携帯電話 - みる会図書館


検索対象: 幸福な降伏
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1. 幸福な降伏

改めて深く頭を下げて、橋上はその場を辞そうと腰を上げた。 つぎは、田中とかいうカメラマンを当たることだ。 青井と別れて講文社の社屋をあとにすると、まずは路上で携帯電話を取り出した。液晶 画面の表示時刻は、リ・。 もうタ方だな、と思いながら、いましがた教えられた田中の 携帯番号にかけてみた。 数回のコール音に続いて、電話が繋がる。 『はい、田中ですが。ーー』 そう応じたのは、ヘビースモ 1 カーによくいそうな、少ししわがれた男の声だ。 「あ、突然で恐れ入ります。こちらは東邦の橋上と申します」 『ーーはい ? 』 「いえ。私、レプリカの担当ディレクタ 1 をしているものでして。今週発売の『ズーム アップ』に掲載される、うちのメンバ 1 の記事について、田中さんから少し事情をお聴き 伏 降できまいか、とーー」 幸 電話口に、数秒の気まずい沈黙が流れる。 『 : : : 記事に関する問い合わせなら、編集部のほうにお願いします。僕個人でお話できる つな

2. 幸福な降伏

おたがい、特に親しい友人だったわけではないが、彼ーー三紀の側は、就職活動当時、 出版社も何社かまわっていた。そうした絡みもあって、例の先輩と交流があったはずなの ちなみに社名からわかるとおり、東邦クリエーションと東邦とは、同じ旧財閥系 の家電メーカー、東邦電器から派生した関連企業だ。とはいえ、ふだん現場レベルで仕事 上の接触はめったにない。 アドレス帳には自宅と携帯、そして職場の番号とが並んでいた。が、先方も、もう出社 している時分だろう。回線電話の受話器を上げ、職場の番号をブッシュする。 つな おうへい 二回のコール音のあと電話が繋がり、少々横柄な印象の男の声が応じた。 『はい、 東邦クリエーション制作部ーー』 「あ、恐れ入ります。私、東邦の橋上と申しますが、三紀さんーー三紀和彦さんに お取り次ぎ願えますか ? 『ーーーお待ちください』 伏 ) 、三紀い」とい 一瞬、切り替えボタンを押すのが遅れたのだろう。電話口から「おーし 福うぶつきらばうな呼びかけが聞こえ、それから保留メロディーに切り替わった。 ォルゴールふうの『草競馬』を一曲聞き終える前に、目当ての相手が電話口に出る。 『お電話代わりました、三紀ですがーー』 から

3. 幸福な降伏

ンク色の携帯電話を取り出していた。 どうやら、由香里の番号もメモリ 1 に登録してあったらしい。ちょっとした操作で電話 つな は繋がったようだ。 「ーーーあ、由香里 ? あたしあたし、ミカリン。あのさ、いまアリアドネなんだけど、じ つはレプリカの沙樹さんが来てるんだ。え、ウソじゃないよ。マジマジ。でさ、なんか沙 樹さん、いま朔也のことが知りたいんだっていうんだけど」 こちらも由香里と面識があることを知らないミカリンは、沙樹と橋上との困惑した気配 まっげ にも気づかずポンポン話を進めていく。と、つけ睫毛で強調した目を沙樹に向け、さも可 わい 愛らしげに小首を傾げる。 「由香里、沙樹さんに代わってほしいって」 電話機を差し出されて、沙樹は一瞬、ためらいがちに橋上を見やった。が、一方でその 手はミカリンから電話を受け取ってしまう。 「ーーもしもし、沙樹です。突然ごめんね。うんーーうん、そうなんだ。それで俺いま、 ちょっと朔也を追っかけようとしてて。ん、それはそうなんだけど、でも 心配げな橋上とテッロー、そして興味シンシンの様子のミカリンとシーナが見守るなか で、沙樹は瞼を伏せるようにして通話を続けた。 なにか意見が食い違ってもいるらしい短いやりとりが何度か交わされて、三分ほどが過 まぶた

