インド - みる会図書館


検索対象: 世界の名著 2 大乗仏典
57件見つかりました。

1. 世界の名著 2 大乗仏典

一二必然的関係の諸問題 ( 反論 ) 「類似法による推論式においては、肯定的必然 関係が一つたけ陳述されるのであって、否定的必然関係 は陳述されない。反対に、非類似法による推論式の場合 には、否定的必然関係が一つだけ陳述されるが、肯定的 必然関係は陳述されない。それをどうしてそれそれの場 そういうわけで、能証と所証との間の普遍的な必体的合に三条件をそなえた能証が述べられると言うのか」 関係は、必ず確実な証拠によ 0 て、喩例において示され ( 答論 ) これは誤りではない。なんとなれば、類似法に ねばならないと確定される。 よる推論式が構成されている場合にも、否定的必然関係 「煙があれば火がある」 また、所証が、恒常、唯一、全知の知的な作者であるは含意によ 0 て理解されるからである ( という肯定的必然関係 ときには、この論証は対立 ( 相違 ) の誤りをもっことに いう定的必然係を勲すし。その際、否定的必然関係が理 なる。結果 ( という能証 ) は、むしろ無常、複数、非全解されないとしたならば、われわれは、所証 ( 火 ) がなく 知の知的な作者の先在によ 0 て必然的におおわれるからても能証 ( 煙 ) がありうるのではないかというように誤り である。実際、 ( 能証が ) 所証と対立するものを証明しを指摘せねばならない。そして、そういう誤りが実際に てしまうときに、それをわれわれは対立の誤りとよぶわあるならば、必然的に、能証があるときにも所証が存在 けであるが、君のこの能証も所証と対立したものを証明しないことになるから、肯定的必然関係も実はなりたた してしまうのである。これくらいにしておいて、たまた ュないを一い - っこ -u に、なる。 ま論題となった有神論批判をさらに書き続けることはよ ( 1 ) = ャーヤ学派では、世界の形成者である最高神は、質料因すなわ そう。 ち原子、その原子の結果、その結果を神によって与えられる人々、 その人々の徳・不徳、その人々の苦楽の享受というようなすべての 材料を遍知していると考えている。インドの最高神は、これらの材 料をもって世界を形成するのであって、無から世界を創造する神で , ー課 / し ( 2 ) 推理は、その主題が所証に属するか否かを能証を根拠にして決定 するものである。だから、主題自体を、はじめから所証またはそれ と矛盾したクラスのいずれかに属するものとして予想してはならな論 と 。したがって、その主題の一部を喩例ーー必然的関係の例証ーー・ として用いることは許されない。神の存在を証明する推論式におい て、 = ャーヤ学派は壺を喩例としていた。壺も神の先在を予想する 結果であれば、それは主題の一部となってしまう。 0

2. 世界の名著 2 大乗仏典

れわれは見たことのあるものについてのみ疑うべきであ彼 ( ヴァーチャスパティ・ 、、シュラ ) は「これは誤った る。 ( 仏教者の言うように、まったく見えないものにつ 能証ではないから、否認されるべきいわれはない。にも いて疑惑をいだくのはゆきすぎである ) 」と。 かかわらず、それを批判するのは、誤っていないものを それに対して、われわれは言う。この理屈はあらゆる非難すること、とよばれる論争上の過失である」と言 0 場合に通用しはしない。けれども、一応それを承認してた。けれども、そう言っている彼自身が、自学派の認め おいて検討を加えてみよう。君の見解においても、認識ている、非難すべきでないものを非難する、という形の の対象であること に用いら扣た誤 ( " た能靆 ) 、煙を有するこ論争上の過失を犯していることになるのである。われわ 山における火の存在の論証の、 ために用いられた正しい能証 ) 結果であること ( 神 9 存恠のた れはもうこれ以上、天神の憐れむこの愚か者にかかずら ( 4 ) た疑わし ) の三つの能証は、 ( = ャーヤ学派に従えば ) 同一 ってはいられない。 い能証 性の関係をも、囚果性の関係をももっていないという共 ( 2 ) ( 1 ) ヴァーチャス。ハティ ・ミシュラの年代については、九世紀後半と 通性によって、同種のものであると言えよう。そのうち、 する説と、十世紀後半とする説とがあって確定していないが、後者 認識の対象であることという能証。。 こよ、必然性と離反す が正しいと思われる。「すべての論書に熟達した人」とよばれるよ うに、広くインド正統哲学諸派の基本的論書に注釈を書いた。とく る誤りのあることをすでにわれわれはみてきた。この事 に、ニャーヤ学派の重鎮である。その著書の多くのものにおいて仏 実が他の ( 二つの ) 能証に対しても疑惑をさしはさませ 教批判を行なっているので、十世紀以後の仏教学者はヴァーチャス パティ・ミシュラを再批判することに努力している。 ているのであるから、われわれは見たことについて疑っ ( 2 ) ニャーヤ学派は、ただ一つの本質的関係を認めるだけである。 ているので ( あって、全然経験したことのないものを疑 ( 3 ) nigraha ・ sthäna 漢訳は「負処」。それを犯すことによって論 争に敗れることになる規則違反のこと。これは論理的な誤りだけで っているわけではないので ) ある。 なく、論争場における態度、具体的諸規則の違反などをも含む。理 こういうわけで、 ( ニャーヤ学派の、神が存在すると 論 『ニャーヤ・スートラ』では一一十二の規則を数えている。 いう論証は ) 能証の異類における非存在が疑わしい、と ( 4 ) 著者はここで有神論批判をいったん中止するが、第一〇節、第一識 一節でも同じ問題にまたたちかえる。本書では論理規則の解説が全認 いう能証の誤りを避けえないのである。そして、われわ 体の組織を構成し、仏教の諸理論はそれらの規則の例証として配列 されるために、一連の議論が数箇所に分散することがある。 れのこの批判のしかたは正しいものである。ところが、 かみがみ

