はる その瞳の奥に、人間より遙かに深い知恵があるのを、ルーナは見た気がした。 ふいに、はばたきが耳をうった。 空を仰いだルーナは、二羽の鶏が飛んで、燃え立っ空を、沈みかける太陽がかかる山のほう へと行くのを見た。 ルーナは無言で見送った。 悲しみが胸を突き上げてくるのをどうしようもなかった。 残していくのはわたしたちのほうなのに、自分たちがおいてきばりになるような気分になっ たのだ。 「どうした ? 」 静かに近づいて肩を抱いたグーリアスの階し 翌朝もよく晴れていた。 もっとも、そちらが本当に 太陽は昨日と違い、山のほうから昇ってルーナを安心させた 東であるかどうかはわからないのだが。 漂着して、初めての日の出が山からあったからそう思っているだけで、本当は海のほうが東 なのかもしれないのだ。 しかし、そんなことはいまとなってはどうでも、 1 、に、ルーナは無言でかぶりを振った。 しいこと。
の売りの小舟が集まって、声を上げていた。 あいさっ 歩いていると、船乗りたちが次々と挨拶をかけてくる。 キエう・ぼう ソレイユの夫は、この街では知らぬ者のいない英雄であったーーー凶暴な海賊、黒鯱を倒し た男として。 ひとしきり歩いた後で、ソレイユは港の女たちの集まる店に立ち寄り、おしゃべりをした。 タ餉の支度にとりかかる時間になって、女たちは店を後にした。ソレイユも同様である。 来た道と同じ路地を進んで、家へと向かった。 ジムは腕の中ですやすやと眠っている。 それにしても : : ルーナはどうしているのかしら : タ焼け空を見ながら、ソレイユは思った。 たず おしゃべりの合間に妹のことを尋ねるのが習慣になっているのだが、いつもいつも、なんの 情報も得られなかった。 城元気でいるといいけれど : 果そんなことを思いながら、ソレイユは、ずり落ちそうになったジムを、揺すって持ち上げ 世 と、ふいに、肩の上からナノフエウスが飛び降りたかと思うと、路地を駆け出したのであ る。
あわ 視線に気づき、ルーナは慌てた様子で、 「あ、ここにいつまでもいたいと一言っているんじゃないのよ。ただ、急ぐのは必要だけど、あ せっては駄目じゃないかと思って : : : 果物も集めておいたほうがいし 、と思うの。それに、太陽 が逆から昇ったからって、これといった害があるわけじゃないし : : : 」 「今まで害がなかったからといって、これからもないとは限らないだろう」 「 : : : それはそうだけど : : : 」 「わかった以上は、早いほうがいし ただ、君の言うことも一理ある。新鮮な果物は必要 だな。それじゃあ、午後は二人で果物を狩りに、 しこう。そして、明日にでもここを離れるん だ。何が起こるかわからないからな。今は太陽が逆から昇っているだけだが、突然にこの島が 消えたりすることもあるかもしれない」 ルーナは頷いた。頷いたが、その後でこう言った。 「でも、空間そのものがおかしいのだとしたら、ここから抜けられるのかしら : : : 」 城グーリアスは答えぬ。答えられるはずはなかった。答えを彼が知るはすはないのだから。 ずいぶん あかし 果それでも訊いてしまったのは、知らず随分と彼を頼っている証にほかならない、とルーナは 界あらためてグーリアスの存在の大きさを思い知った。 ろう 食事が済むと、二人して荷物と船に、帆布の切れ端に蝦を塗った物をかぶせて果物を取りに 森へ出かけた。 うなず
