子どもたち - みる会図書館


検索対象: DAYS JAPAN 2016年10月号
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1. DAYS JAPAN 2016年10月号

ん か、質問した。 年以上後に生まれた子どもたちに、甲ウムなどによる被曝が原因となること あるが、次のようにある め . りノ学ノ 「被曝によって誘発される甲状腺がん もあるのたろうか 状腺がん発症の数が多く、汚染が少な 05M 歳までだった子ども 5044 、 ) 一 8 ヾ、 ーセントは、乳頭がんと呼ばれ熟 セシウムやストロンチウムの半減期の、 い地域には少なかったので、放射能の 人 51 歳カ 1642 人、胎児被曝 第未 るもので、治療が楽だと言われていま苑か はとても長いです。それらの免疫系へ 彰郷音によるものたとい , フことか明、らか 112 人 1987 年以降に生まれた 辞胞 す。もし私たちが早期に診断し、適切昿細 になったのです。その傾向は続き、今の影響について、予測はたてられます。 子 506 人 るん な医療と支援を与えたなら、その人は この結果、ウクライナで 2010 でもウクライナでは汚染の少ない地域しかしその影響を示す直接的なデ 1 タ はなく、あくまでも寿命を全うできるでしよう。乳頭が惨 年までの小児甲状腺がん発症数は計 か′ルかい 仮説に過ぎません。 ん患者の生存と寛解 ( 注 7 ) の確率は、ュペ 7 3 0 4 人とされている 病症ホ とても高いのです。 現在、私たちには、 それなのに、ⅱ年の官邸ホ】ムペー 血発完 白こ セシウムやストロン しかし事故後川 5 巧年の間に、 ジの数字は、ウクライナとべラルーシ このに隈 特齢、 チウムが甲状腺がん内分泌研究所で手術をした後で 5 人の亠高司 とロシアの 3 国の合計で 6 0 0 0 人と る降ん を引き起こす可能性子どもが亡くなりました。その子どもす以が しているのだ。ちなみに、官邸ホーム 失弋腺 があると証明する直たちがかか「ていたのは悪性の甲状腺師魃 ページが原典としている〔注 2 〕の イ たる「ー がんである、未分化がん ( 注 8 ) と髄様灘黜を ク接的な科学的デ 1 タ ( 原子放射線の影響に関 軽状あ ウ ( 症か がありません。証明 がん ( 注 9 ) でした。 する国連科学委員会 ) の報告の€ 的の質 フ 続等性 工 されたことは、放射 しかもかなりがんが進行し、転移し永れい いで、「 1991 年から 2005 年の間 キ 性ョウ素が子どものている状態になってから、両親が子ど に 1986 年当時歳以下で 5127 あの移 医 甲状腺がんを引き起もを病院に連れてきたのです。肺や骨的転 例、歳以下で 6848 例の甲状腺が る す 一」亠 9 し」い - フ一」し」 4 け一 にまで転移していました。子どもの命が痛硅 んが報告された ( べラル】シ、ウクラ 状 % 骨 を を救うのは、ほとんど不可能でした。繃組肺 イナ、ロシアの 3 国 ) 」と報告されてい がの、 態 状 また 2 件のケースは、医師のところい体 理論的にはセシウ る。この記述を参考にして、 6000 の ムとストロンチウム に連れてこられた時点で出血してい行 人という数を出しているのではないだ 癒腺の 甲 が免疫系に影響を及て、手遅れでした。それは外科医のミ治状気 ッつ、フ . カ で ばすことは可能かも スではなく、宗教的信条で、両親が手→ 謎が残る甲状腺がんが しれません。しかし、 術のために子どもを病院に連れてくる のか速 出続ける理由 そ腺る 分 私たちにはそれにつのが遅すぎた場合でした。 気状え 内 病甲増 ですから、甲状腺がんが原因で亡く ) ) いて証明できる一ア 1 この問題に取り組むためにトロンコ なったと断言できるのは、ウクライナ タがありません」 より、汚染がひどい地域での甲状腺が 所長たちは大掛かりな調査をおこなっ では 5 人だけです」 汚染が高かった地域と低かった地んの発生数の方が多いのです」 甲状腺がんによる死者は 事故後 1 年以上たってから生まれた 域で統計を取ったのだ 何人出たのか ウクライナで最近 「年以降に生まれた子どもたちは、子どもに甲状腺がんが発生するケ】ス までに死亡したのは 265 人 私はトロンコ所長に、最近のデータ は、なぜ起こるのだろうか。甲状腺が 実質的には放射性ョウ素に暴露してい それ以降、小児甲状腺がんの手術を で何人の子が甲状腺がんで亡くなった んは放射性ョウ素だけではなく、セシ ません。しかし汚染がひどい地域で

