( どうして ? 何があったんだ ? ) 志摩の顔を見つめながら、勇帆の頭に疑問が浮かんで、不安へと形を変えていった。 がんくび ふなづけ Ⅱ時過ぎに船津家の和室の客間には、弁護士と志摩を筆頭に、船津の親族 7 人が雁首を まさと そろ こうづき 揃えていた。船津の本嫁の人間である志摩、勇帆。そして河月早苗、政人。分家で会社経 営とマンション管理に携わっている 3 人である。 勇帆は後ろで襖に寄りかかってっていた。遺言状なんてどうでもよかった。船津の 財産目当ての聞きたい奴だけが聞けばいいのだ。自分はこの場にふさわしくないと思って 弁護士は鞄からおもむろに蜥を出し、その中から和紙の遺 = 一〔状を取り出した。 「では、これから船津瀬戸次様の遺言状を公表します」 書状を広げて弁護士は一息ついた。それに合わせて、親族も息をむ。 一、船津瀬戸次名義の家屋 ( 所在地、東京都渋 5 丁目 ) は妻・船津志摩と 孫・船津勇帆が相続する。 とりしまりやく 一、船津瀬戸次代表取締役の会社 ( 船津コーポレーション及び関連会社 ) は、船津勇 帆の意思によって相続するか裔かを決めること。なお、就学中は引き続き、河月政人の経 やっ
じようか 『気休めかもしれないけど、塩は浄化作用があるからしておけよ』 「わかった。じゃあ、明日な : : : 」 通話を切るとべッドにコードレスホンを投げ、勇帆もそのまま横たわる。 『あなたのお祖父さんは人殺しよ』 ( 誰を殺した ? ) こうかゝ 『後惞しても仕方がないが、悪かったと思っている』 ( 後悔している ? 何を ? ) ぜいじゃく 手を顔の上にあげ、瀬戸次の腕の感触を思い出す。脆弱な細さだった。力を入れると すぐに折れてしまいそうだった。 すいま ばたりと手を下ろすと、そのまま睡魔に体を任せた。考えなければならないことがいく つもあるのに、体と精神が疲れきっていた。落ちていく意識の中で、勇帆は無言の瀬戸次 の叫びを聞いた気がした。 その頃、瀬戸次は目を覚ましていた。夏の盛りだというのに寒い。病弱になって体温が おかん 下がってきているといっても、この寒さは異常だ。背筋に悪寒が走る。肱をびりびりと刺 やみた じゃあく す気温の変化だけではない寒さ。部屋の暗さもいつもと違う。闇が垂れ込めている。邪悪 おも な想いに包まれた無限の闇だった。外から漏れる明かりもない。 まか は・こ
の輝きをもって落ちていく。 「さっき、湊が来てただろう ? 」 話題が急に変わり、勇帆は向き直った。 「おまえ、あいつのことも呼び捨てかよ」 「女の子はみんな、名前で呼んでいるんだ、僕は。それに君だって呼び捨てじゃないか」 「それは部活で、みんなが呼んでるからだよ」 少し顔を赤らめ、一呼吸おいて勇帆は高陽に訊いた。 「見てたのか ? 」 かげ 「何か話してたから陰に隠れてた。いじらしいな、湊は」 「すぐ怒るけどな。我するなって、お守りくれたよ」 勇帆は思い出して紙袋から取り出した。よく見る赤いお守りには『家内安全』とあっ 「家内安全 ? 怪我のお守りって家内安全なのか ? そうなのか、こ : ・ : ・高陽」 まゆね かし 眉根を寄せて真剣な顔で勇帆は質す。質問されても高陽は首を傾げるしかなかった。 「わからないけど、それしかなかったんじゃないのか。でも、今の君にそれは必要かもし れないね」 なが 聞くともなしにしかめつ面をしたまま、勇帆はお守りを眺めていたが、くすくすと笑い ただ
