は、新自由主義の登場とは何を意味していたのか。改めて論政治・社会全般を安定させてゆくところにあった。この社会 じおこう。 的な安定があってはじめて、経済成長は可能だったのであ ます確かなことは、「新自由主義ーは、七〇年代から八〇る。 年代にかけての、アメリカにおける政治的抗争の産物であっ ところが、七〇年代には、アメリカ製造業の生産性は急速 た、ということである。いささか単純化してラフな言い方を に低下し、八〇年代には、自動車、ハイテク、機械などにお すれば、アメリカには、「北部型の経済」と「南部型の経済」 いては日本に追い越されるのである。そこで、レーガノミッ の対立がある。さらに多少の精度を上げるなら、「東部型」 クスは経済の基本的な考え方を大きく転換してゆく。製造業 と「西部型」を区別しておく必要もあろう。おおざっぱにい の大量生産、大量消費方式の「北部型ーから、搾取労働に基 えば、「北部型」は自動車産業等の製造業が中心となる大企 づく「南部型」、さらには、金融・サーヴィスの「東部型」、 業体制、大量生産方式、政府による援助や保護主義と結びつヴェンチャ 1 の「西部型 , へと転換してゆくのである。「南 いてきた。「南部型」は、農産物や資源の一次産品を、独立部型」は、熟練労働の高賃金ではなく、単純労働の低賃金に 自営業者が低賃金労働を使って ( かっては奴隷労働であっ よるコスト削減によって利潤を確保しようとする。そして、 た ) 生産する、という搾取型の経済といってよい。これに、 もはやアメリカ国内で低賃金が確保できないとなれば、工場 金融とサーヴィス業中心の「東部型 . と、個人ヴェンチャー の海外移転によって海外の低賃金労働を求めてコスト削減を 的な「西部型ーを合成したものがアメリカ経済とみておいて行う、あるいは移民労働や不法滞在労働によって賃金コスト よいだろう。 を削減したのである。 戦後アメリカ経済をリードしてきたものは、 ) 。うまでもな この経済構造の南北対立は、また、政治的対立でもあっ 「北部型」の製造業であり大企業体制であった。この経済た。主として「北部型 , に依拠する民主党と、「南部型、に の基本的な構造は、労働者の権利保護や生活向上を可能とす依拠する共和党の対立がそこにあった。結局、「北部型 . の る高賃金、高い消費、そして、その結果としての大量生産と生産性の低落によって、民主党は敗北するのである。 労働生産性の向上、研究開発や技術革新からなっていた。技 同時にまた、ここには、イデオロギーの転換があった。政 術革新による労働生産性の向上によって賃金水準を上昇さ府と大企業と労働組合の協調による経済社会の安定と需要拡 せ、需要を喚起したわけである。これはフォーディズムと呼大というケインズ的・福祉的政策 ( ニーディール体制 ) か ばれる戦後アメリカの産業構造の基本形であるが、その特質ら、自由主義、個人主義、能力主義を唱える共和党のイデオ は、労働者の生活向上によって、膨大な中間層を生み出し、 ロギーへの転換である。「南部」と「東部」 ( ユダヤ的な金
パ 1 ルが「計画社会への過渡期、とだけ言ったかのように捏九条を擁護した・ : : というもので、ひたすら左翼に都合よく 造していたのだ。西部が中島の本だけを読んで、判決書を読 パ 1 ル判決をねじ曲げており、それを左翼が大喜びしたのは んだふりをしている証しである。 あまりにも当然だったのだ。 実際には、パ 1 ルは未来に希望を託しながらも、懐疑的な ところが西部は、中島が左翼も反左翼も批判していたかの 目も向けている。判決書のこのくだりを西部が本当に読んでようにすりかえている。卑怯きわまりない手口である。 