田舎でもあり、唯一見物できる見せ物小屋は、古臭い人形劇といんちき手品ぐらいしかやっ てはいなかったので、少年の好奇心を満足させることはできなかった。 そこで少年は、父親をせつついて、予定を繰り上げ、森に狩りに来たのである。 狩りそのものは好きではなかったが、それでも街よりはましであろうと考えたのだ。 いんきょ それに宿の隠居の話も、少年の興味をそそった。 「今はもう、ほとんど憶えているものはおらんがな、その昔、あの森は『人知らずの森』と呼 ばれていたのじゃよ」 と、隠居は語った。 「あの森には、魔女が住んでいての、人が足を踏み入れることを許さなかったんじゃ。だか 。もっとも、今では大勢の人間が入り込んでいるがの。 ら、『人知らずの森』というんじゃ : それでも、奥のほうにいくと、まだ人が入れない場所があるというよ : : : 」 それを聞いたとき、少年の父親は少しも信じなかった。 今では、それが当たり前である。 ようせい 魔女や妖精など、子供の寝物語にもならない。 。しんちき、なんだそうだ。 大人に言わせればそんなものよ、、 だが少年は、もし森に魔女や魔法使いがいたらどんなに楽しいだろう、と考えた。 そして森に入るとはき、どうか会えますように、と願ったのである。 いなか ふるくさ
潮の香が昇るほどに強くなる。海からは遠ざかっているというのに。 しっそ あるじ 壁にも、階段にも、なんの飾りもない。あまりに質素。この城の主は、少しは生活を楽しむ ということをしないのかしら ? それとも、この質素で無愛想な城が、好みなのかしら ? それにしても : : : ああ、足が痛い。 こんなことを言ったら、グーリアスに怒られるかもしれないけれど、これなら、ライビュー トと戦っていたほうがましだわ。 1 】うもん 本当に、、 しつまで続くのだろう。これじゃあ拷問だわ。 とうとっ だが、その責め苦は唐突に終わった。 二人と一匹の前には今、大きな扉がある。 ふちど 扉は、銀でできているように見える。黄金で縁取られた彫刻の数々に飾られたそれは、回り の壁や階段とはあまりに対照的で、そこだけ随分と浮いて見えた。 「ルーナ、これはあの『門』と同じだな」 城言われて、ルーナはそのことに気づいた。 果確かにこの扉は、あの『門』を縮小したものらしい 界ミャーウ、と猫が鳴いた。 世 と、扉が内側に向けて、ゆっくりと開きはじめた。 きし 軋みも何もない。鳥の羽が開くかのようだ。
『案内人』は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。 「さあ、行くがしし 。次の『案内人』が待っている」 ルーナとグーリアスが振り向くと、そこに、真っ白な猫が待っていた。 白猫はルーナを見ると、黄金の瞳を細め、小さく鳴いた。 かいろう 広い回廊状の階段をルーナたちは、もう一刻ほども白猫の案内で進んでいた。 ときおり振り返るのは、二人がきちんとついてきているかを確認しているかのようだ。 初めに案内されたのは、ここではなく、広い浴場だった。 しおくさ すっかり潮臭くなっていたルーナは、そこで潮香を落とした。湯は、微かに薔薇の香りがし ながそでかんとうい 服も船員用の物から、用意されていた長袖の貫頭衣に着替えた。 かんそ えりもと ししゅうほど - 一 簡素なものではなく、袖や少し広く開いた襟元に金糸の刺繍が施してあり、伸び縮みする腰 エメラルド 城の部分を飾る帯の止め金には小さな緑玉石があしらってあり、肩袖のところが少し膨らんだよ かわひも て うになっている。足元を飾るのは、皮紐のサンダル。 果 界着替えがすむと、二人は回廊へと案内されたのである。 回廊の壁には大きな窓があって、外を見ることができる。 のぞ ずいぶん 少し前にルーナは、そこから下を覗いて見て、随分と驚かされたものだった。 っ ) 0 かす ふく
