136 霧のように漂う雨が、今は天井にはめ込まれたガラスを静かに濡らしていた。天の光は雲の 向こうで、光は今は届かない しず だいじさつぶ 「だけどさあ、大丈夫かなあ、鎮めの術。今日明日中に来てもらえないと、間に合わないしゃ ない ? 最悪明後日の朝には、何とかしてもらわないと。昼には祭りが始まるんだし たいまっ 「川の近くを通る時は、真っ昼間から松明持って歩くか火矢を備えていくか、馬で駆け抜ける 川から離れているから大丈夫とか言ってるけ しかないって感じだもんね、今。参道の側は、 ど、やつばり不安あるし。もし山の斜面とかぐるーっと巻いて参道の方まで流れてきたら、と か考えるもん」 もうりよう 「当日は火は使えないし、魍魎って、雨が続くと凶暴性を増すって一一一一口うでしよう ? こっちく るとき、怖かったわよ結構」 みが 神事の器を木箱から取り出して、柔らかな布できゅっきゅっと磨いてゆく。祭壇を清めてい る二人を除いて、全員が床に座り込んでその作業に取り組んでいた。 やしろ 「このお社は、月の護りがあるから大丈夫って言われてるけど。今は、普段とは全然状況ちが うし、やつばり不安だよね」 「そうねー、昼間動いてるってだけでも充分凶暴になってるってことだもの。明日あたり、村 や社の中まで平気で襲いかかってきたりしてさあ。魍魎、村を呑み込み、参道を登ってユェシ ャンを全滅にー・とか きり
ほっと、シェリアークは息をついた。肩の力を抜いて、何かを確かめるみたいに己の両手を 持ち上げる。 そこで、地面に座り込んだ少女がこちらに顔を向けているのに気づいた。 抜けるように白い肌は興奮のためか紅潮し、小さな唇は肩の上下に合わせて荒い呼吸を繰り きん 返している。淡い金色の、波打っ長い髪が、今の騒動ですっかり乱れてばさばさになってい こ、ったく た。身につけているのは、不思議に柔らかな光沢のある素材の服で。この辺りではあまり見か けない布地であった。 ばうっと見つめる薄い紫色の瞳。十四、五歳といった頃だろうか 美しい顔立ちをした少女である。くつきりとした目鼻立ちと大きな瞳が、彼女がこれからど うかが れだけの大輪の花となるかを充分に窺わせた。 「えーとお」 シェリアークは普段と変わらないのんびりとしたテンボで、少女に話しかけた。 「大丈夫でしたかあ ? 驚かせない速さで近づいて、手を差し伸べる。が 「『大丈夫でしたかあ ? 』しゃねえっー ュサがシェリアークの首根っこを後ろからひっくくり、右の拳で思い切り強く彼の頭をぶつ 子′子 / しナ . この大ばけ野郎がっ "
「大丈夫なのかなあ。そんなの聞いたことないけど、私」 「あのーだめなんですかあ ? 私たちが参列するのってー うかが 小芋の皮を爪でむきつつ、そろりと窺うみたいな目でシェリアークが口を挟んだ・。 「私も、サーサがその当代の巫女さまから巫女の地位を譲られる儀式見られるの、すごおく楽 しみなんですけどお」 「えつ、セイさまがっ卩セイさまも見にいらっしやるんですか」 いきなり、サーザの声のトーンが変化する。 「えーと。まだわからないんですけどお。ュサが村長と約束したって聞いたんで、、私もせつか くだから一緒に見たいなあって、お願いしたんですー」 「ええー。そうなんですかつ。やだなあどうしよう。私、恥すかしいですそれつ。セイさま が、儀式に参列なさるなんて」 よそ者の参列はだめなんじゃなかったのかよ。 ひじ テープルに肘を突いてその手で顔を半分覆うようにしなカら、ユサは自分の皿の上に乗った れハイの、最後の一かけらを口にほうり込む。 の「でもー、まだ参列させていただけると決まったわけじゃあありませんからねえ」 「いえつ。きっと大丈夫です。だってセイさまは、私やアドルの命の恩人ですから」 サーザはシェリアークのフォークを持った手をひしと握り締めた。 だいじさつぶ こいも おお