2. DAYS JAPAN 2016年10月号

小児甲状腺がんを追う 3 チェ ) レブイリ 小児甲状腺がんの「虚偽と真実」 ウクライナの最高権威に聞く 日本の専門家が、決して認めない被害の実態 発表される福島の被害は 正しいのか ? 「子どもたちの甲状腺検査をすると、 放っておいても、 しいがんも多く見つか るので、かえって人々は不安になる だから、あまり検査をしないほうがい 員 」というキャンペーンが現在、国や福 会 島県によって進められている。実際、福 員 長委 島県小児科医会の太神和広会長は 8 月 所査 3d 所調 日、検査でがんやがんの疑いと診断 究故 された患者が増え、県民に不安が生じ 会。 国台Ⅳ 肥市ていることを理由に、県に、子どもの甲 状腺がん検査規模の縮小を含めた見直 第、宿 ( , ナ河事村 しを求める要望書を提出した。これを 、れ 代郎 < ラ金一信用して大丈夫なのか。それで本当に め進 子どもたちの健康と命は守られるのか それを知るカキはチェルノ。フィリに方 コま子驢門ⅶ ある。現地では、本当の被害規模はど 腺 Z ・ れくらいだったのか日本で伝えられ般 ロタ甲和秋 制ている、小児甲状腺がんの患者 6 0 0 切 ・イカ 0 人、死者巧人という数字は正しいのれ 一フ子協Ⅷ か。ウクライナの小児甲状腺がんの権 コ写悍 Ⅳ co 威ミコラ・トロンコ所長 ( ※ ) に話を聞れ その内容を紹介する前に、福島第一氏 原発事故 ( 以下、福島原発事故 ) の時に E 「専門家」によって私たちに知らされた 数字を再考したい。 首相官邸ホームページが伝え た数字 2011 年 3 月Ⅱ日に東日本大震災※ 甲状腺がんが脳にまで転移して 14 歳 で亡くなったターニヤの葬列。ドネッ ク、ウクライナ。 1997 年 おおが

3. DAYS JAPAN 2016年10月号

学校の成績は中位で、臆病な生徒。 しかし並みはずれた道徳心の持主。 18 歳でイギリスへ。 弁護士の資格を得、 友のために南アフリカへ渡る。 そこで直面したのは、 人間の人間に対する差別と侮辱。 その体験が人生の一大転機。 彼の地における 21 年間で芽生えたのは、 非暴力による不屈の精神 獲得したのは、国際的な賞讃。 そしてこの信念と確信を胸中に 1914 年、帰国する。 しかし、母なる祖国インドは イギリスの植民地。 抵抗と闘争の中、 度重なる逮捕と投獄を甘受する。 断食もいとわず、 聖なるものの面前において 恥じることのない " 真我 " を追究。 宗教の融和に努め、 カースト制度の廃止にも心を砕く。 「私の全行動は、人類への 奪うことのできない愛から生じる」 この信念ゆえに、非暴力を徹底。 そして、女性への限りない敬意、 青年への期待と熱意、 人々への絶対的信頼と賛意を表出した。 その人の名は、 マハトマ・ガンジー 彼の運動を象徴したのは、 " 塩の行進 " イギリス人に専売されていた塩を 自分たちで作らんと、 アーシュラムから海岸までの 385 キロを 24 日間かけてゆっくりと歩く。 「善きことは、カタッムリの速度で動く」 それは数百万人の 奇跡の大運動となった。 こうした闘いを重ねて 1947 年、 インドは 200 年にわたるくびきを断って、 悲願の独立を達成。 しかしその翌年、 一人の狂信者の凶弾によって、 ガンジーは 78 年の生涯に終わりを告げた。 最後の言葉は 「その青年を許せ」であったという。 荼毘にふされたラージガートに、 ガンジーの碑文が刻まれている。 「七つの社会的罪』 Seven social Sins 1. 理念なき政治 politics without PrincipIes 2. 労働なき富 Wealth withoutwork 3. 良心なき快楽 Pleasure without Conscience 4. 人格なき学識 Knowledge without Character 5. 道徳なき商業 Commerce without Mo 叫 6. 人間性なき科学 Science without Humanity 7. 献身なき信仰 worship without sacrifice しんげん マハトマ・ガンジーのこの魂の箴言は、 人類への 普遍的な問いかけである。 善きことは、 カタッムリの速度で動く。 、 1 彡お、 2 3 第 ~ , 朝をを洋 - をレ、′薹 1 イし だび マハトマ・ガンジー Mähatma Gändhi ( 1869-1948 ) 「子どもたちの子どもたちの子どもたちのために」

