の尾上に扮する小佐川常世を描いた絵にははっきり皺が描かれてい ほば同時代の豊 る。菊之丞を描いた「役者舞台之姿絵」にはなぜか皺が描かれていないか、 おおくびえ 国の大首絵にははっきり皺が描かれている ( 第七章 ) 。以後の豊国絵においても、この皺はや やくしゃあわせかがみ はり年齢を表す重要な武器であったらしく、文化元年に描かれた『俳優相貌鏡』においても、 常世は相変わらず目の上にはっきりした皺が描かれている。また同じ『俳優相貌鏡』では、 寛政六年当時にはまったく皺の描かれていなかった市川高麗蔵 ( 五代目松本幸四郎 ) や坂東彦 悲 さふろう の三郎の目の上にもはっきり皺が描かれているのは、やはり寛政六年から文化元年までの十年 仮という時間の推移を示すものであろうが、瀬川菊之丞には、不思議なことには目の上の皺は かんろく 楽ない。十年たって逆に若返ったというはずもなく、やはり女形の第一人者の貫禄で、一代の もちろん、このような皮肉な 人気絵師豊国にも皺を描くことを遠慮させたのかもしれない 皺は勝川派にはあまりない この目の上の皺の意味はまことに重大である。これを写楽・豊 国がほほ同時に始め、そして役者絵の重要な表現手段としていることは、この二人の絵師の 同一性を強く示すことになるのではなかろうか。ただこういう場合、仮名のときは露骨に、 実名の場合は多少遠慮して描かねばならないことは当然であろう。 Ⅲ美人画から脱した女形 332 かめい

9. 写楽仮名の悲劇

④注記に「ちづか ( 千束 ) 源蔵と③水右衛門 ( 下右端 ) は石井兵衛を しうげん ( 祝言 ) する」とある。大岸闇討ちにする。口にくわえているのは、 蔵人 ( 上左端 ) も石井源蔵 ( その右下 ) 石井家に伝わる剣必伝書か ( ? ) も裃をつけている。そこに兵衛の死の 報せがもたらされる 1 ん 三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵女房 おしづ = 一代目沢村宗十郎の大岸蔵人

10. 写楽仮名の悲劇

成させるのである。こう考えると、この大岸夫婦の絵は劇の全体に関係するもので、特定の 場面に想定する必要はないのかもしれない 田辺文蔵は、石井家の郎党である。あの残酷な返り討ちの場面にかけつけて、彼も太もも に傷を負う。こうして彼は、足がたたなくなったが、 苦労の末に、源之丞と半次郎の兄弟を はげまして仇討ちを成就させるのである。田辺文蔵の絵は、やはり彼が、足に傷を負って以 後のものであろう。おそらく絵番付の第十図、金貸の石部金吉に借金返済をせまられて困っ ている場面なのではないか。石部金吉も、絵番付では第十図でしか登場しないので、この田 ビ辺文蔵に返済をせまる場面と考えてよいであろう。祗園町の白人おなよがどういう役割をす のるのかはよくわからない。しかしこの絵は祇園の場と考えてよさそうである。あるいは、白 写人おなよの絵と田辺文蔵の絵と、石部金吉の絵は対なのかもしれない。 五 写楽の独創的着眼 第 以上八枚の絵の問題については、芝居の人物とその場面についてはほぼ異論がないと思わ れるが、問題は、現在まで田辺文蔵の女房おしづとされている三代目瀬川菊之丞の絵である。 この『花菖蒲文禄曾我』においては、二役以上をつとめる役者が数人あるが、写楽絵に登場 する役者についていえば、瀬川菊之丞は石井源蔵の妻千束と田辺文蔵の女房おしづの二役、 あらしりゆ・つそ・つ ぼくあん へびむすめ 嵐竜蔵は水右衛門の父・ト庵と金貸石部金吉、大谷徳次は娘袖助と蛇娘おたるとを演じて いる。写楽絵に描かれているのが、それぞれの役者のどちらの役であるかは、嶼重に検討し 221