のグロ 1 バル・スタンダードだったと書いた。当時を生きた運動家が完全に論破された主張を平然と繰り返すのと全く同 人間・パールが、当時の道徳・慣習をも含んだ国際法によっ じ態度であり、堕落した知識人というものは、こうまで醜悪 て判断した結果であり、道徳的にも常識的にも、これが当時を晒すのかとっくづく幻滅した。 のレーレよ」っこ。 産経新聞八月十一一日付の「正論」欄に、新保祐司氏が見事 西部は外国人の視点になど頼らす、日本人が自前の歴史をな一文を書いている。江藤淳が発掘した吉田満の『戦艦大和 書くべきだと言いたがる。それがわしの『戦争論』のよう ノ最後』の初稿では、末尾の文章が「至烈ノ闘魂、至高の錬 に、吉田満や林房雄に連なるものなら良いのだが、最近の傾度、天下ニ恥ヂサル最期ナリ」となっていたという。小林秀 向は半藤一利や保阪正康がやるような「蛸壺史観ーに陥るば雄がこの初稿を読んだ感想が「大変正直な戦争経験談だと思 かりである。ひたすら日本の内部にだけ目を向け、なせ無謀って感心した」というものだったらしい。「敗戦直後の『大 な戦争に至ったのか、誰が悪かったのかと内部の「犯人探変正直な戦争体験談』からの言葉は、『天下ニ恥ヂザル最期 し」に終始し、贖罪だ、反省だという話になっていく。西部ナリ』というものだったのである。」と新保氏は書いている。 自身がもうすっかり蛸壺にはまって、戦後民主主義史観で贖まさにこれがマッカーサーの啓蒙を排した日本人の歴史的道実 徳観であり、伝統精神だったとわしは確信する。 不 罪と反省を口にするようになってしまっているではないか。 自国の歴史を正確に理解するには、グローバルな視線は欠か 「パール判決書ーを読ますにパ 1 ルを語り、剰えパールを嘲知 の せない。その意味でも、『パール判決書』は日本にとって最り、ケルゼンの「純粋法学」も読まずにアンチョコで出鱈目 ち を語る西部・中島のお二人さんに「道徳」などという言葉を も大切な歴史文書なのである。 者 しかし中島はそれを読んでも理解できす、西部は老眼のせ口にする資格があるのか ? 日本人の道徳観に照らし、知識学 いか読むことすら諦めていて、ありとあらゆる的外れな罵倒人としての自らの不法な行為を反省し謝罪する構えがあるのめ か ? 間違いを間違いとして認めす、反省も謝罪もしない学を を繰り返した。それは彼らが戦後民主主義に洗脳された薄ら 者が、なんの資格で日本は反省し謝罪すべきと主張している意 サヨクに過ぎないからである。 のか ? まあ、この二人の議論は徹頭徹尾お付き合いのため書 他にも西部・中島は大量にインチキをしゃべっているが、 なのだから、伝統精神をかなぐり捨てて末永くお幸せにと言 それらは全て『パール真論』で論破したことの繰り返した。 判 ル 対談を行う前に、既に本誌論文や『』誌の連載でっておく他あるまいが ( 平成一一十年八月十五日、終戦の詔勅の日に記す ) わしが論破していた論点も、無視を決め込んで同じ主張を強 5 6 弁している。それは慰安婦間題や南京虐殺に関して、サヨク
「網走番外地で生まれ、北国のどんより刑された。四十八歳であった。著作の印うしてここに在るのだ。黒田和美は、そ した重苦しい空の下で育った、貧しい母税の多くは、被害者の遺族に渡されていの不在の悲しみをせめて照らすために、 明日も孤り歌おうというのか 子家庭の永山則夫にとって、人生は生きた。 るに価するものかどうか。疑わぬわけに 。いかなかったのだろう。田畑もなく、 八月の雨なほ若し蕭蕭と無知の涙に降 り注ぎつつ 生活保護を受けながら行商する母 : ・」。 「永山則夫は幸荘の六号室に住んでいた。 私もまた、。 へつの幸荘の六号室に住んで黒田和美は、時代の決して主役ではな七月一一十九日夜、下谷法昌寺に集まっ サプカルチャ 1 いたことがある。