って規制され、資本は政府と中央銀行によって管理され、自 経済学者は、市場経済は、あたかも宙に浮いた、それ自体 然資源も取引規制の対象となり、また政府によって一定の範で完結した運動体であるかのように見なしているが、むろ 囲内で管理されていたのである。 ん、現実にはそうではない。市場経済は、決して宙に浮いた 「構造改革」とは、この意味での規制や管理を撤廃しようと システムなのではなく、あくまで、「社会」によって支えら するものであった。生産要素を市場化することで、自由に流れ、「政治」によって、一定の方向へ誘導されているものな 動化することがその目的であった。生産活動によって生産物のである。 を作り出すことで、というよりも、生産要素を流動化するこ 先ほど、生産要素として、労働、資本、自然資源をあげた とによって、そこに直接、利潤機会を生み出そうとしたのでが、とりわけ重要な意味をもつものは労働であり、労働は、 ある。 「社会」によって、一定の質をもった経済的要素へと変成さ かくして、確かに、労働市場は流動化した。その結果が、 れてゆく。一人の人間が一人前の労働者になるには、教育、 フリータ 1 や派遣労働である。言い換えれば、搾取労働によ人間関係、家族、マスコミ ( 情報 ) 、職業訓練、企業組織、 って、低賃金と労働強化によって利潤を確保する、という方医療、福祉、こうしたものが不可分に関与してくるのであ る。 向である。また、資本の規制をはすす金融自由化は、確か に、グローバルな金融市場においてきわめて流動的な資本を 労働者の「再生産には、安定した食糧、一定の人間関 作り出した。しかし、それが各所でバブルを引き起こし、金係、確実な医療、将来の不安を除去する福祉 ( 失業保険や年 融市場の不安定をもたらしているのである。さらに、自然資金 ) がなければならない。 また、勤労意欲を確保するには、 源の市場化は、土地バブルを引き起こし、原油などの資源の過度の平等は不適切だが、過度の格差もまた適切ではない。 商品先物市場でバブル的高騰を引き起こしている。労働者のこの種の条件を確保するのは「政治」の責任であり、「政治」 基礎的生活に資するという意味では、食料も同様である。こ の主導によって「社会」は安定する。「社会」の安定がなけ これ れらは、本来は、十分に市場化されず、供給や価格が安定しれば、労働者を市場競争へと編入することはできない。 た形で管理されているはすのものなのである。 が現実の経済なのである。 ここで生じたことは何か。それは、市場経済を支える土台 「構造改革」とは、ポジティヴにいえば、これまで手をつけ であるはずの「社会」がきわめて脆弱になった、ということてこなかった生産要素を市場化することで、そこに新たな利 である。 潤機会を生み出そうとするものだが、ネガティヴにいえば、 ノ 06
止、学校に宗教家を招くことの禁止なるのは必定であることから「神道指令は教文化資源課の折衝は詳らかにできない 2 ど、五項目にわたって指示したもの。 宗教上の目的のための宗教団体への訪問が、最終的には両課の間に妥協が成り、 その第一項には「国立または公立学校を禁止しているが、歴史や優れた芸術をその合意した結論が本通達なのである。 が主催して神社、仏閣、教会を訪間する学ぶための学校主催の訪間は許されてもこれは六項目から成るが、最も重要なの ことは右の指令に違反するから禁止されよいのではないか」とか、「京都・奈良は第一項の「国立または公立の学校が主 る。学校が主催して訪問するということの旅客業組合は、その政策が貫徹される催して、神社、寺院、教会その他の宗教 の意味は、教師あるいは校長が引率あるならば、利潤を学校の児童たちのサ 1 ビ施設を訪問することについて」であろ いは参加すると否とを問わす、学校で計スに依存している旅館・土産物店などのう。 画して団体で訪間すること、または個々業者は破産してしまうと主張している」 そこでは「学校が主催して、礼拝や宗 の生徒、児童が学校あるいは教師から課とか、繰り返し訴えたのである。 教的儀式、祭典に参加する目的をもっ せられて神社、仏閣、または教会等を訪一方、同じに属しながらも、修て、神社、寺院、教会その他の宗教的施 問すること」とある。 