ひとり - みる会図書館


検索対象: 影の中の都
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1. 影の中の都

いことが起きたのだろう ? こ しゅ、つげ・き 「残念ながらその通りです、警部。情報屋が男を預けた医院が襲撃され、院長が殺されまし もっか た。入院していたと思われる患者は、どこかへ連れ去られました。目下捜索中ではあります が、今のところ、これといった手がかりはありません」 ヴァールデンは小さくため息をつくと、コートの衿をかきあわせた。 息は雲のように白く、霧のように消えた。 ガラス 彼は街灯を見上げた。空は厚い雲に覆われ、なにひとつ見えない。硝子の箱の中で燃えるガ スの炎の輝きだけが、闇に明るい 「 : : : あの、警部 : : : ? こ 「あ、ああ・ : : ・ご苦労だった」 「・ : ・ : おそらく、男も記者も、もう見つからないだろうさ。事件は山とある。そして、ロンド ンは広い。だが警官の数は限られている : : : そうだろう ? こ 都「はあ : ・ 中「行方不明者が、二人ーーーいやひとりか ? ーー・増えただけのことさーヴァールデンは夜の街 影路の闇を瞳に映し、自宅の方へと歩き出した。「そう : : : それだけのことさ。皆に、もう帰る ように言ってくれ。ビールでも呑んで、疲れを癒してくれとな」 かんじゃ

2. 影の中の都

・ : やめよう。せつかくの朝に考える事じゃないわーーーたとえ重苦しく曇っていたとして も。朝は朝、夢は覚めたんだもの。 ふいに風が吹ぎ込んで、思わずリリアは体を震わせた。 ひどく汗をかいていて、肌に張りついて気持ちが悪い寝着は、冷たい冬の外気に触れたせい リリアの肌を粟立たせていた。 ですっかり冷えて、 小さなくしやみがひとつでて、背中の中ほど辺りまである豊かな栗色の髪がそれにあわせて 揺れた。 「ああ寒い」 リリアはひとりつぶやくと、窓を閉め、寝着を脱いだ。 うぶげ 十七の彼女の肌は、焼きたてのパンのように白く、産毛が薄い光にも美しく輝いた。 寝着は洗濯しなくては着られたものではなかったが、出勤前の忙しい今は出来る相談ではな っこ 0 替えの寝着はあったかしら : ・ 冷たくなった寝着を洗濯籠に放り込み、布団をはがして外気が当たるようにしておいて、記 憶をめぐらせた。 ・ : そういえば、去年のクリスマスに買ったのがあったつけ。 毎月の給金から少しずつ貯めておいたお金で、リージェント通りの店で買った品である。二 かご がいき

3. 影の中の都

140 あっけ リリアはもう、呆気に取られて眺めるしかなかった。 そんな彼女の肩に手を置き、スティーマは「来い」と言った。そして何の返事も待たず、歩 ぎだした。 ついて行くしかなかった。異様な雰囲気の人々の中に、ひとり取り残されるよりはましであ る。 王こそが一番異様であると言えなくもなかったが、彼は冷静だった。興奮に頭の中を支配さ れている連中よりは、ずっとまともだ。 スティーマは、次々とリリアを人々に紹介して回った。そのつど彼女も彼らを紹介してもら ったのだが、肩書きは大臣やら、警察署長やら、裁判官やらで、名士と言われる人々であっ もっともそれは、この閉じられた王の世界の中のことであるので、子供の《なりきり遊び》 と変わらないとも言えた。ここが、イギリスである以上は。 それにしても不思議であったのは、誰ひとりとして服装をけなさない事だった。いや、それ どころか、誉め讚えたものもひとりふたりではない。 リリアは首を傾げた。 王に気を遣っているのかしら ? それにしても、心から誉めてくれているような気がしない こともないけれど : たた かし ふんいき

