際のところ自分自身は知識の習得を欠かさないタイプの人だったと思います。 それに比べると、松本さんは、様々な事柄に関する教養に欠けている状態のまま、持 っている自分のセンスに絶対の自信を持って、それだけを武器に勝負にでてしまってい るように見受けられます。普通の芸能にまつわる出来事や事件などはそれでも充分通用 するかもしれません。 しかし、ものによっては、特殊な要素が含まれるために、その背景を理解するための 教養が必要な場合もあります。内政・外交あたりになると、現状認識だけでなく歴史的 な認識をある程度は持ってなければ、ど、つしてもいい加減なことを言ってしまいがちで す。変な話見る側が「テレビタレントごときの意見ーと下にみているような時代だった ら別ですが、現代社会ではテレビの人気者の方が専門家よりよほど影響力が高く、実際 に政治家になる人もいるわけで、厳しい目で見られることもあるでしよう。 結論が自分の支持してるものと同じなら別に過程がおかしくても喜ぶ人はいますが、 普通の人は結論が同じでも途中がおかしな人に対しては疑問を抱きますし、反対意見の 137 第四章松本人志という権臧
でいるのでタチが悪い。しかも、こういう人に限って自分の過ちを指摘されても謝らな いのです。 現実を冷静に観察して判断することよりも、頭の中の答えを優先して間違った解釈を 連発してしまう人は自分が絶対に正しいという自信がある人だと思うのですよ。いや、 自信があるというよりも思い込んでいるという方が正しいのかもしれません。自分が絶 対に正しいと思い込んでいるから、他人にミスを指摘されても受け入れられない。絶対 に自分が間違うわけがないと、どこかで思っているからなのです。自分が正しいに決ま っているから、その指摘は相手の言いがかり、もしくは誤解でしかないのです。 こういう自信というか、思い込みを持っている人は、常に自分が間違っているのでは ないかと考えてしまう、自分のような人間にとってはうらやましいかぎりです。 事実関係を積み重ねられてさすがに誤りを認めざるを得ないような状況に追い込まれ たとしても、こういう人たちは素直に謝るわけではありません。しぶしぶ誤りを認めな
少年がマスコミの取材に答えたときに、自分が悪かった、日野さんを責めないでほし この企画をなくさないでほしいというような内容のことを発言しています。しかし、 この発言に対して「少年は、企画を潰してほしくないという周囲の無言の圧力によって、 そう言わざるを得ないようにされている」「少年は日野さんの名誉を傷つけるべきではな いという空気によって自分が悪いことをしてしまったと思い込まされてしまったーとい う風に解釈をする人も現れました。 確かに、そうい、つシチュエーションに置かれてしま、つことはあります。自分も、どう 考えても自分が悪くないのに、謝りたくなくても謝らざるを得ないように周囲から追い 込まれて謝ってしまった経験があります。今思い出しても怒りがこみ上げてくるような 経験でした。しかし、全く逆の経験もあります。完璧に自分の責任でしかないミスをし て迷惑をかけて殴られた相手に対して、自然に自分の方が悪いと思ったこともあるので す。似たようなシチュエーションでも、個別の関係性によって心の状態は変わってしま うものなのです。 185 第六章ミス i D と暴力
いるのです。批評というのも一つの作品ですし、批評自体が批評されるのは当たり前の ことです。しかし、ただ単に感情的に評者を攻撃してしまうのは話が違うのではないで しようか。批判は良くないけど、罵倒は許されるというのは理屈として全く理解できな いです。 個人的な話になりますが、ツィートでは基本的に作品や演者の批判はしないようにし ています。とい、つのは見たくなくても目に入ってしま、つよ、つなところかあ るものですし、自分の好まないものであっても、それが好きな人はどこかにいるのだか らわざわざ嫌な思いをさせることはしたくないし、それによってトラブルが起きて自分 が嫌な思いをするのは望まないからです。自分も自分の好きなものが批判されているツ ィートが不意に目に飛び込んできてしまったら嫌なものです。自分も人間ですので、何 かを悪く言いたくなることはあるのですが、そんなのはクローズドなところでやってれ ( しいもので、わざわざ広げる必要はないと思っています。 ・ 1 ・←しをし 1 上のマナーみたいなもので、別に しかし、それは個人的な・
ミス 2 とい一つ治外法権 講談社が主催するミスコンにミス 2 という 2012 年から始まった風変わりなミスコ ンがあります。 風変わりと言いましたが、このミス 2 、本当に不思議なミスコンで、グランプリ・ク ラスには芸能の世界で通用するルックスとポテンシャルを持っている人がたいてい選ば れている商業的なミスコンである一方、実質のメインは、自分の世界でもって世間に挑 戦したい女の子、自己肯定できる自分になるためにミス 2 という場にやってきた女の子、 なんらかの事情 ( たいていは不祥事 ) でアイドル生活を一度断念した子、鳴かず飛ばす の苦しい活動から一発逆転を狙うキャリア組がしのぎを削り、グランプリが決まるまで の期間に、に印象的なツィートを投稿して自分の個性をアピールしたり、 というネット課金システムによる投票を呼びかけてみるようなネット戦を 繰り広げて、ネットで見守っているミス 2 オタクともいえるような層に自分の存在を刻 み込み、自分の活動する場を獲得していくチャンスを得ることにあります。 一つのミスコンの中に、商業的なコンテストと Q 的なサバイバルという異なる二 174
