ニート、引きこもり、自未遂、アキバ通り魔人・ : 生命力なき日本人を生み出した戦後教育に異議あり と思っていたのです。 子どもの自然体験がゼロ ( 野口 ) 以前にカメラマンの宮嶋茂樹さんとの対談 ( 本誌二月号 『去勢された若者たちに告ぐ』 ) でも紹介したエピソ 1 ドです 危ない遊びが進歩を促す ( 戸塚 ) が、私は七年前から、子どもたちを集めて定期的に環境学校 野口はじめまして。実は私、戸塚先生とお会いすることを開いています。自然体験を通じて地球環境の大切さを学ば明 を、ずっと以前から楽しみにしていたんですよ。 せるのが目的ですが、ある時、子どもたちにシーカヤックを 戸塚私と ? どうしてです。 体験させようとして、冷や汗をかいたことがあるんです。 野口最近の子どもたちの様子について、どこかおかしい 戸塚シ 1 カヤックで冷や汗を ? と感じることが私なりにあって、ぜひお考えをうかかいたし 野口ええ。シーカヤックはすぐに引っ繰り返りますか証 本当の◆生きるカ◆とは何か 本音で語る「体罰のすゝめ」 アルピニスト のぐち・けん 野口健 戸塚ョットスクール校長 とつか・ひろし 戸塚宏 27 6
, 再生の鍵は 。日本的経営の復権にあ髪 市場原理がすべてではない。道徳と経済の合一を忘れるなを 対米追随のモラルなき経営トップの浅知恵を叱る 日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一は「右手に算盤、左 ところが今はどうか。大企業の経営者たちの多くが両手に 手に論語」をモットーとし、道徳と経済の合一を唱えた。彼算盤を握りしめ、論語のロの字も言えないでいる。それが、 はこ , 2 言っている。 「格差社会」なる非日本的な状況を生み出していることに、 「富を成す根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富経済人として何ら恥じるところがない。何たる不見識、何た でなければ、その富は完全に永続することができぬ る不道徳であろうか。 「一個人のみ大富豪になっても社会の多数がために貧困に陥 るような事業であったならば、どんなものであろうか : ・。故 非正規雇用の急増を許すな に国家多数の富を成す方法でなければならぬ 振り返れば明治維新以後、日本が列強に負けじと急速に近 いわゆる「格差」という言葉が放つイメージには、さまざ明 代化を進め、経済を発展させてい 0 た背景には、こうした先まな意見があることは承知している。私自身、この言葉を無 人の経営理念、すなわち、一部の層だけが儲かるのではな条件で絶対悪ととらえる立場ではないし、何が何でも平等を成 、国家多数の層が利益を享受してこそ本物の富である、と 唱えるような考えには到底賛同できない。むしろ、個人の努 いう崇高な理念があった。 力が正当に報われる社会、頑張った分だけ目に見える形での証 を要一ま′・イ亠 特集保よ、今こそ「格差 . を語れ 青う 際よ条 日な 7 08
弱いのではないで つ上しようか 「完全なコンセンサスは得られない」 奈減を 細かくなります 神 たか増 実感として知事はこの条例理解は が、そうしたこと 聞た売を今、検討していあると考えているのですか ? て、例えば『完全「条例の規制対象となる利害関係者、す か「設 禁煙』『完全分煙』なわちレストランや旅館業界、パチンコ 今は何もやってい業界などは反対が多いですね。営業に響 ないが『ますは分くからというわけです。しかし、禁煙に 影答り う立回よ煙を図ろう』とかなり売上げが必す減るかといえば、それ ど目と査 がか減調様々な手法が考えは一概に言えない。例えばレストランの デ答ぼ設られます。判断材空気が綺麗になれば、家族連れなどファ 当回上施 ミリー層が新たに来客するなど、新規開の 売う売る料も、公共性だけ る め 設とら関でなく『その施設拓の可能性だ「てあるでしよう。