そして、つぎの瞬間だった。 まるでマリオネットの糸が切れでもしたように、沙樹は突然、身体を支える力を失った のだ。 すぐうしろに続いていたケンショウが、とっさに腕を差し出し、くずおれかけた華奢な 身体を受け止めた。橋上も、こんどは反射的に前に動いてそちらに駆け寄る。 スタジオじゅうが異変に気づいてざわっき始め、こちらに注目が集まった。 「どうした、沙樹 「大丈夫か」 異ロ同音に問いかけられ、沙樹はケンショウの腕から身を起こしながら薄目を開いた。 「 : : : ん、ただの貧血・ : 弱々しく応じたが、濃いメイクの顔でもすっかり血の気が失せているのがわかる。案の 定、立ち上がろうとした彼は足に力が入り切らず、ふたたびケンショウの胸にもたれか かってしまった。 いくら本人が大丈夫だ、と主張しても、沙樹をしばらく休ませる必要があるのは明らか だった。そこでレプリカの一同は、番組プロデューサーと今後の進行を打ち合わせる、と しのはら いう篠原マネ 1 ジャーを残して、いったん控え室に引き揚げることになった。 からだ きやしゃ
「いいじゃないかリョウイチ、奥さんなんか放っとけよ。あんたには俺がいるんだから」 「さ、さささ沙樹 ! 冗談じゃないぞ、事の元凶は全部おまえじゃないか。おかげで俺 は、仕事もクビで、妻にも逃げられて 思しさせてやるからさ」 「だから俺が責任取るよ。責任取って、ちゃんとあんたにいいゞ ひとみあや 笑いを含んだ瞳が妖しく細まると、濡れた唇が甘い吐息とともに近づいてきた。その柔 らかな感触が、逃げるまもなく自分の唇に重ね合わせられる。 きやしやからだ と、いつのまにか一糸まとわぬ姿になった華奢な身体がもつれてきて、ふたりながらに 足元に倒れ込んでしまう。 はねぶとん ふたつの背中を受け止めたのは、羽布団を敷きつめたべッドか、雲のしとねででもあっ たのか。気がつくと橋上自身、自分では脱いだ覚えもないのに丸裸だ。 熱くなめらかな肌の感触がなんの障壁もなく伝わってきて、自分の身体ーーはっきり言 うずはじ えば下半身がジンジンとはち切れそうに疼き始めて 「う、うわああああああー 誰にともなく救いを求めて放った自らの絶叫に耳をつんざかれて、橋上は勢いよく飛び 起きた。 慌てて周囲に目を向けると、そこは見慣れた自宅マンションの寝室だ。もちろん沙樹の
の胸に投げかけられた。 とっさのことで、橋上は避けることもできずにその肩を受け止めてしまった。沙樹は沙 樹で、突き放されるのを恐れたように橋上のコートの胸元にしがみついてくる。 リで、リョウイチも俺を欲しがってたじゃないかー 「あのとき ′、り・いろ 声を殺してささやく沙樹の、柔らかな栗色の髪が頬をくすぐる。その感触に、カッと頭 に血が上った。 冗談ではすまされない領域に、沙樹はいま、大きく一歩踏み込んできていた。 からだ そう。 バトー・パリジャンの船上で、ちょうどいまと同じように沙樹の身体 をこの腕に抱きながら、橋上は確かにただならぬ劣情を催していた。あの晩も、ちょうど きざ 今夜と同じ厚地のウ 1 ルコートを着込んでいたのだが、あさましくも露骨な兆しは隠し切 れなかったらしい いやおう あぶ ジリジリと炙られるような、どうにもせつば詰まったあの感覚が、いまふたたび、否応 よみがえ なしに蘇ってくる。こうして無防備に投げかけられた身体を抱き続けて、まちがってまた キスのひとつも交わしてしまったら、今夜はたぶん、引き返せないところまでいってしま うにちがいない。 おとど あらし あふ せき 堰を切って溢れてきそうな劣情の嵐をぎりぎりのところで押し止めたのは、ほんの一 みみざわ かす 瞬、微かに響いた耳障りな音だった。 ほお
伊郷ルウキスの温度 和泉桂 ズエコイストミス・キャスト 痛みの疼きは、いっしか欲望に : ( 絵・桜城やや ) 俺が一番、君を美味しく料理できるから : ・。 ( 絵・あしみね朔生 ) 伊郷ルウキスさえ知らない 和泉桂 ノ隠し取りミス・キャスト 説身体で支払うって方法もあるんだよ。 ( 絵・桜城やや ) シェフしゃない俺なんか、興味ないんだろ ? ( 絵・あじみね朔生 ) ミス・キャスト 伊郷ルウキスをもう一度 和泉桂 知危ない朝 あんたならいいんだよ : ・傷つけられたって。 ( 絵・あしみね朔生 ) 耽嫌がることはしないって言ったしゃないか ! ( 絵・桜城やや ) 和泉桂 伊郷ルウ不器用なキス & 誘惑の唇ミス・キャ , ト そんな姿を想像したら、欲しくなるよ。 ( 絵・桜城やや ) 飢えているのは、身体だけしゃないんだ。 ( 絵・あしみね朔生 ) 恋 和泉桂 評熱・帯・夜ミス・キャスト 伊郷ルウキスの予感 君は本当に、真木村が初めての男なのかな ? ( 絵・桜城やや ) レピシェ再開への道を見いだす千冬は・ : 。 ( 絵・あしみね朔生 ) 大 灼熱の肌ミス・キャスト 和泉桂 伊郷ルウキスの法則 こんな撮影、僕は聞いていませんー このキスがあれば、言葉なんて必要ない。 ( 絵・あしみね朔生 ) ( 絵・桜城やや ) 和泉桂 取材拒禾ロミス・キャスト 伊郷ルウキスの欠片 ト ( 絵・あじみね朔生 ) 雨宮を仁科に奪われた千冬は : イロケを終えた和樹を待ち受けていたものは・ : 。 ( 絵・桜城やや ) ワ キ、里出張ミス・キャスト 和泉桂 伊郷ルウキスのためらい ホ なにもなかったか、確認させてもらうよ。 ( 絵・あじみね朔生 ) ( 絵・桜城やや ) 許せないのは、愛しているからだ。 丿ミス・キャスト 和泉桂 文罪な香。 伊郷ルウ微熱のカタチ ( 絵・あじみね朔生 ) おまえの飼い主は、俺だけだ。 ( 絵・桜城やや ) 社もう和樹を守りきれないかもしれない : 談キスか届かない 和泉桂 和泉桂吐息のジレンマ ( 絵・あじみね朔生 ) 料理って、セックスよりも官能的しゃない ( 絵・あじみね朔生 ) また俺を、しつけ直してくれる ? ☆ : : : 今月の新刊 一匸 さくふ
らしきものは見当たらない。 ーの袋から買い物品を取り出しながら、居間に入ってこちらをうかがって 橋上はスー いる沙樹に眉をひそめてみせた。 「にしても本気で食い物のない家だな。これじゃまるで、引っ越してきた当日の台所じゃ ないか」 「いいだろう ? べつに家で食わなくても、仕事に行けばマネ 1 ジャーがなんか用意して くれてるんだから」 えづ 「けどおまえ、このキャットフ 1 ド、近所のノラを餌付けでもしてるのか ? 自分の面倒 見るほうが先だろうが」 橋上が、さらにくさした、そのとたん。沙樹はにわかに頬を赤らめた。 「 : : : ときどき佃にやることもあるけど : あぜん 妙に含みを持たせたそのロぶりに、橋上は一瞬、唖然と言葉を詰まらせる。 って、まさかこれ、おまえが食ってるのか ? 」 「俺だって、たまには腹、減ることもあるんだ。そんなときに、牛乳かけて : : : でもそ からだ れ、栄養あるから身体にいいはずなんだぜ ? 「そ、そりや栄養はあるかもしれないけどーーでもいくら面倒だからって、せめてコ 1 ン フレ 1 クとかにできないのか ? まゆ ほお
よ。少なくともそれは人間の食い物の範疇なんだから」 「なんなの、急に ? 私もさすがにダルのごはんを横取りする気はないけどさ。あ、でも ね。ペットフードって、べつに人間が食べても平気らしいよ」 「そ、そりや、平気は平気なんだろうけど : : : 」 「マイヤ・プリセッカヤって、ロシア人の有名なバレリーナがいてね。彼女が自伝に書い てるの。まだロシアがソビエトだった頃に、公演でパリとかウィーンとかに遠征するで ーでキャットフード買ってきて、みんなでホテ しよう ? そ一ついうとき、いつつもス 1 ルで食べてたって。西側の国って物価が高いから、外食なんてとてもできなかったんだよ からだ ね。でも、ダンサ 1 だからちゃんと食べて身体を維持しなくちゃいけないんで、栄養のバ ランスが取れてて、かっ安く手に入るものを考えたんでしよう」 「それ、本当の話なのか ? 」 「そりや自伝で読んだんだもん、ウソじゃないわよ。でも、確かにすごいよね。プリセッ カヤなんて、世界でもトップクラスのプリマだよ。なのに、そこまで大変な思いして踊っ 降てたんだから」 福「ふ : : : ん」 低くうなって考え込んだ橋上は、じつのところ、涙と感動のダンサー秘話に心揺さぶら れていたわけではなかった。 はんちゅう