3. 世界の名著 2 大乗仏典

ら、前者を後者の認識方法であるとは言えない。また、 結果である知識が生じたときには、その一瞬前の知識は、 せつなめっしよう 刹那滅性にもとづいて減してしまっているのだから、そ の、壺などを対象として起こっている ( 一瞬前の知識 が ) どうして認識方法と言えようか。 また、 ( 一つの知識と ) 同時に存在する知識が ( 前者 の ) 結果であるとも言えない。牛の左右の角のように、 益するものと益されるものとの関係がそこにはないから である。そういうわけで、真実には認識の方法と結果と の区別はないのであるが、概念的に区別することにもと らいた差別が、論理的反省において設定されるだけであ ( 4 ) る ( と考えるのが正しいのである ) 。 わる。 ( 1 ) 六範の詳細な批判は、第三章第一一四節に再出する「 ( 2 ) 本来、知識は一つのもので、それを方法と結果とにわけることは できない。しかし、論理的反省の立場からしいてわければ、外界の 対象が知識の中に投げ入れたその形象ー・・・それは外界の対象と類似 したものであると推理されるのだがーー・あるいは、その形象と外界 の対象との類似性が認識方法であり、その形象の知覚が結果である と言いうる。また、外界の対象そのものは、経量部の認識論では、 『タルカ・ハ ーシャー』における「知覚ーの章終 知覚されはしないで、心の内の形象を根拠として何ものかが外界に なければならないと推理されるだけである。だから、その対象と形 象との類似性というものも、その知覚にもとづいて行動した結果、 所期のものに到達したということから理されているのである。要 するに、われわれが知覚しているものは一つの知識であり、それを 対象、形象、知覚 ( 結果 ) に分割するのは反省の立場における論理 的操作にほかならない。 ( 3 ) インドの認識論においては、どんな対象を認識するときにも、知 識自体は変化せず、無色透明であるという無形負知識論と、知識は 必ずその対の形象を帯び、それに色づけられるという有形争知識 論とが対立する。仏教の内部では、説一切有部は前者を、経量部は 後者の立場をとる。有形象知識論では、認識とは要するに、対象が 知識の中に投げ入れた形象を知識自体が自覚することである。した がって、有形象知識論は、必ず知の自己認識 ( 自覚 ) を認める。 無形象知識論は、知識の自己認識を否定し ( 第六節「自己認識」参 照 ) 、認識とは、同時に存在する無色の知識と対象との間の作用で ある、と説明する。有形象知識論者が、同時に存在する知識と対象 との間には、因果作用の一つである認識は生じえないとしてこれを 批判することは先に述べた ( 四六七べージ注 ( 2 ) 参照 ) 。 ( 4 ) 認識における因果関係は、対象 ( 原因 ) と知識 ( 結果 ) との間に 起こる。知識そのものの内部における方法と結果とは、名称は因果 のようであるが、実は論理的関係でるから、これを因果関係と解 してはならない。 477 認識と論理

