218 さとうめぐみ 朽ち果てた家には住めず、亨子はアパ 1 トを借りて、佐藤恵の店で働いていた。 駅で、あの初老の駅員に会った。 「おや、また来たのかい ? あんた、慈子ちゃんの子供なんだってね」 人のよい知で、親しげに話しかけてくる。 「今日は墓参りです」 「そうかい。まあ、ゆっくりしていきな」 みやげもの 駅員に頭を下げると、勇帆は恵の店に入った。土産物を売るこぢんまりとした店の中 は、数人の観光客がいた。その応対をしていた恵は勇帆を見つけると、店の奥に声をかけ 「亨子ちゃん、勇帆くんが来たわよ」 バタバタと足音をたてて、亨子は出てきた。 「勇帆くん ? まあ、どうしたの ? 勇帆の後ろに志摩を認めて、亨子は足を止めた。志摩は深々と頭を下げた。 あやま 「慈子さんに謝りたくて、私もついてきました」 とまど 戸惑いぎみに亨子も頭を下げた。そして勇帆に質す視線を向ける。 「俺が亨子さんの子供なら、ばあちゃんは亨子さんの母親だからな。お盆に墓参りにくる のは当然だろ」 はかま ) ただ
あの日、亨子は湊を店に誘った。ログハウス調の落ち着いた店だった。二人は運ば れたアイスコーヒーに手もつけず黙り込んでいた。湊は亨子によい感情を持っていなかっ たし、亨子はじっと窓の外を見たままだった。 ふなづ 「どうして船津くんに言ってあげないんですか ? お母さんのこと、あんなに知りたがっ ているのに」 いさま 最初に切り出したのは湊だった。勇に会いにきたはずなのに、湊を誘った意味がわか 舞らなかった。亨子は湊を見ると懐かしそうに、そして寂しそうに陸笑んだ。 狐 「あなたは姉さんに似てるわね」 妖 「 : : : 船津くんのお母さんに : ・ からんと氷の音をさせてストロ 1 でアイスコーヒーをき混ぜて、亨子は店内を見渡し きようこ 「亨子さんから聞いたのよ ! 私は会って話をしたわ ! 」 ゆる すき 力が緩んだ隙に腕を振り払って、勇帆にめる視線を向けたまま、湊は立ち上がった。 りえん しわざ 「離縁させたのは、おじいさん一人の仕業よ。おばあさんは知らなかったのよ」
選手控え室から出たところで、勇帆は湊に呼び止められた。 きようこ 「船津くん、亨子さんが来てる」 亨子は廊下の隅に黒いワンピースを着て立っていた。勇帆と目が合うと、寂しい笑を 見せた。 監督に一言言って許可をもらい、二人は会場の近くの店に入った。 「残念だったわね。すごくいい試合だったのに」 亨子はアイスコ 1 ヒーにミルクを注いだ。白いミルクは褐色の液体に沈既していく。 「でも俺、やるだけのことはやったから、悔いはありません」 分離していた液体は、ゆっくりと混ざりあっていく。 「そんな言い方も、バスケをしている姿も、弘さんに似てるのね」 「俺がバスケットを始めた理由は : 「聞いたわ。高陽くんから」 「高陽から・ : : ・ ? 、 妖「どこでどう調べたのか、昨夜遅くに、泊まっているホテルに来てくれたの。何があった のか全部話してくれたわ」 亨子はストローでアイスコーヒーを混ぜた。
触れられたくない齢に巒「た気がした。表情を曇らせた勇帆を見て、亨子がを作 「気にしないで。私のために苦労した姉さんの代わりに生きることだけで、精いつばい おも よ。それに、勇帆くんが姉さんを想ってくれていることがわかって、私は満足だわ。もう もふく 喪服がわりの黒い服はやめる」 おだ 初対面の印象とは違って、亨子は穏やかな顔をしていた。憎しみを消化して、別の生き 方を求めようとしている。 「嫌じゃなかったら : = : 、俺が弴子さんの子供になるよ」 やすこ 勇帆の意外な言葉に、亨子は瞠目した。目の前の勇帆に、慈子がダブった。 「そうね : : : 。