身教育が停止されたことによる宗教教育設を訪問してはならない」が、「国宝や 見れば分かるように、どのような目的の意義を認め、その推進に積極的であっ文化財を研究したり、あるいは、その他 であれ、どのような形式であれ、国公立た教育課は、厳格な政教分離を主張するの文化上の目的をもって」これら宗教的 学校が主催する宗教施設の訪問は全面的宗教文化資源課に批判的であり、同課の施設を訪間することは一定の条件の下で に禁止されたわけで、各方面に大きな衝課長補佐であった・ o ・トレーナー認められるとしている。その条件は四つ 撃を与え、発令直後から照会や陳情が相は、ニュ 1 ヨーク市の修学旅行で生徒たあるが、政教分離に直接関係するのはそ 次いだ。その窓口となったのが当事者たちが「しばしば聖ヨハネ大聖堂を訪れのうちの三項目で、①児童・生徒への訪 る文部省である。 る」米国の事例を引き合いにしつつ、 問の強要、②当該宗教的施設の儀式・祭 その主たるポイントは修学旅行であつ「国家と宗教の完全な分離がありえ、ま典への参加、③教師・指導者の命令によ た。我が国の歴史・文化を実地見学によた教育の内部における完全な分離が存在る敬礼その他の儀礼を行なわないという って学ぶことに意義がある修学旅行で、しうる」と考える宗教文化資源課の見解ものである。 神社や寺院などをその対象から外すことを「誤った仮定だ」とまで決めつけた。 これはの宗教政策において画期 はその意味をほとんど失わせることにな文部省側の考えに同調する教育課と宗的なことであった。なぜなら、指令の発
表現を盛り込んでおり、日本と韓国の主て』との表現が、『竹島への理解』にかの二点を書くよう促すことで、 " 実利。 かっている。事実関係をしつかりと教えは取っているようにも見える。 張を同列に教えなければならないように だが、解説書は学習指導要領の意味を た上で、我が国の領土であると教えると も読める。これまでの教科書検定では、 解説するためのものだ。解説書の文意を いう意味だ」と説明する。 「日韓両国が領有権を主張する」と申請 された教科書記述に対し、「日本領であ解説書が婉曲的な表現になっている背理解するために、政府見解を記した外務 ることが読み取れない」と書き換えを求景には、韓国への配慮がある。政府は解省の「解説」を読む必要が生じるので 説書公表直後の記者会見で、公式に認めは、本来の体を成していない。学校現場 めているのに、矛盾が生しかねない 文科省の公式的な説明はこうだ。「『我ている。渡海紀三朗文科相 ( 当時、以下や教科書執筆者の混乱を招くだけではな が国が正当に主張している立場に基づい略 ) は「領土について学校で正しく理解いか そもそも、日本側が外交的配慮をしょ て』と前段で説明している。我が国の立を深めさせることが終始、一番大事だと 場は外務省のホームページに出ているか思「て取り組んだ。 ( 韓国、の ) 配慮がうとしまいと、一言でも書けば、韓国が裏 ら自明だ」。文科省は政府見解の意味をなか 0 たかと言えば、政府全体でこうい猛反発することは容易に予想がつく。実 し 許 積極的に定義したがらないが、端的に要う判断をした。総合的な判断だ」。町村際、解説書が公表されると、韓国は駐日 を 約すれば、「竹島は我が国固有の領土で信孝官房長官は「日韓関係への配慮とい大使を一時的に引き揚げた。今回の " 騒 うか、できるだけギクシャクしないよう動。には関係ない学校レベルの文化交流干 あり、韓国に不法占拠されている」とい うことになる。また、文科省は「『我がにしたい日本政府の意図の表れだ」と述イベントも、全国で続々と中止にな「内 た。表面的な配慮は自己満足に過ぎな国 べている。 国が正当に主張している立場に基づい て 。領土間題は外交案件だろうが、その っ ある文科省幹部は「竹島を解説書に書 ぐ ト田博士昭和年 ( 1975 年 め く。さらに、教科書に書ける形の記述と教育については内政問題ではないだろう を 熊本市生まれ。上智大学経済学部卒業後、 する。その上で、韓国との摩擦を最低限か。 述 産経新聞社に入社。整理部 ( 硬派面、地域 に抑えるようにする。この三点を心がけ 島 版 ) 、千葉総局 ( 県警キャップ、県政キャ 竹 た」と話す。確かに、政府は韓国側に対■見送られた尖閣 ップ ) を経て社会部に異動。文部科学省を 7 して「配慮した」とアピ 1 ルする一方、 担当して 3 年が経つ。 教科書には日本領であることと不法占拠中学解説書をめぐっては、尖閣諸島の幻 三ⅱ