4. 世界の名著 2 大乗仏典

全体の趣意は、大乗の菩薩の優秀さと、小乗的な比丘 れたいまの形は、七世紀の唐代のころになりたったもの の修行の偏狭なあり方とを対比させることにある。前半 で、四十九の中には古い経典も新しい経典も混在してい しようまんきよう る。有名な『大無量寿経』はその五番目に、『勝鬘経』には、菩薩とはなんそやということが、さまざまな角度 から説かれる。ことに第二九節以下、菩薩の徳を豊富な は第四十八番目に入れられている。 ここに訳出した『迦葉品』は、それら四十九経の中で比喩をもって説くあたりは、一つの文学としても興味深 いものがある。この比喩は第九七節あたりまでも続くが、 も最古の層に属し、中心をなすものであって、本来、 『宝積経』というよび名はこの『迦葉品』をさしたもの第五二節以下には、この経の中核と思われる真実の観察、 であった。この『迦葉品』に相当する部分は、漢訳ではすなわち「中道」が説明される。中道をこのように具体 的に説く経典は、あまり多くはなく、しばしばこの部分 ット本もチベッ 四度訳されており、その他にサンスクリ ト訳も現存する。最初の漢訳は、はやく二世紀後半の後が他の論書にも引用された。第九八節以下の詳細な「心 ト本、の観察」も重要で、そこに「種姓〕 ( 生 による本性 ) 、すなわ 漢の時代に属する。これを他の漢訳やサンスクリソ チベット訳に比べると、経が次第に増広されて大きくなち「仏性、もくわしく考察されている。 しじゅ っていることがよくわかる。一節ごとに同じ内容が詩頌第一二一節あたりからは、職業的な「出家人」や「比 しやもん の形でくり返されることが多いが、古い漢訳はこの詩頌丘、や「沙門への批判がはじまっている。「四種の破 しつの世でもそうであるが、い の部分を欠いている。ここではサンスクリット本に従っ戒の比丘」に至っては、、 かに腐敗した出家者が多いかを思い知らされるものがあ て、最も興味深い箇所を抄訳した。 この経の本来の名である『宝積経』とは、「宝の集まる。ことに興味があるのは、この説法がすんだとき、五 り」の意味である。おそらく、宝玉にも等しい仏陀のさ百人の比丘が席を去 0 たという話で、彼らはこの経典の史 まざまな教説が集められていることを意味するのであろ意味がわからず、信ずることができなかったからと言う。と ほうべんぼん この話は、『法華経』の方便品で、五千人の増上慢の比田 ( う。大乗経典として「空」の思想を基盤とするにはちが あ・こん 教 いないが、古い阿含以米の仏陀の教義も述べられ、無我 ( 1 ) 『宝積経』という名は、インド古代の諸学者に著名であって、し仏 の思想やヨーガの修行なども強調されている。中観学派 ばしば論書の中に引用されるが、その引用はすべて『迦葉品」の中 の文章であることから、このことが知られる。 からも唯識学派からも親しまれた経典であった。

5. 世界の名著 2 大乗仏典

妥もうと 法あす も ま当たに をるなま もうあにえ否たすな、わ最世説、わた 、る定、るいすれ高間くとちわ わりものし よわとて形かに君の べるののわ言常れ くわわうたに、式も対のでとてよ真常けう識わ したたなく対わにしす言あはのう実識にわをれ がくく誤ししたおれるつる 3 にをはけ無は 常の。従用いで視 なししりがてくいな否た んににがな 識はたわいかはし世 してい定 と空かななななて間 らははわんわのながも かな主たられ主り、同 最でらい いいしの 高あ、でで のい張くかわ張たそじ のりわはは実っ識 主。としのれでたれよ 真、た涅ね最にて 張いに主ははなはう う起張こなく正に 実すく槃高 を 常す もこをういなし とべしはの し るく誤 のての悟真識べ てのるし を がでてお翁のなっ のこり実にて 承 は従の なあいう再はいて 両もと る 者のばな説わも 君。い ルし、 いろる し らのうな にがといき なの のこる な お本同、え 主の いは かけば なで空 張よと で でう考 い教で わられ てをよ たくしは主張命題の形式を採用していることになるから、 ( 1 ) sädhya ・ sama 「ニャーヤ・スートラ』五・一・四に述べられ る五種類の誤った非難は、相手の推理の証因がそれ自体なお証明さ れねばならない、といって非難するもである。これを所立相似 sädhya ・ sama という。相手の証因が正しい場合にも、それに言い がかりをつけるから、誤った非難に分類されている。本書のテキス トに見える sädhya-sama は誤った非難としてではなく、実在論 者が、実在するものによってのみ実在するものの否定がなされうる、 ということの例証として提出する「 : : するな」という声が、まだ 実在するかどうか決定していないから、それ自体さらに証明されね ばならぬ不確かなものだ、と批判するのである。たとえというもの は、古代インド論理学ではいわば大前提の代用をする。「 : : する な」という声のようにということは、「 : : するな」という声の場 合のように、実在するもののみが他の実在するものを否定しうる、 ということをあらわす。したがって、たとえが不確かであることは、 論拠が不確かなことと同じ意味をもってくる。 ( 2 ) 『中論』二四・一〇にある。 ( 3 ) 実在論者の非難は、常識の世界では実在するもののみが否定のは たらきをもっとされるのに、中観者は空であるものがはたらきをも っとする点で常識に反している、と言っているのである。そこで著 者は、そのような実在論者の前提が、実は常識にそむくことであり、 他によって生じたものは空であるということのほうが常識にそうも のだ、と言うのである。縁起、空ということは常識としても真であ り、最高の真実としても真であるというのが著者の主張である。こ越 こで「世間の常識」と意訳したのは、術語で言説 ( 諦 ) 、あるいは の 世俗 ( 諦 ) と言われる語であり、世間の言語や行為の慣行をさす。争 最高の真実は、勝義 ( ) 、第一義 ( 諦 ) と言われるもので、世間 的な常識に対して、宗教者、哲学者にとっての真実をいう。