同じ北国に育ち、同じかった人々、その副次文化の創り手たちた君を慕う月光の会の仲間たちは、「ひ 母子家庭から家出をたくらみ」「ともすの行く末にこそ、六月の雨の挽歌を降らよっこりひょうたん島。を歌い、君に献 ると、こみあげてくる土着の付属物、津せたかったのである。それが、まるで自じた。「 ) だけどばくらは挫けない、泣 ごく自然くのはいやだ笑っちゃお : ・」。私はとい 軽弁、などをかくすために身なりはいっ分の役回りであるかのように、 もきちんとし、じぶんだけの近代化をおに。もう誰も、書きも歌いもしない主題えば、歌集『六月挽歌』に書いた解説の こたりなくする。かれと私の合い言葉を歌っていながら、この歌集がリアリテ一文を思い起こしていた。「庭の痩せた ィーをもつのはそのためである。 紫陽花が顔を寄せ合うように、六月の雨 は、脱出である」。 に打たれている。樺美智子も岸上大作も だが、永山則夫は、プルジョア的歴史 陽は昇る狂ひ損ねし日時計の悲しみ照大和屋竺も神代辰巳も一条さゆりも、み 観で自分を解明するなと抗議した ( 『反・ な寄って来い。荒野でロを開けるダッチ らすために明日も 寺山修司論』行年刊 ) 。論戦相手は一 ワイフのように誰一人、いまだ死んでは 九八三年五月四日、東京阿佐ヶ谷の河北 いないのだ」。 よくぞ歌ってくれたと思う。 病院で四十七歳で逝き、永山則夫は、 ( 釜ヶ崎で一条さゆりが死ぬ一一日前の ) あの時代を生きた多くの人々同様、私黒田和美よ、有難う / 一九九七年八月一日、東京拘置所内で処なども「狂い損ね」たからこそ、いまこ 796
をめぐり、従来の「ロシアに占拠されて韓国に反論しないのか。竹島に関するパ内で日韓外相会談が開かれた。韓国の柳 2 いる」との記述に「不法に」という三文ンフレットを今年 2 月に作成しておきな外交通商相は「深刻な憂慮」を表明。高 字を新たに追加した。「不法占拠」だとがら、行動が矛盾している」・ : 。外務省村外相は「日本が決めることだ」と切り 教えさせるのが狙いだ の姿勢に納得がいかない文科省は巻き返返した。 これは、一一週間後に公表される中学解しに入った。 翌九日には、サミットが開かれている 説書の竹島記述についても大きな意味を関係者によると、サミット開催直前に洞爺湖のホテルで福田首相と李大統領が 持っていた。①小学解説書で北方領土をなってようやく、高村外相、町村官房長会談した。公式的な会談ではなく、首脳 不法占拠と追加②中学解説書でも同様に官が竹島を解説書に書くことに同意した会議の合間に行われた短時間の「立ち 加筆③北方領土と差をつけられないのという。外遊から帰国した渡海文科相話」だった。李大統領は「深刻な憂慮」 で、中学解説書で竹島についても不法占も、熱心に説得工作に動いた。ただ、首を表明。福田首相は韓国側に理解を示し 拠と明記ーという " 一一一段論法。が成り立相官邸や外務省内には異論もあり、福田つつも、高村外相と同様、日本政府の考 つからだ。 首相の了解はまだ得られていないままだえ方を表明したが「かなりビビってしま 外務省はこの頃までに、文科省に「歴ったという。 った」 ( 関係者 ) という。 史認識と領土問題は韓国が気にするテ 1 「文科、外務、官邸の関係三閣僚が一致十一日午前、渡海文科相は閣議後の記 マだ。日韓関係が悪化してしまう」などしたのだから、首相は反対できないので者会見で「領土は国家の基本だ。教育現 と懸念を伝えている。「書かないでほしは」 場でしつかりと指導しなければならな い」と露骨に横やりを入れたこともあっ 「サミットに合わせて福田首相と李大統 と念押しした上で、「首相の総合的 たという。 領の会談が設定されれば、李大統領に恥判断に最後はなるだろう」と福田首相に だが、渡海文科相以下、文科省は嶺をかかせられない。見送られてしまうの釘を刺した。官邸内には明記に反対する 土問題を正しく教えたい、 という考えででは」 幹部もおり、福田首相に責任を負わせる まとまっていた。「韓国の方が先に指導この時点では一一通りの見方が交錯してことで、竹島の記述を余儀なくさせる狙 要領や教科書で竹島問題を書いている。 いがあったとみられる。 日本も書いて当然だ」「外務省は何故、 七月八日、サミットに合わせて札幌市同日夕には、渡海文科相が首相官邸に
