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検索対象: 正論 2008年10月号
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1. 正論 2008年10月号

田中氏については、提示する史料に自らの主観を反映させ条は、不服従を貫くかどうかは不問に付されていますが、非 ることがあり、田中氏を経由した史料については、内容の裏暴力と無 ( 武力 ) 抵抗という点でガンディー主義ですから、 づけ作業を行う必要がある。さらに、毎日新聞の記事は「平 パールはそれを歓迎したに違いありません。中島君が展開し 和憲法」と「平和主義」を明確に訳し分けており、〈毎日新た「パールは憲法九条を擁護した」という議論は論理的必然 聞の記事がパールの発一言をより正確に反映したものであるとであり、正しいわけです〉 ( 『間い直す』 ) 。 いう判断を行った。 / また、この演説箇所は、ガンディ 1 の ここに示されているのは、「憲法九条Ⅱガンディー主義Ⅱ 非暴力主義の重要性や軍事力の放棄を訴える文脈の中で行わ パールは擁護 , という典型的な三段論法である。しかし、憲 れている〉。加えて、毎日新聞記事の「伝統的に無抵抗主義法九条はガンディー主義とイコ 1 ルで結べるようなものでは も守って来たインドと勇気をもって平和憲法を守る日本と手ない。その点は西部氏も分かっていて、九条が不服従を不間 を握るなら平和の大きく高いカべを世界の中に打ち建てるこ に付していると述べている。にもかかわらす「パールは憲法 とができると信じる」という部分から〈パ 1 ルが平和憲法九条を擁護した」という議論を「論理的必然」だというの ( 特に戦力の不保持を明記した憲法 9 条 2 項 ) にガンディ 1 は、如何にも苦しい論理展開であり、戴けない。 主義の要素を見出そうとしているのではないかという析出を しかし、間題は中島氏である。この西部氏の発言に中島氏 は何も応答していない。対談本の中でも「パールが憲法九条 行った〉。 要するに文脈からそのように析出したのだと説明したのだを擁護した」という問題に触れているのは、左翼をはじめと謬 誤 が、もし、そうであるのなら少なくとも断言や決め付けは慎した多くの人たちカノ ゞ、。、ールが憲法九条や非武装中立につい むべきであろう。「軽率の謗りを免れないー「もはや捏造と一一一一口て言及しているところにピンポイントで反応したという話を両 うべきだろう」という小林氏の指摘は、言葉はきついが、中紹介している序章の部分くらいである。小林氏が中島氏の史中 島氏としては甘受しなければならないのではないか。 料批判のあり方に厳しい疑問を呈したことは先に見た通りだ部 西 が、牛村氏も中島氏の、既に知られている史料を扱う手法に このような小林氏の指弾もあってか、その後、中島氏はパ る み、 ールが憲法九条の護持を繰り返し唱えたという主張を展開し「知的誠実さが欠ける部分を垣間見た」と指摘し、特に中島 め を なくなった。西部氏との対談本でも中島氏本人からの発言は氏が田中正明氏の史料の扱い方に信頼が置けないとさんざん ない。代わって対談相手の西部氏がお墨付きを与えてしま批判しながら、田中氏の編著『平和の宣言』から多く引用す る手法を「一貫性のなさ、ダブルスタンダード」であると論法 〈平和憲法、日本国憲法第九条の問題についてですが、第九難している ( 「中島岳志著『パール判事』には看過できない