4. 影の中の都

リリアの方でも、お礼として渡すのは、コーヒー屋台の朝食程度であった。 こうした関係だからこそ、 リリアの持ってくる情報は信頼性が高かったのである ( 謝礼に金 やから を払うようになると、勝手に嘘を作り上げて持ち込んでくる輩だらけになる。金を払うのは、 《正規》の情報屋に限られた ) 。 「いえ、編集長。今朝は特に何も」 「そうか : : : では、そのまま取材に出かけてもらおう」 「あ、はい : : : それで、今日は誰と ? こ 「君・ : ・・・誰と、ではなく、どこへ、だろう ? 「え ? こ 「今日は、ひとりで行ってもらおう」 彼のその言葉を聞いた途端、リリアの顔がパッと輝いた。 かんちが 「君。勘違いは困るそ。ひとりで行かせるからと言って、もう見習い期間が終わりと言うわけ ではないからな」 都それを聞いても、喜びは少しも消えるものではない。 中ひとりで取材に行けるーーロでは何と言っていても、少しは認められたということに違いな 影 。個人的な取材ではないのだ。社の名前を出し、その名で取材をするのだから。 ミスをすれば今後、『本当の真鑾社の取材は全て断られるかも知れないのだ。それを、任 まか

5. 影の中の都

なじ % ほとんどが顔馴染みである。少し詰めてもらって、リリアは間に入れてもらった。 「今朝は冷えるわね、おじさん。今夜あたり、雪が降るかしら ? 」 : いつものかね ? 「降って欲しくはないねえ。商売に響くから・ : リリアが小さく頷くと、主は調理にかかる。 てぎわ こともなく一一 = ロった。 手際よく動くその手元を眺めていると、馴染みの女のひとりが、誰冫 「朝からいやな天気だわ。本当に降りそう」 「降って欲しくないわ。雪の日に外に立っているのはつらいし、なにより客が少ないもの」 隣の女が言葉に乗る。やはり馴染みのひとりである。他の女たちも同調する。 ゆらゆらと動くその様は、まるで花のようだ、とリリアは思った。少ししおれた切り花。 はで 女たちは一様に、派手な化粧と、貴婦人を気取った古ぼけたドレスに身を包んでいる。どこ か高級感を出そうとして着飾り、だがしかし、しくじっていた。 年齢は様々である。リリアとそう変わらないように見える女もいれば、四十を軽く越えてい る者もいる。 「雪の日はさ、足がさあ、かじかんで痛いよねえ」 とひとりの女が言った。 「まったく。そんな夜は、一シリングでもいいや、って思うわね」 コーヒーのカツ。フで手を温めるようにして何人かが、それに同意して頷いた。

6. 影の中の都

「ジム・ホールデンです、お嬢さん」にこりともせずに彼は言った。「お見知りおきを」 手は差し出さない。握手などしてたまるか、という態度がにじみ出て、隠そうともしていな 「この街の大臣のひとりだ。 ホールデン、この娘の処遇については聞いての通りだ。わか っているな」 ぎよい 「御意・ : 「ならばもうよい。行くがいい」 痩せた男は一礼すると、きびすを返し、その場を去った。その後をひとりの男がついて行 く。こちらはホールデンとは対照的に筋骨たくましく、彼の護衛のようだ。 その男が、ちらとではあったが、リリアを振り向き、恐ろしい目で睨みつけてきた。 恐ろしい目。 かって、これほどの憎しみをぶつけられたことはない。 「陛下 : : ・ ? ー彼らの姿が人の波に飲まれてしまうと、リリアはロを開いた。「わたしは何故、 の彼らに憎まれているのでしよう ? こ の「そう思ったか ? 影 わたしが彼らを憎むならともかく、彼らから憎まれるすじあいはありませんわ [ 「ほう。君は私たちを憎んでいるのか ? 」 しょぐう

7. 影の中の都

255 影の中の都 あわてて鼻と口を押さえたが、防ぎきれるものではない リリアは何度も何度も取っ手を回していたが、やがてその手は金鍍金された表面を滑り落 ち、床にばたりと倒れた。 「さあ、それじゃあ手帳を渡してもらおうか」 街の外。外界へと続く道の一本の前に、数人の男が集まっていた。 ひとりはラック / ・、ツシである。にくの厚いコートを着て、ずだ袋をひとっかついでい せいかん 彼を囲むようにして立っているのは、いずれも眼光鋭い、精悍な体つきの男たちだ。 そのうちのひとり 、ハッシュの正面に立って手帳を要求したのは、誰あろうガン・ページで あった。 「報酬はここに用意した」 ページの手には、重そうな布袋が下げられている。 ハッシュは鼻の頭を掻いた。 「ここじゃ渡せねえな」 「何だと : : : ? ー る。 ほ、つしゅ、つ ぬのぶくろ きんめつき

