せいき 生気がなかった。 あへんくっ ( 阿片窟だ ) 並ぶ人々は阿片中毒なのだ。 ギヴァは、これが純粋な阿片ではないことを知っている。サーリフは汗を清水にたらす。水 だらく は阿片に近い液体となる。あの兇王子はそれで人々を中毒にして堕落させるのだ。 職人らしき男たちがいる。老人、女、子供たちまでもがいる。皆、水煙草の瓶を抱えて管を ロで吸っている。 「だめよ。やめて。吸ってはいけないわ」 アンジェ、ラは間近に座る子供の口から管をひきぬいた。 うら いちべっ 宴その男の子は恨みがましい目で彼女を一瞥し、ゆったりとした動きで管をふたたび咥えた。 フもう一度管をひきぬこうとした。 一「無理です。アンジェラ殿ー 子「でも」 兇アンジェラは膝をついた。顔を手で覆う。 人「なんとかならないの。なんとか」 さいやく 「これをやったサーリフを殺さぬかぎり災厄は終わりません」 「サーリフ」 くわ
ギヴァはさきほどから人々が声をひそめて交わす会話をきいていた。兇王子の聴力が庭の各 とら 所で交わされる声を捉えたのだ。病人同士、修道女同士、騎士同士で、こちらを一暼したの ち、こそこそと話している。 人々の視線が痛い。親の仇でも見るように横目でねめつけ、顔をそらす。 ディアボロ 「私は歓迎されてないようですね。あの村でも悪魔の手先だと言われましたが」 アンジェラは、庭を見まわした。彼女の視線がむけられると、申し訳なさそうにうつむく。 皆にきこえるように急に声をはりあげた。 「皆さん ! この方をそのような目で見てはなりません。この方は人間です。怪我の手当てを ふうぶん した私が言うのですからまちがいありません。風聞に流されてはなりません」 ささや 皆、なにか囁きながら目をそらす。アンジェラの説明に納得したような様子ではなかった。 「風聞とは、なんです」 アンジェラはロごもりつつ言った。 さいやく 「黒衣一色の男が悪魔として災厄を撒き散らしているという噂が流れているんです。だれがそ れを広めたかわかりませんが」 申し訳なさそうな様子だった。彼女が広めたのではないのに。 「私の格好が悪かったというわけですか」 黒い髪と黒衣姿といえば、ギヴァそのものだ。苦笑するしかない。 いちべっ
さと 痛みの悲鳴をあげている。いくら論しても、真心をこめて訴えようとも、この兇王子には通じ ない。体が空洞になったような気がする。いままで感じたことがない虚無感と徒労感だった。 一瞬でも信じた自分が愚かに思えた。あれほどの苦しみのすえ、戦いぬいたカテリナの思いを 無にするところだった。 ( この男は救われる存在ではない ) 足を一歩だす。体がゆれる。頬を張られた衝撃が消えない。 けしん サーリフが決して相容れることができない悪の化身であることをついに悟っていた。 世の人々のためにも彼を葬らねばならなかった。 さきほどから、腹部にわずかに残った衣のうちには短剣を隠しもっていた。カテリナのもの 宴だった。 の フ ( 神よ。私の所業をお赦しください ) この身であの男を斃せるなら、たとえ地獄の業火に焼かれようとも後悔はしない。 サ ひつじさっ サーリフをとめぬかぎり彼の被害者がまだ大勢でることは必定だ。 子 兇阿片を吸った人々の苦しみや、本来なら抱くはずもない慕情を植えつけられた女たちの悲し じゅばく 人みが溢れることになる。カテリナが見せてくれた。身から血を流して、あの男の呪縛から逃れ た。あの勇気と胆力は自分にもあるはずだ。彼女の高貴なる行為を無駄にしてはならない。 ( 神よ。力をお貸しください。 : カテリナ、力をかして ) しト U よう たお ほうむ ′」、つか
114 首をふる。自分は人に心配されるような人間ではない。〈兇王子〉に人の情けを受ける資格 十よよ、 0 十 / 、し 「あなたは私などより、修道会のことを考えてください」 くらてぎわ アスカニオは、ギヴァが馬の鞍に手際よく革袋をつける様を見た。肩越しに教会にいる人々 を見る。病人のあいだを歩くアンジェラに目をむけると、いつのまにか下唇をかんでいた。胸 に寂しさが風のように抜ける。 この修道会を見つけて、アンジェラを知って、自分のなかでなにかが変わっていくことを感 じた。この修道女はかって会ったことのない種類の人間だった。 姉ルクレチアは厳しくとも、弟のことを心から考えてくれている。父はおだやかでやさし いつく く、叱られたこともない。皆、善良な人間だと思ってきた。自分を慈しみ守ってくれる。従兄 のチーボアレが油断のならぬ人物であることは別にしても。 自分がどう生きていくかは姉や父によって教えられてきた。貴族の子弟としての教育だっ た。家族を大切にし、家を守る。いざとなれば剣をとって戦う。 はんちゅう そうやって育ってきたアスカニオの範疇にはアンジェラは入らない。無私の精神で、人々を わけへだてなく救済し、なんの見返りも求めない。いざとなれば身を危険にさらしてしまう。 ( あのような人を皆で守らなくてはならないんだ ) いとこ
