英国防諜部からの情報で、やのエージェントの中には、通常は活動 しない休眠状態の協力者がいることを、も知っていたからだ。 休眠状態の協力者は、普段は共産党との関係を断って、大勢の職員の中に隠れて、 目立たぬよ、つに潜伏している。 これが通称「もぐらと呼ばれ、簡単には存在を現さない休眠工作員の正体だ 移民国家である米国では、入国記録は残ってはいるが、入国 しかも英国とは靆い、 後の足取りを知る術はなかった。 それどころか全国規模の戸籍すら、満足に存在しないのが米国社会の現状なのだ。 したがってとしては、国務省内に計画的に数人のクもぐらツを残すようにし て、継続監視することによって、罠を仕掛けるつもりだった。 それは新たに接触してくる人物から、次の工作員を見つけるためである。 ス また米国社会の場合、官僚は官庁だけでなく、民間企業や大学教員などを転々とし ながら、キャリアを積み重ねていく者が多い レ 有能で野心的な人間ほど、頻繁に職場を変えるから、このクもぐらみを追い続けて 章、けば、予想外の工作員に行き着くことも可能だ。 第逆に目につく限り、すべての容疑者を摘発して、官公庁から追い出してしまえば、 クスパイ捜しは再び一から始めるしかない。
しかしそれはソ連側が、ウォ 1 レス大統領に対して、仕掛けた情報操作の一環であ った。もちろんウォーレスに、その偽情報を信じさせるために、多少の犠牲を払って いる つまり英国政府や英国対外情報部部内に、ソ連側のスパイが潜んでいること を、それとなく会話の中で匂わせたのだ。 スターリンは、英国政府の中枢に送り込んだ潜入スパイを危険に曝してでも、ウォ ーレスの信頼を勝ち取ることが重要だと判断したらしい もっとも後日、大統領の命令でが、閣僚や側近の身辺調査をおこなったが、 英国政府へ情報提供をしていた痕跡は皆無であった。 だま 「大統領閣下はスターリンに騙されたのですー 報告に現れたフーヴァー長官は、そう言ってウォーレスの疑惑を否定してた。 じつはは情報提供者を閣僚ではなく、官邸職員から獲得していた。 なぜなら連邦政府の陣容は、大統領選挙の結果で大きく入れ替わる。 歴代の大統領は、自分の支持母体の政党関係者に加えて、側近や有力支持者の中か ら、閣僚や各官庁の責任者を任命する。 その範囲は、国務省の幹部だけでなく、各国へ赴任する大使や公使にも及ぶから、 じつに広範囲である。 さら
この状況は、大英帝国にとってク戦略的には好ましいと言える。 もし太平洋で、米国が日本帝國を圧倒すると、第二次大戦後の国際情勢は、米国の 主導となり、国力で劣る英国の影響力は、欧州やアフリカ大陸を除き、大きく減退す る。さらに米国との間で友好状態を維持するソ連が、そのまま影響力を拡大して、大 戦後も生き残ることになる。 反共主義を掲げる英国政府としては、ソ連が今次大戦を生き残ることは、欧州情勢 を睨むと好ましいことではない。むしろ疲弊した日本帝國が生き残る方が、英国とし ては好ましい。 日本帝國が生き残れば、太平洋方面での米国の影響力は、フィリピンを除いて、か なり限定されることになる。特に東アジア地域への影響力を及ばす機会は、大きく減 ることは間違いない。 となれば英領インドに続いて、欧州諸国の東南アジア植民地が相次いで独立を果た しても、日本帝國と並んで英国は、大戦後も影響力を維持できる。 英外務省が掴んだ情報では、日本帝國政府も大戦後は、朝鮮半島と台湾の独立は承 認する方針のようだ。満州国と共に、大韓王国と台湾共和国は、独立後も日本帝國の 衛星国として存続するのは、まず間違いないだろう。 東アジア諸国を、独立後も日英が影響下に置くことで、中国大陸を支配する中華民
