狡猾な物言いで亭主が言うのを、女房が驚いたように聞き返した。 「宿代 ? 、どうしてですか ? あれを見てわからないんですか ? : かわいそうに、衣も破 くっ れているばかりか、靴もないんですよ ? 何もかも取られてしまったに違いないんです」 かっこう あかぬ 「しかしあの箱はどうだ。恰好はああでも、なんというか垢抜けしていてーーー思いがけない高 貴な家の娘かもしれんじゃないか。 おまえ箱の中身を見なかったかね」 「ええ、そりゃあ : : : ずっと抱えてましたからね。子どもがお人形を抱っこしているみたいに ねえ、わたしはあえてそれを引き離さないほうがいいと思ったんですよ。ただでさえこわい思 いをしたばかりなんですから。まあ、取り越し苦労でしたけどね」 「ふうん : : : わしがにらんだところ、ありゃあ、相当な財産が入ってるに違いない。さっき持 ずいぶん った時、随分重かった。娘は軽々と持っていたように見えたが、びつくりだね、あれは。銀貨 が何百枚という重さだった。揺れた時にも音がしただろう・ : : だから、取るものはちゃんとも らってもいいとわしは思うね きとうしょ 「まさか : : : そんな財宝が入ってるなんて嘘ですよ。せいぜい小さな祈疇書くらいのもんでし ようよ。銀貨の音なんてわたしには聞こえませんでしたよ」 揺 魔女房は腑に落ちないという顔で受け答えをしながらも手だけは動かしていた。 つば やぎつの 亜ちゅうぼうたな 厨房の棚から壺を出し、山羊の角に白い粉を詰めている。 かき 牡蠣を砕いた粉で、歯を磨く時に使うものだ。 こうかっ みが
やったことを言づているのだ。 はね 「レオン様が今度は本当の羽ぶとんを用意してくれるよ。人間の女の子には優しいから、きっ と。きみを死なせないために自分がけがをしただろ : : : そんなふうだから、心配するなよ」 けげん ディアが怪訝な顔をした。 「すぐには無理だと思うけどーー・・本当に、レオン様と仲良くしなよ」 「どこ行くの ? こ 「さあ、どこと決めて出かけたことはないけど」 いちまっ カイは一抹の寂しさを隠して微笑した。 レオンがディアをどうするのかはわからないが、少なくとも少女のほうに関しては優しく扱 ってくれると思うのだ。 「やだ : ・ カイが戸口へ向かおうとした時 1 ディアが叫んでべッドから降りた。 はだし 彼女は裸足のまま、床に降りてカイの腕にしがみついた。 揺カイは驚いてディアを見下ろす。 魔「あたし、まだ爪が痛い。早く治して : : : 暖かくして治してよ」 「ディアちゃんーー ? 」 「人間はこうやって治すんでしよう ? ふとんみたいにくるんで治すんだよね ? 」
少女は革の水筒を受け取り、そっと口をつけた。 カイはその場に腰を下ろした。 さっきまで手にしていた棒きれを拾ってばきばきと折った。 がれき 瓦礫を丸く並べてその内側に木っ端を入れる。 あさぶくろ 腰の小さな麻袋から火打ち石を出して一一度、三度と打ちつけた。 既にあたりは薄暗くなっていた。これから先はもっと勢いを増して闇がおりてくる。 「互いの姿が見えてたほうがいいと思うんだ」 少なくともカイにとってはーーーずっと見ていたいくらいだが、少女にとっても真っ暗より安 心なはずだ。 「ありが : ・・ : と」 照れくさそうに言って、少女は水筒をカイに戻した。 カイは軽くそれを振って、残しておいてくれたの ? ときいた。 「干し肉も少しあるけど、どう ? 」 おなかはあんまりすいてないから」 「ふうん : ・ カイはちょっと不思議に思ったが、まだ少女の警戒心がとけていないのだろうと解釈した。 それとも本当に木の実か何かで飢えをしのいでいたかもしれないが。