「困ります ! どなたですか ? 」 あき 前に立ちはだかった社員に、呆れた顔をした。 「あんた、何年秘書やってんの ? 今年入ったばっかり ? 「そうですけど : : : 。午前中に社長にアポイントはありませんので、お通しするわけには いきません」 「社長代行って言ってるだろ」 もくし それまで 3 歩下がって黙視していた高陽が、くつくっと笑いを漏らした。 「これからもこの会社で働く気なら、こいつの顔を覚えておいたほうがいい と思うよ」 ふんと鼻であしらって、かまわず勇帆はドアを開けた。 2 度ばかり『社長代行」を連発 しただけで、これからどういう行動をとるのか高陽が察したとわかり、少し不機になっ はで ク 1 ラ 1 のよくきいた部屋だった。落ち着いたト 1 ンでまとめられた備品の中に、派手 まレ ~ 」わ こうづきまさと な花が生けられ、窓際のこれ見よがしな大きなデスクに河月政人が、何百万とするレザ 1 舞ソファーに早苗がふんぞり返ってり、煙草をふかしていた。 狐 「よお、叔父さん、叔母さん」 妖 しまたた 突の勇帆の出現に、二人は腰を浮かして目を瞬いている。 、どうしたの ? なんの用なの」
た。言われるたびに二人に対して愛情を返せなくなる。淡な態度を取ってしまう。二人 に優しくしたい。その思いは強いのに、それ以上に母への思慕は大きかった。 勇帆が物心つく前に出ていってしまったという母親の写真は、 1 枚もなかった。名前す きおく ら教えてもらえなかった。無論、勇帆の記憶にはそのかけらもない。母に優しく抱かれた にお 温もりも、あやしてくれただろう声も、匂いも、何も記憶に残っていない それだけに、普通の人より勇帆の母親に対する思いは特別だった。 足元に転がっているおもちゃのバスケットボールを掴むと、壁につけてあるリングに向 けて力いつばい投げた。ダンツと激しい音がしてポールは跳ね返ってきた。 どうして俺はバスケをやっている ? 勇帆は自分に問いかけた。 父さんがやっていたと聞いて始めた。最初は楽しかった。父さんが好きだったのが わかる気がした。でも、楽しいとか好きだとかだけで続けてきたわけじゃない : 勇帆はもう一度ポールを放った。ポールはネットに吸い込まれるように収まった。 バスケをやってる父さんを好きになった母さんの目に留まりたくて、中学の都大会 がんば で優勝するほど頑張った。新聞に載れば会いにきてくれるんじゃないかと思った。星和に つな 入ったのもインターハイに出られそうだったから。母さんに繋がればそれでよかった。 : 俺は純粋な気持ちでバスケをやってない :
『まあ ! 反省の色もないんですね ! うちの子とは二度と付き合わないでちょうだい』 母親は同級生の手を無理やり引いて玄関を出ると、大きな音をたてて戸を閉めていっ 『勇帆 : : : 、頭にくるのはわかるけど、こういう時は波風を立てないでいるのが一番なの せと 志摩は諦め顔で一一 = ロうと、そのまま奥へ入っていった。きっと今後どうするべきか、瀬戸 次へ相談にいったのだろう。 その後、勇帆はその同級生から、志摩が地として金を包んでいったのを聞いた。す べて金で解決しようとする祖父母のやり方に勇帆は反発した。両親がいないことが悪いこ おさな となのか、それに対して黙っているのが正当なことなのか理解できなかった。幼い勇帆の ふく 心にわだかまりが大きく膨らみ始めていった。 それからだった。母の存在を大きく感じるようになったのは。会いたいと思うように なったのは。 クラスが変わるごとに、両親の不在は話題にされ、それをカで屈した。自分を知る前に うむ 両親の有無で判断されるのはまっぴらだった。 勇帆は品行不良のレッテルが貼られ孤立していき、たまに近づいてくる人間も同情とわ かると冷たく突っぱねた。 あきら
224 つぶや 高陽の呟きに、勇帆は向き直った。感謝してもし足りないほどなのに、高陽はそれをひ たの けらかそうとはしない。そんな高陽が頼もしくもあり、好きだった。 そう、いっかおまえと、バスケしたいな」 「いっか : たわい 勇帆はいつまでも高陽と話していたかった。他愛もない話題でも、なんでもゝ 「そうだな。でも僕は強いぞ」 「ほざけ。な、いっそのこと、バスケ部に入らない ? 」 きよじゃく 「いや、やめとく。僕、虚弱体質だから」 「何、言ってんだよ。だけど一度、俺と勝負しような」 「僕には勝てないと思うよ」 「ロの減らない奴だな、まったく。その時は狐の力を借りるなよ」 「借りなくても十分だ」 勇帆は、高陽のまわりを浮遊する狐の姿を思い出した。 「話を聞いた時は半信半疑だったけど : : : 。狐はおまえを守ってんだな : ・ 「君だって、ばあちゃんに守られているじゃないか」 走る電車を追いかけて、金色の光が流れていった。走行音と共鳴して、金属音の鳴き声 ひび があたりに響いていった。 やっ きつね しし力、り