ただ、 施いか への子供や青少年店舗関係者の既得権を失うかもしれないお たな店煙 例 災 0 ら食喫の出入りはあるという不安は理解します。そういう不安 ◆増取わ飲動 か』などほかの基に対する説明責任は県として果たしてい煙 に変と受 かなければいけないと考えています。 全 ー ~ ま " ドでは設。準も考えられる。 設 を果楽川大切なことは受動一方で全面禁煙を是非やってほしいと 数数策結娯奈喫煙対策を実効性求める方々もいます。医療関係者などが施 者者対。と神 用用煙果る ( のある形で前に進代表的です。そのほか、県民からも多く訟 利利喫結べる の声が寄せられています。たばこの健康 ヒ、めることです」 私 ・・動査上し 受調でて 被害を強調する人もいれば、たばこ文化ぜ やたばこのストレス抑制効果を語る人も 図県た回 ゞ、、む 6 おり、実に様々な意見があります力総 2
・ツ「公共施設全面禁煙条例」を 進めるのか 相次ぐ批判に徹底反論 / しかし民間への一律導入は「困難」とも 神奈川県知事・ま 0 ざわ・しげふみ松沢成文 公共の室内空間を条例で原則禁煙化すインタビューで松沢成文知事は条例の受動喫煙対策の状況や業種、業態に応じ ることを目指す神奈川県の「公共的施設目的について受動喫煙対策の一環であて規制を分けたり、段階的な導入なども における禁煙条例 ( 仮称 ) 」が現在、制り、社会全体の新たなルールを確立する示唆し、原則を堅持しつつも「民間施設 定に向けて準備が進められている。規制ことを目指したものであると説明した。 については一律全面禁煙にするのは難し 対象を民間施設にまで広げるという全国さらに自らがマニフェストに掲げた公約い」とも語るなど、民間への慎重な配慮 に例のない試みは、新聞でも大々的に報でもあり、今後も民主主義の手続きに則をにじませている。 じられ話題を集めた。一方で、こうしたって条例制定を推進する考えを強調し 動きに対しては批判も根強い。喫煙自体 禁煙化という「新たな分煙ルール」 が個人の嗜みという側面が強いことに加一方で「禁煙ファッショー「独裁的 号 えて「他人への迷惑」「他人への危害」「喫煙者いじめ」といった疑問や批判に 公共的施設の禁煙化に踏み切る条川 「空気の汚れ」「健康増進」といった大義対して松沢氏は強い不快感を表明すると例を神奈川県では制定を目指していま 名分を盾にする、いわば空気のこわばりともに批判的な一一一〔論の多くが、誤解に基す。検討委員会の検討を経て、九月議会平 に対する違和感を多くの人が感じているづいているとも述べた。ただ、一方で松では条例の骨子案が議論されると聞きま 正 ことも背景にあるだろう。 沢氏は、民間施設への規制導入についてした。なぜ、条例制定を目指すのか。発 262
活動が原因かどうかは分かりませんが三回の活動後に、三 す。我が子にどう接したらいいか分からないと言ってね。 そんな時、私は父親となる男には四つの仕事があると言っ人のシェルバが相次いで体調を崩し、亡くなるという悲劇が ています。一つ目はセックスをする、すなわち子どもをつくありました。私は激しいショックを受け、四回目の清掃登山 ること。二つ目は狩りをする、すなわち仕事をすること。三を中止しようと提案しました。ところがシェルバたちは、最 つ目は群れを守る、すなわち家庭内で力をみせること。四つ後までやらせてくれと言う。何故だと聞くと、「ケンのやろ 目は愛国心を示すことです。 うとしていることが最初は分からなかったが、清掃登山を終 家庭が人間社会における最小単位の群れであるなら、国家えて帰郷したら自分たちの村はもっとごみだらけだった。首 は最大単位の群れです。国を愛し国のために何事かを成そう都のカトマンズはさらに汚かった。だからエベレストの清掃 を続けたい。