2. 正論 2008年10月号

小林弘忠著 毎日新聞社・ニニ 00 円 竹田恒泰 ・一五 00 円 著 英文サイト間題ですっかり評判を落と 八木秀次 した毎日新聞社だが、ハッとさせられる 「不毛な皇室論争に終止符を打っ / 」れる方もいるだろう。それも当然で、 言論活動を行うこともある。本書を発行 ことを意図した竹田恒泰氏と八木秀次竹田氏は「本当に皇室のことを心から したのも、その一例といえるだろう。 氏との対談。本書の題は『皇統保守』憂いているのなら、両殿下には直接諫 ひたすら 住民が「こいつだ」と指さしただけで死 である。二人が批判の対象にしている一一一一口申し上げながらも、雑誌では只管皇 刑判決が下されたフィリピン級戦犯 のは、売れれよ ) ゝ ー。しという考えで皇室室を擁護して、『如何なる困難があっ を救おうと、復員庁の一役人と現地派遣 批判を繰り返しているとしか思えない ても皇室は大丈夫』と発言すべきでは の教誨師が立ち上がった。その二人の献 マスコミ ( 特に月刊『』 ) 、皇ないか」「皇后や東宮妃の本質は『祭 身的な奮闘ぶりが、元毎日新聞記者の飾 室を守る組織ではない宮内庁、雅子妃 り主』ではない」との立場である。そ らない筆致でリアルに描かれている。 殿下の病気にかこつけて皇室祭祀の廃れに対して八木氏は、雅子妃殿下が 何より感動させられるのは、明らかな 止を主張する原武史氏 ( 明治学院大学「宮中祭祀を生理的にお嫌いだという 冤罪なのに絞首台に立たされることにな 教授 ) 、そして、激烈な言葉で皇太子ことであれば、また、それに皇太子殿 った死刑囚に、教誨師が語る言葉だ。 ご夫妻批判を展開している西尾幹一一下が理解を示されるのなら、最悪の事 「あなたたちは、荒廃した国家、どん底 号 氏。中でも西尾氏への批判が手厳し態も想定せざるを得ないと危惧」する にあえいでいる国民の代表として、国明 と言い、最悪の事態とは「皇位継承順 こう言うと、竹田氏と八木氏の議論位の変更 , や「離婚 , という選択肢家、国民を救うために身を捧げるので 成 をいささかなりとも知っている読者のだ、と述べている。言葉の表面だけをす。決してむだ死ではありません : ・ 平 中には「何故、両氏は西尾氏批判で同捉えれば、八木氏は西尾氏と五十歩百全員がうなすき、最後まで堂々たる態 正 度だったことを、忘れてはならない 一歩調がとれるのか」との疑問を持た歩のように見える。 皇統保守 保、ザ鬮 ~ 天に問う手紙 二 1 ロ 378

3. 正論 2008年10月号

触れられても、それ以外の部分には、全くといっていいほど号で中島氏を批判した「パール判事は『憲法 9 条』を『ガン 関心が向けられない。「東京裁判史観ーを批判する論客が、 ジー主義』と言ったのか」を書いた他、— O 』連載 「パール判決書』の都合のいい部分だけを切り取って引用し、 中の「新ゴ 1 マニズム宣言」で断続的に中島氏批判を展開し 自己の歴史観を補強するために利用しているというのが実情 だ。 / 「このような『パ 1 ル判決書』のご都合主義的な利用 また、小林ー中島論争に〃参戦した西部邁氏を、本誌一一 が、パール下中記念館の荒廃につながっているのではない 月号「西部邁氏の誤謬を正す」で批判し、これらに書き下ろ か。」 / 私は館内で棒立ちになりながら、強く思った。 / 目し漫画、『パ 1 ル判決書』の要約・解題を加えて『ゴ 1 マニ の前に置かれオノ こヾールの遺品は、無残な姿に変わり果ててい パール真論』 ( 小学館 ) を今年六 る。写真の一部は、何が写っているのか判別できないほど、 月に上梓した。対して中島氏は『現代』二月号に「著書『パ 朽ち果てている。史料はかなりの部分が抜き盗られ、散逸し ール判事』への誹謗中傷に反論小林よしのり氏にガチンコ てしまっている。 / 「これでは、パールは浮かばれない , / 討論を申し込む」を書いた他、七月には西部氏と『パール判 私は強い憤りを感じながら、館内を見て廻った。そして、 決を問い直す「日本無罪論」の真相』 ( 講談社現代新書、 「今こそパ 1 ルの思想や主張の全体像を提示しなければなら 以下『間い直す』 ) なる対談本を上梓した。 ないと思った。 / 本書の動機は、このときから始まった〉 ここには同書の主な内容と著者の間題意識、執筆動機が端 。、ールは本当に日本国憲法九条の護持を訴えたか 的に語られている。では、中島氏の言うノ 。、 1 ルへの「曲解」 の とは何であろうか。それは、中島氏が同書の序章に書いてい これまでの論争の主な論点は、既に牛村圭氏が「『パル判両 るように『パール判決書』が〈『日本無罪論』というミスリ 決Ⅱ日本無罪論』に秘められた乖離」 ( 『諸君 / 』一一〇〇八年中 ーディングな表現によって勝手な拡大解釈がなされ、ご都合九月号 ) で指摘したように、『パール判決書』Ⅱ「日本無罪 西 主義的に流用され続けている〉ということである。 論」という理解は、本当に中島氏が一一一一口うようにミスリーディ る 同書の上梓から一年以上経つが、この間、著者が〈『パー ングなのか、という点に収斂されているように思う。しか ル判決書』の一部分を都合よく切り取り、『大東亜戦争肯定し、そのいわば本丸の間題に入る前に、中島氏が『パール判 論』の主張とつなげることには大きな問題がある〉として、 事』で明らかにした、パールが日本国憲法第九条の護持を繰道 法 その代表格として取り上げた『戦争論』の著者・小林よしのり返し主張したという説について検討してみたい。 り氏との間で論争を巻き起こした。小林氏は本誌昨年十一月 この間題は、中島氏が昭和一一十七年十月三十一日付毎日新