いたならば、『平和の宣言』のパールを薄っぺらな理想主義 中島は西部の詐術に乗ってヌケヌケと「私はこの『パ 1 ル 者としてあんなに罵倒できなかったはすである。 判事』を先生がおっしやる『左翼』と『反左翼』、両方の陣 そもそも西部が「国際法なんか重視するほうがおかしい 営から批判されることを覚悟しながら書きました」「ところ という屁理屈を言い張ったこと自体、そうして卓袱台をひっ がふたを開けてみると、左翼の陣営からは厳しい批判はなさ くり返してしまえば、判決書なんか読まなくても批判ができれす、逆に反左翼からは強く批判されることになりました。 るという安直な発想からであることは、もう丸見えなのだ これは二十一世紀の日本という状況において非常に面白い現 カ 象だと感じました」と言っている。 さらに看過できない点がある。西部は中島を守るため、平 左翼に受けるように書き、左翼に全面的に歓迎された自分 然と事実を曲げているのだ。 の本の受容のされかたを捏造し、両翼の中間で書いたかのよ 《中島君は、東京裁判の判決が法律論として間題がある、そ うにスライドしている。たった一冊の本でこそこそと転向し れどころか棄却さるべきだ、とすら認めています。だから、 ているのだ。こんな卑怯な詐術まで弄して中島を守る西部が 左翼は、中島は級戦犯という存在を否定している、これは「真正保守ーだというのなら、「あなたは何も悪くないのよ」 許せない、マスコミから抹殺すべきだ、となるべきはすなのと甘やかして反社会的な子供を育ててしまう今どきの親も、 に、正反対の対応をしている》æE) みんな「真正保守」である。 中島は「東京裁判判決は棄却さるべきだ」なんて言ってい そしてついに西部は、「級戦犯無罪 , を「日本無罪ーと ない。そもそも中島の『パール判事』の基調は、パールは東言うのは「論理の飛躍」だと言ゝ しノ 1 ル判決は日本無罪論 京裁判を一部認めていた、特に「通例の戦争犯罪、についてではないと断言してしまう。 はその意義を積極的に認めていた、パ 1 ルは日本の戦争を道 『パール真論』で詳述したが、「級戦犯」の行為は「国家 義的に非難していた、日本と西洋は同じ穴の狢だと批判しの行為である」とノ 。、 1 ルは明言している。「級戦犯」は憲 た、パール判決書は「日本無罪論」ではない、パールは憲法法に基づき、国民の意志を付託されて国家の行為を遂行した 0 6
のグロ 1 バル・スタンダードだったと書いた。当時を生きた運動家が完全に論破された主張を平然と繰り返すのと全く同 人間・パールが、当時の道徳・慣習をも含んだ国際法によっ じ態度であり、堕落した知識人というものは、こうまで醜悪 て判断した結果であり、道徳的にも常識的にも、これが当時を晒すのかとっくづく幻滅した。 のレーレよ」っこ。 産経新聞八月十一一日付の「正論」欄に、新保祐司氏が見事 西部は外国人の視点になど頼らす、日本人が自前の歴史をな一文を書いている。江藤淳が発掘した吉田満の『戦艦大和 書くべきだと言いたがる。それがわしの『戦争論』のよう ノ最後』の初稿では、末尾の文章が「至烈ノ闘魂、至高の錬 に、吉田満や林房雄に連なるものなら良いのだが、最近の傾度、天下ニ恥ヂサル最期ナリ」となっていたという。小林秀 向は半藤一利や保阪正康がやるような「蛸壺史観ーに陥るば雄がこの初稿を読んだ感想が「大変正直な戦争経験談だと思 かりである。ひたすら日本の内部にだけ目を向け、なせ無謀って感心した」というものだったらしい。「敗戦直後の『大 な戦争に至ったのか、誰が悪かったのかと内部の「犯人探変正直な戦争体験談』からの言葉は、『天下ニ恥ヂザル最期 し」に終始し、贖罪だ、反省だという話になっていく。西部ナリ』というものだったのである。」と新保氏は書いている。 