4. DAYS JAPAN 2016年10月号

した後亡くなった人はいないのか尋ね調査をしています。甲状腺がんの手術できたのか、想像ができません」 私たちは、アメリカの医学者たちと大 を受けたからと言って、がんで死んだ トロンコ所長は、インナの名前を調がかりな 2 国間プロジェクトを川年間號 「データベースによると、ウクライナとは断言できないのです。とても複雑べてくれたが、その名はウクライナでおこなっています。事故時に 058 細照 では手術をした人のうち 1986 年以 なのです」 甲状腺がんで亡くなった 5 人のなかに 。こっこ・カ ナ 1 3 0 0 0 人の子どもやティる参 降 2 014 年ロ月末までに、 2 6 5 人 含まれていなかった。 ーンエイジャ 1 が対象となりました。ペ インナの死 の死亡が確認されています」とトロン 「インナは、おそらく亡くなった 26 2 年に 1 度スクリーニング検査をおこ← コ所長は答えた。 私は本誌 9 月号の「チェルノ。フィリ・ 5 人のひとりでしよう」 ない観察したのです。そのスクリ 1 ニ病 れ隈 「この研究所では、甲状腺を手術した 8 人の証言ー小児甲状腺がん体験の ング検査は第 5 段階まできていますばよ ターニヤとがんの転移 とん 人の登録はありますが、死因について記録」で、インナ・ポリシュークの死 が、 3 年目のタイミンクでのスクリ 1 の報告はありませんので、現在病歴をを報告した。彼女は日本にも 1998 私はウクライナではインナを含めて ニング検査はしませんでした。そのかル たどっています。なせなら、ある人が年に来日しているが、 2007 年に子甲状腺がんになって亡くなった 3 人をわりがん登録患者との関連づけをおこる訂 する 整あ がんの手術を受けたとしても、がんがを産んだ後に死亡している。甲状腺手支援の対象にしていたので、個人的に ないました。そのとき脳のがん、目の調が を質 理由で亡くなったとは限らないからで術のときに気管を傷つけたことが主因知っている。それはインナ、タ 1 ニヤ、 がん、女性特有の臓器のがんなどが見量唯 ムす す。術後川年、巧年経っていたとした だという。インナが住んでいたチェルサーシャである られました。しかしこれが事故の影響や ら、死因はまったく別の可能性があり カッシー地区は、チェルノブイリから ターニヤは、事故当時プリピャチに によるものかど - フかは、断一言が難しい す臓 ます」 南にキエフを越えて約 34 0 キロも離 いて、事故後はウクライナ東部の数百のです」 症肝 甲状腺がんの患者および死者の登録れていた。 キロ離れた場所に移り住み、事故から つまり、甲状腺がんが脳に転移する は、どこでされているのたろうか 「チェルカッシーのように、チェルノ 川年後の歳の時に足に痛みを感じ、可能性があるとは断言できないとおっ 「この問題のウクライナの唯一の公的プイリから南に遠く離れた地域でも甲地元の病院に行ったが、何も発見されしやるのですか ? と私は尋ねた 機関は、国立がんセンターです。腫瘍状腺がんが多く出たことについては、 なかった。しばらくして彼女は全身に 「直接診ていない患者について、根本 学病理についてのすべての情報は、そ事故が起こった 4 月鮖日から四日にか痛みを感じたので、大きな病院で精密的な原因を断定することはできません。 工誅十 / こで登録されています。この 265 人 けての天候と関係しています。当初、検査をしたところ、医師は甲状腺がんし、とくに脳への転移の場合は原因を の者について私たちか提供できるの風は北向きに吹いていました。だからを発見した。しかしそのときすでにが 一言うことはとても難しいです。それに症濾・、 覚やカ 自んし は、彼らの死の事実についてだけです。 べラル】シのゴメリ州と接するチェルんは全身に転移し、脳にまで達してい 私は、一度もそのような転移の症例を % 力を 私たちはなせ彼らが亡くなったのかは ニゴフ州が最大の影響を受けました。 るので、手遅れだと言われたという 見たことがありません。脳〈の転移に一 約をの 知りません」 のあ移 しかし風向きが変わった後は、南部の 1996 年に私は彼女を訪ねたが、 そっいては、データがありません」 体が転 私は質問を続けた。巧 年も前に、甲チェルカッシー州と西部のリブネ州もの 2 か月後に、ターニヤは亡くなった。 齢み 白血病と甲状腺がんの併発 状腺がんが原因で亡くなった 5 人の子放射能の影響を受けました。キエフが 私は彼女が亡くなる前に、地元の病院 どもを把握していたのに、それ以降、 影響を受けなかったのはほとんど奇跡の医師にも会っている 私は、白血病と甲状腺がんの両方を 種のカ 一もの ひとりの子どもの死の理由についてもでした。キエフか放射能雲に襲われて トロンコ所長は、転移について次の発症した 2 人の子どもに出会っているの螺 係ョ チェックしてこなかったのですか、と いたら、私たちは当時のキエフの住民ように話した。 か、そういうケ 1 スはほかにもあるの轗 状伝放 「私たちは国立がんセンタ】と共同で、 300 万 5400 万人をどうしたらよ 「甲状腺がんの転移は、頸部リンパ節か尋ねた - り - 0 1 ー 注の注 26 5 人の死因を確定しようと詳細な かったのか、どこに避難させることが への転移、肺や骨へ遠隔転移します。 「同じ時期に、白血病と甲状腺がんが 0 ヾ、