4. 正論 2008年10月号

り、麻生氏自身も、派閥力学より国民に色合いの異なるリべラル派の代表的存在 たに誕生した麻生太郎幹事長である。 自民党内で「保守派」と位置づけられ目を向け全国百数十カ所近い講演を精力の河野洋平氏が率いた河野派が元になっ ている。必然的に、麻生氏が次の総理を る麻生氏は、仲介役の森喜朗元首相ら町的にこなしてきた。この一連の一一一一〔動は、 村派の一部と、公明党の後押しを受ける堂々たる「非主流派宣 = 〔」であり、麻生狙う自民党総裁選では、必要な議員票の かたちで、ようやく「ポスト福田」の最氏は自民党の派閥という党内力学の力を過半数を即座に獲得する道は、これまで 借りずに総理に就任できる、といわんば閉ざされたままたった。今回麻生氏は過 有力候補に近づくことが可能になった。 去の遺恨を捨て、「火中の栗を拾うこと 麻生氏自身は、幹事長を引き受けた理由かりの態度たった。 を、「いまは国家と自民党の結党以来の昨年九月の福田政権誕生時、麻生氏がはないという麻生派の一部の反対を押 危機。私が逃げるわけにはいかない , と閣僚の就任要請を受けなか「たのは、麻し切「てまで、幹事長就任を引き受けた。 その君子豹変ぶりに、「来る総選挙の暁 生氏自らが語るように、保守色の少ない 述べている。 実は、今年春頃まで麻生氏周辺は、福田首相とは「哲学が違う」という理由には、福田首相と交替する」という「禅理 っ 「次の福田改造内閣では、幹事長も閣僚もある。しかし、それ以上に大きか「た譲説」がいまだに根強く囁かれている。 も要請があ「ても、麻生氏は引き受けなのは、安倍政権崩壊時に、「上げ潮派」麻生氏は幹事長に就くことで、自民党 と漏らしていた。「仮に受けるとすと呼ばれる中川秀直元幹事長に近い片山内外の勢力を抱き込むことが可能にな太 れば、幹事長だけでなく、側近の菅義偉さっき氏が、「 ( 安倍前首相を ) 後ろからり、政権、のより近道になると踏んだと麻 衆院議員の官房長官就任や、国対委員長刺した人がいる」と、テレビカメラの前推測できるが、一体なせ強気の変化に踏閣 み切ったのか。実をいえば、麻生氏のバ造 ポストも合わせて要求する」と強気に語で虚偽の「ク 1 テタ 1 説、を流された、 ックに公明党がいたからである。 という「反麻生派」への遺恨であった。 山村明義氏昭和肪 ( 1960 ) 年、熊 今回の改造劇で「麻生包囲網 , を形成 自民党の九派閥のうち麻生派以外の八 れ 本県生まれ。金融業界誌、週刊誌記者を経 て、現在フリージャーナリスト。国内政派閥が支援して発足した福田政権は、麻する自民党内の構造を変えた最大の要因ら 治・外交、中国分析などをテーマに執筆 となったのは、公明党だった。 生派を除く「総主流派体制」となった。 中。著書に『黙して語らすー官僚の自殺と 今回の内閣改造劇では、わすかに三十党 しかも「為公会」、いわゆる麻生派は、 腐敗はなせ生まれるのか』 ( 光文社 ) 、『外 務省対中国・北朝鮮の歪められた真相』党内では二十名に満たない非主流派の派一名の衆院議員の人数でしかない公明党公 が、極めて戦略的に政局を動かすことに ( 同 ) など。 閥に過ぎない。その土台は、麻生氏とは

