しレつき 疫病の源たる瘴気を息として吐いた。生命を懸けた激闘のなか、イエルマの裏切りを経験し た。目的を失い、絶望しながらも、ヴァイサルを斃した。イエルマの死をともなって。 まぶたよみがえ 安らかさとは程遠い死に顔が瞼に蘇ってくる。彼女への思いを振り払うようにギヴァは首を ふった。 ( イエルマのことは、終わったんだ ) 自分にいいきかせた。 体はもとにはもどらない。自分が、″人〃とは程遠い怪物であるという事実からは逃れよう はざま もない。人でありたいという願望と、兇王子であるという現実の狭間で気持ちがゆれうごく。 ヴァイサルのように人を蔑視し、悩みなど削ぎ落としていれば、このように苦しむこともなか 宴ったのだろう。 の 懐に手を入れて、まさぐった。 フ てのひら だした掌に赤い物体がある。 だび サ 荼毘にふしたヴァイサルの遺骸からとりだしたものだった。 子 王〈病の司祭〉の〈骨〉だ。 の ( ルクレチア ) 心のなかで名をよんだ。 ギヴァを叱咤した女性だった。ヴァイサルに敗北寸前にまで追いこまれたとき、決死の行動 マラティーア しった がい か たお
164 「ルクレチアと同じことをいいますね 彼女はその名をきくと表情を改めた。目を伏せて、哀れみにも似た憂いを見せた。 ギヴァとサーリフのやりとりをきいていたのだ。事情はあるていど察しているはずだ。 「アスカニオの姉上のことですね ? 」 目をそらした。顔をあげて星が撒き散らされた夜空を見る。 「その方は、あなたの想い人だったのですか ? こ ギヴァは目をつむった。ルクレチアのおちついた顔を思いだす。 「アスカニオの姉上、その人のためにもあなたは逃げてはいけないはずです。あなたには、人 にはない力がある。それは邪神に与えられたものかもしれないけれど、この世を害する者たち に対抗できる力なのですからー 「私はある人と静かに暮らしたいだけだったんです」 「ギヴァ 「その相手はルクレチアではありませんでした」 「他に好きな人が「、いたの ? 」 「イエルマ、という名でした」 自分でめめしいと思った。情けないと思った。思いながらも口からイエルマとのことがほと ばしった。 うれ
じちょう 自嘲気味に唇を歪める。 ( ギヴァ ) 彼を呼ぶ声が鼓膜の奥できこえたような気がした。ここにいるはずのない人の声だ。 ( ルクレチア ) イエルマの従姉であり、アスカニオの姉だった。 イエルマに裏切られたギヴァを支えようとしてくれた。 ( 私はそんなにも情けなく見えたのだろうな ) 別れたときのルクレチアは座した姿だった。 肘掛けに両手をおいて、背もたれに体重をかけたままの状態で動かない。目は開いたまま まばた 宴だ。ときおり瞬きをする。起きているような気はするが、意識は失われている。 フ ( ルクレチア ) 一名を呼んでも答えはない。 ( 私のせいだ。私の ) 子 兇なせ、ヴァイサルとの決着がついたあと即座にスケルツツォ公国を去らなかったのか。〈家〉 しゆくせい 人から他の兇王子が裏切り者を粛清にくることはわかっていた。長く滞在していては皆を危険に さらすことは確実であったのに。 皿自分の愚かさと弱さが呪わしい
かっきょ 半島に割拠する十六の公国を減亡させるために。 ギヴァはついに耐えることができなくなった。 兇王子のひとりでありながら、〈家〉を裏切ったのだ。 ( イエルマ ) その少女との出会いがきっかけで反逆を決意した。父の遺言が届かぬ場所への旅立ちだっ さだめほんろう うれ 紅の瞳に愁いをたたえた少女だった。己の自由にならぬ運命に翻弄されるがままになってい ギヴァも同じだった。どうにもならぬ運命から彼女とともに逃げたかった。 ( 私は、人でありたい ) その思いが、ギヴァを突き動かした。兇王子を捨てること、それが人であるための戦いとな ( ヴァイサル ) イエルマとの逃避行の最大の障害となったのは、行動をともにしていた サチェルドーテ・デッラ・マラティーア 〈病の司祭〉ヴァイサルであった。兄弟ともいうべきもうひとりの兇王子は、ギヴ とうみついろ アとは決して相容れぬ存在だった。なめらかな雪花石膏の肌に笑みをうかべ、ゆたかな糖蜜色 の髪をなびかせ、ギヴァのまえに立ち塞がった。額の〈骨〉は紅玉のように光を発して、 っこ 0 ふさ アラバストロ ルビーノ
ませんか。あなたはティマイオスの教えに身をまかせるべきです。神に素直にすがってくださ 。私にすがってください。きっと道は開けます。神を疑ってはなりませんー ギヴァは目をそらし、夜空を見上げた。雲ひとつない。星がまたたき、人間界を見下ろして もてあそ いっぺん ざんさっ いた。無理だ、と思う。自分には神を信じる気持ちは一片もない。両親を惨殺され、精神を弄 ばれた己に、神を信じることなどできはしない。 「あなたはルクレチアのことはどう思っているのですか」 アンジェラの言葉に、ギヴァは反応ができなかった。 「ギヴァ殿、あなたは自分の気持ちに気づいていないのではなくて ? 」 ギヴァは首を傾げた。 「イエルマという人に裏切られたために、ルクレチアに対して素直になれなくなっているので はないの。彼女にも裏切られることを恐れて」 「アンジェラ殿 「あなたは世のために戦うことはできないと言ったわ。でも、ルクレチアのためには戦うので 1 しょトっ .0 、 しくら借りがあるといってもなにも感じていない人のために戦うことはできないと思 うの」 笑う。人の心を慰めるような笑みだった。 「人はひとりひとりちがうわ。イエルマとルクレチアを同じに考えてはいけないわ」