にもかかわらず、あえてウォーレスがタ食に招いて、数時間を一緒にいたことは、 なにか話し合う必要があったと推測するのが自然だ。 ただしソ連の特使とウォーレスが、秘密裏に白亜館で会談した情報は、英国政府に 限定して言えば、さしたる価値はない。なぜなら英国はソ連と敵対関係にはあるが、 ドイツやイタリアのように、正面から争う状況には至っていないからだ。 ただ米ソの交渉内容が外部に漏れると非常にまずいと、双方が認識しているからこ そ、交渉そのものを極秘にしたのだろう。 これが、英国とも交戦中のドイツやイタリアが対象の話であるなら、ここまで厳重 な秘密保持をおこなうはずはない。 ただし側近の大半や事務スタッフにまで、その事実を伏せているとなると、英国政 府にこの情報が漏れるのはますいことに違いない。 アナリスト したがって英国以外の国を対象としたものだと、英国外務省の分析官たちは推測し ている。 その場合、米ソの利害が一致する敵対国と言えば、当時の状況では数えるほどしか ない。対象国が絞り込めれば、あとは大英帝国との利害を考慮して、極秘の報告書が 首相官邸へ提出された。 これを執務室で開封したチャーチルは、読み終えると、しばし考え込んだ。
282 まれ 任命することが稀ではないのだ。 だから他国に比べて、大使を補佐する公使や書記官が、職業外交官として実務を担 当する割合は、高いと一言える。 こうした理由から職業外交官は、優秀な人材を数多く輩出する大学、つまり東部の 名門大学から採用される割合が高い ただこうして特定の学校から、多くの人材を採用すると、当然のことながら大学時 代の人脈関係が省内にも持ち込まれる。つまりこの大学時代からの人脈関係が、大き な弱点にもなる。 英国外務省も外交官の採用に関しては、オックスフォードやケンプリッジなどの名 門大学に依存していた。 また英米の場合、学生は社交や友人を得るために、学生倶楽部に入会することが多 特に名門校の学生倶楽部では、互いの対抗意識から伝統や格式を重視した。 そこで入会に際しては、上流階級の子弟や資産家の子弟を、適格者として優遇する 傾向が強かった。 当時の世相や意識から言って、名門学生倶楽部ほど差別意識が強く、有色人種や外 国人の入会を拒む。 、 0
言われていた。 ソ連は、独ソ不可侵条約により、枢軸国陣営の同盟国であり、英国を含む連合国と も、事実上の交戦状態にあった。 これでもし対日戦争が始まれば、ソ連は広大な領土の東西で、日英両国とも戦って いただろう。 実際に満蒙やソ満、ソ朝国境付近では、赤軍の侵攻に備えて、永久堡塁や隠蔽式砲 台を含む、防御施設が次々に構築されている。 この事態を合州国陸軍省では、日本帝國は太平洋での戦いを睨みながら、大陸での 国境紛争が戦争へと、拡大することを想定しているとの分析だ。 陸軍省の報告は、陸軍長官から戦争会議にも提出されているので、会議の議長を兼 ねる副大統領は、自らも報告書を読んでいる。 だが陸軍長官からの報告に対して、国務長官はまったく言及していなかった。 それを思い出したトルーマンは、思わず呟いた。 「ソ連が : : : スターリンが、この戦争を仕組んだと : : : そう考えられるわけだな」 フーヴァ 1 は視線を釣り竿の先から、外さないようにしながら頷いた。 そして新たな情報を口にした。 「おそらく国務省内に、共産党の息の掛かった人員が、相当数紛れ込んでいるのでし
英国では最初のシンパに関する秘密報告が、内務省の保安局から、ダウニン グ街の首相官邸に提出されていた。 以前から内々で噂されていた話だが、オックスフォードやケンプリッジの名門学舎 レッド セル にも、英国共産党シンパの教授や講師が少なからずいた。 そしてオックスフォードやケンプリッジの学舎で学ぶ学生の多くが、英国社会では エリートと見なされている。 卒業後は、研究者の道を目指す一部の学生を除けば、大部分は政財界か官僚への道 を進むのが、当たり前だとされている。 そんな名門学舎の教授陣の中に、共産党のシンパが存在することは、判ってはいた のだが、 今まではあまり危険視されることはなかった。 それは学問の対象として共産主義を学び、研究することは、反面で必要だったから しかしこのシンパの活動内容は、大学当局や政府の予想をはるかに超えていた。 これらシンパの多くは、共産党から使命を与えられていた。 たとえばその典型が、自分の教え子の中から優秀で家柄も良く、将来は官僚や政治
