あるマンスラムの病気療養中のあくまで代理である立場なのだ。 かろ 別段、だからと言って相手を軽んじていい理由にはならない。 ほばくし せき サティンが浮城に籍を置く捕縛師である以上、よほどの非常事態ででもない限り、任務を受 いな けるか否かの選択は別として、その内容の説明に関してはおとなしく聞くというのが普通だっ た。 事実、サティン自身受けるか断るかは別として、その心づもりだけはしつかり決めて、執務 室へと足を運んだわけである。 げんきよう すとんきよう その彼女に、かような素っ頓狂な声を上げさせた元凶とは : : : つまるところ、執務室の主で あるアーヴィヌスの口から語られた内容だったりするわけだ。 しかも、前もって今回の件に関してはサティンに拒否権は認められないと前置きっきだった りしたのだから : : : やり切れないというか、なんというか : 「クーダル帝国・・ : : ですか : : : 」 出来れば二度と足を踏み人れたくないーーとまで思っていた国名を示されたサティンは、半 ばうんざりとした表情で問い返した。 かっとう しかし、彼女の心中の葛藤に気づかぬのか気づいていても構う気がないのか、アーヴィヌス はそうだとうなずいた。 「そうだ。きみには辛い思い出の残る土地であることは承知しているが、これはどうしてもき
くだん は、件のおり、自分を誘拐し、架因を殺してくれた、いくら憎んでも憎み足りない相手だった りするのである。 名前を鎖縛という。 いやみ ましよう よらき それはもう、厭味なまでに整った顔だちの上級魔性ーー妖貴だ。 ほばくし 一度浮城の捕縛師に封じられたはずの存在が、実体つきで復活し、しかもぬけぬけと護り手 に納まりかえっているなどという事実は、浮城の上層部の心情的な安定のためにも、サティン の平穏な日常のためにも、決して明かせないわけなのだが、どういうわけかそれが現実となっ ており、しかも上層部には気づかせるわけにはいかないという事情があって、サティンの胸中 も複雑なのである。 ほかの土地なら我慢できるわ。 と、サティンは田 5 う。 実際、過去架因とともに訪れたことのある国での仕事も、鎖縛と一緒にこなしたことはある えのだ。 折々に架因のことが思い出されて、辛くなかったとは言わないが、それでも今はいない相 のことを克明に思い出すのは辛いと同時に嬉しいことでもあったのだ。どんなにか自分が架因 よみがえ 呼を好きだったか、架因が自分を大切にしてくれていたのか、記憶とともに想いが甦ってくるの 9 。 ( 0 さばく ゅうかい うれ
ったのはお前だろう ? うまく逃げろよ」 はた せりふ 傍から聞けば、激励にも聞こえる台詞を吐きながら、どこまでも他人顔で話す鎖縛の態度に いらだ サティンは苛立ちを隠せない。 「わたしだけの問題じゃないでしよう」 と、反論したが、相手の態度は素っ気ない。 かんちが 「お前、勘違いしてやしないか ? おれは確かにお前を命に替えても守るよう言われたし、そ うせざるを得ないけどな。なんでもかんでも、お前の望みをかなえるような : : : かなえなきや ならないような強制力は受けてないんだぞ ? 」 すごみ 妻味をこめた声で、わざわざ説明されるまでもなくサティンにはわかっていたことだったけ れど、あっさりと言い切られてしまっては、抵抗したくもなるというものではないか。 かい むぼうか そっう 「わたしだって、そんな無謀な賭け、しようだなんて思わないわよ ! 意志の疎通ほとんど皆 れんけい 無のあなたと連携なんてできっこないのはわかりきってるんですもの ! 無理だってわかった えらわたしだって、ちゃんと退くわよ。我慢ならないのは、あなたが説明すらせずにわたしに指 聞図しようとすることよっ ! 」 もっ そう、鎖縛のカのほどは、サティンは身を以て知っている。 かいん 呼 一度は架因を殺され、ラエスリールをおびき出すための人質として抑えられたのだ。 ちゃんと説明してもらえれば、自分だって無駄に意地を張ろうとは思わない。