ずいぶんと大きな子持ちになっちゃったわね : : : 」 「だって、父さんと同い年なんだろ。おかしくね 1 よ」 てくさ なみだうる 照れ臭そうに笑う勇帆に、亨子は涙で潤んだ笑顔を返した。 夜 もど しやそう 舞 インターハイから戻って 3 日後、瀬戸次の社葬が行われた。盛大なものを予想していた の さなえ 妖勇帆は、地味な葬儀に驚いたが、早苗がそうしたがったと後で聞かされた。早苗は涙も見 きぜん せず、毅然とした態度で参列していた。 さそ おくたま 志摩の退院を待って、勇帆は高陽と湊を誘って、 4 人で奥多摩に戻った亨子を訪ねた。 る。 いや にく
216 「だって、あいつ、昨日は怪我をしてばろばろだったのに : つら 勇帆と別れた時は、歩くのさえ辛そうにしていた。それなのに亨子の居場所を突き止め て、会いに行ったというのか : 「あなたが姉さんを忘れないでいてくれて、嬉しかった。私は恨むことしかできなかった けど、あなたは姉さんの死を受け止めて、船津の家に留まるのね」 べージュになったアイスコーヒーは優しい色をしていた。亨子の声もまろやかで柔らか カ ふくしゅう ぞうふく 「無意識の俺が母さんを増幅させたとしても、復讐する母さんは嫌だった。じいちゃん もばあちゃんも俺を愛して育ててくれたから、それを母さんにわかってほしかった」 「そうね : 「でも、俺は母さんを忘れたわけじゃない。母さんは俺の心の中にいるから・ : すなお ひとみす 勇帆の瞳は澄んでいた。胸にずっとっかえていたものが取れて、素直なまっすぐな瞳を していた。 「亨子さん、結婚は : : : ? 」 と、つと 家族の大切さが身に染みてわかった。生きている者の尊さ、愛しさ、そのすべてが勇帆 には嬉しかった。 「ん これから考えるわ : : : 」 うれ 、つら
しようがくきん ちゃんと東京に出たわ。それから猛烈に働いて、亨子ちゃんも奨学金をもらって大学に 行って、自分もすごくお金持ちの人と結婚したって手紙がきたの」 恵は当時を懐かしんでいた。 知をやさない優しい女の子だった慈子。亨子だけは絶対に大学にやると、昼も夜も 働いたらしい。結婚したと聞いた時は、やっと幸せになれると喜んでいたのに。 「神様は不公平だわ。あんないい子だったのに。この町に帰ってきた時は白い骨になって いたなんて・ : なみだふ 恵はそっとエプロンで涙を拭いた。 「どうして亡くなったのかご存じですか ? 」 ぼうぜん 茫然としている勇帆に代わって、高陽が話を先に進めた。 「何があったのかしくは知らないけど、離縁されたあとに病気でと聞いたわよ」 「亡くなったのはいつですか ? 夜「もうⅡ年くらい前よ」 話が行きづまって、高陽は溜め息をついた。 ( 結局、全部知っているのは信藤亨子か ) 手がかりは出つくしてしまった。ここからどうすればいいのか、高陽にはきっかけさえ もめなかった。 なっ たいき
154 「あんた、慈子ちゃんの・ : 「知ってるんですか ? 母さんを知ってるんですね ? なみ 食い入るような表情の勇帆に、女性はうっすらと涙を浮かべた。 「そういえば、似てるわね。慈子ちゃんの子がこんなに大きくなっているなんて」 「教えてください。母さんはどこにいるんですか ? 亨子さんは ? 」 女性はなんともいえない顔をした。返事に困ったような、疑うような。 「慈子ちゃんは : : : 、死んだわよ」 せみ 勇帆のまわりの音がすべて消えた。うるさいほどの蝉の声も、風の音も。息をすること くいつらぬ も忘れ、心臓を 1 本の太い杭で貫かれた気がした。 さとうめぐみ 軽トラックに乗せてくれた女性は、佐藤恵と名乗った。慈子の幼なじみで高校まで一 緒に通った仲だと言った。 朽ち果てた信藤家の前に立ち、勇帆は言葉を忘れた子供のようになっていた。 ったは 狭い庭にはばうばうと草が生え、土壁はひび割れて蔦が這っていた。屋根は半分崩れ落 ち、カビ臭いいか風に乗って流れてきた。 「慈子ちゃんと亨子ちゃんは仲のいい姉妹でね、慈子ちゃんが高校 2 年の時にお父さんが な 死んで、お母さんもすぐ跡を追うように亡くなったの。慈子ちゃんは学校をやめて、亨子 しょ あと いっ