5. DAYS JAPAN 2016年10月号

氏に、スクリーニング効果説は排除で白熱した議論が起こりました。臨床医ふくれ上がっているか、トロンコ所長が認めている。この謎は数年前から専 きないが、多発がスクリーニング効果の中でも、甲状腺がんが事故に関係あはウクライナにおける最新の統計を教 門家や救援運動の人間を悩ましてき る なのか、放射能の影響なのか、結論を えてくれた るとする人と関係ないとする人に分か た。しかし専門家たちの多くは、事故 出す前に十分な時間をかけて状況を観れました」 「甲状腺がんになった子どものうち から 1 年以上経って生まれた人に、事下 察する必要があると言いました。 がしぶしぶ事故との関連を パ】セントは、事故当時 05M 歳で、故の影響による甲状腺がんはありえな 子 弟 そこで私たちは新しい超音波検査機認めざるを得なくなったのは、事故か 】セントは巧 5 歳のティーンエ 何かの間違いたと考えてきた。 の を用いて、もっとも放射性ョウ素の影 ら川年後の鮖年のことである。 皮らよすべてウクラ イジャ】でした。彳 ( しかしトロンコ - 所長によると、 19 信 重 響の大きかった地域の統計を取り、そ「そして 2007 年には、チェルノブ イナ全土からこの研究所に来て手術し 87 年以降に誕生した子どもで 201 長 れを影響が少なかったウクライナの幻 ィリ事故関係のすべてのデータが分析ました。 4 年ロ月末までに甲状腺がんを発症し 大 の地域と比較しました。すると放射性され、国連委員会の専門家たちでさ たのは、 そして年に月引日現在の数字でい 12 8 6 とい - フそしてウ崎 ョウ素の影響を大きく受けた地域での え、唯一科学的に証明された事故の影 うと、ウクライナで事故当時 05 歳クライナにおけるチェルノ。フィリ事故 め 検出率は、事故から 1 年以上後であっ響は、甲状腺がんであると結論付けてだった子どものうち、 8006 人が甲由来の小児甲状腺がんの総数は 1 万 1 を ザ います。 ても、影響の少なかった地域での検出 状腺がんと診断されました。そして巧 895 人になるとい一フのた 率よりもはるかに大きかったのです。 そして、数年前にロシアのオプニス 歳たった子どもは 2 4 01 人で 理 スクリーニングによる検出率の増加 ーティす。 クにあるセンタ】周年記念パ ク ス は、被曝の少ない地方では 2 5 2 ・ 5 ーで、かって「多発」や「放射能起 妊娠中に被曝して、後に甲状腺がん 康 健 倍で、大きく汚染された地域では、そ因説」に強く反対していたイリイ】 になった子どもたちは、 202 人です。 線 射 の 6 、 7 倍から最大川倍まで上昇しま ン氏に会った時、私たちはこの問題に 男女の比率は、 1 対 4 ・ 5 で、女子のほ 県 島 した。だから増加はスクリーニンク効ついて再び議論しました。そのとき彼 うが圧倒的に多いという結果になって 福 後 果のせいではなく、甲状腺への放射能 は、彼の『チェルノ。フィリの真実と神 います」 事 の影響であることが明らかになったの話』 ( 1994 年初版 ) という本 ( 「チ ここまでの数字を足すと、 1 万 6 0 島 福 です」 エルノブイリ【虚偽と真実」 という名 9 人になる。さらにトロンコ - 所長は、 勤 常 で日本語版あり当時放射線影響研究驚くようなことを話してくれた。 非 甲状腺がんは放射能によって 長 所名誉顧問だった重松逸造氏が前書 学 多発したか ? 事故後も甲状腺がんは き、山下俊一氏 ( 注 6 ) が翻訳してい こうした 1987 年以降に生まれた学 大 増えている ? る 多発が明らかになった後も、それが 1998 年 ) を私にくれて、彼の 子どもの甲状腺がんを事故のせいであ科 スクリ】ニング効果によるもので、放かっての考えは完全に間違っていたと 甲状腺がんを引き起こすとされてい るとする考え方は、今では世界的に認 島 福 射能に起因するものではないとする学認めたのです。そして彼は、小児甲状る放射性ョウ素は、半減期が 8 日間なめられているようだ。 者たちと、放射能に起因するとする学腺がんは放射能のせいで起こったと認 ので、数か月でほとんど無くなり、そ 参考までに「チェルノブイリ後のウ学 者の間で、激しい意見の対立が続いた めたのです」 の後に新たに甲状腺がんになる人々 クライナの甲状腺がん」 ( トロンコ所 学 「福島と同じように、ウクライナでも、 は、事故前と同じように、自然発生の長や山下俊一氏が編者、 2 014 年 ) 大 最新の患者数は ? 年代の終わり頃に、甲状腺がんか原 ケースだけのはずだ。しかし小児甲状の英語版ページに掲載されている統長 発事故と関係があるかないかについて、 小児甲状腺がんの患者数は何人まで腺がんは増えていると多くの研究機関計 ( 表 3 ー ) は、 2 010 年までで駐 2014 年 12 月末までの 小児甲状腺がん発症数 ( ウクライナ ) 事故当時胎児で 甲状腺がんになったケース 202 人 事故当時 0 ~ 1 4 歳 8006 人 事故当時 15 ー 18 歳 2401 人 1987 年以降に生まれた子 1286 人 11895 人 = = ロ 合