258 「はい シェリアークは幸せそうに紙包みを三つ抱えて頷いた - 。もちろん全部、アドルの母親の手作 りパンとケーキである。 「今度こそ、一一日以内にパン食っちまえよ。カビ生えた奴なんて、絶対に絶対にぜええったい に食べるな」 アドルはロが酸つばくなるくらいに、この言葉を繰り返した。 だいじようぶ 「やだなあ、大丈夫ですよそんなにしつこく言わなくても。私ちゃんと耳ありますー 十日たったパンでミルクがゆ作ってたのどこのどいつだよ。 心の中でアドルは叫んだ。口に出したのは、「いいからちゃんと食えよ」・だった。」 「ユサさまは、お身体は本当にもう大丈夫ですか ? 「ああー うかが サーザの窺うようなまなざしに、ユサは目の端で額く 「何ともねえ」 何があったのか、結局ュサはシェリアークには話さなかった。あの後十日間、ユサが起き上 がれない状態が続いて、六日ほどシェリアークがいなかった時間があって、昨日顔を合わせた とたんに . 「明日出発 . と言われた。 どこへ向かうかは、まだ教えてくれてない。 うなず うなず
169 水の戯れ 「そうだろつ。勝手に選んで、勝手に決めて。サーザはみんなと一緒に側仕えはしてたけど、 巫女になるために何か特別なことをしてたわけじゃない だいじようぶ 「そ、そりや : : : そうだけど。無理だよ。今さら。それにわたし、大丈夫だから。今はちょっ と、揺れてるけど、明日には : つきつぎ 「やめろよ。巫女を受けるなんて。月嗣の儀式なんてやめてしまえっ さえぎ アドルはサーザを遮って、叫んだ。 「どうしてもやらなきゃならないわけしや、ない。今年じゃなくたっていいんだからっ ! 月 嗣は。巫女の代替わりはっー 「・ : ・ : アドル やめてしまえ ほとばし 押し殺した声が、アドルの唇から低く迸った。 かぶほうのう やしろ 「そうして月の出を待って山頂の社の前の広場で歌舞の奉納を行い、巫女が集まった全員に月
アドルが白い布包みを一一つ、突き出した。 「え、え、え、え、これ。もしかしてつ」 シェリアークはばっと視線を布包みに移す。 「フルーツケーキと、パン。あんなに幸せそうにたくさん食べてくれたの、初めてだって。や たら喜んでた。それで、どうしても渡すって言ってたから。ソースは持ち運べないから、ない だいじさつぶ けど。これだけでも全然大丈夫だし、日持ちもする」 つぶ ありがとうの言葉も出ず、シェリアークは二つの包みをぎゅうううっと、でも潰しては元も 子もないのでそおおおっと抱き締めた。 「お前のしや、ないからな」 くぎ アドルはユサを睨んで釘を刺す。 「いらねえよ」 あき ュサはあっさり答えて、呆れ顔で相棒の様子を眺めた。溜め息一つと一緒に、差しだされた 紙を手に取る。 触れた一瞬、その厚さに眉をしかめる。 「助けてくれた二人分。だからこれで、セイさまのデザートの分は、ロハにして」 にら まゆ
国しばしの沈黙。 「宿代とメシ代。それと、月祭りだ。受ける ? 受けねえ ? 」 アドルがユサに、何かを言いたそうにするが 「 : : : よろしく、お願いしたい。役所への最初の依頼の書と引き換えの書類を、お預けする。 こんな場所から申し訳ないが。頼みますー ロムスはべッドに横になったままで、頭を下げた。 「父 : : : さんっ : アドルが叫ぶ隣で、ロムスはユサに、書類の入ったかばんを示す。 「大丈夫、請け負った分はちゃんと働くさ。俺はな」 ふところ 依頼書と引き換え券とを懐にしまい込み、ユサはにやりとアドルに笑いかけた。 「ここでの生活費と月祭りの見学だぞ。忘れるなよな」 一時間後、ユサはロムスの馬で城の敷地内にある術士の館に行き、大きな鉄の扉をノックし ていた。 しず 「すみませーん。ュエシャンの村から、水の鎮めの術を依頼に参った者です , 対応に出た男に、にこにこして説明をする。
