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1. 正論 2008年10月号

本人の筆による著作ではあるまい。多忙年内にもと噂され、どんなに遅くても任言い方をしたのはね。 な有力代議士に本を書く時間などなかろ期の切れる 2009 年の 9 月には総選おちうわ ーー / 今、鳥肌立ってま う。ロ述データを編集者やライタ 1 が纏挙。もしここで、小沢さんが代表を務めす。これはヤバイです / もう一度お聞 めたに違いない。悪いとは言わないが、 る民主党が衆議院第一党になれば、おのきします。総理大臣、やるんですね ? 所詮は他人の文章だ。読者への訴求力はずと小沢さんは総理大臣になるわけだ」。 小沢そうです。やらざるを得ないで 削がれる。その点では、政治家の単著よただし「与野党逆転が起きても、また小すよね、やつばり。 ( 中略 ) そりゃあも り、対談本のほうが、生の言葉が伝わっ沢さんは、代表は続けるが総理はほかのう、やらなきゃいかんと思います / 》 てくる。 方を据えるつもりなのか」との疑問も残なにしろも発売されるのだ。本 その意味でも注目すべきは「小沢一郎る。そこで生まれたのが本書である。 書に嘘や作りはあり得ない。その意味で 総理 ( 仮 ) へのの質問」 ( 扶桑社 ) で も、従来の政治家本とは比較にならない ある。おちまさと氏 ( 放送作家 ) の質問 小沢総理が誕生する ? 訴求力を秘めている。今はネットの時 に、小沢一郎代表 ( 民主党 ) が回答する 代。小泉内閣以降、定番化した首相官邸 構成だ。その映像を収録したも発最後の質問は「小沢さん、総理になるのメルマガも、ユーチュープ ( 動画 ) を 売される。以前は考えられなかった出版んですか ? 」。答えは「はい。 やります」。アップするなど、こうした手法を活用す スタイルである。 以下、こう続く。 べきであろう。旧態依然たる広報姿勢を 中身も従来の政治家本とは似ても似っ 《おちマジっすか′ 改めない限り、本当に小沢総理が誕生し かない。質問項目も「一番好きな食べ物 小沢国民の皆さんに支持していただかねない。もし、そうなれば本書の第一一 は何ですか ? 」 ( 答えは豆腐 ) 、「シャンければ、もうここまで来たんだから、や弾が出るそうだ。。 せひ、それも読んでみ プーは何を使っていますか ? ー ( あるもります / たい。そう思わせるユニークな新刊であ る。 のを使う ) など、タレント本を彷彿させ おち今みたいに「総理をやる / る。ふざけ過ぎとの評価もあろうが、私と 、ハッキリと明言されたのは初めてじ対談新刊としては「中川昭一と宋文洲 は面白く読んだ。質間者と編集者の力量やないですか ? こういうインタビュー の不愉快な会話」とのサプタイトルが付 ゆえであろう。 の場でロにされるのって。 いた「どうした、日本」 ( ダイヤモンド おち氏が述べるとおり「衆議院解散が 小沢かもしれないですね。こういう社 ) も異彩を放つ。中川昭一代議士は開 6 9

