204 「どうして : : : そんな」 まゆ アドルはっ : : : と目をそらし、苦しげに眉を寄せた 「俺は : : : サーザに巫女を : : : 継がせたくなかった。アライン様が、目の前で苦しみながら死 んでゆくのを、見ていなきゃならないなんて。サーザが、そんな風に死ななきゃならないなん て、嫌だったんだ」 何かが引っ掛かった。掴みきれない、けれど何かがオルヴィのこと以上に、シェリアークの 、心に引っ掛かった。 ュサが、何か言っていた ? 「アドルっ、あの・・・・ : っ卩 のど 問いかけようとしたシェリアークの声が、喉の奧で凍りつく。 予感にも似た微かな気配に、視線を斜面の下に落とした、その先に。 しず ォルヴィが鎮めようとした川の姿があり、そして川が生みだしているものの姿があった。 いぎよう 一瞬のうちに、他の一切を忘れる。そのおぞましい異形の姿と、離れたこの場所にまで届 確かな悪意に。 も、つり・よ、つ 無数の魍魎であった。ュサがあんなにも急げといった意味が、初めて実感となる。 うごめ ゲル状の魍魎たちが、次々に川べりから地上に乗り上がり、ずるすると蠢いていた。 つか
しずく 木々がわすかすっ、分かち与えてくれる力の雫を呼び集める。 合わせたシェリアークの両手のひらの間に、浮かび上がる淡い緑の球。それを凝縮して、彼 は一粒の結晶となしてゆく。 輝く結品を、目覚めを祈り少年の額へ : 注ごうとした瞬間。 空気が一変した。 がくぜん 異様な音に弾かれたように顔を上げたシェリアークは、愕然として凍りつく。少女も紫の目 を見張り、息を呑んでそれを見つめた。 ざあっと、流れてくるもの。地面を這うようにしていたため、今の今まで気付くことがなか ぎよう った異形の姿を、目は確かに捉えている。 「うわー ・ : まだいたのかよ . あき ュサが一番最初に声を発した。呆れて、笑いだしてしまうみたいな口調で。 「すげえな、ここ。昼間もおちおち歩いてらんねーしゃん」 もうりよう かたち が、いた。先と同し水の、だが先とは全く異なる状をしたものだ。 にご 濁ったゾル状の魍魎が、速い速度でこちらに迫っていた。木々のあいだを、草や土の上を流 れるように追ってくる。薄く広がる魍魎は、人の体液を最も好む。 じゅっむ 間に合わない、今だと。呪を紡ぎ直しているあいだに、すべてが覆い尽くされてしまう。 おお
105 水の戯れ うな 風が唸り、一閃のもとにゼリーが分断される。壁にびちゃっと、飛び散った残骸が跡を残し 「ひっ : 構え直された剣、それを持つ者の速すぎる動きに。 おび 怯えが顔に浮かび、構えた手が動きを止めた。あとずさった赤毛の年若い術士の背中が、壁 もうりよう つぶじゅ にぶつかる。自身の、そして仲間の繰り出した魍魎をこともなく潰し呪を破壊してきた刃は、 今、確かにこの身体を狙っていた。 「や : : : やめつ」 唇が言葉を形作るよりも速く。 がつつ きわ 彼の耳の際、壁を貫くように剣が突き立てられた。 王の押印の入った命令書が、その懐の内にあった。 いっせん つらぬ ざんがい
少女はまばたきするのも忘れて、その光景 : : : 否、シュリアークの姿に見入っている。その 後方で。 うめ 低く、呻く声がした。意識を失い地面にあお向けに倒れている少年が、苦しげに眉をひそめ 微かに唇を震わせる。 「アドルっリ」 少女はわれに返り、彼のかたわらに駆けよった。ほんの一瞬開きかけた目は、しかしすぐに 閉しられてしまう。 「アドル、アドルっ ! しつかりして ! 」 少年の肩を揺さぶり、彼女は彼の名を呼んだ。 その一方。 なぐ シェリアークはカ一杯殴られた衝撃に、しやがみ込んで頭を抱えていた。 「つたあ ! : : ・」 れ 戯加害者を、涙目で見上げる。 の 水「なんで怒るんですー。人助けができたっていうのにー」 こうしよう ばか 「あったり前だこの莫迦 ! 人が交渉してる横で、勝手に動きやがって。おかげで俺の稼ぎが まゆ
「勘違いしていたからな、彼女は。借り物を、自分の力だと」 「それに、彼のことはご存しありませんでしたから。いまだに時折うなされておいでです。 「なぜ、術が通しない』と」 「少しくらい、教えてあげればよかったのしゃないかね ? 」 にら 「北の方に、睨まれたくはありません。 いくらリューネさまが大切でも。いえ、だからこそ、 知らない方がいい」 シ . オンはくすんと肩を竦めてみせた。 「ま、確かに」 」ころ 「術士というのは「なかなかに精神のもろい生き物ですね。ォルヴィ」 「リューネは、だよ。シオン」 ていせい ォルヴィは訂正を入れる。そしてカードから取った一枚をくるりと指の中で回し、唇にあて つ」 0 「で ? 君はどう思った ? 彼を。君の目から見て」 シオンの唇に浮かぶ笑みが、形を変える。 きれい きようじん 「綺麗ですよ。それにすばらしく強靱だ。さすがに くすくすくすと、声を立てて笑った。 おさなご 「いじめがいがあります。特に今は、幼子も同然ですから」 すく と一一一口います・か :