4. 幸福な降伏

『なら、一回電話入れてみようか ? 俺、青井先輩とは卒業してからも仕事絡みとかでと きどきコンタクト取ってるから』 「そうしてくれるか ? 助かるよ、恩に着る」 『とりあえず、連絡ついたらコ 1 ルバックするから。会社より、橋上の携帯にかけたほう 「番号わかるか ? じゃあ頼む」 オッケイ、と軽い調子で請け合って、三紀が通話を終える。こちらも受話器を置きなが も ら、思わず小さな吐息を洩らした。 ためいけあかさか ともあれ、おたがい溜池と赤坂というごく至近距離の会社に勤めながら顔を合わせる機 会はなかったが、三紀のほうは相変わらずのようだ。 学生時代、女子連中に絶大な人気を誇り、そのぶん、のいいおもちゃ扱いにされても いた彼の、いわゆるジャニ 1 ズ・タイプのファニ 1 フェイスが脳裏に浮かぶ。社会人に なったいまも、あの少年じみた爽やかな雰囲気は以前のままなのだろう。お人好しで、友 伏 達思いなところもまったく変わりがない 福追想に浸るまもなく、携帯の着メロが鳴りだした。 『ーーあ、橋上 ? 俺だけど』 着信ボタンを押したとたん、聞こえてきたのはやはり三紀の声。 さわ しごとがら

5. 幸福な降伏

104 「でも、女優とかならまだしも、俺たちぐらいのマイナーなバンドで、わざわざ写真誌と かのネタになるのか ? 「ん。はっきり言って、押さえ写真かもしれないけどな。いま、あんま大きなスキャンダ ルとかないのかもしれないから」 たぐい いずれにしても、バンドとしてプレイクする前にこんな形でパパラッチの類に追われる ちょうちん かわいそう のは可哀想だった。彼らはこれまで、取材といえばいたって好意的な、悪く言えば提灯 記事しか書かない音楽誌のものしか経験がないのだ。 当然、対抗取材に際しての身の処し方など知りはしない。ディレクタ 1 の自分がガード してやる必要はおおいにあった。 橋上はハンドルを右手一本に任せ、左手で携帯電話を取り出した。そのまま登録メモ ぜんにつくう リーから全日空ホテルの番号を呼び出し、コ 1 ルする。 つな 電話が繋がり、ハイト 1 ンの女性の声が応じた。 〒ーはい、全日空ホテル予約センタ 1 でございます』 A ) 、つほ、つ 「あ、すみません。東邦の橋上と申しますが、今夜シングルを一室お願いできませ んか ? 」 『申し訳ございません、今夜はあいにくシングルルームが満室となっておりまして。もし よろしければ、ダブルル 1 ムのシングルュースでしたらご用意できますが』

6. 幸福な降伏

ム鳴らしても返事がなくて、携帯に電話しても繋がらないんす。まさか寝てるのかと思っ て、電話もチャイムもけっこうしつこく鳴らしたんですけど、やつばダメで。ケンショウ に限って、いままでこんなこと、いちどもなかったんすけど」 反射的に壁の時計をチェックすると、時刻はすでに一時五十分。遅くても、一一時半には 指定されたスタジオにスタンバっていなければならないのだ。着替えとヘアメイクを考え ると、かなりマズい時間になっている。 「これでいなくなったのが沙樹だったら、すぐ橋上さんに連絡入れて捜してもらったんす いつもの神通力も効くかわかんないから」 けどね。でもケンショウが相手じゃ、 弱り切った様子で篠原が言うのは、これまでに二度、沙樹が行方をくらませた折に橋上 ことケンショウに関しては、橋上にはな が第一発見者になっているからだ。だが確かに コミュニケーション・ギャップがはなはだし過 にを考えているのかさつばりわからない。 ぎて、彼の足取りを推測するどころの話ではない。 しかしこの場でロにはできないが、仮に彼が確信犯で行方をくらませたのだとしたら、 降動機はいったいなんなのか ? まさか日曜の件が激しくショックで、沙樹や橋上と顔を合 福わせる気になれなかった : : : のか ? 橋上にとってある意味で沙樹以上に不得手な相手だが、にしても決して責任感を欠いた ぜいじゃく 男でもなければ精神的に脆弱な奴でもない、と信じていたのだが つな

7. 幸福な降伏

「これでもね、朔也の性格はわかってるつもりなんです。彼っておだてに乗りやすいタイ プだし、女好きだし。それにいまは特に、バンドも解散してチャホャしてくれる人もいな いから、きっとさみしかったんですよ。実際、『どうしてる ? 』とかちょっと未練あるつ ばく電話してみたら、すぐに『会おうか ? 』なんて話になっちゃったし」 「で、結局、奴とは遊人で待ち合わせてるんだ ? 」 「ええ。あそこなら、話のあいだになにげなくケンショウさんのことを持ち出しやすいで しよう ? 私もなんどか朔也と一緒にごはん食べたりしてた場所だから、『遊人にしょ う』って言っても全然疑われませんでしたし」 「そっか。でも由香里ちゃん、いやじゃないの ? いまさら朔也と会うなんて」 「大丈夫。もうとっくにふつきれてますから。変な言い方だけど、あいつがスペシャルに ひどい奴だったおかげで、逆にすぐ立ち直れたっていうか。あんな奴とっき合っててもい いことないって、沙樹さんたちのおかげで気がつけたから」 一一一一口葉どおり、さばさばした様子で由香里は笑う。半年前に彼女が起こした一件など、ま 伏 るでうそのような落ち着きぶりだ。対する沙樹も、日頃の女性全般への冷淡ぶりからは信 じられないほど、和やかで親しげな態度を保っている。 アリアドネでの、ミカリンの携帯を借りての電話のあと。由香里から沙樹に連絡が入っ たのは、すぐ翌日だった。さっそく首尾よく朔也とアポが取れたという知らせで、そうし なご ュージン

