目 - みる会図書館


検索対象: 影の中の都
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1. 影の中の都

232 リリアは動くことが出来なかった。悔しくて、情けなくて。だまされた、裏切られたという はもの 思いに、刃物のように心を切り裂かれて。 こうまで事実を突き付けられては、信じ切れるものではなかった。 「さあ、わかったろう ? 協力してくれるな ? 丿丿アは頷いてしまった。他にどうしようもなかった。 「じゃあ、ここの写真を撮ってくれ。立派な証拠になる」 アは写真を撮り始めた。手が震えて狙いがよく 鞄を開け、中からカメラを取り出すと、リリ つかなかったがかまわなかった。怒りと悲しみがないせになったような思いに体の中をかき 回されながら、目の前の機械のように手を動かし続けた。 「俺は、七日後にここを出る。それまでに証拠をまとめておいてくれ。ああそれと、あんたは 。あの屋敷に住んでいていなくなれば、すぐにわかってしまうだろう ? 大丈 残った方がいい 夫さ。すぐに軍か警察を連れて戻って来る。それじゃあ、七日後にこのギロチンの前で待って いる」 それがハッシュの別れ際の言葉であった。 リリアは食事の時間には間にあった。部屋に残した手紙は処分し、なに喰わぬ顔でタ食を食 べた。 ねら

2. 影の中の都

「これで、これがこの街ぐるみの計画だという事がわかったろう ? 」 どくだん 「でも ! あの男の独断ということは : : : 」 「馬鹿なー この街で、王の目を盗んでこんな事が出来るものかーーしつ ! もうひとり来 た」 彼の言葉通り、ホールデンを追うようにして男がひとりやってきた。 そちらにもリリアは見覚えがあった。ホールデンのすぐ後ろに、影のように控えていた男 「こちらでしたか」と男 : : : ページは言った。「捜しました。王がお呼びです」 「またか : : : 」ため息混じりにホールデンは言った。「生産を急げと言うのだろう ? せかされた所で、これ以上は無理と申し上げているものを」 「決行の日が近いということでしようか ? ロンドン攻撃の」 ロンドン攻撃ー リリアは耳を覆いたくなった。本当に、そんな事を考えていたなんてー 「ああ、そうだな。そろそろなのかも知れない」 の「どうだ、わかったか ? こ小声でハッシ = が言った。「これが王の正体だ」 中 の だが、リリアは首を振った。それしか出来なかった。 影 「ホールデン様」流れていく機械を眺めつつ、ページは言った。「あの芸術家もどきの連中を、 王はいったいどうなさるつもりなのでしよう ? 戦闘にはじゃまではありませんか ? 」 いくら

3. 影の中の都

どうくっ 「それにしても : : : この洞窟は、一体どこまで続いていやがるんだ」 あいぼう 相棒は答えず、小さく咳き込んだだけだった。 「くそ、何か話してなけりゃあ、やりきれねえぜーーおい、黙ってねえで、なんとか言えよ」 あいかた だが、相方は答えなかった。 ただ、闇があるだけであった。 男はふいに心細くなり、足を止め、振り返った。なんの予告も無しに。 だが、すぐ後ろをついてきているはずの男が、彼にぶつかる事はなかったーーーぶつかるはず なのだ。彼がそこにいればー のどっぱ 渇いた喉に唾を飲み込んだ音が、思いがけぬほど、大きかった。 いくら目を凝らしても、あるのは闇ばかり。 しかし見るうち、その闇が渦を巻きはじめ、そして恐ろしい悪魔の顔になって、彼に笑いか けた。 男は悲鳴を上げた。上げたと思った。だが、洞窟はなんの音も返さず、男の息遣い、あとず いや、そうではない。別の音が混じっている。なにか、 都さる靴の土を噛む音が響くのみで 中大きな物を引きずるような音がする。 げんちしっ 影男は耳をすました。確かに聞こえる。幻聴などではない。 ・ : そう、たとえば、人間のよう な大きなーー・ かわ か こ こ

