「幽霊は昼間は現れられんーーーそこの兄さんは違うようだがな」 グーリアスは幽霊じゃないわ ! そう一言おうとしたルーナだったが、肩に置かれた彼の手が それをとどめた。 「昼間この船は、沈みかけたただの廃船だ。とても妖魔と戦うことなんかできねえ。だが、夜 は違う。この俺も戦うことができる」 「 : ・・ : どうして倒すつもり ? 」 、う・め・、よく 、い。後はそこの兄さんとでしとめる。や 「あんたは、オーディスの妖力を抑えてくれればし ーもり り方は鯨狩りと同じだ。銛を奴の体にたたき込んでやるのさ。妖力さえなければ、奴は変わっ : ところで、兄さんは鯨狩りの経験はあるか ? 」 た鯨にすぎねえ。 「ふうん。まあ、大丈夫だろう」 『案内人』は不敵に笑った。 城「とにかくも、明日の夜だ」 て 果 界『案内人』が言ったとおり、夜が明けると船は廃船に変わってしまった。 世 何とか浮かんでいるものの、いつなんどき沈んでもおかしくはない。事実、船倉は浸水して
ようま それに、海にはあの妖魔が、ライビュートがいる。彼が素直にわたしたちを行かせてくれる とは思えない。現に彼は、嵐を起こし、わたしたちの船を沈め、わたしの力を奪った。いまも なが あの妖魔は海の底からわたしを眺めて、こうして思い悩む様を見て、ひとり脱に入っているに 違いない それが、くやしい てのひら 妖魔の掌で躍らされている自分がくやしい ちつばけな人間であるのがくやしい ああ : : : わたしは《カ》がなければ、なにもできない : 「ルーナ ? 大丈夫か ? 」 呼びかけられ、ルーナはハッと顔を上げた。 どこかひきつれたようでぎこちなくなってしまった。しかしそれでも、 浮かべた微笑みは、、 おろ 愚かな情けない顔を、絶望の表情を見せるわけには行かない。役に立たない上に、 , に心配を かけるわけには : ルーナはふっと笑った。 「 : : : 平気。何でもないわ」 「無理はしないでいい。いまはとにかく心と体を休めることだ」 うなず こっくりと頷いて、ルーナは葡萄酒をまた一口飲んだ。 ・ : なんの価値もない : ・ えっ
214 第一、自分が誰かの生まれ変わりであるなどとは思えなかった。 たましい 何と言ってもこの魂は、半分は人間だが、半分は妖精のものであるのだから。 千に一つ : いや、万に一つの可能性といっても、まだ高いかもしれない。 さきん 「 : : : でもそれは、砂の中に落ちた砂金を見つけるようなものだわ」 と、ルーナは言った。探るように。何かを期待するように。 「だが、ないわけじゃない。確かに黄金はそこにある」 はっきりと、グーリアスはそう言い切ってくれた。 それは、彼女が望んだままの言葉。 身震いするような希望を見つけた喜びに、ルーナはくちびるを噛んだ。 ゆっくりと息を吸い、吐息をついた。 『転生して、再び : : : 』ーー彼の言葉が、胸に染みてくる。 そうよ : : : たとえ、見つけることが不可能なように見えても、希望という名の黄金は、確か にそこにあるんだわ。 それを信じていれば、わたしは希望をもって生きることができる。遠い遠い未来を見なが ら、生きることができるー 「信じよう、ルーナ。また、巡り逢えることを」 ルーナはこっくりと頷し か