198 すなおか 「ごめん、沙樹。けど : : けどさ、俺にもわかんねえよ。だってそうだろ ? 砂岡沙樹は からだ どこ / 」し / し レプリカのポ 1 カリストで、おまえ自身で、その顔で、その身体で までが個人でどこからがア 1 ティストかなんて、分けて考える必要あるのか ? 表現と人 間なんて、切り離せるものじゃない。ちがうか ? 「俺は、どっちも必要だ。どっちも失いたくない。それじやダメか ? 」 目前のなめらかな頬を左の手のひらで包み込み、かき口説くように問いかける。沙樹は しばらく迷ったように口をつぐみ、そしてふたたび目を伏せ小声で答えた。 「ダメ : : : じゃない。それがいい。俺も、そうだから」 「そうー・・ーーなのか ? 」 「ん : : : 。俺、さ。おまえが捕まってるあいだ、ずっとおまえのことだけ考え続けてたん だ。毎日毎日、気が狂いそうだった。おまえがいなくちゃ、レプリカはやってけない。お ンドもそうだし、それに、それだけじゃなくて まえがいなくちゃ、俺はやってけない。バ 。だから、おまえがいなくなったら俺の全部がなくなっちまう、って」 「俺たぶん、甘えてたんだ。おまえが俺に惚れてるの知ってて、図に乗って。でもこんど は、俺がおまえを選んだ。リーダーとしても、それから ほお
はしがみひがしこうえんじ その晩、橋上が東高円寺の自宅マンションに戻ったのは、結局明け方近い時分だった。 沙樹が寝つくまでのつもりで添い寝しているうちに、自分までついウトウトしてしまい 目覚めてみるととっくに深夜をまわっていたのである。 となりで小さな寝息を立てている沙樹を起こさないようにべッドを離れ、車で自宅マン りよ ションに戻ったのが午前三時過ぎ。忍び足で寝室に入り、こんどはとっくに寝ていた理世 すきま に気を遣いながらべッドの隙間に潜り込んだものの、ろくに眠れないうちに目覚ましの鳴 る時刻がきてしまった。 からだ 睡眠不足のだるい身体にムチ打って、それでも定時に出社した。 伏 かぎよう 講日頃から、深夜帰宅も珍しくないディレクタ 1 稼業。その実態は会社側も承知のうえ 福で、スケジュ 1 ルによってはかなり柔軟なフレックス出社が認められている。が、トラブ ル直後の遅刻はさすがにマズいだろう、と判断したのだ。 定時をまわったばかりの邦楽制作部は、いつもどおり煌々と蛍光灯で照らされていた。 9 こう」う
た色ガラスのグラスをひとっ取り、べッドのそばまで歩いていった。 先ほどの店で飲んだワインのせいで、渇きを覚えていたのだろう。水を注いだグラスを のど 渡すと、沙樹は白い喉をのけぞらせてひと息に中身を飲み干した。 「酔ったのか ? 」 「少し : : : でも、今夜はいい気分だ」 気分がいいのは、無論、こちらも同じことだ。 わき ケンショウは水のポトルをサイドテ 1 プルに置いて、沙樹のすぐ脇に腰を下ろした。 見ると間近には、なかば開いて濡れた唇。その無防備さに、思わず歯止めが効かなく なった。 断りもなく抱き寄せて唇を重ねると、沙樹は素直に身をゆだねてくる。それどころか ほっそりした両腕が、肩に、腰に、そっと絡みついてさえくる。 からだ その身体をそのまま押し倒し、乱暴にならないようのしかかって上になると、ケンショ ウはフッと微苦笑に襲われた。 伏 まゆ けげん 講仰向けになってこちらを見上げる沙樹の眉が、怪訝な形に寄せられる。 福「ーーどうした ? 「いや : : : なんか、さ。おまえがこんなに素直だと、逆におかしいぐらいだな、って」 これまでなら、たとえいまと同じ状況になってべッドに倒れ込んだとしても、すべての から
いったいなんの音かもわからないまま、橋上はとっさに周囲をうかがった。が、どこに も人の気配も特に物音のしそうな原因もない。少し先の路上にありふれたセダンが一台停 まっているが、それも単なる違法駐車だろう。 とすればいまの音は橋上のなかの理性の声か、既婚男子としての倫理の叫びだったの せとぎわ か ? とにかく瀬戸際まで追いつめられていた橋上は、おかげでハタと我に返っていた。 こんしん からだ その勢いを借りて渾身の力を振り絞り、温かな沙樹の身体を突き放す。 「だから、そういうプライベートな話なら、俺、困るから ! 」 突き放して叫んだとたん、うしろも見ずに大通りに向けてダッシュをかけた。運よくす ぐに通りかかったタクシーを路上に飛び出す勢いで止め、開いたドアのなかに転がり込 む。 「すみません、東高円寺にー 息を乱して告げた橋上を、ドライバ 1 がどう思ったか気にする余裕はいまはない。ただ 走りだした車のシ 1 トに身をゆだねて、早鐘のように打っ心臓と下半身とを落ち着かせる 降ので精一杯だ。 福西麻布の焼き肉屋で、ほとんど酒を飲むまがなかったのがむしろ幸いだったのだ。これ でいい加減に酔っ払ってでもいたら、理性を保てた自信がない。 いやーーーそうでなくてもあれ以上少しでも沙樹とふたりきりでいたら、彼の誘惑に酔わ