4. 影の中の都

104 だが、リリアの思考は止まっていた。持ち前の好奇心も、今は働くことをせず、なんの疑問 もなく、怪人が闇に溶けるのを見守った。 頭が楽だ。きつく編んでいたために髯か波打っている。 紅茶を飲み干してしまうと、空になったカップを床に置き、べッドに上がった。 ひどく眠い。 ああ : : : きっと、紅茶に何か薬が入っていたんだわ : : : だから、こんなに眠いんだわ。 、匂、のするべッドに横たわり、どうか怖い夢を見ませんように、と祈りなが 柔らかしししし ら丿丿アは深い眠りへと引き込まれていった。 壮大な、まるで天国の門を思わせる立派な扉を引き開けて出てきたスティーマを、ひとりの 若者が待ちかまえていた。 「ゴーか」 仮面の王は鋭い一暼を与えた。 ゴーと呼ばれた若者は、顔立ちは西洋風であったが、浅黒い肌をしたアジア人で、スティー きんこっ マに比べると筋骨たくましく、それは王と同じような服装の上からも見てとれた。切れ長の黒 い瞳は鉄のような印象を与え、目と同じ色の髪は短く、後ろに撫でつけようとして、針のよう に立っている。 そうだい いちべっ

5. 影の中の都

鉄の腕が伸びて、 丿丿アのひつつめていた髪をほどいた。 彼女は逆らわなかった。 ほうせんかの種が弾けるように、ほどけた髪は綿のようにふわりと広がった。 手を引いた際に、冷たい指が頬をかすめた。 「眠るがいい」スティーマは再び言った。「明日になれば、少しは気分もよくなるだろう」 リリアはこっくりと、幼い子供のように頷いた。 「叩いたりしてすまなかった」 王は立ち上がった。その拍子に、鉄甲から機関車がするように蒸気がーー・・霧のようなものは ふんしゆっおん 蒸気だ、とリリアは・ほんやりした頭で気づいたーー噴出音と共に吹き出した。 見上げると、鳥の仮面のホルスの目から、恐ろしさなど少しも感じさせない緑の瞳が見下ろ していた。 それは、随分と長い間のことであったように思えた。 ちょっ 1 てう 互いに、彫像か何かのように身動きもせず、ただ相手の瞳を見ていた は、瞳に映った自分の姿であったのかも知れない。 の「眠れー 影 スティーマは一言そう命ずると、背を向けた。マントの後ろ姿に、目立たぬほどの盛り上が りがある。四角く、機械的な何か。 はじ てつこう いや、見ていたの

6. 影の中の都

置かれた手に、軽く力がこもった。 座れ、と言うことなのだろう。 浮いた腰を下ろしながら、リリ アは用心深く、気どられぬように鞄を引き寄せた。中には、 けんじゅう 小型の一一連拳銃が忍ばせてある。殺傷力は低いが、護身用には十分なものだ。ちゃんと、苦労 けいたい してとった携帯許可もある。 鞄の中に手を入れると、指に鉄の冷たさが触れた。 だが、それを取り出す必要はなかった。 「スコットランド・ヤードの者ですが、少々よろしいですかな」 と、言葉が降ってきたからである。 抜き構えんとした手が止まる。 しかし鞄から右手を抜くことはしなかった。差し入れたままゆっくりと、だが用心深く、リ リアは彼を振り向いた。 立っていたのは、紳士然とした中年の男だった。これといって特徴のない、濃いグレーのフ ロックコートに身を包み、眠たそうな目でこちらを見ていた。だが、青い瞳の眼光は鋭い。整 ひげ えられた髭が飾る口元には笑みがあったが、作り笑いにほかならなかった。 「初めまして、お嬢さん」笑いを張り付けたまま、男は言った。「ヴァールデンです」 彼は上着の内ポケットに手を差し込むと、身分証を取り出して彼女に見せた。 さっしよ、つりよく ′」しんよう

7. 影の中の都

かんじゃ 随分と長い間患者を診ていないのではないかと思った。 それは、この診療室も同じである。 カップが置かれた拍子に、コーヒーの濃い色の液体がこ・ほれて受け皿に皮膜のように溜まっ 何度同じ事が繰り返されてきたのだろう ? 皿にはコーヒーで薄い円が描かれていた。 「彼が運び込まれたのは、昨日の夜のことでね。連れてきたのはあんたの所の新聞社が飼って いる、あの情報屋さ。なんといったかな : : : ええと」 「ヒューリイ 「そう ! ヒューリイだ ! そう名乗った。奴が患者を運んできて、それからとにかく身分を 示すものを捜したのさ。ろくなもんはなかった。金も持っていなかった。本来なら、そんな患 者はテムズ川にでも捨てて来る所だが、ヒ = ーリイは思い出したんだな。患者が新聞に載るよ うなことをしでかした男だと。それで、あんたのとこの新聞社に連絡すると言ってた。 ューリイは、私にも情報提供料が出るはずだといってたが : ・ : ・ ? 都「社の方においで下されば、お渡しします」 中「入院費や治療費も貰えるんだろうね ? 」 影 リリアは首をすくめた。 「さあ、それは : : : 目を覚ましたら彼からお貰いになってください」 ずいぶん ひまく