士冗 いうのは契約的で、きわめて捉われな 「それなのに何故 ? 」という疑間への い関係ではあるけれども、主君を変え 答えを八木氏は「おわりに」で書いて いる。氏によれば、人が何かを信じるてゆこうという積極的要素は出てこ 三浦展著 という場合には二種類あって、一つはす、「無責任」であるのに対して、他 ベストセラーズ・七 0 五円 「自分の外にある事柄なり命題なりを方、「君、君たらすとも、臣、臣たら ざるべからず」という場合には、君臣 対象として信じる」場合、今一つは テレビのバラエティー番組などを見て 「対象を外にあるものとして信じるの関係を自分の宿命として引き受けてい いると、まるで「水商売の女か ? , と思 ではなく、自分が何ものかに信従するが故に、「どうしても主君を正しく うような、けばけばしい顔と服に包まれ る」「対象との間に人格的相互応答がしていかなければいけないという非常た女子大生が出てくる。まあ今どきの大 ある」場合である。この意味を私なり に強い能動的な態度に逆流していく」学生の価値なんて、戦前の小学生レベル と変わらない。何しろ、ゼイタクさえ言 わなければ、希望者全員が大学に入れる 八木・西尾両氏の決定的違いは何か 「全入時代」なのだ。学力では〃自信の ないみ大学は学生を早期に確保するため に解釈すれば、西尾氏の場合は、日本 ( 『忠誠と反逆』 ) と指摘した。分離可に、試 ( いわゆる一芸入試 ) や推 ヒじ の伝統・文化と天皇と自己の三者の切 ・離脱可能であるが故に手厳しく批薦入試の枠をどんどん増やし、お笑いタ 断が可能 ( そもそも別物 ? ) であるの判できてしまう西尾氏と、それを不可レントやスポーツ選手など、知名度の高 能であると感じるが故に臣下の責務と い人を客員教授にして、何とか、受験生 時に対して、八木氏の場合には三位一体 して強く諫言せざるを得ない八木氏。 という感覚の中で言論を展開してい に「来ていただく」しかない る、とい , っことになろ一つか 両氏の似かよった議論に秘められた本そんな〃下流大学〃の学生の多くは、 八木氏は自らを「草奔の臣。と呼ぶ質的な相違を感じとったが故に、竹田就職したところで、〃使える人材にな の が、西尾氏は「最近自分を『臣下』と氏は八木氏と論じ合うことができたのるハズがなかろう。企業の人事担当者時 呼ぶ言論人がいてアナクロにびつくりではなかろうか、というのが私の推測は、「高校生を採ったほうがよっぱどマ書 しています」と書いている。かって丸である。 冫とため息。極限まで大衆化した大学 9 山真男は「君、君たらざれば去る」と 3 皇學館大学教授新田均に鉄槌を下し、胸のすく一冊。 下流大学が日本を減ばす /
口一番、「格差」間題を提起し、こう語事力を増強するんですか ? 中国を攻め以前、取り上げた。安倍信三著『美しい る。 る国なんてないと思うけど」「なぜ衛星国へ」 ( 文春新書 ) も同欄や拙著『憲法 《物理の法則で考えれば、「差」というを落とす実験までしたり、戦略核や戦略九条は諸悪の根源』で詳論したので割愛 ものがなければエネルギーの放出はあり原潜を配備したりしなければならないのする。仮に同書を含めるなら、いまなお 得ないというのが第一原則です。気圧でだろうという疑問はありますね。そこまベスト新刊である。