6. 世界の名著 2 大乗仏典

紀後半にはその父祖の地ヴァレンドラを失い、現在のビハー 州一帯を支配するにすぎなくなった。第十代のナャパーラ ( 一 〇三八 ~ 五五 ) の時代にも、カラチ「一リ王カルナとの間に闘争 がくり返された。有名な仏教僧アティーシャが身命を顧みずに 両者の和睦をはかったのもこの時期のことであった。十一世紀 の中葉にはマガダ支配も名のみのものとなった。ヴィグラハバ ーラ三世 ( 在位一〇五五 ~ 七〇 ) には三子があったが、その長 子マヒーパ ーラ二世 ( 在位一〇七〇 ~ 七五 ) と他のふたりとの さんだっ 間に内紛があるのに乗じ、王朝の重臣ディヴヤが王位を簒奪し た。ディヴヤは有能な将軍で、その勢力を拡張し、ヴァレンド ラをもその支配下においた。しかし、ヴィグラハ。ハーラ三世の 第三子ラーマ。ハーラ Rämapäla が奮起し、劇的な戦闘ののち に、ディヴヤの後継者ビーマを倒して、父祖の地ヴァレンドラ を回復した。ラーマパ ーラは即位して第十四代の王となり、ラ ーマヴァティーに都を定めた。ラーマ。、 、ーラ ( 在位一〇七七 ~ ーラ王朝最後の輝かしい時代であるとと 一一二〇 ) の時代が。ハ もに、インド仏教の最後の隆盛期でもあった。このころ、ヴァ レンドラにはジャガッダラ描旧阮があ一り、ヴィクラマシラーに・次 いで教学の中心となっていた。 プラジュニャーカラマティおそらく十世紀と思われるが、 。フラジュニャーカラマティ Pra 」 häkaramati がシャーンティ デーヴァの『人菩提行論』に大部な注釈 (Bodhicaryävatära ・ pafijikä) を書いている。彼も中観瑜伽派に属している。 ジュニャーナシュリ この時代の仏教は全般的 には密教の勢力が強かったが、それにもかかわらす、経量瑜伽 派、中観瑜伽派の伝統を継ぐ哲学者も続々とあらわれた。これ らの哲学者たちのうちには、同時に密教者であった者も多い このころ、仏教哲学に対抗する勢力のうちでもっとも強力だっ たのは、ニャーヤ学派で、とくに十世紀のトリローチャナ T ュ・ locana 、その弟子ヴァーチャスパティ・ミ、 ゾュラ Väcaspati ・ miSra ( 九七六前後、一説では八四一前後に活躍 ) が、ダルマ キールティ以来の仏教の知識論を批判した。これに対して立ち 上がるのがジュニャーナシュリー・ミトラ Jコ鰤naの1 ・ imitra につなめつろん ( 九八〇 ~ 一〇三〇ころ活躍 ) で、「刹那減論』 l€sanabhafigä・ dhyäya 、『有神論批判』 iévaravädädhikära その他の著作に よって、ニャーヤ学派批判を展開した。また彼は、『有形象知 識論』 Säkärasiddhi を著わし、経量瑜伽派の立場から仏教諸 理論の統一を企図した。 ラトナキールティ ジュニャーナシュリー・ミトラの弟子 ラトナキールティ Ratnaki1 ・ ti ( 一〇〇〇 ~ 五〇ころ活躍 ) は、 独創的な著作は著わさなかったが、その師の難解大部な諸著作 のほとんどすべてを平易な文章で要約し、紹介した。 ラトナーカラ・シャーンティ経量瑜伽派に対立し、シャ ーンタラクシタの確立した中観瑜伽派を代表する学者にラトナ はんにや ーカラ・シャーンティ Ratnäkara'änti がいる。彼は『般若 はらみったらん 波羅蜜多論』 PraÄäpäramitopadeéa を著わし、仏教諸学派、 とくに経量瑜伽派の理論を批判し、中観と唯識を一した理論 を展開した。彼の理論はジュニャーナシュリー・ミトラによっ て批判されているが、チベットでは後者以上に評価されるに至