ることなんて限られているし、今のの状況では結局似たような主張の人た ち同士で見て確認し合うようなことになりがちですから。 全ての人間が同じ人間でない以上、自分と対立的な考えを持った人間が存在するのは 当たり前のことです。むやみに他人を不央にさせないように上の言動に気を付け るのは良いことでもありますが、それがの世界以外にも適用されると考えるのも 愚かな考えです。思考というものは、反対の立場の批判的な意見に触れることで、それ に対して論理的に反論するような過程を経て深化する部分があるものです。真っ当な批 判は必要なものだと思います。 自分自身や自分の作品、自分の信じているもの、好きなものに対する否定的な言葉は 不央なものです。しかし、それが単なる言いがかりに根差した罵倒にすぎないのか、分 析に基づいた論理的な批判を含むものなのかの区別をつけて、それが参考に値するもの であれば参考にすべきなのです。別に cozco 上で直接やりとりする必要はないし、互い に共感し合えるようになる必要もないのです。
事は言い立てるが、自分の陣営の不祥事は黙認したり。「こちらの陣営の不祥事は言い立 てるが、自分側の陣営の不祥事は黙認するのか ! 」と指摘する人間が、やつばり自分側 の人間の不祥事は黙認したり。こんなバカみたいなことが繰り返し起こってるのです。 「深淵を覗くものは : : : 」ではないですが、同レベルでやり合っていくうちに傍からは 同じように見えてきてしまいます。 お互いに高いレベルでやり取りできるのが理想ですが、相手がどんなに不央なやり方 をしてきても、自分は丁寧な正攻法で対応すべきなのだと思います。 ネトウョは普通の人 本来、ネトウョとみなされている人たちは、反中、反朝、反韓、反左翼というだけの 人たちで、民族主義でもなければ保守主義でもありません。旧来の右翼的な思想や保守 的な思想を踏まえているわけではなく、新しく出てきたものなのです。 深い思想があるわけでもなく、何かに対する反感で感情的な部分に触発されて動いて いるものだと思います。 29 第一章 S N S は気持ち悪い
がらイヤミを言ったり、なんだかんだ相手を悪く言ったり。こうい、つのはまだ可愛い方 でプロックして無視を決め込む人もいます。こ、ついった人が全然謝れない人かというと 特定のテーマの話題以外のことでは謝れたり、相手の立場によっては謝ったりしている ので、完全な異常者というわけではないのですよね。 こういったタイプの人は、結局のところ選民意識が強い人なのだと思います。そうい う人が権力を持った人や権威のある人とお近づきになることができたり、意見の合致を みようものなら、盛大に噴き上がります。自分に自信があるのなら、そんなに権力とか 権威に担保してもらわないでも一人で偉そうにしておけばいいじゃないかと思いますが、 こういう人たちって自分が正当に評価されてないという不遇感をどこかで抱えているの か、そういうことを喜ぶ傾向があるのです。力のある人と知り合いになれたことで自分 が認められた気になったり、意見の合致を見ることで自分の意見が正しかったという実 感を得たりするのでしようね。 その対象は個人ではなくて思想だったりすることもあります。権力や権威と書くと勘 1 1 まえがき
体もあります。さらには、心が弱っている人につけこんで財産を巻き上げようとする問 題外のところすらあります。自分の欲に都合よく相手の精神をコントロールすることで 偽りの心の平穏を与えることが本当の救いとは思えないです。こういうやり方は一部の 悪質な宗教に限ったことではなく、芸能プロだって、会社だって、学校だって、あらゆ る組織の中に見られます。 千眼さんの場合、芸能界で頑張って成功するためには色んな理不尽を受け入れなけれ ばならないという、それまでの『信仰』が崩れた時に、」 別の『信仰』につけ込まれてし まったような気がします。 人は何を信じてもいいんですよ、それが本当に自分で選んだものなら誰が何を言おう と信じていいんです。 ( それはあくまで原則論で精神的世界の問題で、現実では不利益を 受けたり刑事的な処罰を受けることだってあるでしようから、各自がよく考える前提で す。 ) 自分の意志で何かを信じるのと、他者が上手いことすり寄っていってコントロール して、選ばざるを得ないようにしておきながら、さも自分が選んだように思わせて信じ 99 第三章新宗教との付き合い方
( P134 より引用 ) と語られていて、自分の守護霊があんな感じだったとはショックだったと いう意味の記述もあります。なんというか、出家するほど幸福の科学の教えに帰依して いる千眼さんにとっても、守護霊インタビューというのは素直には納得し難い内容だっ たわけですよ。 そういう記述を読むと「そこがおかしいと思うんなら、気づけよ ! 」と思う人は多い でしよう。でもね、何かを信じたい人にとっては、こういうことはたいした問題ではな いのです。それを信じなければ自分のアイデンティティが失われてしまうのです。大川 総裁は絶対に正しいという答えを前提に全てが成り立っている以上、守護霊の様子がお かしいのは自分の守護霊が悪いのであって、守護霊インタビューという形式自体は絶対 に間違っていてはならないのです。その前提がなくなったら自分が壊れちゃいますから、 どんなにおかしいと思うことがあっても、なかなか前提を疑ったりせずに、田 5 考停止状 態で矛盾をスルーしてしまうもんなんですよね。 まあ、こ、つい、つ教団にとって、あまり得にならないよ、つなことは教団内の他人がなか なか思いっかないだろうから、本人の語りおろしの可能性は非常に高い気もします。