2. 正論 2008年10月号

を与えられ、よちょち歩きしながら書き始め た。何度も書き直され、弱音を吐きそうになっ たこともある。でもそんなとき、いつも心の中 に、もう一人の自分の言葉が響いた 「あなたの思いは、その程度のものなの ? 」 いっしか言葉に魂を込めること、命を吹き込 むこと、そのために身を削ることを覚えていっ た。何ほどのことが達成できたか、それはわか らない。人との出会い、縁を大切にすること は、たった一人で生きるよりも、より多くのこ とを学ばせてくれる。人生によき果実をもたら してくれる。 けれども、人には必ず出会いと別れがある。 0 縁が切れるわけではない。次の舞台に移るの 家と 「靖国で会おう」と言って、自らの命を投げ出漫もー した若者たちは、この日、境内でどれほど再会 カⅦ ができたのだろう。彼らが後生の日本人を信じ さ て疾風のように、烈風のように逝ったおかげ で、その後も日本という風ぐるまは回り続けて いる。そんなことを思いながら、自分も風とな って、何かを、誰かを回す役割を果たすのだと 感じた。 それは、それまで居た処を去ることを意味す る。寂しくもあり、新たな気持ちに胸弾むもの もある。けれども、あの何年か前に抱いたよう な怖さはない。少しは勁くなったのだろうか 伝えたいことは変わらない。かってこの国を 守るために命を散らした同胞がいたこと。生き まみ ては見えることのなかった彼らに恥じない国を つくっていくことが私たちの責務であること。 横田早紀江さんの、長い長い戦いが私の胸を 締めつける。北朝鮮に拉致されためぐみさんを はじめとする同胞を、いまだに私たちは救出で きない。救出どころか、拉致問題は棚上げでか まわないという雰囲気が国会や霞が関周辺に漂 っている。かって同胞のためにあれほど自らの 命を捧げる若者がいたこの国は、それを犬死、 無駄死として以来、他国に蹂躙されることをな んとも思わなくなった。 総理は、わが国民の生命、わが国の歴史の名 誉より、他所の「お友達」が大事だという。閣 僚もほとんどそれに倣えとは、「こんな日本に するために俺たちは戦ったのか」という英霊の 声が聞こえてきそうだ。いよいよ女こそがしつ かりしなければ、と思っている。 ※今月号でお別れします。ご愛読ありがとう 5 4 ごさいました。 つよ

3. 正論 2008年10月号

なんて、まだ可愛い。やり玉に挙げ るのは筋違い タバコがそんなに大事なのか。少 無職・中村守彦 し距離を置かないと。もうやめにし ( 名古屋市・歳 ) たい、郷愁や甘美なものを求めるの は。何かに根拠を見つけてすがろう「昨今のタバコをめぐる議論をどう とするのだ。いつになれば排除され見るか」という編集者のお言葉であ たと嘆き、「ファシズム」を盾にするが、歩いていてタバコの灰をかけ るのがやむのだろう。 られるのは毎度の事、火のついたタ 喫煙はもちろん個人的行為だ。だ ハコで服を焦がされそうになった から、決してひけらかさない。スマり、目の前に火のついた吸い殻を放 タ・ハコのみならプライド持って 1 トな喫煙者はこうだという。マナり出されたり : ・こんな目に遭われた 1 違反にはもっと敏感になってい方は多いのではないか。 会社員・山岡喜美子 ( 横浜市・的歳 ) い。罰を、ではなく各自が律すると それにつけても思い出す事件があ いう意味で。 る。先月、自転車で近くのスー もうタバコに振り回されるのはい 「嫌煙権、もタバコ一辺倒の社会へへ買い物に出た。すると向こうから やということが、うすうす分かっての申し立てだったのに、またも揶揄リクル 1 トスーツを着た二人の若い いないか。ただ、クセで喫ってしましてほくそ笑む人達の思うつばは残女性がやって来た。見れば、二人と うし自分をかばいたいので言い訳し念。 もタバコを横ぐわえにして時々吸い 号 てみたいのだと想像する。うんざり タバコというものの素性が次第にガラの灰を派手にまき散らす。まさ明 なのは、この件を語る段になると明らかになっていく今、い つまでもに傍若無人、揚げ句の果て火のつい 「ヒステリック」という声が返ってそ知らぬふりはどうかと思う。すでた吸いガラを、傍らの溝に放りこん成 くることだ。直接関係のない事柄をにこの習慣を手放した晴れやかな顔だのである。一言なかるべからず : ・ 引き合いにする。電車の中のお化粧の人々は大勢いるのだから。 と自転車を回しかけたら、一一人は折扉 ☆編集者へ NO smoking 0 て Ok smoking 罰則強化を願う 二 1 ロ 34 イ