自身がもうすっかり蛸壺にはまって、戦後民主主義史観で贖まさにこれがマッカーサーの啓蒙を排した日本人の歴史的道実 徳観であり、伝統精神だったとわしは確信する。 不 罪と反省を口にするようになってしまっているではないか。 自国の歴史を正確に理解するには、グローバルな視線は欠か 「パール判決書ーを読ますにパ 1 ルを語り、剰えパールを嘲知 の せない。その意味でも、『パール判決書』は日本にとって最り、ケルゼンの「純粋法学」も読まずにアンチョコで出鱈目 ち を語る西部・中島のお二人さんに「道徳」などという言葉を も大切な歴史文書なのである。 者 しかし中島はそれを読んでも理解できす、西部は老眼のせ口にする資格があるのか ? 日本人の道徳観に照らし、知識学 いか読むことすら諦めていて、ありとあらゆる的外れな罵倒人としての自らの不法な行為を反省し謝罪する構えがあるのめ か ? 間違いを間違いとして認めす、反省も謝罪もしない学を を繰り返した。それは彼らが戦後民主主義に洗脳された薄ら 者が、なんの資格で日本は反省し謝罪すべきと主張している意 サヨクに過ぎないからである。 のか ? まあ、この二人の議論は徹頭徹尾お付き合いのため書 他にも西部・中島は大量にインチキをしゃべっているが、 なのだから、伝統精神をかなぐり捨てて末永くお幸せにと言 それらは全て『パール真論』で論破したことの繰り返した。 判 ル 対談を行う前に、既に本誌論文や『』誌の連載でっておく他あるまいが ( 平成一一十年八月十五日、終戦の詔勅の日に記す ) わしが論破していた論点も、無視を決め込んで同じ主張を強 5 6 弁している。それは慰安婦間題や南京虐殺に関して、サヨク
「東京裁判は国際法に基づかない不当なものだ」と批判した ネチネチ批判を続ける。わしは恩人に因縁を吹っかけてから ところで、当時は何の効果もなかっただろう 。パ 1 ルは内部みまくるチンピラのイチャモンを延々読まされているような でなんとかこの裁判を国際法に基づくものに変えようと、他気がして、気持ち悪くなった。 の判事と激しいやりとりも行って、これを「勝者の裁き」に 西部は、日本の保守派がパールの世界連邦主義について しないための戦いをした。そして東京裁判判事の立場で東京「気づかない鈍感さ、あるいは私に言わせれば気づこうとし 裁判批判を行い、全被告無罪の判決文を歴史に残すという離ないご都合主義、これを批判せざるをえない、と言ってい れ業を成し遂げたのだ。 る。 さっさと東大教授の職を辞めて、評論家として外から好き 西部さんよ、本当に大丈夫ですか ? 誰だって気づいてる 勝手言って、それで東大を何か変えたか ? 一体、何様のつんですよ 、パールの世界連邦主義という思想が穴だらけだっ もり - か てラ」と 2 、、りゝよ。よ」ゞ、 オカ誰もが精神のバランス感覚を持って ついでに言えば、西部は東京裁判で清瀬一郎弁護人の理論 いるから、大人気ないことをしないだけですよ。 を忘却してパールにばかり依存するのは「まず外国人の日本 確かに思想的には不可能なことも言っているけれど、あの 評価を気にする、という島国根性がまだ続いているというこ時代にそれを言うところに、。ハールという人物の誠実さを感 とですね」と頓珍漢なことを言っている。 じるから、あえて非難せず、より偉大な業績の方を賛美して 被告人に有利な理論を被告側弁護人が主張するのと、裁判 いるのですよ。人間の誠実さがわかる人なら、普通こんなチ 官が主張するのとでは、重みも意味合いも違って当然であ ンピラみたいな態度はとりませんよ。 る。単に外国人の評価だからという理由でありがたがってい インタ 1 ネットの「 2 ちゃんねる」でパール論争が行わ るのならば、プレイクニー、ファ 1 ネス、スミスら米国人弁れ、ここでパール本人が「日本無罪論」の呼称を認めている 護人もパールと同等に扱われているはずではないか。 