囲とは思えなかった。もしかしたら解決するどころか、逆に恨みをかってしまうかもしれない。 やっかい そうなったら厄介だ。 みじたく 身支度を整えて一晩だけ泊めたらーー後は出ていってもらわなくちゃ。 それをどう切り出したら角か立たないかを思うとまた気の重い話だ。 きおけ ちゅうぼう てつなべ 厨房の奥の鉄鍋に沸かしてあった湯をひしやくですくい、女は木桶に汲んだ。 「おまえ、いいのかね」 亭主もやってきて、少女のほうを気にしながら声をひそめて言った。 年の頃は四十くらいだが、細くとがった鼻と表情の少ない目をした男だ。 「わしらまでとばっちりをくわないだろうな」 「そりゃあわたしもそうは思いますよ。 ・ : ですけどうちの子がきりだしたことなんだから。 あとは知らんぶりというわけにはいきやしませんよ」 「なんでまた、おまえがちゃんと見ていないんだ。余計な事に関わってはろくなことにならな いとわかっているのに」 「わたしだって止めましたよ ! あの子が聞かなかったんですよ」 お / きよっ 亭主が臆病な分、女はしつかりしている。 「でもいっか、どこかで決着をつけなきゃいけないんですよ。ごろっきに良いようにされて、 やっかいごと みんなひどい目にあってきたんです。代官は厄介事を嫌って見て見ぬふりだ。よそから来た他
168 「芥子のシロツ。フですかー : : : それはまた : : : 」 れんびん 憐憫を含んだカイの声に、レオンが答えた。 にそうしゅうどういんちっ すべ 「フラに任せるしかないそ。彼女は昔、尼僧修道院長だったんだ。癒しの言葉も祈る術も心得 てる」 おかみ 「えつ、あの女将がですか」 しよっかん 娼館の女将と尼僧修道院とは意外な組み合わせだ。 きしゃ 「おかしいか ? 劣悪な尼僧院より居心地が良いかもしれないぜ。礼拝を怠らず、喜捨もケチ らない。ここの娘たちはある年頃になったら降嫁もするし、店を持って独立することもでき る。だから娘たちに悲愴感はあまりないな。そこがフラのおもしろいところだ」 へえ、とカイが感心していると、レオンがつけ加えて言った。 みと 「病んでしまった女は気の毒だが、フラは手厚く世話をするし、最期を看取って埋葬まで責任 をもって面倒を見る。おれたちにできることは何もないさ」 「そうですか。そういうことなら 。ディアちゃんがさっきからその病人だと思うんですけ ど、苦しがってる声が気になるようで、落ち着かなかったんです」 カイは自分の背に隠れているディアへと首をめぐらせた。 「ディアちゃん、病気の女の子がいるんだって。原因がわかったからもういいね ? 」 さと 彼はディアに論した。 こうか いや おこた まいそう
「えつ、そうなんですか ? こ 「おれは関係ないから。あんなクソ生意気な女、どうなっても」 「・ : ・ : そうですか、それじゃ」 カイはごろっきから取り戻した短剣が腰にあるのを確かめた。 もっともそれを抜くようなことはないだろうが。 宿の亭主が居直ったとしてもカイの相手ではない。 カイは音を立てないように客室を出た。 レオンはべッドに半身を起こしたまま壁によりかかっていた。 こころ、も、こ 壁の心許ない明かりを・ほんやりと見つめる。 ーー妙な女だ。 勧物を言わなければたおやかで消え入りそうなのに。 魔カイという少年は、昨日会ったばかりだというが、すっかり惚れ込んでいるらしい レオンの目から見てもかなり美しい少女だとは思うが、ひとたび口を開けばどうだ。 無礼で小憎らしくて、おそれ知らずで