「思ってることを言って、何が悪いんですー。ュサがロより手が早いとか、短気でおこりんば うだとか、がさつで乱暴だとかっていう悪口なら、たとえ事実でも怒られたってしかたないっ て思いますけどー 「なんだとてめえつ。誰ががさつで乱暴だって」 ュサは腕に、シェリアークの頭を抱え込んだ。 「だって本当のことじゃないですかー ぐりぐりするユサと、それでもまだ頑張っているシェリアークの様子に。 「それと : ・・ : ね。あの」 笑いを必死に噛み殺しながら、サーザは再び口を切る。 「これ。王都につながってる街道までの道順。このあたりって結構入り組んでるから、迷いや すいの。これ見れば、大丈夫だって思う」 ふところ 彼女は懐から一一つに折った紙を取り、一一人の前に差し出した。 「本当はそこまで見送りたいんだけど、今は勝手に出歩くの、できなくなっちゃったから。こ れで」 れ 戯「うわあっ。ありかとうございます、つー 水満面に〃ありがとう〃を浮かべて、シェリアークが手を伸ばそうとする。その目の前に。 「はら、こいつも。母さんが、昨夜楽しみにしてくれてたのに、食べてもらえなかったからっ
「あのお、ごめんなさいアドル。こんな状況で、訊いていいのかわかんないんですけどお。ど うしてオルヴィの術が失敗したか、わかりますかあ ? 街道を一直線に駆けさせながら、シェリアークはおずおすとアドルに尋ねる。アドルはきっ く手綱を握りしめ、少しの間があってからロを開いた。 ほらあな 「俺が : ・ : ・洞穴を、崩したんだ。サーザを、巫女にしたくなくて。それで、祭りができなくな つきつぎ れば月嗣も流れるって思って」 「ええええ、んっ卩 「レアル師 : : : 昨日俺が、悩んでるのを、気遣ってくれて。それで、相談したら : : : そうしょ うって。ちょっと崩しただけなら、大丈夫だし、祭りを中止してから : : : もう一度、術は施せ るって : れ シェリア 1 クは声もなく、横を走るアドルの青ざめて血の気のない横顔を見つめる。 の「まさか : : : あんなに、なるなんて。入り口が完全につれてしまうなんて、思わなかった」 「そんな : : : こと。ォルヴィがそんな : : : ばかな : あえぐみたいな声が、シュリアークの唇から漏れた。手網をつかむ手が、知らす震える。 たづな ほどこ
124 ュサの予想はドンピシャで、オルヴィ・クー ・レアルからの伝一一一口を聞いたロムス・シード じゅ は、すぐにでも村に帰ると言い出した。それを抑えるために、シェリアークは緑の呪を、癒し ほどこ だけでなく眠りを誘う呪をも村長に施さなくてはならなかった。 「本当だろうな」 むらおさ 眠りについた村長の隣で、アドルはシェリアークの手より、彼が下で作らせてもらったとい ようだい うミルクで煮込んだパンを受け取りながら、疑わしげにユサに尋ねる。一度容体が落ち着いて しまうと、若い分だけ彼の方が回復が早い 「信用できねえなら、今から行って確認でもしてこいよー 部屋の隅に備え付けの机に腰かけ、ユサは鼻先で笑った。 だいじさフぶ 「大丈夫ですよお。私もちゃんと聞いてましたからあー べッド脇に置いた椅子に座って、シェリアークは同じミルクがゆを口に運んだ。美味しい 「だったら : ・ ・いいけど」 と一言。 門前に立っ衛士に通行許可証を手渡しながら、人差し指でシェリアークを指した。