7. 世界の名著 2 大乗仏典

( 4 ) あると論しる彼らは、自らの推理と相違してしまう。 あるいは、「もし自我が心身の諸要素と同一であるな らば」という ( 詩句 ) は、これらの要素は複数のもので あるから、「一つの身体にも多数の自我があることにな づてしまう」ということばを補って理解してもよい さらに、「もし自我が心身の諸要素と同一であるなら ば、それは生滅するものとなろう , という ( 半頌 ) は、 次のようにも解釈される。ここで ( もし対論者が、「自 我は ) 諸要素であるーと ( いうことを ) 推理するならば、 ( 彼は同時に、自我は ) 生減するものであると考えてい ることになる。だから、自我という ( 主張命題の ) 主辞 ( 1 ) upalaksaqa 一 、一一の例をかかげて全体を推知させる語法 s n ・ ecdoche のこと。 ( 2 ) 著者は、原則的にはディグナーガ ( 陳那 ) によって改良された仏 教論理学にのっとって推論式を陳述する。推論式は三つの支分 ( 命 題 ) からなる。第一は主張命題で、事実上帰結にあたる。第二は論 拠 ( 能証 ) で、卞張命題の主辞 ( 推理の主題 ) に必ず存在する属性 をあげる。この支分の主語は省略されるのがつねである。第三は喩 例で、具体的な事例であって、論拠である属性は必ず主張命題の賓 辞 ( 所証 ) の中に存在することを例証するものを同類喩とい 張命題の賓辞 ( 所証 ) 以外のものには論拠 ( 能証 ) たる属性は決し て存在しないことを例証するものを異類喩という。ディグナーガの 論理では、喩例は単なる事例ではなくて、その含意する所証と能証 との間の必然的関係をあらわす命題を本質とすることが強調されて いる。西洋の形式論理学とは発想が異なるので、この推論式を安易 に三段論法と対比させることはまちがいであるが、理解の便宜のた めには、主張は帰結に、論拠、すなわち、推理の主題に能証が所属 することをあらわす命題は小前提に、喩例の含意する命題は大前提 にあたると考えておいてもよい。厳密な理論は、本巻取録の『認識 と論理』第一一章にくわしい もっとも、それはディグナーガの理 論よりはさらに発展した段階のものであるが。本注釈者・ ( ーヴァヴ イヴェーカの推論式では、 ~ に張の中に「最高の真実から見れば」と う限定句があることと、喩例において同類喩のみをあけて、異類 喩を用いないばかりでなく、それは存在しないと宣言することに特 色がある。それらはディグナーガの論理学の規則からは逸脱する性 質のものであるが、インド論理学史の上ではかなり重要な意味をも つものである。その解説については、中村元編・『自我と無我』所収 の梶山雄一の論文を参照されたい。 ( 3 ) 自我とは恒常的、自己同一的なものであって、生減変化しないと いうのが一般の観念であるから、生減するものは自我とは言えない という意味である。 ( 4 ) サーンキャ ( 数論 ) 学派は、霊我 purusa と世界原因 prakrti. pradhäna の二元によって世界の展開を説明する。世界原囚は霊 我 , ーーこれは多数あるーーと交渉をもっことによって、霊我のため に転変して、知カ buddhi 、意 manas 、自我意識 ahahkära 、五 感覚器官、五行為器官などの身体、および五元素、五種の大きな物 質などの対象世界として現象するという。この顕現すること vyak ・ ti を「変異」とい 、顕現した結果 vyakta を「変異したもの」び という。世界原因は、本来は質、激質、闇質という物理的な三要ま 素の平衡状態にあるので、この均衡が破れて、種々の現象界が顕現と するのには霊我との交渉が必要である。世界は霊我のためにあると専 いうのがこの学派の基本的な考え方である。注意しておくべきこと には、この学派では、知力、意、自我意識というような心作用もい わば物理的な世界原因より顕現するものと考えている。