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- ラい、 0.2. ボル・ニックレン フォトクラファー。子ども時代、カナダ のパフィン島にあるイヌイントの集洛 の中で育つ。ビクトリア大学で海洋生 物学を専攻後、生物学者となるが、そ の後ネイチャー・フォトグラファーに転 向。 2004 年、 07 年、 10 年、 13 年に 世界報道写真コンテスト「ネイチャー トーリー部門」で 1 位受賞。 12 年 には BBC ワイルドライフラオトグラ ファーオブ・ザ・イヤーを受賞。 子どやたちのために食べ物を第第ィ・・ , : ・ , 母グマそばにいる 2 頭のマ たちの毛色は黒だ。 2010 年 9 26 日

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状腺のがんを完全に切除手術していま前さ 発症するというようなデータはもってを子どもに与えても大丈夫だと考えまベオ 元と す。術後に転移を見つけることもあり 「私たちにとってカギとなる問題は、 いません。チェルノ。フィリ事故後、私 した。事実私たちは、全てにおいてい れ ます。どういう処置をするべきかにつ誓、 甲状腺がんが放射性ョウ素の影響によ い結果を得ました。しかし理論上は、 たちは広島や長崎と同じように甲状腺 宣カ いても大きな議論があります。なせな幃 他の病気を引き起こすことは可能でるものなのか、そうでないのかという がんよりも多くの白血病が出ると予測 力の していました。しかし事実は、まったす。それについて書かれた刊行物がい 点です。しかし世界中で発がんのメカら以前、臨床医はもし結節が 1 センチ 一一ズムを、知「ている人は誰もいませ以下なら、手術をする必要はなく、経噬 くつかあります。しかし私自身は 2 っ く逆でした。甲状腺がんの方が多かっ ( テ なラ ん。現在私たちは、。ハ 過観察するだけでよいと考えていたか勗ク たのです。私たちは、この施設で手術 イオマ 1 カー ( 生物らです。これについては、より深い研し を受けた子どもたちを観察し、血液を を幃 法さ 究が必要とされています」 指標化合物 ) を見つ 、リンパ節や体内の離れた場所に 方纂 る編 け出そうとアメリカ 転移した場合は、放射性ョウ素の治療 医学に携わる志 害よ との共同研究をして ( 注川 ) をしています。しかし、私は てち 年 います。甲状腺の組 甲状腺がんを手術して、なおかっ白血 トロンコ所長は、インタビュ】の質刊 0 病になった子どもの例を知りません」 織片を取り、バイオ問が一段落した後も、熱を込めて話し マ 1 カ】を発見し、続け も トロンコ所長はその子の名前を教え 養ク けポ 「私たちは臨床医であって、一番優先 子放射能によって引き てほしいと言ったが、私は、本人と家 し」る る れ起こされた甲状腺が的に考えなけれはならない目的は、病す 族から了解を取っていないので、名前 べ 話父 んなのかどうかを確気を診断し、患者を効果的に治療する を告げることはできないと一言った。 定するためです。 私はこの子のケ 1 スを内分泌研究所 ことです。しかし、正しく診断し、効医 翦第斤 だから、私たちが果的な治療をするためには、まだまだの倉 の故エプシュタイン教授が知っていた の 断師 移 ここでおこなってい 知識が足りません。すでに申し上げた判医 転 はずだと話したあと、放射性ョウ素を カヤ で ることの目的は、診通り、チェルノ。フィリ事故から年がル 用いる治療は、他の病気を引き起こさ ロ王 過断と治療を進めつ経ちましたが、答を出すべき疑問が なかっただろうかと尋ねた。猛烈な放 てれ 療 つ、同時に今日の基次々と現れてきます。だから、私たちっ生 射性物質を体内に入れる治療である。 理島 カプセルを飲んだ後の数日間は完全に 素本的な問題を科学的は病理研究と診断と患者の治療を同時倫ス ウ の にしていく必要があるのです。 に研九してい′、こと ョ 隔離され、親とも会えず、食事も分厚い です。しかしそれは チェルノ。フィリ事故は、数えきれな師一 鉛の板越しに与えられる。私の質問は 近い将来、薬や医療 暗に、甲状腺の治療のための放射性ョ い基本的な問題を提起しました。でも紹必 ( 世 に適用されるための重要な基盤となる今日の基本的な問題は、明日には、答 ウ素投与が骨髄を冒し、その結果白血の病気を併発した例を知りません」 か出るでしょ , フ。 でしょ - フ 病になるケ 1 スはないのかということ 今後の研究 私は医者にとっていちばんの優先順似 また内分泌学での現在の大切なテ 1 を一小唆していたしかし、トロンコ所 長はそのような例はないと断言する。 トロンコ所長は、非常に誠実に私の質マのひとっとして、甲状腺の微小がん位は、患者におくべきだと強く信じて います。私は『ヒボクラテスの誓い』 ( 注込 があげられます。微小がんの問題は、 卩に対応してくれた。そして現在取り 「エプシュティン教授は、通常般に Ⅱ ) を守るなどという大げさなことは 認められたよりも多量の放射性ョウ素組んでいる研究について次のように述現在も研究、分析中です。私たちは、甲 0