8. 影の中の都

じぼら リリアは自腹を切るほど余裕がある給金はもら それは、取材費としては認めてもらえない。 ってはいなかった。 ここに書いてある住所、御存知ありませ 「ええと、実は病院を捜しているんですけど ん ? 娘はメモをのそき込むようにしていたが、やがて顔を上げるとにつこりと笑い、手を上げて 通りの先を指し、何度か曲がるのだという仕草をして見せた。 「ああ、ごめんなさい、あなた、声が そう言いかけたとき、雑貨屋の扉が鈴の音と共に開いて、背の高い男がひとり出てきた。 たんせい 男はたいそう端正な顔をしていて、マーク・ハンクス ( ポッカス劇場の看板俳優。イギリス 一の美形と言われていた ) も彼の前では色あせるかと思われた。 みと 思わず見惚れていると、娘が彼にかけより、その腕を取った。その表情といったら ! 太陽 たいりん の光をたつぶりと吸い込んだ、大輪の花であった。 「どうした」 リリアの事など目に入っていない様子で、男は娘に尋ねた。 すると娘は彼の耳に口を寄せ、何事かをささやいた。 だが、それは聞いたことのない言葉だった。 どうやらロがきけないのではなく、異国の娘らしい。もしくは異国育ち、しかし、英語はわ しぐさ

9. 影の中の都

あお リリアは天を仰いだ。どうやら霧も抜けそうだ。まぶしいばかりの光がある。 ふきん 布巾と水筒をしまい、再びリリアはカメラを手にした。 今度こそ、何かが見られる気がして。 ゴンドラは順調に登り、霧が後ろへと流れていった。それにつれ、音が強くなる。 「あっ ! 」 雲を出た途端、リリアは思わず声を上げていた。 見えたのは、崖から突き出した、巨大な筒だった。直径は十ャードもあろうか。音は、そこ から聞こえてくる。中で何かが回っているようだ。 リリアはゴンドラを止めた。だが、残念ながら、遠すぎて中を見ることは出来なかった。 そのとき、驚くことが起こったー 筒の先から、大量の蒸気が吹き出したのである。ごおごおと、恐ろしい音を立てて。 たゼよ 吹き出した蒸気をリリアは目で追った。それは空へと漂い、なんと、そのまま雲になった。 これは、雲を造る装置なんだわー の身震いした。カメラを持つ手が震える。再び雲を造り出す瞬間を捕らえようとリリアは待っ のたが、それきり筒は沈黙した。 影 いつまでもここにいても仕方がない、とあきらめた彼女は、再びゴンドラを上昇させた。筒 がすぐに遠くなり、また、雲の中へと入っていった。

10. 影の中の都

ここは街の闇の部分。 だが、リリアはようやくシャドウ・タウンも普通の街なのだ、と思うことが出来た。綺麗な だけの街など、作り物めいている。 門から少し離れたところに、建物の一群があり、馬車はそこで止まった。 リリアは王と連れだって車を下りた。 周りには何人もの男がいて王の姿をみとめたが、街の中のような熱狂とは無縁であった。せ えしやく いぜいが軽い会釈をよこす程度。 ろこっ おのれそそ それよりも不快であったのは、己に注がれる、嘗め回すような露骨な視線。何を考えている のかが、手にとるようにわかる。あれは、雌を見る目だ。 アは彼の背中に張り付くようにしてついていった。 無言でスティーマは歩きだし、リリ いぎよう 声をかけてくるものはいない。ただ見つめてくるだけ。どうやら、異形の王を恐れているら ここにも娼婦はいないのか、と訊くと、そうだ、と答えが返った。 たんがんしょ 「だが、娼館の設置を考えてはいる。嘆願書が出ている」 「誰がなるのですか ? さらってきて、無理やり相手をさせるのですか ? ー 「外で募集をするのさ。工夫たちと同じように。たつぶりの報酬があれば、進んでやってくる 者も少なくはないだろう。それに、街角に立って客をとるよりは、よほど安全だ。ここにいる めす