100 彼の反逆のきっかけとなり、彼を裏切った女性だった。微笑みはする。嬉しそうには見えな い。悲しみに満ちた顔であった。 さだめほんろう 自由にならぬ運命に翻弄されつづけていた。実の兄に政略の道具にされ、婚約者を次々とか さくりやく えられた。策略のために見捨てられもした。 心からの笑顔を彼女にしてほしかった。 自分の渇望を思いだす。 兇王子を捨てて遠くへと逃げたかった。 か / っ 〈家〉とも乱れた世とも隔絶した場所で、ふたりで静かに暮らしたいと思った。 いまそれは望むべくもない。 イエルマは元上界の住人となった。彼女が信じていたティマイオスの教えによるのならば。 小さな手を握ろうとする。指がすりぬけた。実体のない幻影となって、離れていく。 まっていてくれなかった。ヴァイサルのものとなったイエルマの姿も焼きついている。苦い 味がロ腔にこもる。裏切りにあった事実が蘇ってくる。 彼女を想いながらも恨んでもいる自分がいる。すでにこの世にいない女性であるのに、いま だ赦すことはできていない。 胸の奥を見据える。自身をみつめなおす。心の底に残る未練と恨みが渦巻く。 ( 情けない男だ。私は ) 」、つプ」、つ かつばう イレ・チェロ
ギヴァ サーリフ ジェネラーレ・テッラ・モルテ 債将〉の異名を 持つ兇王子。屍を 意のままに操る能 力がある。スケル ツツォ公国の公女 イエルマと恋に落 ラ・ファミリア 靫秘密く家〉 を裏切っ尨今は 〈家〉から追われ る身である。 9 兇王ん別 ソヴラ / ・ヴォルトウォー / 名く快楽主〉 芳香を発して、あ らゆるを虜に することカきる 破滅の予言達成の ため赴いたヴェネ トヴァで、ギヴァ の裏切りを知る。 す・
「アスカニオ」 声をかけても目をあわさなかった。 「いま忙しいから」 箱をのせなおして、歩み去ってしまう。あとで話があると伝えたかったのだが、とりつくし まもなかった。 ( アスカニオこそ、なんでもどってきたのです ? ) 訊きたかった。 ( 私の〈カ〉を見たのに ) ギヴァを助けてはくれた。子供の身でありながら、危険を冒してここまで運んでくれた。そ おび れでも、自分を避けている。怯えているような気もする。 の ( やはり、怖がっているのか ) 一教会から離れて森のなかへと歩いていった。足が痛むと休んだ。 サ 大きな切株があって、腰をおろした。 子 すず せいじしっ 王夏を控える陽射しは強いが、森の空気は清浄で、涼やかだった。 の深く息を吸う。肺を膨らます。 六ふたりの女性のことを思ってしまう。 ( イエルマ ) ふく
ギヴァは頬を触った。指が濡れた。 こぼ ( 泪を零していたのか、私は ) 目覚めた姿のままで、意識を奪われた公女の顔が脳裏に浮かびあがってくる。 目をあけているのに、視線はギヴァを素通りして遠くへとむかってしまう。 胸が痛んだ。 痛みは以前にもまして激しくなっている。彼女の境遇を思うと、胸がえぐられる思いに襲わ れる。 単純に己のせいであんな姿になった、負い目だけではなかった。 哀れんでいるのでもない。 宴そうであったら、こうまで胸が痛みはしない。締めつけられはしない。 フ ( アンジェラの言うとおりなのか ) 夢想のなかで感じた胸の温かみを思い出す。 サ ルクレチアを思うと、温もりが胸にまた起こる。イエルマにも、アンジェラにも感じたこと 兇のない熱だ。 人 ( 私は、ルクレチアを : : : ) どくが 兇王子の毒牙にかかったのが彼女だから、こんなに胸が痛むのか。 彼女の意識のあるうちに、胸に抱いておけばよかった、と思った。自分の気持ちに気づい
「裏切った ? なんでまたギヴァが」 ほったん 〈影〉はスケルツツォ公国で起こったできごとの発端を語った。イエルマ・スケルツツオとい う公女によって、ギヴァが心を迷わせたことを。 「女かい ? 女のせいで裏切ったというの ? なんてことを。ギヴァの奴、シヴァイ山にいた ときは、女なんかに目もくれなかったのに。見そこなったよ」 サーリフは信じられぬといったように顔に手をおいた。 内心、まったく動揺はない。裏切ったときいて、驚きなどない。 ( ついにやったか ) といった印象のほうが強い。ギヴァには秘めているものがある。長老も、ヴァレージをのぞ く他の兇王子たちも気づいてはいないかもしれないが、サーリフはそれが〈家〉と相容れぬも フのであることを知っている。 一「ヴァイサルはどうしたの ? 奴がギヴァを放っておくわけがないだろ」 サ 「ヴァイサル様は、殺されました」 子 王「ヴァイサルが、ギヴァにやられたのかい ? のサーリフは芝居がかったふうに額に手をあてた。ーロから低い笑い声がもれる。笑いによって 顔に皺ができるのを嫌うために、大きく口をあけて笑うことはない。 「おかしゅうございますか」