福田首相と衛藤征士 郎代議士との対談『一国は一人を以って あろうが、温度であろうが、そこにでいくと、中国は、日本を通り越して、 「差、があってこそエネルギ 1 が生じてアメリカと世界制覇を争うつもりなのか興り、一人を以って亡ぶ」 ( ベスト というようにさえ見えてしまいますーとセラーズ ) については今月号の同欄に譲 くる》 る。 リべラル増税陣営の格差論とは一線を苦言を呈することも忘れない 画したユニークな視点を提示する。先の中川代議士は「タ刊フジ」 ( 今年七月代わりに、東照一一著『言語学者が政治 小沢対談同様、率直な語り口にも好感を十八日付 ) の連載コラムで「加藤発一一一一口は家を丸裸にする』 ( 文藝春秋 ) の指摘を 朝鮮中央通信の解説のようだ」と題して紹介したい。《演説口調の「 5 あります」 持った。 ( 中略 ) の使用頻度が極端に少ない首相 《中川中国人ミリオネア毎月の住宅こう書いた。 《自民党の加藤紘一元幹事長がテレビ番が一人だけいる。それが安倍だ。その使ち ロ 1 ン支払いに追われている資産のない 日本の政治家との対談、というサプタイ組で、北朝鮮から帰国した拉致被害者に用率はほんの六 % にすぎない。歴代首相値 ついて「北に返すべきだった」などと発の平均が四三 % であることを勘案する トルでも付けてもらわないと ( 笑 ) 。 宋そんなこと本当に書いてもいいん言したことに、日本中から批判が殺到しと、異常に少ない》等々、政治家の言葉候 ているそうだが、私も看過できない》 ですか ( 笑 ) 。 を独自の視点で分析する。後藤田本と違総 、同書の安倍批判は傾聴に値する。 この連載を含む中川氏の最新刊『日本 中川それはぜひとも書いていただき たいなあ》 を守るために日本人が考えておくべきこ《安倍の演説は、「 5 します」の使用頻み ら 両者が褒め合う、ありがちな対談本でと』研究所 ) が近日発売される。度で歴代一位であるだけではない。カタ はない。中国出身の宋氏に「今、日本に今から加藤氏の反応が楽しみだ。その加カナ語の使用頻度でも歴代一位なのだ。 作 とって一番の脅威は、なんといっても中藤氏の著書『強いリべラル』 ( 文藝春秋 ) ( 中略 ) 「美しい国、日本 , を築くことを著 国ですよ」「だいたい中国は、なんで軍については本誌連載「クロスライン」で主張する安倍が、日本語を捨てて、意味 9
に答へて東京裁判史観を肯定するやうなことも言った。日本 底抜けに楽天的な思考に私はただただ驚くのである。西尾は の外務省の代表見解ともいへる、進歩主義的反日的思想の持 書いてゐる。 主であることは紛れもない 失礼ながらご結婚後の殿下は妃殿下に台詞をつけられてゐ 雅子妃の父親である小和田恒が「進歩主義的反日的思想の るやうな気がしてならない。外から見てゐるわれわれのやう 持主」であるかどうかについて、私はまるきり関心が無い な者にはこれは痛ましく、官僚による皇室の侵害に思へる。 インタ 1 ネットで調べたのだが、小和田もその妻も頗る評判 天皇制度そのものが傷ついてゐるのではないかと先に言った が悪いやうである。要するに「娘を天皇家に嫁がせた者は、 のはこの意味である。 そしてこれらのスローガンめいた言葉から、天皇家が絶対そこで人生の経歴を終はらせ」ねばならないのに、雅子妃の に使ってはならないあの言葉、最も無縁であるべきあの言葉父親はさうしてゐないといふ。が、昭和六十年に小和田が へはあとほんの一歩である。すなはち「人権」。 ( 中略 ) 皇后「土井たか子の質間に答へて東京裁判史観を肯定する」やう な事を喋ったのは事実だが、皇太子妃が今も父親と同じ考へ 陛下のご実家の正田家のご両親がいかに謙虚で、娘に私的に 会ふことも可能な限り避け、お父上はご成婚後企業の代表をであるかどうかは解らないし、私自身は「東京裁判史観」を 軽蔑してゐるけれども、さういふ史観の持主であってどこが 退かれたのは語り草になってゐる。 / それにひきかへ、といふのは余りにも絵に描いたやうな悪いのか、それもよく解らない。