ただし、東京裁判はこれらの道義的な問題ないし道徳的罪を ほど非難してもし過ぎることはない。当然、その道義的罪は 裁く場ではなく、仮に残虐行為や非人道的行為があったとし重い〉 ( 『パ 1 ル判事』 ) 。 ても、東京裁判の被告らはそれに対する作為・不作為に関す 東京裁判の級戦犯は「平和に対する罪」「人道に対する る「法的責任」がないと主張しているだけである。論点を法罪」は犯さなかったかもしれないが、日本軍は南京事件やバ 律論に縮小したり、無謬論を展開しているわけでもない。 タ 1 ン死の行進などの「厳密なる意味における戦争犯罪 . は 中島氏カノ ゞ、。、 1 ルは〈「無罪、についても「刑事上無罪 犯した。パールは級戦犯のそれに対する作為・不作為の という主張であって、「道義的に無罪」とは主張していませ「刑事上の罪、がないことを主張はしたが、それら戦争犯罪 ん〉 ( 『問い直す』 ) とする根拠は、パ 1 ルが『判決書』の中の道義的罪の重さについては繰り返し指摘したのであって、 で事後法だと言って退けたのは「平和に対する罪」「人道にその意味で『パール判決書』を道義的な意味を含めた無罪論 対する罪」であって、「厳密なる意味における戦争犯罪」は と読むことはミスリ 1 ディングである。いや、むしろ道義的 俎上に上げ、この「厳密なる意味における戦争犯罪」を裁く に有罪であることを指摘したものであり、その意味で日本が ことこそが『パール判決書』の〈本来の「判決書」としての少なくとも道義的には「犯罪国家、であると指弾したもので 意味を持っ部分である〉 ( 『パール判事』 ) と理解しているかある。『パール判決書』の真骨頂はここにこそあるのであり、 らである。『パール判決書』の構成を無視した奇妙な理解でそこを誤解してはならない。 このように中島氏は主張してい あるが、実は中島氏の『パール判事』はこのことを主張する るのである。しかし、果たしてそうであろうか。 ためにこそ書かれたと言っても過言ではないものである。中 林氏が既に『パ 1 ル真論』第十章で指摘しているよう 島氏は述べている。 に、中島氏が「過ち」「悪事」「鬼畜のような性格」という言 〈パールは、検察が提示した起訴内容のすべてについて、 葉を引用した元の『パ 1 ル判決書』の原文にはその後に「し 「無罪」という結論を出した。しかし、これはあくまで国際かし」「しかしながら」などの否定語が続く。さらに南京事 法上の刑事責任において「無罪。であるということを主張し 件については戦時プロバガンダの可能性を示唆し、バターン ただけで、日本の道義的責任までも「無罪 , としたわけでは死の後進については予想外に敵兵が降服し捕虜が増えすぎた ない。 / パールがこの意見書で何度も繰り返したように、日 こと、捕虜に対する日本と外国との観念の違いなどを指摘し 本の為政者はさまざまな「過ち」を犯し、「悪事。を行った。 て理解さえ示している。その上でさらに被告らは「刑事上無 また、アジア各地では残虐行為を繰り返し、多大な被害を与罪」だと言っているのである。『パール判決書』を、先入観 えた。その行為は「鬼畜のような性格、をもっており、どれを排して読む限り「その道義的罪は重いという結論は導き
た。あるいは、 = 一島の関心はより大きな選択に向けられてゐ思想である。その思想を日本人が共有できるかどうかの検討 て、岸であらうと池田であらうと、いづれにせよ日本は「沈はひとまづ措くとして、昭和三十年代後半の三島由紀夫が、 滞したふしぎな時代」を迎へるほかないと諦観してゐたのか手垢にまみれた平和主義とは異なる、危ふい魅力に満ちた 「天下泰平の思想」を模索してゐる点は注目に値する。それ もしれない。しかしさういった粗い諦観は、しばしばニヒリ は、ニヒリズムからの脱却のための歩みにほかならなかっ ズムに転化する。その意味で、三島が自らを「ニヒリスト」 と規定してみせたのは、知的には誠実であった。 しかし、ニヒリストであることが、あるいは自らをニヒリ ストと規定して冷笑してみせることが、この作家には、次第三島由紀夫の不易 に堪へられなくなっていく。