手紙の存在が発表された。これは玉石混交のネットの中で最 『パール真論』で描いたとおり 、パールは日本の恩人である高の「玉」だったが、「石」の程度の低いものには、本当に とわしは考える。日本人としては、恩人に礼を尽くしただげ目を覆うものがあったとスタッフが報告してきた。中でもよ である。しかし西部はパールに対して「彼のいささかならず く目についた最低の書き込みは「パールなんて世界連邦を信 貧相な法律観、「あまりにも人間に対する認識が浅い」「友愛じてた基地外 ( キチガイ ) だろ ? 」というものだったそうだ なるものも偽善の芝居だ、ということを、何ほどか見つめな が、西部・中島はこれと全く同じことを保守用語で粉飾して いで法律家をやっていられるんですか、と尋ねたいなどと言っているだけである。この二人の自称保守派の精神は、
徳・国際慣行の裁きであり、マッカーサ 1 こそが「真正保その経緯をわしが解説に書き、巻頭に載せている。 守」だということになるではないか。 それを中島はヌケヌケと、「最近、小学館から復刊されま 西部は歴史感覚を完全に喪失し、マッカーサーの道徳を伝したので、日本の読者がずいぶんとアクセスしやすくなり、 統と思っている自称保守、マッカーサーによって啓蒙的につ パ 1 ルの思想の概要を知るには、最も適した本だと思いま くられた左翼主義の人間と判断するしかない。西部邁とは、 す」と、たまたま小学館が『平和の宣言』を復刊したかのよ 左翼の地金に保守思想のメッキをしていた男に過ぎなかった うに言い、「ボクが読んでいるのは原著だから、復刊の巻頭 ようだ。ついにメッキは無惨に剥がれてしまったが。 に載っている解説のことなんか知らないよ、というふりをし て話すのである。 日本の恩人を罵倒する詐称保守の「貧格」 そして西部も中島の詐欺的手段にすっかり同調し、わしの 解説を読んでいないふりをして、こう言っている。 、。、ールの 西部・中島の「詐称保守派」は『間い直す』で 《パ 1 ルはこう言っています。「みなさんは、つぎの事実を 言行録『平和の宣一言』の批判に全体の三割以上を費やしてい 隠すことはできない。それはかってみなさんが、戦争という る。同書は最近小学館から『パール博士「平和の宣言」』の手段を取ったという事実である」と。ここで言われている タイトルで復刊された。原著の第三部を第一部に移し、巻頭「みなさん」は当然、日本人のことですから、これは紛れも に解説を加えた以外、内容は全く原著と同じである。普通こ ない大東亜戦争批判であり日本人批判です。 ういう場合、特に対談の新書のような軽い本では読者の便宜 やはり彼は、東京裁判のときもはっきりと、日本の戦争は を考え、現在手に入る書物に基づいて話すはずだが、二人は全体として言えば不当な戦争であったと考えていたわけで あくまでも復刊の『パール博士「平和の宣一一一一口」』ではなく、 昭和一一十八 ( 一九五三 ) 年の原著『平和の宣言』だけを読ん ここで西部が引いている「みなさんは、つぎの事実を隠す だことにして対談している。なぜかというと、復刊の巻頭に ことはできない , のパ 1 ルの発言についても、わしが復刊の 載っている、わしが書いた『「平和の宣一言」復刊にあたって』解説にその真の意味を明確に書いている。この発言は中島の という解説が都合悪いからである。 著書『パール判事』の帯に刷られ 、パールが日本批判をした 『平和の宣言』は、長らく絶版になっていたのをいいこと かのような印象操作に使われたのだ。しかしそれは前後の文 に、中島カノ ゞ。、 1 ルの発言を都合よくつまみ食いして利用して脈を通して読めば全く違う。 いた本であり、原典を誰でも読めるようにしなければならな 「日本は美しい国であり、愛と平和を求める国であるにもか いと、わしが小学館に頼んで復刊してもらったのだ。そしてかわらす、戦争をした。今日我々の住む世界は、それほどま 6 5