西尾によれば「人権」とい 話になるのたが、小和田恒氏はご成婚の九ヶ月後に国連日本ふ言葉は「天皇家が絶対に使ってはならない言葉、なのださ うである。だが、私自身は「人権」なる言葉を乱用した事が 政府常駐代表特命全権大使になった。そしてその後も官僚と 無い。乱用する奴にろくな奴はゐないと信じてゐる。乱用す しての経歴の上昇を重ねてゐる。 る 娘を天皇家に嫁がせた者は、そこで人生の経歴を終はらせる奴はただ西洋に被れてゐるに過ぎない。それは本来の日本 す るのでないのならば、何らかの卑しい野心を疑われるといふ人ではない。西尾は書いてゐる。 直 のが日本の歴史の教訓である。 / 小和田氏は日本は「普通の 天皇制度の意義とは何なのか。再び問ふが、よく考へれば二 国家にはなれない「ハンディキャップ国家」である、といふ 卑屈で奇妙な否定的日本論をかって展開した人物である。そ私も十分に答へ得てゐない。正面からさう問はれて、確信を尾 9 れによれば日本は中国に謝罪しつづけなければならない。靖もって答へられる人は多くはゐないはすである。 ( 中略 ) 四 十代のある人が私に「天皇制度がなくなっても、ああなくな 2 国参拝もしてはいけない。昭和六十年には土井たか子の質問
第七部勧告 ) と述べている。 要するにパ 1 ルは級戦犯を国家の政策、国策の担い手で 、、ヾールは次のようなことまで来日時に講演 それどころカノ あると理解しているのであり、日本国家と同一視している。 ( 昭和一一十七年十一月六日、広島 ) で述べている。 〈このわたしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略その級戦犯全員を無罪としたのであるなら、『パール判決 の張本人であるということがわかるはすだ。しかるに日本の書』を「日本無罪論」と呼んでも何もおかしくない。ここか 多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分ら道義的な罪を除くという理解はパ 1 ル自身考えても見なか らの子弟に『日本は犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙ったことなのではないか。 中島・西部両氏はついに〈『パール判決書』は、 ( 中略 ) 東 をあえてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争 勃発にいたる真実の歴史を、どうかわたくしの判決をとおし京裁判という政治舞台における『政治文書』としては一級の て充分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪ものです〉〈この判決書は、一見法律文書めかして書かれて いるが、実は政治文書である〉 ( 『問い直す』 ) とまで言って 悪感を背負って、卑屈、頽廃にながれてゆくのを、私は見す のけてしまうが、裁判官としての職業倫理に忠実であろうと ごして平然たるわけにはいかない〉 ( 『パ 1 ル博士「平和の宣 したパ 1 ルは草葉の陰から泣いているだろう。 中島氏は『パール判事』のカバ 1 ジャケットでパール下中謬 ここに日本軍の道義的罪を責める声はない。大東亜戦争を 記念館所蔵の朽ち果てた椅子の姿を写しながら、「日本無罪 肯定しているようにさえ読める。 両 論」という読み方をミスリーディングであり、「これでは、 また、パ 1 ルは級戦犯のことを〈これらの被告は憲法に パールは浮かばれない。と嘆いて見せた。しかし、今、同じ中 従い、また憲法によって規定された機構を運営するためにだ 言葉を中島氏と西部氏に返さなければならない。両氏は、パ部 け、権力ある地位についたのであった。