そして、「危険な思想」、すなは 三島の転機が昭和三十年代半ばであったことは疑ひない ち「覚悟」を自ら積極的に引き受けようとするやうになる。 この「天下泰平の思想」といふェッセイには、昭和四十年代しかしそれは突然の変化、本質に関はる変化といふものでは なかった。ものを書き始めたときから、この作家の本質は変 に顕現されることとなる三島自身の思想と行動のエッセンス が、あちこちに巧まずして表現されてもゐる。以前の三島はってはゐない。同じことを描き続けてゐる。一枚一枚べー ルを剥いでいくやうに、自らの「本質を明らかにしていっ は、『鏡子の家』の登場人物さながらに、欠伸を噛み殺し、 行き先も決めずに徘徊してゐた。画家の感受性も、拳闘家のたといふべきだらう。 その意味で、昭和三十五年に執筆し、三十六年に発表した 行動も、俳優の自意識も、サラリーマンの処世術も、すべて の が三島自身のものであった。しかし四年後のエッセイでこの『憂国』は、興味深い作品である。美しい妻を娶ったばかり の青年将校は、そのことが斟酌されたか、同志による二・二 作家が前面に押し出すのは「死の衝動、に対する明確な意思 である。しかもそれは、『仮面の告白』や『金閣寺』で扱は六蹶起を伝、られなかった。そればかりか、討伐隊に加、ら由 れた私的な感覚ーー「死、の憧憬」とはかなり異なってゐれるにいたって、彼は自裁を決意し、妻と交はった後に古式 こ自害存 に則り切腹をして果てる。若妻も夫の死を見届けた後。 る。思想としての死であり、思想である以上それは、私的な するーーという物語は、作者自身が言ふやうに「喜劇でも悲田 世界において耽溺する対象ではなく、他者と共有するもの、 ・一一六事件と 3 他者に対して共有を働きかけるもの、といふことになる。 = 一劇でもない、一篇の至福の物語であった」 ( 三 0 3 島が他者に対して共有を求めてゐるのは危険な魅惑に満ちた
一月十四日、初等中等教育局の担当官かなっていなかった。そのために、たとえうした理解でよろしいでしようか」と続 ば、東京都教育委員会では「学校からのけて問うたのに対し、渡海文科相は「文 ら次のような回答があった。 そこでは、ます本通達は「講和・独立問い合わせがないため、実際の効力はな化的意味とかそういった意味で行うこと は禁止してはいないと理解している旨 いのでは」という曖昧な認識は持ってい に伴い既に失効している事項も含まれて たものの、「失効は把握していなかった」述べた。この答弁は、靖国神社など戦没 いる」とした上で、「学校が主催して、 靖国神社及び主として戦没者を祀った神という ( 「産経新聞、平二〇・三・一四 ) 。者を祀った神社に対して一貫して冷淡な こうした事情を考慮して衛藤晟一参院姿勢をとり続けてきた後の文教行政の 社を訪間してはならないという一節は、 既に失効している。現在地方教育委員会議員 ( 自民党 ) は、三月一一十七日の参議責任者の答弁としては画期的なものと言 から照会があった場合は、文部科学省の院文教科学委員会において本通達に関すえよう。 公式見解として『既に失効している』とる総括的な質疑を行った。ます、衛藤議もう一つ重要な点は、「特定の宗教を 答えることにしている」と明確に述べ、員が靖国神社や護国神社などへの訪問を援助したりすること」は「もちろん禁止止 「学校において、行事の訪間先を判断す禁止する間題の一節が失効しているのかされておる」としても、逆に「批判、圧間 る際に、主として戦没者を祀った神社を否かをあらためて質したところ、渡海紀迫したりする」ことなどは「好ましくな いと考えますが、どうでしようか」とい 三朗文科相は「この通達は戦後の特殊な 他の神社と異なる扱いをする必要はない 状況の下で作成されたものでありましう質問に対する回答である。これは、昭亡 と考える」と結論づけている。 この点は教育長も確認し、その旨を本て、現在において靖国神社等について他和五十一一年七月の津地鎮祭訴訟最高裁判 決が憲法の政教分離規定を解釈する法理 年一一月の県議会で答弁しているので、本の神社と異なる扱いにする理由はなく、 き 件は長崎県では決着がつけられたわけだ靖国神社等の取り扱いについては既に失として初めて提示した「目的効果基準」 ーー国や公共団体が宗教と関わる行為のつ が、全国レベルでの解決とはなっていな効しているというふうに考えている」と 目的が宗教的意義を有さず、その効果がを というのも、さきほどの文部科学省はっきり答えている。 そこで「失効しているとすれば、学校宗教に対する援助、助長、促進又は圧育 の回答ではこの通達の「失効」を明示すべ き「このような趣旨の文書は出していなが主催して、靖国神社、護国神社を訪問迫、干渉にならないならば、憲法が禁止 を念幻 い」ので、他の自治体の知るところとはしてもよいということになりますが、そする宗教的活動には該当しない