ゞヾールの言わんとしたこ生運動をやっていたほどの愚か者が何を言っていると、延々 でに矛盾に満ちている」というのカノ ということになる。現に九・一一テロ以 とであり、そこに大東亜戦争批判や日本人批判の意図は特にあげつらってもいい 降、アメリカ批判をした西部に対して親米保守が一斉にその こもっていないのである。 ような誹謗中傷をした。わしは西部を守るため、過去をあげ それをわざわざ西部は、中島本の情報操作そのままに発言 している。嘘は百篇繰り返せという魂胆なら実に悪質であつらうことに意味はないと主張し続けたのだが、あれは何の ためだったのだろうか ? る。仮に西部が本当に原著の『平和の宣言』しか読んでおら パールが理想主義者・平和主義者であることくらいは、誰 す、復刊の巻頭のわしの解説を読んでいなかったとしたら、 にでもわかることである。そして、それが破綻しているだ 西部はもはや前後の文脈を読み取る国語力も喪失してしまっ の、保守思想とは相容れないだのとあえて言わないのは、そ たということにしかならない 西部・中島が本の三割以上も使って『平和の宣言』を批判んな大人気ないことを言う必要がないからである。誰も「絶 したのは、本誌一月号の西部論文の第二の論点、すなわち対平和主義者」の活動をパールの業績として評価しているの 「パールは絶対平和主義、世界連邦主義という左翼思想の持ではない。東京裁判のど真ん中に入り込んで「日本は無罪で ある」という判決を下したことを評価しているのだ。マッカ実 ち主で、そんな人物を自称保守派が評価するのはおかしい、 ーサ 1 独裁の下でそれをやることは、命がけと言ってもいし不 という主張を繰り返すためである。しかしこの論点について 的 知 もわしは本誌一一月号で論破している。戦後七年という時代背ほど大変なことだったのである。 の ち 西部は「ここで自称保守派には、『あなた方が法律論をふ 景を無視して批判すること自体が無意味で、「歴史的パース りかざすのであれば、パ 1 ルが判事を引き受けたこと自体 者 ペクテイプ , を欠いた行為なのだと。 が、東京裁判を全否定などしていない証拠だ。あるいは不法学 にもかかわらす西部は「パールの思想が、保守派には明ら かに認め難い」とあげつらい、「平和主義者を毛嫌いしてきの東京裁判で判事を引き受けたパールは、法律家としては間め た反左翼、自称保守派の陣営が、平和主義者パ 1 ルを見て見題だ』と一一『〔、言っておきます」とまたもや的外れな批判をを 意 している。 ぬふりをするというのは思想的なごまかしです」と論難し、 この左翼に先祖がえりした詐称保守派は、東京裁判判事と書 パールの発言をこと細かく批判していく。 判 いう立場でマッカーサー及び東京裁判と戦うことこそが、最 確かに現在から見れば、パ 1 ルの平和主義は明らかに破綻 ル も過激な戦い方であるということに、考えが及ばないらし しているが、時代背景無視でそれをあげつらい、得意満面に 。東京裁判判事が東京裁判を全否定する判決文を書くとい なることに何の意味があるのか ? そんなことが許されるな くら外から 5 ら、西部邁はたかが左翼の学生運動家だったではないか、学うことのすさまじさに、思いが至らないのだ。い