8. 幸福な降伏

まえ、そんな焦らすふりして、いまさら自分を高く売ろうってのか ? あ、あたしはそんな。 じゃあ、おとなしくついてこいって。だいたい、おまえにはついャパい話を聞かせ ちまったんだからな。クスリのひとつぐらい一緒にやっといてもらわないと、あぶなくて 帰せねえんだ。 凶悪な脅しを含んだ朔也の声に、由香里が息をむ気配が伝わってくる。 橋上は、弾かれたように沙樹を振り仰いだ。 「やばい流れになってるぜ、沙樹。そろそろ由香里ちゃんを助けに行かないと」 短く応じて、沙樹はさっそく助手席側のドアロックに手をかける。 「待てよ、いきなりここでおまえが乱入して大丈夫か ? ここは俺に任せて、おまえは車 で待機してたほうがーー」 伏 講「待機なんかしてられないよ。けど、ちゃんと手は打つから」 報「え ? 「だからいま、やり方は朔也が教えてくれただろう ? 」 車を降りると歩きだしながら、沙樹は携帯電話を取り出し短い番号をブッシュした。脇 はじ わき

9. 幸福な降伏

もいいぞ。いまから車飛ばせばデパ地下でいろいろ買えるから」 かんしようかたまゆ 沈黙を恐れて言葉を並べ立てる橋上に、沙樹が癇性に片眉をつり上げる。 りよ 「なんだよ、リョウイチ。妙にそわそわしてるな。もしかして、今夜は理世さんが待って るのか ? 」 いや、そんなわけじゃないが」 「いいよ、帰りたいなら帰れよ。俺、ひとりで平気だから」 「本当か ? いや、おまえもそのほうが落ち着くかもしれないな。なら、酒とかは冷蔵庫 のもん好きに開ければいいし、なんか食べたきゃなんでも頼んでかまわないからーー」 ほかでもない沙樹とふたり、この密室内で過ごすのは気づまりこのうえないくせに、い ざ「帰れ」と言われると、妙にうしろ髪引かれる気もした。この非常事態に不謹慎なこと を考えるつもりは毛頭なかったが、自分でもどういう心理の働きなのか、よくわからな いや、万が一にも自分のなかにおかしな気持ちがあるとしたら、むしろ即刻、この場を 伏 講あとにするのが正解だろう。 福「じゃ、ゆっくり休んでくれよ。用があったら、いつでも俺の携帯に電話くれな」 せわ 頭のなかで忙しなく考えをめぐらせた挙げ句、橋上は、なだめるように言い置いて、き びすを返した。が、ノブに手をかけドアを押し開けようとした、その寸前

10. 幸福な降伏

ら、その帰りに買ってくるよ」 「ごめん、そうしてくれー 露骨にうしろめたい気分をひた隠しに、橋上は萎えた食欲を奮い起こして食べるのに専 念し始めた。 カマンべ 1 ル入りのオムレツもライ麦パンも、一緒くたにしてコ 1 ヒーで流し込む。理 世には申し訳ないながら、もう味もろくにわからないありさまだった。 食事をそこそこにして慌ただしく身仕度を整え、自宅マンションの駐車場から車に乗り ためいけ・と、つほ、つ 込んだ。向かった先は溜池の東邦ではなく、またしても沙樹の住む下北沢だ。 かえぎわ 出社だ、と理世に告げたのは、もちろんでまかせだった。昨日の帰り際、沙樹に、明日 は買い物に連れていくから迎えに来る、と約束していたのだ。 途中、運転しながら携帯電話で連絡を入れていたので、車が到着したとき沙樹はすでに マンション前の路上で待っていた。 降グレーのコートに包まれたほっそりとした立ち姿を認めてプレ 1 キを踏み、ドアのロッ 福クを解除する。すばやく助手席に滑り込んできた沙樹を、橋上はフロントミラ 1 越しに見 やった。 礙「具合はよくなったのか ? 」