八木氏は、最近のパール判決をめぐるヤ 1 ターそのものを否定することはでき題、に集約的に現れている。この部分が 論争が気になるようだが、私が気になるない。なぜなら、自らを判事として任命最も晦渋で分かりにくいのはそのためだ。 した法的根拠を否定することになるからしかし、自分が何ごとかを述べるために のは、八木氏の次のような指摘である。 、パールはこのチャータチャーターを肯定しつつ、そのチャータ 〈パ 1 ルは思想家や学者としてあの「判である。そこで 1 の核心は否定するという法理は構成し 1 に記載されている中心的内容を否定し 決」を書いたのではない。あくまで裁判 ゞこ ) 。ムよ、パールがこの微妙な試み 官として書いたのである〉〈「判決 , を書ながら、チャーターそのものは肯定してカオ不。 に成功しているとはとても思えない くに当たって、あからさまに道徳論や政自分の立場を守らねばならないという、 しかしパ 1 ルはそんなことは百も承知 きわめて矛盾に満ちた試みを行わねばな 治論を展開したのでは「判決」ではなく、 で、あるいは自分の専門であるヒンドウ 文字通りの政治文書となってしまう >< パらなかったのである。 1 のダルマ ( 法 ) の普遍性を信じる故 1 ルは努めて禁欲的に、条約と国際慣習日暮吉延氏の『東京裁判の国際関係』 に、欧米の法廷を演出した政治的制裁に の総称としての「国際法」に依拠して法が明らかにしているように、正式に独立 していないインドから判事を呼ぶという対し、同じ法理をまとった政治的抗議を 律論を展開したのである。要するにパ 1 ルは「判事」として「判決」を書いたと話が最初からあ「たわけではない。しか試みた。チャータ 1 を超えようとするパ し、国際世論を味方につけるためにも連 1 ルの「判決」はこの意味で「政治文 いうことなのである〉。ややトートロジ 1 合軍は植民地から判事を呼ぶという余裕当であり「思想」の表明なのである。 の嫌いはあるが、それはどうでもよい 私は、八木氏の主張は法理的に成り立たを示した。たぶん高を括「ていたのだろそうとらえたとき、初めてパ 1 ルの『判 う。事実、パ 1 ルの立場は本国インドで決』の意味が読み取れ、また、彼の勇気 ないのではないかと疑っているのだ。 ます、パールは極東軍事裁判の判事にも孤立していて、連合国と軋轢を生む行ある試みの意義があきらかになる。 私はこのように考えてきたのだが、八一 任命されたわけだが、この任命は極東軍為は好ましいとされていなかった。こう 寸 した歴史的事実を踏まえてパ 1 ルの行動木氏はあくまで「判決」なのだという。 事裁判に先立って定められたチャータ 1 評 ( 憲章 ) を根拠にしてなされている。周を振り返れば、彼が孤独のなかでどのよということは「予備的法律間題、は法理 知のように、平和に対する罪などの事後うな決意を胸に欧米列強に一撃を与えよ的に成立するということなのか。その理論 由を法学者である八木氏に教えていただ うとしていたかは想像に難くない 法的な項目は、すでにこのチャ 1 ターに 、パールはチ彼の苦闘は『判決』の「予備的法律間きたく、ここに愚考を記してみた。 記載されていた。とはいえ