) 、バール判決書の意味を歪める 「学者たちの知的不誠実一 これでも知識人と言えるのか。 「自称保守」を非難する前に自らを省みよ。 西部邁・中島岳志が語る「『日本無罪論』の真相」の。真相を 漫画家・こばやし・よしのり」 ハ林よしのり ニズム宣言」で展開した中島岳志著『パール判事』への批判 自称保守派とは誰のことなのか ? に大幅な書き下ろしを加えた『パール真論』を六月一一十三日 に上梓した。西部・中島両氏の新書『問い直す』はそれから 最近の新書プームは、論壇誌の一企画でいいではないかと 一カ月近く後に出たのだが、わしが指摘した数多くの誤りに 思える内容をわざわざ一冊にし、お手軽な教養を求めたがる一切反論せす、同じ嘘の強弁を繰り返しているだけなのだか 大衆相手に商売する魂胆が見透かされてきた。西部邁、中島ら呆れる。 岳志両氏の対談本は、新書プームの終焉を一層加速させる立 本誌一月号の西部論文におけるパール批判の論点は主に二 派な役割を果たしていると言えようか。 つあった。第一には「パールは法律至上主義者であり、国際 『パール判決を間い直す』 ( 講談社現代新書、以下『間い直道徳を軽視し、国際政治を無視した」というもの。第二には す』 ) は、そもそも一体何のために世に出したのか動機が疑「パールは絶対平和主義、世界連邦主義という左翼思想の持 われる。なぜなら、その論旨は西部氏が本誌一月号に書いた ち主で、そんな人物を自称保守派が評価するのはおかしい」号 「パール判事は保守派の友たりえない」のパール批判の焼き というものである。 年 直しに過ぎず、それが誤っていることは同一一月号でわしが発 第一の論点を補強するつもりか、西部・中島は『間い直 表した論考「西部邁氏の誤謬を正す、でと「くに証明済みだす』で執拗に ( ンス・ケルゼンの法実証主義を批判する。例れ からである。 えば中島は , つ一一つ。 正 わしは本誌発表の論文や『』誌の連載「ゴ 1 マ 《保守派であるならば、道徳や慣習、伝統的価値、社会的通 。、 1 レ 野すを一れ 0 ッ 二 11 ロ 0 5
矛盾がある」『諸君 / 』一一〇〇八年一月号 ) 。 ある。『パール判事』の帯にも〈みなさんは、次の事実を隠 同様に私も、西部氏の発言に何も反応しない中島氏の姿勢すことはできない。それはかってみなさんが、戦争という手 に「知的誠実さが欠けている」と言わざるを得ない。中島氏段を取ったという事実である〉と ) うヾ しノ 1 ルが昭和一一十七年 は自分自身の言葉でパール憲法九条擁護説の是非について改十一月十日に法政大学で行った講演の一部が引用されてい めて述べるべきであろう。中島氏が提起したパ 1 ルが憲法九る。日本が戦前に「戦争という手段を取った事実 , をガンデ 条の擁護者であったか否かという問題は重要な論点であり、 ィー主義者のパールが肯定するはすがないということであろ これをそのまま放置しておいてはいけない。最初に間題を提う。 起した者の責任として明確にすべきではなかったか。 中身の検討に入る前。ノ リこ、。、 1 ルがたとえガンディ 1 主義者 西部氏もここで改めて中島氏にその間題を間い質す必要がであったとしても、そのことをもって『パール判決書』の評 あったのではないか。それを「論理的必然」で片付けてしま価に影響を与えるものではない、またそうあってはならない うのでは無責任の謗りを免れない。このままでは中島氏は西という点を明らかにしておきたい。 この点については、渡部 昇一氏が、戦後日本には日本人に自虐思想を植え付けた東京 部氏という「保護者」に擁護された「保護者付き論客」とい うことになってしまう。中島氏は保守を自称しているらしい 裁判史観と、被告全員の無罪を主張したパル判事の史観の一一 が、保守はこうあるべきだと他人にお説教を垂れる前に、思 つがあると自身が指摘した ( 本誌二〇〇七年十二月号 ) とこ 想的立場を超えて先ずは研究者としての学間的誠実さを示すろ、西部氏から〈このように一一つの史観を対立の構図のなか べきではないか。 