5. 正論 2008年10月号

るいはその国に生きる国民としての最低限の「覚悟」でしかった。この錯覚は今日も続いてゐる。池田氏は、国民を信じ似 3 ない。が、当時も今も、鼓腹撃壌の大衆民主主義のもとで、 なかった。国民も、池田氏を腹の底から信じたわけではなか かういった「覚悟」は「危険な思想」として取り扱はれ、こ った。どちらも幸福であり、愚かであった。 れを政策化するのはなかなかに困難である。政治家も国民も 政治とはより増しな選択の集積である。そこには大きな選 幸福にして愚か、なのである。 択もあれば小さな選択もある。全面講和を排し西側の一員と 民をして鼓腹撃壌せしめ ( 腹鼓を打たせ ) 天下泰平を満喫して国際社会に復帰するといふ吉田総理の選択を岸氏は全面 させることは、政治家にとって最も重要にして最も基本的な的に諒とした。しかし「親米 ( 従米 ) の何が悪いか」と開き 仕事である。その鼓腹撃壌と天下泰平を担保するものは、一『〔直る吉田氏に対して、岸氏は米国との協調を維持しつつも独 ふまでもなく富とカである。岸氏は経済と国防の両方に目配立主権体制をより確かなものにしようと構想した。ここに りし、やや無骨な漸進主義によって民が鼓腹撃壌できる独立 「吉田」と「岸」の違ひがある。岸内閣の成立は、やや大き 主権国家を再生しようとした。このとき岸総理は、経済政策な「より増しな選択。であった。 ならば官僚にだってできる、指導者が取り組むべきは治安と 岸総理が正面から脱戦後路線を追求したのに対して、本来 国防であると、しかと心得てゐた。そして議会民主制といふ鷹派的な体質を持っ池田総理は、処世を重視する路線を打ち 政治制度のもとで、カの復権に重きを置いた政策を実現しょ出した。人心が乱れ治安が悪化した状況を打開するための一 うとした。すなはち、岸氏が試みたのは、日本が国家として時的な手法として池田氏の選択は一定の評価に値する。岸氏 生き残りをはかるための「覚悟」の政策化であった。このと だってそのことは認めてゐる。「岸」から「池田」への変化 き岸氏は、国民を信じてゐた。信じようとしてゐた。 は、本来ごく小さなものだった筈だが、池田氏の弥縫策が、 これに対して池田氏が追求したのは「処世」の政策化であ いつのまにか無謬不易の国是とされていくうちに、この変化 った。もとより池田氏が「カ」 , ー・国防安全保障政策に無頓 は思ひのほか固く大きなものになってゝ しく。別の言ひ方をす 着であったといふわけではない。平和主義を信奉してゐたわるならば、池田以後の「より増しな選択、は次第に小さなも けでもない。しかし国民の関心をもつばら「富」の蓄積と消のになっていって、「大きな選択、ができにくくなり、結果 費に集中させ、それたけで天下泰平が成立するかのやうに誘として日本は袋小路に入ることになるのである。 導した結果、国家と国民から「矢でも水爆でも持って来い 岸総理を「小さなニヒリスト」と断じた三島には、政治と 世界が亡びても、俺は生き残るぞ」といふ覚悟は失せ、処世 いふものがより増しな選択の集積であり、そこには大きな選 術だけで生きて行けるとの錯覚が蔓延することとなってしま択もあれば小さな選択もあるといふことが見えてはゐなかっ