ゞヾールの言わんとしたこ生運動をやっていたほどの愚か者が何を言っていると、延々 でに矛盾に満ちている」というのカノ ということになる。現に九・一一テロ以 とであり、そこに大東亜戦争批判や日本人批判の意図は特にあげつらってもいい 降、アメリカ批判をした西部に対して親米保守が一斉にその こもっていないのである。 ような誹謗中傷をした。わしは西部を守るため、過去をあげ それをわざわざ西部は、中島本の情報操作そのままに発言 している。嘘は百篇繰り返せという魂胆なら実に悪質であつらうことに意味はないと主張し続けたのだが、あれは何の ためだったのだろうか ? る。仮に西部が本当に原著の『平和の宣言』しか読んでおら パールが理想主義者・平和主義者であることくらいは、誰 す、復刊の巻頭のわしの解説を読んでいなかったとしたら、 にでもわかることである。そして、それが破綻しているだ 西部はもはや前後の文脈を読み取る国語力も喪失してしまっ の、保守思想とは相容れないだのとあえて言わないのは、そ たということにしかならない 西部・中島が本の三割以上も使って『平和の宣言』を批判んな大人気ないことを言う必要がないからである。誰も「絶 したのは、本誌一月号の西部論文の第二の論点、すなわち対平和主義者」の活動をパールの業績として評価しているの 「パールは絶対平和主義、世界連邦主義という左翼思想の持ではない。東京裁判のど真ん中に入り込んで「日本は無罪で ある」という判決を下したことを評価しているのだ。マッカ実 ち主で、そんな人物を自称保守派が評価するのはおかしい、 ーサ 1 独裁の下でそれをやることは、命がけと言ってもいし不 という主張を繰り返すためである。しかしこの論点について 的 知 もわしは本誌一一月号で論破している。戦後七年という時代背ほど大変なことだったのである。 の ち 西部は「ここで自称保守派には、『あなた方が法律論をふ 景を無視して批判すること自体が無意味で、「歴史的パース りかざすのであれば、パ 1 ルが判事を引き受けたこと自体 者 ペクテイプ , を欠いた行為なのだと。 が、東京裁判を全否定などしていない証拠だ。あるいは不法学 にもかかわらす西部は「パールの思想が、保守派には明ら かに認め難い」とあげつらい、「平和主義者を毛嫌いしてきの東京裁判で判事を引き受けたパールは、法律家としては間め た反左翼、自称保守派の陣営が、平和主義者パ 1 ルを見て見題だ』と一一『〔、言っておきます」とまたもや的外れな批判をを 意 している。 ぬふりをするというのは思想的なごまかしです」と論難し、 この左翼に先祖がえりした詐称保守派は、東京裁判判事と書 パールの発言をこと細かく批判していく。 判 いう立場でマッカーサー及び東京裁判と戦うことこそが、最 確かに現在から見れば、パ 1 ルの平和主義は明らかに破綻 ル も過激な戦い方であるということに、考えが及ばないらし しているが、時代背景無視でそれをあげつらい、得意満面に 。東京裁判判事が東京裁判を全否定する判決文を書くとい なることに何の意味があるのか ? そんなことが許されるな くら外から 5 ら、西部邁はたかが左翼の学生運動家だったではないか、学うことのすさまじさに、思いが至らないのだ。い
バランスが大切だと言いたいのだ。 応できすにアップアップしているのが現状なのだ。 「格差」についていえば、認めるべき差と認めるべきではな 従って、日本が立ち戻るべきは、自力で経済発展を遂げた い差の線引きをはっきりと認識すべきである。冒頭にも触れ 戦前の経営理念である。そして迂遠なようだが、学校教育や たが、「格差」の全てが悪いのではない。個人の能力に差が 家庭教育のあり方を根本から見直すべきである。 いわゆる「ゆとり教育、が失敗に終わったことは今更論じあるのは当然であり、足の速い子も遅い子も一緒に手をつな いでゴ 1 ルさせる日教組教育のような悪平等には、はっきり るまでもないが、かといって受験中心の詰め込み教育に戻ろ 丿 1 ダ 1 を育てる人間学中心のエリ 1 ト教ノーを言うべきだ。格差是正の名の下に意欲も能力もない社 うとは思わない 1 育が必要だし、その一方で、より実践的なスキルを身につけ員の待遇まで平等にしろというのなら、それこそ「精神的カ ルタゴに毒されていると言わざるを得ない る実学が不可欠だ。 だが逆に、意欲も能力もあるのに非正規雇用のまま報われ そして、経営の心構えにしても将来の人材育成にしても、 ない若者たちが大勢いるとしたら、悪しき格差であると素直 国家のためにという大前提を忘れてはならない 言うまでもなく、国家は領土を保全し、国民の生命を守に認めて是正しなければならない 繰り返しになるが、鍵になるのは「国家のために」という り、国民が働いて得た利益を守る。故に国民は国家に奉仕 し、企業も国家発展の責務を負う。