大か、狼か、それはわからぬ。 火を 思い、手を上げ、そうして絶望に捕らえられたーーー《カ》は使えないー かなしば 上げた手を下ろすことも忘れ、ルーナは金縛りにあったように、動くことができなかった。 牙が、月光に白く輝く。 うな ごろごろと、地の底から聞こえてくるような唸りが、耳を震わす。 声を出すこともできない。 りつぜん 喰われる・ーールーナはその思いに慄然とした。 考えたこともなかったことである。この身が、誰かの腹を満たすことになろうなどとは。 喰うばかりであった これまでは。またこれからもそうであろうと思っていた。 かえ 死は、眠りのようにやってきて、土に還るのだと、そう思っていた。 しかし、いまこの身は、喰われようとしている。 それが自然のことよ。 突然、頭の中にそう声が響いた。聞き憶えがあるようにも思われたが、思い出せなかった。 感じるであろう ? 喜びを : こう - 一つかん 確かに。ルーナは震えるような恍惚感が湧き上がってくるのを、確かに感じた。 喰われたい、喰われてみたい、 と思っているのであろう ? おおかみ
弱肉強食 : とう・ン一つ 唐突に、ルーナはそんな言葉を思い出した。それについてかかれた書を、確か、読んだこと があった。 とくちしっ・ 『弱肉強食は、自然界の掟である。身体的な特徴から言えば、人間は喰われる立場にある。 つめ 爪も牙も、毛皮も、早い足も持たぬこれほど弱い動物が繁栄を極めているのは、その知恵のお かげである。ゆえに人間はあらゆる獣の頂点に立っていると思われているが、それは不自然な ことなのである。本来、人は喰われる立場にあるのだ』 と、その書は結んでいた。 とルーナは思った この恍惚感は、自然回帰の心ではないかしら。 ならば 本来の立場へと戻ろうとしている動物としての本能が、目覚めているのではないかしら。 のどさら ひぎ がつくりと膝をつくと、ルーナは我から喉を晒した。そうするべきだと思った。 わた 月明かりに浮かび上がったそれは、綿のように白く、柔らかそうであった。 そう、それでよい : こうてい の て 声が彼女の行動を肯定し、それが安心をもたらした。 の獣が喉を鳴らしたよう思えたのは、気のせいだろうか ? 世 さあ、早く : ・ : ・と、ルーナは願い、震える吐息をついた。 おお 途端、風が動き、大きな圧倒的な《死》の気配が覆いかぶさるように襲いきた。 おきて
「それでは、これで失礼します、賢者様」 少年は頷いた。 膝の上から白猫が下りて、道案内をするべく、きびすを返したルーナの前を行った。 ルーナが出て行き、扉が閉まると、部屋は輝きを失い、闇に落ちた。 「 : : : あの娘に、幸、あらんことを・ : : ・」 『全てを知る者』の口から、そう、つぶやきが漏れた。 城には再び、深い静寂が戻った。 はんせん ルーナが乗り込むと、賢者が言ったように、帆船は勝手に船着き場を離れた。 ゅうれいせん 入り江には、幽霊船の姿はなかった。 幽霊船に積んであったポートは、今ルーナがのっている船に移しかえてある。 どうくっ 船は洞窟を抜けると、みるみる城から離れた。 城ルーナは振り返らなかった 決して。 きり まわ 果やがて、周りに霧が立ち込めたかと思うと、船は『門』への道に入っていた。 むら一き とうとっ おだ 界紫の雷光が飛び交う中を船は進み、そしてまた唐突に、穏やかな海へと飛び出した。 ここで初めて振り返ったルーナは、巨大な門が閉じていくのを見た。 開くときと同じように、美しい歌が聞こえていた。
ライビュートのことかしら ? ともルーナは考えた。もしかして、すぐ側に来ていて、わた ねら じゃま したちの邪魔をしようと狙っているのを牽制しているのかしら : : : わたしは何も感じないけれ ど。《カ》がなくなってしまったわたしには感じない何かを感じている ? それとも体の調子が悪いのかしら : つらつらとそんなことを思い悩んでいるうち、答えはしかし、グーリアスのほうよりもたら された。 「おかしいとは思わないか、ルーナ」 ふいにそう訊かれて、ルーナはとっさに返事をすることができなかった。 だが、そんな彼女にはかまわず、彼は先を続けた。 「太陽の沈む位置がずれている」 「え、なに・ : 「はじめは気のせいかとも思った。それで、印をつけて、陽が沈む位置をつけておいた。する と、位置が変わっていたんだ」 「 : : : 日々太陽の沈み行く位置が変わるのは、自然なことじゃなくて ? 」 「右に、左にとずれていてもか ? 」 「そんなーー」 みじん おもて 言って、グーリアスは振り向いた。その面には、ふざけているところなどは微塵もなかっ けんせい