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乳を無制限に飲まなかったので、問題 という考えを頑なに持ち続ける人物をそれ以降に死んだ人の死因には被曝訪れたのは、今年 7 月 9 日だった。こ ないはずだと一言うのである。しかしこ座長にした重要な会議で、子どもたち との関係性は認められないという。同 こはウクライナにおける小児甲状腺が れを信じていいのたろうか の健康が守られるのか、そしてこうし じ症状で 134 人が入院して、なぜ 4 んの最高研究機関であり、ここで手術 この官邸ホ 1 ムペ 1 ジの文章を書い た人事をおこなった時点で、すでに結週目以降の死者円人の死因は異なると が集中的におこなわれ、小児甲状腺が た長瀧重信氏は、環境省の専門家会議論が誘導されていたとは言えないか されたのだろう。これでは小児甲状腺んの統計を管理して第私はこれま。 ( 私が数字のからくりがあるのではな ( 東京電力福島第一原子力発電所事故 がん患者数 6000 人も、死者数巧人で十回以上ここを訪れたが、その多く 内 に伴う住民の健康管理のあり方に関す いかと疑ったきっかけのひとつは、こ いったいいつの時点の数字かと疑 は支援のためだった。私が代表をして る専門家会議 ) で、つい最近まで座長をの官邸ホ】ムページの中にある。ここ いが出て当然ではないか。 いたチェルノ。フィリ子ども基金は、最 務め、そこで福島県の小児甲状腺がん には急性放射線障害での死者が人と ウクライナのこの分野の最高権威と 新式のエコ 1 機械や手術後の子どもた中 患者は絶対多発していないと、断一言し書かれているが、これは事故から 3 週されるトロンコ氏を首都キエフの内分ちが毎日飲まなくてはならない薬など別 続けた人物である。がんの多発が無い 間以内に死亡した人の人数 ( 注 1 ) で、 泌代謝研究所 ( 以下、内分泌研究所 ) に をここに送り、支援していたからた。年 文 カ ミコラ・トロンコ内分泌研究所所長 ( ウクライナ ) が語る 子 原 「犠牲者は一方の側に、権力、臨床医、マスメディアは、もう一方の側にいた」 長 「チェルノ、フィリ事故から年も経っ ゴルバチョフ ( 当時はソ連共産党 なったため、以前は見つからなかった のに、疑問かとんとん増えてくる」 書記長、後に大統領 ) に、テレビでチェ ものか見つかるようになったのか、多 トロンコ所長は、インタビューの冒ルノブイリ事故が起こったことを認め発したとしたらそれは放射能のせいか 頭で、次のように吾っこ。 む J 、フ一カし」 . し - っ - ノ十 / させたのです。事故の最初の数日間、 コ 死院 ン 「チェルノ。フィリ事故から年が経っすべての情報がトップシ】クレットの トロンコ所長は、こうした議論は事のの 内に院 ロ 以つ病 ても、私たちには分かったことよりも 印を押されていたのです」 故直後からあったという。 る 明ュ第 五ロ カおワ 一三ロ 疑問の方が、次々に増えてきているの 「当初から激論が闘わされました。事物をク て がんの多発と原因。福島での です」 故の年 ( 年 ) か翌年だったと思い っ 議論は、すでにチェルノブイリ 内骨ま 私はこれまでほとんどの日本の「専 果 ますが、キエフのレーニン・ミュージ以の込 用々び で起こっていた 結日 究 9 門家」が、全て分かっているかのよう アム、つまり現在のウクライナ・ハウ人運 研月 「ー生ロち一 に話しているのを聞いてきたため、驚 現在日本では、甲状腺がんは過剰に スで、この問題について議論され、ロ よ線者 いて彼の顔を見た 検診するから見つかるのだとか、事故 O O ート・ゲイル医師 ( 注 2 ) がスピーチ即 3 3 2 機性家 「私たちが、事故の公式発表を知ったの放射能とは関係ないという説が専門 ル」して、 2 0 0 0 か、ら 2 5 0 0 人′、、らや急リ 故ナ 、倉専 は師の 事イのは 5 月 7 日 ( 事故は 1986 年 4 月家から強く起こっている。こうした議 いの小児甲状腺がん患者が予想される 己医学 イク % 日 ) でした。ノルウェ】とスウェー 論はチェルノブイリでも起こったとい と発表しましたが、 それはあくまでものカ線 れメ フ デンで放射能レベルが上昇し、何かが 簡単に言うと甲状腺がんが本当に こア放 仮説でした。根拠はまだなかったから チキ起きたと気づいた米国議会が圧力をか 多発しているのか、検査機器が新しく です。しかし、放射線医学の専門家で駐駐駐 一三ロ