かいめつ サチェルドーテ・デッラ・マラティーア 〈病の司祭〉ヴァイサルが撒き散らした疫病だ。べニビアはそのために壊減した。 げんきレっ みやこ 都は全減し、各地で考えたくもない数の死者がでた。その元凶が兄弟ともいえた男であること に胸が痛くなる。 ・ : いろいろな国の人々を助けて旅して 「アンジェラ様は、カルディア、ロムプリア、リノア : いるんだ」 アスカニオが自らのことを言うように誇らしげに言う。紅潮した顔でみあげる。ギヴァと目 があうと、とたんに顔を歪めてそらした。輝いていた太陽が厚い雲にかくされたかのようだ。 「国も身分も関係ありません。ティマイオスの教えのまえでは。ただ、すべての人を救うこと ができぬことが悲しいのです。われらには、目のまえにいる人しか助けられぬのが」 しゅ、つトでつ 彼女の視線を追って、教会の庭を見渡す。荷馬車は数台しかない。収容している怪我人、病 人の数に対して食料、医薬品はかなり少ないようだ。決して物資が豊富ではない。それでも修 道会の人々は懸命に働いている。 庭を横切る年老いた修道女がアンジェラに手をあわせて礼をする。彼女も答える。年若い修 道女の方が敬慕の対象になっているようだ。 ひとりだけではない。 すうはい 騎士や修道女、男も女も、アンジェラを見る目には、崇拝の色がある。聖母像に祈りをあげ るのと同じ表情で見る。聖女のように思われているのか、と思った。 ナ ) ま
スツ物チ文宿 く好評発売中〉 暗殺者は 眠らない 萩野目悠樹 イラスト / 亀井高秀 蒼龍大陸では、国王崩 御の後の混乱に乗じて アイレントがサカリバ へと攻め入った。ザカ リバの力がまさに尽き ようとした時に、一人 の救世主が現れ・・・ 人々の数奇な運命が !
天と地のあいだ、長老たちのあいだに六人の王子がたっているのを見た。 わざわっかさどプリンチベ・グアイオ これは世界に遣わされた、六つの災いを司る″兇王子〃である。これは 人々が互いに殺しあうようになるために、平和を奪いとることを使命とした 者たちだった。この年は、一五六三という数字で表される年であった。最も ひさん 悲惨な時代の最初の年となるだろう。この月は三という数字で表される月で あった。この日は六という数字で表される日であった。 こうちもんじよめっせいきせいてん 高地文書滅世記正典より つか
202 うちのめされた表情ですがってくる。 「あなたの兄弟がやったというの」 うなずく。 「兄弟なんでしよう。やめさせて。やめるように説得して」 「まえにも言ったはずです。 : : : 無理なんです。それは」 うる 彼女は頬に力をこめているようだった。潤んだ黒い瞳にも″気〃が湧きあがってくる。 アンジェロ 「邪神ももとは天使であったというティマイオスの教えがあります。光に属するものが闇へ と落ちたのです。ならばその逆も可能のはずです。闇から光へと改心によってもどれるはずで すー 「本気で言っているのですか」 スイニョーレ 「私は、神を疑ったことはありません。私は絶対に、神が救ってくれると信じています。 おか アスカニオもカテリナも、アスカニオの姉上も。ここにいる阿片に冒された人々も。・ : ・ : それ に、あなたも ふたりは馬に乗って先を急いだ。ギベルティ家にむかうしかなかった。 そこにサーリフがまっている。 広場にでる。
宴ギヴァとアスカニオは手頃な木の根元で野営した。 フ焚火をはさんで座る。 一ギヴァは足の傷の具合を調べた。痛みは完全にひいてはいないが、傷口は塞がったようだ。 常人からすれば驚異的な回復力である。 子 兇これも〈兇王子〉ゆえだ。〈骨〉を移植したのち、体質は劇的に変質した。 人 ( やはり私は人間ではない ) さだめ いくら厭わしく思おうともこの運命から逃れることはできない。 人々がギヴァを悪魔と罵倒することはしかたのないことだ。 これでいいわという呟きが、遠くでしたようにきこえた。 赤面しながら、胸にある十字架を指ではさんで見下ろした。まともにアンジェラを見ること ができなかった。 「あ、ありがとうございます」 ふたりは馬に乗った。 出発を見送るのはアンジェラだけだった。 カテリナをはしめとして、他の者たちは、安堵の表情をうかべていた。 たきび あんど ふさ
102 いくら嫌いあおうとも、兄弟に値する男と、一度は心を通わせた女性を失った心の喪失を埋 めるために時間を欲していた。ルクレチアに甘えて、スケルツツォ分家に腰を落ち着けてしま なんという甘さだったか。 兇王子に一時とて休息などゆるされることではなかったのに。 彼女を目覚めさせる。なんとしてもそれは果たさねばならない。 ( そのあとはどうする ) イエルマも失い、あてはない。 ルクレチアのそばにいることもできぬ。 彼女はスケルツツォ分家の支柱であり、家を離れることができない。ギヴァがそばにいれ ば、〈家〉の追手の襲撃をもたらす。これ以上、彼女やアスカニオをはじめとするスケルツツ オ公弟家の人々をまきそえにしてはならない。 なにより、己は〈家〉と〈兇王子〉たちと戦っていくことができるのか。 兇王子中で最弱の自分がルクレチアの意識をとりもどすことの困難さを思う。 ( いずれ殺されるんだ。私は ) かくせい 正直言って他の兇王子と戦い、ルクレチアを覚醒させる自信はなかった。 ( 私は弱い ) そうしつ