今は、そっとしておいたほうがいいだろう。 グーリアスは毛布を体にかけてやると、テープルに置いてあった水晶でできているような さかずき 杯を取り上げ、そこに一緒に置いてあった酒を注いだ。 にお か かんたん 匂いを嗅ぎ、グーリアスは感嘆の息を漏らした。 ぶどうしゅ 色からして葡萄酒であろうとは思ったが、とんでもない上物だ。いったい何年たっているの か想像もっかない。 した 口にしてみると、これが葡萄酒かと思うほど素晴らしい舌ざわりであった。 おだ ・ヘッドへと目をやると、ルーナは今は穏やかな寝息を立てている。 無理もない。《カ》をの使い通しだったのだから。 ライビュートは死んだのだろうか ? 竜の一撃を受けたのだ。無事であるはずもないが、それでも生きている気がする。 理性のたがが外れたライビュートが、あれほど恐ろしいものだとは、グーリアスも思ってい 城なかった。 の て その妖魔を相手に戦ったのだから、衰弱するのは当たり前だろう。 果 の 界ルーナは人間なのだから。 世 それに、あの子供 ( あれが『全てを知る者』とは驚きだった ) との会見で、何かがあったよ すいじゃく
「それは仕方がないことだ、ルーナ」 とグーリアスは、ずばりと一言った。 「弱肉強食は自然の掟だ」 「 : : : わかってはいるけれど : : : 」 ほお ルーナは頬をふくらまし、グーリアスはそれを見て微笑んだ。 「なに、そんなに心配することもないだろうよ。あの牡牛が一緒なら」 だいたん 言って、グーリアスはさっさと森を出ると、大胆に牡牛に近づいて行った。 危ないー と言おうにも、その時には彼は牡牛の前に立っていた。 ルーナは胸の前で両手を組んで、ただ見ているしかできなかった。 そうするうち、グーリアスは柵の止め金を外し、牝牛を追い出すように外へ連れ出したもの である。 「さあ、行くがいい」 城言って、彼は牝牛の尻を軽く叩いた。 て 一声鳴いたのが、まるで礼を言っているかのように聞こえたのは感傷だろうか ? 果 界二頭の牛は、ルーナの脇を静かに通りすぎていった。その際、ちらりと自分を見た牡牛の目 を彼女は忘れないだろうと思った。 むらさき 彼は、深い紫の瞳をしていた。 おきて しり
田舎でもあり、唯一見物できる見せ物小屋は、古臭い人形劇といんちき手品ぐらいしかやっ てはいなかったので、少年の好奇心を満足させることはできなかった。 そこで少年は、父親をせつついて、予定を繰り上げ、森に狩りに来たのである。 狩りそのものは好きではなかったが、それでも街よりはましであろうと考えたのだ。 いんきょ それに宿の隠居の話も、少年の興味をそそった。 「今はもう、ほとんど憶えているものはおらんがな、その昔、あの森は『人知らずの森』と呼 ばれていたのじゃよ」 と、隠居は語った。 「あの森には、魔女が住んでいての、人が足を踏み入れることを許さなかったんじゃ。だか 。もっとも、今では大勢の人間が入り込んでいるがの。 ら、『人知らずの森』というんじゃ : それでも、奥のほうにいくと、まだ人が入れない場所があるというよ : : : 」 それを聞いたとき、少年の父親は少しも信じなかった。 今では、それが当たり前である。 ようせい 魔女や妖精など、子供の寝物語にもならない。 。しんちき、なんだそうだ。 大人に言わせればそんなものよ、、 だが少年は、もし森に魔女や魔法使いがいたらどんなに楽しいだろう、と考えた。 そして森に入るとはき、どうか会えますように、と願ったのである。 いなか ふるくさ
ゆず 驚いて周りの人々は道を譲ってくれるのだが、しかし、追いつくことはできなかった。 ソレイユが最後に見たのは、二人の赤ん坊らしき影を抱いて、その肩に野鼠を乗せて去り行 かげぼら・し く、女の長い影法師だけであった。 『 , ーー親愛なるソレイユ姉様。お留守のようなので、この手紙を残していきます : : : 』 そんな書き出して始まる手紙が、ソレイユの帰宅を待っていた。 まぎ ひっせき 紛れもないルーナの筆跡で書かれたそれには、レゼントを出てからの旅のことが、事細かに 記されていた。 おそらくは、ソレイユが留守であったときのことを思って、前もって書いておいたのだろ それを読み、いまひとたびルーナの姿を求めて家を飛び出したものの、ついに巡り合うこと はできなかった。 城家に戻 0 たソレイユは、次いで帰宅した夫のラザーランドに手紙を見せ、市場で見かけた影 果のことを語った。 界「間違いなくルーナだろうな。そうでなければ、あのナノフエウスがおまえ以外になっくわけ がない」 「わたしもそう思うわ : : : でも、それなら、どうしてこんな手紙一つ残して行 0 てしま 0 た