6. 正論 2008年10月号

矛盾がある」『諸君 / 』一一〇〇八年一月号 ) 。 ある。『パール判事』の帯にも〈みなさんは、次の事実を隠 同様に私も、西部氏の発言に何も反応しない中島氏の姿勢すことはできない。それはかってみなさんが、戦争という手 に「知的誠実さが欠けている」と言わざるを得ない。中島氏段を取ったという事実である〉と ) うヾ しノ 1 ルが昭和一一十七年 は自分自身の言葉でパール憲法九条擁護説の是非について改十一月十日に法政大学で行った講演の一部が引用されてい めて述べるべきであろう。中島氏が提起したパ 1 ルが憲法九る。日本が戦前に「戦争という手段を取った事実 , をガンデ 条の擁護者であったか否かという問題は重要な論点であり、 ィー主義者のパールが肯定するはすがないということであろ これをそのまま放置しておいてはいけない。最初に間題を提う。 起した者の責任として明確にすべきではなかったか。 中身の検討に入る前。ノ リこ、。、 1 ルがたとえガンディ 1 主義者 西部氏もここで改めて中島氏にその間題を間い質す必要がであったとしても、そのことをもって『パール判決書』の評 あったのではないか。それを「論理的必然」で片付けてしま価に影響を与えるものではない、またそうあってはならない うのでは無責任の謗りを免れない。このままでは中島氏は西という点を明らかにしておきたい。 この点については、渡部 昇一氏が、戦後日本には日本人に自虐思想を植え付けた東京 部氏という「保護者」に擁護された「保護者付き論客」とい うことになってしまう。中島氏は保守を自称しているらしい 裁判史観と、被告全員の無罪を主張したパル判事の史観の一一 が、保守はこうあるべきだと他人にお説教を垂れる前に、思 つがあると自身が指摘した ( 本誌二〇〇七年十二月号 ) とこ 想的立場を超えて先ずは研究者としての学間的誠実さを示すろ、西部氏から〈このように一一つの史観を対立の構図のなか べきではないか。 においてしまうと 、パ 1 ル判事があの戦争を自衛戦争として 全面的に肯定したようにみえてくる。ガンジー「主義者」 ( にすぎなかった ) パール判事がそんな見方をするはすがな 判決書を日本無罪論と解するのはミスリーディングか い〉 ( 本誌二〇〇八年一月号「パール判事は保守派の友たり 憲法九条の間題はこのくらいにしておいて、本題に戻ろ えないしとの批判があったことを紹介しながら、次のよう な反論を行っていることが注目される。 う。論争の最大の争点は、『パール判決書』を「日本無罪論」 と理解するのはミスリーディングであるか否かということで 〈これはいささか的外れである。私が問題にしているのは、 ある。ミスリーディングを主張する中島氏の根拠の一つは、 「パルが大東亜戦争を肯定しているかどうかーなどではまっ パ 1 ルが絶対平和主義を唱えるガンディー主義者であり、そたくなく、「パルが、東京裁判は国際法的に成り立たない裁 れゆえ戦前の日本の行動を擁護するはずはないというもので判であり、検事側の告発に対してすべての日本人の被告は、