においてしまうと 、パ 1 ル判事があの戦争を自衛戦争として 全面的に肯定したようにみえてくる。ガンジー「主義者」 ( にすぎなかった ) パール判事がそんな見方をするはすがな 判決書を日本無罪論と解するのはミスリーディングか い〉 ( 本誌二〇〇八年一月号「パール判事は保守派の友たり 憲法九条の間題はこのくらいにしておいて、本題に戻ろ えないしとの批判があったことを紹介しながら、次のよう な反論を行っていることが注目される。 う。論争の最大の争点は、『パール判決書』を「日本無罪論」 と理解するのはミスリーディングであるか否かということで 〈これはいささか的外れである。私が問題にしているのは、 ある。ミスリーディングを主張する中島氏の根拠の一つは、 「パルが大東亜戦争を肯定しているかどうかーなどではまっ パ 1 ルが絶対平和主義を唱えるガンディー主義者であり、そたくなく、「パルが、東京裁判は国際法的に成り立たない裁 れゆえ戦前の日本の行動を擁護するはずはないというもので判であり、検事側の告発に対してすべての日本人の被告は、
の条文というものが、どこかにあると思「ているのだろう系の基礎にいわば『歴史的自然法』が胚胎している」とい カ ? ・ いくらウエストファリア条約以降、個人の宗教や思想 う。この「歴史的自然法」とは「『歴史の英知』ともいうべ 信条を法に持ち込まないようになったといっても、その法自き国民の規範意識のことであり、保守たる者は歴史的自 体の中には、倫理や道徳が内包されている。裁判官は個人の法に則らなければならないという。西部によると、「歴史的 倫理や道徳を持ち込むのではなく、法に内包された倫理や道自然法」とは異なるものとして「啓蒙的自然法」があり、こ 徳を行使するのである。西部・中島の法律観はあまりにも幼れは「哲学的思弁や宗教的想念によ「て、超歴史的な理性が 稚で浅薄としか言いようがない 社会秩序の根底を支え社会規範の発展を方向づけている」と もちろん成文化された実定法を超えた道徳や倫理が世の中 いう考えに基づき、「一種の神秘主義にすぎない」と批判さ には存在するが、それが実定法として結実するには歴史の積れるものだそうだ。 み重ねが必要である。実定法という「合理的認識」に到達し その上で西部は法実証主義と罪刑法定主義は「左翼 ( 近代 ていない道徳や倫理で人を裁くのは、かえって危険な行為な 主義 ) 的な法律観」だと再度強い疑義を呈する。小難しい言 のだ 葉を並べ立てているが、要するに保守ならば国際法を超える そして、国際法とは「条約」と「国際慣習法」から成り立「歴史的自然法」、すなわち「歴史の英知」や「伝統精神に つ。「条約 . とは「国際政治」の産物であり、「国際慣習法」 よって東京裁判批判をすべきだと言いたいのだ。それでは西 とは「国際道徳」の産物である。つまり国際法を尊重すると部は、何を「歴史の英知」や「伝統精神」だと言うのだろう いうこと自体が、国際政治と国際道徳を尊重するということ カ なのである。このようなことは、本誌二月号の論文 ( 『パ それは、信じ難いものであった。 ル真論』第六章に収録 ) でとっくに詳述している。しかし西 西部は『問い直す』の巻末から一一ページ目、まさに結論の 部・中島はそれをろくに読みもせす、既に論破されたデマ部分でこう書いている。 を、誤ったケルゼン解釈で塗り固めようとしたわけだ。 