「そろそろ近いぞ」 おこた 用心を怠るな さばく 鎖縛の言葉にうなずきながら、それでもサティンは目の前の事態に集中しきれずにいた。 ラーヴァンクの気配は、この結界の向こうにあると鎖縛は言う。その言葉を疑うわけではな い。集中せねばならぬ状況であることもわかっている。 それでも、気になってしまうのは、あまりに彼女の日常から縁遠いものを身に纏っていたせ いだ。 ふうまぐ 封魔具ではない。 封魔具なら、これまで仕事の度に持ち運んだのだ。そのときどきによって、大荷物になった り小荷物ですんだりと変化はあったが、いいかげん慣れている。 そうではなく、サティンが当惑とともに纏っているもの、とは。 けしよう 異質な香りと、化粧だったりする。 まと
きたくなって」 さしものサティンも、困惑した。 ましよう じようきいっ 魔性が、浮城の捕縛師に向かって、封じてくれてありがとう・ : とは、かなり常軌を逸した 発言ではなかろうか。 ちらりと鎖縛に目をやると、こういうやつなんだとでも言わんばかりに肩をすくめて見せ た。衣於留とは、かなり変わった女性であるらしい。 「はあ : : : でも、彼 : : : アスラッドって方なんですけど、もうお亡くなりになってますよ ? 」 つぶて あの白木の礫に関しては、不思議に思うこともあって、サティンは浮城に帰還してすぐに、 あの持ち主について調べたので、これは確かだった。 ようき 浮城の記録に、かって妖貴を封じたものは一件しか残されていない。ラエスリ ールが鎖縛を 封じたやつだ。それ以前に、そんな記述は一切なかったのだ。 ひむろ ふうまぐ なのに、浮城の氷室から盗み出された封魔具に、妖貴の命が封じられていたというのはどう る にもおかしいと、調べてみる気になったのだ。 聞 あの封魔具の持ち主はアスラッドーー中堅どころの捕縛師で、単独での任務は受けない : ぶ言葉は悪いが、特出した実力を持っているわけではない人物だった。 そんな彼が、なぜ妖貴を封じることができたのか、サティンは疑問に思ったわけだが、不審 な点はそれだけではなかった。彼は封じた魔性は妖鬼だったと報告していたのだ。どんな意図 しらき
最初に裏切ったのは浮城のほうなのだから。 では、それでもラエスリールを浮城に取り入れるとしたら ? どんな方法が残されているというのか・ 俗事に塗れた者たちが選んだのは人質を取るという方法だった。 ラエスリールにとって意味のある人物を、人質にして彼女を呼び戻す : : : 、いや、浮城の支配 下に組み込むというものだった。 ざいせき 当然、その人質となる人物としては、彼女が浮城に在籍していた頃から親しくつきあってい た面々が候補に上げられた。 ほばくし ラエスリールを浮城に連れてきた捕縛師セスラン、彼女と友人関係を築いたリーヴシェラ ン、そして彼女にとっては姉替わりとも呼べる立場にあるサティン。 にな 不本意な役割を担うぐらいならたやすく浮城を後にする気はあった三人だが、情報を集める 上で浮城の内部は実に都合がよいこともあって留まっていた。とはいえ、問題がなかったわけ まもて えではない : : : サティンの、架因の死以来不在となっていた護り手のことだ。 なまなかの者では、浮城の上層部から彼女を護りきることはできないどころか、下手をすれ ば彼らの息の掛かった者が選出されることも考えられた。そんなことになれば最悪だ。サティ 呼ンの心ヰなど関係なしに、浮城はラエスリールを再び引きこみにかかるのが目に見えていた。 そういう意味で、ほかのふたりはいいな、とこの時ばかりは彼女は力強い護り手を持っ同志 まみ
もの。誰と誰が行ったの ? 」 どちらにともない少女の問いかけに、答えたのはセスランだったーーーサティンは生憎、ロい ほおば つばいに焼き菓子を頬張っている最中だったためだ。 「アンティスとロウヴルとキャサドウールだったはずですよ」 はようけんし アンティスとロウヴルは捕縛師、キャサドウールは破妖剣士であるーーーしかも ) 三人とも経 験、実力ともに中堅と呼ばれる面々だった。 生臭いわね、でも、上はどういうつも 「それが失敗したのに、今度はサティンひとり : りなのかしら ? 初めのナウザーダも二度目のキャサドウールも、美しい黒髪の主だったでし きれい よう、・囮にもなるようにつて。まさか、サティンに髪を染めさせるつもりなのかしら ? 綺麗 ましよう な黒髪に執着している魔性が、まさか染めた髪に引っ掛かるとは思えないんだけど : めざわ いくらあたしたちが目障りだからって、有能な面子、無駄死にさせられるほど、いまの浮城 が人材豊かだとは思えないのだけれど と、かなり辛辣なことをつぶやく少女に、今度はサティンが説明した。 さいし えんか 彩糸が淹れてくれた紅茶で、ちょうど焼き菓子を嚥下したところだったのだ。 ゆくえ まもて 「囮はわたしじゃなくて、わたしの護り手 : : ・ , らしいわよ ? うちのは男で、しかも行方知れ ずになったひとたちみたく長くのばしてるわけじゃないんですがって、言ったんだけど、ほと んど無視されちゃって。いくらうちのが綺麗な黒髪の主でも、魔性ならうちのの実力ぐらい見 おとり しんらっ ほばくし めんっ なまぐさ あいにく