かれらは終始輿論に 1 ルは繰り返し日本の道義的罪の重さを説いた、『パール判る 服し、戦時中においてさえも輿論は真実にかっ活発に役割を 果たしたのである。今次行われた戦争はまさに日本という国決書』は一見法律文書めかして書かれているが、実は政治文め の戦いであった。これらの人々はなんら権力を簒奪したもの書である、と主張する。こんな解釈が『パール判事』や『パ徳 ール判決を問い直す』というタイトルの書物で展開されてい ではなく、たしかにかれらは連合国と戦っていた日本軍の一 法 るのである。 部として、国際的に承認された日本国の機構を運営していた 7 「これでは、パールは浮かばれない にすぎなかったのである〉 ( 『共同研究パル判決書 ( 下 ) 』
風ぐるまのよ、つに 「未明さん、こっちですよお 見知った顔が、境内から私に手を振ってくれ る。この夏も、西村眞悟先生のもとに集う「西 村塾」の皆さんと一緒に、靖国神社に参拝し た。八月十五日の参拝は何度目だろう。靖国神 社を大切に思う人たちの中にまじって、英霊に 感謝を捧げる。驚いたのは、私が最近催してい るジャズライプによく足を運んでくれる若い女 性が、西村塾の若者に連れられて来ていたこと 「どうしたの ? 「未明さんのライプで、塾の方たちと知り合い になって、靖国参拝は初めてなんですけど、い いきっかけをいただいたと思っています」 私は、心から嬉しかった。もともと歌を歌う ようになったのも、人の心のつながりや、出会 いの縁、真心をこめて生きる大切さなどを歌に 託したいと思ったからだ。そうした場で出会え た女性と、靖国神社で再会できるなんて、こん な素敵なことはないと思った。 人との出会いが、それぞれの人生を″風ぐる 4 ま″のように回していく 私が、本誌「クロスライン」を書かせてもら うようになってから何年経つだろう。それがき つかけで西村眞悟先生に会うことができ、西村 塾の若者たちとの縁もできた。多くの出会いの 縁に恵まれた。 いま目の前にいる彼女ほどではないけれど、 」当時の私はまだ若く、文字で何かを表現したい という思いに突き動かされてはいたけれど、そ ' , , , , 」一れが空回りし、連載の機会を与えられたにもか かわらず、何をテーマに文字を連ねていったら いいのかわからなかった。迷い、悩み、締め切 りが近くなると胃が痛くなった。 自分ひとりでは何も生み出せない。そう思っ たら、少し気が楽になった。 そうなのだ。ひたむきな思いがあれば、誰か 力を貸してくれる人が必ず現れる。編集者だっ たり、先輩の書き手であったり、励ましてくれ 一一′仁る読者だったり・ : みんなが支えてくれる。その 号 ノ一支えを裏切ってはいけないという思いが、また明 年 新たな力となってあふれてくる。 正直、何もわからなかったけれど、私たちの成 大事なこの日本を、日本人を守ることに、一人 の女として役立ちたい。その思いに対し書く場証 1 ごロ 4 4
たが、愛人と名告る男にガソリンをかけ黒田和美は、 ( 男たちの吹き溜まりにる。 られ九死の大火傷を負った。華やかだっ慈しみに満ちた一生を閉じた ) 一条さゆ た舞台とは裏腹に、西成の簡易宿泊街でりに比類ない挽歌を捧げた。裏街道を歩優しさが記憶の底に雪のごと降り積む 酒をあおる淋しい晩年であった。野宿のく男や女たちを見守る彼女の眼差しは、 さらば神代辰巳 労務者を見かけると、パンを買い与えてなぜにかくも熱くけなげであるのか。一 いたという。一九九七年八月、肝硬変の条さゆりへの連帯の出自は、どこからき もう、七〇年代も終わろうとしている ため西成の病院で死去、六十歳だったているのか。日活ロマンポルノが、名を頃、新宿二丁目のビルの三階にあった くましろ ( 一条さゆりは、樺美智子、美空ひばり高めたのは神代辰巳脚本監督「一条さゆ「摩耶 . で私は、神代監督や四畳半の主 と生年を同じくする世代の人である ) 。