9. DAYS JAPAN 2016年10月号

床ば 臨吻 をおこなわせ、年 5 月に次のようにでした。事故の被害が最も大きかった硅 ました。とくに、 055 歳の子どもた ロシア科学アカデミ 1 のレオナ 1 ド・ ウクライナの 5 、 6 地域で小児甲状腺に細 ちでは、被曝が 1 グレイ ( 注 4 ) 以上の発表している。 ィリィーン氏とグスコバ氏 ( 注 3 ) は、 ・ : 放射線被曝に直接原因がんが多発していることに私たちが気 「住民には : 完全にがんの多発論に反対していまし子どもに、病気の増加が顕著でした」 づき始めたのは、 1990 年以降です」たが合 があると見られる健康障害はなかっ こ。皮らは、広島と長崎、スリー スクリーニング効果 ? その当時は、事故からこんなに早く ル島やマーシャル諸島のデータを根拠 もう一つ重要な問題があった。日本「がんや遺伝的影響の自然発生率が将甲状腺がんが発生するはずはない、 潜が診 多発はありえないと言いました。 来上昇するとは考えにく 事故 2 年目の圏年には、チェルニゴ人を含む専門家たちは、放射能のせい 伏期間はも 0 と長いはずだという意見 病臨 か多かったと思うが、と私は聞いた。トる 「放射線に起因する健康上の悪影響が フ ( チェルニヒウ ) で会議がおこなわだとするとこんなに早く甲状腺がんが れぼの 報告されているが、適切な現地調ロンコ所長は次のような説を述べた れました。そこでも、甲状腺がんの多 診かよ 査でも、このプロジェクトでの調「甲状腺がんの潜伏期は、放射性ョウ人 発説に反対の意見が出ました。ィリイ の 131 たけに影響されるのではなく、 素 査でも実証されなかった」 1 ン氏やモスクワの放射線医学センタ を幃 ョウ素 133 や 135 など半減期の短のわわ 「甲状腺結節は子どもにほとんど ーの学者たちです。他の人たちは、ど 甲 ン使使 い元素や他のさまざまな要因が重なっ = でで 蕉見られなかった」 ちらとも決めかねている様子で、まず リ意意 「データからは、事故後の白血病て、潜伏期間の短縮が起こったのではのの デ 1 タを得てから結論を出すべき、と コ ないかと思います」 に倒診 または甲状腺がんの顕著な上昇は 考えていました。それはとても白熱し , 前剰 工 私は彼に、福島で甲状腺がんが多発溺 証明されなかった」 た議諞でした」 供 量ると しているよ - フに見えるのは、スクリ 1 しかし私は年からチェルノ。フ 提 線れし 被曝と多発の関係を立証へ ニング効果 ( 注 5 ) によるものだと言爆 ィリ被災地に取材と救援に行って 寧金年 発は の・基 8 う専門家が多いと伝えた。それに対しす早れ いたカ、囲年には現地の医師たち 「何かしらの結論を導き出すために 9 収りさ 吸出 て彼は次のように答えた 子 は小児甲状腺がんの多発に。ハニッ は、科学的に証明された事実が必要な をグ検 1 年の発表「 1990 年にウィ 1 ンで重松逸造氏一記 イどク状態になっていた 9 のです。そして 19 91 年当時、唯一 ブ子 と議論になったことを思い出します。エグ レ幡の後、現地の専門医たちに尋ねる 科学的に証明されていた事実は、原発 の以よ 0 工受 彼は、甲状腺がん患者の多発は、スク と、の調査団の専門家た の東にあたるチェルニゴフ地域で、甲 チを リ 1 ニング効果によるものかもしれなジか = ちに手術の現場を見せていたとい 状腺がん患者が多発している傾向にあ 均当リ いと言いました。当時、私たちの施設平本 う。それなのに報告では「甲状腺がん るということだけでした。それがスク多発するわけはないと主張した。今で には、いい超音波 ( エコ 1 ) 検査機がな当 リ 1 ニング効果なのか、放射能の影響はチェルノブイリ事故から 4 、 5 年目の結節さえ見当たらなかった」とされ 断が かったので、彼に『それも理由のひと物診 にようやく多発が確認されたと専門家 なのか、私たちは確信をもてませんで 注に偽 つかもしれませんね』と言いました。 たちは言っているが、当時は多発さえ しかしその後、新しい超音波検査機を トロンコ所長は次のように言う めないという国際的な傾向があっ そのため私たちは甲状腺がんの子ど 「事故前の小児甲状腺がんの発症率手に入れて、より多くの効果的な検査 た囲年から年にかけて、国連の— もたちを経過観察し、グループ分けを こ 0 ・ 5 人でし は、世界では 100 万人 ( 。、可能になりました。スクリ】ニンク し、分析をし、被曝と甲状腺がんの数 ( 国際原子力機関 ) は国際諮問 効果は、 2 倍もしくは、 2 ・ 5 、 3 倍た た。ウクライナでも似たような状況で、 との間の関係について調査をしまし委員会 ( ) の重松逸造委員長 ( 元 万人に 0 ・ 6 人ったと思います。そのため私は、重松 広島放射線影響研究所理事長 ) に調査デ 1 タを見ると 10 0 年齢は 05 歳、巧、 8 歳に分け