: グリーアスのことはつらいでしようけれど、だからこそ、今度はわたしを頼ってく の ? れればいいのに : : : あの子には、何度も助けてもらったわ。だから、今度はわたしが、あの子 を助けてあげたいの : : : 」 ラザーランドは膝の上で眠る息子の頭を撫でながら、ゆっくりと。ハイプを吸った。 「一日くらい、ゆっくりしていってもいいでしょ , つに : 「何か、心に決めたことがあるのかもしれん。いまは、ルーナの思うままにさせてやったほう 。会いたければ、もう少し落ち着いてから、人知らずの森に出かけて行けばいい 「 : : : そうね おおかみ かたわ ソレイユは、傍らで寝そべっている巨大な狼の背中を撫でながら、頷いた。 「いまは、そっとしておいてあげたほうがいいのかもしれないわね : : : 」 「行くのですね、クラーク」 城の、巨大な格子門の前でたたずんでいた女は、小さな荷物を肩にした青年が立ち止まった のを見て言った。 あるじ 女は、この城の主である。 ひぎ
「まさか : : : 」 ー ) トっ・ヘき 「ええ、そう。障壁を破られたばかりじゃない。わたし、《カ》を使うことができないの ! 」 グーリアスは息を飲んだ。 とどろ はる 頭の遙か上で雷鳴が轟き、船を大きく揺るがせた。 グーリアスの体から発せられる燐光を頼りに、ルーナは階段を上がっていった。右に左にと ようしゃ おけ 船がかしぐたびに、頭の上から冷たい海水が桶をひっくり返したかのように容赦なく浴びせら れ、体はたちまちずぶ濡れになる。 「なにかおかしいとは思ったの」 顔に張りつく髪をのけながら、ルーナは言った。 「得体の知れない感じがしたんだけれど、気のせいだと思ったの」 しゃべ したか 「 : : : 喋らないほうがいい。舌を噛む」 城「油断していたんだわ : : : ああ、このまま船が沈んだらどうしよう ! 」 てグーリアスは答えなかった。 の彼もわかっているのだ。このまま船が沈めば、わたしは死ぬ。 世 死んだのちも、安らぎの『死の王国』へは旅立てぬだろう。 みらいえい ) ) う ライビュートに捕らえられ、末来永劫に続く苦痛を与えられ、彼を楽しませる玩具にされる
『案内人』は服の内から葉巻を ( ルーナにはそう見えた ) 取り出すと、端を噛みきり、ロにく ひうちいし わえ、燧石で青い火をつけた。 つむ 全てが本物ではない気がする。彼の意志が紡ぎ出した霊体による幻影に違いない。そう思っ 煙 ( ? ) を吐き出すと、彼は続けた。 まぬ 、い。殺されるほうが間抜けなんだから 「奴はこの海で多くの人間を殺した。それはどうでもし おきて な。弱い者は死ぬ。これが自然の掟だ。死を迎えたものが、死の王国・ヴラスコンディルに行 くこともそうだ」 「だが、奴はその掟を破った。奴に殺されたものは、死の王国には行けぬ。行けぬままこの海 を漂うことになる。 後ろを見てみるがいい」 言われるままに振り返ったルーナたちは、そこにあふれんばかりの亡者の群れを見て、ただ すきま 城絶句した。隙間もないほどにひしめきあっている骸骨の群れ : : : 気の弱いものならそれだけで なが 果死んでしまいそうな眺めではある。 界「死の王国に行けぬものたちが、今やこの船に溢れている」 世 「彼らは何をしているのです ? 」 「苦しんでいるのさ。自分が死んだときの様を何度も何度も思い出してな。しかもそれは、自 あふ か