反乱 - みる会図書館


検索対象: 光と影のトラキア
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1. 光と影のトラキア

もしろおかしく港で語られない日はない。 「ティナ姉さまが 唇をかんだサラに、ルデトは静かに言い聞かせた。 「仕方なかった。トラキアは属国の分際で反乱に失敗したんだ。数千人が皆殺しになって も不思議じゃなかったのを、寛容に許された。人質の一人や二人くらい でも、とサラは毎しがって涙ぐんだ。 いったいリュシアスは何をしていたのだろう。どうしてルデトの大切なティナが、もう しい年のフィリッポス二世に嫁入りしなければならないのだ。 ルデトは困ってしまった。 「大丈夫だ、リュシアスさまが身柄は預かると言ってくださった」 「預かるくらいなら、最初から反対してくれればいいじゃない。リュシアスのばか」 ア「ばかは俺だよ」 じちょう と、ルデトは自嘲した。 の「わざわざ戦地にしやしやり出ていって、俺が交渉さえしなければ、あんなことにならず にすんだんだ」 光 トラキアなど、あのままカビュレの村で玉砕してしまえばよかったのかもしれない。 ティナも自分も死んで、きれいにけりがついていたことだろう。そう投げやりに思うた

2. 光と影のトラキア

( 裏切り者ーー父さまをそばで助けるなら、なぜ、なぜもっと早く、来てくれなかった ふむ、とフィリッポス二世がその横顔に見入った。 たしかに、思わず指でつついて泣かせてみたくなるような、線の細さ、器量のよさであ きやしゃ る。だがその華奢な体じゅうに、悪の念が満ちあふれているのがなんとも不思議な印象 を抱かせた。 シャムペーラ ( 象徴、か ) ふくしゅう 何千ものトラキア男たちに復讐の象徴として祭り上げられていただけあって、やはり ただのおてんば娘というわけではなさそうだ。トラキア側の反応をよくうかがいながらた ずねてみた。 「どういう素性の娘だ」 打「わが娘です」 お と、老将軍が感情を圧し殺した声で答えた。 のほう、とフィリッポス二世がますます事態をおもしろがり、ついに椅子から立ち上がっ なるほど、何がこの反乱の精神的支柱だったのか、だんだん王にもっかめてきた。マケ ふち 皿ドニアはこのたった一人のただのトラキア娘のために、一時は絶体絶命の淵に立たされた

3. 光と影のトラキア

272 「で、ハミルの所在を知らないかと俺にきいてきたから、ミエザにいるとすぐに返事を出 しておいた。ミエザに連絡はこなかったか ? そうか、とリュシアスが腕を組んだ。 「あのあとすぐに反乱がおきて、それどころじゃなくなったんだろうな。でもまさかあの 計算高いルデトが、一人で反乱軍を説得するなんて無茶をーー」 と言いながら、リュシアスはようやく一つのことに気づいていた。 ( すべてはあの人のためだったのではないか ばんやりしているリュシアスに、ハミルは首をかしげてしまった。なんともリュシアス らしからぬ自失ぶりである。 「リュシアス ? 」 「ん ? 」 リュシアスは深くため息をつくと、気を取り直すようにハミルにむいて座り直した。 まずはとりあえず、このそそっかしい弟分をなんとかしなければ落ち着かない。 「おい、言わせてもらうぞ」 ハミルも身構えた。 「何を」

4. 光と影のトラキア

同じころ トラキアの反乱軍は、カビュレにほど近い小高い丘の上に布陣し、二派目の攻撃をかけ ようと武装結集を終えていた。 ちゅうりゅうぐん 豊富な軍資金を手にしてまずは駐留軍を急襲、粉砕した男たちは、ますます戦意に満 ちている。 ふくしゅうしん マケドニアへの復讐心は根深い トラキアの戦士といえば、元来、個々が勇壮なことでギリシア戦史にその名を残したほ ラど。 ようへい の特にベルタ族の歩兵は、ギリシア最強の傭兵との折り紙をつけられている。 だが、惜しいかな、数ある部族同士の不仲は、彼らの決定的な弱点だった。統一トラキ アが輝かしい勝利の喜びに沸いたことは、この四半世紀ない。 だが、この紀元前三四〇年のカビュレの反乱は異なった。

5. 光と影のトラキア

ア ルデトは幽閉から解かれた。 キ 一週間ぶりに、外の空気を吸ったことになる。 影だがすでに反乱は完全に鎮圧されている。ルデトにいきなり押しつけられた難題は、敗 戦処理の交渉だった。が、交渉と呼べるような交渉ができるかどうかもわからない。それ 光 ほど反乱に失敗した属国トラキアの行く末は悲観されている。 まんしんそうい ともあれ、仲間のトラキア人から半分忘れかけられていたルデトが、満身創痍となった クスはみた。 ふと表情が和らいだ。 アレクスもずいぶん雄々しくなったが、それでも笑顔になると、まだどこかに母王妃オ ようぼう リムピアスの美しい容貌が見え隠れする。 ( ふん ) フィリッポス二世はおもしろくなさそうに椅子の背にふんぞりかえった。 「では、無事を祈るか」 「はい」 うれ と、アレクスは嬉しげにうなずいた。 ゅうへい