7. 正論 2008年10月号

士冗 いうのは契約的で、きわめて捉われな 「それなのに何故 ? 」という疑間への い関係ではあるけれども、主君を変え 答えを八木氏は「おわりに」で書いて いる。氏によれば、人が何かを信じるてゆこうという積極的要素は出てこ 三浦展著 という場合には二種類あって、一つはす、「無責任」であるのに対して、他 ベストセラーズ・七 0 五円 「自分の外にある事柄なり命題なりを方、「君、君たらすとも、臣、臣たら ざるべからず」という場合には、君臣 対象として信じる」場合、今一つは テレビのバラエティー番組などを見て 「対象を外にあるものとして信じるの関係を自分の宿命として引き受けてい いると、まるで「水商売の女か ? , と思 ではなく、自分が何ものかに信従するが故に、「どうしても主君を正しく うような、けばけばしい顔と服に包まれ る」「対象との間に人格的相互応答がしていかなければいけないという非常た女子大生が出てくる。まあ今どきの大 ある」場合である。この意味を私なり に強い能動的な態度に逆流していく」学生の価値なんて、戦前の小学生レベル と変わらない。何しろ、ゼイタクさえ言 わなければ、希望者全員が大学に入れる 八木・西尾両氏の決定的違いは何か 「全入時代」なのだ。学力では〃自信の ないみ大学は学生を早期に確保するため に解釈すれば、西尾氏の場合は、日本 ( 『忠誠と反逆』 ) と指摘した。分離可に、試 ( いわゆる一芸入試 ) や推 ヒじ の伝統・文化と天皇と自己の三者の切 ・離脱可能であるが故に手厳しく批薦入試の枠をどんどん増やし、お笑いタ 断が可能 ( そもそも別物 ? ) であるの判できてしまう西尾氏と、それを不可レントやスポーツ選手など、知名度の高 能であると感じるが故に臣下の責務と い人を客員教授にして、何とか、受験生 時に対して、八木氏の場合には三位一体 して強く諫言せざるを得ない八木氏。 という感覚の中で言論を展開してい に「来ていただく」しかない る、とい , っことになろ一つか 両氏の似かよった議論に秘められた本そんな〃下流大学〃の学生の多くは、 八木氏は自らを「草奔の臣。と呼ぶ質的な相違を感じとったが故に、竹田就職したところで、〃使える人材にな の が、西尾氏は「最近自分を『臣下』と氏は八木氏と論じ合うことができたのるハズがなかろう。企業の人事担当者時 呼ぶ言論人がいてアナクロにびつくりではなかろうか、というのが私の推測は、「高校生を採ったほうがよっぱどマ書 しています」と書いている。かって丸である。 冫とため息。極限まで大衆化した大学 9 山真男は「君、君たらざれば去る」と 3 皇學館大学教授新田均に鉄槌を下し、胸のすく一冊。 下流大学が日本を減ばす /

8. 正論 2008年10月号

八月号にも言及しているように、六月七表をつとめる新党大地票の取り込みを狙をも取り込んだという構図ではあるまい 日付の北海道新聞によれば「自民党の党ったものといえる。新党大地は先の参院か。 内手続きで必要な政務調査会の審議を経選北海道選挙区でアイヌ民族女性候補多私が危惧するのは、今般の国会決議が れば、『さらに異論が出てまとまらなく原香里氏を立てて善戦していたからだ。本当にアイヌ民族の将来を見据えた議論 ところで鈴木氏は自民党代議士時代のではなく、政党間の駆け引きで多くの問 なる』 ( 閣僚経験者 ) とみて、いきなり 党の最高意思決定機関の総務会に諮り、平成十三年に日本外国特派員協会で講演題を曖昧にしたまま拙速に行われた結 了解を得た」とあり、党内手続きがきちし、「 ( 日本は ) 一国家、一一一一一口語、一民族果、アイヌ民族には過度の期待とその結 ゝ ) 。北海道にはアイヌ民族が果としての失望を、多くの道民にはアイ んとしていたとは言い難い。また、前出と言ってし いヌ民族に対する反感の結果としての差別 の鎌田氏が決議前日、道外選挙区選出のおりますが、今はまったく同化されて ますから」と発言していた。これが道内意識を、そして国際社会においては従軍 自民党の衆議院議員と参議院議員に問い 合わせたところ、「アイヌ先住民 ? 何でも比較的アイヌ民族が多いといわれる慰安婦や南京大虐殺に、さらに加えて先れ も知らないなどと言われ、直前までま氏の選挙区における正直な印象だったの住民族集団虐殺という新たな野蛮国宣一一「〔衄 る 売 である。しかし十七年に歌手の松山千春をしたたけの結果を招くことである。 るで認知されていなかったのである。 本来保守責任政党は政策を中心に堂々魂 そもそも、このような決議の提案がな氏とともに新党大地を立ち上げた氏は、 された経緯は何か。それは、先の参院選自民・民主の一一大政党に埋没しないためと国民に訴え自力で多数を取ることを目民 で大敗した自民党が与野党で合意できる北海道に特化した政策を選択する必要に指すべきである。はじめから他党の助け開 法案を提出して、全会一致決議を行うこ迫られ、「アイヌ民族を先住民族と認めを期待して少数党が掲げる特殊な主張に海 とにより次期総選挙で与野党対立の構図権利を確立する」と主張するようになっ迎合して政権を目指すというのは邪道で を国民意識から薄めようという打算からたとみられる。そして先の参院選でみせあり国を誤るもとであり、かえって支持申 出たものであろう。特に北海道では直近た新党大地の得票数に慌てた自民党道連基盤である保守勢力の離反をまねくことモ の世論調査で「衆議院解散総選挙となっ会長の今津寛氏をして、今津氏の政治経になるだろう。 オ その意味では、鈴木氏よりも今津氏のネ た場合、自民党は道内十一一選挙区すべて歴に一度も見られなかったアイヌ民族間 で議席を失う」という予想結果が出てお題を取り上げさせ、さらにバスに乗り遅責任の方が、はるかに大きいと考えてい 3 3 2 り、これに怯えた自民党が、鈴木氏が代れたくない民主党幹事長の鳩山由紀夫氏る。