《少しすつ「侵略 , ( 覇権的先制攻撃 ) の度合いを強めてい 西部は、国際法に基づいて東京裁判批判をすることを「制 った近代日本の戦争史に適正な贖罪を行い的確な反省を行う 定法至上主義」に与しているとひたすら嘲笑し、それは「社 ためにも、制定法を至上とするルール観を超えて、歴史的自 会規範について論じるのを不要として拒ける見解、で「狭い 然法 ( 国際道徳 ) そして慣習法 ( 国際慣行 ) にまで歩を進め 近代主義 . にすぎす、保守たる者がとるべき態度ではないと なければならないのです》 ( P205 ) し、つ わしは思わす目を疑った。 さらに西部は、英国の法哲学は慣習法を重んじ、「慣習体 西部は「近代日本の戦争史、は「侵略、であり、「適正な
触れられても、それ以外の部分には、全くといっていいほど号で中島氏を批判した「パール判事は『憲法 9 条』を『ガン 関心が向けられない。「東京裁判史観ーを批判する論客が、 ジー主義』と言ったのか」を書いた他、— O 』連載 「パール判決書』の都合のいい部分だけを切り取って引用し、 中の「新ゴ 1 マニズム宣言」で断続的に中島氏批判を展開し 自己の歴史観を補強するために利用しているというのが実情 だ。 / 「このような『パ 1 ル判決書』のご都合主義的な利用 また、小林ー中島論争に〃参戦した西部邁氏を、本誌一一 が、パール下中記念館の荒廃につながっているのではない 月号「西部邁氏の誤謬を正す」で批判し、これらに書き下ろ か。」 / 私は館内で棒立ちになりながら、強く思った。 / 目し漫画、『パ 1 ル判決書』の要約・解題を加えて『ゴ 1 マニ の前に置かれオノ こヾールの遺品は、無残な姿に変わり果ててい パール真論』 ( 小学館 ) を今年六 る。写真の一部は、何が写っているのか判別できないほど、 月に上梓した。対して中島氏は『現代』二月号に「著書『パ 朽ち果てている。史料はかなりの部分が抜き盗られ、散逸し ール判事』への誹謗中傷に反論小林よしのり氏にガチンコ てしまっている。 / 「これでは、パールは浮かばれない , / 討論を申し込む」を書いた他、七月には西部氏と『パール判 私は強い憤りを感じながら、館内を見て廻った。そして、 決を問い直す「日本無罪論」の真相』 ( 講談社現代新書、 「今こそパ 1 ルの思想や主張の全体像を提示しなければなら 以下『間い直す』 ) なる対談本を上梓した。 ないと思った。 / 本書の動機は、このときから始まった〉 ここには同書の主な内容と著者の間題意識、執筆動機が端 。、ールは本当に日本国憲法九条の護持を訴えたか 的に語られている。では、中島氏の言うノ 。、 1 ルへの「曲解」 の とは何であろうか。それは、中島氏が同書の序章に書いてい これまでの論争の主な論点は、既に牛村圭氏が「『パル判両 るように『パール判決書』が〈『日本無罪論』というミスリ 決Ⅱ日本無罪論』に秘められた乖離」 ( 『諸君 / 』一一〇〇八年中 ーディングな表現によって勝手な拡大解釈がなされ、ご都合九月号 ) で指摘したように、『パール判決書』Ⅱ「日本無罪 西 主義的に流用され続けている〉ということである。 論」という理解は、本当に中島氏が一一一一口うようにミスリーディ る 同書の上梓から一年以上経つが、この間、著者が〈『パー ングなのか、という点に収斂されているように思う。しか ル判決書』の一部分を都合よく切り取り、『大東亜戦争肯定し、そのいわば本丸の間題に入る前に、中島氏が『パール判 論』の主張とつなげることには大きな問題がある〉として、 事』で明らかにした、パールが日本国憲法第九条の護持を繰道 法 その代表格として取り上げた『戦争論』の著者・小林よしのり返し主張したという説について検討してみたい。 り氏との間で論争を巻き起こした。小林氏は本誌昨年十一月 この間題は、中島氏が昭和一一十七年十月三十一日付毎日新