それでカイの胸に耳を当てて目を閉じた。 鼓動を聞いて : : : 少しうるさいけどなんとなく安心する。 揺りかごにはかなわないが、意外と居心地がいし ずらとこうだといいな カイがディアの髪をなでた。 心なしかその手も頼りなげだ。 カイとの別れもいっかはくるのだろうか。 そしてこんなふうなこともなくなってしまうのだろうか。 ディアはカイの手に触れた。 カイが手を止めた。 「カイも ? 一カイもいつもそう ? こ 「一緒に長くいられないと思うと : : : 仲良くしない ? あたしは ? 」 力イは眠気を含んだ声で答えた。 魔「ディアちゃんとは : ・ : ・仲良くしてるでしよ、ボク」 それはずっと一緒にいられるからか、それとも別れが悲しくないからなのかな、と思った が、カイの寝息が聞こえたので、もう起こさないでおいた。
意地を張ってるようなら、翌朝ここを出る時にこっそり干し肉をおいていってやろう。 いや、待て。 カイはふと思う。 彼女、これからどうするのかな。 こんな場所にひとり置き去りにしていいわけない。 どこから来たのか、戻る場所はあるのか。 行くあてはあるのか ゆっくりと聞き出して、彼女の行きたい所へ送り届けてやるべきだ。 そうでなきや、自分がきっと : ・ : ・気になって気になって、どこへも行けないだろう。 「ねえ・ : : ・きみ・・ : : 」 カイはロを開いた。少女はひざをかかえてこちらを見た。 「あのね、さっきも言ったと思うけど・ : ・ : ボクの名前ね」 ご「カイでしよ」 うれ 「覚えててくれた ? 嬉しいなあ、ボク」 の「あたしの名前が知りたいわけ ? たんとうちよくにゆう 悪「う : : : 、単刀直入ですねえ。そういうこと . 「あたしはね
ちゅうぼう 厨房の出入り口は天井が弓なりになっている。 そこから奥は火を扱うので石作りなのだろう。 ディアの求める物は見あたらない。 「おねえちゃん、よかったね ! おいら、どうなるかとすごく心配だったんだ」 少年が厨房から出て来てディアに話しかけた。 彼女のことが気になるのだろう。 火の番をしているはずだが、 , おいしそう。 ディアはにこりと笑った。 むくたましい 無垢な魂は甘くておいしいと言う。 今はさほど空腹ではないが。 少年はディアに笑いかけられたためか、浮かれてぼうっとしている。 「あ、あの : : : おいらがお客さんにたのんだんだよ。すごいつよかったよねー 「お客さん : : : さん ? 」とディアが聞き返した。 「うん、かっこいい剣もってたから、ぜったいつよいと思ったんだ、おいら。 : : : あっ、かえ って来た ! 少年が戸を指さした。 ディアはぎくりと振り返る。
Ⅷ「もう大丈夫、ディアちゃん」 励ますように痩せた背を抱いて、カイはささやくようにそう言った。 カイの頭の中で、この場をやり過ごすシナリオができつつあった。 うしろめたい気持ちを抑えて彼は言った。 「ところであのうーーご亭主は ? 何か物音を聞かなかったかな。ボクたち、熟睡していて気 づくのが遅かったみたいなんですけど。ご亭主を呼んでください」 女房がはっとしたように口を押さえた。 「代官とやらにも知らせたほうがいいかもしれませんよね、昼間のやつらの報復かも」 ーー少しお待ち下さいな」 「ま、待ってください。主人を探してきます。・ : : ・少し、 あわ 彼女はひどく慌てて階段を下りて行った。 レオンが鞘に長剣をおさめた。 「どういうつもりだ ? 亭主はもう 「でも、本当のことが言えますか ? レオン様ーー悪魔に喰われたなんて : : : 誰が信じるか な、実際に見たボクでも、まだ信じられないのに」 「亭主を泥棒にするのか」 ゆくえ 「ええ。 ディアちゃんの銀貨を盗んで行方をくらましたってことにするんです。暗にほの めかすだけでもいいと思うんですー さや じゅくすい