ネパ 1 ルのシンポルをきれいにすることで、国 とすれば、家庭という群れは国家という群れの中にしつかり と言うんです。 組み込まれ、より安定します。自分一人が死んだって国は滅中をきれいにする運動に広げたい [ びないんですからね。 この時は本当に感激しました。清掃登山は危険で、命を落 しかし戦後になって、一人の命は地球より重いなんていう としかねないほどなのに、国がきれいになるなら命を賭けて 馬鹿げた考えがもてはやされたから、一人一人がますます不もいいと、二十一、二歳のシェルバたちが口をそろえて訴え るんですから。 安定になってしまった。 しかし、こうした崇高な意識を表明できる場が今の日本に 野口確かに今の日本では、自分は国家の一員であり国家 はほとんどない : の発展に貢献するという意識が、あまりに軽んじられていま すね。 戸塚戦後教育が否定したからだ。愛国心を否定し、国のが 私は二〇〇〇年から二〇〇四年まで四回にわたりエベレスために散った特攻隊を犬死に扱いにした。その結果、自分のす ことしか考えない生命力のない子どもたちが大量に増えてし罰 トの清掃登山をしましたが、この活動の意義をシェルバたち は当初全く理解しませんでした。標高五千 5 八千メートルのまった。 る 語 地点での長期作業は危険を伴います。「どうしてごみ拾いに 命を賭けなければならないのか」と猛反発されました。しか へナッという弱々しさ ( 野口 ) 本 し雇い主は私ですから是が非でも連れて行く。するとシェル本能が鍛えられてない ( 戸塚 ) 3 2 2 パたちは、次第に率先して作業するようになるんです。
の多くは、自然体験がほとんどゼロでした。普通は誰でも、 きくなりました。三歳から十三歳ぐらいで構成されていて、 2 木登りして落ちそうになったり、川で溺れそうになったりし大きい子がポス役、小さい子はいじめの対象です。木登りで たことが一つや二つはあるものです。ところが最近は、そう きなかったり泳げなかったり足が遅かったりしたらグズだノ した危ない遊びをせずに育った子が珍しくない。海中でじっ ロマだと馬鹿にされ、ゲ 1 ムの時は勝敗に関係のない「味噌 としている子も、まさにこのタイプなんですよ。 つかす」となり、別のグループと喧嘩をするときは「ついて 戸塚そうです。子どもは本来、危ない遊びをしたがるも くるな」と突き放される。こうした扱いが小さい子の進歩を のです。これは人間の本能が、時として「不快、を求めるか促すのです。 らです。なぜなら「不快 , は「進歩 . につながりますから。 ところが今は、こうした異年齢集団がなくなってしまい 例えば子どもは木登りをして、途中で下を見て「恐い」と子どもたちはポツンと一人で取り残されてしまっています。 感じる。しかしこの「恐い」が「何くそ」という怒りを呼び 起こし、さらに高いところへと登っていく。そして上まで登 異年齢集団での経験が必要 ( 戸塚 ) りつめた時、「やった」という達成感が得られる。その時体育会系のシゴキも廃れる ( 野口 ) 「不快」は「快ーに変わる。これが「進歩 , です。橋の上か ら川に飛び込む遊びも同じ。橋の上に立った時の「恐い , が 野口異年齢集団なら私も経験があります。小学校六年生 「何くそ」になり「やった」となる。このような「進歩、をの時に父がイギリスに赴任することになり、ロンドン郊外に 重ねることで子どもに生命力がどんどんついていくのです。 ある全寮制の学校に入れられたんです。小学校から高校まで ところが戦後になって、子どもたちに危ない遊びをさせな の一貫校で、先輩が後輩の面倒を見るという雰囲気がありま いようになった。万が一のことがあったらどうするんだ、と した。食事の時も小学生の隣は高校生、その隣は中学生とい いう考えですね。その万が一があるからこそ、子どもたちに うふうに席順が厳密に決められていて、マナーに反すること 必要な遊びなんだということが、まるで分かっていない をしたら先輩の手がバーンと飛んでくる。とくに私の場合、 いじめだって、マスコミや文部科学省はイカン、イカンと中学でグレてしまったので先輩から「生意気だ」と目をつけ いうが、子どもたちの進歩には必要不可欠なんですよ。 られ、随分殴られました ( 笑 ) 。 野口いじめがですか ? でも、振り返ってみると、その時に感じた悔しさが今の私 戸塚そう。昔の子どもたちは近所の異年齢集団の中で大につながっているんでしようね。