ほほえ 鯨が微笑んだような気が、ルーナはした。 ( ここがその《楽園》だよ ) 驚きに、ルーナは言葉もなかった。 ここが自分たちが目指していた場所だったなどとは : : : そのようなこと、少しも考えなかっ た。思いっきもしなかった。 ( では、どのようなところだと思っていたのかね ? ) 思考を読んだのか、神獣はそう訊いた。 だが、改めて問われると、これといった具体的な印象は持っていなかったのがわかった。 せきめん ルーナは赤面した。着けばわかる , ーーそう思っていたことに気づいて。 おご だが、実際は夢にも思わなかったのである。これが傲りでなくて何であろうか。 ( ふふ : : : そのように落ち込まぬでもよい ) 城 ( 《カ》が失せておらなんだら、すぐにでもわかったであろうよ ) て 界 ( それに、おまえさんの《カ》を奪ったのは、儂のなのだからな ) ( えっ ! ) ルーナは目をいた わし
「気にすることはない。間違いなくライビュートの仕業であったのだろうよ。奴は、《カ》を なくして隙のできた君の心にうまいこと滑り込んだのだ」 優しく肩を叩くと、グーリアスは立ち上がり、仕事をしに荷物のほうへと歩いていった。 マントのない、剥き出しのたくましい背中を、ルーナはただ見送った。 彼は雨避けにと掛けてあった帆布を取り外すと、食糧を一日分すつに仕分ける作業を始め 本当ならば、手伝うべきなのだろう。 だ ; 、ルーナはどうしてもそんな、い持ちにはなれなかった。 むしば ひどい無気力が、心を蝕んでいる。 己がいかに無力であるかを、昨夜、思い知らされたのだ。しかも昨夜は、あれだけの妖気を ありさま 撒き散らすものが側にいながら、気づかぬという有様。 から 歯噛みし、それから葡萄酒をあおるように呑み干した。そうして椀が空になると、放るよう すそ に置いて、膝をかかえ、あちこち裂き傷のできた寝着の裾を掴むようにして、恋人の立ち働く 姿を見やった。 たる 陽光の下、彼は喜々として働いているように見えた。樽を上げ下ろしするたび、むきだしの 腕の筋肉が山と盛り上がる。少し、陽に焼けているよう。おそらくは、朝からずっと働いてい たに違いない。 すき ひざ やっ
特には意識はしてなかった。それが自然な行為だった。息をするようなもの。 確かめてみなくては : : : でも、もしいままだ使えなかったら ルーナは首を振った。弱気になっては駄目。信じなければ。 てのひら 眼前で天に掌をかざすようにして、呼吸を整える。胸の奥のほうに、不安がいまだ小さな 毛玉のようにして凝り固まっていたが、無視する。 火を、呼び起こそう。 《カ》の基本。これができれば、どんな術でも使えるはず。 さあ : : : 火を : ひたいあせ 額に汗がにじむ。水平線の向こうへと沈んでいく火の最後の燃え立っ輝きが、その玉を紅玉 のように輝かせる。 まわ だが、周りの全てはタ陽に照り映えて燃えているというのに、彼女の掌からは少し の炎も産まれはしなかった。いつもならば、骨を通る炎の種を、熱いまでに感じることができ 城るというのに、体は冷え切ったままで、なんの変化もない。 の て くちびるが、すっかり白くなるほど噛んでいた。 果 の「何かに封じられているの : それとも、本当に消えてしまったの : 世 ひとりごちても答えてくれるは、うみねこばかり。 ひぎ やくたたずの手を砂に叩きつけると、ルーナは立てた膝に顔をうすめて、それきり動かなく すべ ルピー