9. 正論 2008年10月号

過去から未来に向かう自民党の「正統聞に、「戦後日本の大宰相・吉田茂氏とのつき合いを重視し、自民党の最大支 性」 ( レジデマシー ) とは何か、という名誉会長に貴重な遺品が」という思わせ持母体といわれるまでとなった。 問題に突き当たるとき、吉田茂元首相をぶりな見出しの付いた記事が載った。創麻生氏自身は、公明党に関して自らを 祖父に幼少時代を育った麻生氏が、保守価学会の池田名誉会長へ吉田元首相の孫支援してくれると確信しているようで、 政治家としての「正統性、を有しているが自らの書と遺品を届けた、という記事周囲には「 ( 公明党は ) 大丈夫だ」と言 い続けているという。しかし、それでも 自体に、麻生氏の名前は登場していない ことは論をまたない。 公明党が本当に麻生氏を総理に担ぎ上げ その時代の潮流に公明党が便乗してきが、「吉田茂元首相を持ち上げることに たことは注目に値する。公明党が創価学よって、その孫である麻生太郎との親密るまで、全面的に支援するのかどうか 会による情報力や政治分析力によって、度を強調したラブコールだ」という見立は、定かではない。公明党は常に「保 険」を掛けながら動いており、また「保 次の首相の座には、「保守派」の可能性てもあった。 永田町では、麻生幹事長と創価学会の守」とは基本的に「水と油の関係」だか理 があると見ていることになるからだ。 現実に公明党は麻生氏に急接近し、彼八尋頼雄副会長との良好な関係はよく知らだ。福田首相で総選挙に臨む可能性も「 に大きな影響力を与え始めている。麻生られているし、公明党の北側一雄幹事長想定しつつ、公明党主導の政局は維持し 太 幹事長誕生という政局を作り出したのとは、組閣が行われた一日、早速夜の会ていくことに最大の狙いがある。 生 いすれにせよ、麻生新幹事長が公明党麻 は、公明党の麻生氏への個人的な親近感合を行って杯を重ねている。麻生氏にし よりも、次の総選挙で勝利する可能性がてみれば、中川秀直氏ら「上げ潮派」がを相手に、危険な賭けに出たことは間違閣 いない。しかし、「保守派の代表格」で造 高く、かつ自らの影響力を高められる親いっ再び政敵として現れるかもしれす、 密な政権を作るためにいまのうちに恩を組む相手は強大であるほど好都合だったある麻生氏の存在が、公明党の " 道具。田 売ろうという「一挙両得」を狙った実利のたろう。公明党とその支持母体の創価として利用されるだけに終わり、これまた 目的によるものだ。公明党は、福田首相学会は、今回の組閣に備えて、ありとあでのように「保守派」を排除するだけなら ではなく、「次は保守派の麻生氏の時代らゆる手を事前に打ち、公明党の自民党ら、自民党にとっても、国民にとっても牛 への影響力は、もはやあらゆる面で頂点いよいよ公明党の存在は「厄介な敵 , と脱 だ」と踏んでいるのだ。 公 なる可能性も高いのである。 自公政権が大敗した参院選直後の昨年に達した。自民党のほとんどの議員は、 5 8 八月十六日、創価学会の機関紙「聖教新各選挙区 ) 」とに置かれる創価学会の幹部