本能に従え」と言い聞かせていました。本能は善であり、カ方、東洋的な考えは性善説。すなわち本能が善であって、悪 。どちらが正しいかは、人類が は理性の中にしか存在しない ッとなるのも善、叩くのも善なのです。理屈ではありません。 本能によってこれまで生きながらえてきたことを考えれば明 らかでしよう。悲惨な戦争は人間の理性が起こすのであって 西洋的精神論に毒されている ( 戸塚 ) 本能ではありません。 大人のエネルギー不足も問題 ( 野口 ) ところがマスコミも文部科学省も、西洋的な精神論を教育 野口ところで最近の先生たちというのは、本当に何もしの場に持ち込もうとする。典型的なのが、世界人権宣言の理 ないんですね。マイクで殴った一件の後、不良グループは私念を何の疑問もなく受け入れていること。この宣言の第一条 には「すべての人間は生まれながらにして自由であり、か のところに謝りに来ました。しかし校長先生が憮然としてい る。講演で生徒を殴るなんて教育委員会に知られたらどうすっ、尊厳と権利について平等である。人間は理性と良心を授 るんだと、そんな顔つきなんです。「あんな連中は叩いて叱けられており・ : 」と書かれているが、自由、尊厳、権利、平 るべきですよ」と一一一一口うと、「教育というのはそんな単純なも等、理性、良心というのは、いずれも教育によってつくられ るものであり、生まれながらにしてあるものではない。そん のじゃない」と相手にされませんでした。 な西洋的な精神論を持ち込むから、本能でなされる体罰が全 私はほかにも、講演中に生徒を怒鳴りつけることがありま す。そのたびに私のホームペ 1 ジに賛否両論の書き込みがあ否定され、子どもは褒めて育てよなどという陳腐な教育論が 幅をきかせるようになるのです。 るのですが、生徒からは「はじめて本気で怒られた」とか 野口大人側のエネルギー不足にも間題があるんじゃないが 「怒鳴る大人を見て新鮮だった」とか、そんな意見が多いん です。それだけ学校の先生が、本気で怒っていないというこでしようか。子どもを叩いて叱るのって、すごくエネルギ 1 す がいりますよね。見て見ぬふりをする方が、断然楽かも知れ罰 とでしよう。 戸塚戦後教育の弊害ですよ。明治維新後に日本は西洋のない。荒れた学校で講演した後、ある先生が私に「不良なん る て学校に来なければいいのに」と本音を漏らしたことがあり語 文物を積極的に取り入れたが、戦前までは和魂洋才でした。 ますが、そういう先生たちのエネルギ 1 のなさが透けて見え音 それが戦後になって、洋魂洋才になり下がってしまった。 西洋的な精神論では、人間の理性は全知全能の神によってるから、生徒はますますつけ上がるんです。 私は高校の時、職員室で担任の先生と殴り合いになったこ 授けられたのだから絶対に正しい、ということになる。一