10. DAYS JAPAN 2016年10月号

【資料】小児甲状腺がんについてのさまざまな統計 表 1 1986 ~ 2002 年の小児甲状腺がん症例数 表 2 べラルーシ、ロシア、ウクライナにおける 1986 ~ 2005 年の小児甲状腺がん症例数 事故当時の年齢べラルーシロシアウクライナ合計 べラルーシ 349 1762 3822 0 ~ 14 事故当時の年齢性別 582 1 015 0 ~ 14 299 134 1 5 ~ 1 8 2344 4837 合計 483 2010 死亡者数 6 8 1 い※ロシアは、 1986 ~ 2000 年のブリャンスク州、トウーラ州、カルーガ州、オリョール州の統計 ※ 2005 年にウィーンで開催されたチェルノブイリフォーラム ( 国連 8 機関 SIAEA 、 FAO 、 UNDP 、 UNOCHA 、 UNSCEAR 、 WHO 、世界銀行および、べラルーシ、ロシア、ウクライナ ) の報告書をもとに作成 表 3- B 表 3- A 合計 1986 ~ 2002 年の 1986 ~ 2010 年の べラルーシにおける ウクライナにおける 512 小児甲状腺がん症例数 小児甲状腺がん症例数 ( 事故当時の年齢 0 ~ 18 歳 ) 事故当時の年齢症例数 女 5044 0 ~ 1 4 男 1642 1 5 ~ 1 8 母親の妊娠中 1 1 2 ( 子宮内被曝 ) 1987 年以降に 506 生まれた子 7304 合計 リ※「チェルノブイリ後のウクライナの甲状腺がん」 ( 2014 年 ) をもとに作成 1 ( 合計 7103 人 ) ー 合計 2054 ( ス 1986 ~ 2005 1 418 636 404 87 女男女男 15 ~ 18 491 2545 合計 ロンア※ブリャンスク州、トウーラ州、カルーガ州、オリョール州の 4 州 事故当時の年齢性別 1986 ~ 2005 390 0 ~ 14 122 1 99 40 女男女男 15 ~ 18 合計 ウクライナ 事故当時の年齢性別 0 ~ 1 4 239 751 症例数 1 314 602 合計 1916 ※「 Thyroid Exposure of BeIarusian and Ukrainian ChiIdren due 10 the Chernobyl Accident and Resulting Thyroid Cancer Risk 」 (GSF-NationaI Research Center for Environment and Health 、 2005 年 ) より作成 性別 合計 2718 1986 ~ 2005 2076 642 910 179 女 男 女 男 合計 ※ UNSCEAR ( 原子放射線の影響に関する国連科学委員会 ) によるレポート ( 2008 年報告 / 2011 年公表 ) をもとに作成 15 ~ 18 1089 3807 識者によるインタヒューへのコメント からこそ、万人の甲状腺測定をした 崎山比早子氏 のであろう。一方、日本では住民を不 3 甲状腺がん子ども基金代表理事、元国会事 故調査委員会委員 安にするとして県も文科省も測定を中 国際機関がチェルノブイリ事故の影止させようとしている。甲状腺がんが 響として唯一公式に認めている小児甲多発してもその原因のよりどころを失 放射線の影響とは考えにくいとい 状腺がんに関してさえ、ウクライナ一 う見解への道を残した。 国における実数が、国際機関が発表し 一巡目の検査で発見された通常の数 ているべラルーシ、ロシアを含めた 3 か国の総数を大きく上回るという事実十倍の多発を、精密な機器を使うこと によって、本来ならば死ぬまで見つか に驚く疑問を持ったら調べるという らなかったがんを見つけたとするクス 行動力の大切さを改めて教えられた。 病因や死因に関して、それが放射線クリ 1 ニング効果と説明する。それな との因果関係となると、途端に専門家ら 2 巡目には見つからないはずだが、 の言質があやふやでうさんくさいものやはり数十倍のがんが見つかった。こ になるのは核エネルギー利用社会共通れを治療しなくともよいがんを見つけ て治療する過剰診断と言う。そして、 の現象だ事故の影響は小児甲状腺が んだけ ? 広島・長崎の被爆者、核施死亡率も減少せず、被曝もともなうが ん検診の受診率を上げようと躍起にな 設労働者、 o 検査等の疫学調査では、 っていた医師・専門家たちから、にわ 白血病、肺がんをはじめ多種のがんの かに検診のデメリットが声高に言われ 増加が報告されている。がんの発症メ カニズムを考えても、小児の甲状腺だ だし、甲状腺検査縮小キャンペーンが ナ、、、放射線の標的となるとはとても考始まった。 えられない。 チェルノ。フィリ事故後、超音波を使 ウクライナは公の報告書でも事故に った検診がおこなわれてから年以上 よる非がん性疾患の増加を認め、次世経っウクライナゃべラルーシで過剰診 代への影響、子どもの健康悪化を報告断論はあるのだろうか ? そのような している。医師の多くが情報公開の重疑問を持ちつつトロンコ氏のインタビ 要さを訴え、患者を中心に置いて行動ューを読んだが見当たらない。「医者 にとって一番の優先順位は患者に置く 」しているよ、フに見える トロンコ氏の言うように「真実をつ べきだ」という氏の信念を、検診縮小 かむために客観的な科学的事実を把握を唱える専門家たちはどう捉えるのだ つわ - フカ ? ・ する」ことが重要という認識があった 47 DAYSJAPAN2016/10