4. 正論 2008年10月号

我のしにくい尻を竹刀でバ 1 ンと叩く。これは極めて質の高慮とか相手の進歩とかは、まるで念頭にありませんでした。 い体罰です。 戸塚いや、それでいいんですよ。それが体罰なんです。 野口なるほど・ : 。しかし私自身が体罰をするには、まだ本能がしつかりしていれば、意識していようがいまいが、相 まだ未熟かも知れませんね。 手の進歩につながるんです。 私は中学や高校で講演をすることがよくありますが、以前 どんなに獰猛な動物でも同種間で争うときは、命の奪い合 に『落ちこぼれてエベレスト』という本を書いた影響なの うような喧嘩はしない。負けた側が急所をみせると、勝った か、荒れている学校が多いんです。あの落ちこばれの野口で側は途端に闘争意欲を失う。本能がそうさせるんです。人間 さえこうなったと、生徒に示したいのでしようね。ところが も同じ。本能がしつかりしていれば、相手に大怪我させるな 肝心の生徒が聞く姿勢になっていない。数人が講堂を走り回んてことはない。 っていたり、最前列の茶髪の子が携帯電話で話していたりす 従って、年長者が年少者にカッとなるのも、潜在的に年少 る。そんな時私はカッとして、怒鳴りつけたりします。 者の進歩を促しているのです。怒りにまかせて叩いたとして ある時、こんなことがありました。講演を始めると、四、 も本能がプレーキをかけるから、せいぜいこぶをつくる程 五人くらいの不良グループが「ガイジン、引っ込め」と騒ぎ度。本能がしつかりしていれば相手の目をついたり鼓膜を破 ったりはしません。 出し、うるさくてかなわない。近くにいた先生たちに「何と かして下さい」と合図を送りましたが、まるで手が出せない ところが最近は、この本能が形成されていない大人が多 でいる。とうとう私がキレてしまって、マイクを握ったまま そういう大人が下手に手を上げると、プレーキがきかな 壇上から飛び降り、一番うるさかった奴のおでこを叩きつけ くなって相手に大怪我をさせるのです。 ました。スイッチが入っていたのでガーンという大音量が響 野口教育的配慮は必要ないのですか ? き渡り、私自身がびつくりしたほどです。 戸塚必要ですが、それが理屈ではないということです。 当然、仲間の連中が反撃してくるだろうと思って身構えた体罰をする時に、いちいち「この場合は叩くべきかどうか」 のですが、みんな目をパチパチさせている。周りもシ 1 ンと とか「カの加減はどれくらいか」とかを考えていたら、タイ 静まりかえっている。気まずくなってマイクを持ち直し、 ミングを失してしまいますよ。 「で、エベレストはね : ・」と言いながら壇上に戻ったのです いわゆる「戸塚ョットスクール事件が起きる以前は、コ が、あの時はもう、怒りにまかせて殴っただけで、教育的配 1 チたちに「体罰をする時は、自分の本能が強いと思うなら 220

5. 正論 2008年10月号

人が裏口から教員になりました。おじさ ことができると思います。宗教まで行け 3 んが国会議員だという女の先生と、教育道徳の教育が犯罪を防ぐ ば、もっと良い。宗教はもっと抽象的で 長だったという男の先生。つまりコネで 形而上的な規範ですから、あるべき理想 すね。国会議員のめいは、職員会議をシ 相次ぐ無差別殺傷事件は、どうごの人間像が追求されます。宗教は、向上 キイン ( 識員 ) 会議と書くので驚きましらんになりましたか。 しようという目標を与えられます。 た。もう一人は、正規の試験で落ちて、 石井秋葉原の事件の加害者は、エサ私がこの本で書こうと思ったのは、教 区で臨時採用してもらったそうで、その場の確保に失敗した点で、大分の犯罪な育によって自分の本能をコントロ 1 ルす るには、どうしたらよいの力ということ 後、本採用となりました。かってはそうどと根本は変わらないと思います。 いうこともあったのです。 法律は、これを守ってもらわないと社です。本能を抑制する術を知らないで育 産経新聞七月三十日付報道によると、会が崩壊するという最低のルールです。った人たちがそのまま大人になっていま 教員人事権を持つ自治体 ( 六十四都道府例えば殺人罪は「人を殺したるものは死す。 県・政令市 ) のうち、半数以上の四十五刑、無期 : ・と事後に取り締まります。 戦後世代の、さらにその子供たち 自治体が、事前に合否を県会議員や教育もちろん、こんな重い罪があるよと、 が、教壇に立ち始めています。 長、先輩校長ら関係者に知らせているそ事前の警告にもなっていますが、基本的石井団塊の世代が定年に入り、団塊 うですね。そういう自治体では、かなりには、それを無視する無差別殺傷犯人にジュニアが教員になり始めていますね。 の確度で不正が行われているとみてしし ) ) は、役立ちません。それをわずかに防止ただ、私は世代ではなく、家族でくくる と思います。なせなら、事前に教える必できるものがあるとすれば、道徳や宗教方が分析しやすいと思います。どんな家 要性がない。当日が来ればだれだって落とは何かという心の教育しかないと思い庭教育を受けたかが大事です。 ちたか合格したか分かります。そこに情ます。 日本社会の家庭の、少なくとも五割は 実が介在していたという推理が成り立ち道徳は、人を殺してはならぬ、盗んで健全だと信じています。家族がバラバラ ます。 はならぬといいます。だめなものはだめでも九割まではほどほどにやっている。 事前に知らせていたと回答した自治体と生活常識として縛りをかける。法律ででも、家庭教育不在で人とのかかわり方 の住民は、難しいことだけれども、よくは理解できないものが、道徳によって行を学べない一割の子供たちが大人にな よく監視する必要があります。 動基準となり、犯罪の発生を減少させるり、この人たちが快不快だけの自己抑制