普通に働きたい若者に、「とにかく努力をしろ」という精任をというのは、けっしておかしな考え方ではないはずだ。認 神論や、「起業しろ」というマッチョな論理を提示したとこ また、それは経営者だけの責任ではない。十分な給与を得 ろで、そんな行き当たりばったりの考え方に意味はない。 て暮らしている正規労働者もまた、弱者に対して道を示す義 そうではなく、若者に「普通に働くことで普通に生活でき務を負う。通常の業務においては正規労働者たちもまた非正 る環境、を与えなければならない、そして普通の生活の中で規労働者から搾取をしている。それはバブルが崩壊したとき スキルを蓄え、将来の日本を支える強い労働者を産み出すこ に不利益を就職氷河期以降の若者に一方的に押し付けたこと と、そうした筋道を提示することこそが、本来「強者」に求もそうであるし、現状の正規労働者と非正規労働者が完全に められる社会責任なのである。 分離し、奪う側と奪われる側が一方的に決定されてしまって いることもある。 そうした状態を放置し、正規労働者たちが自らを「経営者 「強者」が果たすべき責任 に奪われている弱者」であるとうそぶく限り、正規労働者の 私たちが尊敬の念を抱くリーダーとは、実直に働く人たち なかから今の経営者に替わる人材は現れす、怪物が経営に居 に明るいピジョンを示し、自ら道を切り開いて人々を導くこ座る口実を与えることになる。 とのできるエリ 1 トである。 格差社会を口先だけで批判するのは簡単だが、これまでに 今の経営者たちのように目先の収益だけで事業の切り貼り構築された格差を切り崩し、再び正しく再構築することは言 をし、正規労働者を育てるためのコストを嫌って非正規労働うほど簡単なことではない。その責任を一方的に弱者の側に 者を増やすような連中、いわば、会社という穴蔵に引き籠っ要求する立場は、弱者を絶望に叩き落とすことになる。その て、自分の既得権益のみを守り通そうとして、労働者たちに 現れが今回の無差別通り魔事件であったのではないか。 向かって血なまぐさい大ナタを振るい続けるような愚かな怪 私はこの事件に巻き込まれた人たちに報いるためにも、こ 物などではない。 の事件を正しく理解し、今後の社会をより良い方向に進める 国際競争力を産み出すために、労働力の流動化を良しとす為に利用する必要があると考えている。 るのであれば、ますはそうした連中を経営の場から徹底的に そしてそれは、金銭的には弱者であっても、こうした一一一一口論 追い出すのが最初にすべきことだ。大きな権利を持つものに の場では自らの考えを述べることができる私が、強者として は大きな責任を、小さな権利しか持たないものには小さな責果たすべき責任である。
が弱い立場の労働者を見殺しにするのと同じく、普通の人た そこから溢れた非正規社員を使うような、身分制度とも言え る労働区分では、非正規社員に向上心は生まれないし、向上ちも弱者を都合よく利用しようとしているのが透けて見え る。 心があったところで報われることはない。一方で現場を知ら 六月十日の読売新聞朝刊「編集手帳」のなかで、記者は ない正社員が現場の決定権を握るため、企業の為に必要なコ 「世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいい ストと不要なコストの区別がっかず、ムダな脂肪を削ってい ものをーと書いている。 るつもりで、必要な筋肉を削り取ってしまっている。 また一方で、「どうせやるなら六本木ヒルズでやればよか 例えば、高齢化社会を迎えるにあたって重要な産業である った」。つまり富裕層を殺すべきだったということを言う人 はすの福祉産業で、介護福祉士が低賃金であることが社会問 もいた ( 私自身、事件直後には「巣鴨でやればよかった」と 題になっている。低賃金に加えて不規則な仕事時間である いう旨の発言をしており、考えが足りなかったと反省してい が、それでも「お年寄りに喜んでもらいたい」と、少しでも る ) 。 質のいい介護を提供すべく頑張っている人は少なくない 前者はちゃんと働いている労働者を、まるで卵を産まなく しかし、そうした人たちの努力に対して、国は報いるどこ ろか、人手不足だからとうそぶいて、フィリピンからの介護なった雌鳥のように殺せという暴論である。後者もまた、弱 士を受け入れるのだ。日本人による持続的な質の高い介護よ者に都合のいい相手を殺させようとする考え方である。