ルーナとグーリアスの最後の一日は、そんなふうにして過ぎた : 小さな部屋の中は、窓から差し込むタ陽で、美しい紅玉の輝きに染まっていた。 グーリアスの髪はよく光を吸い込んで、燃えているかのようにまぶしい サファイア しかしそんな中でも、彼の青玉の瞳だけは、平素と変わらず、静かで深い青色をたたえてい 口元には、薄い笑み。 後悔も、絶望も、ない。 本当に、静かな笑み。 優しげな風が吹き込んで、さらさらと彼の前髪をそよがす。 ルーナもまた、微笑みを浮かべていた。 くちびるには、ごく薄い紅が引かれている。 彼女はいま、人知らずの森から持ってきた、古代帝国の女人風の服を着ている。 薄緑の丈の長いその服は、グーリアスも気に入ってくれている服だった。 その彼もいまは、初めてルーナの前に姿を現したときのように、古代帝国グラデュエーンの 文官の服装に戻っている。 一一人はべッドに腰を下ろして、もう半刻も、無言で向かいあっていた。 る。 ルビー
186 「 : : : あなたは何者なのです ? 」 「何って : ・ : ・『案内人』さ」 「ただそれだけの人とは思えません」 はくげい 「そうかね ? おまえさんの考えすぎだろう。俺は、白鯨に許された人間を、ここへ連れてく るだけの役目を負った男さ。ときどき独断で、あんたたちを試すようなことはするがね」 「でも、あなたは、この竜の全盛期を知っているような口ぶりでしたわ」 『案内人』はルーナを見て薄く笑った。 「知っているぜ」 「方法は変わったが、俺はもう三千年以上も『案内人』をやっているのさ。人間はその頃から あふ いたんだよーー記録は残ってないがね。俺がただの人間だった頃は、竜が空に溢れていたもの さ。あんたたちには想像もできないだろう、空が竜の翼で真っ暗になるなんてのは。あの頃は ほう、一う 遠い目をして『案内人』は語ったが、続きは竜の咆哮によって掻き消されてしまった。 男はいたずらを見つかった子供のようなはにかみを浮かべた。 「いけねえいけねえ。俺は案内するのが仕事。これ以上は訊いてくれるな。それよりも、ほら 見えてきたそ」 か
ルーナはやおら上掛けを退けると、彼の床へと体を滑り込ませ、その背に身を寄せた。 はっとしたようにグーリアスは体をひねり、薄明かりの中に浮かぶ、今はただの娘となって しまったルーナを見た。 彼が自分の顔になにを見たのか、ルーナにはわからぬ。だがルーナは、グーリアスの瞳に、 とまど 戸惑いと、燃えるような清念の炎を見ていた。 微かに言葉がわなないているのを、はっきりと聞いた。 大きな手が、所在なげにさまようのを、見た。 ルーナは大きくをついた。 「ルーナ、どうーー」 つむ 言葉を紡ごうとした彼のくちびるを、ルーナは押しつけるように己のそれでふさいだ。添え るように置いた手の下で、彼の体が驚きに引き締まるのがわかった。 なにも言わないで : : : この孤独を、この不安を、あなたで埋めて : ルーナは祈るがごとき思いで、強くくちびるを重ねた。 グーリアスの手が背中に回され、太い腕に力がこもったとき、ルーナは我から体を押しつけ こた て、それに応えた。 涼しげな風が吹き込んできて、蝦燭の炎を消した。 こどく おのれ