「それじゃあ、またー べこっと頭を下げ包みをやんわりと抱き締めて、シェリアークは先に歩きだしたユサを追い かけてサーザとアドルに背中を向けた。 「ユサー、待って下さいよお。ねえ、どこに行くんですかあ ? 」 「〃こんびに〃。し 、ろいろ補充しなきゃならないもんがあるからな。まずはそこだ」 すたすたと街道を歩くュサは、確かに「何ともねえよ , という感じがする。シェリアークは ほっとして、足取りが軽くなった。 「あー。そうですねえ。フレイエルに手紙も出さないどいけませんしねえ。それにもしかした ら、何か届いているかもしれませんし 「あんなもん、放っとけ 「そうはいきませんよー。ュサ、契約したんしゃないですかあ。 しい剣もらってて、無視はい けませんよー、無視は」 シェリアークはびしっと指でユサの左腰を示す。ュサはけっという顔で腰の剣を見下ろし れた。 戯ゅめみ の「夢見の預言のこととかアラインのこととか、書いていいですかー ? 「お前のことだろ ? それは」 気がなさそうに、勝手にしろと告げる。そして歩く速度を上げた。
112 「本当に申し訳なかったね。アルジェたちのことは、きつく叱っておいた。どうか、許してく れたまえ」 テープルを挟んで、ユサとシェリアークはオルヴィと向き合って座っている。陽光の注ぐ部 あるじ 屋は、主の印象と同しくらい明るい雰囲気に包まれていた。 「ユェシャンへの依頼は、確かに受け取った。明後日の朝には出発できると思う。どんなに遅 しず むらおさ くとも、必す月祭りの始まる前には鎮めの術を完成させると、そう、村長には伝えてくれたま 「じゃまが入って悪かったな。続き、始めようか」 だが、取り返した剣を軽く構えたところでまた異なる声が彼を止めた。 「申し訳ない、お客人。私がいないあいだに、館の者たちがずいぶんと失礼なことをしたよう だ。心から謝罪をして、改めて館に招待させていただきたいのだが。受けていただけるだろう カ ? ・ こちらは扉を開いて。 「ユサ : : : と一一一一口う名を聞いたが、あっているかな ? それから、セイ。久しぶりだね」 ォルヴィ・クー ・レアルの端正な姿があった。 ふんいき しか
さくもん 集落の存在を示す柵門が見えてくる。 ばか 「 : : : 莫迦なのはサーザだ」 村に到着する直前にアドルがはつんとそう呟くのを、シェリアークは聞いた。 シェリアークが荷物を置いてため息をついた頃には、いっしか日もとつぶりと暮れて、夜の とばり 帳がユェシャンの村を包み込んでいた。 もうりよう やしろみこ 彼とユサの一一人は、村長の息子と次代の社の巫女とを魍魎から救った恩人として、温かく村 に迎え入れられ村長の館の一室に案内された。 なりわい 剣士を生業としているユサと、術士の卵であるセイ・リン。彼らはユェシャンの村でそのよ うに紹介され、そのように認識された。 ねどこ 一一人が村人たちから受け取ったのは、感謝の言葉と屋根付きの寝床一日分と。もうちょっと したら、温かな食事がそこに加えられるはすである。 にお 階下から、とてもいい匂いが漂ってきていた。 「ねえュサあ、何かちょっと変な感ししませんかあ ? ここ。一応歓迎してもらってると思う し、みなさん本当に親切にして下さってるんですけどお」 つぶや
55 水の戯れ えいなければュサに抱きっきたい気分だった。 今ので、サーザは完全に外されてしまった。 におう 仁王立ちになり、ぎゅうっと唇を噛んで彼女はアドルを睨み付ける。 > いこと、後できっちり話をつけるわよ。わかったわね」 剣よりもはるかに鋭い言葉を投げつけて、サーザは森を駆け抜けていった。 シェリアークは空いているほうの手で鼻の先をひっかき、空を見上げた。緊張していたアド ルの身体から、すうっと力が抜けるのがわかる 「今のは、アドルが悪いって思いますう」 ばつんと話しかけた言葉に、また、少年の身体がこわ張った。 「なんとなくー、気持ちはわかりますけどお 「どういう意味だよっ・ 身構えて睨むアドルに、シェリアークはほわんとほは笑みを向ける。 「アドルはサーサが好きなんですよねえ」 かっと、少年の頬が朱に染まった。ふいっと横を向いてしまった彼に、行きましようねと言 いそえてシェリアークは歩きだす。 森を抜けると、道はサーザが言ったように左右に分かれていた。右手へ少し進むと、確かに ほお にら
216 を鎖から、また、封印から解き放っていた。 ばき : 澄んだ小さな音である。空間に水流を造り、波と渦を呼び起こし人を飲み込む水の蛇と同し ものとは思えないほど、かすかな音が一つ、しただけだった。 じゅ かけら 空に破壊された呪の封印の欠片が、飛び散る。水色が、きらきらと光を浴びて輝き。 消えた。 ぼうぜん がくぜん 呆然と、また愕然とする顔が、疲労をあらわにした青い瞳の少年を見つめた。 「なかなか、しやがみ込んで、くれなかったから。もー、だめかと、思ったぜ ? 肩で息をして、身を起こしてワンアクションで立てる態勢を作って、ユサは剣の切っ先を、 ォルヴィの胸元に突きつけていた。 こま いくえ その表になっている刃の面に、濃やかに幾重にもかさなり合い、波を描いた繊細な文様、そ してまたその中に、確かに波を作りながら、同時にゆったりと巻き水中を泳ぐ水蛇を浮かび上 がらせる文様が浮かび上がる 「見事に、してやられたな」 はがね 苦笑混じりにオルヴィは吐息をついた。彼の胸にあった呪は、今は剣の鋼に浮かび上がり、