6. 正論 2008年10月号

子守唄の研究家の多くは男性だ。どの なぜわらべうた、子守唄に取り付かれ 地域にも、財も時間も投げ打ち生涯を子たのだろうか。尾原先生は旅先で偶然お 守唄やわらべうたの研究に費やす方に出盆での子供たちの唄に魅入られたのがき つかけだという。駅前の暗闇に盆ちょう 会う。著名な松永伍一先生は亡くなった が東京にはわらべうた研究家、尾原昭夫ちんを持ち、浴衣を着てわらべうたを唄 さんが健在で、自宅で資料を見せていたう子供たちに、美しい日本の原風景を感 だいて私は目がくらんだ。本屋や図書館じた。それが各地への旅の始まりだっ と同じくらいの蔵書があり、学者の研究た。 一方、岐阜に居られる林先生が倒れた 室そのものだった。唄を一人でこっこっ と蒐集し、譜面化し、研究し、現代に残という報には正直当惑した。 すという作業を、半世紀にわたってなさ先生が集めた資料はその後、大学に寄 付されたと伺い安心した。 った宝物が所狭しと積まれていた。 岐阜の林友男先生もそのお一人。四年「私は岐阜新制大学一期生、昭和年、 、突然、協会を訪ねた先生は日本の教岐阜日日新聞の周年事業で岐阜県百科 科書に子守唄がいつ、どんな形で載せら辞典編纂という仕事の音楽部門に参加し れていたかを丹念に調査するために、岐ました。 阜からわざわざ資料があるとされる江東地域に伝わる歌、岐阜の音楽を網羅し 区まで足を運ばれ、その途中に立ち寄っようと思ったが、人は変わるし、それぞ れ音楽分野の組織もある、現存する音楽 て下さったのだ。 号 ともにもう、決して若くはないお年の家の曲は扱えない、変動性のある曲は駄明 両先生は、若いときから自分の足を使い目、とすいぶんと制約があり ( わらべう 自分の眼で確かめ、取材をなさる。おざたならどうだろう、と提案すると、これ成 となり」 なりや、人づてということは断じてなは過去の歴史の産物なのでい。 正 ました。 い。信念を持っておられる。 二 1 ロ

7. 正論 2008年10月号

風ぐるまのよ、つに 「未明さん、こっちですよお 見知った顔が、境内から私に手を振ってくれ る。この夏も、西村眞悟先生のもとに集う「西 村塾」の皆さんと一緒に、靖国神社に参拝し た。八月十五日の参拝は何度目だろう。靖国神 社を大切に思う人たちの中にまじって、英霊に 感謝を捧げる。驚いたのは、私が最近催してい るジャズライプによく足を運んでくれる若い女 性が、西村塾の若者に連れられて来ていたこと 「どうしたの ? 「未明さんのライプで、塾の方たちと知り合い になって、靖国参拝は初めてなんですけど、い いきっかけをいただいたと思っています」 私は、心から嬉しかった。もともと歌を歌う ようになったのも、人の心のつながりや、出会 いの縁、真心をこめて生きる大切さなどを歌に 託したいと思ったからだ。そうした場で出会え た女性と、靖国神社で再会できるなんて、こん な素敵なことはないと思った。 人との出会いが、それぞれの人生を″風ぐる 4 ま″のように回していく 私が、本誌「クロスライン」を書かせてもら うようになってから何年経つだろう。それがき つかけで西村眞悟先生に会うことができ、西村 塾の若者たちとの縁もできた。多くの出会いの 縁に恵まれた。 いま目の前にいる彼女ほどではないけれど、 」当時の私はまだ若く、文字で何かを表現したい という思いに突き動かされてはいたけれど、そ ' , , , , 」一れが空回りし、連載の機会を与えられたにもか かわらず、何をテーマに文字を連ねていったら いいのかわからなかった。迷い、悩み、締め切 りが近くなると胃が痛くなった。 自分ひとりでは何も生み出せない。そう思っ たら、少し気が楽になった。 そうなのだ。ひたむきな思いがあれば、誰か 力を貸してくれる人が必ず現れる。編集者だっ たり、先輩の書き手であったり、励ましてくれ 一一′仁る読者だったり・ : みんなが支えてくれる。その 号 ノ一支えを裏切ってはいけないという思いが、また明 年 新たな力となってあふれてくる。 正直、何もわからなかったけれど、私たちの成 大事なこの日本を、日本人を守ることに、一人 の女として役立ちたい。その思いに対し書く場証 1 ごロ 4 4