10. 正論 2008年10月号

よ「て、十倍近い三百四名の衆院議員のを公明党があえて画策した理由は、表向さぶりは、七月一一日から始ま「ていた。砌 いる自民党が、右往左往させられた。公きは「伊吹氏が八月下旬に臨時国会を召この日、公明党の神崎武法前代表が千葉 明党は政権与党内における人事権・解散集すると決め、その臨時国会で新テロ特県で講演し、「これから支持率が上がり 権・議院運営権の三つの権限の一部を、措法成立を公明党と相談せずに決めてし福田首相の手で解散になるのか、支持率 自民党から奪い取ったと言える。 まったことへの反発」とされていた。しが低迷して次の首相で解散になるのかわ 公明党が最初に狙ったのは、折り合 ) しかし、伊吹氏に近い自民党関係者はそのからない」と述べ、福田首相への揺さぶ の悪かった伊吹文明氏の幹事長交替だつ事情をこう分析する。 りの火の手を上げた。この神崎発言を皮 た。ある公明党関係者はこう明かす。 「伝統的な仏教寺院の多い京都一区を選切りに、公明党の中堅幹部たちが、次々 「公明党は今回、事前に記者、のオフレ挙区とする伊吹氏は、創価学会よりもむと「自公関係」の今後について言及し コ懇談などで、伊吹幹事長を交替させるしろ全日本仏教会の方を頼りにし、創価た。 ように仕掛けた。その先頭に立「たのが学会を軽視していると見られていた。何七月八日、遠山清彦参議院議員は、 北側一雄幹事長だった。北側氏は午後十より伊吹氏自身が、いまの自民党内では「自公ありきでも、民公ありきでもなく、 一時頃になると、記者を呼びだし、公明幹事長でありながら、保守派の代表的などの枠組みが国民のためになるか、とい 党が人事で主導権を握るためには、自民存在だ「たため、公明党側が極端に彼をう視点で臨むべきだと思います。自民党 党との選挙協力だけでなく、連立離脱ま嫌っていた」 とともに野に下ることもあり得ます。そ で匂わせながら、 " 伊吹氏が辞めなけれ今回の人事は、伊吹氏が財務大臣に横の一方で、政党としては政策をなるべく ば、公明党は政権離脱する。というサイ滑りで就任したため、真相は見えにくく 実現したいので、民公も選択肢として排 ンとなる情報を、七月末までに官邸や自な「ているが、「事実上の更迭。という除しません」と毎日新聞紙上で発言。そ 民党側に次々と流した。かなり強引なや見方もあり、公明党は当初の目的を達しの後も公明党は、組閣前まで連立政権の り方だったのは間違いない」 たと言えるのだ。 離脱を匂わせる脅しに近い発言を繰り返 福田首相と伊吹氏は、「気の合うワイ し、自民党への圧力を強めていった。 ン仲間で、お互い皮肉屋同士で肌が合 福田政権への揺さぶり 公明党側にも今回、積極的に動かざる う」とされ、事前の予想では、幹事長留 を得ない事情があったのは確かだ。毎年 任説も根強か 0 た。その伊吹氏の交替劇公明党による自民党や福田政権、の揺八月、支持母体の創価学会が池田大作名