り / 濡れた欲情」 ( 一九七一一年 ) からで演女優宮下順子や伊佐山ひろ子と飲み明 「晒す身はもはやなければ白妙のたましあった。神代は、一九二七 ( 昭和一 l) 年かしたことがあった。私には至福の夜で ひ纏え一条さゆり」 に佐賀市に生まれ、九州帝大 ( 徴兵逃れあった。ェロスの追求はサドに向かい、 のため ) 付属医学専門部に進必然的に権力へ向かうことになる。伊佐 むが終戦、同級生の多くは特山ひろ子、宮下順子らもまた反権力の戦 攻隊で戦死。医学を志し長崎士であったのか。 大へ進んだ者は原爆で死ん 菴由戦後、死んでいった同期生 佐たちへの懊悩から小説家を目 画指すが、松竹に助監督として連続射殺犯永山則夫。獄中でマルクス 入社。日活に移り六八年、監や実存哲学のち著作に接し、「無知が事 督デビュー。「四畳半襖の裏件を生んだ。無知を生む貧乏が憎い」な国 張り」 ( 七三年 ) は、日活ロどと主張した。寺山修司は『幸福論』で 5 9 マンポルノの代表作でもあ書いている。
我のしにくい尻を竹刀でバ 1 ンと叩く。これは極めて質の高慮とか相手の進歩とかは、まるで念頭にありませんでした。 い体罰です。 戸塚いや、それでいいんですよ。それが体罰なんです。 野口なるほど・ : 。しかし私自身が体罰をするには、まだ本能がしつかりしていれば、意識していようがいまいが、相 まだ未熟かも知れませんね。 手の進歩につながるんです。 私は中学や高校で講演をすることがよくありますが、以前 どんなに獰猛な動物でも同種間で争うときは、命の奪い合 に『落ちこぼれてエベレスト』という本を書いた影響なの うような喧嘩はしない。負けた側が急所をみせると、勝った か、荒れている学校が多いんです。あの落ちこばれの野口で側は途端に闘争意欲を失う。本能がそうさせるんです。人間 さえこうなったと、生徒に示したいのでしようね。ところが も同じ。本能がしつかりしていれば、相手に大怪我させるな 肝心の生徒が聞く姿勢になっていない。数人が講堂を走り回んてことはない。 っていたり、最前列の茶髪の子が携帯電話で話していたりす 従って、年長者が年少者にカッとなるのも、潜在的に年少 る。そんな時私はカッとして、怒鳴りつけたりします。 者の進歩を促しているのです。怒りにまかせて叩いたとして ある時、こんなことがありました。講演を始めると、四、 も本能がプレーキをかけるから、せいぜいこぶをつくる程 五人くらいの不良グループが「ガイジン、引っ込め」と騒ぎ度。本能がしつかりしていれば相手の目をついたり鼓膜を破 ったりはしません。 出し、うるさくてかなわない。近くにいた先生たちに「何と かして下さい」と合図を送りましたが、まるで手が出せない ところが最近は、この本能が形成されていない大人が多 でいる。とうとう私がキレてしまって、マイクを握ったまま そういう大人が下手に手を上げると、プレーキがきかな 壇上から飛び降り、一番うるさかった奴のおでこを叩きつけ くなって相手に大怪我をさせるのです。 ました。スイッチが入っていたのでガーンという大音量が響 野口教育的配慮は必要ないのですか ? き渡り、私自身がびつくりしたほどです。 戸塚必要ですが、それが理屈ではないということです。 当然、仲間の連中が反撃してくるだろうと思って身構えた体罰をする時に、いちいち「この場合は叩くべきかどうか」 のですが、みんな目をパチパチさせている。周りもシ 1 ンと とか「カの加減はどれくらいか」とかを考えていたら、タイ 静まりかえっている。気まずくなってマイクを持ち直し、 ミングを失してしまいますよ。 「で、エベレストはね : ・」と言いながら壇上に戻ったのです いわゆる「戸塚ョットスクール事件が起きる以前は、コ が、あの時はもう、怒りにまかせて殴っただけで、教育的配 1 チたちに「体罰をする時は、自分の本能が強いと思うなら 220