前後 り、海外からの出稼ぎ労働者の安くて一時的な介護を推進しのどちらにしても、弱者に対して都合のいい行動を望む、強 る 者の傲慢に過ぎない。 ようとしている。 な だが実際には、あの事件があったからこそ派遣労働者の現に 工場労働においても、労働者のスキルの蓄積など考えす、 外国人労働者を大量に雇用したり、逆に工場そのものを海外状が多くの人に知られることになったし、舛添厚生労働大臣 が「日雇い労働の原則禁止」ということをいい出したのも、 に移転するなどして、日本人を現場からどんどん外してしま 鬼 少なからすあの事件がキッカケとなったことは間違いない っている。 口を開けば「国際競争力、などというが、国内労働者のスそれによって非正規労働者の状況が、今よりもマシになる可殺 キル向上を国や経済界が放棄して、果たして日本の国際競争能性のあることは、無視できないのである ( 私自身、あの事 件を利用し、こうして記事を書いて原稿料を得ているのだか 力など育つものなのだろうか。 3 秋葉原の事件に関するマスコミ論調などをみると、経営者ら " 恩恵″を受けた一人であろう ) 。
新たな「名無しさん」たちの存在を正面析したりする奴や、会社の総務部で会社 3 すでに膨大に存在する無名のプログ、から見ることもできなくなっていることの携帯を一斉に•- チャネル解約させたり 掲示板の類のほんのひとつに書き込まれを自ら露呈する。因果応報、いやいや、する連中もみかけた。それが実態なのに ている、たとえばこんな見解、あんなごこれはやはり輪廻転生と見るべきか。 毎日は 2 0 c " ネットオタクと決めつけ 意見。いやもう、どれもこれも原則おお ているから炎上状態でも効果的な鎮火が むね異議なし、まさにおっしやる通りの 今時ネットに繋げて 2 ちゃん使ってるできない 現状でございます、はい。 ま、 2 ちゃんねるの主力を構成してい 層なんて特殊でも何でもないのに変態社 長にはそれがわからんのかね。変態社長る年代層と数を毎日は認めたくないんだ 今時、ネット好きな若者なら 2 0 c は が「あの連中」呼ばわりした中には自分ろうな。中国の毒ギョーサ事件で日本が 必ずチェックしてますから。«oc= 厨等の客も居るし、金を出してくれるスポスプリング 8 を使って解析した結果を突 房 aaz 層なんていう図式は 5 年ぐらいンサーやその客だって大勢いる事はちよきつけても中国側は「受け入れることが 前にとっくに崩壊しているんだけれどっと考えりやわかりそうなモンなのに出来ない」って言っていたのと同じだ。 も、アタマが石化している新聞社は認めさ。考え無しに他のせいにするから敵が たくないんてしよう。 うん、 2 ちゃんで一番多い層は代 ドンドン増えてくんだよ。 3 薊代は絶対数が多 次が代と代。 いから自然とそうなるよね。こんな簡単 かって、学生運動なるものがまだ盛ん つか、 2 ちゃんの主力って圓代前後の だった頃、「ノンセクトラジカル、なるオサーンに片足つつこんだ連中じゃなかな事が毎日は何故解らないのか : 標語があった。党にもセクトにも属さなったか。俺もだが。ジョジョネタとかガ いまさに無名の名無し学生たちの集まンダムネタとか銀英伝ネタへの食いっき怒りをおさえきれない「名無しさん」 たちは、毎日新聞に広告を出稿している り。それが今の時代、異なる情報環境にが異常だぜ。 ーマンで会社の中でも企業などに、主にメールや電話でクレ 1 おいては電網世間の「名無しさん」たち逆に言うと、リ の集合として立ち現れる。かってその中堅どころとしてそれぞれの専門分野をムをつける行為で対抗。昨今言われるク 「ノンセクトラジカル」に舞い上がった持ってそこそこのポジションにいる奴らレーマー、モンスタ 1 〇〇と同じような 当事者たちがそれから三、四十年の後、ばかり。実際、毎日新聞の財務体質を分理不尽な粘着ゴネ得狙いの不埒なやり口