どのくらいであったろう。ルーナは息をつくと、振り返ってグーリアスに微笑みかけた。 「ありがと , っ : : もう平気」 「どうだった ? 」 まわ 「よくわからないわ。周り中を取り囲まれているような感じはあるんだけれど : : : とにかく待 ちましよう。多分、今夜だわ」 「それじゃあ、夜食でも取って備えるとするか」 「作るわ」 あぶ ルーナは火を起こして、焼き置きの小麦の薄焼きに軽く焙った塩漬け魚を巻いたものをつく り、それを二人して食べたが、 しおから 「少し塩辛いわね」 「食が進んでいいさ」 「ほんと : : : でも、太っちゃう」 城「別にかまわないよ、私は」 果「わたしがかまうの」 界などと語り合ってたわいがない。 世 とうてい、幽霊船などという恐ろしげなものを待っているとは見えなかった。 ころあい 葡萄酒を椀に二杯も呑み、少しばかりいい心持ちになった頃合だった。 の しおづ ほほえ
ともある。そして、今宵は今のよう。 「門はまだ開かないのか ! 」 「いま少し ! 」 「早くしてくれ ! 」 数体の亡者をさらに倒したものの、いっこうに数は減らぬ。それも道理。殴り、蹴り倒した とて、少し経てば起き上がり、向かってくるのだ。 死の国に送ってやるには、オーディス同様、ライビュートを倒すしかないということだろう か。だとすれば、ほば永久に召されることは不可能だ。 奴は人間のかなう相手ではない。ルーナが今の百倍も《カ》があったとしても無理だ。 実際に彼と拳を合わせたことのあるグーリアスには、それがよくわかっている。 何十体目かの亡者を殴り倒そうと、グーリアスは拳を繰り出した。 城 だが、その拳は亡者の体をすり抜け、たたらを踏んでしまった。 の て 「 ! しまった ! 」 果 界肉体が消えた ! 世 恐怖が背筋を逾い昇るのを、体はなくともグーリアスは確かに感じた。 障害がなくなった亡者どもは、迷うことなくルーナへと進みはじめたのである。 なぐ
正体はわかっている。恐怖だ。叫び出したくなるような。 さまギ、ま 心を抑えつけ、弱い自分をしかり飛ばし、ルーナは様々な術を試した。しかしそのいずれも こた が彼女を裏切り、応えようとはしなかった。 がまん 今度こそ、ルーナは我慢できなくなった。 「グーリアス ! 」 声を限りに、ルーナは叫んだ。幾回も。 叫びつつ、来てはくれないのではないかとの不安が何度となく胸を突き上げ、声を震わせ ひるがえサファイア 部屋の中に薄青い輝きが現れたのはその時。人型をして、マントが闇に翻る。青玉の瞳が 獣のように輝く。 「ルーナ。これはどうしたことだ ? 」 落ちつきはらった口調で、グーリアスは言った。 何者にも揺るがぬようなその声に、ルーナは少しばかり心が静まるのを感じた。だが、不安 めぐ と恐怖は拭い切れぬ。 気づいたことが間違いなければ、恐ろしいことになる。 「この嵐は君が呼んだのか ? だとしたら少しばかり激しすぎる。先刻外を見てきたが、帆が ちぎれ飛びそうだった。早いところ風を抑えるか、帆をたたんだほうがいい」 こ。
海が、滝のように落ち込んでいたのである。 だんがい 霧に包まれていたので、海の上から見たときには気がっかなかったが、城の裏手は断崖にな っていて、海の水の全てが落ちていたのである。 それでいて、滝独特のごうごういう音は少しも聞こえなかった。 どういうことなのか、猫に聞いても答えてくれるはすもなく、疑問は疑問のまま残った。 はる 遙かな昔には、この世の中は平らであり、世界の果てでは海が全て滝のように落ち込んでい ) まギ」ま るのだと言われていた。しかもその盆のような大地を様々な獣が支えているのだと、真剣に考 えられていたのである。今は、それが間違いであったことが知られている。 しかし、ここでは、昔に考えられていたことが正しいのだ。 「ねえ、まだっかないのかしら ? 」 かたわ 傍らで滑るようについてくるグーリアスに、少し息をはずませながらルーナは聞いた。 「もう随分歩いたと思うんだけれど」 「ああ : : : 外から見た分はとっくに昇ったな」 「おかしなことばかり。海といい、階段といい」 と、猫が振り返ってニヤアと鳴いた。 がんば 「遅いって言うの ? これでも頑張っているわ」 それきりルーナはロを閉ざし、黙々と階段を昇ることだけに意識を集めた。 ずいぶん