もっとも、そこまで彼女が強力な力を備える以前から、サティンは自身の頼り無さと不安定 さに気づき、対策を講じたわけなのだが : : : それにしても、これはあまりにも巡り合わせが悪 すぎるのでは、とつい弱音のひとつも吐きたくなるのだ。 相手が悪すぎる。 あまりにも、三 : 巡り合わせが、悪すぎた。 まさか、面白がってやったんじゃないでしようね・ まね さすがにそこまで悪趣味な真似を、ラエスリールの手前やるとは思えない つまり、ばれ ない限りにおいては保証の限りではないと、しつかりサティンも認めているのだがーーーそれは それは美しい、性格の悪さも飛び抜けている青年の顔を思い出しながら、彼女は噛みしめた唇 すきま の隙間から、そっと息を吐き出した。 思い出すだけで、胸が締めつけられるような出来事だったのだ : : ・あれは。 あの日の出来事は。
「普通の人間なら、二十年もたてば外見もなにも変わるんだろうけど、雑魚とはいってもあれ だけ体内に飼ってたら、そうそう変わってるとも思えないしねえ。他の連中みたく、決まった まもて 護り手もいなかったみたいだし、もしいまもそうだったら、つきあってやってもいいかなあっ て : : : まあ、別に坊やの身代わりにする気はないんだけど。鎖縛もいい方に変わってるみたい だし、見ていたいとちょっと思ったぐらいなんだけどね」 半分は冗談なのだと、衣於留は茶化してくれたわけだが、サティンはあまり安心できなかっ 追い打ちをかけるように、ロを開いたのはリーヴシェランである。 「ねえ : : : それって、もしかしてセ・ 「考えすぎよっ ! 」 すさまじい勢いで、サティンは魅縛師の少女の言葉をさえぎった。 ようき きようぐう 妖貴を父に、捕縛師を母に持っ半人半妖の捕縛師セスランは、似たような境遇にあるラエス る え リールに感情移人しまくった面々の中にあっては中心的存在と呼べないこともなかったが、リ 聞 1 ヴシ - エランやラエスリールより、少々つきあいの長いサティンからしてみると、いささか不 ぶ気味 : : : いや、底の知れぬ存在として要注意人物の指定済みの存在だったりした。 何というか : : : その、恐ろしいのだ。 ましよう きようい 本能的な : : ・例えば、人間が魔性に対して抱く脅威や恐怖の類であれば、まだ納得もできょ みばくし たぐい
130 衣於留ーー姿は写磨だがーーーの出現より、その発言内容のほうを気にするとは、たいした大 物と言えるかもしれない。もっともサティンも似たようなことを感じていたので、五十歩百歩 でしかないのだが。 「それで : : : まさか、必抔ら、遊びにいらしたんですか いかにもやりそうなことだった。 まもて だとしたら、案内するのはやはり自分なのだろうか、だとしたら他の護り手にまぎれる程度 うぬぼ には、もう少し外見を変えてもらわねばならないだろう : : : などなどとーー確かに写磨は自惚 ようき びぼう 、問いかけ れても仕方ないほど、妖鬼としては格段の美貌の持ち主だったのだーー思案しつつ たサティンに、代わりに答えたのは鎖縛だった。 「違う。必抔、福訃い来たんだと」 結局見物はするのかと思いながら、サティンは首をかしげた。 礼ならすでに言ってもらったはずだった。 あだう 効果的な仇討ちを『手伝ってもらった』という名目で。 だんな 「そう : : : 昔、わたしが旦那と子供亡くして正気失って暴れてたときね、ここの捕縛師が封じ てくれたのよ。あのままだったらわたしは破滅してただろうし、そうしたらあのひとと坊やの 仇も討てなかったでしよう ? あの捕縛師には感謝してるの。だからね、一言お礼を言ってお ほばくし