8. 影の中の都

警部は小さくため息をついた。 ここしばらくで、多くの人間がこのロンドンから消えているのは御存知でしようね」 「ええ・ : ・ : そうらしいですねー 「我々はこれを、なんらかの犯罪に巻き込まれたと見て捜査を続けてきたんですよ」 そこで言葉を切ると、彼は紅茶を一口飲み、それからまた続けた。 「一昨日のことですが、イーストエンドの下水を出たところで、行き倒れの男がひとり助けら れましてね。助けた男はヒ = ーリイと言って、その筋ではそれと知られた情報屋でしたが、彼 の手引きで、男はある個人病院に運び込まれたんです 掌が汗ばむ。 警部の目が、ちら、とリリアを見た。 どうようさと 無関心、無表情を保てただろうか ? わからなかった。もしかしたら、動揺を悟られたかも 知れない。 : コーヒーを少し残しておけばよかった。 喉が渇く、ああもう : ・ 「で、その病院にかつぎ込まれた男というのが、一連の蒸発事件の被害者のひとりだと思われ がんこ るんですが、そこの院長というのが、なかなか頑固でしてね。いっさい話をさせてはくれない んですよ」 「・ : : ・そうですか」 てのひら

9. 影の中の都

それをリリアは十分に知っていた。知っていたからこそ、わざと彼の名を上げたのである。 しし」と ずるずると、相手のペースに巻き込まれることは一番危険であった。言わなくても、 を言ってしまいかねない。 『切り裂きジャック』を初め、徘徊する怪人たちを誰ひとり捕まえることの出来ない警察を、 ぶべっ むのう 人々は侮蔑し、無能よばわりをしていた。 えら いたけだか どんなに偉ぶってみても、どんなに居丈高に出ても、『切り裂きジャック』ひとり捕まえら きよせい れないくせに、と言えば、彼らの行動は全て虚勢と化してしまうのだった。 時に『巨悪に背を向けて、足元の小悪を追いかけるしか能のない集団』とまで書かれたりも した。 無論、本当はそうでないことはリリアもわきまえていたが、『ジャック』の名は武器にはな 「努力はしているのですよ、お嬢さん」表面的には平静を繕い、警部は言った。「だが、怪人 の少なくとも半分は、あなたたちマスコミが作り上げた虚像に過ぎない。それがどれほど我々 さまた 都の妨げになっているか、それを忘れないで欲しいですね」 中「そうだとしても、犯人を捕まえることが出来ないのは、わたしたちのせいではありません 「しかし いや、よしましよう。ジャックの話をしようと思ったんじゃない」 はいかい

10. 影の中の都

夢かと疑ったが、腰に回された左の腕の温もりは、現実のもの。 「しかし、こんなことをするとは、まったく驚かされる , ーーどうした ? 震えているぞ」 そう、夢が去るとともに、自分が何をしたのかを思いだし、リリアは震えが止まらなかっ そして気がつけば、彼女はスティーマの体に我から両の手を回し、抱きしめるというより は、幼子のようにしがみついていた。 わきばら 王は何も言わず、回した手の指で、軽く脇腹を叩いた。 安心が、そこから染み入るような気がして、擦りむいた顔も彼の肩にうずめ、手には力を入 れていた。 汗の匂いがする : ・ 不思議と、少しも不快ではなかった。 それは彼が、仮面の怪人などではなく、同じひとりの人間だと、ひとりの男であると、リリ アに気づかせた。 の指が、彼の背中に、何か奇妙な薄い箱のようなものを探り当てたが、いまのリリアにはなん のの興味も抱かせはしなかった。 影 「降りるそ。しつかりつかまってーー」王は小さく笑った。「一言うまでもないか」 そうして彼は、その両足と鉄の腕一本で、 リリアを抱え、なんの苦も見せず、楽々と崖を降 おさな・」