8. 正論 2008年10月号

一国は一人を以って亡ぶ 福田首相が内閣改造を断行した。内閣の帰趨 を、福田氏と衛藤征士郎代議士との対談『一国 は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』 ベストセラーズ ) から占ってみよう。同書の 発売日は一一〇〇五年五月五日。約三年半前、福 田康夫代議士は開口一番こう語った。 「私は話すことに自信がないから極力活字には しないことにしていますが、今日は総理総裁候 補の衛藤先生との話ですから、楽しみにしてお ります」 福田氏は、話すことに自信がないから極力活 字にはしないことにしていた方だ。事実、イン タ 1 ネットで福田康夫氏の著書を検索し、唯一 ヒットするのが右の対談本である。なかで「私 は ( 総理に ) なりたいと思ったことはないし、 資格もないですよ」とも語る。 一年生議員の発一一一一口ではない。内閣官房長官を 最長期間 ( 三年半 ) 務めた上での告白である。 自ら資格がないと吐露した政治家が、いま総理 の椅子に座っている。同書で福田氏が語った外 交姿勢についても疑問を禁じ得ない。 「日本は外交を進める際に、背景に軍事力をチ ラつかせるようなことを一切せす、戦後一貫し てやってきました。他の国はそういうものも広 い意味での外交戦略の中に組み入れてきたし、 その点は日本が他の国と異なる部分です。日本 はその方法を取らないで、外交を進める上での ュ , , 、亠一番大きな影響力としてに力を入れた平 和戦略を推進してきました」 外交とは華麗な衣装を纏った軍事に他ならな い。ナポレオンはそう喝破したが、福田氏の認 識は違う。しかも対中外交に関して「環境の問 , 。、 ~ 、ン ) 題も協力が必要でしよう。こうした部分におい ては、円借款は終わったとしても、様々な形で 協力が必要です」とも語る。役割を終えたはす の対中は姿を変え、続きそうだ。 「中国と台湾ですが、それぞれがどうするか、 日本がとやかく一言うことではないんです」「中 号 国が台湾に対してあそこまで神経質になるとい月 うことを考えると、台湾はそれ以上に慎重に対年 成 応すべきだと私は思います」 平 台湾派と目された御父君 ( 福田赳夫 ) は、ど う思うだろうか。ここには、安倍内閣 ( 麻生外 6 4