「何、笑ってんだよ。そんな性格じゃ、俺の彼女にはしてやれね 1 な」 っや ばそっと呟いた勇帆に、店内はしーんと静まり返った。湊は赤い顔をして見つめてい る。勇帆もを上気させ、そっぱを向いてり直した。 「そう、そういう仲だったの : : : 」 亨子が意味深な態度で勇帆をつつく。 「岡村さんなら優しいし、 しいわね」 志摩も一一人を見比べて頷いた。 「僕を捨てるのか : : : 」 勇帆は櫛子からずり落ちそうになった。 「何を茶化してんだ ! おまえはっー 高陽に食ってかかる勇帆を見て、恥ずかしさに既いてしまった湊を除き、笑いの渦が巻 き起こった。 夜 けしき 帰りの電車の中、勇帆と高陽は暗くなった窓の外の景色を見ていた。志摩と湊は眠って しまっている。ガタン、ゴトンと揺れる振動が、気持ちよかった。 「みんな、いい人だよな : : : 」 亨子も恵も、電車が見えなくなるまで見送ってくれた。 うなず
「私どものしたことを許してくれとはいいません。ただ、基に参らせていただきたく 頭を下げたまま志摩は言う。困った顔をした亨子は、静かに肩に手をかけると、志摩の 顔を上げさせた。 「姉さんも喜ぶと思います : : : 」 高陽と湊はその様子を見て、互いに微笑んだ。縺れていた糸が解きほぐされていくよう 戔」っ一」 0 はかま ) 墓参りをすませると、恵の心遣いで、小料理屋で一席が設けられた。噂が広まったの か、慈子の息子を見にきた人々で店内は賑わっていた。 「やつばり、慈子ちゃんに似てるね」 「目のあたりがそっくり。どことなく亨子ちゃんにも似てるよ」 動物園の猿のごとく見世物にされているようで、勇帆は不機な顔をした。 舞「こういう時は、とりあえず笑っておくんだよ」 狐 高陽が小声で注意した。 妖 「俺はおまえみたいに、まわりに合わせられないんだよっ ! 」 声のトーンを落として、勇帆は高陽をねめつける。そのとたん、高陽は胸を押さえた。 ほまえ もっ
164 あさって 「あなたが何も教えてくれないから、ずっと学校も休んで調べているんです。明後日から インターハイなんですよ。それなのに : 「そう : 。インタ 1 ハイに出るの : : : 」 湊は亨子をねめつけた。全国大会に行くんだと、一生懸命にバスケットをしていた勇帆 にれていた。シ = ートをする勇帆が好きだ「た。それなのにこの女の出現で、勇帆は変 わってしまった。怒りが溢れて抑えきれなかった。 「船津くんの夢だったんです。中学でもに選ばれて、バスケの名門っていわれるう あなたな ちでも 1 年でレギュラーを取ったくらいなのに、あなたさえ現れなければ : : : 。 んて、あなたなんて : ・ 「・ : ・ : 少し時間をもらえるかしら : : : 。話を聞いてもらいたいの」 亨子の申し出に、湊は何も言えず立ち尽くしていた。 心からのお礼を言って奥多摩をあとにした勇帆と高陽は、その足で志摩が入院している ひろお 病院に向かった。広尾にある総合病院のかかりつけの医師に志摩の病状を訊くと、瀬戸次 の時と同じ反応をした。 「ひととおりの検査では異状がないんだよ。おじいさんと同じ症状でしよ。原因不明とい うか、我々もお手上げなんだよ」 われわれ あふ