鮖誠に残念なことですがございません。それどころか、英国政府からの情報によれば、 新たな攻勢を北方海域で画策している模様でございます : : : 」 こう前置きしてから、英国外務省を経由して発せられた新たな警告を説明した。 「米国政府とソ連政府の間で、我が帝國に対する新たな侵攻計画が秘かに進んでいる 丿候かございます : : : 」 外相の説明に、出席者一同から驚きの声が漏れた。 このときに初めて英国政府から届けられた公式文書と、その和訳書類が出席者一同 に配布されたのだ。 「この文書によりますと、今後は樺太や北千島で、米ソが結託した軍事侵攻が、早期 に実施される可能性が非常に高いと : : : 」 外相が提示した情報は、参謀総長と軍令部総長の一一人を、考え込ませるのに充分過 ぎる内容であった。 まず陸軍にしてみれば、オホーック海や北海道防衛のためには、千島列島を起点と する哨戒線の維持は、必要不可欠であった。 しかし流氷が漂い、極寒の荒れる冬季の海を考慮すれば、補給線維持の難しさもあ って、必要以上に多くの部隊を千島列島に張り付けるのは難しい。むろん気温の高い 夏場とても、しばしば低温が濃霧を引き起こすので、春ごろに飛行戦隊を進出させて
梅花に関しては、英国から提供されたを参考にして、開発されたのは確からし 、 0 なぜなら、一九四四年に北フランス沿岸に連合国軍が、上陸作戦を敢行して以来、 多数の飛行爆弾と発射装置が、進撃する連合国軍の手に落ちていた。 そしてその何機かが、英領インド経由で、日本帝國側へ引き渡されたとしても、な んの不思議もない。 しかも大英帝国政府は「これを参考に作製された飛行爆弾が、ソ連へ向けて撃ち込 まれることが、望ましい結果を生むであろう」と、将来は対ソ戦で使用されるとの報 戦告だけで、それ以上の詮索はしなかった。 海 これは日本帝國側がソ連だけでなく、米国へも使用する可能性を、薄々は予測しな ンがらも、あえて質問はせずに黙認した形だ。 英国政府の主張では「枢軸国陣営と手を組むソ連へ、秘密裏に軍事援助をおこなう ス ン 米国の方が、より重い背信行為をおこなっている」となる。 ジ まあ英米の唱える同盟関係とは、互いに相手を利用しながら、自国の国益を優先す 章 ることを指していた。 第事実、英国宰相は「これは戦略的互恵関係だ」と、平然とした態度で説明している。 要は自国に有利なように、協定を拡大解釈して、勝手な行動をとるということらし
そこでク新東亜大戦クに関して英国政府は、中立を維持する一方で、英領シンガポ ールや香港を介した形で、間接的に日本帝國へさまざまな支援をおこなっていた。 むろんこれはウォーレス政権が、強行した一方的な対日戦争へ、遠回しなク反対ク を表明したものである。 もっとも英国政府はク日本帝國政府ニモ戦争ノ早期収拾ヲ望ムクと、外交的に釘を 刺すことも忘れてはいなかった。 したがって日本帝國政府は「自衛のための戦争であり、いつでも休戦交渉には応じ るーとの公式発言を、対外的に繰り返してきた。 つまり米国政府がク休戦講和ツを決断するなら、英国政府はクいつでも仲介の労を 執るクとのサインを、非公式ながら送り続けていた。 言わばウォーレス大統領は、連合国陣営からのク仲介クを無視して、対日戦争を継 続してきたのだ。 レ しかも国内世論も「第二次欧州戦争」はともかく、太平洋戦争には反対が急増した。 章 この事態を好機と見て、野党共和党や連邦議会のク反ウォーレスッ勢力は、党派の 第垣根を越えて、次第に賛同者を増やしている。 実際、連邦政府の官庁内でも、対日戦争遂行に固執するウォーレス大統領の指導力