6. 光と影のトラキア

158 しくさ ( ベルタ歩兵を、この戦で絶滅させるのは惜しい ) シャムペ 1 ラを殺さずに生け捕ったのも、何かに使えると思ったからだ。 案の定、停戦交渉をもちかけるとトラキア側は完全に沈黙し、この時点をもって反乱は 完全に鎮圧された。 アレクスは当初ハミルに、十日でこの反乱をおさめてみせると言っていた。 だが、十日どころか、五日もかからなかったことになる。 まさに、天才的な情況判断と心理作戦だった。 目も覚めるような快挙である。 アレクスは涼やかな声で伝令に命じた。 「ペリントスの父上に急ぎ伝えろ。トラキアの蛮族は、このアレクサンドロスが足下に押 さえたとな」 アレクスは不思議でならなかった。 どうしてこんなに気分が晴れ晴れとしているのだろう。 ( 戦場の雰囲気に慣れたせいかな ) いや、戦に勝利をおさめたせいではなかった。戦場のことは、思い出すのさえいやだっ た。晩餐で、司令官たちが手柄話を競いあうのを聞きたくない。 そこでアレクスは一つのことに気づき、そうか、とおかしくなった。 ばんさん

7. 光と影のトラキア

リュシアスをイ , アレクスの異母兄。トラキア 殲減戦の責任が心の傷に : ナーザニン ベルシア・カリア州の長官の 息子。ハミルを慕一つ。 ティナ トラキア反乱軍の象徴 ュシアスに深い恨みを持つ。 トラキアの敗戦交渉のため、 敵陣へ。ティナの元許嫁。 マティア カシモフに従うトラキア族の 殺し屋。針で急所を一撃する カシモフ 美形の占い師。奸計を用い て美少年を狩る。男色家。

8. 光と影のトラキア

121 光と影のトラキア 北トラキアの地は、もともと平野が少ない。 かろうじてひらけているのは、山に囲まれたいくつかの盆地だけである。 マケドニアの摂政王子アレクサンドロス率いる征討軍は、そのうちの一つの盆地に布陣 した。 ゅうへい 対するトラキア反乱軍の本拠は、この日、ルデトがひそかに幽閉されたカビュレという 小さな農村である。 が、アレクサンドロスがいち早く布陣したという報せを聞いて、一部を残し、ほとんど 全軍がトラキアの深き森の中に入り、部族ごとに陣を構え直した。 理由がある。 マケドニア軍といえばよく知られているように、訓練された長槍を装備した しら サリッサ

9. 光と影のトラキア

日が暮れるまでに、名のあるトラキアの指揮官たちがその首をあげられ、反乱軍はつい アに総崩れになって本拠地カビュレまで撤退した。 貧しい田舎の村を取り囲んだマケドニア軍が、掛け声を雄々しくあげる。 影だがアレクスは、カビュレに封じ込めたトラキア軍にとどめをさそうとはしなかった。 その数、千人足らずか。 ベルシアへの東征を実現させたい父王フィリッポス二世にとって、この勇猛な兵士たち は必ず役に立つ。 「じゃあ、なんて言ったんだよ」 と、ハミルが横からたずねてきた。アレクスが何をそんなに不思議がっているのか、よ くわからない 「おかしいな」 と、アレクスは小さく首をひねった。 「ーー私を殺せ、と聞こえたんだ」 「私を、殺せ ? 一一人は顔を見合わせた。 てったい

10. 光と影のトラキア

そして、この美しいベルシア名が、のちにアレクサンドロス大王が愛したただ一人の貴 族階級でない女性の名として、一一人の間に生まれた男児ー・ーヘラクレスの名とともに、長 く歴史に残ることになる。 「裸になれ」 と、パウサニアスは冷ややかに命じた。 王の天幕に連れてくるなり、ティナの体をあらためようとした。下心はない。あるのは ちょうあい 今夜の主人の寵愛をさらわれる不快感とやっかみくらいだ。 ア このフィリッポス二世の美しい近習をにらみつけながら、ティナは相変わらず低めた声 キ で言った。 の 「あらためるまでもない。武器など隠し持ってはいない」 影 落ち着いている。 だが女だてらに、このものの言い方はなんだとかえってパウサニアスはむっとした。 しよせん 王妃にするとはいっても、所詮は反乱に失敗した属国の人質である。姫だろうがなんだ