9. 正論 2008年10月号

ニコと答えているうちに、機嫌のよているだけで、別に悪気はないのの ? 」と人だかりになる。最初はか さは店中に充満する。たとえそれがだ。その結果、人と人との間に摩擦らかわれていると思ったが、どうも が生じ、街のあちこちに不機嫌が澱皆、心底親切なだけらしい。贅沢と 演技でも、結構なことだと思う。 一方、長女は、日本人の笑顔を分んでいるが、それとて、すでに免疫は無縁の貧しい国。抜けるような青 析した。これをお愛想だけで心がこがあるらしく、私が感じるほど不快空。欺瞞ともサーヴィスとも縁のな には思っていない。ただし、このメい笑顔が、そこにあったのだった。 もっていないと批判したがるのがド ンタリティはサーヴィス業には極め ィッ人だ。しかし、長女は言う。 デモはなかったのか 「心なんてこもっていなくても、笑て不向きだ。ドイツが未だにサ 1 ヴ 顔はないよりはあったほうが百倍もイス砂漠と呼ばれている所以であ あらけんいち 阿羅健一 、し . し と。それを横で聞いていた次る。 ( 近現代史研究家 ) 女が、満面の笑みを浮かべながら、 十九歳の次女は、最近、中米から 「いらっしゃいませー / 」と日本の帰ってきたが、あちらは、アメリカ「まともな報道をしたらどうだ」。 店員の真似をした。確かにいい。笑とも日本ともドイツとも比較できなテレピの画面に向かって、おもわず ) 私は声を上げてしまった。 顔は相手に対する思いやり、人と人い不思議な空間だったらしい。とし この春、チベットで反乱が起こっ との間で潤滑油の役割を果たす。 うのも、機嫌のよくなる理由など何 たとき、中国政府の弾圧に対する抗 ただ、ドイツ人のために弁明すれもないほど貧しい人々が、果てしな ば、彼らは無愛想ではあるが、不親く機嫌よく暮らしているという。道議デモが世界各国で起こった。パ リ、ロンドン、ロサンゼルス。それ 切なわけではない。「可笑しくも楽で立ち止まると、あっという間に 「どうしたの ? 、「何か困ってるから数か月、北京でオリンピック開 しくもないのに笑えるか / 」と思っ

10. 正論 2008年10月号

だったかな ? ) の研究員を辞して以来、一年と半年ほどの期利益を念頭に置く態度が思考の幅を狭くする。一つ、あるい は二つ上の世代のために年金を捧げる。その姿勢を見た僕よ 間に僕は三冊ほど本を書いた。美術論文や映画批評、随筆な り下の世代が、同じようにしてくれれば、僕が老人になった ど、雑誌などからの原稿依頼も毎月のようにある。駆け出し ときも安泰 : ・・ : という仕組みはどうだろうか。まあ、これも の文筆家としてはまずまずの仕事量、と傍目には思えるらし また、いかにも孤独な無職一一十六歳が考えそうな理想論であ い。が、実情はまったく違う。さして明るくはない。大きな 収入は各種税金の支払い、奨学金の返済、国民健康保険、年り、全うな経済の専門家の方々などからすれば一笑に付され 金の掛け金 : ・ : ・などのために用意した口座に置かれ、それぞてもおかしくない 大きな収入の用途はだいたい右のようであり、多少余れば れの機関によって引き落とされる。その金額が月々いくらな 目の飛び出そうなほど高級なフランス料理を父母にご馳走し のか、僕は知らない。それなりの数字だろうと思っている。 たり、高額で手が出なかった書籍をここぞとばかり山のよう 思っているだけで確認しないので、ます不足ないであろうま に買い込んだりする。貯金という概念は僕にない。印税以外 とまった金額を年に一、二回、ポンと入れておく。拙著「ネ ットカフェ難民、を世に出したとき、新聞だかテレビだか忘の原稿料などの小さな収入は、知らぬ間に振り込まれ、知ら れたが、取材を受けた。記者氏に、お前は、基本は日雇い労ぬ間に消えていく。消え方に計画性はない。欲しい本があれ ばすぐ買うし、見たい映画、美術展があればすぐさま見に行 働者なのだから、どうせ年金も税金も払っていないだろう、 な や く。僕は貧乏だが吝嗇ではない。今は薄っぺらな財布だが、 というようなことを言われて、むっとしたことがある。間違 っている。こんな身分だからこそ、払うべきものはしつかり少しでも膨らんでいて、かっコーヒ 1 が飲みたいと街中で思 い立ったとしたら、節約して缶コーヒーなどとは決して言わも と払わねばならない。年金間題が取りざたされる際によく耳 にする「将来の年金に対する不安」であるが、僕からすればず、一〇〇〇円でもいいので、おいしいコーヒ 1 を飲もうと民 噴飯物である。ばかばかしい。数十年後、僕が年金を貰えるする。金額は所詮数字でしかない。数字は物質にあてがわれ た多くの意味の一つを表徴する記号でしかない。見えない意カ か否かはさしたる懸案事項ではない。貰えなくともかまわな 。僕には祖母がある。僕を愛してくれた僕の祖母が年金で味、不可視の価値を求めて、僕は生きてきたし、これからも〉 9 生活をしている。彼女のために僕は年金を払う。そう考えてそうしようと考えている。 などと偉そうなことを言っても現在の所持金が三〇〇円程 いる。あるいは定年間際の父のために。それでいい。自己の