ちんぶせりふ 「陳腐な台詞しか言えないけど・ : 、元気出せよ」 な襭ちで高陽は勇帆を見つめた。 「 : : : 上がってかないか ? 」 高陽ならそばにいてほしかった。言葉を交わさなくても ) 勇帆の意をくみ取ってか、高陽は靴を脱いだ。 勇帆は先に立って部屋に歩いていく。家の中は静寂と重い空気が満ちていた。それは 死者を慚む悲しみの気ではなく、欲望の気だった。 部屋の手前で勇帆は足を止めた。な錦絵の襖の向こうから声が聞こえた。 ゆいごんじよう やすこ 「まったく、勇帆は慈子にやればよかったのよ。遺言状はちゃんとなってるのかしら。 会社とかマンションとかの相続はどうなってるのか、明日、さっそく弁護士に連絡してみ なくちゃ そうぎ 夜早苗の声だった。葬儀の段取りは終わったのだろうか。部屋の中では相続の話しか聞こ 舞えてこなかった。 とう 狐「だいたい、お義父さんも何を考えていたのやら。勇帆くんが大学卒業するまで約 7 年も あるんだぞ。そのあいだの会社経営のことはどうするつもりだったんだ」 「それよりも財産分与よ。全部勇帆にいってしまったんじゃ、私たちはどうなるのよ」 くっぬ せいじゃく しい、ただそばにいてほしかっ
120 「人が死ぬことがわかったのは、幼稚園の頃かな : ・ ひとみかげ 高陽の瞳の陰りに気づき、勇帆も腰を下ろす。そして高陽の話を聞いた。 高陽は歩き始めるのも、一一 = ロ葉を話すのも早かった。幼稚園に入った時には、ほかの子供 たちよりずば抜けて発育がよかった。 ぐうじ まこ 宮司である父は高陽を誇りに思っていた。 「僕のお母さんはどこにいるの ? 」 そぼく 素朴な高陽の疑問に、父は困った顔で答える。 だきにてん 「お母さんは荼吉尼天になって空の上にいるんだよ」 おさなご 母は高陽を産んですぐに病死していたが、幼子にそれを言うのはためらわれた。 「お母さんは荼吉尼天なの ? 「そうだよ」 幼い高陽は、それを疑問にすら思わなかった。 「だから僕のまわりにいつも狐さんがいるんだね」 寂しさをまぎらわす空想の産物だと思い、父は優しく隨笑む。 「狐さんがいるんなら、高陽は寂しくないね」 「うん」 きつね
のことを考えてではなく、会社の権利を自分たちのものにしようとしているのは明白だっ あとと ふなづ 「そうはいきませんよ。勇帆は船津の正式な跡取りなんだから、勇帆に継がせます」 こんたん 早苗たちの魂胆を知っている志摩が言い切る。 「だって、お母さん。勇帆だって夢はあるのよ。それを今から決めることはないじゃな 毎度のように早苗が食い下がる。 「お父さんが死ぬ前にこういうことはちゃんとしておかなくちゃ : えんぎ 「早苗 ! 縁起でもない。お父さんが死ぬなんて、ロ走ることは私が許さないよ」 さわ 「お母さん、お父さんだっていっかは死ぬのよ。その時に騒いでも遅いのよ」 いさか はさ なが 二人の諍いになれている親族たちはロを挟まず、ただ成り行きを眺めている。 勇帆はそっと部屋を抜け出した。自分のことなのに意見さえ聞いてもらえないのが腹立 夜たしかった。 舞 ( 誑じゃない。俺はなんなんだよ ) 狐将来、何になりたいかなど訊かれたことは一度もなかった。当たり前に船津家の跡を継 じゅばく から ぐのだとしか教えられなかった。それは呪縛のように勇帆に絡みつき、自分では指一本も 動かせない気さえしていた。