戦前の日本人は、誰もが意識である。大企業の経営トップであれこれから社会に出より そのことを無意識のうちに心得ていた。技術的なことは西洋うとする学生であれ、何らかの行動をする、あるいはしない すなわち和魂洋という選択をする時、それが自分の利益のためだけなのか、復 から学んでも、精神は日本的なものでいく、 それとも国家にも利益のあることなのかを常に念頭において営 才である。 的 いれば、ます道を誤ることはない。 ところがの「精神的カルタゴにより、和魂が消え 本 日 孔子日く、「いやしくも仁に志せば、悪無きなり」と。 去ってしまった。戦後民主主義教育は「個の尊厳 , と「人権 仁という字は、「人、が「 ll- 人いると書く。人間は一人鍵 の尊重」を金科玉条とし、学校も家庭も地域社会も「個」の 大切さばかりを教えた。一方で「公」の概念は置き去りにさでは生きられない、だから真心を尽くせという教えである。生 5 れ、「個」だけが強調される世の中になってしまった。「個のその人間が集まって企業をつくり、さらに集まって国家をつ くる。その意味するところをよくよく考えるべきであろう。 尊厳 , が間違いだと言いたいのではない。「個 , と「公」の
均気温なる示準があるが、例えばある日の平均気温が三二度金銭という度合いをもってして、安楽までの程度を計る。す ると、たちどころに長短強弱優劣が判別つくようになる。現 だとして、はたしてその数値を実直に体感する人はどれほど あるだろう。電車でも会社でも店でも冷房は効いている。日況の自分が安心安全の地にいるか否かがわかる。「わかる」 という行為は、比較可能な対象の存在を意味する。オレの年 差しに曝されて歩く時間などたかが知れている。そんな人間 の一日に体感する温度の平均が、三二度という高温であるは収は五百万、アイツは二百万、よし、オレはアイツよりは大 : これが比較によって得られる安穏の仕組みであ すはない。実際に測定してみたらおもしろいかもしれないが丈夫だな : る。格差社会を論じるほとんどすべての思考は、この比較と : つまり、夏が暑いのではなく、暑いと感じる瞬間を避け いう仕組みに準じている。 ようとするあまり、遭遇時の感覚がかえって暑さを助長する であるならば、格差社会に終止符を打つのはひどく簡単で のである。夏という自然に真っ向から向き合おうとしない態 度が、よりいっそう暑さを、暑さに感じる嫌悪を、増幅せしある。比較をやめればよい。数値を基準とせす、自他を物差 しにあてす、ただ単純に個々の有り様をそのまま認めようと めるのである・ : ・ : などと書いてみたが、所詮はクーラ 1 すら すれば、格差は消失する。比較をしなければ、差分も産まれ 手に入れられない無職貧乏人の戯言である。 : 人は苦難より安ようがなく、文字通り格差は解消する : : : が、これはあまり 苦しい暑さよりも快適な涼しさがいい : 逸を望む。平安を手に入れるべく、皆努力する。安寧は不可にも理想論に傾いている。他人と自分を比べすに生きられる ほど、人間は賢くないし、愚かでもない ( 比べる行為には、 視の概念である。見えないゴールは不安を呼ぶ。自分がどこ . な まで進んだのか、これからどう進むべきなのか、わからなく自分の劣る部分を知る意味もあり、その点においては建設的や な所業である ) 。ならばどうするか。考えられる一つの手段し なるからだ。したがって、先行きと現状とを少しでも明瞭に すべく、ゴールまでの道筋にわかりやすさを求めるべく、人としては、物差しの種類を増やすことである。比較のためのも 基準となる媒体を、金銭以外に求めることである。格差が持民 は基準値を欲する。一番わかりよい物差しは、金銭である。 工 つ「差の意味をより広範な切り口で思考することである。 フ 川崎昌平氏昭和浦 ( 1981 ) 年、埼玉県生まれ。東京芸術 カ 大学大学院修了。日雇い労働に従事し、ネットカフェで寝泊まりし ながら執筆活動を続ける。著書に『知識無用の芸術鑑賞』『ネットそのニ : : : 貧乏ということ。 ネ カフェ難民』 ( 幻冬舎新書 ) 『若者はなぜ正社員になれないのか』 ( ちくま新書 ) など。 思うにわれわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三あ月